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2012年3月

2012年3月28日 (水)

一丁目ぞめき(3/28)マチネ

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下北沢スズナリで赤堀雅秋率いるTHE SHAMPOO HATの新作「一丁目ぞめき」を観る。

翻・演出・役者、それぞれに安定して高得点をたたき出している秀作。
さらには演劇だからこその効果として、観客が一歩ひいたところで第三者として我が身のトホホな実態を顧みることの出来る、舞台ならではの上演意義のある作品。

ここのところなぜか続けざまに父親が危篤、もしくは死んでしまったところに集まった子ども達という設定の舞台が続いている。演劇界の中心にいる劇作家たちが親の死を考えるような年齢になってきたからなのか?昨年の事故を機に人々が家族の死、それこそ「絆」をあらためて考えるようになったからなのか??

*********ネタばれ注意***********
(演劇サイト 作者による内容紹介より)
うんことちんことまんこの話をしようじゃないか。サンテンイチイチって言うな馬鹿。3月11日だろ。 すいません、緑茶ハイを一つ。そりゃ自分の娘が殺されたら、その殺した相手を俺は殺すよ。でもそれとこれとは別だろ。 別として考えようじゃないか。お前が芦田愛菜の心配をしなくていいんだよ。うんことちんことまんこの話。 マージャンとか最近やってないね。やらないよ。お前のこと絶対嫌いになるから。すいません、煙草置いてますか。 その靴どこで買ったんですか。アメリカとかアフリカとか中国とかな。そりゃヨーロッパだってあれだろ。風俗とか全然行ってない。 不思議だよ。何でお前泣いてんの。長澤まさみとなら付き合うよ。だって実際会ったらメチャクチャ可愛いと思うよ。 顔とかメチャクチャ小さいと思うよ。農家についてはまた改めて。一丁目ぞめき。
赤堀雅秋

***********************


今回は父の死を機に何十年かぶりに家へ戻ってきた厄介息子(赤堀)の、その異分子の介入により、全てが馴れ合いになっている一丁目のご近所・親戚連中の狭い世界、その狭い世界の淀みの中で紛れてしまっている恥部、本音をあぶり出すことになってしまったら、見た目とは違った世界が見えてきた。。というお話。

いわゆる世間のはみだしものである赤堀演じる長男=危険人物とその対比にある小市民たちとの関係が劇が進むにつれて次第に逆転していくのだが、触らぬ神に祟りなし、とばかりに社会的善人面、(とるにたらない)常識人面をきめこむ回りの人々達のそのあまりにも小市民的な対応がなんとも的確に、見事な描写で描かれている。加えて、その小市民たちの嘆き、葛藤の声も盛り込まれている。

この小市民的な卑小さを、社会の中のミクロ的事象(まさに個人レベルでの人付き合い)から、さらには見ようによってはマクロ的事象(たとえば世界外交の中での日本の態度とか)にまで、好きなように解釈出来るのが、演劇の醍醐味。

でもって、その自由さを備えているのがこの戯曲の面白さ。

赤堀雅秋の怪演も見所の一つ。

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狼たちの午後(3/27)

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満ちる(3/27)マチネ

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2012年3月27日 (火)

にわか雨、ときたま雨宿り(3/26)

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恵比寿のテアトルエコーで「日本の劇」戯曲賞2011で最優秀賞を受賞した鈴木穣(ゆたか)氏の「にわか雨、ときどき雨宿り」(西川信廣演出)を観る。

放蕩人生を送った画家の父親の危篤の知らせを受け集まった異母兄弟4人(3人の違った母親の子ども達)とその伴侶達が危篤状態の父(舞台には登場せず)を見守りながら久々の再会を通して、それぞれの現況、家庭事情を確認しあい、自らの立場を再確認していく物語。

肩書きやぱっと見だけでは分り得ないそれぞれの事情が徐徐に見えてきて、彼らが抱えてきた心の中のわだかまり、子としての本心、さらには男女間、夫婦間の結びつきなどを考えさせる内容となっている。

