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2012年11月14日 (水)

美しい星(11/12)

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昨年F/T11での上演舞台、東京タワーが目の前にそびえ立つ公園での屋外特設ステージでの芝居「復活」レビューがとても良い出来だったので、勢い勇んで初日舞台を観に行ったのだが、結果的にこれが何とも不思議な演劇体験となった。

62年に書かれた、その当時の世界における不安案件「核戦争勃発」を題材にした三島由紀夫のSF小説をベースにおそらくピーチャム・カンパニー主宰の川口典成氏が現代に表れたウラジミールとエストラゴン(ベケット「ゴドーを待ちながら」の主要登場人物)にその状況を俯瞰して観察し、何か「神」てきな、超自然的パワーのあるものによるこの危機的状況への「救い」を語らせるという部分を付け足した内容で、場所を屋外へ移してのエピローグを含め2時間15分ほどの大作となっていた。

***劇団HPより****

『美しい星』に描かれている或る家族は、地球とは別の天体から飛来した宇宙人であるという意識に目覚め、核兵器・原子力を手にしたことで人類が破局する危機に直面する地球を救おうと立ち上がります。
この作品の眼目は、宇宙人という外部的な存在(alien)を設定することで、人間・地球という存在を俯瞰的視野から考察・描写することを可能としたことにあるのですが、しかしながら、この作品の魅力はまた別の点にあります。
三島由紀夫は、宇宙人であるという意識に目覚めた彼らが持つ「人間の肉体」を執拗に描くのです。つまり、この小説のナラティヴは、宇宙人という意識を持ちながら人間の肉体を持っているという矛盾を含んだものとしてあります。
このナラティヴは、小説から演劇への移植の過程で、舞台上での役柄への漸近(宇宙人になろうとすること)と役者個人の肉体の桎梏(ぬぐいがたく人間であること)という演劇本来の「二重のナラティヴ」と接触し、小説で試みられた語りの戦略を、より直接的に露呈することになるのです。1ミリも肉体の外へは出ることができないという限界を持った人間が、「人類」や「世界」といったことをどのように思考・志向することができるのか。この演劇は、いま現在われわれが置かれている状況を思考・感受する方法を問い直し、探究し創造する演劇なのです。

ピーチャム・カンパニー 代表 川口典成

*********

不思議な観劇体験というのが、劇後半に行われたシーンに関すること。

演劇サイトCoRichのレビューにも書かれているのだが、観察者二人がメインストーリーを演じている演者ー宇宙人であると主張している家族の面々ーへ台本を手渡し、役者はそれを読みながら劇を進めていくのだが、これが油汗たらしながら、大いに台詞を噛みながら、時に間をあけ、ページを指でめくっての熱演なのだ。

どうもそのレビューによると、これらすべては演出意図の範囲内であるらしい。。。のだが、(それが確信犯的な演出によるものだとしたらまたややこしいことになるのだが)その熱演のおかげというべきか。。どうにもこうにも台詞が淀んでしまって、観ている側の頭に入ってこない。

今年のF/T12のテーマでもある「言葉」(「ことばの彼方へ」というのが今年のメインコンセプト)ということを意識して、の、三島の文学であり、観察者二人によるわれわれの未来を見据えた内容のダイアローグの応酬なのであろうが、その大切なところであるはずの「こ・と・ば」が伝わってこない。

昨年に引き続き、劇場ではない場所を厳選して(ブティックホテルの最上階にあるギャラリースペースと世田谷の街が一望出来る屋上テラスを使用)、そのイレギュラーな場所を活かすために趣向を凝らしての演出なのだが、、、やはりこの上演で強調するべきところはテキストだったはず。。そのわりには、そのメインの部分が危うすぎた。

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