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2013年7月29日 (月)

シンポジウムSymposium(7/28)

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(↑こちらは以前上演された「リハビリテーション」の写真。今回はこれよりも小さめの部屋で観客はそれぞれに床に座りながらの観劇ー出演者同士による座談会を聞くーとなった)

東京デスロックの観客なしの即興(基本的にその場で起きていることがその日の作品となる)パフォーマンスシリーズの最新作、「シンポジウム」を彼らの本拠地であるキラリふじみで観る。

****演劇サイト より****

現代人の抱える問題をテーマに発表した『モラトリアム』『リハビリテーション』『カウンセリング』に続く東京デスロックの新作『シンポジウム』は、語の由来にもなったプラトン著による『饗宴』をモチーフに、横浜、京都、北九州、ソウル、各地域で活動するアーティストと共に行う愛のパフォーマンス。コミュニティの姿、サイズ、そしてそこにある愛を見つめる、言葉による、言葉によらない、現代の饗宴。

*** *** 演出家 多田淳之介のブログより*****

シンポジウム SYMPOSIUM』上演によせて


東京デスロックの新作となる『シンポジウムSYMPOSIUM』は、2013年1月の東京復帰公演『東京ノート』の上演に向けて、東京公演復帰準備公演として発表した『モラトリアム』『リハビリテーション』『カウンセリング』という一連の作品の続編にあたる作品になります。三連作では、東京というサイズを意識し、地域東京で4年ぶりに活動を再開するにあたっての、関東、東京へのフィールドワークフィードバックによって構成されていました。これは2009年〜2012年の東京公演を休止していた4年間に、各地域の劇場、アーティストの活動に参画し、個人的にも芸術監督を務める富士見市民文化会館キラリふじみを中心に、全国各地域でのワークショップや市民劇の創作などに携わるなかで自然と身につけてきた作品の考え方の一つです。地域での活動は、その地域を見つめる視座を探す事から始まります。客人であるアーティストの視座、地域に生きる人々の視座。そして芸術作品は世界への新たな視座をもたらすことにその意義があります。『東京ノート』では地域東京への視座を、『シンポジウム』では、青森横浜京都北九州ソウルから参加するアーティストと共に、地域日本、そして地域アジア、わたしたちの世界への様々な視座をもたらすことを目指します。

作品自体は「シンポジウム」の語源ともなったプラトン著による『饗宴』を下敷きに、各地域のアーティストによる、個人、友人、家族、社会、国内、国外、様々なサイズの問題意識を、『饗宴』と同じく「愛」というキーワードからパフォーマンス化していきます。『饗宴』では、我々はかつて「アンドロギュロス(男女一体)」であり、かつての半身を求めることが「愛」である、と語られます。非同一体であるからこその「愛」。各地でのわたしたちの活動は、あるサイズ、ある視点から捉えると同一でもあり、非同一でもあります。それぞれの抱える問題には“共有/非共有”のグラデーションがあり、それはパフォーマー間だけではなく、観客との間にも生まれる関係です。例えば京都ダンサーソウルの俳優それぞれの抱える問題とその身体、そして観客、その間にある“共有/非共有”、“同一/非同一性”を、アクチュアルに空間に立ち上げることで、世界への豊かな視座を生む事が出来ればと思っています。もしかしたら、非同一である事、わたしと違う、わたしと関係ない、わたしには共有できないことの方に、「愛」を感じることもできるのではと、今は考えています。

過去の三連作でも、客席を排したり、観客が出身地別に区分けされたり、観客の位置付けも作品と密接な関係にありました。『シンポジウム』でも、何しろ「饗宴」ですから、観客の存在も大きな作品の構成要素になるでしょう。特別何かに参加してもらうという事にはならないと思いますが、観客の存在、世界を客人として観る存在と作品の豊かな関係を築ければと思っています。

わたしたちが、わたしたちの世界を生きていくための作品づくりを、これからも続けていこうと思っています。

東京デスロック主宰 多田淳之介

***************

横浜での公演も含めると全部で10回の公演。形式的にはその場に集まった役者たちがMC(藤原ちから・編集者/演劇ライター)の進行のもと好き勝手に話し合うのを聞いて2時間を過ごすという公演なのだが、どうもそれなりにセミドキュメンタリーパフォーマンス、つまりその場での即興発言となんらかの演出意図に添った発言というものが混在し、ある程度の作品の流れが決まっていて、完全なる当日行き当たりばったりの話し合い会というのではなかったようだ。

言葉、さらには発言(主張)というものが作品の核である今回のパフォーマンスにおいて、この作品を面白いと感じるかどうかに関してはどうしてもその話していることの内容、発言内容に大いに関係してくるわけで、、、また、ただ聞かされている側からしてもやはり「おっと驚くような意見」を聞けることに期待してしまうのは仕方のないことだと思う。

その点において、正直物足りなさを感じたのは事実。みんなでの意識共有、連帯体験を求めるとしたらその共有のための時間が少なすぎーおやつの休憩時間のときぐらい?ーるし、何らかのテーマに関するディスカッションを聞くことを期待するのであればそこまでに達していなかったから。

共同体(ジャパン)の他者として参加していた韓国の演劇人マ・ドゥヨン(韓国の劇団「第12言語演劇スタジオ」所属の俳優)のはなしがとても面白かった。

(やっぱり住むなら南仏だよね〜〜〜)

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