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2016年11月

2016年11月30日 (水)

検閲ー彼らの言葉ー(11/30)

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上野ストアハウスで日韓演劇週間Vol.4の4劇団の一つ、韓国ドリームプレイ劇団の「検閲ー彼らの言葉」を観た。

日本の演劇界でも話題になった韓国の現朴 槿恵政権による文化(演劇)への政治統制(検閲)を実際に起こった「こと」の経緯を丁寧に検証し、その背後で一体何が画策されていたのか、彼(体制サイド、国家側の役人、それを擁護するメディア)らが公の場でした言い訳の数々を分析しながら、一連の出来事の核にある問題をあぶり出すドキュドラマ。この秋にフェスティバル・トーキョーのメイン演目として上演されたパク・グニョン作・演出の「哀れ、兵士」に対する助成金付与に関してのスキャンダルー一度は委員会によって助成金対象となったものの、政府の「物議を醸しだし、社会を混乱に導く問題のある演劇」という判断による圧力により助成金の辞退を促され、結局は演劇活動を制限されたという件ーに端を発したディベートは、現政権への大いなる懐疑、政治と文化の関係、絶対的なパワーを持つ政治家、その政治システムに関する問題を提起し、韓国の現状に警鐘を鳴らす。

その内容は一方的な、個人的な政治的糾弾にとどまらず、物事の本質を確かな分析により証明する、知的なディベートというレベルにまで達している。

演劇というある特殊な世界のスキャンダルを扱っている話ではあるのだが、そのバックにある韓国の問題点、政治システムの矛盾点、さらに朴 槿恵という人の常人には計りかねる個人的な問題点が見えてくる。韓国で起きていることの元を知ることが出来る、タイムリーな芝居は必見。

韓国の総国民が直面している民主主義と国家という前提に人はどう立ち回るのか、、、教えられることは山のようにある。

それにしても、このように知的なディベートが演劇で成立していることに敬意を表する。


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三代目、りちゃあど(11/29)

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東京芸術劇場の小劇場で、劇場の芸術監督である野田秀樹が1990年に自身の劇団「夢の遊眠社」に書き下ろし、上演した作品「三代目、りちゃあど」を観た。

初演時には(もちろん)野田自身が演出、出演もしていたのだが今回はその26年前の野田戯曲をシンガポール演劇界の大御所、オン・ケンセンが演出。アジアの文化が混在したアジアミックス&文化ミックス&性別ミックスバージョンとして上演している。

実はこの作品、この春に静岡SPACの国際演劇祭で観ているのだが、その時の印象(感想)とかなり違ったのでー今回の方が多いに作品を楽しめたー、もしも春にすでに観ているので今回はパスをしようと思っている方がいたら、ぜひ騙されて観劇してもらいたい、と言いたい。

前回は戯曲の良さが伝わってこないうちに打ち上げ花火のように散ってしまった感があったのだが、形状、大きさが異なる劇場へ移っての今回の公演では「三代目、りちゃあど」の戯曲の面白さがケンセンの前衛的な演出、さらには彼が目指した(良い意味で)ごちゃ混ぜな様々な仕掛けー例えば、上演は日本語、英語、インドネシア語が入り混じり、日本からは歌舞伎、狂言、元宝塚、そして現代劇の俳優陣が、インドネシアからは伝統芸能の影絵師、シンガポールのトップ俳優が参加、女優が髭を書き、男優(女形だが)がネオンピンクの口紅を塗るーにより、2016年の刺激的な舞台に仕上がっていた。

90年、グローブ座で上演された際、あちらこちらに仕込まれた既存のもの(定着している古典の解釈)への疑いの眼差し、さらには既存の演劇に対する新しい試みに、目を見開いたものだが、今回はその野田芝居のきらめきが舞台に息づいていた。

26年前に今日の Post Truthを予言するような台詞を書いていた野田の批評性、それこそがこの芝居を上演する意味であり、見事にそれが舞台に上がっていた。

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仮想定規 〜序の賞〜(11/28)

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中野スタジオあくとれで元流山児事務所所属女優/演出家(寺山修司の「花札伝綺」を演出、国内外(英国エジンバラ、ニューヨーク、カナダなど)で上演し、好評を博す)の青木砂織が新しく立ち上げた劇団「仮想定規」の旗揚げ公演「仮想定規〜序の章」をみた。

