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2012年11月 5日 (月)

1月8日、君はどこにいたのか?(11/3)

Stage30411_1

イランからの招聘プログラム「1月8日、君はどこにいたのか?」を東京芸術劇場小劇場で観る。

****F/T HPより******

2009年6月以降テヘランで起こったイラン大統領選挙をめぐる抗議運動と激しい弾圧の応酬。それを留学先の英国で知ったコヘスタニは、自身が体験しなかったその事件の真実を、大統領選挙後のテヘランを見つめることを通して探り出す。揺らぐ社会正義、他者の犠牲の上に成り立つ正当性、潜在的な言葉の暴力、女性の社会参加――。一つの疑惑をめぐる男女6人の携帯での会話と出来事の断片は、彼の見たイラン社会の世相、テヘランの抑圧された真実を伝える。シンボリズムとリアリズムの狭間、検閲の網を掻い潜りながら、コヘスタニの作品は、彼の生きる社会を映し出す鏡のように観客の面前に立ち現れる。

巧みな構成と対話が浮き彫りにする、イランの若者の生きる現実

舞台は、1月8日、雪が降る真夜中のテヘランの郊外から始まる。4人の若い女性ファーティ、サラ、サゴール、シーデーがジャン・ジュネの『女中たち』を稽古していた。ファーティの婚約者アリが稽古を見に来ていた。彼は兵士として警察署に勤めている。本来ならば、その場にいるべきではないのだが、ファーティが強く言い張ったのだ。イランの法律では兵士が武器を個人の家に持ち込むことが禁止されている。そのため、アリは持ち出した銃とともに、夜明け前に警察署に戻ることを上官に約束していた。しかし雪に足止めされ、そこに居合わせたアブディとともに、その家で一晩を過ごさねばならなくなった。

翌日、アリが目覚めた時、銃が消え、彼一人が家に取り残されていた。

『1月8日、君はどこにいたのか?』はその晩稽古に参加していた6人の若者たちが繰り広げる携帯での会話からなる。誰が銃を奪ったのか? 何のために? 隠語や嘘が飛び交う思わせぶりな言葉――そこに浮かび上がるのは、検閲に脅かされ、疑惑と焦燥に苛まれる現代のイランに生きる若者の現実だ。

**********

対面式に設置された観客席の間、細長い舞台の上には白いタイルのような紙片が敷き詰められ、数人の役者が両サイドのベンチに腰掛けている。字幕用のスクリーンが全方向(4つの壁)に用意され、会話、時にはイメージ映像が映し出される。女優陣は皆スカーフを巻いている。そして全員が携帯電話を持ち、その携帯での通話によって劇が進行していく。

状況説明なしに問題の核心となる銃の在処をたずねる電話での会話から劇が始まり、そのまま断片的なそれぞれの関係者の言い分で話が進んでいくのだが、丁寧に字幕がつけられているので、集中して見続けていけば展開を見失うことはない。力による優位を得たひとたちが陥りがちな負のスパイラル、力を得た瞬間に被害者が加害者へと瞬時に変貌してしまう、そんな人間心理を描く一方で人類の進歩は成されたのか、といつになっても変わらない人の愚かさを示唆している。

代わる代わるに携帯で話を続ける役者たちの傍ら、大きなスクリーンに映し出されるイメージ映像ー例えば登場人物の一人のデスクの引き出しが開け閉めされ、その中味が大写しにされる。そこで政治的な策略の話から一挙にクローズアップしてその人物のプライベートな部分を垣間みることができるーがその会話に状況を肉付けする。

上演後にポストパフォーマンストークがあり、F/Tプログラムダイレクターの相馬氏と作品演出のコヘスタニ氏がイランの社会状況、演劇上演に際しての検閲の執行方法などについてのトークを展開していた。

前作の「隣人ジミーの不在」でも当日パンフレットからのインフォメーションの重要さ指摘したのだが、今回の上演でも、このポストトークを聞いたのと聞かないのとでは、観劇の最終的な充足度にかなりの違いがでるような気がした(時間の関係で全ての人にかなえられることではないとは承知しているのだが)。F/Tプログラムに関しては、トークや印刷やネットによるアーティスト情報をひっくるめての観劇体験と言えるかもしれない。

それもこれも、残念なことに、やはりイランと言う国の状況にあまりにも疎いというのがその原因の一つではあるとおもうのだがー(日本でもBBCテレビとかを観ていると中東問題も頻繁に扱っているのでひっかかってきたりするのだが、如何せん、日本のメディアでは一般的にはそれほどの頻度では扱わないので)ーあまりにも知らなすぎるから。まあ、逆にこの機会に観劇を通して少しでも知ることが出来てよかったとも言える。

で、そのトークの中で多くの時間をかけてイランにおける検閲について語っていた。コヘスタニ氏は検閲と言ってもそれが大前提の演劇上演と考えれば、そのシステムを上手く使うことによりそれほどにネガティブなものでもなくなる。メタファーを使って、さらには検閲官の意見も参照して直接的な表現無しに、それでも意見の表現は可能である、と。さらには、そもそも検閲というのはどこの国にも存在するもので、その方法、表れ方がそれぞれに違うだけである、とも語っていた。

う〜〜〜〜〜む、そうなのかな?

もちろん、彼は自国の状況を熟知した上でポジティブな姿勢からの発言としてこの意見を述べていたのだとは思うが、英国における例えば上演拒否のケースと厳しい検閲規制がしかれている国と、、、どこかの国のように暗黙のうんちゃらという見えない検閲があるところと、、、各々の状況にはかなりの温度差があるように思う。

人権の侵害や宗教の自由の侵害、人種による偏見による人格侵害なんていうのは、もちろん「法律」で規制されていること。それを犯すのと表現の自由というのは別モノだからね。

その意味からすると、元来、表現の自由が前提である国で、どこかの反対するトラブルメーカーによる混乱を避けるためとか大きな組織の思惑によって、、、その自由が自粛させられてしまう、なんてことが起きているとしたら、、それはそれでとてもコワいよね。

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