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2012年5月

2012年5月31日 (木)

サロメ(5/31)

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新国立劇場で平野啓一郎氏による初の戯曲翻訳とKAAT(神奈川芸術劇場)の芸術監督である宮本亜門氏による新国立劇場における初のストレートプレイ演出(ミュージカルは劇場の代表作となっているものを何本か過去に演出済み)ということで、、、、さらには多部未華子主演ということでも話題の19世紀耽美主義の代表作家、オスカー・ワイルドの代表作「サロメ」を観る。

*******演劇サイト解説 より*********
『サロメ』は1891年に書かれたが、1893年2月にパリでフランス語版が発行され、その一年後に英訳がロンドンで出版された。。。。1896年ルーブル座でフランス初演。日本初演は1914年、松井須磨子主演で芸術座(劇団)による公演。最近では2009年の翻案劇としての上演や、ク・ナウカによる上演がある。
1905年にはリヒャルト・シュトラウスがドイツ語訳を歌劇にし、今日まで非常に人気の高いオペラ演目となり、近年も世界的に話題となる公演が次々と行われている。
本公演ではイェルサレムの王女サロメとヨカナーンの恋の悲劇にいたるまでの群衆劇を丁寧に作り、義理の父であるヘロデ王、母のヘロディアスとの3人の家族を中心に幻想的な台詞劇、美しく魅力的な新しい作品として甦らせる。
2010/2011シーズンに続く[JAPAN MEETS… ─現代劇の系譜をひもとく─]の一環として小説家の平野啓一郎によるフランス語からの新訳上演を企画し、現代の日本語の台詞によって作品世界を再生し、上演したい。

******************

中劇場での上演ということで、舞台美術はかなり大掛かりで派手。

初日に先がけて開かれたプレスの席でも関係者が一同に声をそろえて話していたのは「新しいサロメ」というキーワードだったのだが、そのコンセプトの下、新訳は現代口調、セットは白を貴重としたスタイリッシュなもの(予言者ヨカナーンが監禁されている地下牢は別ーこの地下牢が舞台の下の部分に作られいて、その回りにお堀状の空間があり観客席から地下の様子が見えるようになっているーこの装置はGood good)、そして衣装はヨウジ・ヤマモトとこちらもスタイリッシュでまとめられている。
舞台上に大型テレビがあったり、護衛の人たちが機関銃を装備していたり、スタイリッシュな家具で統一されていたので、明らかに「今」の時代へ移行して舞台が形作られていた。

どうもこの現代化への試みがあだとなって、原作本来の魅力を緩慢にしてしまったように思う。

実は以前に、これと同じような経験をしているのだが、英国在住の際、やはりストーリーの分る芝居ということと、たまたま通っていた学校がRSCの(当時の)本拠地バービカンセンター内にあったこともあり、時々ディスカウントチケットを入手してシェイクスピア劇を観ていたのだが、、、おそらく当時の流行であったのだと思うが、なんだか中途半端に現代設定にしていてー例えば現代の会社の中での権力闘争とか恋愛沙汰とか。。ーえらくつまらない芝居になってしまっていたのだが、なんだかそれに似通っているように思う。

確かに舞台上の人々はスムーズに会話を進めているのだが、反面、そこに文学としての美しさが乏しい。。。でもって中劇場向けの大ぶりで大げさな演技でたっぷりと喋るものだから、従来戯曲が持つ簡潔にして刺激的というミステリアスな緊張感の良さが生まれてなかった。
(あと、気になったのがヘロデ王の「わしが。。わしは。。。」という語り口調。。他、とくにサロメなどは現代語口調で統一されていたので、気になった。)

あとは、申し訳ないがやはり主人公のサロメのミスキャスト。。。今回は無邪気で純真なサロメ、彼女の未熟な実直さが引き起こした残虐な結末。。ということでサロメを捉えたようなのだが、本人は幼くても、実直でも良いのだが、やはり回りから見た時に、男なら誰でもが引き寄せられるような「何か」、それこそ少女だからこその残酷な魔力ー例えば、コンプリシテの舞台で深津絵里が見せたような春琴の残虐さーがあればこその全ての話の流れだと思うんですけど。

これは多部さんだけの問題でもなく、例えば彼女が演じたとしても、例えばメイキャップなり衣装、さらには髪型を変えるだけでも、かなり怪しいけど無防備な少女には化けられたと思うのですが。。。いかがなものでしょう。


