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2011年8月

2011年8月28日 (日)

門番の秋(8/28)マチネ

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先月に引き続き、新宿ゴールデン街劇場で、東京乾電池主催、定期公演、月末劇場ー「門番の秋」を観る。

座付き作家、加藤一浩氏の09年初演作品の再演。

郊外の街に住む、男二人ー街の電気屋と彼女に部屋を追い出された若いニートーと女二人ースーパ―の安売り情報が気になる普通の主婦と父親に結婚しないのか?と心配されている娘ーによる人生を1時間に凝縮して描写した会話劇。

4段ほどの石階段が原っぱらしき街の一画に唐突に置かれた舞台では通りかかった男女4人の会話がダラダラととりとめもなく続いている。

団地の住人に関する又聞きの噂ばなしをする女性達、人生におこったちょっとした個人的なトラブルを唐突に話し始める人、話相手の答えを期待しているのかいないのか。。。そこにはすれ違う思いがあり、他人のあやふやな情報に翻弄される姿があり、かと思うと思いがけない人情があり、恋愛の告白があり、ちょっとしたタイミングのまずさがあり、、食べて、話して、考えて、悩んで、言いたいことを飲み込んで、。。。

一見、まったくつながりのない会話の連続で、とりあげるほどのドラマ性も無い、何の変哲もない小市民の会話のようにみえるこの劇。
しかしながら、このミニマリズムの劇作と間を十分にとって想像力を喚起させる演出の中に、言わなければならない人の日常の営みの全てが詰め込まれている。

最後にちょっとした劇のネタばらし的な、観客へのサービスの台詞で締めくくられているのだが、もしかしたらそれさえも、観客に委ねて、省いてしまってもよいのかも。

それにしても、加藤一浩、でもってそれを体現出来る東京乾電池の俳優たち、スゴすぎる。

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コンドルズツアー2011「グランドスラム」(8/27)マチネ

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2011年8月24日 (水)

星の降らない夜明け前(8/23)

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Caesiumberry Jam (8/23)マチネ

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奇ッ怪 其ノ弐 現代能楽集VI(8/22)

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そして誰もいなくなった(8/20)マチネ

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吾妻橋ダンスクロッシング2011(8/19)

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父と暮らせば(8/18)

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2011年8月16日 (火)

automata(8/16)マチネ

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林竜之助(作・演出担当)・田中壮太郎(翻訳・演出担当)・本多新也(俳優)の3人によるプロデュースユニット演劇企画体ツツガムシの新作舞台(林氏作、田中氏演出&出演)「automata」を新宿三丁目、Space雑遊で観る。

******劇団HPより************

「およそ世にある見世物の類の中で、『メルツェルの将棋差し』ほど、世間の耳目を集めたものはあるまい。それが実演されたところではどこでも、すべてものを考える人の強い好奇心の的となった。しかもメルツェルの将棋差しのからくりは、いまだに解明されぬままとなっている。(エドガー・アラン・ポー著/小林秀雄・大岡昇平訳『メルツェルの将棋差し』より)」

 ポーが、この奇妙な自動人形に関する論文を発表したのは1836年のことで、当時、興行師のメルツェルは合衆国を巡業中でした。この自動人形は文字通りチェスを指しますが「指す」というのは、ただ機械的に駒を動かすということではありません。驚くべき棋力でもって、挑戦者(人間)をことごとく負かしてしまうのです。この不思議な見世物には様々な憶測が飛び交い、謎解きが囁かれました。ポーの論文も、つまるところその一つに過ぎません。結局、この自動人形はメルツェルの死後、1854年に火事で消失してしまい、とうとうそのからくりは永遠に解明されぬままとなってしまいました。

 この人形はもともと、ハンガリーのケンプレン男爵によって、1769年に発明されたものでした。当時、政治的な事件で追及されていたウォルスキーという将校(世界的なチェスの名手でもあった)をロシアから引っ張り出すために、「挑発」として作られたのだ、という噂もあります。とにかく、この自動人形はヨーロッパ大陸の各都市で公開された後に、ロンドンでメルツェルの手に渡り、果ては遠くアメリカまでやってきたのです。

 自動人形を指すオートマタの語源はギリシャ語の automatos (アウトマトス)で「自らの意志で動くもの」という意味です。そんな自動人形が80年以上にも亘る長い旅の中で見てきたであろう様々な人間模様に思いを馳せるツツガムシの第四弾、どうぞお見逃し無く。

***************************

この「メルツェルの将棋差し」と言われた自動人形を話の軸に、ある奇術興行旅一座に起きた人生悲劇を描いたウェルメイドでウェルミステリーな芝居。

Space雑遊の小スペースに円形枠で囲まれた小さな奇術興行ステージ(サーカスの円形ステージのようなもの)を造り、19世紀の興行一座ー団員の面倒をみるために人一倍苦労しているにもかかわらずひょんな事から何かと誤解されてしまう座長エディー(高川裕也)と献身的な美人妻ローラ、団員の力自慢、怪力男チャーリー、腹話術師のペペとその人形マオ、そして新たに加わった天才将棋差し、陰の男ガスーが時代に即した衣装を身につけ一種特有な旅芸人達を演じる。ー腹話術師と人形(役)の人形ぶり、そしてフェリーニの「道」を彷彿させる愚鈍で心優しい怪力男チャーリーのキャラも立っていて、観ていて楽しいー

