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2013年8月 2日 (金)

空のハモニカーわたしがみすゞだった頃のこと。(8/1)

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てがみ座の2011年初演舞台の再演「空のハモニカ わたしがみすゞだった頃のこと。」を座・高円寺で観る。

***演劇サイトより****

言葉にならない最後の詩、綴るように生きた日々。
1930年春、下関。愛する娘を残して26歳で命を絶ったテル。
亡くなる前日にはひとり肖像写真を撮った。まるで生きた証を刻み付けるかのように。
大正後期に黄金期を迎えた童謡詩の世界で、星のようにひときわ輝いた名がある――「みすゞ」。
テルが金子みすゞとして生きたのは、ほんの三年ほどの僅かな時間だった。

路地裏の狭い家に移り住み、「みすゞ」としての筆を絶つテル。
夏越まつりのお囃子が、ふるさとの遠い海を連れてくる。
漁で栄える小さな町。どんなに胸に描いても、あそこに帰ることは、もうできない。
空一杯にこだまする「みすゞ」の残響を掻き消すかのように、ぬかるみを歩き出すテル。

大きな空は喪ったけれど、足下に、水に映る小さな空を見つけた――。

テルが「みすゞ」という名を捨てて自身を綴るように生きた最後の日々。
それは言葉にならない、けれどきっと光への詩。

**********************

女性の社会進出の芽が出始めたころに、一方ではその非凡な才能を認められながら、女であるがゆえに志半ばで命を絶った(親権を得るため自ら命を絶った)金子みすゞの生涯を綴った芝居。

女性作家ならでは、良い意味で女性目線が際立った作品。

草食男子がもてはやされ、男女雇用機会均等法が施行されている今日、今どきのキャリアウーマンからしてみれば過去の遺物とも言える、昭和初期の女性冷遇がこの悲劇の根底にある。

が、それを過去のものとして物珍しく眺めているだけで終わっていないのがこの芝居の素晴らしいところ。みすゞの娘を登場させることにより、女性解放の歴史の流れを続けて描いているー娘の時代には外に出て働くことの機会は増えているが、その代わりにまだまだそれを実現することに伴う弊害が多くあることー男の人たちのように仕事と家庭の両立はあり得ないーを示唆している。

さらには根本的な問題提起、現代にも通じる問いかけとして、男女の関わり方ー男女間の個人的な愛情・感情の交流から社会における立場の違いーについて、21世紀を生きる日本の若い女性達へのメッセージにもなっている。


天井から吊るした数々のオブジェとガラス球でくぐもる光、特設の木のぬくもりのある長方形舞台、対面式の客席、舞台両脇を通り過ぎる市井の人々。。。大正・昭和のアナログな日常(お隣さんとの日々の交流、自筆の手紙のやりとり、おんぶひもなどをみていると人々の生活に肌感覚の実態があったなあ、、と感じる。でもそれってたかだが100年前の話なんだよね〜〜〜)を肌で感じさせてくれる。

てがみ座の代表作「乱歩の恋文」の演出も手がけている扇田拓也(ヒンドゥー五千回)の細やかな演出が作品をじっくりと向き合えるものに仕上げている。





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