




Festival/Tokyo良かったですね〜。
見応え十二分で企画の充実度満点、でもってスタッフの結束感、志の先が見えるような演劇祭でした。
プログラム・ディレクターの相馬さんは開幕前に予算が大幅に増えたのが大きな強み、とおっしゃっておりましたが、何をおっしゃいます。そのお金を有効に使ったからこそ成し得た結果ですよ。
これからもますます期待してしまいます。
では、ここらでフェスティバルプログラムのレビューを簡単に。観た順でいきましょうか?
*カール・マルクス:資本論、第一巻 リミニ・プロトコル
http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/ft20090213r1.html
(上のアドレス貼ってみるとDaniel Wetzel のインタビューが読めるよん)
前評判でダントツ一番人気の期待を裏切る事なく、刺激的な舞台を見せてくれた。
人々はわざわざ時間をさいて、何の為に劇場に足を運ぶのか?という原点にたちもどるかのような問に見事に答えてくれる舞台。
大人がわざわざお金を払い、足を運ぶのにはそれぞれの知的好奇心を満たすため、そして日々頭に浮かんでは、忙しさゆえにいつも忘れさられてしまっているような人々の大もとのところにある何かを見つけるヒントを探しに行くため、に劇場へ行くのでしょう。
で、この芝居、観客を受け身ではおいておかない、観客一人一人が観客席で自分の人生と照らし合わせながら舞台上で語られている事を頭で考えるように自然ともっていくようにできている。
舞台上の出来事が一つだけの答えを持ち合わせているのではなく、観客の人数分だけの答えを提供できる芝居。
*オセロー イ・ユンテク
日本側からク・ナウカ、韓国側からは演戯団コリペの俳優が集っての合同創作プロジェクト。
オセローといってもシェイクスピア戯曲の上演ではなく、ク・ナウカ主催の宮城聡企画原案による夢幻能として2008年にソウルで上演されたものを、さらに今回、韓国トップの演出家、イ・ユンテクが新たに演出。韓国独自のシャーマニズム舞踏の取り入れ、能戯曲プラス韓国舞踏と、まさに日韓文化混合の舞台として作り直したもの。
ユンテク監督が韓国国立劇場の芸術監督も努めた方だそうで、客席には韓国演劇関係者のお偉方がずらっと並んでご観劇。上演後のポストパフォーマンストークでもその中のお一人が今回の上演を讃える祝辞のようなコメントを発言したりしていた。
で、舞台はと〜〜〜〜〜〜ってもヴィジュアルが奇麗なのだが、その合同創作のあまりよくない面が出ていたようで、どちらか一人が最初から最後までオセローを独自の解釈で演出した方が良かったのでは?と思わせる残念な結果に。 というわけで、ク・ナウカ版オセロー観てみたくなりました。
*雲。家。Port B
オーストリアのノーベル賞作家、エルフリーデ・イェリネクによる40ページの戯曲「雲。家。」のPort Bバージョンで、07年にFestival/Tokyoの前身である東京国際芸術祭で上演されたものの再演。バージョンアップしての再演、とあったが、その違いはあまりよく分からなかった。
西すがも創造舎の体育館=劇場に設置された建設現場の足場のような鉄骨舞台。その鉄骨建造物一面に張られたスクリーンには時にはサンシャインビルが、また時にはそのビルの近くで若者たちにインタビューした映像が、そして時にはいろいろな国から日本へ来ている留学生たちの談話が映し出される。
その映像が映し出される以外では、延々とイェリネクの戯曲がPort B看板女優、暁子猫によって語られる。時に暗闇にその姿を隠し、声だけが劇場の暗闇に響きわたる。
「わたしたち。。。」で始まるその台詞はあくまでも断片的で抽象的。また、それぞれの映像に特別な注釈がつくわけでもない。でありながら、舞台はわたしたち=日本国とわたし=観客(国民)一人一人の関係性を見事に浮かび上がらせて行く。
戦後この両者の関係を重要視し、あるべき国家のすがたをつねに公の場で議論してきた国ドイツと国家の成り立ち(構成)すらあたふやで、さらにはその問題をそのままに放置しつづけている日本。
Port B=日本版「雲。家。」が忘れようとしている観客(国民)の意識を静かに喚起させる。
p.s.
