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2012年4月

2012年4月24日 (火)

負傷者16人ーSixteen Wounded-(4/23)

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騙り。(4/21)

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Hide and Seek (4/21)マチネ

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賭け(4/20)

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2012年4月18日 (水)

淋しいマグネット(4/17)

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友人からお誘いをいただき、シアターコクーンでワタナベエンターテイメント所属の俳優によって構成されているイケメン俳優集団(とのこと)D-BOYSの舞台「淋しいマグネット(原題:Our Bad Magnet)」を観る。

今回で10作目の公演ということなのだが、D-BOYSという人たちに関する知識がからっきし無いな〜〜と思い、彼らのHPをチェック。そこで、巷で話題のあのニュータイプの人気ミュージカル「テニみゅ(テニスの王子様)」で人気がでた人たちということを知る。その「テニみゅ」なるものを観たことのない私は自分の知識の欠落について納得することとなった。

舞台上では棒のように細身の男の子達が熱い青春物語を演じていた。

原作がスコットランド人作家ダグラス・マックスウェルによるものということで、そう言われてみれば近年のスコットランド演劇の潮流をくんだ、社会の行きづまり状態から行き場のない状況で悶々とする若者たちを描いた作品だよな、と思いつく。

しかしながらーおそらく試行錯誤の末と思われるのだがー本舞台で翻訳と同時になぜか舞台設定を日本の千葉の片田舎に移していて、それによる話の流れの無理やり感、そして中途半端などっちつかず感を生じてしまっていた。

わざわざ役名を日本名に変えて日本で設定し直しているのだが、それをする必要があったのか?もしもそうするのだとしたら、もっと細部まで気を配って日本版を作った方が良かったのでは?との疑問がわいてくる。
少年達の行動、生活に関して、典型的なスコットランドの若者達を描いているので、ただ単に設定だけ移しても、かえってその幹のところがあやふやになってしまっているのだ。
そのあやふやな感じそのままにラストの壮大なファンタジーの結末へと持っていこうとするものだから、残念なことにその最後のクライマックスにまでうまく繋がっていかない。
(おそらく、このファンタジーが成立するところにこの劇の最大の魅力があるものと想像できるのだが)

幼なじみとそのまま結婚してその地域からはまったく出ることのない青年、バンドを結成して将来を夢見る少年達、家庭内で虐待を受ける少年、、、などなど、一つ一つのエピソードがまるっきりスコットランドで、やはりその場合スコットランドという風土の裏付けが必要になってくる(たとえそれほどまでに知られていないとしても)のだが、なんで千葉なんだろう?

日替わりでキャストを変えて上演する、というなかなかに意欲的な試みも行っているのだが、それだったらキャストを絞って、テキストの読み込みにもっともっと時間を割いた方が有効かも。

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絶頂マクベス(4/17)マチネ

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吉祥寺シアターで柿喰う客の女体シェイクスピアシリーズ第二弾「絶頂マクベス」を観る。

昨年上演された、シリーズ第一弾の「悩殺ハムレット」がとてもよくできていた(ちなみに月刊演劇雑誌「悲劇喜劇」における2011年の収穫というアンケートで戯曲部門の優秀作品の1作に選んだほど、現代若者言葉ながらハムレットを表現していた)ので、今回のマクベスはどんなことになっているの?!と興味津々で観劇。

残念ながら、今回の「絶頂マクベス」はどうにも消化不良、これはシェイクスピアのマクベスなのかどうか、それからは遠ざかって別モノ・別の話になっているのではないか、と言わざるを得ないように感じた。ーま、これはこれとして楽しめば。。という声も聞こえてきそうだが、そうなるとわざわざシェイクスピアシリーズと名打っている意味が薄れてしまうので、そこはきっちりと押さえたい。

この点については作・演出の中屋敷法仁氏が公演パンフレットの中で述べているのだがー「そもそも現代人がマクベスを見て、共感できるのかなぁという疑問が常にあって。。。。今、上司を殺してまで上に立ちたがる程の野心って、持てないんじゃないかって。。。(中略)過酷な労働条件で働かされてて、そこから脱却したがっている薄給なマクベスの話にしたいんです。」ということで、今回の設定ーダンカン王に仕える執事のマクベスとメイド頭(?)のマクベス夫人という解釈(翻訳)になったようなのだが。。

まずこの設定の無理に関して;