総じて言えば、、ソンハのヨカナーンだけがきちんとそこにワイルドの「サロメ」のヨカナーンとして存在していたように思った。


ちなみに、95年に宮城聡率いいるク・ナウカの若手公演として上演された「サロメ」ー劇団の代表作の一つである美加里さん主演のバージョンは見逃しているのだがー、五反田にあるオフィスビルの地下の一画で上演されたのだが、素晴らしい舞台で今でも忘れがたい作品。

かなりの部分で観客の想像力に様々な解釈をまかせた舞台となっていたのだが、小作品ながら強度があり、傑作だった。


先日掲載したソンハのインタビュー(英語)はこちらから。

ソンハ インタビュー

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キツネの嫁入り(5/30)

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駒場アゴラ劇場で吉田小夏率いる青☆組の「キツネの嫁入り」を観る。

巷の演劇サイトなどではエラく評判が良い舞台。

ー舞台美術に関しては、アゴラ劇場の形状を上手く使っていて、さらにはお伽噺にふさわしく想像を喚起するような、なかなかステキな劇空間を作り出していたし、演出に関しても空間を四方八方に広げるようにしてあの小さな劇場を民家、村とその周辺まで上手く描いていたし、過去と現在の時間軸も巧みに入れ込んでいたと思う。常連の客演役者さんたちを含め、役者たちも劇団のカラーに即していたと思う。

でも、題材とストーリーについては。。。う〜〜〜む、ちょっと後味が悪かった。おそらくこれは私の趣味によるところも多いとは思うがーと言うのも、大半の好意的な意見の観客達たちにはほっこりしたり、癒されたり、とヒーリング効果もあったようなのでー、前時代的な女性の描き方がどうにもこうにも、、気持ちがわるいのだ。

*****おはなし ネタバレ注意****

近未来のある島国ではなぜか近年女の赤ん坊が育たない。結果、この男ばかりの村では種が途絶えるかもしれないという存亡の危機に貧している。そこで、なんとか子孫を残そうと今は女性の数が極端に少ないこの村で、ある男が回りの勧めもあり子種を作るためにキツネの嫁をもらう。どうもキツネが嫁ぐという風習が以前からあったようで、キツネの側も心得ていて、身を粉にして亭主に尽くす。
その甲斐もあり、晴れてキツネの嫁は子どもを宿す。。。しかしながら、人間達は自らの愚かさでそんなかすかな希望のタネをも根絶やしてしまう。。同時にこの村で過去に犯した過ちが現在の困難(種の断絶)を引き起こしていたんだということも明らかにされていく。

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嫁いだ嫁がキツネなので亭主の理想にあわせて顔を変える(最初は母親に似た形相で、時と場合によっては無くなった先妻の顔にもなる)なんて、なんとも可愛らしく、でもってとっても皮肉なエピソードーだって男はおしなべてマザコンということで、みんなオイディプス願望があるということでしょ?ーがあったりする。

また、他にも、あちらこちらに今の日本に関しての批判なども含まれていたりするー少子化であったり、原発事故の将来の子ども達への影響、さらには身近なところで、ゴシップに振り回される村社会、さらにははみだしものを村八分にする村社会  etc..ーのだが、いくら寓話とは言え、やっぱり近未来の人たちが、未来の話だからこそ(劇中でも未来に関するお話はよくも悪くも、どちらにすることも出来ると言っていたが)、こんな男性達の飾りもの、付随物、として家事と子づくりの専門として描かれるのは、、なんだか哀しい。

ま、逆説的な皮肉としてキツネに子づくりさせたりしているのかもしれないけれど、もしも同じような状況で未来を描くとしたら、、、私の趣味としては、少数は貴重という利を活かして、近未来では男女の立場が逆転し、女が思い切りブイブイ言わせて逆ハーレムを形成していたとか、女の貞操観念と種の保存、そして愛という行為に対する問いかけをするとか、、、もっとしたたかで進化した女をみたかったように感じた。

女はお茶を入れて、菓子をつくるだけよりも、もっともっといろいろなことが出来るはず。。。それが男女雇用均等法の成立のもとであり、男も育メンとなる、というのが現代なんだと思うけど。どうでしょう。