新しい劇団ならではの初々しさ、というか緊張感も見えたがそこは上演を重ねるごとにこなれてくるだろう。

オリジナル和製ミュージカルを劇団のミッションに掲げる劇団らしく、劇団付き作曲家ほんだまことの耳に残る独特な旋律をライブ演奏と歌で構成する世界は唯一無二。海外での活動を大きな柱として見据えているとのことなので、これからの展開が楽しみだ。

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2016年11月28日 (月)

景清(11/27)

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演劇集団円の看板俳優 橋爪功が主演、外部でも大忙しの活躍、演出家 森新太郎が演出を担当、森と多くの作品でタッグを組むフジノサツコが近松門左衛門の原作をもとに脚本を書いた「景清」を吉祥寺シアターで観た。

「近松門左衛門の浄瑠璃台本「出世景清」を原典に、幸若舞、能や歌舞伎、各地に伝わる伝説などから想を得て、平景清(たいらのかげきよ)を中心に戦乱の世に振り回された人間たちの哀れを描きます。

―盲目の老将平景清、いまだ修羅の道から抜け出せず。―」

冒頭、暗がりの中、主人公の景清(橋爪)が晩年、視力を失った姿で登場。その後から若い頃の回想のシーンへと移っていくのだが、その最初のシーンで「千両役者!」と橋爪功の巧さに唸らされる。 声の表現だけで、年齢の違う主人公を軽やかに演じ分けるのだ。 景清を取り巻く、侍衆、源氏の殿様は等身大ー時にそれ以上のー人形によって(役者が背後で操る)演じられ、刀による殺戮シーンでは横に並んだ人形たちの首チョンパ、と中心にいる景清はあくまでもシリアスに、そして彼の回想の中の人々、出来事は漫画活劇風に少々滑稽に表現される。 美術、演出、そして何と言っても 主役がピカピカに輝いたステキなお芝居だった。

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2016年11月27日 (日)

今日の判定(11/26)

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大阪を拠点に年1公演のペースで活動している劇団dracomの「今日の判定」を森下スタジオで観る。

大阪で25年間活動しているという老舗劇団ということだが、私は今回が初見。こんなところにも日本の演劇マップの東京集中化が見てとれるというもの。

架空のスポーツに興じる人々 (男女ミックスのペアで1対1で戦う レスリングのような、剣のないフェンシングのような、時にダンスのような競技)の試合を追う1時半。ナレーション、効果音声が流れる中、俳優は会話というよりはその架空のスポーツのおかしな動きの連続、意味不明な技のかけあいに専念している。

ルールに過剰に気を回すあまり、ゲーム(戦争の隠喩)の真意を見失っているアーティストたちを批評的に見せていく。途中、スコアボードが映し出されていたスクリーンには数字で裏付けされた世界各国の状況(犯罪率、貧困率など)が映し出される。

音楽もほとんど入らない状況で延々とわけのわからない競技の様子を見続けるというのは、なかなかに忍耐が必要な状況であった。以前上演した「ハカラズモ」という作品の改定版ということだが、流れに少しばかりの変化があっても良かったかも。

英語字幕がついているのは「あっぱれ!」。

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2016年11月26日 (土)

木の上の軍隊(11/25)

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2013年、シアターコクーンで上演されたー原案:井上ひさし、作:蓬莱竜太、演出:栗山民也ー「木の上の軍隊」を紀伊国屋サザンシアターで観た。

先日の「天使も嘘をつく」に続いて、多くの犠牲を払わされてきた(いる)沖縄の話である。

木の上で2年間、声を殺して生き延びた二人の日本兵の話、というと一見、荒唐無稽な作り話であるかのように思えるが、この話には実在するモデルがいて、パンフレットには実際に1年半の間木の上にいたご当人、佐次田秀順さんのルポが載っているので必読。

この実話が元になってはいるが(どうやって生き延びたのか、といった状況については事実に沿っている)、そこは劇作、二人の兵士の関係性ー劇では同年代の仲間ではなく、上官と新兵に変わっているー、木の上で交わされる会話などは全てフィクション。井上ひさし節ー食べ物に関するこだわり、ジョーク、そして人の世の矛盾についての声ーを引き継いだ蓬莱が、劇中の新旧兵士さながら、若い世代の言葉として今日の観客に戦争の非人道性、戦中の国家主義の危うさ、人であることの前提を説いている。

今一度、一人一人が、肩書きや立場からではなく、人として現在の沖縄基地問題に向き合うことの大切さ、ー同じ過ちを繰り返さないためにもーを笑の中にしっかりと問いかけてくれている。

