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2011年9月

2011年9月30日 (金)

家電のように解り合えない(9/30)

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まず他では見られないこのオリジナリティー。

この表現方法の新しさこそー何かの踏襲ではなきーがこ岡田利規の魅力だろう。
一見、脱力しながらダラダラと進展しているように映る舞台、その実はしっかりと計算しつくされた硬派の舞台。

人の基本的特権 individuality ―個性ー違う事ーの重要さを再確認させるガチンコの内容。
でもって、自己啓発・成功の秘訣的マニュアル本には決して集約されない、それぞれの絶対個性には観察に値する奥深さがあること を教えてくれる。

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花緑ごのみVol.28 (9/29)

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ロミオとジュリエット(9/27)

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アパッチ砦の攻防

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2011年9月27日 (火)

ホットパーティクル(9/27)マチネ

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*****ネタバレ 注意  劇団HPより******
2011年春、私は原発に会いに行く。

東日本大震災から1ヵ月が経った4月某日。「私」は頭を抱えていた。
劇場の中より外がはるかに劇的になってしまった今、どんな演劇が演劇として成り立つのか。
悩んだ末たどり着いたのはフィクションを放棄するという選択だった。
つくりものが現実に勝てないなら、いさぎよく敗北を認め、現実そのものを舞台に載せよう。
とはいえ、現実にもいろいろある。「私」が知っているのは、あくまでも3月11日以降の「私」自身の現実だけだ。ならばそれを描こう。
結婚の予定はおろか、恋人もいない、売れない劇団をひとりでやっている33歳の女が、
なかば自暴自棄になりながら眺めた東京の現実、演劇の現実、そして勢いだけで向かった福島で見た景色。

その日、「私」はみんなから避けられている福島第一原発に自分を重ね合わせてしまった。
「いつ死んでもいい」が口癖だった「私」は「彼」に会いに行くことを決める。
まるで片想いの相手に会いに行くように。
そんなことして何になるのか。その先に何か答えでもあるというのか。
そもそも、「彼」に会いにいくことはひとつの可能性を捨てることにはならないか。
原発まであと20キロ。自分の人生を見失った愚かで不謹慎な女の旅が始まる。

「私」=瀬戸山美咲(ミナモザ主宰・東京都出身)を演じるのは、佐藤みゆき(こゆび侍所属・福島県出身)。
わが身を捧げたドキュメンタリー演劇が幕を開ける。
これは、今、地球上に生きる全人類におくる超個人的な愛と平和の記録。
すべて実話です。

※ホットパーティクルとは、放射能を持った粒子のこと。主にプルトニウム粒子を指す。その毒性は強く、人体を激しく汚染する。

**********************

ということで、題名の「ホットパーティクル」とはプルトニウムを含む高放射性粒子のことだそうだ。

上演中の芝居のチェックをしていたら、ガチ原発らしき芝居の告知を見つけ、前回の公演ー「エモーショナルレイバー」ーも観ていることもあり、早速劇場へかけつけてみた。

瀬戸山美咲が作・演出を手がける劇団ミナモザ。

今回は劇の冒頭から語っているように、作家・演出家が今回の劇の上演に至るまでの経緯を綴ったドキュメンタリー(!?)作品だそうだ。
おそらく語っていることは事実で、ほとんどのエピソード、台詞は実体験からまとめあげたものなのだろう。ちなみに、劇の最後に、この手法は例外で、今後このように自信の体験をそのままの形で舞台にあげることはないだろう、と宣言している。


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雑音(9/26)マチネ

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アゴラ劇場サマーフェスティバル<汎ーPAN>のトリを飾る名古屋を拠点に活動する劇団`オイスターズ’の第9回公演「雑音」を観る。

名古屋弁でのナンセンスな会話で劇を進行していくのが特徴らしく、ライトな不条理劇というレッテルで知られている劇団らしい。

時に強引なナンセンス、思い込みの持続ーこれを筒井康隆的と評しているレビューもあったーがあまりの強引さに可笑しさを引き出しているところもあったが、観劇後の感想としては、面白くはあったけど。。。それで?と、今ひとつ、強く惹かれるものでもなかったというのが正直なところ。

例えば、このところテレビで多く流されているお笑い系の人たちのコント、その中でシュールな味を出している作品の一つのような、そんなコントのロングバージョンと言った感じ。

***********ネタばれ注意***********

消化不良の大きな原因の一つが劇の中心の案件である「妹が写真に写り込んでいたのはなぜ?」という問いにきちんと答え、もしくは答えとなりそうなヒントを提示していないこと。
その中途半端さが結局ダラダラとして終わったという印象を与えかねない。

*************************

不条理を目指すのだとしたら、道半ば。これからに期待したい。

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2011年9月25日 (日)

悩殺ハムレット(9/24)マチネ

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柿喰う客による女優オンリーのシェイクスピア劇シリーズ第一弾(ちなみに次回は「マクベス」だそう)、演出の中屋敷法人版、今日の日本人のための「ハムレット」をシアタートラムで観る。

「マジ、あり得なくねぇ?!」「かなりサゲぽよ〜〜〜」といった若者言葉が打ち込み音楽が流れる中、機関銃のように飛び交う本舞台。

通常、3時間弱を要する「ハムレット」を21世紀リズムで疾走しーもちろん途中カットしている場面も少々あったがー、それでも結構きっちりと全編をみせて90分にまとめあげたそのスピード感が素晴らしかった。

アフタートークで演出家が今回の台詞使いについて、「シェイクスピア劇の最大の魅力の一つがその台詞のリズム感にあると思う。残念ながらハムレットの翻訳本を38(?だったと思うが)冊全部読んでみたが、そのリズム感を舞台で達成出来るような訳本がなかった。なので、自分で、そのリズム感を重視した台詞にしてみました。」との事だったが、おっしゃる通り、まず淀む箇所のない台詞まわし。

