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2011年4月

2011年4月29日 (金)

ロンドン便り(4)その他の芝居

"Wastwater" by Simon Stephens
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at Royal Court Theatre


★★★+0.5=3.5★


Evening
"The Knot of the Heart" by David Eldridge (心の絆)
Knotmainproductionimage

at Almeida Theatre
★★★★+0.5=4.5★


24日(日)
"Hamlet" by Shakespeare, directed by Dominic Dromgoole
Normal1

at The Globe Theatre


★★+0.5=2.5★


25日(月)
"Cause Celebre" by Terence Rattigan (有名な事件)
Smallposter
at The Old Vic Theatre


★★★★


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ロンドン便り(3)

随時アップを目指していたのだが、諸処の事情によりー主に観劇とパブーまったくアップアップの状態だったので、遅ればせながらのロンドン紀行+レビューをどうぞ。

前回、(1)でヒースロー到着後にバービカンへ直行したところまでは報告したので、その続きから。

と、その前に、ヒースロー空港の入国審査にちょっと戻って、、

今回、午後の4時頃に到着する便だったのだが、どうもその時刻はミニラッシュの時間帯らしく、入国審査のフロアーには入りきらないほどの長蛇の列が。英国を訪れたことのある方ー特に学生として留学した経験のある方ーはご存知だと思うが、この入国審査が嫌で他の国へ留学先を変更なんてこともあるのではないだろうか、と思うほどに長期滞在者には厳しいのが英国の入国審査。
反面、多くの政治的難民・亡命者などを受け入れている現状をみると、国がパンクしないようにするためには、それも仕方のないこととも思えるのだが、私が長期滞在していた90年代当時は不良学生ー学校へ通うためとしながら実際には学校にも行かず就業したり、ただただ住み続けたりの学生も多くいたーを排除するために、かなり厳しい出席率チェックなどが行われていたこともあり、いまだにどうも緊張してしまうこの入国審査。

それでも、見た目よりもスムーズに業務が行われていたようで、待つ事1時間ほどで入国審査官の窓口へと辿り着いた。

会話を再現
(審査官)「(能面フェイスで)何日間滞在するの?」ー(私)4泊します。
「なんの目的で?」ー小旅行で、、、芝居を観るために。
「え?ーー(ここで、それまで仏頂面だった審査官の顔にパッとした明るい人間味が)ーー 君、ライターなんでしょ?(職業欄にそう書いていたため)」ーはい、演劇ライターなんです。

「(1分前とは同じ人物とは思えないような笑みで)あ、そう。滞在楽しんでってね。OK。バーイhappy01

以前、英国訪問が多い野田秀樹氏が英国の良い所は「演劇」という職業がリスペクトされていること、をその一つとして挙げていたが、ー彼はタクシーの運転手に「すばらしい仕事についているね〜〜〜」と感心されたらしいーそれにちょっと近いことを今回到着の直後に体験。
たとえ、芝居マニアでなくても、芝居に対する理解があるのね〜〜〜〜、と感心。

何かとすぐに脱ぎたがる国民性のあるイギリス人の男子諸君(今頃のフットボールの試合中継などを観ているとその国民性がお分り頂けるだろう。会場にはやたらと上半身裸の輩がわんさかいる。)。そんな奴らが案の定、夏のような天気にうかれて入れ墨だらけの上半身を誇らしげに見せびらかしている地下鉄の駅をみて、「あ〜〜〜〜、イギリスに来たんだな〜〜」と妙に納得し、地下鉄1本で行けるアールズコート駅近くのホテルへ。

ホテルで一息ついてから、7時45分の開演に間に合うよう、余裕をもって地下鉄に乗り込んだ。

日本の地下鉄ペースでいけば、余裕で到着、開演前にカフェでコーヒーでも飲めるところなのだが、、、そこはロンドン。
理由もなしに、電車がノロノロ運転、途中の駅では数分感も説明アナウンスもなしに停まっている。先頭車両に乗っていたため、目に入ったのだが、その駅で駅員がいきなり降りて駅の小部屋へ入って行った!!!!なぜなぜ?2分後ぐらいにまた電車に戻ってきて、そこからまたノロノロが再開。
気がつけば、駅から早足で急がなければならない時間に。

チケットも現地で受け取らなくてはならなかった為、最後はダッシュでボックスオフィスへと駆け込んだ。
(まあ、似たような人がまわりに沢山いたのも、まあロンドンらしいと言えば言えるのだが)

カウンターの人も急いでくれて、私のチケットを探してくれたのだが、???な顔をしている。
と、そのおばさんが私が差し出した予約表を見直して「あら、あなたこれ昨日の日付よ!」、と。。どうやら日本でネット予約をした際に混乱して間違えた日付で予約してしまったらしい。ひえ〜〜〜〜。

まあ、どうやら完売ではなさそうなので、しょうがない、買い直すか、と思ったところ、そのおばさんが発券をしているお兄さんになにやら耳打ちしている。
と、その直後「日本って違う日付ゾーンだったりするんでしょ?いいわよ、今、今晩のチケットを発券してあげるから、それを持って入りなさい。」だって。
どうやら、そのおばさんはチケットオフィスのエラいほうの人だったらしい。

え〜〜〜〜〜〜、オーマイゴッド!いいんですか?!(ってその時の私の心の内)

思わず、「今、ヒースローから駆け付けたところなの。嬉しい!!ありがとう!」と御礼を言ったら、どうやらそのコメントにおばさんもお兄さんもびっくりしたらしく(ヒースローからすぐ劇場に来たという箇所に)、ますます嬉しそうな顔で、、劇場に入ってびっくりしたのだが、前から4列目のベストシートのチケットを手渡してくれた。

ーーーと、まあ、地下鉄の意味不明なノロノロもロンドンだし、この日本では絶対にあり得ない個人による臨機応変な対応もロンドン、ということを言いたかったわけですーーーー

****************

で、注目のカステルッチの新作ですが、一言で舞台を表現すると「延々と老人のウンチまみれのオムツを変える、ことについての考察」とでも申せばよいのでしょうか!?
ーーと、これは皮肉でもなんでもなく、本当にそうゆう舞台だったのです。


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07年から始まったバービカンセンターのSPILL Festival (実験的・先鋭的な作品に焦点をあわせた国際演劇祭)の目玉プログラムとして登場したのが、今回のカステルッチの"On the Concept of the Face, Regarding the Son of God"。

1時間ほどの短いプログラム。舞台前面に配置されたスタイリッシュな白を基調としたインテリア(白というところがミソ)ー白いソファセットと横には白いダイニングテーブルーのセット、そして舞台奥には一面を覆い尽くすSon of God、ルネッサンス期に描かれたジーザスの顔をプリントした垂れ幕が、慈愛に満ちた表情で客席を見つめる。

舞台左手に白いバスローブを着て、白いソファでテレビに興ずる老人(Gianni Plazzi)。そこへ息子とおぼしきいかにもイタリアンなダンディーな中年男(Sergio Scarlatella)が入ってくる。出勤前に父親の様子を確認するべく、今朝の調子を何気なく尋ねる息子。

息子が出かけようとしたその時、弱々しく応答していた父親がおずおずと失禁してしまったことを告げる。

若干、苛立ちながらも優しく対応する息子。最近では慣れた事なのか、男でにしては手際よく、父親のオムツを交換する。ーその際に大量の茶色いモノが舞台に飛び散る(オスロで公演の際に行われたインタビュー記事によるとその茶色いモノは模造だということであったが、かなりリアルに造られている。実際、臭いらしきものも漂い、私の前の列のレディーはかなり強烈に顔をしかめ、文句を言っていた。)。