人は隣の内の内情、それもちょっとワケアリそうな内情を覗き見したくなるもので、そんな興味ごごろをくすぐる内容ではなるのだが、、、ちょっと気になるのが、ちょっとした不自然なーそんなことは日々の生活の中では言わないんじゃないか?といったー台詞。

もしかしたら、翻の段階ではそれほど気にならなかったかもしれないが、役者が舞台上で喋っている段階でとても違和感を感じる結果を生んでしまっていた。

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2012年3月25日 (日)

再/生〜ふじみ編〜(3/24)マチネ

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東京デスロック、(ある意味変則)ロングランプログラム 再/生を演出家多田淳之介の本拠地、キラリふじみで観る。

昨年、2011年の年末総評ではたびたび年間の優秀プログラムの一つとして挙げてきた(11年横浜で上演の公演に対して)舞台なのだが、やっぱりその選択は間違いではなかったと強く確信をもたせてくれる、素晴らしい舞台に感無量。

アフタートークでは絵画家の方をゲストに、演出の多田さんが抽象と具象の違い、さらにはそのボーダーを超えて創作するということについて話していたが、まさに抽象の表現方法で(だからこそ)これだけの沢山のことを観客へ伝えられるのだ、ということを目の前で見せてくれていて、何が舞台でおこっていたのかを文章で説明すると2〜3行で終わってしまいかねないー(例えば説明してみると)音楽を流しながら役者がそれぞれに動いている、そのパターンが同じ曲が流れるつどに繰り返されるーそのライブパフォーマンスがいかに効果的に観客席の一人一人に伝わっていたか、、まさにその瞬間の目撃者である価値のあるパフォーマンスだった。

何がすごいって、この1時間半ちょっとのパフォーマンスの中に演劇という行為のほとんどが詰まっているというところ。ーつまりは「生で」あるという。。。刻一刻と生き続けている演劇を体感させてもらった。

先日のピーター・ブルックが演劇の原点回帰のシンプルな舞台で今日の観客の眼を醒させていた一方、この「再/生」ではまた別の意味での削ぎ落としで、言葉での説明、情報提示を排除しあくまでも観客自身が考える、頭の中の余白を最大に、さらに自由に活性化させるようにもっていくことによって1時間半のパフォーマンスで見せられるものの効果を最大限にあげていた。

誰でもが思い当たる日々の課題「人が生き続けていく」ということに関して、ライブパフォーマンスのアドバンテージである頭ではなくて直接的な皮膚感覚として享受できるメッセージをステージから生(ライブ)で受け取ることが出来た、貴重な体験。

この舞台を観たあとに家族と知人と話していたときに我が家のKYさんが「人類の進歩とはエッシャーのだまし絵のようで、上っていたはずの階段を、ふと気がつくと降りていたり、、かと思うとまた最上階にいたり。。でもって、その行進に終わりはなく、永遠に続いていくもの。。終わりなきもの」と言っていたのだが、その言葉を聞いて、「再/生」はそんな舞台だったな、と思い出した。

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幸福オンザ道路(3/23)

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ミクニヤナイハラプロジェクトVol.6、ニブロール主宰・振付家の矢内原美邦が演劇手がけるプロジェクトの第6弾。

2010年、横浜STスポットの小スペースでの初演を経て、今回は新たに改訂版としての再演で、舞台装置、衣装、ストーリーも一新しての舞台となっていた。


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2012年3月23日 (金)

魔笛(3/22)

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彩の国さいたま芸術劇場でオペラ「ピーター・ブルックの魔笛」を観る。

演出家ピーター・ブルックと彼の翻案チーム、フランク・クラウチック、マリー=エレーヌ・エティエンヌがモーツァルトの「魔笛」オリジナルを大幅に改訂、簡略化して新しい舞台作品へと生まれ変わらせたために、わざわざ“ピーター・ブルックの”と前につけているのだが、そこにはブルックに付随する演劇界の巨匠、“サー・ピーター”の付加価値がビジネス的に加えられているのは明らか。
それでいて、実際のところ、作品としては“巨匠ピーター・ブルック”の冠を軽やかに脱ぎ捨てているところに、この作品の素晴らしさが凝縮されている。