*どう転んでも執事とメイドが下克上を起こせないという絶対的な階級システムの現実の壁
*さらにはいくら境遇に不満があったとは言え、殺人を犯すほどの動機が今作のマクベス(+夫人)に見当たらないという矛盾 ー昨今の裁判でもこの殺人の動機という箇所は争点の中心となっていますよね。それに照らし合わせて考えても、それほどまでの殺意・殺人の動機が説明出来ていないー


と、このような点の弱さが、劇全体の説得力の弱さに繋がっているのではないか、と思われるわけです。

と、ここで、今回の舞台創作の中心課題、果たして「現代人はシェイクスピアのマクベスに共感できるのかどうか?」という問いかけに対する答えだが、その問いかけは21世紀にシェイクスピア劇を上演する意義、なぜこれほどまでにシェイクスピアは全世界的に上演され続けるのか、という問いかけへと発展していくわけで、そうなると、殊更に答えは明らかで、「現代人にも通じる、われわれが共感できる部分が大いにある」ということになってくるのである。

王ー時として暴君がーが国を治めていた時代を描いただけの芝居だったら、果たしてこれほどまで長きに渡って観客を魅了し続けてきただろうか???

スコットランドの国取り物語でありながら、人の欲の果てしなさ、そして同時に人間の弱さ、さらには男と女の生理の違いを描いているからこそ、そのようなどの時代の人間にもあてはまることを描いているからこそ、いつの時代の人が観ても共感できるのでは?

レトリックな台詞の中に人間の本性が描かれているからどの国の人からも必要とされ、上演され続けるのでは?

いつもながらのテンポの良い劇進行とAKBばりの女性陣の競演で楽しめたのだが、前作のような21世紀のシェイクスピアを観ている臨場感が感じられなかったのが残念。


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東方神起ーついに!生チャンミン&ユノーで興奮するの巻

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観てきましたよ、近所の東京ドームで、東方神起の二人を!

韓流ドラマには時としてはまっていたのだが、とりたてて誰!のファンということもなかったのだが、ある時You Tubeで彼らの映像を観て、「ヤバい!」と思ったわけです。

文句なしにかっこいい!それもオリジナルーかつて見たことが無いーでかっこいい!!!

と彼らのクオリティーの高さ、その完璧なステージを期待してドーム会場の人の波に押されながら席に着き約3時間の濃密な時間をすごしたわけですが、、、最終的に何が凄いって、、彼らの人間性でしょうか。

全曲、でもってトークを含めて全て日本語でやり遂げるという彼らの姿勢。もしかしたら楽曲としては母国語の韓国語での方が良いのかもしれない(おそらく)のだが、とにもかくにも全部日本語で歌ってくれるというそのサービス精神に、まずは脱帽。

でもって、やっぱりその歌唱力とキレのよいダンス、でもって完璧な容姿に、、ますますKeep my head downとなるわけす。

みんながハマる訳はやっぱり人柄だった。

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平田オリザ演劇展Vol.2 -阿房列車(4/15)

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平田オリザ演劇展Vol.2-隣にいても一人 広島編/関西編 (4/15)

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2012年4月15日 (日)

平田オリザ演劇展Vol.2 -さようならVer.2

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駒場アゴラで平田オリザ作・演出&大阪大学石黒浩ロボット工学研究チーム監修による、アンドロイド演劇第二弾、前作のにその後を付け足したロングバージョンの「さようならVer.2」を観る。

ロングバージョンとは言え、25分間の上演。(技術的に今のところここまで、という上演時間なのだと思う)

通常の演劇鑑賞が2時間を平均とするならばその1/8の長さなわけだが、その25分間でこれほど多くの事を届けられるのか、という驚きの舞台。

アンドロイド演劇の技巧的な実験の上に「今」のコンテンツをきっちりと盛り込むあたり、平田オリザならではの熟練の上手さがうかがえる。


******演劇サイトより あらすじ*********

死を目前にした少女に、ただ詩を読み続けるアンドロイド。
その少女の死後、行き場を失った“彼女”を待ち受ける運命とは―。
大阪大学石黒浩研究室が一昨年開発した、実在のモデルそっくりのロボット「ジェミノイドF」と人間俳優が共演。
今回は全編日本人キャストによる上演、アフターストーリーを追加したロングバージョンでお送りします。

*********************

前回の初演と舞台設定は同じで、舞台上にはジェミノイドーセットと言えば良いのか、女優と言えば良いのかーと人間俳優が対峙して会話しているという設定のみ。
今回は死を目前にした少女がこの世を去ってから、その後日談が付け加えられているのだが、こちらも宅配業者の青年とジェミノイドとの2人のみの舞台設定となっている。