シアターコクーンより一回り小さくなった空間で、ガジュマルの木にしがみつきながら自らの心の中に湧いた疑問について素直に自問する新兵を松下洸平が好演。沖縄出身の歌手、普天間かおりの琉歌が場所のカラーをさらに際立たせる。

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2016年11月25日 (金)

天使も嘘をつく(11/24)

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坂手洋二坂手洋二率いる燐光群の新作「天使も嘘をつく」を座・高円寺で観た。

「天使も嘘をつく」という映画の製作を主演女優の不慮の事故により中断している映画監督(竹下景子演ずる)がー彼女はテレビの社会派コメンテイターとして一般に広く知られているという設定ー仕事の一環として西南諸島の島を訪ね、そこで起きている住民の民意を無視した自衛隊基地誘致問題を住民の側の視線でドキュメンタリー映画に収めていく日々の中で、体制側の巧みな嘘や世の中の矛盾に翻弄されながらも希望を捨てずに前へ進むしかないと覚悟するというお話。

このところの燐光群の劇作フォーミュラにすっぽりはまった劇進行で、なんだかデジャヴュ(前にも同じようなものを見た)のようである。

西南諸島の基地問題をとくとくと説くドキュメンタリー説法の部分と「天使も嘘をつく」という題名の映画製作のフィクションの部分ーおそらくこの虚構部分がこの芝居の核とならなければならないのだろうがーが乖離していて、無理やりその二つを同じ土俵にのっけたという感が拭えない。

劇作のために取材した島々で聞いた話の多くが盛り込まれている、と当日パンフレットにあったが、それをレポートする目的であれば、そのレポートは別の場所でお願いするとして、、、芝居はそのレポートを超えたところ、その先のところまで行って欲しかった。ーー例えば、主人公は「冷戦期のアメリカB級表現に於ける核恐怖」(思いもよらぬB級映画の表現の中にまで核の恐怖、赤の恐怖を連想させる刷り込みが多くあり、またそのB級娯楽映画を見ている人たちにまでそのショック・ドクトリンは連鎖していくということ)に関心があり、つまりはそれに関連した映画を作ることを人生の目標にしているという設定なのだが、その彼女の中の大きな部分がただその題名である「天使も嘘をつく」という言葉を連呼するだけで十分な問題の分析がなされていない。今の世界の動向を指し示した比喩であろうとしたのだろうが、言葉だけでなくそこの部分を内容で示してもらいたかった。

(ちなみに余談だが、今のブレクジット、トランプの当選現象に見られる新しい世界の勝ち組の手段を Post-truth (真実の後)というのだそう。実際にネットやSNSで拡散している、彼らが訴えかけている事柄についての事実確認については二の次で、彼らが大声で拡散していること(嘘)がマスの真実になっていくということ)

巷の演劇サイトなどでの指摘も目にしたが、役者の異口同音の体言止め口調も、それこそが「嘘」だと思えてしまう。あんな会話、それに突然踊りだすかのような大げさな身振りも、ありえない。

社会問題をうまく盛り込んだ「屋根裏」「だるまさんがころんだ」「カウラの班長会議」などの傑作があるだけに、次回作を期待を込めて待つ。

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2016年11月23日 (水)

ヘッダ・ガブラー(地点バージョン) (11/22)

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国際演劇祭 「イプセンの現在」シリーズの第一弾、三浦基率いる地点の「ヘッダ・ガブラー」をあうるすぽっとで観た。

この「イプセンの現在」では趣向の違った国内外(外はベルギー、ノルウェー、ルーマニア)のカンパニー6団体が、そのうち3つのカンパニーがイプセンの代表作「ヘッダ・ガブラー」をあとの3つが「人民の敵」を上演するというもの。テーマがはっきりしたフェスティバルー企画は、その企画の段階で魅力がある。今回も、ほとんどが初見のカンパニー(地点と名取事務所を除いて)だが、見比べるという観点からどれも観てみたいという気になる。で、演出家、カンパニーによって視点が違う古典作品を観られるというのは、その比較によって自分の中に新しいイプセンが浮かび上がってくるという可能性にも大いに期待が膨らむ。

で、その「現在」という企画意図から、地点のこの「ヘッダ・ガブラー」からこのシリーズを始めるというのも正解であると思う。

古典戯曲(チェーホフ、シェイクスピア)の大胆な解体・エッセンスの抽出による簡略化で知られる地点ではさらにその新しいテキストを有効に表現するため、演出家の求めた身体表現が可能なカンパニーの定着俳優たちによって世界が立ち上がる。