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2012年5月29日 (火)

誰か、月光 恐怖・ハト男(5/28)

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本多劇場で東京乾電池の「誰か、月光 恐怖・ハト男」を観る。

本多劇場の最前列って。。。どうよ〜〜〜?!なんだかすごく久々な気がする。(夢の遊眠社をおっかけていた頃は公演中に同じ舞台を何回か観たということもあって、ミーハー気分で最前列をゲットして俳優のドアップばかり目で追っていた時もあったけど。。。それって一時代前だもんね)

ま、そのお陰で、ちょっと貴重な経験を。

私の隣に座っていたのが親子連れで、そのお子様の方が、なんと小学生(だと思う)。

まず、開演前にチラシの束から三谷幸喜がチェーホフに扮したチラシを発見して隣のお母様に「へ〜〜〜、三谷幸喜がチェーホフやるんだ〜〜」と即座に反応していたのを聞いて、「ムムム。。。こやつ何もの?!」、と。だって三谷にしてもチェーホフにしても、大人でもこれほど早く、それも的を得て反応しないよね。

でもって、観に来ている芝居が(いくらお母様の趣味とか、、知り合い関係だとしても)東京乾電池、って。シブすぎる。
でもって、この超ハイレベルな不条理劇をそれなりに楽しんでいるご様子だったんですけど。。


こうゆう子ども達が将来の中屋敷法人君みたにになるのかな〜〜〜〜。頼もしい。


でもって、肝心の舞台の方ですが、まあ、これまたステキな舞台で、「奇才・加藤一浩と仲間たち」の名に恥じない傑作でございました。

ここまで、突き抜けてくれると(あ〜〜〜、そう言えば、華やかな小劇場ブームの際に思いっきりそのメジャー路線の反対側を貫いていた岩松了の渋谷ジャンジャンでの空中に????マークが飛びまくっていた東京乾電池の舞台を思い出す)、やっぱり次はどうやって裏切ってくれるのか、いったいどこに行くのか行かないのか、、、目は舞台に釘付けでしょう。

大好きな舞台なのだが、反面、カーテンコールで座長、柄本明氏が言っていた「まだまだ席には余裕がありますから、また観に来て」というコメントにも大いに納得してしまう感はあります。

我はハマりし舞台なれど、人に勧めるのにはなかなかに勇気が必要なり。。。
まあ、騙されても怒らない人は、「こんなシュールな下北沢演劇もあるんだ」と発見出来るかもしれない、もしくは「日本にもこんなにマジで自由な発想の人たちがいるんだ」と、肩の力を一つ抜いて、ついでに外してもらえるかもしれないので、おススメです。

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洗い清められ(5/26)マチネ

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佐藤信氏が主催する鴎座の「洗い清められ」- サラ・ケイン「Cleansed」本公演ーを渋谷のspace Edgeで観る。

リーディングとショーケースを経ての公演で、昨年冬のショーケース(タイトル)「浄化」は同じ場所で観ていたので、期待を持って観劇。

ショーケースの舞台も面白かったのだが、そこから、確実にまた進化があり、作品としてのまとまり、統一の強度が増して、さらにエキサイティングな舞台に仕上がっていた。

サラ・ケイン戯曲の恐ろしいまでのピリピリとした緊張感と、同時に持ち合わせるフラジャイル=もろさを様々な様式ーフィジカル・ボイス・ステージセットの質感(床面に土が敷かれている)・バラエティーに富んだダンス様式&でこぼこ(良い意味で)な役者陣 そしてサラの直接的でありながら詩的な台詞ーで見せてくれる。

手を伸ばせば役者を触れるほどの距離でこのフィジカルなパフォーマンスが展開されるので、迫力満点、観客全てがそれぞれにたっぷりと楽しめる舞台だった。

アフタートークで劇団主催の佐藤氏が劇場外の場所での演劇をやりたくて、この企画を立ち上げたと語っていたが、場所が変わればーそれも劇場とは違った趣の空間であればあるほどーまた既存の劇場が提供できるものとは違った何かを提供できる可能性が見えてくると言うことだろう。

70年台アングラ劇のなかで大いに行われた、劇場外での集会的な演劇。。。小さなところで、少ない人数で、個人個人が考えを、妄想を働かせる。
これも一つの大いに魅力的な演劇のあり方だろう。