人は年をとればとるほど、そして社会的地位が高くなればなるほど、、、往々にしてそれ(年や地位の高さ)ばかりが残ってしまった人々に多くみられるのだが、どんどん背負うものが多く、重くなってきてその鎧でがんじがらめ、身動きが出来なくなってしまうことが多いものだ。

が、ブルックの場合、この舞台を観る限りでは、従来の社会通念に反して、そのような世間的な重力傾向を跳ね返すかのように、軽く、少なく、シンプルに、身軽になっていっているようだ。

お話もバッサリ&スッキリと割愛し、セットは竹の棒のみ、音楽はオーケストラからライブのピアノ伴奏へ、一枚布を多用した小道具と飾り気のない衣装、ブルックの演劇論「なにもない空間」の舞台構築を実践
してみせてくれているかのような、「ほ〜〜〜ら、余計な予備知識を強要するよりも、なにもない所には想像力のタネがたくさん撒かれているんだよ〜〜〜ん。でもってそれこそが演劇を観る醍醐味。」と言っているのが聞こえるような舞台。

枝葉を省いたストーリーの中心には目から鱗の真実ーそれは決して新しい理論などではなく、むしろ人々が忘れかけている、つまるところ人々の良心に依るところの多い、ジョン・レノンの「イマジン」のような解決策の提案ーが据えられているし、オペラ歌手&役者たちは自らの仕事をナチュラルに、でもってきっちりと果たしてくれていて、多くの人々が敬遠しがちなオペラの特異要素=高尚で時に冗長といった概念を打ち破ってくれる、誰でもが楽しめるザッツ・エンターテイメント(良質な演劇体験)に仕上がっている。

子どもからオペラ好きの紳士淑女まで、同じ劇場空間でその舞台恩恵をシェアする事が可能というごくごく希少な舞台。なので、ぜひとも躊躇しないで、さいたままで、どうぞ。

演劇がいかに創造的な芸術であるのか、が実感出来る。。。役者の身体さえあれば、特別な準備などしなくても、どこでも出来るんだということを本当に心から信じられる、魔法(魔笛)のようなステージ。

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2012年3月21日 (水)

テキサス(3/21)

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パルコ劇場で長塚圭史作、河原雅彦演出/出演の「テキサス」を観る。

当時の舞台は観ていないのだが、11年前(2001年)に河原率いる劇団Highleg Jesusが長塚演出で上演した劇の再演なのだそうだ。(ちなみに「演技者(フジテレビ)」というタイトルでドラマ化もされていたらしい)

今回は演出を河原が引きうけ、中規模劇場・パルコ劇場での上演となった。

前半の素直な笑い連発のシーンにちょっと物足りなさを感じていたら、後半になって英国留学前の長塚演劇の代名詞、ブラックユーモアと皮肉たっぷりの人間描写が加わり、それが加速していって、思わず眼が開かれ、これこれ!!と、満足ボルテージもあげてくれてフィニッシュ。

閉鎖的な社会で起こる、集団の中での人の弱さ、集団心理が導く危うい側面を露呈するこの劇を今の日本の状況に照らし合わせると、、、演出の河原氏がこの劇を今、再演したかったというその目指すところも見えてくるのかもしれない。

主役の中庸な青年を星野源が好演。なぜかマゾヒスティックな可哀想な男の哀愁漂う田舎町のドンを高橋和也が存在感たっぷりに演じている。個人的には久々に元祖高音ハイテンション男優の松澤一之さんが観れてよかった!