今回の約70分に凝縮された「ヘッダ・ガブラー」ではそのストーリーは通常の上演のようには進まない。

主要な役に扮した役者たち六人がロッキングチェア/木馬に乗ってそれぞれの心の内、欲望を吐露する。筋立てを追うのではなく、登場人物の願望をその思いの抑揚で言葉でぶつけ合うことにより、これらの人たちの間で何が起きたのかを見せるという趣向だ。

結局のところ、外的要素を排除したこれこそが彼らに起きたことだったのかもしれない。

俳優たちも作品を追うごとに魅力的になってきていて、安定感が増してきている。

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2016年11月22日 (火)

キネマと恋人 (11/21)

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世田谷パブリックシアターとKERA・MAPが組んだ新作舞台「キネマと恋人」を観た。

1985年公開の映画、ウッディ・アレンの「カイロの紫のバラ」に構想を得たケラが設定を1930年代の日本の架空の島へ移し、銀幕から飛び出してきたスター(今作では”未来”の大スターで妻夫木聡が演じている)と現実逃避気味の映画好きの人妻(緒川たまきが演じている)のひとときの恋という大枠はそのまま、当て書きのジョークを含め、ケラならではの細やかさで笑いを足し、役者の動きを小野寺修二が担当したことにより流れるようなシーンの切り替えを舞台で実現させた(良い意味で)誰もが楽しめる娯楽作。

リズミカルで魅力に溢れた架空の島の島民たちが話す方言ー基本的には西方・四国の方言と似ているが、独自の言葉、例えば、とても=「バリンコ」、語尾に「〜だり」「〜がって」がついたりするー、舞台セットが役者たちのダンスの動きによって転換され(by小野寺修二)、時に大きな白いついたてがスクリーンに早変わり映画の世界(映像)を瞬時に三次元の舞台空間に併設させる、などなど多作で知られるケラリーノ・サンドロヴィッチならでは、舞台作りのプロ中のプロの集団(演出、映像、動き、そして俳優たち)が作り上げた現在の日本演劇界が世界に誇る高品質の舞台。ナショナルシアター・ライブ、ゲキシネなど舞台と映像の境界線が様々な技術面での質の向上により曖昧になりつつある(双方の歩み寄り)今日、映画好きから演劇オタクとなり日々様々な演劇の可能性の探求を実践の中で行っているケラによる彼の好きな映画とそして、もちろん演劇に対するオマージュ作品。

オープニングのバスター・キートン、ハロルド・ロイド、そしてマルクス・ブラザーズのスラップ・スティイク黄金期のフィルム上映に始まって、映画好きにはたまらない映画ネタ、ジョークも見所の一つ。

ケラさんは同年代なので、彼がプログラムでインタビューに答えている人生のタイムラインが自分のもの、自分の文化史と重なる。ーまさにチャップリンから始まり、マルクス・ブラザーズ、モンティ・パイソンからのその後の名画座でのハリウッドミュージカル映画のはしご、スピルバーグ&ルーカス時代。。。と走馬灯のように蘇る。今でこそ夜は観劇、が定番だがOL時代は友達や映画好きの先輩と仕事終わりに名画座が一つのお決まりイベントだった。そんな時、当時大人気だったアレンの「カイロの紫のバラ」も銀座の映画館で観て、「へ〜〜こんな仕掛け、面白いよね」と友人と話しあったと記憶している。

ハリウッドスターばりに能天気な銀幕スター高木高助を妻夫木聡が好演している。

夢見る夢子ちゃんの緒川たまき、さらにはその妹役のともさかりえもはまり役ーそういえば、映画版でもアレンの(当時の)伴侶ミア・ファーローが好演していたー。

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2016年11月20日 (日)

愚図(11/20)

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気鋭の劇作家、演出家、女優 桑原裕子率いる劇団KAKUTAの20周年記念公演、桑原の新作書き下ろし「愚図」を東池袋のあうるスポットで観た。

ずぶずぶと負の連鎖にはまっていく不器用な人々を描くのが上手い桑原らしい作品。冒頭で提示された一つの謎(死)へ向かい、そうなってしまった諸々のボタンの掛け違い、愛情のベクトルのすれ違い、思い通りにはならない物事の積み重ねの果ての悲劇が笑いとともに綴られる2時間強のドラマ。

ゲストの林家正蔵(劇団のファンで、このたびの演劇初舞台が実現したとのこと)が心に自分に対する世間の評価に不満を抱えた主人公の冴えないスーパーのマネージャーを演じているのだが、やっぱりいきなりのこの難しい役どころー長年、心の奥に闇を蓄えた、一見すると無害な男というねじれた二面性が見え隠れするところまでは表現しきれていなかったように思う。他の役者陣との「演じる」ことの温度差の違い、とでも言えば良いのだろうか。

