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2012年4月18日 (水)

絶頂マクベス(4/17)マチネ

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吉祥寺シアターで柿喰う客の女体シェイクスピアシリーズ第二弾「絶頂マクベス」を観る。

昨年上演された、シリーズ第一弾の「悩殺ハムレット」がとてもよくできていた(ちなみに月刊演劇雑誌「悲劇喜劇」における2011年の収穫というアンケートで戯曲部門の優秀作品の1作に選んだほど、現代若者言葉ながらハムレットを表現していた)ので、今回のマクベスはどんなことになっているの?!と興味津々で観劇。

残念ながら、今回の「絶頂マクベス」はどうにも消化不良、これはシェイクスピアのマクベスなのかどうか、それからは遠ざかって別モノ・別の話になっているのではないか、と言わざるを得ないように感じた。ーま、これはこれとして楽しめば。。という声も聞こえてきそうだが、そうなるとわざわざシェイクスピアシリーズと名打っている意味が薄れてしまうので、そこはきっちりと押さえたい。

この点については作・演出の中屋敷法仁氏が公演パンフレットの中で述べているのだがー「そもそも現代人がマクベスを見て、共感できるのかなぁという疑問が常にあって。。。。今、上司を殺してまで上に立ちたがる程の野心って、持てないんじゃないかって。。。(中略)過酷な労働条件で働かされてて、そこから脱却したがっている薄給なマクベスの話にしたいんです。」ということで、今回の設定ーダンカン王に仕える執事のマクベスとメイド頭(?)のマクベス夫人という解釈(翻訳)になったようなのだが。。

まずこの設定の無理に関して;

*どう転んでも執事とメイドが下克上を起こせないという絶対的な階級システムの現実の壁
*さらにはいくら境遇に不満があったとは言え、殺人を犯すほどの動機が今作のマクベス(+夫人)に見当たらないという矛盾 ー昨今の裁判でもこの殺人の動機という箇所は争点の中心となっていますよね。それに照らし合わせて考えても、それほどまでの殺意・殺人の動機が説明出来ていないー


と、このような点の弱さが、劇全体の説得力の弱さに繋がっているのではないか、と思われるわけです。

と、ここで、今回の舞台創作の中心課題、果たして「現代人はシェイクスピアのマクベスに共感できるのかどうか?」という問いかけに対する答えだが、その問いかけは21世紀にシェイクスピア劇を上演する意義、なぜこれほどまでにシェイクスピアは全世界的に上演され続けるのか、という問いかけへと発展していくわけで、そうなると、殊更に答えは明らかで、「現代人にも通じる、われわれが共感できる部分が大いにある」ということになってくるのである。

王ー時として暴君がーが国を治めていた時代を描いただけの芝居だったら、果たしてこれほどまで長きに渡って観客を魅了し続けてきただろうか???

スコットランドの国取り物語でありながら、人の欲の果てしなさ、そして同時に人間の弱さ、さらには男と女の生理の違いを描いているからこそ、そのようなどの時代の人間にもあてはまることを描いているからこそ、いつの時代の人が観ても共感できるのでは?

レトリックな台詞の中に人間の本性が描かれているからどの国の人からも必要とされ、上演され続けるのでは?

いつもながらのテンポの良い劇進行とAKBばりの女性陣の競演で楽しめたのだが、前作のような21世紀のシェイクスピアを観ている臨場感が感じられなかったのが残念。


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