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2012年10月21日 (日)

アンドロイド版「三人姉妹」(10/20)

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吉祥寺シアターでロボット演劇第四弾ーロボットWakamaruが世界初の舞台主演を果たした「働く私」に始まり、アンドロイド・ジェミノイドが同じようにポーセリン質の肌を持つアメリカ人女優ブライアリー・ロングと共演した「さようなら」、その進化版「さようなら Ver.2」、そしてWakamaruが多くの人間俳優と共演したロボット版「森の奥」、そして今回のロボットとアンドロイド、そして多くの人間俳優陣との三つどもえ共演舞台「三人姉妹」ーチェーホフの同名戯曲の翻案舞台ロボット版「三人姉妹」を吉祥寺シアターで観る。

****演劇サイトより**

かつては家電メーカーの生産拠点があり、大規模なロボット工場があった日本の地方都市。

円高による空洞化で町は衰退し、現在は小さな研究所だけが残っている。
先端的ロボット研究者であった父親の死後、この町に残って生活を続けている三人の娘たち。
チェーホフの名作『三人姉妹』を翻案し、日本社会の未来を冷酷に描き出す、アンドロイド演劇最新作。

************


初日と言うこともあり、青年団の演劇公演でありながら、劇場では通常演劇ファンにあわせて、ロボット研究関連の人々、またこの研究に注目していてそのビジネス展開、多方面でのロボットの可能性を探っている人たちなども多くつめかけているように見受けられた。

作・演出の平田オリザ氏、そしてロボットの技術提供をしている大阪大学の石黒浩教授がアフタートークで明言していたのだが、「この舞台は演劇上演であると同時にロボット研究のプロジェクトの一環でもあって、その目的から研究費も支払われている」ということだ。

チェーホフ「三人姉妹」の翻案ということだが翻案というよりはモチーフにしての平田氏の新作と言った方が良いかもしれない。

時代背景、国の背景の違い、そしてそれらによる結果の表れ方の違いを考え入れてみても、それでもオリジナルの「三人姉妹」とは離れている距離が大きいように思えるのでーおそらく今作を書くにあたって、平田氏は`(変わっていく途中で)時代に翻弄され自らを見失っている姉妹たち’という部分で原作を意識はしているのだろうがー翻案とはうたっていないものの、多くの構造的共通点がみられる永井愛作「萩家の三姉妹」に比べても翻案「三人姉妹」といわれてもピンとこない(逆にこれが翻案として認識されるとでは原作とは?となってしまうので)のでロボット演劇の新作劇として観に行った方すんなりくるように思う。

***ネタばれ注意****

今回もロボットとアンドロイド(今回の目玉の一つとして、2体が共演しているので、この二つの間にも違い・それぞれの特徴があることが発覚)、そして人間の間にある、人々が受ける印象の違い、またそれらの先入観を逆手にとっての言葉遊び、演劇的錯覚のトリックが多く仕込まれている。

ーーーアンドロイドには心が無いので空気を読んでいらぬことに関して口をつぐむことが出来ず、意図してかそれとも意識的になのか、その場の雰囲気をぶち壊すような発言を繰り返してしまう。。記憶に関しても「忘れた方が生きやすいので忘却する」ということが出来ない。。。ロボット/アンドロイドは人間の影武者となり得るのか。。将来、人間は表舞台から消えて影の支配者となることは出来るのか。。。。などなど、このロボットとの共存を想定した世界に関するイマジネーションは広がるばかりだ。

そんな想像ゲームに興じている間は、それで良いのだが、次第に「このロボット演劇」の将来の展開に関しての限界みたいなものもうっすらと見えてきたりする。

いみじくも、アフタートークの中で平田氏が観客からの質問に答えて語っていたのだが、「自分ではこれらのロボット/アンドロイドの存在を(人間たちの)俳優でもなく、(ものとしての)小道具でもなく。。言うならば文楽における人形のようなものだと思っている」ということらしい。

そこで思い出したのが文楽スタイルの人形を操り、英国演劇界で活躍中のパペット劇団、ブラインド・サミット・シアターの主宰者マークがインタビューをした際に(シアターガイド10月号にこのインタビューが掲載されているので詳細はそちらを参照のこと)最後まで自らに問いかけていた質問「人形は人の俳優にとって変わる存在となることは可能なのかどうか。パペットを俳優と同じ様に見てもらえるようになる日は来るのか?」といった否人間の演者が表現できることの可能性。

所詮、人が全てを仕掛けて、操作しているもの、、と言い切ってしまえばそれまでなのだが、パペット劇団のマークはその操り方、また内容でもって、その人形の存在を俳優に限りなく近づける、もしくはそれとなり得ることが出来る、そしてそれを目指して日々精進しているようなのだ。

ロボット・アンドロイドにもそれと同じことが当てはまると思うのだが、う〜〜〜む、どうなんだろう、、機械で操っているということ、そしてそれがテクニカル的に複雑であるということが、、人形のローテクよりもかえって縛りを多くしてしまっているのでは???だったら、ローテク人形の方が良くない??ということなんだけど。。。そもそも、わざわざアンドロイド・ロボットが演じている演劇を観る、、そのアドバンテージって何?ってことだよね。(その点で言うと見た目が人間と違ったキュートさに溢れているロボットの方が、人間のようで人間ではないアンドロイドよりもうったえるものが大きいかも)

もちろん、ロボット研究の方へもたらすプラスのものがたくさんあることは分るのだが、逆方向へは芝居の可能性に関しては今後どれだけの刺激があるのかは不明。

内容に関しての「発想の転換」という点に関して言えば、ロボット演劇第一弾「働く私」にその面白さが凝縮されていて、ロボット演劇の面白さはあの作品が最も有していたと思うので。

ま、いずれにせよ、まだロボット演劇を観たことがない方には、ヴィジュアル面でもその内容でも、そこに全く新しい面白みがあることは確かなので、一度観てみることをおススメする。

ps..ところで、あの5時間だかという青年団のドキュメンタリー映画「演劇1/演劇2」はやっぱり観た方が良いのかな〜〜〜。迷う。


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