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一方向(3/20)

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日韓交流プロジェクトノンジャンル・アートフェスティバルの2012年公演、2作品の一つ、OM-2代表・日本人演劇人、真壁茂夫構成・演出で韓国から参加の劇団チャンパの韓国人俳優たちが演じる「一方向」を日暮里のdー倉庫で観る。

同時上演で韓国人演出家+日本人俳優という舞台「希望」もあったのだが、日程の関係で観劇出来ず。。

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おやま(3/20)マチネ

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All Under the World (3/19)

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鶴のあとにスワン(3/18)

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鶴(3/18)

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ウィル・タケット インタビュー

神奈川芸術劇場(KAAT)で日英共同製作、ダンスシアター「鶴」を観る。

ダンス&芝居&ヴィジュアルアート(舞台美術)と総合的に楽しめる満足度満点の舞台だった。

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ダルレの話(3/17)

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2012年3月17日 (土)

ワンダー・ガーデン(3/15)

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黄色い月(3/14)

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下北沢スズナリでオフィスコットーネ主催の「黄色い月」の初日を観る。

07年にエジンバラ・フリンジで上演された初演を観る機会に恵まれ、その時に「ここまで削ってもなんとも深い味が出せるものなんですね〜」ー4人の役者による1時間半の芝居で、舞台装置はほとんど皆無、ストーリーもいたってシンプルーと感心した芝居なのだが、今回の日本上演はその味を損なわず、翻訳劇上演に関して細心の注意をはらって作られた秀作に仕上がっていたので大満足。


翻訳・ドラマトウルクとして今芝居の製作に関わっている谷岡健彦氏がエジンバラでの上演を観ていた際にちょうど居合わせていたのだが(ちょうど同じ時期にエジンバラにいて、上演劇場のトラヴァースで話を聞いていたので)、谷岡氏の上演への思いが、この作品への思い入れが伝わってくるような舞台だった。

柄本時生、門脇麦, 中川安奈、下総源太郎の4人で、主人公のティーンエイジャーリー(柄本)とレイラ(門脇)を中心に、彼らをとりまくちょっと込み入った関係の家族・大人たちを中川と下総が数役を担い演じている。

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サド侯爵夫人(3/14)マチネ

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ガラスの動物園(3/12)

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薮の中(3/10)

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季節のない街(3/8)

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2012年3月 8日 (木)

うれしい悲鳴(3/6)

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パーマ屋スミレ(3/5)

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2012年3月 3日 (土)

ロマンサー ー夜明峠編ー(3/2)

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シアタートラムでモダンスイマーズの新作「ロマンサー 夜明峠編」を観る。

外部からの脚本・戯曲執筆オファーが続き大忙しで、劇団の新作が1年半ぶりとなった売れっ子作家、蓬莱竜太の本拠地への回帰宣言ともとれるロマンサー三部作(となるらしい)の第一作目。

朝日新聞評によると大正4年に北海道で起きた実際の猛獣による惨劇事件「三毛別羆事件ウィキ」をベースに書かれた作品とのこと。語り継がれるだけに、こちらの史実もドラマチックなので、ご興味があれば一読を。

羆の出没・民家襲撃により普段交流のない山間部の住民と里の住民ー熊退治のため集められたマタギ衆と里の住民ーが関わりを持ち、それによってそれまで山で文明からは隔離されて暮らしてきた親子の生活は一変する。外を知らなかった末娘タケ(斎藤ナツ子)は里の住民と許されぬ恋に落ち、主人公のコロク(古山憲太郎)は疑問を持たづききた自らの出生・そしてアイデンティティ、さらには将来への展望について思いをめぐらすようになる。
子ども達を意図的に隔離した状態にとどめてきた母ヒサノ(石田えり)にとっても、その思わぬ出会いが過去の清算、封印し続けてきた変わらぬ日常からの脱出の機会となるのだが、結局は母のロマンスはさらなる悲劇へと進んでいく。


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2012年3月 2日 (金)

Turning Point (3/1)

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桑原裕子率いるKAKUTA番外公演、数人による共同作品「ターニングポイント」ー桑原裕子・堤泰之・金井博文・山崎総司の作/演出合作ーを下北沢スズナリで観る。

幼なじみの女性二人の人生を15年(劇団の活動年月と重なる)にわたり、その時々のターニングポイントとなったエピソードをひろい描いた全5話の構成。

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狂おしき怠惰(2/29)マチネ 千秋楽

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果てまでの旅(2/28)

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熱愛報道(2/28)マチネ

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八百屋のお告げ(1/27)

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