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2016年11月17日 (木)

福島を上演する(11/17)

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フェスティバル・トーキョー2016のメインプログラムの一つ、松田正隆率いるマレビトの会による「福島を上演する」の初日を観た。

フェスティバルでの4回の上演それぞれで毎回内容が変わるという。

舞台装置はほとんどなくーパイプ椅子数脚のみー小道具もない。普段着の俳優たちによる身振り手振りによって、製作チームの数人のライターが実際に福島に行って感じたこと、伝えたいと思ったことを書いた短編戯曲を演じていく。

5年半前のあの日、未来という青写真が突然モノクロ写真として固まったあの日、そこから続いている今日について考える時間をあたえてくれる芝居。

先日、ジャパンタイムズの記事用にインタビューをした松田氏の言葉をここに数行記しておく。

******************

「戯曲を書くので、断片だけどルポではなくて虚構フィクションの世界にはなっている。純粋に福島を再現することは出来ないわけで、福島を見てフィクション化したものを殺風景な西巣鴨の体育館で上演することでそこに新たな力が生まれるのだと思う。もうすぐ無くなるという意味ではあそこは東京のスラムでもある。そこに新たな価値観が生まれるかもしれない。それをやりたい。」

「既存の価値観でどんどん分断され、価値のあるものないものとして種分けされていく中にあって、違う創造的な価値感を生み出していくのが演劇の力だと思う。いわゆる誰にも振り向かれない空間に対して私たちがどうアプローチしていくのか、あるいは福島、固着化したレッテルを貼られてしまった福島についても評価が固定化しているが実際にはその都市はどんどん変わっているし、動いているし、市民の生活の中でドラマは流動性を持って動いている。それを描いていきたい。それを西巣鴨でただ再現するのではなく、その場所で新たに福島というところを描いた戯曲と一緒に空間が立ち上がってくることに期待する。」

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サンバイザー兄弟(11/16)

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池袋サンシャイン劇場でパルコのステキロックオペラシリーズ第三弾「サンバイザー兄弟」を観た。

「ブルースブラザーズとトラック野郎を交互に観ながら、
池袋西口のサウナのお休み処で台本書いてたら、
増子さんがベルーシに、瑛太くんが愛川欽也に、
皆川くんがアレサ・フランクリンに見えて来た。
今んとこ、そんな感じです。      宮藤官九郎」

演劇サイトの内容紹介ではこんな説明がなされていたが、この通り、です。

で、なんと言っても、この舞台に関しては評価は好きか嫌いか、笑いと音楽の趣味が合うか合わないか、です。ダメな人はダメでしょう。。。個人的には大〜〜〜好きです。

とにかく、やろうとしていることの完成度がめちゃめちゃ高いということは言えます。

今回は「怒髪天」というロックグループージャンルは日本(演歌)ロックということらしいーの音と詩を軸に世界を構成。その中で宮藤官九郎の天才的な言葉使いが遊びます。

さんさんさんさん サンシャイン、さんさんさんさん サンバイザー、と池袋を歌い上げる俳優の皆様が素晴らしい。ミュージシャンでない俳優さんたち(大人計画の人たちは紅白出場ミュージシャンとしても活動している人もいるが)ー瑛太、清野菜名などーの演奏・歌も、ミュージシャンさんたちー主役は怒髪天のヴォーカル増子直純で今回が初舞台ーの演技も良い。


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2016年11月14日 (月)

メトロポリス(11/14)

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シアターコクーンでフリッツ・ラングのモノクロ映画、SF作品の傑作「メトロポリス」の舞台版ー串田和美版のメトロポリスを観た。

映画製作時の100年後を描いた近未来ストーリーなのだが、その年が2027年という設定で、つまりはほとんど「今」の状況を描いていた、ということになる。

確かに、昨今の資本主義の行き詰まり、AI(人工知能)ロボットの実用化、極端な格差社会、と「今」を描いたおはなしと言うことができるだろう。

そこで、潤色の加藤直は原作に「今」の渋谷、現実のー行き着いた結果の身近な世界をつけ足している。(飴屋法水演じる渋谷のシンボルがその「今」を代弁している)

演出の串田和美カラーが前面に出た舞台は様々な要素ーダンス、歌、可動式のセット、ライブ音楽、時空間のスイッチーが入り乱れ常に脳を刺激する。予定調和を良しとしない、このアイディアの洪水がまさに串田演出の妙。