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リリオム(5/26)マチネ

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青山円形劇場で20世紀初頭のハンガリーの劇作家モルナール・フェレンツ作の「リリオム」を観る。

日本では1945年のブロードウェイミュージカル「回転木馬」の原作としての方が馴染みが深く、こちらは宝塚などで上演が繰り返されている。


********あらすじ リリオム 映画解説より*********
ブダペストの謝肉祭の夜、遊びに出掛けたジュリイとマリーの二人の娘は木馬館の客呼びのリリオムと知り合った。そしてジュリイはこの小柄な客呼びリリオムを恋する様になった。木馬館の女主人モスキャは、嫉妬の余り、リリオムを解職してしまったが、この天真爛漫なリリオムは困りもせずジュリイと結婚した。その後リリオムは妻が事々に自分に逆らうので怒りの余り彼女を殴りつけはするものの直ぐ又彼女が可哀想になって労ってやるのだった。職のない彼は妻が身重になったときに、金ほしさからある男に誘われるまま遂に強盗を働くことに同意した。それはある会社の会計係が社員に渡す大金を持って、毎週決まって通る人通りの少ない場所の有る事を知った彼の相棒の発案で、その会計の持っている大金を盗もうというのであった。しかしリリオムは強盗する前に警官の手におさえられ、隙を見て隠し持った包丁を胸に当て「ジュリイ」と叫んで自殺してしまった。リリオムの魂は地上に思いを残しつつ昇天し始めた。長い長い路をづんづんと昇って行く。天界の一角、警察署長室に呼ばれたリリオムは「何故妻を捨てて自殺したか? 何故妻を殴ったか? 不良な夫とは思わないか」等の質問を受けた。彼はその質問に正直な答えは出来なかった。彼は一晩だけ地上へ帰る権利を與えられた。だんだん冷たくなって行く夫リリオムの手を握ってジュリイは泣いていた。「おまえに何一つやらなかった、俺は愛想の尽きた人間だ、今夜俺は神様の傍へ行く」彼は堅く握られたジュリイの手を握り返す力さえなく、微笑をたたえて死んでいった。

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作者の実生活ー自らの素行により妻との離別に至った作者が離れて暮らす幼い愛娘との心のすれ違いを本作で描いているーを題材にした本作。リリオムとはその不器用な主人公の名前なのだが、初舞台の池松壮亮には、主人公の複雑なキャラクターを表現するというのは荷が重すぎた感がある。

そもそもベビーフェイスの彼にワルだけど女にモテるリリオムというのがミスキャストかも。

円形の舞台を上手く使っての演出、助演の銀粉蝶、そして相手役の美波と魅力的な部分もあるのだが、話の核となる主人公のキャラクターの説得力・魅力が無いので、一番大切な部分ー不器用な人間の人の愛し方ーが十分に伝わってこなかった。

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幸せはいつも小さくて東京はそれよりも大きい(5/25)

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ひょっとこ乱舞改めアマヤドリとなった劇団の再スタート第一弾、ひょっとこ乱舞時代の傑作、09年上演の「モンキー・チョップ・ブルックナー!!」を小劇場向けに改訂した改訂版「幸せはいつも小さくて東京はそれよりも大きい」を横浜STスポットで観る。

「モンキー・チョップ。。。」をシアタートラムで観た時はそれはそれで非常に大変面白かったのだが、今回の上演もまたいろいろな意味で、今この劇場で上演するのにはこれが正解でしょう、という、とても良く仕上がった舞台だった。

前回と違う点としては、まずは多くの役者が変わっている(例えば前回は当劇団の出世頭ソンハが主演を努め、柿喰う客のコロも客演していた)点、そして今回が小スペースでの公演ということでほとんど舞台セットなし、すっきりとした空間で演じているという点が挙げられる。

どっちが良いか悪いかではなく、それぞれの条件に最適の方法で上演されたと思うし、今回の上演に関してはいろいろなものを省いたからこそ、もっとストレートに見えてくるものも多かったように思う。

俳優による役の解釈の違いについては、前回の、状況により次第に病的な男に変化していってしまい、最後にはメンタル状態から抜け出せなくなってしまった男=ソンハ演じる主人公に比べ、今回の松下仁演じる主人公は潜在的にあった病的なものがちょっとしたきっかけにより噴出したメンタルな男という役作りで、これはこれで大いに納得が出来た。