オムツを替え、床を拭き、さあ気を取り直して出勤、と息子が出かけようとすると、また父親が大量のモノを垂れ流す。。。。泣いて謝る父親に、叱りつけながらも汚れた尻を拭いてやり、優しく介護する息子。。と、それからはさらにエスカレートして、真っ白なベッドで、またもや、そしてさらに大量のモノをまき散らし、垂れ流す。。。

最後には「I'm sorry, Forgive me... sorry...forgive me...」と父親が謝る声だけがフェイドアウトしていく。

そして、ライトは奥のジーザスの垂れ幕へと移り、その幕が水で洗われ、、その後に浮かび上がってくるのが「You are my shepherd 汝われの羊飼いなり(神の羊飼いであるキリストのこと)」という文字。

で、閉幕。

*****************

字幕なしのイタリア語の舞台で、事前にその数少ない台詞を英訳した紙が1枚それぞれに配られていたのだが、まあ、それを読まなくても、おおよその親子の会話は十分に察しがつく。
ー外国語劇でも字幕なしでやれるのね〜〜〜、とこの点では勉強になったー

でもって、冒頭に述べたように、舞台でおこっている事と言えば、親がウンチをして、それを息子が掃除をする、とそれの繰り返しのみ。

で、最後にこれが信仰=生きるということである、というメッセージが出て終わりという、そんな舞台だった。

まあ、言いたい事はよく分るしー「慈愛」というコンセプトについて、神がわれわれを許す=愛するがごとく人は人を愛するべし。それは基本的な人間関係、親と子の間柄の中に顕著に見られる。でもって、その愛とはいかなるときもーたとえそれが人としてもっとも恥ずかしい類いの行為だとしても、慈愛をもってなされるべきである、ってそんなところなのかなー、これほどまでに徹底してーウンチだの老体の真っ裸だのー見せてしまうという意気込みも、それなりにすごいなとは思うのだが、それが大業扱いされて、「宗教」、それもあまり身近ではないキリスト教へ転嫁された瞬間にどうにも冷めてしまう自分もあったことは否めない。

クリエイター、カステルッチはその出からして、どうもこのテーマ、キリスト教を扱うことが多いのだが、どうもその扱い方がグローバルにまで消化していないように思える。
ーそれこそ、この21世紀にあって、国際舞台で「キリスト教」探求ではすまないような気がするのだが、いかがだろうかー


ある意味、老人介護の問題は日本人には身近であり、その意味からも途中まで舞台で起こっていたことーオムツ替え合戦ーを様々な意味を持って見続けることが出来たのだが、大上段なSon of Godで終結してしまったところが逆に作品を小さくしてしまったように思えてならない。

以前、神曲 三部作でも感じたことだが、この人の作品、、、とっかかりはとても面白いのにどうも尻窄まりに、いつのまにやら終わってしまうという印象あり。

ところで、余談になるが、直前まで「The Minister's Black Veil」という芝居を上演すると告知されていた(実際、日本のシアターガイドにもその芝居を上演と紹介されている)のだが、、突然演目を変えたのだろうか?
ちょっと調べてみます(分ったらまた追記します)。

*******
後日談

この舞台を観た数日後にホテルの部屋でメル・ギブソン監督の大いなる駄作の呼び声高い「パッション(The Passion of the Christ)」ーキリスト処刑までの12時間を描いた映画ーを観る機会があった。途中からだったので、主に十字架を背負ったキリストが鞭打たれ、石を投げられ血まみれになって歩く姿ばかりを見せられたのだが、突然視界に入ってきたこの光景、、、崇高な信仰心を描いているというよりは、よくあるパワーゲームの成れの果て、今でもよく見られるご都合主義の集団イジメを扱った映画にしか映らなかったんですけど。
主演のジム・カヴイーゼルの世間に流通しているキリスト像とのあまりにも似通った容姿に(ま、それだからこそキャスティングされたんだろうけど)、それだけには感心したけど。
それと、キリスト礼参の映画でありながら、そのあまりにもグロテスクで残酷な描写(手首を釘でうたれて磷付ですぜ〜〜)にちょっとキリスト教信仰そのものにひいちゃうな〜〜。脅して従わせて、、もっと前向きに明るい信仰が好みだな。

ー余談になるが、幼少期に日曜学校なるものに通った経験もあり、そこで少ないおこづかいから10円の献金もしていたという経緯もあり、、キリスト教にはそれなりにタメになる教えもあるとは思うのだが、それらもそれほどにありがたがるほどには珍しくもなく、それよりもかなりストレートであまりにもあからさますぎるように記憶している。お説教も始めは面白く聞いていたのだが、徐徐にご都合主義が見えてきて、ちょっとそれからは敬遠したという経緯あり。ー

血まみれで目つぶしされながら歩むキリストを観ながら、でも最後に一緒に磷付にされた使徒の一人が「あんた、神の子って言うなら、この状況を打破してみろよ!」っていう 、その気持ちの方に「そりゃそうだ、これだったら絶対なる存在を信じるという点でオウムのそれとそれほど変わりないな。」と肩入れしてしまった私はやはりキリスト教は、どうにも胡散臭く映る。
でもって、それが政治にまでも影響を及ぼしている、もしくは政治的決断にそれが利用されてしまう、この世の中の矛盾。。。。そのあたりの方を芝居で観てみたい。

同じキリストを扱う映画だったら、圧倒的にモンティ・パイソンの傑作「ライフ・オブ・ブライアン」を支持する!
やっぱり「Always Look on the Bright Side of Life」と歌い続けて生きていきたいーそうしなくてはやっていけないリアリティーがあることを知っているからこそなお。

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London便り(2)ヴィジュアル

今回の旅から。。初夏のロンドンのイメージです。

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今回、世紀のロイヤルウェディングの直前ということで、大混雑と混乱(ロンドンは何と言ってもテロのターゲットになりやすい所。それゆえ、イベントの際のセキュリティーには万全を期す。そうなると何事にも普段の何倍もの手間と時間がかかるのが常。プラス人が集まる時には値段が高騰するのはいつもの事。)が予想されたので、そのイベントは避けて旅行計画を建てたのだが、良いのか悪いのか、ヨーロッパ恒例の春のミニGWであるイースターホリデーにあたっていたようで、街にはウェディング+イースターの春らしいパステル調の飾りが溢れていた。
これは、ロンドンアイ(大観覧車)の前の広場にあったオブジェ。ウサギがいて、ティーポットがあって、、アリスの世界のようでカワイい。
以前から悪ふざけが大好きなイギリス人たち、日曜日の朝、ウサギの格好をしたパーティーグル(おそらくみんなでファンシーな格好をして、友人宅でBBQでもしたのだろう)のグループの姿を町中で何組か目撃した。

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こちらは、そのロンドンアイに乗るための長蛇の列。
並ぶのが嫌いな私は未だに乗った事がないのだが、子ども連れの家族など、みんなちゃんと並んでおりました。やっぱり、観光客らしき人多し。