最終的に親子二代に渡って、人生における抗えない運命、不運、双方思い違いによる通じない思いなどを複数の主要エピソードを交えながら描いていくのだが、見事なほどに`きれい’にものがたりが仕上がっている。それぞれの役に人間善があり、それでも過酷な運命が待ち受けていて、ある者は自己をコントロール出来なくなり、ある者は自己肯定のあまり他者を恨み、、、そのようなそれぞれの感情が人生を大きく狂わせるような事件を引き起こし、観客は随所に散りばめられたヒントを拾いながら、この一座の行く末を推理していく楽しみを味わう。

のだが、、、見事に納まった芝居を見終わって、沸々と湧いてくるMore もっと。。。!という欲求は何なのだろう。

ある意味、あまりにもきれいにまとまった芝居であるがために、`おはなし’というものに懐疑的な印象を持ってしまう。。。所詮、ストーリーで語れることはこのスケールなのか?と。

お芝居がそのおはなしで型どられたアートであるとしたら、、、ちょっとその可能性に疑問を持ってしまうような。。。。だったら、型破りでも良いので、むしろもっと破天荒な、アンバランスな、予測不可能な、そんなものを、(特に若い作り手なので)今までに観たことのないような、そんなものを呈示してもらってもよかったかも。なんて。

ま、それもこれも、ケースバイケースであるのかもしれないー時に、絶対的バランスのとれたおはなしに癒される人たちもいると思うのでーが、こんな時だからこそ、さらに赤裸々に、余り余るほどのエネルギーが収集のつかないような、そんなものをぶつけてくれたら、唸りながら受け止めるような気がする。

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ゲゲゲのげ(8/15)

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座・高円寺で渡辺えり率いる劇団、劇団3○○、その後宇宙堂、さらに改めオフィス3○○(さんじゅうまる)の82年初演戯曲「ゲゲゲのげ〜逢魔が時に揺れるブランコ〜」2011年バージョン(音楽劇)を観る。

80年代、小劇場ブーム時には大変お世話になった劇団3○○。渡辺えり子(当時はえり子だった)はもちろんのこと、青い眼(青かったかどうか?は不明)の(外人顔の)日本人俳優東銀之助、もたいまさこ、そしてトヨエツ(豊川悦司)。。。と個性豊かな俳優陣が時空を飛び越え、ふすまから世界が開ける渡辺えり子のイマジネーション溢れる劇世界をエネルギッシュに見せてくれた劇団で、小劇場四天王(そんなもの?なかったけど)の一翼を担った人気劇団。98年解散するも、その後宇宙堂と改名し、若手俳優たちと再スタートをする。その後03年からはオフィス3○○として活動を続けている。


今回の「ゲゲゲのげ」は83年の岸田國士戯曲賞を受賞した戯曲。

賞を獲ったからという理由からではなく、今回26年ぶりの上演舞台を観てみて、、、新たに2011年に上演する価値のある「良い戯曲だな」と感じた。

******劇場HPより*********

いじめられっ子だった作家自身の体験を元に書かれた本作は「愛する者を失った喪失感をいかにして埋めていくか」をテーマにした物語。この「心に空いてしまった黒い闇の中に入り込み、それを直視していこうとする物語」は「ある老婆の喪失感を埋めるための妄想でもある」と作家は語ります。
人と人との関係がますます希薄化し、大量のモノによって「心の黒い闇」がつぎつぎに埋め尽くされていく現代、人々が自分の闇の存在にすら気が付くことなく日常を送っているこの時代に、四半世紀を超えて語られるこの物語は、孤立してしまった現代人の潜在化した心の闇を暴きだすことでしょう。

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(ネタばれ注意)

前述の「愛する者を失った喪失感。。」とあるように、最も身近な存在であるはずだった二卵性双生児の姉(馬淵恵理可)の一生を喪失させてしまった、という罪悪感に苛まれ続けている主人公マキオ(吉田裕貴)は小学校で先生をも含めたいわれのない集団イジメの対象となっていた。
そんな彼が窮地の果てに助けを求めたのは妖怪の少年、鬼太郎(みずきしげるの妖怪漫画のヒーローげげげの鬼太郎・中川晃教がちゃんちゃんこにザンバラ髪、目玉の親父の声を使い分け演じている)。
過去と決別出来ない人々が迷い込む昼と夜が入れ替わる時間ー逢魔が時ー、マキオは鬼太郎と一緒に自分の亡くしたもの(思い出したくない封印した過去)と対峙する。


作者自身が劇中の中の一つの台詞を引用して「これは`逆もまた真なり’」という芝居である。。と語っているが、私はこれを「ある物を裏から見たら全く別(逆)のものに見える」という芝居である、と感じた。

世の中には陰と陽、悪と善、黒と白があると言われているが、それを鏡の反対側から見てみたら、悪と思っていたものが善、白く見えていたものが黒に見える、話だと。

領土問題しかり、戦争裁判しかり、立場が変わればその先にあるものが全く違ったものとして表れてくるということ。。。だから物事の真実を見極めるのは難しい。
一つの側からしか見ていなければ、その裏に隠されたからくりにも気づかない。そのからくりを踏まえた上で全体を見渡す広い視野が必要となる。

そんな、いつの時代にも通用する警告が含まれているので、この戯曲がいつまでたっても色あせない、普遍の名作であるのだと思う。

今回の舞台では、劇場全体を使った美術ー客席にまで逢魔の森が茂っていたー、そして同じく客席をも含んだスケールの大きい演出、そしてライブ演奏とカラフルな役者陣ーアクロバティックな役者、歌を聞かせる役者、コミカルな役者と色とりどりーと舞台が確実に2011年用にバージョンアップしていた。