良く出来た戯曲を読み直して今日の翻に焼き直し、また状況にあわせて演出をし直して上演する。。。こう言った再演ももっと多くやられても良いように思う(青年団とかではこの形式で再演を実行してるよね)。

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燕のいる駅(5/23)マチネ

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三鷹市芸術センターで土田英生セレクションVol.2公演「燕のいる駅」を観る。


土田氏率いる劇団MONOの公演として97年に初演、その後99年にも再演されている劇団の代表作のプロデュース公演。

初演、そして99年の舞台も観てはいないのだが、パンフレットによると日本国の終末の日を描いたストーリーをその上演の際の状況ごとに、みんなが描く近未来のイメージに近づけるため、設定を少しずつ変えてきたらしい。

つまり、97年初演時には近未来に起こる世界戦争によって日本は終わりを迎えると言っていたところを、99年の時点では世紀末の終末を想起させるように変えたということだった。

そして、今回2012年の上演では、哀しいことに、この「いつの日かこの国が滅びてしまうかも」という仮定がー村の上空に変な形の雲が現れたその日から人々は不穏な気配を感じ取っていたーというこの描写だけで十分に説得力をもって客席に浸透していたように思う。

環境問題、原発事故の影響問題、日本経済の破綻予測、様々な自然現象による突発事故、自然災害。。。とわれわれの日常のすぐ近くに、終末を思い起こさせるネガティブな要素が転がっている。

笑いあり、ロマンスあり、日本社会への批判あり、、と様々なものがつまっている本作なのだが、意図的にぼやかしているその終末の根拠が、とてもはっきりと見えるところに、今この芝居をやろうと思った制作、作者の意図が現れているように思った。

千葉雅子はやっぱりステキなコメディエンヌだった。

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I'm (w)here (5/21)

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昨年の岸田戯曲賞受賞作家(の1人)*ということで、大注目のノゾエ征爾率いるはえぎわの第24回公演「I'm (w)here」を下北沢スズナリで観る。

今回は3人のトリプル受賞で、ノゾエ氏の他に劇団マープとジプシー主宰の藤田貴大氏、Nibroll主宰の矢内原美邦が受賞している。


*******演劇サイト 解説 より**********

何を思ってかグアムに行く。3時間30分。広島より近い。テレビなどでよく見るよな白い砂浜と透明な海があっさりと目の前にあり、顔を浸ければ色とりどりの魚たちがサンゴに群がっている。水中対応のデジカメを1万も出して買い、脳裏に焼き付けるより先に撮りまくる。
"バカンスに暮れる人々は日本人ばかりで、彼らはみな母国にいる時よりもほんの少し生命力が上がっているように見える。現地の人々も軽妙に日本語を話すものだからして、一瞬ここがどこだかわからなくなる。くらくらする。連れがプールで泳ぐ。ホテルの部屋からそれを撮る。地上10階。落ちたら即死だな。でも僕は落ちない。落ちないのだ、絶対に。
I’m here. "

******************************

やはり、大きな賞の受賞後初の舞台ということで、かなりの注目が集まっているようで、スズナリの客席のあちらこちらに演劇関係者、批評家さんたちの顔、顔、顔。。

かく言う私も今回が初見なのだが、どうも実験的な舞台づくりを得意とする劇団のようで(過去の劇評から)、今回もなかなかに斬新な設定。
舞台上にある唯一の舞台セットとも言える大きな壁(シーンによって移動する)の前にずらりと並んだ男女14名。それぞれが自己紹介を続ける中、一人の男がポロリと「私はオニです」と口走ってしまう。
その瞬間に回りにいた人々が逃げ回り男をけなし始める。

そこで整列が一度崩れるのだが、少ししてまたもや現代人の標本が並べられる。そしてまた崩れる。。

そんな風に、世の中の整頓された列を崩さないように、崩さないようにと生きている人々=わたしたちの、実のところそれぞれにとってもはみだしてしまっている実情が各自のエピソードとして順に紹介されていく。

コチラ側から観ていると、なんとも「ヘラヘラ」と笑ってしまうしかないエピソードばかりなのだが、舞台上のキャラクター達は額に冷や汗を流しながらどうにもおさまりきれない自分を持て余しているのだ。