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近年のトレンディースポット、テムズ河畔でくつろぐ人々。一年の中で最も天気が良いこの時期には、ここぞとばかりに人が外へ繰り出す。そんなカスタマー心理を察してか、お店側も路上にテーブルを出したり、パラソルテーブルを多く出したり、といろいろ策を練るのだが。。でこれはお店が店の前の人工芝エリアにデッキチェアーの無料提供サービスをしている様子。
ちなみに、このテムズ河畔地域にあるのがナショナル・シアターとグローブ・シアター(蛇足ながらアート関係ではテイトモダン ギャラリーがある)。以前はちょっと危ないところもあり、人もまばらな地域だったのが、エリアの活性化により劇場の活気もとりもどした、という地域密着アートプランの成功例がロンドン、ナショナル・シアター(その時期にニコラス・ハイトナーが芸術監督として就任して、ソフト面も充実したのが、さらなる隆盛の原因でもあるのだが)。

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通称ボリスバイク(名称 バークレイズ サイクル ハイヤー)という新システムのレンタサイクル。
ロンドンの中心エリアでは、以前、車の過密による渋滞が問題視されていたのだが、数年前からセントラルゾーンへの私用車の乗り入れ制限(その地域を走行するには特別にお金がとられる)、そして今回のレンタサイクルシステムの開始と様々な案が考案、採用され、バスの遅れなども解消されつつある。
ちなみにボリスバイクのボリスとはこの案を採択した、現ロンドン市長ーボリス・ジョンソンーの名前からとられている。
ロンドンセントラル各所に設置されている駐輪場から貸し出し、30分以内にどこかの駐輪場へ戻せばレンタル料はかからないということもあり(それ以上乗る場合は時間に比例して料金が発生)、交通費の高いロンドンでは重宝されているらしい。滞在中、観光客らしき人々が利用しているのも頻繁に目にした。
ーー蛇足、サイクル社会であるヨーロッパではルールに即した運転が求められる。なのでママチャリ感覚では乗らない方がベターーー

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朝食がついていないホテルだったので、朝の買い出しに出かけた近所のスーパーで見かけた特設コーナー。ロイヤルウェディングを控え、町中がユニオンジャックだらけ。ま、デザインとしてもおしゃれだからね。

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今回のメイン目的である「Wastwater」がかかっているチェルシー(高級居住エリア)のロイヤル・コート劇場の正面。

中心の劇場街ウェストエンドからはちょっと離れているのだが、劇場の環境は抜群で、観劇の前のお買い物、カフェ休憩も十二分に楽しめるのが嬉しい。

劇場地下のカフェもゆったり出来て、おススメ。

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2011年4月25日 (月)

London 便り(1) Summary概要

週末にかけて、ロンドンで小休暇。

イースター休暇とロイヤルウェディングにわくロンドンへとやって来ました。airplanesun

今回のメイン目的はサイモン・スティーブンス(昨年、パルコ劇場で長塚圭史演出で上演された「ハーパー・リーガン」の作者)の新作を観るため。1ヶ月ほどの限定初演上演なので、ま、観れる機会に観ておこう、と思い、後悔するより飛んでみよう!ということで来ちゃいました。

で、そこから予定を埋め始め、もちろんのことながら、他にも何作品かをチョイス。

F/Tでお馴染みのロメオ・カステルッチの新作をバービカン劇場のフェスティバルで上演中だったので、まずは到着当日にチェック!!

******と、ここまでは現地でアップ、、しかしながら、ショート滞在+ビューティフルウェザーということで、昼間は現地の友人とテムズ河畔のパブでおしゃべり、、夜は観劇(こちらのプロダクションは休憩を挟んで、3時間ぐらいのものが多く、開演時間も7時半〜と遅めのため、終わるとすっかりしっかり帰宅タイム。)なんてシンプルなスケジュールを繰り返していたら、ここまでしか書けずにタイムアップ。bearing*******

で、ここからはマンUのチャンピオンズリーグでの勝利を土産に帰国(good!!)後に日本にて後日の追加アップということに。

まずは、22日〜26日の観劇プログラムを一覧でどうぞ。

22日(金)

"On the Concept of the Face, Regarding the Son of God " by Romeo Castellucci (神の子に関して、その顔に表れたコンセプト)

at Barbican Theatre

★★★

23日(土)

マチネ

"Wastwater" by Simon Stephens

at Royal Court Theatre

★★★+0.5=3.5★

Evening

"The Knot of the Heart" by David Eldridge (心の絆)

at Almeida Theatre ★★★★+0.5=4.5★

24日(日) "Hamlet" by Shakespeare, directed by Dominic Dromgoole

at The Globe Theatre

★★+0.5=2.5★

25日(月) "Cause Celebre" by Terence Rattigan (有名な事件)

at The Old Vic Theatre

★★★★

26日(火)

Film

"Pina" by Wim Wenders

ピナ・バウシュに捧げる映画

★★★★+0.5=4.5★

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2011年4月21日 (木)

欲望という名の電車(4/21)マチネ

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小田島恒志訳・松尾スズキ演出、秋山菜津子(ブランチ)、池内博之(スタンリー)、鈴木砂羽(ステラ)、オクイシュージ(ミッチ)による米国人劇作家テネシー・ウィリアムズ原作の「欲望という名の電車」をパルコ劇場で観る。

これが、戯曲を読み込み見事に咀嚼した、近年まれにみる傑出した名舞台、直球で海外戯曲を見事に日本で舞台化した素晴らしい舞台だった。

若き日の悲劇的な恋愛が生涯のトラウマとなり「愛を乞う人」となったブランチ。あまりにも致命的な心の傷を負ってしまったがために、その深い傷を埋めるべく、その逆にとてつもなく現実離れした完璧な愛をさすらい求め妄想し続ける現実逃避の`心を病んだ人’となってしまった彼女。

今回の舞台では、なぜ彼女の心が壊れてしまったのか、さらにはそこまでに至るー舞台上では描かれないー彼女の抵抗・戦い・敗戦の歴史までもがきちんと台詞のはしばしに現れていた。

どうも「欲望。。。」というと、ここ日本ではある固定したイメージがつきまとい、はっきり言うと`杉村春子のブランチ’とイコールとなることを目指した舞台が多く、舞台の出来もそこを基準として評されることが多く、その結果原作と向き合い、翻から解釈をするという、基本中の基本を見失いがちであるのだが、今作では台詞の一つ一つにまで気を使い、ある台詞がその先のどこへと続くのか、また一つの言葉の比喩が真に何を隠喩しているのか、きちんと丁寧に解釈され、それ故に一つの作品として矛盾のない、筋の通った芝居として仕上がっていた。

例えば、ブランチが少女のごとく熱望する「結婚」、その目標の裏に積み重ねられた幾重もの思い、ー性=肉欲(欲望)は切っても切り離すことは出来ない(最初の結婚で決定的に欠けていたものの一つである)ものである事は分ってはいるが、その一方でそうではない精神の繋がり、絆を最終目的として模索しているという面もあり、常に矛盾する両極の中で混乱する彼女ー、そしてそんな彼女が求めれば求めるほど遠ざかる現実社会(特に、その当時のアメリカの道徳的社会観)、そんなものが見事に混在し、そして最後にはそれらの矛盾が納得できるものとして伝わってくる。

さらには、今、この舞台を観ている私たち、さまざまな常識というしがらみに自分を失い、時に心を病んでしまう現代人、信じた人(恋人)に裏切られ自暴自棄になる多くの人々、へとダイレクトに訴えかけてくる、まさに今の日本の芝居として通じるものを見せてくれていた。