そんな今だからという進化と共に、真ん中で存在感たっぷりに取り仕切る渡辺えりーとにかく自然でいて声量のある歌声がすばらしかった。もっとミュージカルにも出て欲しい。ーという中心核が微動だにしないので、さらにこの芝居を強固なものとしていた。

おそらく30年近く古い戯曲ということでのマイナス面、劇中のネタがピンとこないという人たちがいるのも確かだろう。カーテンコールで作者自身が話していたように20代の観客たちはこれが書かれた頃には存在すらしていなかったので、鬼太郎の漫画ネタに若干ついていけなかったり、ジュリーの神々しさが伝わっていなかったりするのだろうが、、、それを補って余りある戯曲の普遍性が、多くの観客へと何かを残したものと信じる。

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2011年8月13日 (土)

大きなものを破壊命令(8/13)マチネ

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2011年8月12日 (金)

タカセの夢(8/11)

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タカセの夢 in 静岡

2ヶ月前に静岡のSPAC演劇祭で観た「タカセの夢」をシアタートラムで再度観た。

劇場が違うー静岡の楕円堂スタジオ空間ではダンサーの踊るフロアーと観客がほぼ同レベル、奥行きもあまりなかったのだが、今回のシアタートラムでは観客席が通常の階段形式で上から全体を見渡せるような劇場空間だった。トラムの方が完成形として作品を鑑賞するのには好条件だったのだが、あの楕円形堂でのパッフォーマーと至近距離での鑑賞もまたそれはそれで一興であったーこともあり、あらためて違うバージョン作品を観たかのような、2ヶ月しか経っていないのに新鮮な観劇体験だった。

この新鮮さのもう一つの要因が、パフォーマー達の進化。

本拠地での大絶賛の拍手を受けて、ギアが数段階も上がったような、ジャンプにしても演技にしても見とれるほどの完成度だった。(前回は女の子達が群舞であったのに対し、今回は個々のダンステクがしっかり見てとれた)


カメルーン出身の振り付け家、ニヤカム氏の作品は「これぞグローバルクオリティー」という、どこの国でも効果を発揮する無国籍作品(一つの国や文化に直結しないカラフルな文化背景を反映した作品)だけに、彼らが目指す、この作品での海外進出。。。。大いにあり得るのではないかと強く感じた。


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トロンプ・ルイユ(8/11)マチネ

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前回、四谷の小ギャラリースペースでの密度の濃い社会派作品を大いに楽しませてもらった野木萌葱率いるパラドックス定数の新作は地方競馬のお話。

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昔の小学校で使われていたような木製の椅子数脚以外にはセットも小道具も無し。
ちょっと風変わりなネクタイを締めた(これが馬になった時に人間と繋がるための重要な衣装パーツとなる)男達6人による競走馬&地方競馬興行関係者の人々の話。

馬6頭と人6人を6人の男優が鮮やかに演じ分ける。

******劇団HPより***********

走れ、人間。笑え、競走馬。

そう、きっと今まで何千何万もの仲間たちが、この場所を駆け抜けた。

風が吹けば、砂塵が舞い上がり、雨が降れば泥の海になる。そんな場所を、俺は走る。

血管が浮き、火の息を吐き、全身から汗が噴き出す。俺の躯は水のベールを纏ったようになるだろう。

金とか欲望とか、そういうことは、よくわからない。夢とか希望とか、そういうことも、よくわからない。

だけど、コーナーを曲がって、最後の直線、沸き上がる大歓声の中、真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに、先頭を走る。

その瞬間、俺は、この為に生まれてきた。必ず、そう思う。

だから、いますぐに、俺を、走らせろ。
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同じギャンブルとは言え、他の競技とは違って、昔から競馬は何故か文学との相性が良いらしく、多くの競馬関連の良質な小説、エッセイなどが多く書かれ、それに基づいた映画・芝居の傑作も多い。
ー劇中でも大の競馬好きで知られた(劇)作家寺山修司の競馬に関する名言が引用されていたー

そんな大先輩に敬意を表するかのように、そして多くの作家が試みたように「競馬と人の人生」の対比により人を描くという事にチャレンジしているのが本作。

競馬の中でも多くの人に注目されている花形中央競馬ではなく、名もない地方競馬の状況を馬と人の目線で描く事により、ハリウッド映画のような特別なドラマではなく、ごくごく一般的な庶民の人生についての考察を試みている。

******ネタばれ注意**********

手綱を付けられた瞬間に馬に成りきる役者たちの細かい馬の所作、馬らしい歩き方など、、、なかなかに見応えがある演出・演技ではあったのだが、細部にまで気を配った翻と演出が売りの劇団だからこそ、どうしても、見逃せない箇所が一つ。。。劇の重要なエピソードであるレースの記述のところなのだが、ー中央から都落ちしてきたサラブレッドが初めての地方レースでその実力の差を見せつけるかと思いきや、途中で滑って騎手が落馬、馬も体勢を崩し一端は止まってしまうが、その後空の騎乗状況で走り出し、先頭でゴールする。さらには同じ厩舎の馬がその先頭馬につられて一時失速ーー台詞では体勢を崩した馬のところで停止、後退するとまで言っていたーーーしたものの、その後走り出した空馬同様にレースに復帰してそこそこの順位でゴール。。。というくだり。

空馬がハイスピードでごぼう抜きというのはあり得るだろうが、一端失速した馬(騎手が乗っていて)がその後追いついてレースに絡むなんて、、、、あり得ないんですけど。

それこそ、その一点だけで、全て他の緻密なリサーチも何もかもが、一瞬にして魔法が溶けたかのように`嘘っぱちのフィクション’になって劇の全てがふっとんでしまった。。。。恐ろしや〜〜〜〜。

