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2016年1月

2016年1月 8日 (金)

珈琲法要(1/6)

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青年団リンク、ホエイの「珈琲法要」をアゴラ劇場で観る。

2015年の締めくくりを同じアゴラの「高校生演劇サミット」の1本、都立駒場高校「江崎ヒロがいなくなった」でして、そして年明けはこのホエイの秀作で新年の観劇がスタート、というしあわせな流れとなった。

両作品とも舞台装置はあくまでもシンプル、その語り口には笑いが溢れ、一見したところ不条理劇を装っているのだが、その中心には作者の世の中へ伝えたい思いが滾った骨太の社会派劇で、人の、そして世の中の矛盾を巧みに描き出している。

山田百次 作演出、でもって主演の「珈琲法要」。

江戸後期、ロシアからの襲来をおそれた幕府が地方の藩士を蝦夷(現北海道)の北の果てへ配置、警備を命じた。津軽藩からも場所が近いということもあり、多くの若者が派遣されたのだが、獄寒の北の地、その環境下での生き抜く術も知らない多くの内地人たちは栄養不足で死んでいく者が続出。当事者たちはその理由を知る知識も経験もなく、ただただその現象に恐れおののくばかりだった。

宗谷岬に派遣された津軽藩の男二人(山田百次、河村竜也)とその男達の世話を託されたアイヌの女(菊池佳南)の日々の会話ー強い津軽弁、さらに時にはアイヌ語によってーで日々、追いつめられていく様が語られていくのだが、ディープな津軽弁が飛び交い、笑いとともに軽妙なやりとりが展開されていく。そんな中、アイヌの女、弁慶が奏でるムックリ(口琴)の音楽、そして人が死ぬときに聞こえる叫び声(アフタートークによるとアイヌの習慣で弔いの意味があるという)がその一見なごやかなやりとりの奥に隠されたきびしい現実を暗示する。

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