道化のヨリックのエピソードをカットしたところにはちょっと??ーと言うのもおそらくこのエピソードが原作の核でもあると思のでーと感じるところもあるが、この点に関しても同じくアフタートークで演出家が「今回の舞台はシェイクスピア(翻訳)劇ではないので、あしからず。」とはっきりと語っていたので問題にするまでもない。

台詞は思いっきり現代(2011年)口語に変えているものの、これも一種の翻訳(中野茂樹氏提唱の語意訳の類い)。その上、英国の文化・歴史に深く関わるたとえ話、エピソードなどは日本観客向けに編集されていて、とにかく世田谷トラムシアターへ観に来る観客へ向けた「ハムレット」へと作りかえているのだが、かなり丁寧に注意深く編集もなされているので押さえどころははずしていない。その意味ではただ単に翻訳された戯曲一冊を考察することなく、一語一句たがわず上演するよりも原作に対して真摯に向き合っていると言ってもよいのかもしれない。翻訳者、文学研究者の方々の中には「それではシェイクスピアではないだろう!どんな台詞も必要なんだ!!」とお怒りになる方もおいでだとは思うが、、まあ、それも一つのシェイクスピアの上演方法(もちろん無駄な台詞があるはずもないのだから)で、またこれも試すべき価値の十分ある上演方法、ということなのだと思う。どちらかをとれば何かを諦めなくてはならず、どちらかが絶対というものではない。

例えば、これらの殊更に有名な台詞に対しても、中屋敷氏はその超有名という呪縛に捕われることなく、柔軟にストーリーに即した訳を与えている。

To be, or not To be - that is the question; (独白の台詞)生きる(やる)べきか死ぬ(やらざる)べきか。。それが問題だ。
Ge thee to a nunnery; (オフィーリアへむかって)尼寺へ行け! 

時にこの部分だけが劇評内で取りざたされる事があるほどのハムレット劇の注目ポイントなのだが(例えば近年ロンドンで上演された、ジュード・ロウ主演、マイケル・グランデイジ演出舞台でも、翌日の新聞にはほとんどがジュードがどのようにTo be..といいう台詞を言ったかという論点の評がならんでいた)、中屋敷氏はそれぞれどのような心境下でハムレットがこの台詞を口にしたのか、そしてその彼の心情からすればもっと比重が軽くてもよいのではないか、という読み解きから独自の解釈=新訳を与えている。

そんな演出家の丁寧な仕事をさらに見応えある舞台に仕上げていたゴージャスな女優陣ーあんなにインパクトの強いハムレットが唯一認める同年代のノルウェー国王子、フォーテインブラス=七味まゆ味も見た事がないし、あれほどチャラくて魅力的な野望ギラギラのクローディアス=コロも見た事ないんですけどーのきっちりとした仕事っぷりももちろんこの舞台成功の大きな理由の一つ。

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2011年9月24日 (土)

無防備映画都市ールール地方三部作・第二部(9/23)

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2011年フェスティバル/トーキョーが始まった。

オープニングプログラムの野外劇ダブルビル「宮沢賢治/夢の島から(ロメオ・カステルッチ/飴屋法水)」はスリランカにいたので見逃したので、今作が今年のフェスティバル観劇のスタートとなった。

FT11 特集記事

従来のホームグラウンド池袋・東京芸術劇場が改修工事のため閉鎖しているため、今年のフェスティバルは屋外公演中心の流浪の公演形式をとることになったF/T。

ドイツ、フォルクスビューネ制作の今作も豊洲の広大な空き地に特設ステージを設置しての上演となった。

もともとは台風が直撃した水曜日の初日に観る予定だったのだが、悪天候により中止、その振替として今晩観ることになったのだが、観客席にかろうじてテントが張られているものの、更地を録音機材といっしょに駆け回る役者やスタッフ出演者たちの上演形態からしてまず雨の日はまともな上演は難しい。ましてやあの台風の中では上演は成り立たないことは必須。

それを考えると、台風時期の屋外公演のリスクの高さはかなりのスリルものー特に海外招聘などの限られた日程の中でー制作サイドの晴れ乞いの祈りの声が聞こえてきそうだ。

台風一過で空もすっきり、豊洲のウォターフロントの絶景が活かされた夜となった会場では、公演の片隅に設置された上演舞台空間にトレーラー車、BMW車(BMWでなければならなかったのかどうかは定かではない)、パトカー、移動舞台、トレーラー車の中の様子と更地を走り回る俳優を映し出す巨大スクリーンが。


**** F/T HPより 作品解説 ******************

資本主義社会、メディア社会に生きるジレンマを、鋭い批評精神と皮肉の利いたポップな手つきで作品化する鬼才、ルネ・ポレシュ。ドイツ西部の都市を舞台にした本作は、爆撃で破壊された街を撮ったロッセリーニの映画「戦争三部作」から着想された。豊洲の広大な空き地に出現する「映画撮影所」。そこで繰り広げられる断片的なモノローグとくだらない遊びの連続には、現代の諸問題をめぐる悲哀とユーモア、深い思索が隠されている。

****************************

ちなみに、イタリア人映画監督ロベルト・ロッセリーニが撮った戦争三部作のタイトルは『無防備都市』『戦火のかなた』『ドイツ零年』。ナチスドイツの独裁下、弱肉強食のルールにより命をおとしていく市井の人々の姿を描いた。今回の劇作品中にも「ドイツ零年」の映画タイトルは度々登場する。

俳優達が豊洲の舗装されていない空き地を走り回り、車が暴走する様子をハンドカメラ、ハンドマイクを手にしたスタッフが追いかけ回し、彼らが語る現代の独裁権力者=資本主義の中枢にいるユダヤ人金融世界の覇者、その構造を冗談まじりに、そしてかなり辛辣に糾弾している様子を巨大スクリーンに映し出す。観客は泥を跳ね上げながら走り回る俳優達を生で視線に捉えながら、日本語訳がついた巨大スクリーンでその内容を確認するというが劇の構造となっている。