ウィリアムズの他の戯曲「やけたトタン屋根の上の猫」「ガラスの動物園」「この夏突然に」etc..と共通する主題、ー人は追いつめられれば追いつめられるほど、事実から目を背け理想郷のドリームワールドに生きる傾向にある、弱い生き物であるーというメッセージがこめられたこの戯曲を秋山ブランチが見事に、一人の女性の末路として、納得のいくブランチを創り上げていた(異常なほど神経が繊細な特別な女ではなく、どこにでも存在する、純粋な女盛りを過ぎたころの女として、彼女の人生をみせてくれた)。

その他の主要キャストの役づくりも素晴らしく、このキャスティングに関しては文句のつけどころ無し。

自分の出生と教養にコンプレックスを持つスタンリー、頭はあまり良くないが人の良いステラ、人は良いがどうしても笑えるほどに冴えないミッチ。。。。それぞれに理想の自分像を人生で演じ続ける彼らのキャラクターも丁寧に描かれ、演じられていた。

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川と出会い(4/20)

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★★

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カシオペアの丘で(4/20)マチネ

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★★★

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右手にテニスボール(4/20)朝

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★★★★(0.5)=4.5★

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わが星(4/19)

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★★★★★

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2011年4月16日 (土)

ゴドーを待ちながら(4/15)

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今週22日(金)のThe Japan Timesに評が載ります。

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線のほとりに舞う花を(4/15)マチネ

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★★★★(内容は後日)

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その族の名は「家族」(4/14)

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★★★★(内容は後日)

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グラデーションの夜ー群青の夜ー(4/13)

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アンダー・ザ・ロウズ(4/13)マチネ

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座・高円寺で鴻上尚史率いる虚構の劇団の新作「アンダー・ザ・ロウズ」を観る。

劇団が変わっても、鴻上尚史は変わらないな〜〜〜〜、というのが結論。

もちろん、その時代その時代で着眼点は時代を捉えているのだが、その描きたいものに対するアプローチの仕方、そして劇として作り上げる方法、実際に舞台にあがる作品の構成、、、は第三舞台の頃から一貫しているように思う。

第三舞台という一世を風靡した集団、多くの人の圧倒的な支持を得た劇団を追随するかのように、
-それは自身が演劇雑誌の劇団という形で演劇活動を続けるのは何故なのかという特集記事の中で(悲劇喜劇5月号巻頭特集「特集劇団の力」)「「第三舞台」は二十年間に渡って、多くの観客の支持を受けてきた。普通、劇団が二十年も続くと、内部分裂で組織的に終わるか、観客が減って金銭的に苦しくなって経済的に終わるか、つまりは嫌でも外に出なければいけなくなる日が来るのが一般的なパターンだと思うのだが、「第三舞台」は幸運なことに、ずっと経済的にも組織的にも劇団公演を続けられた。。。」と述べていることからもわかるようにー
「第三舞台」方式での上演に絶対的な信頼をよせているからなのだろう。ー絶対的に拒絶・無視された事がないのだから支持を得るはず、、ということ?!ー

虚構の劇団という従来の劇団「第三舞台」のメンバーの80年代彷彿とさせるような顔ぶれー彼の舞台を体現するのに適した構成として、絶対的な中心役者、二枚目、そして二枚目半、愛すべき三枚目キャラ、ヒロインと綺麗なヒロインの対角などなど、、舞台中央でみんなで突然はじけながらダンスを披露するシーンを見ていると、ウン十年前の当時の劇団メンバーたちの顔が重なって浮かんでくる。

時代をカリカチュアさせた虚構の世界と現実の世界のパラレル構造、その対比の中で今の世の中にある歪み、現代人の抱える問題を浮かび上がらせる。。。。この物語構造も変わらぬ第三舞台時代からの踏襲である。

しかしながら、一方では、何もこの劇団だけではなく、変わらぬ作風、数十年来の劇スタイルの踏襲、というのはそちらこちらで見られる現象であることにも、その特集記事を読みながら気づかされる(この特集には出てこない劇団でも、長く続くところは、人気を博したことがあるところであればあるほどにほとんどがそのカラーを固持し続け、活動を続けている)。

劇団という集団活動の良さを記した記事であったのだが、そう考えると、ー皮肉な事にーこの集団としての日本的演劇活動、殊更にそれらのほとんどが劇団付きの一人の作家・演出家が一手に劇作を担っているという特徴から、それが良い事なのかどうか???`変わらない’という停滞を生んでいないか?ちょっと疑問にも思えてきた。(海外では作・演出を別々の人が請け負う場合が多いので、まずはその場でDebate(話し合い)が行われ、常に自身を振り返りジャッジする場が設けられるので)

***********************************

と、劇団のはなしはこれくらいにして、、本作「アンダー・ザ・ロウズ」に話を戻そう。

****** ストーリー  ネタばれ注意*********

主人公一の瀬(古河耕史)は一歩を踏み出せず型をやぶれない自分に悶々としながらもガールフレンドの奈緒(大久保綾乃)との平穏で幸せな日々にそれなりに満足をしていた。
そんなある日、彼の古くからの気がかりの一つである、中学校時代の同級生、榊(山崎雄介)と街で久々に対面するー一の瀬は榊がイジメられていたのを見て見ぬふりをしてその場を逃げ出したという苦い思いでがあり、今でもその事を悔やんでいるー。

久しぶりに会った榊に当惑する一の瀬だったが、どうも榊の様子が変だ、彼は一の瀬をイジメから救ってくれた恩人として記憶しているようなのだ。。
なぜ?
彼と話すうちに、実はその榊は他の時空に存在する現世とのパラレルワールドからやってきた別次元の榊で、その世界で起きている緊急事態を終息するために一の瀬に頼み事があって二つの世界を繋ぐトンネルを抜けてやってきたことが分ってくる。

二人して、トンネルを渡りパラレルワールドへ潜入する一の瀬。そこで彼はこちらの自分はイジメを解決する新興集団のカリスマグルとして活動している事を知る。

様々なイジメ、虐待を受けた人々が彼のもとを訪れ、背中を押してもらう儀式により、行動=リベンジへの一歩を踏み出す。

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2011年4月15日 (金)

Bob in Ho-chi-Minh (4/10)

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春のボブツアーの続きで週末にボブ・ディラン ベトナム:ホーチミン(サイゴン)コンサートへ。

我が家のKYさんの仕事の都合で、またもや週末限りの弾丸ツアー、土曜日の夕方に成田を出発して、現地の月曜日夜中の飛行機で帰ってくるー成田着は火曜日早朝ーという、ボブに焦点をあわせた滞在だった。

我が家の二人ともベトナムは初めて訪れる国。
で、夜の9時半ぐらいの空港に着き、ガイドブックどおりに空港でタクシーバウチャーを購入し、市内のホテルへ向かったのだが、、、、ま〜〜〜〜〜〜〜、のっけから驚いたのなんのって。
道路に車とバイクが溢れている!!
でもって皆が先を争って縦横無尽に走っている。綺麗に縦列の状態で車が走行しているのではなくて、なんでそんなに急いでいるのかよくわからないが(と言っても皆が勝手に走っている道路ではそれほどのスピードが出るわけでもないのだが)、とにかく追い越す。。。中央車線(というものがあるのだそれすば、の話だが)を無視して一台でも前へと追い越す。で、交差点ではかなり強引に右折・左折・そして斜め曲がりをして進行する。さらにはそれらの車の間を隙間なくバイクが埋め尽くす!!!!