主人を亡くしたジェミノイドの次なる使命は?
彼女に課せられた運命とは?ロボットなので運命ではないのだが、そこまで考えさせられる意外な、そして我々の今にとても密接なストーリーが、強烈なインパクトを残し、はるか大きな想像をふくらませるきっかけを作る。

人間はロボットに依存しなくては、自らの手では解決出来ないところにまで来てしまったというのか。

ロボットはその役割を全うすることが出来るのだろうか。それを成すには演劇と通じる想像力が加担してくるのだろうか。

凝縮したら25分でこれだけ大きなものが伝えるられるのだという、潔く、クレバーな演劇。


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NOCON(3/14)マチネ

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オルガン(3/13)

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シンベリン(3/13)マチネ

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平田オリザ演劇展Vol.2 ー銀河鉄道の夜&思い出せない夢のいくつかつ

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まほろば(4/12)マチネ

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蓬莱竜太の08年岸田國士賞受賞作品の再演、「まほろば」を新国立劇場で観る。

******あらすじ 演劇サイトより***********

東京で一人暮らしを続け、未だ独身であるミドリは、久しぶりに実家のある村に休暇をとって帰郷する。それは故郷では有名な祭りの夜。男たちは外に出払い、本家であるミドリの実家は宴会の準備で大忙しである。ミドリの母であるヒロコは小言が絶えない。長女であるミドリは結婚もせずに東京暮らし、次女のキョウコは自由奔放な女で、その娘・ユリアの父親は誰だかわからない、当のユリアもどこにいるのかわからない。本家の血を絶やす気か、と怒り心頭のヒロコを本家の「大母様」であるタマエと、村の娘・マオが二人の間に入り、なだめてくれるのだが、ヒロコの耳には入らない。
しかしそんなヒロコにミドリはきっぱりと言う。
「たとえ婿を連れて帰っても、子供は出来ません。何故なら、私、生理があがってしまったから」
そこに突然、ユリアが帰って来る。不倫の果てにお腹に子どもがいる、この土地で子を産み、この土地で暮らしていきたいと告げる。
「親子揃って、わけのわからない子を産むなんて!」とヒステリックになっているヒロコ。
「父親のいない子供を産む大変さを、あんたは全然わかってない」と出産に反対するキョウコ。
「自分だって父親が誰だかわからずに私を産んだでしょ!」と言い返すユリア。
「産みたいなら産みなさい!産める時に産まないときっと後悔するわよ!」と力説するミドリ。
それぞれの思いがすれ違い、どこにも辿りつかない。二日酔いで気持ちが悪くなりトイレに駆け込むミドリ。
ふいに「それはもしかしてつわりではないの?」と指摘をされる。そういえば大いに酔っ払った日、男と関係を持ったような記憶があるような、ないような。妊娠検査の薬を持ってくるヒロコ。調べるミドリ。陽性であるか陰性であるかを待つ緊張の時間。しかし、この待っている時間にヒロコにあることを問われる。
「もし、妊娠していたら。本当に産むの? 本当に母親になる覚悟はあるの?」
はたと、このシンプルな質問に立ち返るミドリ。
「私の幸せとは何か? 母親になることなのか?」
そして、ついに検査の結果が出る瞬間が訪れる……。

********************


蓬莱竜太は岸田賞をとるに値する上手い劇作家であるしー何を書かせてもきっちりと客を見据えて彼らを満足させるー同じ新国立で上演された「エネミィ」(10年上演)もとても好きな作品なのだが、この「まほろば」に関してはどうもすっきりとはいかないのが初演からの感想。

男の妄想に近い理想がかなり加味された女神たちの物語かなという気がする。もちろん男性作家が書いているわけで、女性に近づかなくてはならないというわけでもないので、そういった一つの男性からのメッセージとして受け止めればそれもありなのかもしれないが。(野田秀樹の「ダイバー」でも同じように感じたが)


大地のように大らかな、懐深い女性。母なる海と大地。

こんな女性を求められそれを母性と崇められても、それでは、いくら当世男子に比べて明らかに「強い」女性たちとは言え、ちょっとそれは不公平、と文句も述べたくもなるというもの。

生命の営みがもっと自然に近かった原始の時代ならともかく、保育園に入れるにもお金がたくさんかかる現代において、(シングル)マザーになるというのは、かなりシビアで厳しい実情ではないのかと思うのだ。
それでもがんばっているママさんたちが多くいるから、少子化のこの国でも、どうにか子どもたちが育ってはいるのだが。

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London 紀行

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2012年4月 1日 (日)

いないかもしれない(3/31)マチネ

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ウェルカム・ニッポン(3/30)

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