戦争三部作の撮影に参加するために撮影所に招集された俳優達という設定の劇での彼らの会話は唐突に始まり、また目まぐるしく変化するアクションの中で、皮肉を孕んだ会話があちらこちらに飛び交うもので、その断片を拾うのにちょっとした辛抱が必要かも。
とくに字幕をおわなければならない非ドイツ語スピーカーの我々にとっては、字幕の断片的な情報を即座に理解するのはなかなかハードな作業。

実際、帰り道で何人かの観客が「内容はぜ〜〜んぜん分らなかったね〜〜」と話しているのを耳にした。しかしながら、その後に「でも、観ている分には面白かった。」と言っていたことも付け加えておかなければ不公平だろう。

そんな目の前の派手なドイツ人アクターたちのアクションと字幕の台詞をパズルのように組み合わせながら、何と言っても大いに感銘したことは、彼らが「たった今、まさにこの瞬間に世界で起きていることを舞台に上げることにトライしている」という点。

昨今の世界情勢、テロにしても環境問題にしても、国家指導者の転覆にしても、、、つきつめれば、全てはこれまで100年以上にわたり人類が妄信してきた資本主義(キャピタリズム)、さらには市場原理型資本主義による上昇方向という道程が、今になってその行き場をなくし崩壊しつつあって、それにともない、その辻褄合わせ、もしくは少しでもそのシステムを持続させるべくの悪あがきが更なる悪循環を起こしているという結果に他ならないという、まさにその点について大いに語っているという、そのコンテンポラリーシアターの役割を果たしているという点が、大いに評価に値する。

今日の危機的状況に警鐘を鳴らしながら、一方で、ただ単に恐怖をあおるだけではなく、それでも人類は過去から学んでいくしか術はない、さらには芸術が関われる可能性に関しても言及しているところが単なるアジテーションではないことを証明している。

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補足:

劇の内容とは直接には関係はないのだが、この劇を観ながら、先日のスリランカ旅行の際に感じたことを思い出したのでその事に触れておきたい。

スリランカ雑記の冒頭にも述べたように、今回の旅行が単なる観光では終わらなかったーインド旅行をした人の多くが語っているように、人生観に大きな変化を与えるような体験だったー理由の一つが、彼らの世界の主流とは違った道を探る生き方にある。

もちろん私たちが見たスリランカが全てだとは思っていないし、見えないところに問題も山積しているのだろうー田舎の人々がその貧困にも関わらずとても心穏やかで幸せそうにみえたと書いたが、おそらくその貧困故の強奪、事件、などは日常で起きているのだろうし、観光業が発展すればするほど今後お金に関する事件、人々の欲なども高まってくるのだとは思うーが、ガイドの人が会話の中でさらりと言っていたコメントの一つでとても驚いたことが「これからどんどん西洋から観光客が増えてきたら、彼ら=農民たちの暮らし・社会も西洋化したり、激変してくると思う?」という質問に対して「う〜〜〜〜ん、いくら外から観光客が訪れても、彼らはその生活スタイルを変えたり、西洋人のようになりたいとは思わないと思う。この国がこれまで長い間それほど変わらなかったように、これからも彼らの生活シンプルな暮らしぶりはそれほど変わらないし、彼らはそれを望んでいると思う。」という答え。

世界中が同じような文化を真似しあっている(グローバル化)先進国の価値感を心地よく打ち破ってくれる、世界最古の文化背景を誇る人々の一言。

その言葉を聞いて、ここらでただ上を目指すという妄信的な資本主義信仰を捨てて、くるりと180℃反対を向いてみて、違う景色を見てみることこそが、もしかしたら賢い選択なのかもしれない、と。

でもって、そんな違った景色を想像の産物として有効的に見せる事が出来るのが`演劇’なのかもしれない、と。

長く言われ続けていることだが、その意味でも西洋のもの真似演劇はそろそろ辞めにしてみませんか?

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合唱曲第58番(9/23)マチネ

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田上パル第12回公演「合唱曲第58番」を彼らがアソシエイトアーティストとして拠点の一つとしているキラリふじみで観る。

作者(演出家)田上豊氏の自伝的作品で、彼の幼少時に過ごした熊本での小・中学校時代のエピソードをもとに大人になってから見直した`子どものそれなりにややこしい人間関係の世界’を劇にしたもの。

今日の都会の小中学校ほどに複雑ではないものの、当人達には当人達なりに気を使う、そして小さなコミュニティーとはいえ上下関係、グループ内での役割分担などが出来上がっている様がデフォルメの笑いとともに描かれている。

あこがれの女の子の扱い方、女子教師への妄想、ちょっとぶっとんでいる変わり者の同級生、いじめられっ子、ちょっとした友人との行き違い、それにともなう心のしこり、、、などなど、観客それぞれがどこかしらで共感出来るような話でまとめあげられている。

おそらく、懐かしく、そして良い(部類)思いでとして本人の記憶に残っているのであろうスウィートビターなお話は、皮肉なことに劇として出来上がった時にいつもよりはちょっとパンチの効きが弱い`良い’お話に傾いてしまっていた。


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おしまいのとき(9/22)

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ポツドール三年半ぶりの新作公演(!そんなに〜〜〜、ってものすごく驚いた)「おしまいのとき」をスズナリで観る。

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2011年9月22日 (木)

新・幕末純情伝(9/21)マチネ

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これまでにも何回か違ったキャストで観ているはずの芝居なのだが、今回ほどその台詞一つ一つがずっしりと響いたことはなかった(それは舞台の出来とは別に)。

こんなにスゴい戯曲だったんだな、とあらためて気づかされ大いに感心した。

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朱雀家の滅亡(9/20)