でもって極めつけはそんな道路を人が横断している。もちろん横断歩道や信号機をではなく、勝手に渡りたい所でそれぞれにマイペースで横切っている。時には70歳ぐらいのちいちゃなおばあちゃんやおじいちゃんがノロノロと天秤棒をかついで、バイクの波の中をサーフして渡りきっている。スゴい!!

そんな道路事情なので、車は常にクラクションを鳴らし、その音によってまた隙間を作ってはチョロチョロと追い越している。
その様子はまるで水族館で回遊している魚の群れのごとし。あれほどまでの数なのに、みんなぶつかることなくすり抜けているーちなみに、朝昼晩、いつでも道路はこの調子なのだが、交通事故、あやうく交通事故、、というのも滞在中一度も目にする事はなかった。

呪文のようにチップをおねだりする運転手さんにわずかばかりのチップを手渡し(すでに規定料金はバウチャーで支払っているはずなので)、ホテルに到着。
繁華街にあるホテルだったのだが、なにせ初めてで土地勘が無いということもあり、とりあえず、手っ取り早いホテルのバーへ。

小さなショーステージもある薄暗いバーに入ると、今度は、その従業員のお姉さんたちのユニフォーム、というかお衣装に、またもやビックリ。
中央に設置されたアイルランド式カウンターの中で接客するお姉さんたちのピンクレディーばりに(分るかな〜〜〜??)マイクロミニ、でもって胸を上げて寄せてのピチピチの衣装!分り易すぎる。
(日本のキャバクラとか、接待式バーには行ったことがないが、きっとそちらにはチラリズムが存在していて、いまさらバブル時代のボディコンではないので、これほどまでに分り易い衣装の方はいないのではないだろうか?)
なんだか妙にボンキュンとスタイルの良い(まあ、それがお仕事ですからね)お姉さんたちの、あっけらかんと明るく、屈託のないこと。

私たちが入店したときには数人の西洋人のおじさまたちしかいなかった(これも分り易いでしょ?)のだが、ちょっと隣に目をやると、中年のおじさんが娘のようなお姉ちゃんに手取り足取りご飯を食べさせてもらっているし。。。その向こうでは手をなでなでしているし。。。。まあ、それにしてもお姉ちゃんたちに陰湿なところがないので、女の身でも居心地が悪いということは無し。
これが、全ての曖昧なところは取っ払ってのビジネスライク、サービス=マネーということなんでしょうかね。

で、その晩はそのバーで現地通貨の感覚に慣れ(ご存知の方も多いと思いますが、ベトナムドンのレートが10,000ドン=50円 といったものなので、0の多い感覚に慣れないうちはちょっと戸惑います)、その日は外出せずに就寝。ちなみに三ツ星ホテルで二人部屋で6000円/泊ぐらいのホテルだったのだが、と〜〜〜〜〜っても快適だった。スタッフの質が高く、笑顔が素晴らしかった。

一夜明けて、日曜日。

街の中心からちょっと離れたインターナショナルスクールのキャンパスがコンサート会場。
予約した案内にはチケットは当日会場で引き取りすること、コンサートの時間は5:30とある。

昼間は町中の有名な露店マーケットへ繰り出し、その近くのレストランでベトナムフォーを食べる。
普段はあまり食べることに興味のないKY夫もこのフォーは気に入ったご様子。

東南アジアの湿気を含んだ暑さと相変わらずの喧噪の中、100円/缶のビールはありがたい。
ローカルの人々は、その暑さのせいなのか、話し好きな国民性によるのか、、みんな路上に食卓を持ち出し、お隣さんとワイワイ話しながら飲食をしている。

街をブラブラして、土地勘を養い、その後はグッズ購入に必要な時間、そしてチケット引き取りで何かトラブルがあった際の余裕時間を考えて、会場へは早めに4時半ぐらいに到着。おそらく同じ考えのいてもたってもいられない組がすでに到着(みんな外国人)していて、ようやくチケット引き換え場所などを設置し始めたコンサートスタッフの回りに集まってきていた。

路上で売られていた(半)オフィシャルTシャツーそこのスクールの学生らが販売していたのでーを購入、一目で`あ、一番大きなサイズ!外人さんようのがあるよ!!’と一目でサイズをあてられていたKY氏。まずはお目当てのグッズを入手して一安心。
で、次はチケット。ということでデスクでチケットを受け取ると、そのチケットには公演時間5:30〜11:00とある。え〜〜〜〜〜????なんじゃこれ?

ちょうどその場に居合わせた、外国ファン組のオーストラリアからのファン(♂)と香港からのファン(♀)ー二人ともそれぞれにバックパッカーの旅の途中でこのコンサートに駆けつけたんだとかーと意気投合し、もう一人のカナダ人でマレーシア在住のファン(♂)とその後一緒に野外コンサートを楽しんだ。

つまり、他の人たちも、その場になって知らされたことなのだが、コンサートは5時半開場でローカルの前座が二組、でもって御大はいつも通り夜8時過ぎからのご登場らしいのだ。

VIPシートと名打ったチケットを購入していた私たち(VIPシートの方が一般チケットに比べて格段に高いのだが、そこは物価の安いこの国。。。例えば日本での昨年のライブハウスコンサートのスタンディングチケットと変わらない値段なので、ほとんどの外国人はこのVIPチケットを購入していたようだ。。。しかしながら、これも始まってから分るのだが、一応VIPシートエリアというのが設けられているのだが、別段ステージに近いわけでもなく、所詮は原っぱに設けられた屋外会場。まあ、飲み物のタダ券がついていたくらいで席に関しては一般席とそれほど変わりはなかった、、ということ。トホホ。。。体のよい効率の良いチケットの売り方に、皆しっかりはまったというワケ。。)、他にする事もなく、ローカルバンドの歌も興味はなく、、ひたすら8時までビールを飲み続けたのだった。

コンサート自体は夏フェスのようなノリで、`あの(反戦歌手の)ボブがベトナムで!!!!’と勝手な思い入れたっぷりに集まった聴衆にはちょっと物足りなかったみたいではあった。

お決まりの2時間の演奏を終え、バンドはご帰還。。。ここからが、ある意味予想は出来たのだが。。。われわれの最後の試練、で会場から溢れた旅行者聴衆たち。ローカルの人たちはおそらく友人らの車で帰って行ったのだろうが、われわれにその手だてもなく、タクシーを探して彷徨い歩こと30分。。。。ふ〜〜〜〜〜、香港ガールの奮闘もあり、タクシーをゲットしてようやく5人で町中まで戻る事が出来た。
偶然、それぞれが泊まっているホテルが歩いて数分圏内だったため、安心からか、さらに町中のバーで飲みを続け、、午前様で歩いてホテルまで帰るーその時間でも、というかその時間からますます町中は賑わい(日曜日の夜にもかかわらず)を増していた様子。。外国人旅行客が集まるようなハンバーガーなんかを出すウェスタン様式のバーもあって、そんなところでは若いバックパッカー旅行者たちが、そのバーの横で出店している屋台ー別の店ーから焼き鳥らしきつまみなんかを購入しながらビールをあびるほど飲んでいた。