人が馬に成りきる事に関してはノープロブレム!劇の虚構として喜んで受け入れましょう。でも、現実にあり得ないレースの実況は。。。。いただけない。
それを許してしまうと、この話自体ー競馬という素晴らしい芸術に関することーが成り立たなくなってしまうから。

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奥様お尻をどうぞ(8/10)

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本多劇場で、07年「犯さん哉」に続くケラx古田新太ナンセンスコメディー上演企画第2弾「奥様お尻をどうぞ」を観る。

ナンセンスコメディーをやる!と公言しているその通りの作品で、随所がモンティ・パイソンー途中に挿入されているアニメシーンは完璧なパイソンテイスト、でもって実直なほどにストレートに政治家批判、社会批判をバカバカしい方法でしているところもパイソン、主役の古田新太の出で立ちはジョン・クリーズーな作品。でもって、それを舞台で体現している役者たちに弱い箇所が無い(見事なほどにトップの舞台俳優が集結)、特に女優陣2人、犬山イヌコと平岩紙の両コメディエンヌスゴすぎる、ので全体として奇跡のナンセンスコメディ成功作として完結している。

ーナンセンスなので脱力系表現と思われがちだが、その実、非常にセンシティブなのがナンセンスコメディ。脈々とその伝統を継承し続けているイギリステレビ界においても、その微妙さ故に、皆が大喜びの大ヒット作はなかなか生まれない(ある人はある番組が好きだけど、同時に大嫌いな人もある程度数いるというのが通常の支持分布)ー

イギリスのテレビ番組を観ていて「ばっかじゃないの〜〜〜〜」と抱腹絶倒のコメディはいろいろとあるのだが(前にも触れたが、渡英の際に友人にチェックを入れて入手したDVDでのお気に入りは「Extras」と「Green Wingーこれ`きxがい’な人ばかりが出てます。でもって有名な男優女優が演じてます」)、笑いと一緒に必ずついてくるのがかなり辛辣な上層部に対する皮肉と政治家のこき下ろし(現役政治家もどんどん出てくる人形劇コメディ番組「スピッティングイメージ」なんかもず〜〜〜〜っと人気があるし)のシーン。
エラい人たちもおバカ、でもってもちろん我々もおバカ、、、同じバカなら笑わにゃそん損!!とばかりに、彼らのコメディに対する情熱はかなりのもの。(ま、日本におけるテレビでの`お笑い’の比重もかなりのものだが。。。どうも内輪ウケの傾向が強い)
観劇するのでさえ珍しい日本とは違い、外出の一つの理由にコメディーショー(それもトークのみという場合が多い)を観に行くというのが入るぐらいの国なので、ベシャリによる笑い、それも大人の笑いというのが文化として根付いているんでしょうね〜〜〜。

(これも以前書いたと思うが、私の人生の目標がエジンバラフェスでの深夜のトークコメディライブでリアルタイムーつまり遅れずにーで大笑いすること!なので)


と、すっかりイギリスの話になってしまったが、3.11震災中に打ち合わせをしていたという本作。その震災の影響で作品自体にかなりの方向転換が生じたということだが、さて出来上がった作品は?

原発によるエネルギー問題を解決すべく、代替えエネルギー開発に励む人々、そして怪しげな商品を売る、そして人の欲するものを提供する何でも屋、ホームズとワトソンならぬ3重人格の探偵と助手、そして夢に生きるお嬢様。。。。まあ、次から次にツッコミどころ満載なうえ、それらをきっちりと丁寧にやってくれているありがた〜〜〜い芝居で、そんな贅沢なサービスを、それこそ観ない理由はない訳で、ある意味とっても贅沢な芝居となっております。

いつもながら、大倉孝二上手いな〜〜〜〜。入江雅人も相性が良いんだろうな〜〜。

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2011年8月10日 (水)

マッチ・アップ・ポンプ(8/9)

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キリンバズウカを川崎市アートセンター アルテリオ小劇場にて初観劇。

02年主宰の登米(とよね)祐一氏が大阪府立大学在籍中に友人らと旗揚げした劇団、関西での演劇賞を受賞するほどに人気を博しながらも登米氏の卒業、上京を機に解散。その後、08年に公演ごとのプロデュース制で活動を基軸にしていくことで活動を再開。今は年に一回の上演ペースながら、確実に頭角を表してきている。今回が再活動から4本目の新作公演(キリンバズウカとしては8作目)となる。


*****劇団HPより*************

日本のオヤジは強くて弱い。だから哀しいでも優しい。
男ってのはどうしようもない生き物だとお母さんが言っていた。
そんなどうしようもない生き物と結婚したお母さんの方がどうしようもないんじゃないかと私は思った。
お母さんが家を出てからもう10年近く経つ。最近はお父さんの顔をみるだけで腹が立つ。これはどうしようもないくらいにくだらなくてだけど愛しい我が家のお話。

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冒頭、主人公のミズキ(田中こなつ)が何の変哲もない地方都市と説明する、そんなちょっと田舎の、しかしいたって平和な街で繰り広げられる大学受験二浪中で悶々としている娘とそんな娘に気を使いながら一家の秘密を背負って奮闘している父親コウスケ(深貝大輔)に起きたある夏の家族騒動のおはなし。

猛暑の中、グダグダといつもと変わらない日々をおくっているように見えるミズキとミズキの回りの人々。。。殺伐とした都会のサバイバルな日常とは違い、袖振りあうも、、といったご近所づきあいのコミュニティー、ちょっとした恋心など、人と人とのある程度の深さの関わり合いが、そこには残っている。

基本的に悪い人は一人もいず、皆がどちらかと言うと草食系で、トラブルでさえも相手を思いやっての結果として起こることが多いようだ。
もちろんのこと全てがハッピーエンドというワケにはいかないのだが、そんな全てが、人生なんてこんなもの、というそれでもとにかくあくまで肯定的な作者の視線から描かれており、ちょっとハッピーな気分を持って帰路につけるような芝居。

若者達の描写が自然にリアルなのはさすがに年代のおかげ?