芸達者な役者陣ー松たか子、森山未來、大方棐紗子の歌、森山、朱里のダンス、飴屋の存在と語りーが見事にそのあちらこちらへスイッチする舞台を紡いでくれている。

今回も松たか子の凄さ、軽やかに難しいことをやってのけるレベルの高さを目撃させてもらった。

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2016年11月11日 (金)

Romeo & Juliet (11/11)

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新国立劇場、演劇研修所10期生試演会公演「ロミオとジュリエット」を新国立劇場小劇場で観た。

若い研修生たちの公演なので、変わり種のシェイクスピアでも見せてくれるのかな、と思っていたのだが、教科書に載るような正統派のロミジュリ。そうであるならば、ロミジュリは授業の中でやってもらって、少ない上演の機会としては他の作品の方が良いのでは?

モダンな衣装、白黒で色分けされた扉が並列して人物の入れ替わり、シーンの転換を生み出す舞台セット、歌の挿入などはなかなか興味深かった。反面、試演会の絶対的な主役である若い俳優たちの優等生的な演技を見せられると、う〜〜〜むこれは彼らを外の世界、他のカンパニーへ売り込むための、顔見せ興行としての意味合いが強いモノで、だからこうなるのか、と思えてきたりもした。

まずは優等生的な、器用な部分がプロとして必要なのはわかるし、それが舞台俳優のプロというものなのかもしれないが、、、願わくば、実際に外に出る日が来たら、まずは自分らしさを押し出してもらいたい。

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燦々(11/10)

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座・高円寺で長田育恵率いるてがみ座の新作「燦々」(作:長田育恵)ー「富嶽三十六景」で世界でも名高い浮世絵師、葛飾北斎の娘お栄(葛飾応為として北斎の子供の中で唯一、浮世絵師で身を立てる)が絵師の妻の座をかなぐり捨てて絵師になる決心をするまでの話ーを観た。

演出はヒンドゥー五千回主宰の扇田拓也さん。

北斎役の加納幸和が余裕の身のこなしで劇を引っ張る。

竹の棒と薄い白い布で様々な場面を作り出す舞台美術のアイディアは面白いが、ちょっと色々な決まりごと=スタイルに縛られすぎな面も。

スマートに収めるよりも、型破りなアーティストの話なだけに、もうちょっとはみ出る部分があっても良かったかも。

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はたらくおとこ(11/9)

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長塚圭史率いる阿佐ヶ谷スパイダース20周年記念公演、2004年初演舞台の再演「はたらくおとこ」を初演時と同じ劇場本多劇場で観た。

初演時にもブラボーと(心の中で)叫んだ作品だが、今回もロックンロールと(心の中で)叫びたくなるほどにhilariousな舞台だった。実際、この作品を境に長塚圭史、阿佐ヶ谷スパイダースの快進撃が始まった。

グロでダークでクレイジーな内容なのだが、そんな攻撃性が現れた時の長塚作品は「言いたいこと」に力があって良い。

荒削りを超えたパワーに溢れ、社会性に満ちている。

英国留学後の実験劇、翻訳劇、と合わせてこのジョン・オズボーン(怒りこめてふり返れ)路線の新作も続けて欲しい。

大人になっても怒ることはまだまだ沢山あるはずなので。

初演と役者が (ほぼ)同じというのは記念公演として嬉しい。特に12年経っているのに、そのキャストで全く問題ないというのがさらに嬉しい。

それにしても、中山祐一朗のこのカンパニーでの重要さを再確認した舞台でもあった。

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POLITIKO(11/8)

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フェスティバル・トーキョー16のアジア特集・マレーシア演劇上演の中の一つ「POLITIKO」に森下スタジオで参加。

実は今年のプログラムの中プログラムを見て、この「POLITIKO」は絶対に観劇ー実のところ参加なのですがーしたいと思っていた演目。

言ってしまえば、マレーシアの政治状況をカードゲームしたもので観客=参加者が1時間半あまり遊ぶというものなのだが、これがシンプルにとても面白かった。

モノポリでは不動産の売買をして資産を増やすことが目的、でサッカーゲームではゴールやハットトリックのカードをきってサッカーのゲームに勝つことが目的。でもって、このPOLITIKOでは自分が選んだ政党への支持者カードを集めて政権をとることが目的。