きっと若い人たちは彼らの中に自分を見つけたりして、共感したり、考えさせられたりするんだろうな〜〜、なんて。

人の中の自分という、ある意味の恥じらいの感情が薄まりつつある我が身にはーなんだか年をとると我は我なり、なんて図々しくなっちゃうんですーなんだか今ひとつ物足りない芝居だった。

見える範囲内だけきょろきょろしているうちに、何だか大きなものに根こそぎ押しつぶされてしましそうで。。。もしかして、そんなことも暗示しているのかも。

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モラトリアム(5/19)

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横浜STスポットで東京デスロックの大胆な企画、「モラトリアム」に参加する。

13時開場で21時までオープン。観客の入退場は自由、トイレ、小休憩後の再入場もありだが、一度退場と言って場を後にした場合はその後の再入場は認められない。
持ち物は受付に預け(財布などの貴重品以外)、携帯電話も入場後に指定の場所に置いておかなければならない。

でもって、マットが敷かれたSTスポットの小部屋の中に放置されるという趣向。

時折、きっかけのごとく、観客に混ざった劇団員たちが何かーちょっとしたパフォーマンスであったり、作業であったり、その場で遊ぶヒントなりーを仕掛けてくれるので、それにノルも良し、まったく無視するのもあり、というものだ。

まあ、手の中に携帯がないーもちろんiPodもiPadも手持ちの雑誌もなしー時間というものを処理しかねている自分にまず気づき、ハッとさせられる。
でもって、しばらくすると、何かをやらかしたくなるウズウズ心が湧いてくる。で、なんだか能が活性化してくる。。。こういう時にシンプルな遊び、積み木とかパズルとか出てきたら、みんなかなり真剣にそれに取り組むのだろうな、と思う。


とにかく、どこでも至れり尽くせり、かゆくなくてもかゆそうなところまで見つけてくれるような現代において、このVoidーからっぽー感が新鮮。

まあ、考えてみれば、ちょっとした昔ー20〜30年前にはこんな時間も(得に夏休みなんかには)あったな〜〜〜、昼寝しすぎて朝方だか夕方だか分らなくなったり、スキー合宿の山小屋でみんなでこたつに入りながらぼんやりした時間を過ごしたり、などど思い出す。一体何が変わったのだろう?同じ24時間/日であることには変わりはないし、それほどまで個人的には効率良くなったとも思えないし。。。

後日(6月の初め)、BBCのテレビニュースでロンドンの画廊で「作品のない展示会」というのが開催されている、というニュースを観た。
額縁はあるが中はブランク、置き台はあるのにその上に彫刻作品はない、、、といったように、結構広いその展示会場の中には一切のアート作品はなく、、訪れた人々はそれぞれに想像しながら会場を見て回るという趣向らしいのだ(そのニュ—ス番組の中で会場を映していた際には数人の観客が訪れ、他の展覧会と同じように何も入っていない額縁を熱心に観賞していた)。

今回の「モラトリアム」はこのロンドンで開催されているコンテンポラリーアートの美術展の横浜ライブパフォーマンスバージョンと言ってもよいのではないか。

方法さえ違えど、同じような問題提起をしているアート作品であると感じた。

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貯水池(5/16)

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最後にあう、ブルー(5/14)

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ミッション(5/11)

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朗読「宮沢賢治が伝えること」(5/10)マチネ

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2012年5月10日 (木)

ベルナルダ・アルバの家(5/9)

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あまり宣伝がないのでちょっと見落としがちだけど、TPTのロルカシリーズ第三弾「ベルナルダ・アルバの家」良いです。おススメ。

ここの芝居を観にいくと、あらためて、芝居を観る意義を考え直す、初心に戻る心持ちにさせてくれる。「良い戯曲」を最適な演劇的手法で、という劇団の基本姿勢がこのブレない良質芝居を生み続けているのだろう。

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シダの群れー純情巡礼編ー(5/9)マチネ

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翔べ!原子力ロボむつ(5/4)

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黄色い叫び

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Kafka's Monkey (5/2)

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海辺のカフカ(5/3)

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彼女の言うことには。(5/2)マチネ

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T BOB(4/29)

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The Bee (JapaneseVer.)(4/27)

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大正解(4/26)

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現在地(4/24)

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アンティゴネ/寝取られ宗介(4/24)マチネ

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百年の秘密

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