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毒と微笑み(8/9)マチネ

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2011年8月 9日 (火)

クレイジーハニー(8/8)

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長澤まさみ、リリー・フランキー 主役の二人が初舞台というなんとも大胆な企画舞台、本谷有希子作・演出「クレイジー・ハニー」をパルコ劇場で観る。

この主役のお二人が堂々と覚悟を決めて演じきり、しっかりとその主役の位置を収め、、、得にリリー・フランキーの存在感ーそれもこけおどしのインパクト勝負ではなく、きっちりと苦労人、中年オカマの人生をみせるところまでやってのけているーがこの芝居をじっくりと見入ってしまう作品にまとめあげている。

KYと言って誰かを仲間はずれの標的にしてその一方で群れる人類(日本人)皆お友達社会を卒業しよう!「Mind your own business!」というお芝居なのだが、いつもながらに本谷節炸裂、さらに今回は個人レベルでの反抗からもっと広い意味での社会における矛盾に対する抗議(疑問)へと規模が拡大しており、なかなかに見応えがある。

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2011年8月 8日 (月)

スガンさんのやぎ(8/7)マチネ

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1時間の舞台を観るために、週末の行楽で混雑する中、行き帰り高速バスに乗り込んで往復8時間。静岡芸術劇場(SPAC)で、2010年のアヴィニヨンフェスティバルでの話題作、マダガスカル島出身の演出家、ジャン・ランベール=ヴィルドがイタリア人女優エレナ・ボスコ(動き)、と声の出演・ナレーターとして今井朋彦(台詞)を迎えてフランスに古くから伝わる童話を舞台化した舞台「スガンさんのやぎ」を観に行ってきた。


*****あらすじ 北九州劇場劇場HPより*******

飼っているやぎにいつも逃げられてしまうスガンさん。今度こそはと買った子やぎは、囲いの中で嬉しそうで一安心。ところが、狭い囲いの中での生活にやがて子やぎは退屈し、スガンさんに山に行かせて欲しいと頼みます。「山にはおおかみがいて、お前を食べてしまうだろうよ」とスガンさん。ところが子やぎは「それでも構いません」と、スガンさんの隙を見て逃げ出します。山の中でのつかの間の自由で幸せな時間。しかし案の定おおかみが現れて…勝ち目がないことを分かっていながら、子やぎはおおかみに立ち向かうのですが…
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フランスからの子ども向けのお芝居ということで、会場には親子連れが大勢訪れていた。(身近にこんな公共劇場がある静岡の人たちはラッキー!)

先日のTACTにおける子ども向け演劇のゆるさ、シンプルさがまだ記憶に新しく、今度はどんな方法で原点回帰をさせてくれるのか?などと考えながら観劇スタート。

ところが、これが、子ども向けとは言いながら、さすがアヴィニヨンとでも言えばよいのか、、とってもアーティステッィクなハイアートな雰囲気の作品で、想像していたものとは、ある意味またもや裏切られるほどに「眼から鱗」違った趣の芝居だった。


著名な現代美術アーティスト、フランス人のステファヌ・ブランケによる舞台美術はリアルでシンプルな山小屋の一室。暗い照明の中スガンさん役という顔を見せない人形の後ろ姿が幻想的で怪しげな雰囲気を醸し出している。

白いミニワンピースとタイツで白子ヤギに扮したエレナ。身体いっぱいに元気な子ヤギを演じる。

大詰めの狼との対決シーン、高速で回る回り舞台がヤギの心の動揺を表現。

元気いっぱい、太陽の下での子ども演劇!!!!というのとは趣の違ったヨーロッパの児童演劇。

小さいとはいえ、「自由とは!そしてその意義とは!」と根本的な問題提議は必要、ということなのでしょう。
そう言えば、数年前に来日していた東欧の児童劇団のクリエイターたちが、「子どもを甘くみちゃいかん。大人と同じ理解力があるんだから。」と熱く語っていたのを思い出した。


日本の子ども達の心にどれほどまで届けられたか、、はちょっと疑問の残るところだが、、、そこはSPACの芸術監督、宮城聡氏がしっかりアフタートークでフルケアー。

子ども達の質問にとても丁寧に対応していたのが印象的。

余談:
そのアフタートークで劇の解釈について「自分が始め考えたことはぜ〜〜〜〜んぜん外れていたんだけどね〜〜、ハハハ」と語っていた宮城氏の正直さ、懐の大きさにおどろき!大人になればなるほど、体よくかっこう付けて分ったふりそしちゃうもんなんですが、、ね。

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パール食堂のマリア(8/5)

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昼のスズナリから移動。三鷹市芸術文化センターで吉田小夏率いる青☆組の第15回公園「パール食堂のマリア」を観る。