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新国立劇場で宮田慶子芸術監督による新シリーズ「美x劇」ー海外の近代劇の劇作法を受け入れながら発展してきた”日本の劇”を、日本独自の美意識との出会いという視点からその意義と魅力をさぐる企画(プログラムより)ー第一弾、三島由紀夫作「朱雀家の人々」の初日を観た。


*********あらすじ 演劇サイトより*********

ギリシア悲劇の古典であるエウリピデスの『ヘラクレス』をベースに、太平洋戦争末期のある華族の滅亡を描く三島由紀夫晩年の名作である。盲目的なまでに「国家」や「天皇」へ忠誠心を捧げることを信条とする男と、対照的に、現実を生き、愛し、生身をさらけ出す女が織りなす壮大な滅びの物語が、三島の流麗な文体にのせて描かれる。

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まずは、今、国立劇場でこれをやる時なのかどうか?ーーーというのが大きな疑問として残った。

日本独自の美意識についてみんなで(国立劇場なので国民みんなで)考えるのに適した`今’なのかどうか?。。

三島の屈折した国家論と愛国論、その対極にある自己矛盾とそれを肯定出来ない至極人間的なプライド。そんないたく個人的な人間の内省心理観察はもっと国家に余裕があるときに引っ張り出してきて好きなだけ議論すれば良いのではないか?なんて。

それよりもみんなが国立劇場で観たいもの、意見を出し合いたいものがあるんじゃないか?

本劇においての一つの大きな考察である「何もするな。何もせずにおれ。」という一つの美意識に基づいた行動体系に関しても、今日の日本の情況下においてはかえって寒々しく、とても陳腐な言い訳ににしか響いてこない。

ミニマリズムのステージセット、効果的なライティングは感心したが、若手二人の口先だけの三島戯曲の台詞術にはちょっと興醒め。

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キネマの天地(9/19)マチネ

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2週間の空白を埋めるために早速の劇場通いを再開。
ーあ〜〜〜、またこうやって日々が飛んでいくのね〜〜〜。コンピューター無し/観劇無しのスリランカも東京での観劇も、どちらも極楽!これが選べるというのはまさに贅沢の極みですな〜〜〜。ー

で、新宿 紀伊国屋サザンシアターにて井上ひさし作・栗山民也演出、麻美れい、三田和代、秋山菜津子、大和田美帆の4女優の華やかな競演で見応えたっぷりの芝居「キネマの天地」を観る。

*******あらすじ*******

築地にある映画撮影所には前述のそれぞれの世代を代表する映画会社が誇るスターさんたちが新しい映画の打ち合わせということで招集をかけられていた。
彼女たちを呼び出した張本人、映画監督でさらには彼女達のもう一人のライバルで昨年急死したもう一人の看板女優の夫=映画監督でもある小倉虎吉郎(浅野和之)が仕組んだプロットとは?

*************************


86年公開の映画版「キネマの天地」は観ていたので、そのようなかけ出し女優・田中小春(有森也実)のシンデレラストーリーを頭に描きながら芝居を観たのだが、舞台版は映画そのままという訳ではなかった。

映画版は松竹大船撮影所開所50周年記念作品ということで、共同執筆(井上ひさし、山田太一、山田洋次、浅間義隆)であったのだが、その直後、その後の小春という設定で井上ひさしが舞台版として書き起こし上演された舞台版「キネマの天地」では、お話は小春の成長物語という設定からははみだして、小春だけではなく大女優たち4人の生き様から垣間みる「女優という特殊な人たちについて」の考察、さらには彼女らがそれほどまでに一生懸命になる映画・演劇とは。。「演じるとは、舞台とは。。」といった芸術(演劇)讃歌に仕上がっている。さらにはその全体を構成する大枠組みとして殺人犯を探し出せ!というミステリー手法が使われていて、その犯人探し、そして思わぬドンデン返し、と2時間半の舞台で瞬きする暇もないほどの密度の濃い舞台となっていた。

まさに舞台女優の中の女優といった選りすぐりの面々が織りなすアンサンブルは誰の場面でも遜色がなく、かといってアンサンブルに不協和音が響く箇所もなく、プロのお仕事をすっかり堪能させてもらった。新人女優役の大和田美帆がベテラン実力派女優陣にまったくひるむところがなかったのも好印象を残した。


女優たちが自分たちの仕事、役割について語る台詞が多いのだが、その随所に井上氏の芝居への絶大なる敬意が感じられ、この理念さえしっかりと心に刻み、舞台をつくっていけば、必ずや道が開ける!と昨今の演劇文化の停滞に対する一つの訓示として提言したい、と思われるほどであった。


素晴らしい舞台を観た後の観客がどんな顔で劇場を後にするのか、、、それをこの目で確認出来て良かった。


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スリランカ旅行雑記(12)最終章 景色とその他

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学校の校舎に大きく書かれていたシンハラ文字とタミル文字のアルファベット。その隣の校舎の壁にはローマ字アルファベットもあった。


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海岸線でみみつけた風力発電装置。
ちなみにスリランカに原発は無く、水力発電が主流とのこと。


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まさにパラダイス、これに関しては言う事ないっしょ!

