
オーストラリア出身の演出家、現在はドイツを基盤に活躍するシンベリン・ビューラー女史が日本人の役者達と共に役者達との対話から新しい芝居を作り上げるプロジェクトの結晶「Living on Stone Rice」が駒場アゴラ劇場で上演されていた。
その上演に伴い、上演後にシンポジウムが開かれていた。
パネラーはシンベリン(写真)の他に、アゴラの支配人であり日本を代表する劇作家・演出家の平田オリザ氏、日本演出家協会事務局長でオーストラリア演劇に造詣の深い 和田嘉夫氏、文学座所属で海外作品演出も多い 高瀬久男氏。
「社会問題・戦争問題と演劇の関わり」という題目だったのだが、それぞれの立場から、現在の演劇の可能性、、演劇が社会と関わる事の重要性と言った議論へと発展。
やはり、それぞれの活動とリンクさせて、、そして(当然の事ながら)その活動を通じての体験談、またはそこからの未来系を探る話が多く、平田氏などは現場でトップランナーとして観客を動員し続けなければならない立場から作品としての芝居の質にかなりこだわり、、また、近年の国際共同創作作業からその実現の難しさ、そしてそれにどう対処すべきかを具体的に語っていた。
反面、シンベリン、和田氏などは演劇活動がどのように社会へ影響を与える事が出来るか、、、出来た作品ももちろん大事だが、演劇は観るだけではなく、参加することにも意義が有り、またプロジェクトを立ち上げる事にもー特に国際プロジェクトなどはーある種の意味があるというような立場をとっていた。
それぞれの意見に納得しながら、、現場制作の立場ではなく、一観客、そして制作ではなく演劇に関わる者の意見としては、、それもこれも含めて、、そんないろいろな立場での演劇が存在し得るような、演劇土壌を日本に作りたいというのが、意見です。
エジンバラ帰りの影響もあるとは思うのだが、、まず何と言っても演劇土壌がある国と、、かなり肩身の狭い思いをしながら、、演劇がマイノリティーである国とがあるとしたら、日本はまだまだ後者であると言う事です。
義務教育のカリキュラムに演劇教育も無いし、劇場へ行ったことがない人が殆どであり、、国が演劇に真剣に取り組んでいない。。やっぱり、もっともっと演劇の効用を一般レベルで認識出来るよう出なければ、、、どうすればそうなるのでしょうかねー。?
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