青☆組に関しては、このところ常連で↓、続けて観劇している。

雨と猫といくつかの嘘
忘却曲線
恋女房達

******劇団HPより ********

・・なにもかもが流れ着く港町の片隅に、小さな食堂を営む一家があった。
横浜の片隅にかつて実在したある女をモチーフに、おおきな歴史のうねりの中で続く人間の営みと、女達の艶やかな日々を、瑞々しく描く群像劇。

「小さきものに、神は宿る。小さきものに、私は祈る。」
***************************


戦後、新旧の価値観が入り乱れる横浜の街を舞台に、港町で小さな食堂ーパール食堂ーを営む主人(藤川修二)と年頃の娘たち二人(福寿奈央と高橋智子)、そして近隣の人々、とくに彼女らの人生の転換期に起きた恋愛沙汰を描いている。

坂の多い港町を、階段を使って三段階ぐらいの縦構造舞台割りを実現。場面転換無しで港町のそこここで起きている場面違いの日常シーンをテンポ良く見せる事を可能にした舞台セットが秀逸。小さな店が建ち並ぶ路地裏をイメージさせる、奥へ奥へと吊るされたカラフルなお店の入り口扉のセットも雰囲気を出していた。

その街に住みつくノラ猫を語り手に見立てー猫は女優がそのまま普通の格好で演じている。なので観客にはフリルの衣装を着た乙女チックな女の子に見えるのだが、劇中では路地を歩き回る子猫として見えているという設定になっているー、人には言えない本音を猫に呟いたり、猫の眼がとらえた人の本当の姿などをちらりと垣間見せてくれている工夫も、劇に変化を与えてグッド!
表題の`マリア’と思われる、過去のある娼婦(そして亡くなった家族の最愛の人、母親をも連想させる)が時々日常の時間を分断させる演出も効果あり。

しかしながら、どうも`女の幸せ’の核のテーマの部分が、、、どうしてもちょっとクラシックでノスタルジックでちょっと綺麗にまとめあげすぎているのが気になる。

21世紀の女たるもの、もっとしたたかで、クールで、頭が良くて、格好良くても。。。良いんでない?

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g(8/5)マチネ

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早船聡率いるサスペンデッズの第11回公演「g」を下北沢スズナリで観る。

劇場に入り、席につくとどこからか聞こえてくる牛の鳴き声。モ〜〜〜〜taurus


**** ストーリー *******

主人公葉子(田口朋子)の実家である肉牛を飼育している牧場で、東京に出て行った彼女に代わって牛の世話をするカズ(佐藤銀平)。彼は牛を食べた事がない(!)ので「美味しい肉牛にな〜〜〜れ」といそいそと牛の世話をしていたかつての葉子の気持ちが分りたくても分らない、とつぶやく。
さらに劇が進んでいくと、どうやらこの世の中にはカズとクリソツな顔をした人があと何人かは存在するらしいことも分ってくる。。。。

一見、今の日本で一生懸命に日々を過ごす、ごくありふれた人々の生活を描いているように思えた芝居。実は、こんなエピソードが示唆する状況から、そこは今からそれほど遠くはない未来の東京で、そこではカズと同じ型のロボットがちょっと古いタイプになりつつあるような、人々が一家に一代便利屋ロボットを雇ってロボットと共存している、そんな時代に生きる`近い未来の日本人’たちの話であることが分ってくる。

幕開け、耳に番号札を取り付けられた牛たち(役者が草をはみながら牛の格好で演じる)が餌の干し藁を食べている牧場シーンから一転、舞台は東京の葉子の生活場へ。失業した彼女がふと入った美容院で知り合った男、隆司(伊藤聡)は美容師の少ない給料を補うために裏の商売、マルチ商法にも精をだしていた。本業の美容師業そっちのけで、マルチ商法勧誘に精を出す隆司。
最初はそんな隆司を胡散臭く思っていた葉子だったが、次第にそんなダメンズに底なし沼のごとくはまっていく。

どうも近未来の日本の経済事情はますます劣悪化しているらしく(まあ予想はつくが)、お金に困った人々が多く登場するなか、皆が皆、一攫千金、一人勝ちを夢見て市場に出回っている限られたお金の奪い合いに奔走する。。。目先のマネーに踊らされ、いつしか自分の立ち位置を見失うひとびと。。。

一方、都会から少し離れた牧場では原因不明で牛が次々に死んでいた。。
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まずは先日の未曾有の大震災をある一定の距離感をもって語られる日が来たんだなということを実感。
今、もっともタイムリーな牛、肉牛。。国産ビーフですよ。でもって、その牛たちが死んでいっている、って言うんですから、、やっぱり、あの事故が起こった後の日本でしょう。

震災も、国策も、原発、不平等、キャピタリズムの永劫回帰ー終わらないマネーゲームも、、でもってそのゲームに見入られてはまってしまう現代人の心理も、、、様々なことが盛り込まれた芝居。

これまでだったら、今後の未来に関して、これほどまでには切迫した現実味はなかったのかもしれないけれど、やっぱり3.11アフターを生きているのだなあ、という実感。

と、それほどまでに、巧妙にそしてタイムリーに問題提起をしてくれている芝居で、面白く観たのだが、欲を言わせてもらえば、着地点をもう少し明確に、きれいな(別にきれいでなくても良いのだが)フィニッシュを決めてくれれば、、、さらに点が上がったところ。

これほどまでに上手い仕掛けをしてくれただけに、ちょっと尻つぼみの感の、ソフトなエンディングが惜しかった。

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岸家の夏(8/4)