一緒の仲間うちのオーストラリア人の男性もしばらくアジアを旅しているバックパッカーということで、その手の安上がり旅行術には長けていた様子。
日本のガイドブックなどには`料金交渉が面倒でふっかけられる場合もあるのでシクロ(ベトナム流人力車)などは避けた方がベター”とあったのだが、彼に言わせれば「最後に何か言ってきても、だってボクこれしかお金ないから。。。払えないものは払えないよ〜〜ん、と言い続ければいいんだよ〜〜」とのほほ〜〜〜んとした口調で語っていた。

***************

翌日はフライトが夜中だったため、チェックアウトを済ませ、町中へ。

まずは「戦争博物館」かね?。。。ということでタクシーで博物館へ。
緑に囲まれた博物館の展示物はなかなかに見応えがあり、中庭に陳列されている米軍が使用した戦闘機や戦車を見て回った後、3階建ての博物館を見学していたら、あっと言う間に閉館時間になっていたーガイドブックには所用時間1時間とあったのだが、、結局4時間ぐらいそこにいた計算になる。

「枯れ葉剤」による人体への影響を写真で追ったコーナー、全世界で起こった反戦運動を国ごとに紹介したコーナー(全世界で大規模なデモなどが起こっていて、当時の写真が展示されていたのだが、日本のコーナーがなかなか見つからない。。。う〜〜〜〜ん??と思っていたら、最後の最後に他国よりも大きなスペースをさいて紹介されていた。)、拷問方法を紹介したコーナー、ベトナムの歴史コーナー、武器紹介コーナー、戦後のアメリカでの影響を紹介したコーナー、ベトナムでの戦後の爪痕を紹介したコーナーなどなど、、

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この方は日本人で金子徳好(とくよし)(故人)さんという方。ベトナム戦争反対を訴え、このゼッケンをつけて8年間通勤したということだ。(その後、核廃絶運動の際にもゼッケン活動を行った)

ーそんな〜〜〜時代もああ〜〜ったねと、いつか話せる日が来るわ。。(「時代」中島みゆき)って、昨晩テレビで流れていたけど、良い歌だわね〜〜。

それにしても、ちょっと前の事ー実際、戦争経験者がまだまだ多く生存している中でーなので、今がその「いつか」なのかどうか、、世界情勢が大きく変わる中でのベトナムの戦後検証って、なかなかに奥が深い。。。それにしても、町中の市民はみんなバイタリティーに溢れていて、明るいんだけど、、一方でちょっと路地をみると、6〜7歳くらいの女の子が夜中に花売りとかしているからね〜〜〜。

って、思いがけず時間が早く過ぎてしまい、結局ベトナムでのショッピングはパス。(また次回、今度は女子会で訪れたときにでも。。。)

博物館の近くにあった中華レストランでちょっと小腹を充たし(綺麗なお店だったけど、そこのメニューに「雀の丸こげ焼き」とか「牛の睾丸のなんとか。。」とかあったよ〜〜ん。ふえ〜〜〜〜ん。。。)、ホテルへ戻り、ホテルの近くのちょっと綺麗なローカルレストランで食事&ビール。ー我が家のKY君がおいしい!!!と絶賛していたポテトスープは約50円なりー

長い一日のはずが、博物館と食事であっと言う間に終わってしまった。

夜中の12時発の飛行機で帰途についた。

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2011年4月 8日 (金)

パラリンピックレコード(4/8マチネ)

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今、ノリにのっている劇作家・演出家、中屋敷法仁がゲストで演出を担当した北京蝶々の舞台「パラリンピックレコード」を三軒茶屋シアタートラムで観る。

劇作は北京蝶々の大塩哲史が手がけているのだが、巷の演劇レビューサイトで書かれているように、演出家中屋敷のカラーが前面に出たシンボリックで記号的な舞台に仕上がっている。

***** あらすじ 演劇サイト紹介欄より*****

二度目の東京オリンピックを目前に控え、祝祭ムードに包まれる東京都。
新都心に建設されたオリンピックスタジアムがテロリストにより占拠され、視察中のイシハラ都知事が人質となる。
新型の義肢を装着したパラリンピック・アスリートは人質を救出する為に奔走するが……。
イシハラ都知事も真っ青の表現規制ぶっちぎりエンターテイメント!」

***************************

当日パンフに作者が”「津波は天罰」と発言したイシハラ都知事にどうにかして天罰を下せないかとずっと考えているのですが、なかなか良いアイディアが浮かびません。。。。」”とはっきりと書いているように、現職都知事の再立候補とタイミングをあわせた、現在の日本の状況のあちらこちらにちくりと皮肉をこめたエンタメ劇。
----それにしても、東京都の長を選ぶ選挙の顔ぶれじゃあないよね〜〜〜。芝居の中でもそのあたりはチクチクとやっていたけど、他の地区の長の方々の改革路線運動もあるだけに、この時期だからこそ官僚主導を変えるチャンス、もうちょっと面白い対抗馬が出てきても良さそうだったのに。。。この顔ぶれを見てイシハラさんも再登場を決めたのかしらん。。投票率低そう、それでもこの中から決まっちゃうんだもの、トホホ、、---------


ちょっと疲れていたらそのままスルーしてしまいそうな、今の日本のあれやこれやの矛盾を選り集めた内容となっている。

バリアフリーと声高に提唱する矛盾ー本当にそれは必要なのか、フリーにすれば良いのかー、良かれと推進しながら逆差別につながりかねない様々な建前を列挙。ー`セクシャルマイノリティー’なんて呼び方も、近年問題視された`後期高齢者’という呼称も曖昧な放送禁止用語同様、なんとも微妙な気の使い方がくっついた言葉。。さらにはそれがあだとなっていたりして。

英語ではその反差別の姿勢を「ポリティカリーコレクト」と言い、公な解釈としてはあくまでも正しいと位置づけながら、しばしばそれを`建前的な表現の意味’として使うこともある。ーそんな、確実に存在する本当のようなウソ、を暴いたお話。

一歩間違えたら押しつけがましくなるような皮肉な内容を中屋敷式ポップな記号論であくまでも潤滑に、そして随所に楽しく見続けさせる事に成功していた。

何故かドンピシャにキャスティングされた流山児祥のイシハラ役が効いていた。

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ドクターD(4/7)

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宇吹萌(うすいめい)率いるRising Tiptoeの第9回公演、でもって結成5周年公演「ドクターD」を下北沢の小劇場楽園で観る。


*****あらすじ 劇団HPより*******

ソープ嬢の史(ふみ)は、元旦那の執拗なストーキングから逃れるために都内を転々とする日々を強いられている。
一人息子が神隠しに遭ってからは店も休み、一層引きこもるようになっていた。
ある晩、そんな史を心配する親友の愛子が、家出をしてきたらしい謎の少女リサを連れてくる。
やがて史は、何やら事情がありそうなこの少女を守ることがこれまで自分が守りきれなかったものに報いることだと思うようになる。そんな中、同棲し始めた二人のもとへ、ある男が突然リサを探しにやって来る。
リサの素性を知っていると言うのだが・・。

「私は医者であなたは患者。正常と異常が逆転しても、立場は逆転しないのです」
           孤独×孤独
       狂乱のミラーハウスへようこそ!