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スリランカ旅行雑記(11)おまけ編 デコトラ

日本で言うところのデコトラならぬ装飾したトラックやバス。
KYさんがはまっって撮りまくっていたのでその一部をご覧あれ。

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日本の中古トラックもそのままの姿で走っていた。

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スリランカ旅行雑記(10)市民

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日中、街で見かけた人々。
バスが交通手段の主流で、午後一時ぐらいの学校からの帰宅時間、そして夕方の会社からの帰宅時間にはバス停でバスを待つ人々が楽しそうに会話をしているのをたびたび見かける。

白い制服を着た女子学生たちはまずその99%が長い黒髪の三つ編み姿。経済的理由プラス宗教上の道徳的理由からなのだろう、茶髪だのベリーショート(本当に小さい子ども達にはショートカットの刈り上げちゃんが多い)、パーマなんていうスタイルは皆無。
日差しをよける傘を友人とシェアしながら、本当に楽しそうに友人グループでおしゃべりをしながら帰路につく子ども達。
外国人の私たちをみかけると`ハロー’と声をかけてくる男の子たちなども多く。
本当に可愛い。イジメとか引きこもりなんてないんだろうな〜。


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シーギリヤの遺跡地周辺を囲んでいたお堀で水浴びをする家族たち。カメラを向けてもイヤな顔をするどころか手を振り返されるオープンさ。

でも、よくよく見るとその脇の看板にはワニに注意!!!の立て看板が。

その点について`怖くないの?’と聞いてみると`ここのワニは草食だから大丈夫’との返事が。。。マジっすか?

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観光地で車を降りた途端に近づいてくるお土産物売りのお兄さん、おじさんたち。
それでもしつこいイヤな感じはまったくなく、インド旅行を経験している我が家のKYさん曰くは「インドだとこの何十倍も人だかりができるし、時にはちょっと恐怖感もある。財布を盗まれないようにいつも気をはっていなければならないけど、スリランカではそんな緊張感はあまりない。」とのコメント。

実際、彼は物売りの人たちとの会話も毎回楽しんでいて、その結果、今我が家には木彫りのネックレスだの石だのがいっぱいある状態。

一度などは急勾配の坂を登った上にある寺院を訪れた際に、いつもながらノロノロと観光していた私たちが気づいた時にはあたりはかなりの暗闇に。街灯などないその山道を物売りのお兄さんが手を引いて引導してくれた。KYさんがぜんそく持ちということもあり、かなり苦しそうだったので`年上の人が困っている=助けてあげなければ’という仏教思想良い方に加担してくれたのかも。
最初は警戒していたのだが、結局、最後まで手厚くヘルプしてくれた。道すがりいろいろとお話もして。。。まあ最後にはお礼のチップははずむのですが、それでも東京値段で言えばコーヒー代ぐらいだから、ね。


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高原山岳地のデコボコ道を舗装工事していた肉体労働のおじさんたち。
どこにでもお調子者のハッピーなヤツはいるもので、真ん中で`イエ〜〜〜ィ’と叫んでいる人がまさにそれ。
コミュニケーションは外国語能力ではないという良い実例。
こうゆう人が仕事仲間に一人いると、それだけで仕事が楽しくなるかも。


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観光地の滝壺で水浴びをするローカル市民たち。車を乗り付けて多くの人がつかの間の冷をとっていた。


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道すがら出会った子どもの僧侶。
スリランカでは7歳を過ぎれば誰でも出家して仏門に入ることが出来るらしく、子どものオレンジの袈裟姿も多くみかけた。
家庭の経済的な理由から早くに子どもを寺に出す家も多いとか。
途中で進路変更をする子もいるとのことだったが、劣悪な経済環境で育つよりも、友達たちが沢山いるお寺での修行を経る方が教育上も良いのかも。


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南西部の海岸線には長くリゾート観光地が続いている。
ウェスタンの若者達には得に人気の地域でラグジュアリーホテルに泊まりながらサーフィンを楽しんだり、ゆっくり海辺のリゾートを満喫していく若者達が多く訪れているようだ。

そんな中、夕方の海岸で見つけたのが地元の子ども達が浜辺でクリケットをして遊んでいる姿。
クリケットはスリランカでも一番人気のスポーツらしく、街中に立派なクリケット場があったり、街のスポーツ店の一番目立つところにクリケット用品が置かれていたり。
イギリス統治が長く続いた影響はそんなところにも。

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やはり南西部の海岸での一コマ。観光名物にもなっている海の杭に座りながらの竿釣りの漁師の姿。


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市民の足として大活躍のスリーウィーラー(三輪車)。車、バス、バイク(ちなみに法律ではバイクは250ccまでと規制されているらしいのだが、、それよりも大きいバイクも多々見かけたんですけど)が縦横無尽に突っ走る中、このスリーウィーラーがスルリスルリと駆け抜ける様はまさに神業。

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スリランカ旅行雑記(9)スリランカ伝統芸能


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スリランカでの唯一の観劇体験。スリランカ第二の都市、キャンディで伝統芸能のキャンディアン・ダンスを観た。
観光客向けに毎日上演されているということで、カメラのフラッシュがバンバンたかれる中、かなりゆる〜〜〜〜い感じでのこなれたステージ。

民族衣装で踊る女性群舞の中、赤い衣装の5人のダンサー中央の女性に注目。
両脇4人が笑みを浮かべながら愛嬌をふりまき踊っているのを尻目に彼女の動きがキレまくっていた。
(この腕の角度を見よ!ちゃんと身体を使えばこうなるのよ!という見本)
彼女はきっとダンスが好きで、でもって精進しているんだろうな〜〜〜〜、回りの先輩たちの馴れ合いダンスに業を煮やしながら。。。。なんて、余計なお世話?!

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男性舞踊のパートの一部。歌舞伎の連獅子を彷彿させる獅子二頭によるダンス。クライマックスではかぶり物の頭部を大きく振りまわしながらの熱演。。。。連獅子そのもの。

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その他にも、皿回し曲芸(染之助・染太郎)的なダンスもあり、、、、日本の伝統芸能も太古にはスリランカあたりの影響をかなり受けながら発展したのだろうなということは容易に想像出来る。

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スリランカ旅行雑記(8)サファリ 動物

サファリ国立公園で見た動物たち。

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色鮮やかな鳥が数多くいて、その綺麗さに目を奪われる。

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岩場でくつろぐヒョウ。

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水から上がったところのワニ。

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羽は広げてくれなかったが、孔雀も数多くいた。

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やっぱり、目立つゾウ!