そこで、トランプゲームではないので、ただカードを集めるだけではなく、他のプレイヤーの思惑を阻止したり、勝つために他のプレイヤーと連携したり、大逆転のなんでもありなどのカードを駆使することになる。ルールはざっくりと説明してもらえるので、あとは同じテーブルについたプレイヤーたちと自分たちでルールを決めながらゲームを楽しむという演出。

同じテーブルについた人たち(今回は全部で4人でプレーをした)が取り組む姿勢がオープンでゲームに熱い人たちだったので、それも功を奏して楽しい時間を過ごすことが出来た。

先日も書いたが、フェスティバル・トーキョーの想定外の演劇体験がとても楽しい。当日、会場に入って???ハテナマークが頭に浮かぶ、あの不安感が好きだ。

想定内の完璧なエンタメよりも、このワクワクにドキドキする50代です。

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2016年11月 9日 (水)

遠野物語 :奇ッ怪 其の三

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世田谷パブリックシアターと劇作家・演出家前川知大のコラボレーションシリーズ、奇ッ怪シリーズ第三弾 「遠野物語」ー民俗学者柳田國男の著書、東北地方の伝承を記録した「遠野物語」をベースに前川が書き下ろした新作(ちょこっと雑学:柳田さんは世界共通言語エスペラント語を推奨していて、エスペラント学会の理事も務めたそうだ。昔、高田馬場の雑居ビルの一部屋にエスペラント語教室の名前があり、満員電車の中からその看板を見ながら、どんな人が通うのかな〜と興味を持ったことを思い出した)を観た。

前川芝居の多くにあるように、架空の設定である(未来?)日本で「奇ッ怪」な出来ごとに巻き込まれた主人公と一緒にそのおかしな出来ごとの謎を解明していく形でストーリーが進んで行く。

冒頭、「標準化政策」の布かれた東京で、主人公ヤナギダ(仲村トオル)が当局の意に反した出版物を配布した咎で警察署に呼び出され、尋問を受けている。彼の出版物が迷信を記したものなのかどうか、判断するために見識者としてイノウエ(山内圭哉)も同席している。内容は全て自分が見聞きしたもので、事実だと主張するヤナギダ。いつしか彼らはヤナギダの書物、民間伝承の世界へと入り込んでいく。

原作:柳田國男柳田國男とあるように「遠野物語」の多くをベースとして、その中にある伝承話を使用しているのだが、その材料を使い見事に今日の、それも極めて社会的な劇にしているところが作家、前川の真骨頂。明らかにフィクション(この劇の大枠自体がフィクションであるのかどうかの議論となっている)である演劇の世界にどこまでリアルを持ち込めるか、がヴィヴィッドな劇作家でありえるかどうかを分ける重要なポイントだとすると、前川の劇作には誰よりもそれがある。2016年に上演されるべき芝居としての見所、問題提起がてんこ盛りなのだ。

今回はその戯曲以外の点、美術ー舞台前面に配置された小さな四角い土間、その周りは結界を守るかのように鉄の梁で囲まれている。背景の大きな横看板、そこには力強い文字のような水墨画のような抽象的な絵図が描かれている。それが時には東北の山々に、時に山から下りてくる冷たい風のように、人々の鬱積した感情のように、場面ごとに表情を変化させる、役者のアンサンブル ーそれぞれが良かったし、バランスも良かった。中でも、主要キャスト東北の伝承者を演じた瀬戸康史、仲村トオル仲村トオル、山内圭哉の存在が光った、そして彼らの力を最大限に活かした演出も素晴らしかった。

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2016年11月 7日 (月)

BONDINGS (11/6)

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今日はFestival/Tokyoのアジアシリーズプログラム、マレーシアの多文化多言語演劇「BONDINGS」を森下スタジオで。

(ほぼ)単一民族である日本人からすると、多文化多言語、隣の人が何語喋っているのか、から始まる国家の形というのが想像を超えていて、とても興味深い。

島国だから、そのあたりに鈍感なのだが、考えれば世界中で見るとそちらの方が普通で、だからこそ個人主義(自分のことをはっきりと自覚する)が確立しているのだな、と思った。

違うのが当たり前、分かり合えないのも当たり前、だけれども同じマレーシアという国旗の下で共存している。分かろうと努力もしてみる。

ポストトークでは演出家で演劇大学の学部長であるウォン・オイミン女史が流暢な日本語でマレーシア事情を説明してくれたり、なかなか有意義な観劇体験だった。

劇の中で、文化や言語とは違う、もう一つの違いーお金のある、なしーの問題も提起され、世の中がますます混乱するのも無理もない、と感じた。

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X/grooves space(11/5)