***********************


作・演出の宇吹萌が描く世界は現代社会における自己の立ち位置の確立、その行程は極端なif...の妄想の世界で繰り広げられる。

今回も他者との関わりの中で惑わされる孤立した主人公、史(中村小麦)の心の旅が、性も生も倒錯した世界の中で笑いとともに描かれる。

このところ定番化している蛯原崇による女装ナース役が特出。

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Top Girls(4/5)

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北村明子インタビュー

英国を代表する女流作家キャリル・チャーチルの1982年の代表作「トップ・ガールズ」を日本のトップ・ガールズ=アクトレスたちが演じるSISカンパニーの舞台を渋谷文化村シアターコクーンで観る。

上記リンクでSISカンパニー代表、プロデューサー北村氏は「今までにも何度か上演を、と考えて、試みたことがあるけど、全員のバランスがとれた女優を集めるのが大変で、、、考えていたうちの誰かの都合がつかなかったり、あの人とだったらいやだ、という人が出てきたり。。。(苦笑)なかなか実現にまで至らなかったというのが実情。劇団内の試演会とか学生演劇の発表会とかだったら良いけど、商業ベースのプロダクションとしてやるからには、本当に"トップ”の女優達でないと、このトップ・ガールズは成り立たないからね。」と、この演目の上演の難しさを語っていた(実際、有名な作品でありながら、主だった商業プロダクションとしてはこれまでに2回しか実現していない)のだが、今回はそんな彼女も納得の顔ぶれが集まっての上演と相成った。

82年、ロンドンのロイヤルコート劇場で初演された際には女性初の首相、保守党マーガレット・サッチャー首相の英国大改革(それまでの労働党による社会主義的労働組合価値を米国的資本主義による自由競争価値へと移行、多くの国営企業を民営化し、自由経済をベースとした構造改革を推進した)と時期を同じくしたため、女性の社会進出、フェミニズム台頭の芝居という認識のレッテルを貼られ続けてきたわけだが、今回の上演に際し、チャーチル氏がプログラムへ寄稿しているように「。。。女性をめぐる環境はある意味では進歩したとはいえ、いまだいくつかの困難は残されたままです。残念なことに、多くの国で競争や成功を重要視する傾向は加速しており、現在でもない、この作品が今日的意味を持つものとなっています。だからこそ、観客の皆さんにお楽しみいただけることを願っています。。。。(抜粋)」、今回今日を生きる女優たちによる舞台を観て、フェミニズムの芝居というよりも、性別を越えたところでの世の中の矛盾=「金があるにこした事はないが、それが全ての幸せであろうか?しかしながら一方では、やはりある程度の生活レベルを獲得し、良い教育を受けるということが重要である、そしてその為には資金が必要である、ということも事実である」、この現代における恒久的な矛盾と社会の対立構造を描いた芝居であるという事が良く分った。

演劇史に燦然と輝く独創的な第一幕、第一場。歴史上の女性のポジション改革の立役者たちーイギリスの女性探検家イザベラ・バード(麻美れい)、晩年に旅行記を残した鎌倉時代の帝の側室、二条(小泉今日子)、女性でありながらその性別を隠して教皇となった教皇ヨハンナ(神野三鈴)などなどーが現代に生きるキャリアウーマン、マリーン(寺島しのぶ)の重役昇進を祝ってレストランでテーブルを囲むシーン。

平田オリザの現代口語演劇のように、しゃべっている人の台詞にかぶせて次々と自分の成し得た事の自慢話に興じる女たち。(平田オリザの戯曲のように、どのタイミングでかぶるか戯曲で指示されている)人の言っていることには半分ぐらいしか耳を傾けず、いかに人生が大変だったか、、そして時にはいかにモテたか、、、をダベリあうその姿は、今でも青山や六本木あたりのレストランでもそこここで目にするような、まさに今どきの女子会そのもの。ーーー我が身を振り返ると、女だけの飲み会の、そのなんと自分本位なことか。。。男だけの飲み会がどうゆうものか知らないが、彼らは一応人の話は聞くのではないか、と想像する。男だけの飲み会で俺様なヤツというのはいないような気がする。それに対して、女の集まりでは自分の持論を語る、そしてそれを頑に押し通すというパターンはよくある。それが女の強さでもあるんだけどね。ーーー

良い悪いもすべてひっくるめて、`女’であることに変わりはなし、ということを見事に表してくれている。

その後に続く、現代(とは言っても80年代のイギリスなのだが)でも、ありがちな会議室でのランチタイムのおしゃべりの再現のようなシーンやら、夢見る夢子さんの転職エピソードなど、国と時代は違えども、見事に「これ、あるある、分る」と言ったようなエピソードのシーンが続く。
この芝居では女ばかりの話になっているので、でもって作者が女なので、女のあちゃちゃ〜〜〜な部分がクローズアップされているが、作者は女を攻めるためにこれをしているとは思えない。チャーチルはそれを越えた所で、女もあちゃちゃ〜〜〜だけど男ももちろんダメダメだよ、、男の部分が言えればそれも言っちゃうよ、という姿勢にある、と思う。

英国演劇らしい、矢継ぎ早な問いかけ、人類の愚かさ、そしてこの世の矛盾に関する鋭い洞察、そしてそれを言葉で的確に言い当てる術、観客へ問いかける術、、、、どうにもこうにも、いやはや、ご当人が言うように何時の世にも通用する問いかけである。


今回、この劇が初演された年に芝居を始めた演出家、鈴木裕美が技巧派の名に恥じない仕事をきっちりとこなし、この芝居には少々大きすぎるシアターコクーンの劇場を舞台上にフレームを置くことにより焦点をあわせ、観客が会話劇に集中し易く工夫、大らかな包容力で個性豊かな女優陣のそれぞれの魅力を引き出しー特に、女であることを前面に出した(女以外には成り得ない)小泉今日子、多くの顔を要求された渡辺えり、そして着実な技を見せつけた池谷のぶえ、そして真ん中で常に光を放っていた寺島しのぶー下手をしたら陳腐になりがちなフィクションの世界を、きっちりとその芯にある問題を浮かび上がらせていた。

82年の初演時に作者が危惧をしていた自由競争経済による社会モラルの崩壊をその後のメイヤー政権、ブレア政権、ブラウン政権を経てバブルを謳歌し、現在の福笑い術の人形のようなキャメロン政権の危うさの中で、どのように読み解くのか、、、、今、この劇を通して何を導き出すのか、その答えは観客一人一人に委ねられている。
この芝居は単なるフェミニズムのメモリアル演劇ではなく、今日に息づいているということに気づくべきである。

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2011年4月 5日 (火)

Bob Dylan in Taipei

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聴生歌`巴布狄倫(Bob Dylan)’大会場台北一緒大勢台湾友好雰囲気

こんな感じの週末を台北で過ごしてきました。

4月3日(日)、ディランの初めての台北でのコンサート。でもって2011年ツアーの皮切りで上海・北京・香港・ベトナム・シンガポールと続くアジアツアーの第一回目のコンサートとあって、会場の台北アリーナは8時会場前には黒山の人だかり。。。台湾のチケットエージェントのページが中国語オンリーの表記だったため、どれほどチケットの売れたのか、、ちょっと心配していたのだが、大ホールの入りとしては十分。。。。皮肉な事に値段が安めの三階席は満杯で細かく価格設定をされた中間幅の値段の2階席あたりには空席が。。。。私たちのようなおバカな熱烈ファンは高めでもフロアー席(アリーナ席)を購入したようで、その高価にもかかわらず、真ん中のフロアーは8割型の入りだった。

ーーーー結局、ヨーロッパでのコンサート同様に開演してからのセキュリティーがそれほど厳しくなく、途中からみんな下へ降りてきてしまっていたので、最後にはフロアーにスタンディングの客が大勢という形になったのですがーーーーーー