ここからは、寺院の庭、道路脇などでたびたび出会った動物たち。

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サルは街のあちらこちらで出没。やっぱりちょっと南国風のホリの深いお顔立ち。

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象よりも身近なスリランカの人々と共存している動物と言えば犬!

なぜか猫の姿はあまり見かけなかったが、犬は道ばたでも遺跡地・寺院、山道、街中どこでも見かけた。
みんな暑い中で、かなりグータラしていて、車道でもぎりぎりまでどかないでタラタラと犬同士でじゃれあっているので、車の中ではかなりハラハラとしたものだ。
この写真に写っているようなとってもシンプルなとっても`犬’らしい犬が大半で、日本で見かけるような外来種ースパニエル、プードル、ブルドッグ、ダックスフンドなどなどーはまずいなかった。(ホテルで飼っているビーグルには一度会ったが)

スリランカで犬を見るうちに?と気づいたことなのだが、日本では去勢したり身綺麗にした愛玩犬ばかりなので忘れていたような♂♀を示すものがちゃんとしっかり残った状態の犬ばかりで、初めはちょっと違和感のあったものの、、、こちらが本来の姿なんだな!と。
また、暑さのせいかメタボな犬もまず皆無。それゆえその性別を示すサインがまたくっきりと存在を示していた。

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スリランカ旅行雑記(7)食べ物・マーケット

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干した魚の専門店。

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ヌワラエリアの街の中心で庶民の台所、マーケットを散策。

トロピカルフルーツ、いろいろな色のお米、スリランカ野菜、豆類の袋がならぶ店、鮮魚店、肉屋と専門店がずらっと並んでいた。

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道ばたの露店で売られている色鮮やかなフルーツ。バナナも豪快にひと枝ずつディスプレイ。


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カードという水牛の乳からつくられたヨーグルトを専門に売る露天商。

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スリランカ旅行雑記(6)象

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聖なる動物として崇められている象はスリランカの至る所で遭遇することが出来る。
それは2000年前の遺跡に刻まれたモチーフであったり、もちろん今スリランカで生息している生きた象たちであったり、とその形は様々。

実際、象が住んでいるという地域を車で走っていた際に舗装されていないその道を象の親子三頭が横切って行くのを目撃。

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肉食ではないにしても、地上最大の動物の機嫌をそこねたが故にペチャンコにされてはたまったものではない。
旅行者ならば思いがけない象との遭遇は何ともラッキーな出来事と歓迎するのであろうが、日々の生活で共存するスリランカの人々にとって象も時には招かざる客となることも。

せっかく実った農作物を踏みつぶされないように、象の往来を監視するツリーハウスが畑の中に作られていた。農夫たちは交代で象の見張りをし、象が見えると爆竹などで追い払うのだそうだ。

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ピンナワラではジャングルで親とはぐれた子象や怪我をして家族についていけなくなった象たちを集めて保護している。
ここへ行けば飼育係がきちんと監視してくれているので、象に触ることも出来るし、子象に大ボトルの特製ミルク瓶からミルクを与える体験もさせてくれる。

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スリランカにはあちらこちらにかなり大規模なサファリ公園があり、ジープで動物観察をすることが出来るのだが、ここでも象は一番の人気動物。
3時間ぐらいのショートコースでも、かなりの確率で象の群れを目にする事が出来る。

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前述の道ばたでの象とのご対面が日常の出来事であるという証拠で、象の横断に注意の立て看板。


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2011年9月21日 (水)

スリランカ旅行雑記(5)茶畑 ヌワラエリヤ

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セイロンティーとして世界中に名を馳せているスリランカのお茶は主にヌワラエリヤなどの高地で栽培されている。
さらには栽培地の高度によって等級分けがなされ、世界各国にブレンド用の茶葉として輸出されている。(純粋にその土地の茶葉だけを使用したお茶は少なく、ほとんどの紅茶メーカーでは(リプトン、PGなど)いろいろな産地の茶葉をブレンドして製品を作っているそうだ)

紅茶工場は見学コースが組まれており、もちろんその最後には併設ショップでその地域のお茶が買えるようになっている。

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紅茶製造工場を訪れた日はあいにくの冷たい雨の日だったのだが、工場周辺に広がる茶畑では日課の茶摘みが行われていた。

茶摘みは主に女性の仕事で朝8時から5時までの重労働。それこそモンスーンの雨の中でも行われ、平均月給は1万4千円ぐらい。それでも社員への住宅提供、子どもの学校補助、などの福利厚生が充実しているという理由で、それほど悪くはない仕事ということになっているらしい。
妻が日中茶摘みをしている間、夫は与えられた土地で野菜を栽培。それらを道ばたの露店で売って生活の足しにしているということだった。

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スリランカ旅行雑記(4)天空の宮殿 シーギリヤ

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5世紀の後半、正統な血筋の腹違いの弟を裏切り、短い間王の座についたカーシャバ王がその弟の逆襲を恐れパラノイアに陥った末に築いたのがこの切り立った岸壁の上に築き上げた宮殿。

今ではその岩の上の宮殿跡を観るために多くの観光客が急な鉄製階段を汗を流しながら登っている。

1400年前に岩肌に描かれた美女の壁画は何百人といた当時の王の妾衆の画図。肌の色も髪の色も違った美女たちの半裸像がいまだに鮮やかに残されている。

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2011年9月20日 (火)