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Festival/Tokyoのダンスプログラム 「X/groove space」を東京芸術劇場、シアターイーストで観た。

外国人の客が多いな〜なんて思いながらスタンディングで鑑賞です、と言われた会場内へ。少しするとその外国人たちの多く(観客としても何人か参加していたが)が演じる側のダンサーたちであることに気づいた。
(基本的に)言葉なしで、触れ合う距離のコンタクトが展開されるその場のインプロパフォーマンス。ダンサーたちの軟体動物ばりの動きも凄いし、大音量の放電ノイズミュージックも初体験だったので楽しめた。でもって、隣の人と一緒にお掃除、もこうすれば楽しいということに気がついた。
こういった、安心できない(観劇前の予測が出来ない、または劇に参加する、という)観劇体験が出来るのはF/Tならでは。「おもてなし」過剰な日本にあって、自主性を求められる観劇、ちょっと不安になる演劇、演劇を越境した演劇、なんかももっとあっても良いと思う。

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高き彼物(11/3)

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ふじのくに でこれを観ました。
演劇のチカラに?疑問を持ち始めた演劇ゴーアーズ。ぜひこれを観て、素直に舞台を楽しんで下さい。俳優がその得異希な才能をもって、人の営みをみせるもの、だというその原点に立ち戻ります。(当日のFacebook記述より)

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かもめ(11月1日)

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東京芸術劇場で秋の目玉作品、チェーホフの4幕喜劇「かもめ」を観た。

翻訳・台本 木内宏昌、演出 熊林弘高の「かもめ」は12年前にも、スカイツリーなど影も形もなかった当時はとても珍しい下町の演劇(アート)の殿堂、TPTの本拠地ベニサン・ピットで観たことがあり、その時も主役のアルカージナは佐藤オリエが演じていた。

12年後の二人の「かもめ」、今度は池袋、東京芸術劇場の中劇場、プレイハウスで、人気のイケメン俳優(今回が初舞台とのこと)坂口健太郎をアルカージナの息子トレープレフ役に迎えての上演となった(ーこのイケメン俳優のくだりだが、当日、チェーホフ劇なのに若い女性客が多くいるのに驚いて、パンフレットを開いてこの事実を確認した次第。イケメンの演劇ビジネスへの貢献度の高さを改めて実感)。

12年前、確かに「かもめ」はヒューマン喜劇として、大いにベニサン・ピットの常連客たち(年齢層は高かったように記憶している)を楽しませてくれた。では、今回の「かもめ」、若い客も多く混じった客席にはどのように映ったのだろうか。

熊林組と呼ばれるほどに演出家との結びつきの強いキャスト陣(佐藤オリエ、中嶋朋子、満島ひかり、小林勝也、田中圭 など)が集まった今回の舞台。彼らは大いに創作の行程を楽しんだのかもしれないが客席にいる観客たちはどうにもこうにも置いてけぼりをくらった感じが否めない。さらに言えば、これはチェーホフの「かもめ」なのか?とさえ思えた。作者(チェーホフ)のシニカルな人間観察を自らの胸をチクチクと痛めながら、苦笑いと一緒に楽しむのがチェーホフ劇だとすれば、今回の舞台に関してはそのチェーホフ的な気恥ずかしさはない。それぞれが自らの目的ーほとんどの場合はそれが恋愛対象の受け入れの返事ーを手に入れるため、なりふりなんて構っていない、すごく自らの欲求にストレートだ。(まあ、これが現代的と言ってしまえばそうなのかもしれないが)

それが、今回作り手がパンフレットで言っている「今日の新しい「かもめ」」「役者が作る(生きる)それぞれのキャラクター」ということになるのだろう。だが、「かもめ」として上演するならば、やはり大前提はチェーホフの書いた戯曲なのではないだろうか。でもって、その戯曲からは改訂するなんてするのが憚れるほどに、今読んでも学ぶところがてんこ盛りに溢れていると思うのだ。

どうにも役者がこれでもか、と大げさにヒートアップする熱演というものが苦手だ。人ってそんなに自分に自信満々に日々を過ごしてはいないと思う。

なんだかキツネにつままれたような「かもめ」観劇だった。

一つ、最後に佐藤オリエのアルカージナは今回もしっかりと存在していて素晴らしかった。

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2016年11月再開する

Jstages

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日米演劇サイトjstages.comが始まります。

その中でこのレビューブログが復活する予定。なのでしばらくお休みしていた観劇ブログを2016年11月から再スタートします!

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