この舞台とは別に、Port Bが年末に3日間連続の演劇プロジェクト「ディクテ・フォーラム」というのを決行しまして、残念ながら私は参加出来なかったのですが、これが横浜の街を巡りながら、様々な方面からゲストレクチャラーを呼んで各所でレクチャーをしてもらい、その行程を繰り返しながら、多方面から演劇を再考するというプロジェクトでして、、(その様子は彼らのHP www.portb.net から知ることが出来ます)。こうゆう企画わくわくしますね。
それこそ、わたくしたち日本人はレクチャーを聞く事はとっても上手に出来るのですが、如何せん討論debateというのが大の苦手で、ついついdebateが言い負かし合いになってしまうものです。それどころか、その前段階、議論discussionでさえ成り立たないことがしばしば。
演劇も舞台上と観客席の一対一の関係ではなく、このような数人が会する場で論じられる、それもある程度の時間をかけて、という機会がもっともっとあれば面白いのに、と思いますね。
*Hey Girl ロメオ・カステルッチ
こちらも間違いなく今回の目玉演目の一つ。
それが故に開幕前の劇場(体育館)もなんだか異様な熱気につつまれていたのですが、終わった後、その熱気がどこかへ抜けてしまったような、不思議な公演でした。
誰もが絶賛する、冒頭シーンーテーブルの上のアメーバー状のピンクの物体の中から裸体の女が脱皮して誕生するーは確かに、忘れられない強烈なイメージと共に残る、、、、がそれからの一連の各時代の`女’を連想されるシーンが、一つ一つとっても奇麗なのだが、ただそれだけで終わってしまったような感があり。ちょっと興醒め。
写真とかビデオとかでその美的な世界を見れば、それで満足できちゃうかも。
その女に関して、さらなる物語が欲しかった。
これは単に私の趣味かもしれないが、ダンスでも単にフィジカルなテクニックを見せられるだけのものにはあまり関心がないから。ダンスでもパフォーマンスでも総合的な世界観、あっと驚く新発見をさせてほしい。
あとは、この体育館の劇場、これが本当は集中していくべき熱気を発散方向へ向かわしてしまった一つの要素でもあったのかも。
*火の顔 松井周(サンプル)
演劇関係者、とくに小劇場愛好者に絶大な支持を得ている若手、松井周が手がける、ドイツの(やはり若手)奇才、マリウス・フォン・マイエンブルグ作、05年に本家ドイツのシャウビューネ劇場が来日して話題になった「火の顔」の邦訳版舞台。
後日、この舞台を観たドイツの演劇人が「ぼくはあまり気に入らなかった。だってあの劇はもっと社会色が濃くでた舞台であるべきなんだから、、日本版にはそれが感じられなかった。」と感想を述べていた。そのご指摘どおりなのだが、これが日本の「火の顔」なんだと言い返した。
前出のPort Bの欄でも述べたように、同じ敗戦国でありながら、この二つの国がとった戦後政策、そして一般国民の世界大戦に対する向き合い方はあまりにもかけ離れている。
さらには戦後も東西ドイツ分裂という形で戦争の責任をとりつづけたドイツと戦後、当時の戦争責任の追求を完結しないまま新しい時代に突入してしまった日本(沖縄問題などはありながら)とで、国家というものに対する国民の期待と注目度、また同時にそれに対する国民一人一人の責任感覚もかなりの違いがあるだろう。
そんな日本での舞台で、現状の日本社会を映し出す「火の顔」を創ったら、まさにこうなったということ。完全に意思の疎通のとれない親子同士、人は良いが家庭での存在感が全く無い父親、事なかれ主義で日常に流されている母親、大衆世間に不満を持つ内弁慶な思春期の娘、かっこつけていながらもろい娘の彼氏、そして全ての大人を信じられない息子。。。。彼らが自分が傷つく事を恐れ人との関わりをするりとかわしながら日常を暮らしていたある日、息子が姉と確実な繋がりを持つ(セックスをする)。人との関わりを持つことで彼の中の均衡が失われて行き、その崩壊が加速していく。
この主人公に後日談があるとすれば、やはりテレビのワイドショーで「まさか、そんな事をするような子には見えませんでしたよ。仲の良いご家庭で。」なんてコメントされてしまうのかも。
5人の役者がまさに、この日本版「火の顔」のための役者というほど、はまっていた。
*金柑少年 山海塾
なんだかすごいものをみせられたというのはわかるのだが、それ以上心に響く物語は聞こえてこなかった。こちらの舞台も映像とか、写真とかで満足できちゃうかも。
お芸術には、あまり興味がないんだよね〜。もっとがっつりくるものが観たい。
*blueLion 白井剛
同じ芸術だったら、こちらの方が(良い意味での)辛抱度があるし、ストーリーもあるし、ぜんぜん良い。
ソリッドな肉体が表現するミニマムな洗練されたダンスと他要素ーアコーディオン、ギター(ダンサーの方とこの二人のミュージシャンは家族なの?みんな寺田さんだったから。。。)、ヴォーカル、ピアノとのバランスもGood。
丁寧に伝えたいものを表現している、だからこそこちら側も見逃さず受け取ろうとする。
*コウカシタ 井出茂太
思いがけず(と言ったら失礼ですが)目から鱗の大当たりのダンス。これ好みです。大好きです。
こちらも振付家の井出がタイまで出向いて、オーディションして選んだタイ人のダンサー6人(76人の中から選ばれてます)と日本人ダンサー4人による混合チームのコラボレーション。
アフタートークによると、選ばれたタイ人の出演者の中にはプロのダンサーではなく、役者として活動している人たちも混ざっているとの事。
で、そのNONダンサーの人たちがまたいい味だしてましたー彼らもちゃんと踊ってましたよ、あしからずー、でもってタイ人の双子の女性ダンサーがメンバーにいるんだけど、この子達がスタイルが良くて、でもってその動きの格好良いこと!素敵な動きは観てて気持ちが良い、でもってワクワクする。
コンテンポラリーダンスってある種なんでもありの分野なので、作品を批評するのって大変難しいと思うのですが(作品を解説、または技術的に批評することは出来ても)、つまりは作品を通してどれだけ多くの人たちを気持ちよくさせたか、心を動かしたか、、というのが評価につながってくる=作品の成功と結びついてくると思うのですが、思いっきり、すっきりと大声でお勧めできるダンスでした。
それぞれのダンサーへの当て振りに近い作り方で自由な形式で創ったダンスがーこれもアフタートークで井出さんが言っていたことーアジアを思いっきり感じさせるごちゃ混ぜ感が楽しい舞台として完成してくれました。
*声紋都市ー父への手紙 松田正隆 マレビトの会
こちらも大きく期待を裏切って(またもや失礼なことを、本当にすみません)、大金星の舞台でした。
私、90年代に日本を留守にしていた事もあり、ぽっかり観ていない時代の演劇人というカテゴリーがありまして、マレビトの会・松田さんもその中に入るのです。
今までではキラリふじみで04年に観た「天の煙」が唯一の松田さん体験かも。
で、今回の舞台ですが、スクリーンに映し