スリランカ旅行雑記(3)ラグジュアリーホテル

前述したように先進諸国と比べてまだまだとても物価の安いスリランカでは、普段は手の届かない贅沢な4つ星ホテルにも泊まれるので、この際いろいろなタイプのラグジュアリーホテルを試してみることをおススメする。
ーツーリストタイプのウェスタン式から英国植民地時代の面影を残す建物が利用されたホテル、リゾート地に多いラグジュアリータイプと様々。オフシーズンということもあってか、ほとんどのデラックスルームを6000円ぐらい(2人部屋)で泊まることが出来た。食事はツーリスト向けにスリランカメニュー、ウェスタンメニューとバラエティーに富んだ皿が並ぶビュッフェスタイルがズラッと並ぶのが定番で、朝から満腹状態で満足すること間違いなし。ー

暑い国ならではの石の床と天井の大扇風機が気持ちよい。

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キャンディの中心に位置する老舗コロニアル型ホテル、クイーンズホテルのバー。

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アヌラーダプラにあるコロニアル型小規模ホテルティッサウェワ・レストハウス。

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この写真にある眺めーホテルの中庭から見えるシーギリヤロックーが第一の売りのサービスも設備も快適なツーリストタイプホテル、ホテル・シーギリヤ。中庭では人気のスポーツらしい、バレーボールとバドミントンのコートを発見。

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紅茶の産地であるヌワラエリヤにある高級コロニアルホテル、ザ・グランドホテルの地下にあるバー。
赤いソファーとムードある照明の広々とした空間で、さらには満点のサービスで言うことなし。

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今回は宿泊してはいないのだが、やはりヌワラエリヤにある純英国風のホテル、ヒル・クラブ。
庭も完璧なイングリッシュガーデンで色とりどりの花が咲き乱れていた。


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ヒル・クラブの回りには多くのゴルフコースが。

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ガイドさん=ショーファーが紹介してくれた国立公園のあるティッサマハー・ラーマヤにあるプリアンカラホテル。部屋かのテラスからプールが眺められるように設計されている。内装もかなりおしゃれ。

そのホテルからすぐの所にある、シーフードで有名なレストラン(こちらもガイドさんが紹介してくれた)。写真の海の幸盛り合わせは2人前で食べきれないほどの量。日本ではまずお目にかかれない特大ロブスター2尾にカニ、ツナ、イカ、サーモン、エビとてんこ盛りになっていて4000円ぐらい。ーまあこれもツーリスト向けの割高料金なのだろうが、それにしても安い。

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ツーリスト向けにウェスタン使用で作られたホテルではなく、ヌワラエリヤの高原地帯の最高峰にある村エッラで泊まった山小屋風ホテル、エッラ・ギャップ・パノラマホテルからの絶景。
全ての部屋がビューサイドになっていて、その部屋のベランダからの眺めは一生忘れられないほどの言葉では言い尽くせないほどの百万ルピーの価値あり。

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スリランカ旅行雑記(2)寺院etc.

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メインの観光ルートには入っていないのか、巨大な屋外石像にもかかわらず観光客がほとんどいないので、静かな環境で鑑賞することが出来た。
スリランカで仏教関連遺跡、寺院などに入る場合は裸足、そして脱帽しなくてはいけないのだが、灼熱の太陽で熱くなった石、砂利の上を歩くのはちょっとした拷問状態。この屋外遺跡でもアッチッッチと足で飛び跳ねながら写真をパチり。


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例えばこんな風に寺院の入り口付近には脱いだ靴がたくさん放置されている。
まず、盗まれる心配は少ないのだが、多くの人が集まる場所では混雑からの紛失を避けるためか、靴預かり係のような人が50円ぐらいで靴をきちんと預かってくれる。


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アヌラーダプラ
紀元前(!)500年に王が統治する都として栄えた土地で多くの遺跡が残っている。
これは聖地の入り口を示すムーンストーンという石の装飾。
それぞれの輪っかの絵柄には仏教思想が反映されていて、例えば外側の輪っかの動物たちは人の一生(牛、象、馬、ライオンそして牛へとまた続く)が輪廻の状態で巡ってくることを示している。
アヌラーダプラのこのムーンストーンは世界最古のもの。

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ダンブッラの石窟寺院内の仏像。
山の中腹に作られた5つの部屋かななる石窟には壮観なほどに色鮮やかな多くの仏像が並んでいる。

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アヌラーダプラの宮殿跡遺跡。


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ポロンナルワの涅槃像。
10〜12世紀に首都であったポロンナルワにある、巨大な屋外仏陀像3体のうちの一つが仏陀の死して横たわる姿である涅槃像。たおやかな寝姿と穏やかな顔で思わず見入ってしまう。平日にもかかわらず、仏像前には白いお参りの正装で訪れた市民が列をなしていた。ちなみに仏陀は歴史上実在した人物で、わたしたちと変わらない人ー他の宗教では`神’という呼称のもとに特別な存在としての天空人を崇拝するがーだということ。でもって2500年ごとに新しい次世代仏陀に変わるといわれている。

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どの街にも、それもそこここにあって、大きさもマチマチなStupa(仏舎利塔=円形の供養塔)。
白い円形の建物が美しい。

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スリランカ旅行雑記(1)

我が家でお誕生日記念旅行ということでどこかへ行こう!という話が出たのが本格的な夏の前。南フランス、イギリス、オーストラリア、北海道、沖縄。。。などなどいろいろな案が迷走した挙げ句に「スリランカ」に決定。

我が家のKYさんは30年ぐらい前に一度、イギリスから訪れたことがあるらしいのだが、その時の印象がすこぶる良く、ぜひまた一度は訪れたいと思っていたらしいのだが、たまたま我が家の近所にスリランカの人が住んでいてその人と道で話す機会があり当時のことを思い出したららしく、一気に盛り上がりスリランカホリデーが確定。

今、ヨーロッパではちょっとしたスリランカホリデーブームでもあるらしく、年末にスリランカ旅行をしたロンドン在住の友人から情報を仕入れ、ネットを駆使して日本からホテルを予約、キャセイパシフィック航空での香港経由、ほぼ一日を費やしてコロンボへ飛んだ。

