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2013年8月

2013年8月20日 (火)

ART(8/19)

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謎の球体X(8/16)

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笑って死んでくれ(8/15)

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Work in Progress (8/14)

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JT ゴールドシアターの記事

蜷川幸雄 ゴールドシアターについて語る

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2013年8月14日 (水)

其礼成心中(8/13)

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夏休みなので子供たちも観に来ている、渋谷パルコ劇場の三谷幸喜作文楽舞台「其礼成心中」を観る。

英語タイトルがシェイクスピアのから騒ぎ(Much Ado about Nothing)にかけて「Much Ado about Love Suicides」になっているのがなかなか気が利いている。

「から騒ぎ」のように一見たわいもない恋、それと折しもの歌舞伎の心中演目の人気高騰とそれに関連して恋人達が引き起こす心中騒ぎ、さらにはその心中ブームなるものから副産物として生まれる経済効果、とお金に目がくらんだ老夫婦。。。と数珠つなぎに展開するドタバタを三谷幸喜らしくスマートにウェルメイドでまとめたコメディ。

と、ストーリーは見ていれば流れるスムーズさ、で子供たちも楽しめる。

しかし何と言っても今回の公演の第一の目玉は文楽スタイルをまずは渋谷パルコのお客様に体験してもらうということ。

日本人にしてはスタイル抜群の8頭身人形、それにお多福ちゃんというのはやっぱり器量に欠陥のある人を指す形容なのだなとわかるお多福面のお人形、、人形にあわせた小道具ーおまんじゅうーなんかもかわいい、、などと文楽を普段着レベルで楽しめるように工夫されている。

そんな中でも一番の見どころは老夫婦の計画心中の場面。文楽で水中シーンなんかも出来ちゃうんだ〜〜〜、と素直に感心した観劇体験だった。

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砂漠の町のレイルボーイズ(8/10)マチネ

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座・高円寺でとくお組の「砂漠の町のレイルボーイズ」を観た。

とくお組というお名前は聞き知っていたのだが、今回が初観劇。10年活動歴にある劇団ということで、劇団構成からか(男所帯)男の群像劇をレパートリーとしているらしい。

***演劇サイトより****

「砂漠の町のレイルボーイズ」は、もう何年も列車が停まらない駅を舞台に、駅員(レイルボーイズ)たちの日常を描いた群像劇です。
乗客がいない駅の信号は常に「青」。何日かおきにくる列車は駅員たちの前をただ通り過ぎるだけ。彼らはいつの日か信号を赤に変え、客の切符を切り、荷物を列車に運び、そして客を見送ることを待ち望んでいます。
外の世界を知らない男たちの生きがいと、そこにあふれる時間の物語。
最近仕事に疲れちゃったなあという若者にも見てほしいシチュエーション・コメディです。

*************

これって「きずな」とか「繋がり」とか近くにあった幸せ=青い鳥的なおはなしなのでしょうか?

ウ〜〜〜〜〜〜ン。。。。刺激がなさすぎる。。ぬるい!

2時間の中で一回ぐらい、なんだか目が覚めるような、何らかのー何でも良いのでー驚きをみせて欲しかったかな。

物販(DVD、戯曲)の前にやっぱりステージを売り!にしようぜ。

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ゆる設定キャラ

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我が家のKYさんがプレゼントをくれました。

通勤途中の東京駅で「ペンギンに乗っかられた熊」が売られていたから買ってきた〜〜。そうな。

で彼から続いて出た言葉が。。「なぜ??」だった。

そりゃ、なぜ?だわな〜〜。

キャラクターが毎日使っているスイカのペンギンちゃんだということは理解しているらしい、でもって日本人が熊キャラを好きな(りらっくま、とか)ことも分っているらしい、それにしても、、「なぜ?」

日本人だったら、この熊がただの熊ではなくお土産史に名を連ねる、「鮭をくわえた熊」であるところまでは軽〜〜〜くクリアーするだろう。

それにしても、、、やっぱり「なぜ?」だわな〜〜〜。

(ちなみにこのペンギン熊の後ろに見えるのが「お父さんマグカップ」。お父さん好きの(結局ほとんどのキャラクター好きなんだけど)私のためにこれもKYさんが会社の同僚から譲りうけて持って帰ってきたもの。)

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2013年8月10日 (土)

春琴(8/9)

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世田谷パブリックシアターで「春琴」を観る。

08年の初演から再演を続けている作品で今回が4度目、でもって私にとっても4回目の観劇。

作品が回を重ねるごとに熟していく、発展していくというのを目撃している。サイモン・マクバーニーという奇才と時代を同じくして生きていることを感謝する体験。

エコではないが、資源ー優れた戯曲ーを有効利用するのは演劇文化を豊かにするために重要な課題。良いものを大切に長く使う、それを大切に扱えばさらに熟して大きな収穫を産む。。。これが文化というものでしょう、そうでしょう?