Stage19903_1

青山円形劇場で劇団鹿殺し、夏の女優祭り公演「岸家の夏」を観る。

今回は猫のホテル千葉雅子(長女)、Nylon100℃峰村リエ(次女)をゲストに迎え、鹿殺しの看板女優菜月チョビが三女を演じてのオールドミス三姉妹(次女は出戻り)のお話。

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ビモ・ボトッ~ビモのおにたいじ~(8/4)マチネ

Bimo


Hitsuji

(8/3の「飛行隊」についてもこのページで一括レビューします)

東京芸術劇場の夏休み子ども対象プログラム。TACTが昨年に引き続き開催された。

今回は池袋の本拠地が改装中ということで、劇場所有のスタジオ水天宮ピットーこちら元高校の校舎を転用し、東京芸術劇場上演用の稽古スタジオ・他の劇団向け貸しスタジオ、そして時には演劇上演場所として活用されているーで3プログラムが上演されていた。

昨年、池袋で開催された時には安価とは言え、劇場での上演だったので1000〜2000円の入場料を徴収していたのだが、今回は校庭、体育館での上演ということで、観劇に関しては全て無料!!
(「ひつじ」になっってみたりが体験出来るワークショップは有料ーでも500円のワンコイン)

隣接している公園に遊びにきた親子づれが、「あら?面白そう。へ〜〜〜、なんだか外人が暑い中ひつじの格好してメエ〜〜〜〜なんて鳴いている。え??お芝居なの?でも、面白そう。ちょっと覗いてみようかしら?」なんて気軽に参加出来そうな、このカジュアルさがかえって功を奏していたかも。わざわざ文化的な催しに参加するために池袋までお出かけするよりも、近所の学校の校庭で空いている時間に演劇体験!これの方が効果は大きいような気がする。ー演劇マニアよりも純粋に近所の親子づれの顔ぶれが多かったように思えるのでー

校庭には普通の遊び場があり、さらには食べ物屋台まで出ていて、お母さんと子どもたちが夏休みの一日を過ごすのに最適。ーーーそう言えば、こんな環境が夏休みだけでも劇場内に常設出来れば、もっと人が劇場に集まるのに、ね。想像だけど、地方劇場とかでは、このような夏休み特別開放日を設けているところもあるんだろうなーーー

で、プログラムの方だが、ー校庭で放牧されていた「ひつじ」さんたちは去年池袋で対面したので今回はパスー、同じカナダのカンパニー劇団コ-プスによる「飛行隊」ー劇場HPより 『カナダ軍第217飛行中隊は、きびしい予算削減により飛行機をすべて失ってしまいました。でも、5人の先頭パイロットは志を失わず、可能なあらゆる場所で地上訓練を続けていきます。ポップ司令官の指導の下、カナダだけでなく、世界各地で厳しくも陽気な飛行訓練を展開中。水天宮ピットでも、観客の皆様にはこの訓練に参加して頂きます。』とインドネシアからの伝統影絵芝居、ハナ★ジョスカンパニー(ハナ★ジョスHP)による「ビモ・ボトッ~ビモのおにたいじ~」 『インドネシアの伝統的な音楽として知られる"ガムラン"と、"ワヤン・クリ"というインドネシアのジャワ島を中心に発達した影絵芝居で構成される作品。"ワヤン"は、表・裏どちらからでも見ることが出来る点が特徴です。』の2作品を体育館特設ステージで観劇。

2作品ともそのシンプルさに思わず「眼から鱗」の観劇体験だった。
え〜〜〜〜〜〜、これでイイの?こんなに簡単なんでイイの??と言った感想なのだが、それだからこそ、でもって簡単だけど、さすがに良く出来ているだけあって、大いなる成果を上げていた。

飛行隊は国籍・言語がバラバラ(英語、日本語、ドイツ語、フランス語)の4人の役者たちがグループリーダーの指揮の下、身体をはった軍隊訓練(と言っても走ったり、飛び跳ねたり程度)もどきをユーモアたっぷりに演じる30分強のパフォーマンス。途中、会場から飛び入り参加者を募り、その参加者にも同じ動きをさせて観客との一体感を演出。
日本のライブパフォーマンスの感覚からすると、ちょっとお笑いライブに近い感じもあるかも。
でも、子どもが見て真似が出来るような体操で身体を動かす、でもってシンプルながらストーリーもある、でもって笑いもあり、、と密度の濃い30分を体験させてくれた。

もう一つの影絵芝居。体育館に入って影絵の装置、そして舞台スペース横にきらびやかな伝統衣装をつけたライブミュージシャンを見た時は、なかなかに本格的!と初めての影絵芝居はどんなものなのか?言葉はどうするの??などいろいろ思ったのだが、案ずるより産むが易しをおそらく体感しているパフォーマーたちの柔軟さにより、その後は思いもかけない展開に。

まず、後日知ったことなのだが、このハナ★ジョスカンパニー、結成はインドネシアでとのことだが、05年からは日本を拠点に活動を行っているのだとか。(インドネシア伝統芸能を広めるために来日したのか、それともたまたま劇団員の日本移住に関する意見が一致したのか、、はたまた誰かが来日後に日本でメンバーを再度集めたのか、不明)
なので、上演前におおまかなあらすじを説明したとは言え、序盤日本語字幕なしでインドネシア語で劇がしばらく続いた時には「これで1時間続くのか?子ども達は飽きるのでは??」と不安になったのだが、途中から流暢な日本語とのチャンポンが混ざり始め、そうなると俄然客席の子ども達も活気づき、そこここで大きな笑い声が。
寓話ストーリーなので、ちょっとこじつけっぽい、現地の文化の分らない私たちにはちょっと??理解出来ない箇所もあるのだが、それが外国語訛りの話し言葉の日本語が上手い具合に混ざることによって、別の次元で大いに楽しめるパフォーマンスに仕上がっていた。