9日間のスリランカ旅行を満喫。

手つかずの自然が多く残る景色、信仰の厚い市民の憩いの場でもある多くの仏教寺院、世界遺産などなどの景色も素晴らしかったのだが、何と言ってもスリランカの人々のピュアな笑顔に、多くのことを考えさせられー現代人の多くが向っている方向についての疑問ー、実に貴重な旅となった。

写真と一緒にそんな旅を振り返ってみよう。


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ゴムの木から天然ゴムを採取している農民のおじさん。
一緒にキングココナッツも栽培していて、道ばたの露天商で売っていた。ココナッツは捨てるところは無いらしく、肥料や食料として島の多くの箇所で栽培・販売されていた。


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観光ドライブの途中で会った地元市民たち。
ー多くの旅行者が現地で旅行社が手配するショーファー(運転手)を頼み滞在中その運転手さんと一緒に旅行するというシステムをとっている。第一にスリランカの道路事情=運転事情が独特(三輪車やバスが手荒な運転で走り回っている)で初めての旅行者がレンタカーで回るのはなかなかストレスのかかるものであること、そして第二に物価がとても安いの全行程を頼んでしまった方がかえってリーズナブルであるということからこの方法がポピュラーであると思われる。ー

カメラを向けてもイヤな顔をする人はほとんどいなくて、みんな満面の笑みを返してくれる。

この男の子と女の子も初めは隣同士に座っておしゃべりをしていただけだったのだが、我が家のKY君が声をかけたら、キャッキャとはしゃぎながら男の子が女の子の肩に手をかけて得意な顔を見せてくれた。Img_7400

リゾート地の海外道路で海で釣った新鮮な魚を売るおじさん。

この時も車の窓から声をかけたら、すかさず魚を捌くポーズをとって微笑んでくれた。

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2011年9月 6日 (火)

ノミコムオンナ(9/5)

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Gross und Klein-大と小(9/5)マチネ

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今年6月にオープンした上野ストアハウスでTPTの79回目公演、ドイツ人劇作家ボート・シュトラウス作、手塚とおる演出の「Gross und Klein」を観る。


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謎の球体X(9/2)

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2011年9月 2日 (金)

前向き!タイモン(9/1)

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ミクニ・ヤナイハラプロジェクト(矢内原美邦による演劇作品)Vol.5「前向き!タイモン」ーシェイクスピアの「アテネのタイモン」、その響きに魅せられ、シェイクスピア劇上演という課題が与えられた際に迷わずこの作品を選んだという。作者自身が語っているように、原作の名残はほとんどないが、悲劇の中で`それでも生きる’人間の性を扱った主題に関してはきっちりとその形を作品に残しているーを満場盛況の駒場アゴラ劇場で観る。


話を要約してしまうと、あまり良い目にあっていない人々ータイモン(大門)(鈴木将一朗)、りんご果樹園の農民(山本圭祐)とメイド(笠木泉)ーが目まぐるしく過ぎる日常の中で、その不幸を振り返りながら、日々を精一杯過ごしている様、さらにはそんな過酷な日常にもめげず明るく未来を夢見て生きる様を描いている。

コンテンポラリーダンス界の巨匠、矢内原が目指す演劇は身体が音となり動きとなり、一つの淀みない流れを有した作品として出来上がっていること。役者たちは機関銃のごとき早さで、連続して台詞を語り、それと同時にかなり身体的な動き(振り)をその言葉にのせていく。

それゆえ、開幕からエンディングまで、役者たちがその流れを止めたり、崩したりすることはなく、戯曲を体現して伝えるお芝居というよりは、やはり限りなく一つのコンテンポラリーダンス作品のような出来上がりに近づいている。
面白いことには、この一見ハチャメチャとも思えるダンサブル演劇、既存の演劇にはない新しい試みとしての価値を十分に発揮して、見事にその成果をここに挙げ、さらなる演劇の可能性をきちんと示している、ということ。

バブルで浮かれる人々ークリスマスの本来の意味も忘れ、それでいて毎日クリスマスに興じているような人々、が止まることなく忙しく走り回る大都会、東京。そんな中、マネーゲームに踊らされ、気づいてみたら全てを失っていた。。。。そんな絶望の中、希望の光は彼らの明るさであり、メゲない精神。

そんな日本への応援歌として、きっちりと今日の日本を表現してくれいていた。

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2011年9月 1日 (木)

身毒丸(8/30)

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天王洲アイル銀河劇場で彩の国埼玉芸術劇場制作のニュー「身毒丸」を観る。

最近、話を聞いた人たちが「今や公共劇場も商業劇場も中味が同じですから。。(それぞれの役割分担がなされていない)」といった話をやたらとしていたので、ふむふむ、これがその現象を顕著に表しているホリプロ&埼玉公共劇場というパターンなのね、と感慨を新たにするー(ちなみに、他にもホリプロ&芸劇なんてパターンもあり。。。、まあその他にも世田パブ&なんとか、とかいろいろなパターンあり)。


今回、主役キャストを一新、これまでの継母/白石和子が大竹しのぶに、屈折したマザコン少年・身毒丸/藤原竜也がオーディションで選ばれた新人矢野聖人へとバトンタッチ。


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これまでの白石&藤原コンビの最近の公演のポスターがこちらだったのだが、今回の11年版では上記のように、継母ー撫子の比重が大きくなっている。

でもって、演出に関しても、このポスターに既に表れているように、大竹しのぶの魔性の女的継母役にスポットライトの照準があわせられている。

身毒丸のマザコン=近親愛、幼児&同性性愛という感情による憤懣、苦悩から破綻していく様を描いていた前回から、今回は女の苦悩、男による我が身の安泰保障、それにしても満たされない性愛欲、さらには世間体と身近にいる少年からの誘惑、、、とすべてが撫子目線で話が進んでいく。

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