星をつける採点方をとっているCoRichで、完璧な5点満点(評をのせた人が一人でも5つ星以下だったら満点には至らないので珍しいこと)、でもって実際に昨夜いっしょにこの珠玉の名作を目撃した観客達のなりやまない5回のカーテンコール、それもかつてない大音量の拍手ー皆の心には永遠に拍手を送りたいという気持ちがあったはずー、観客の心がこれほどまでに一つになるということ、この経験自体が貴重。

初演の観劇時に「確かに素晴らしいヴィジュアルで演技、演出。。。だけど何かひっかかるものが、、、おそらく演出家自体このもやもやー作品として解明出来ていない部分を残しての上演ーを感じているはず」との感想をもったのを覚えている。。が再演が必須であるコンプリシテの演劇手法としては初期段階ではそれで十分だったのかも。

今回、5年の月日を経て練られた作品には迷いのない強度が備わっていた。

今回、はっきりと見えたこととして「春琴」とは人のベーシックな衝動、ラブ・ストーリーだということ。

春琴と佐助のように極端な「愛」のかたちもあり、一方で現代のナレーター(立石涼子)と(今回は)年下の不倫相手のような愛もあり。。。。100人いれば100通りのどうにも上手くいかない愛があるということ。

陰翳礼賛も加味されて日本の話ではあるけれど、根底にこのグローバルなテーマがあるから、世界どこで上演しても通じるのだろう。

役作りを5年間続けている役者陣ー深津絵里、立石涼子、成河、...が素晴らしいことは、言うまでもなし。特に、やはり笈田ヨシの存在感。。良いものを観させてもらいました、感謝、感謝。

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2013年8月 9日 (金)

cocoon(8/8)

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↑「ほぼ日」で追加チケットを扱っているそうです。

原爆の日を迎え、終戦記念日が近づいていが、年々戦争関連の報道・行事が減っていくなかで、あの戦争、われわれの過去とこれからの展望を「今」の立ち位置で考えることを促すことの出来る秀作。夏休みの一本、ということで家族で観劇するのにもおススメー観劇後に家族で花火でもしながら、戦争について語りあうなんて非効率的夏の夜の過ごし方もよいかもー

芸劇シアターイーストで藤田貴大率いるマームとジプシーの最新作、今日マチ子原作マンガ「cocoon」の舞台化を観た。

今日マチ子さんのマンガは読んだ事がないのだがチラシやマームとジプシーのHPで見た絵からその作風のタッチを想像してみる。

ちなみに、原作cocoonについてのウィキ情報は****

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秋田書店の編集者から「沖縄戦についての長編漫画をかきませんか?」という依頼のもと連載が始まった作品。当時は1P漫画、Web漫画、短編漫画家として世間から見られていた今日マチ子の作家として分水嶺となった作品。2009年5月号「エレガンスイブ」から連載。2010年8月5日単行本発売。 沖縄戦の「ひめゆり」をモチーフとしながら、作中にあえて戦時中の日本に存在しなかったものを登場させ、兵隊は白い繭として描かれるなど、少女性と想像力と現実とを混在させて描いた作品。

*********

****ネタバレ注意****

この原作を用い、藤田貴大はオリジナルな演劇作品へと転換しさらには演劇だからこそ引き出しが可能な成果をあげている。

まず今回の上演のの特筆すべき成果として2つのことを挙げたい。

過去の出来事を覚えておくために学ぶ、のではなく、未来へとつなげるためにあえて現在形で戦争を提示している。

ウィキによると原作者今日マチ子も同様の方法論をとっているようなのだが、今演劇舞台でも藤田はその方法を選択している。

終戦時の状況、時代背景を考えると不自然な演出ー言葉遣いや衣装、女生徒たちの振舞い方などーとくに話方は今どきの(中)高校生そのもので、例えば「それ、意味わかんな〜〜い」ときゃっきゃとはしゃぐ役者たち。はじめはその今どきの彼女たちに正直、違和感を覚えた。いくらテキストのリズムを重視する演出家だとしても、いくら2013年の芸劇だとしても、果たしてこの方法は戦争を語る方法として適しているのだろうか?と。

