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2012年10月25日 (木)

トロイラスとクレシダ(10/25)マチネ

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山の手事情社の新作シェイクスピア劇「トロイラスとクレシダ」を東京芸術劇場小劇場、シアターイーストで観る。

*** 劇団HP &チラシより****

今なぜ「トロイラスとクレシダ」?/安田雅弘
シェイクスピアには珍しく「なんだかなぁ」「もうやんなっちゃう」「ばっかばかしい」という溜息でできたような台本。3,200年前「トロイの木馬」で有名な戦争があった。原因は女の浮気。ギリシア対トロイ。10年続き、みな疲れきって、そろそろやめない? 双方えんえんと会議を開くが何も解決しない。あ、これ今の国会だ、EUじゃん…。とても現代的。話し合いなんて無駄。築き上げた文化なんて意味なし。要するにセックスと暴力だけでしょ人間なんて、と訴えて来る。これ人間の物語かしら? 獣のお話ではないのかしら。「文化の無効性」というテーマを文化的に描こうと思う。

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はっきりとした悲喜劇がないメリハリのなさからなのか、日本での上演があまりないシェイクスピア劇なのだが、珍しいことに今年はこの戯曲上演が続いた。
8月に彩の国埼玉芸術劇場で蜷川シェイクスピアシリーズの26弾(ひえ〜〜〜、この分でいったら全作上演成し遂げそう。そうなったら国民栄誉賞なのかしらん。。)舞台として、イケメン俳優を配してのオールメ—ルシリーズの最新作として、あの二股騒動の彼ー塩谷瞬氏ーが髪を振り乱し、ギリシャの武将を演じ面目躍如を示した舞台だ。
蜷川演出舞台の鉄則として、原作に忠実に従う舞台だったためたっぷりとトロイ戦争時代の男と女の、しいては人間の愚かさを描いた舞台だったのに対し、今回の山の手事情社版ではストーリーは追っているもののかなりの翻案、独自の解釈を演出として加えての舞台化となっている。
まあ、それがこの劇団のポリシーであって(山の手事情社は〈演劇の現代詩〉とも形容される独自の舞台作品を発表し続けている。劇団HPより)、この一度原作を咀嚼してから独自の形式で現代版として作り直すことは全ての戯曲に対してなされている方法なので、、まあこうなるのだろうな、としか言いようがない。



英語での戯曲だから、少しは原作の知識があるからなのかどうなのか(逆にギリシャ語は分らないので)、前回の劇団舞台「オイディプス王」ではこの山の手事情社の翻案が良い方向へ働いていたように思うのだが、今回の舞台「トロイラスとクレシダ」に関しては、どうも噛み砕いた際に、ぼろぼろと原作の言葉と細かなポイントを落としてきてしまったが為に、筋は伝えているものの、、さらに言えば独自の解釈「文化の無効性」を暴いてはいるものの、原作が持つシェイクスピアの人間観察の深い洞察にまでは至っていなかったように思える。

いつの世でも戦争とセックス好きの人間たち、、、そんないつまでたっても代りばえしない、学ばない愚かさを描いてはいるが、その発見に至るまでの細かい検証、人の行動が実のところ描くべき興味深いところなのではないだろうか。

人は動物であり、そしてまた動物とは一線を画している。。。だからこそ矛盾もあり予想外の行動もあり、ということなのでは。

そのあたりをはしょってしまっては、この劇が分り易くなる反面、面白さが欠落してしまう、ということ。

一時期、有名な作品でさえ、ダイジェスト版のようなショートバージョンで上演されることが多かったシェイクスピア劇。(エッセンスを抽出し、完全にオリジナル戯曲に改編してしまう舞台は別として)そのおかげで、「長くてつまならない」という先入観をもたれてしまったこともあったが、実際、その後蜷川演出シリーズや新国立劇場の「ヘンリー六世」上演のように、全編を丁寧に上演したところ、長さに不満を言う観客はいなくなったということが証明しているように、無駄な台詞はあまりないということなのかもしれない。

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