それにしても、パフォーマンスの途中で何が可笑しいのか(訳した日本語の台詞が可笑しいのか、影絵演者のユーモアが可笑しいのか)、ミュージシャンの一人がパフォーマンスの最中にもかまわず、大声で笑い出したのにはびっくり!!
(まあ、可笑しいと感じるのにそれをやめろ!というのも変な話で。。。)
結局、その笑い声がまた観客の笑いをさそって、なんとも経験したことのないようなピースフルな観劇体験となったのだが。

先日、タイの有名俳優に偶然会う事があったのだが、彼は「芝居をやる人たちはとにかくハッピーな気分で、楽しく演劇をやらなければ意味がないよ。`仕事’と思って、眉間に皺をよせて、イヤな思いしながら演劇やっていたら、それが観客に感染しちゃうからね。」と言っていたけど、彼らーカナダチームもインドネシアチームもーもその辺の感覚が共通しているのだろう。

特に、子ども相手に芝居をやる時には、何と言っても「そこ」が一番肝心なのかもしれない。

やっぱり、最初に舞台に眼が釘付けににならなければ、その時の思い出も長くは続かないからね。

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2011年8月 4日 (木)

飛行機(コープス)(8/3)

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(8/4日のレビュー参照)

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2011年8月 3日 (水)

ナツヤスミ語辞典(8/3)マチネ

Stage20602_1


新国立劇場でキャラメルボックス・Another Face公演企画第5弾(キャラメルボックスが他の劇団とコラボして打つ公演企画、過去には劇団ショーマ(お、懐かしい、渡英前の80年代後半には観劇チェック劇団の一つに入っていたな〜〜。川原和久の長身があの小劇場全盛時代にはなかなか珍しかったんだよね〜〜)や惑星ピスタチオ(こちらは未見、佐々木蔵之介さんのところですね)などとこの企画を行っていたようなのだが、ここしばらくはお休みしていて、14年ぶりのコラボ企画実現だとか。

今回は八面六臂の大活躍中の若手演劇人きっての働き者、柿喰う客主宰中屋敷法人氏がキャラメルボックス成井豊氏の89年初演代表作を演出。

役者はキャラメルと柿喰うからそれぞれ輩出しての合同公演という形での上演となった。

最後の舞台からの役者あいさつで知ったのだが、今日は初日、それもマチネだったので初日の第一回目公演だったらしい。(初日のチケットの半券で次回、当日券が半額になるんだって)

キャラメルボックス版を観たことがないので、今回の舞台がオリジナルとはどのように違っていたのかは比べられないのだが、キャラメルx柿喰う客=相性は良かったのではないだろうか?
ーーーキャラメルさんは日本演劇史の1ページを飾る大劇団なのだが、90年代に大躍進を遂げた劇団なので、丁度その時期に日本を留守にしていた私にはどうも馴染みがないんだな〜〜〜。帰国後のタイミングではあまりにもメジャーになってすっかり落ち着いていたので、それがかえって、その後あまり足が向いていない理由でもあるんだな〜〜〜。。。すみません。。ー

00年代、そしてそれに続く10年代を彩る前衛演劇人たちと比べると、実のところどちらかと言うと正統派、ストーリー演劇できっちりウェルメイド派の中屋敷氏の手中にきっちりとハマっていたように思う。

ホームの劇団役者を引き連れてのコラボだったので、その面でもかなり中屋敷色の濃い舞台となっていた。
ーやっぱり七味さんのペコほっぺ顔はいつ見ても癒される。アニメキャラの世界だよね!ーー


******あらすじ 劇団HPより**********

クサナギの元に一通の手紙が届いた。それは三年前に担任した生徒から。そこに書いてあったのは、ちょっと不思議な夏休みの出来事だった。カブト・ヤンマ・アゲハの3人は中学2年生。
ヤンマがプールの水を抜いてしまったことがバレて、先生からプール掃除を命じられている。
そこへ、白い服を着た男・ウラシマが現れて、カブトが母から借りてきたカメラでみんなの写真を撮りはじめる。翌日現像してみると、そこに写っていたのは、なんと15年前の景色だった……。

『終わらないかもしれないものを、自分の手で終わらせちゃいけない』
夏休みの学校で起こる、「カブト」「ヤンマ」「アゲハ」という3人の少女と、明るい幽霊「ウラシマ」と「ナナコ」の不思議な物語。
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新国立劇場PITの小劇場にかなりの急勾配の階段状舞台。登場人物たちはその急勾配を上り下りしながら、その時々でひな壇階段に留まり、見得ポーズで調子のととのった台詞を語る。
ーこのリズムを刻んだ中屋敷式台詞術により芝居の一つの関門ー台詞を淀みなく明確に客席へと届けるーはクリアー。それにより、劇進行もスムーズに運び、観客は気持ちよく観劇へと集中出来る。ー

柿喰う客の小気味良いステージテンポが青少年ファンタジーをちょっとドライに味付けして、大人向けの推理ドラマへ。コロ(カブトの母親ムロマチ役)のキャラが甘すぎないラブストーリーへと仕上げている。

学校演劇の定番となっているらしい戯曲も、その評価通り、様々な視点をバランス良く散りばめていて、子どもから大人までそれぞれに楽しめるものとなっている。夏休みにはうってつけ。

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K-ballet school workshop (8/2)

202


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