しかし、劇が進むにつれ、これは確信犯の演出なのではないか、と思えてきたのだ。

今、戦争を語る(舞台化)するときに何をターゲットとして据えるべきか、− 戦争は怖くて、醜くて地獄のようなんだ− といくら語ったところで、それがどれほど伝わるのか。伝わったとしても、どれだけの人が忙しい生活の中で(過去の)戦争について鑑みてくれるのか。。長年にわたる国民をあげての戦争忘却化阻止キャンペーンをはったところで、結局のところ、近日の政治状況などをみると、また「あの頃を取り戻そう」なんていった風潮へ向かいつつあるのが関の山。だったら、人一人一人に真剣に考えてもらうためにはどんな伝え方をすれば良いのか。。。といった熟考の末、肌で直に感じる演出で戦争は過去のものではなく、たまたまあの時期に日本は大きな戦争を体験しただけで、その実態を顧みなかったら、もしかしたら我々の身にも十分に起こりうる人類の悲劇、渋谷でアイスクリームを舐めてはしゃいでいる彼女たちが砲弾を受けウジにたかられる現実も起こりうる(実際のところ中東やアフリカの地では日常に爆弾テロ被害、自国政府による市民爆撃、他国による突然の宣戦布告などもあるわけなので)、、ということを目の前で起きている彼女らの体験から感じ取ってもらうため、あえて今日の彼女たちの身体を使ってみせているのだな、と。

最後に生き残った主人公サン(青柳いづみ)と繭(菊池明明)が生きるために目指す海。以前JTの取材でインタビューした藤田氏が生まれ育った北海道の地元では大海へと続く海岸が未来への自由の扉の象徴だったと語っていたが、ここでは彼の実体験がサンと繭の生きる希望を灯すシーンへと活かされている。劇中の「海」という言葉を「将来」と置き換えてみると、はっきりそのメッセージが聞こえる。

*2次元のマンガとは違って、生きた俳優を介する演劇表現だからこそ出来る事を実践している

今回、プロジェクターによるイメージ喚起の方法が用いられる傍ら、十数名の女優たちの身体表現が重要視されている。劇団のトレードマークでもあるリフレイン(繰り返し)による発声、そしてライブパフォーマンスならではの身体を張った身体表現–得に終盤、砲弾の中を逃げ惑う女性徒たちの疾走、ダンスのように計算された集団の動きは圧巻ーがスクリーンに映し出される生き物の殺傷シーンよりもより効果的に生と死(激しい生を強調することに死が際立ってくる)を体現していた。

前述の時代錯誤の現代語も生身の役者が発することにより、さらなる効果を上げていると感じた。

******

最後に、やはり主人公サンを演じた青柳いずみの好演によるところも大いにあることに触れておきたい。

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2013年8月 5日 (月)

兄帰る(8/5)

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池袋東京芸術劇場、小劇場スペースで二兎社の「兄帰る」を観た。

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2013年8月 2日 (金)

空のハモニカーわたしがみすゞだった頃のこと。(8/1)

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てがみ座の2011年初演舞台の再演「空のハモニカ わたしがみすゞだった頃のこと。」を座・高円寺で観る。

***演劇サイトより****

言葉にならない最後の詩、綴るように生きた日々。
1930年春、下関。愛する娘を残して26歳で命を絶ったテル。
亡くなる前日にはひとり肖像写真を撮った。まるで生きた証を刻み付けるかのように。
大正後期に黄金期を迎えた童謡詩の世界で、星のようにひときわ輝いた名がある――「みすゞ」。
テルが金子みすゞとして生きたのは、ほんの三年ほどの僅かな時間だった。

路地裏の狭い家に移り住み、「みすゞ」としての筆を絶つテル。
夏越まつりのお囃子が、ふるさとの遠い海を連れてくる。
漁で栄える小さな町。どんなに胸に描いても、あそこに帰ることは、もうできない。
空一杯にこだまする「みすゞ」の残響を掻き消すかのように、ぬかるみを歩き出すテル。

