« 幸福オンザ道路(3/23) | トップページ | にわか雨、ときたま雨宿り(3/26) »

2012年3月25日 (日)

再/生〜ふじみ編〜(3/24)マチネ

Stage21049_1


東京デスロック、(ある意味変則)ロングランプログラム 再/生を演出家多田淳之介の本拠地、キラリふじみで観る。

昨年、2011年の年末総評ではたびたび年間の優秀プログラムの一つとして挙げてきた(11年横浜で上演の公演に対して)舞台なのだが、やっぱりその選択は間違いではなかったと強く確信をもたせてくれる、素晴らしい舞台に感無量。

アフタートークでは絵画家の方をゲストに、演出の多田さんが抽象と具象の違い、さらにはそのボーダーを超えて創作するということについて話していたが、まさに抽象の表現方法で(だからこそ)これだけの沢山のことを観客へ伝えられるのだ、ということを目の前で見せてくれていて、何が舞台でおこっていたのかを文章で説明すると2〜3行で終わってしまいかねないー(例えば説明してみると)音楽を流しながら役者がそれぞれに動いている、そのパターンが同じ曲が流れるつどに繰り返されるーそのライブパフォーマンスがいかに効果的に観客席の一人一人に伝わっていたか、、まさにその瞬間の目撃者である価値のあるパフォーマンスだった。

何がすごいって、この1時間半ちょっとのパフォーマンスの中に演劇という行為のほとんどが詰まっているというところ。ーつまりは「生で」あるという。。。刻一刻と生き続けている演劇を体感させてもらった。

先日のピーター・ブルックが演劇の原点回帰のシンプルな舞台で今日の観客の眼を醒させていた一方、この「再/生」ではまた別の意味での削ぎ落としで、言葉での説明、情報提示を排除しあくまでも観客自身が考える、頭の中の余白を最大に、さらに自由に活性化させるようにもっていくことによって1時間半のパフォーマンスで見せられるものの効果を最大限にあげていた。

誰でもが思い当たる日々の課題「人が生き続けていく」ということに関して、ライブパフォーマンスのアドバンテージである頭ではなくて直接的な皮膚感覚として享受できるメッセージをステージから生(ライブ)で受け取ることが出来た、貴重な体験。

この舞台を観たあとに家族と知人と話していたときに我が家のKYさんが「人類の進歩とはエッシャーのだまし絵のようで、上っていたはずの階段を、ふと気がつくと降りていたり、、かと思うとまた最上階にいたり。。でもって、その行進に終わりはなく、永遠に続いていくもの。。終わりなきもの」と言っていたのだが、その言葉を聞いて、「再/生」はそんな舞台だったな、と思い出した。

|

« 幸福オンザ道路(3/23) | トップページ | にわか雨、ときたま雨宿り(3/26) »

「観劇」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/223541/44627271

この記事へのトラックバック一覧です: 再/生〜ふじみ編〜(3/24)マチネ:

« 幸福オンザ道路(3/23) | トップページ | にわか雨、ときたま雨宿り(3/26) »