大きな空は喪ったけれど、足下に、水に映る小さな空を見つけた――。

テルが「みすゞ」という名を捨てて自身を綴るように生きた最後の日々。
それは言葉にならない、けれどきっと光への詩。

**********************

女性の社会進出の芽が出始めたころに、一方ではその非凡な才能を認められながら、女であるがゆえに志半ばで命を絶った(親権を得るため自ら命を絶った)金子みすゞの生涯を綴った芝居。

女性作家ならでは、良い意味で女性目線が際立った作品。

草食男子がもてはやされ、男女雇用機会均等法が施行されている今日、今どきのキャリアウーマンからしてみれば過去の遺物とも言える、昭和初期の女性冷遇がこの悲劇の根底にある。

が、それを過去のものとして物珍しく眺めているだけで終わっていないのがこの芝居の素晴らしいところ。みすゞの娘を登場させることにより、女性解放の歴史の流れを続けて描いているー娘の時代には外に出て働くことの機会は増えているが、その代わりにまだまだそれを実現することに伴う弊害が多くあることー男の人たちのように仕事と家庭の両立はあり得ないーを示唆している。

さらには根本的な問題提起、現代にも通じる問いかけとして、男女の関わり方ー男女間の個人的な愛情・感情の交流から社会における立場の違いーについて、21世紀を生きる日本の若い女性達へのメッセージにもなっている。


天井から吊るした数々のオブジェとガラス球でくぐもる光、特設の木のぬくもりのある長方形舞台、対面式の客席、舞台両脇を通り過ぎる市井の人々。。。大正・昭和のアナログな日常(お隣さんとの日々の交流、自筆の手紙のやりとり、おんぶひもなどをみていると人々の生活に肌感覚の実態があったなあ、、と感じる。でもそれってたかだが100年前の話なんだよね〜〜〜)を肌で感じさせてくれる。

てがみ座の代表作「乱歩の恋文」の演出も手がけている扇田拓也(ヒンドゥー五千回)の細やかな演出が作品をじっくりと向き合えるものに仕上げている。





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K−バレエ スクールパフォーマンス(7/31)

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熊川哲也率いるK−バレエの発表会ーバレエ学校の発表会のチケットがチケットエージェントで買えるんですよ、すごいですね〜〜〜ー4校あるうちの吉祥寺校の公演を観に行く。

3〜4頭身(頭ってはじめから大きさはある程度決まっているんですね)のちびーズプリマから酸いも甘いも噛み分けた大人プリマまで、ライブパフォーマンスってやっぱりパワーもらえるよね。

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レーニン伯父さん(7/30)

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日暮里d−倉庫にて風煉ダンスの「レーニン伯父さん」を観る。

****演劇サイトより*****

【あらすじ】
偉大な人が安置される廟。
そこに横たわるのは偉大な人そっくりのただのアルバイトの伯父さんだった!!

突然クビを宣告された伯父さんは街で出会った少年ミトンとともに自分の名前探しの旅に出る。

モドリノという名の郊外の過疎の村に一軒の邸宅がある。
その邸宅には女主人と二人の息子、一人の娘が住んでいる。
邸宅は深い森に囲まれていた。その森には怪物が棲んでいる。
村人は怪物を恐れ、この村を次々と去っていった。

そこに訪ねて来た一人の男の英雄的行動から、村は、家族は分裂していくことになる。
村は怪物から救われたのか。
巡礼する伯父さんの本当の姿とは。
家族に差し込むのは、闇か、それとも光なのか。

**********

90年に結成された劇団とのことだが、初めて観る機会を得た。

風煉ダンス HP

海外でも何度か公演を行っているようなのだが、視覚的にも聴覚的(音楽)にも質が高く、オリジナルな舞台を堪能させてもらった。

今回の作品「レーニン伯父さん」はレーニン霊廟に横たわる死体が動き出すというオープニングの驚きからグイグイとロシアの片田舎で起こる不思議なファンタジーに引き込まれ、ロシア題材らしく「それでも生きていかなければ」とチェーホフのワーニャ伯父さんももちろん下敷きにあり、、、隠れたところに様々な社会的な問題提起もしのばせ、歌あり、パペットあり、上へ下への場面転換ありで最期まで楽しませてくれた。

この良い意味での観て楽しい(見せ物的要素)舞台は海外でも受け入れられるでしょう!!

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