台湾では初めてのコンサートということもあり、アンコールでは代表曲2曲「ライク・ア・ローリングストーン」「風に吹かれて」を披露。「風に吹かれて」はアレンジが大いに変わっていて、曲が始まってから少ししてから初めて「風〜」だと気づいたほど。。。回りの聴衆も同じような反応だったので、皆も最初は気づかなかったのかな。。。。と。

(いつものお決まり通り)2時間弱で全行程を終え、聴衆も会場を後にしたのだが、我が家のKY夫さん、さすがにタダでは帰らず。。。スタッフの人と交渉して、なんだかお土産(記念になるスタッフのグッズ)になるものをしっかり入手。いつもながらのちゃっかり者、というか交渉上手。(この交渉術に関してはいつも感心させられる。イギリス人ならではの口の上手さ)

会場外で興奮冷めやらぬ様子の外国人グループ(英国、南アフリカ、米国etc..からの人たちで台湾に住んでいるとのこと)と意気投合して近くの英国式バプへ。
その前の晩には酒だけが飲めるバーがなかなか見つからず、繁華街を歩き回ったのだが、やはりジモッチーに聞くのが早道というもの。

男性陣はそろって台湾人の奥様持ちで、やっぱりなんとなく`類とも’でグループが出来るんだな〜〜〜と納得。

ツーリストだったから、というのもあるのだろうが、台湾の人たちがとってもフレンドリーで、ホテル、レストラン、パブ、などなどではみんな英語もカジュアルに話していたし、ーその人たちも私が日本語で話せばきっと日本語の方がもっと上手に話せるのでしょうー、KY君は大いに気に入ったらしい。

さらに、タクシー料金が激安で、流している黄色タクシーも多く、その辺も便利で気に入ったらしい。

(料金が日本での初乗り710円までいくことは滅多になく、ちょっとの移動だったらほとんどが100台湾ドル=300円以内でOK。香港映画の追跡シーンのようなアクロバティックな運転も一興。ーマジすごい!!)

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2011年4月 1日 (金)

A Number (4/1)

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幡ヶ谷にある小劇場 Our Spaceで東京ベースのイギリス人たちによる劇団Black Stripeによる「A Number 」を観る。

Black Stripe Company

05年にTPTでもイギリス人演出家サーシャ・ウェアーズの演出、手塚とおる、小林勝也出演で上演された今作。
今日から渋谷で上演されている、SIS カンパニーによる「トップ・ガールズ」の作者であり、代表作「クラウドナイン」で知られるイギリスの女流作家 キャリル・チャーチルの02年初演の二人芝居だ。

*****ネタバレ注意********

ある日、自分とそっくりなクローン人間がこの世に存在すると知ったら?
近未来のあるイギリスの街で、子どもを失った(手放した)父親がその子のクローン製造を依頼する。
愛する息子を取り戻した父親は満足だった、、、病院が秘密で他にもクローンを製造していたことを知るまでは。。

成人し、その事実を知った息子は`自分は何者??’、`一体誰が自分だと証明してくれる??’と困惑する。父親は、離れていた実の息子と会い、そしてもう一人の会ったことのないクローンとも対面する。

見た目は同じでありながら(息子役は全て同じ役者で演じられる)、(当然のことながら)全く違う態度をとる息子達。。。クローンだからオリジナルと同じだと思っていたのに。。

***************************


7時半開演ということで、その10分ぐらい前に劇場に入る。

普段は稽古場として使われているというその小劇場にはバーがあり、集まった(おそらく英国人が多い)外国人の観客たちは知り合いとビール片手に歓談の真っ最中。

ソファー椅子、にパイプ椅子、、、開演時間を過ぎてもいっこうに彼らの歓談は終わる気配無し。。(これはイギリスの小劇場でも同じ)10分ぐらいおしてから、ようやく40〜50席ほどの客席にノロノロと観客がつき始める。
皆、手には飲み物を持ったままだ(これもイギリス式)。

開幕ベルを合図に役者二人が舞台に登場。
のっけから、最後まで変わらぬペースで、二人のあうんの会話劇が進行していく。

1時間後、幕が降りた後、観客達はバーへ、、、友人同士、そして舞台を終えた役者二人を交え、演出家も交えて、今観たばかりの劇についての歓談が始まる。

以前、ハイバイの岩井氏にインタビューした際に、彼が「劇場でも自由に食べたり、飲んだり出来れば、観劇ももっとリラックスした楽しいものになるのに。。。」と言っていたが、ここでは、それが当たり前に行われていた。

もちろん、「じゃあ、またね〜〜〜」とすぐに変える観客もいるのだが、子どもも大人も混ざって、舞台についてのおしゃべりを楽しむ、、、やっぱり観劇が特別なイベントではなくて、日常の一コマになっているんだな〜〜〜と実感する。(たとえ、ここが日本でも)

芝居の感想としては、以前に観たTPT版ではおきていなかった笑いが大いに劇場中に響いていたのが印象的だった。

いかにもイギリス的な、おバカで偏屈な人々のへりくつをこねあう、それもず〜〜〜〜っと本音の議論を続ける芝居なのだが、日本では、その情況下で親子がする会話、、というその設定自体が、なかなか無理があったのかもしれない。
日本版ではあり得ないSFの話、、として不思議な世界に収まってしまっていたが、今回の舞台では、それがもっと身近な話、それぞれにとっての`自分’とは?と、その次に`じゃあ親っって一体何?’という、でもってイギリス人が大好きな会話のボケ・ツッコミが笑いを誘う劇に仕上がっていた。

終演後にバーで話した、役者の一人の話で`これは会話の妙がポイントなんだよね。一見まともに返事を返しているようで、そのまとまな一言、例えば I do so..なんかがその状況によって、別の意味にもとれる、で結果として逆効果を生んだり、おかしな笑いを誘う返事になったりしているんだよ。。だから、日本語で一体どうやってそれを表現したのか、、、その日本語版の舞台に興味があるよ。’と言っていたのに大いに納得した次第。

ロンドンまで飛ばなくても、イギリスの芝居が観れる、グッドチャンス!!週末3日まで上演しているので、この機会にイギリス調会話劇、体験してみたら?

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4月になって

先日の「MANSAI解体新書」の欄で、世田谷パブリックシアターの芸術監督からの、上演再開に関するコメントを載せたので、他の劇場の芸術監督からのメッセージも抜粋してみました。

2011年3月 流山児★事務所:芸術監督  流山児祥

レパートリー・シアター:『花札伝綺』『夢謡話浮世根問』『卒塔婆小町』の3連作上演をわたしたちが始めたのは「劇場」とは「ある」のではなく「なる」ものだということを立証するためです。今、無力な私たちにできることは「集団の力」を信じる事ではないでしょうか。

社会に生きる人々といかに「関係」し、いかに「元気」に出来るか?演劇はヒトとヒトを繋げる力を持っています。劇場は民衆のココロの「避難所」なのです。いまこそ、いのちいっぱい、生きましょう。


*東京芸術劇場 芸術監督 野田秀樹

「劇場の灯を消してはいけない」
~この東北関東大震災の事態に上演続行を決定した理由〜

劇場の安全確認の点検を含めて、四日間、劇場の灯を消しました。私は、その間、本当に居心地悪く暮らしました。日頃「蝋燭一本があれば、どんな時でもやれる。それが演劇だ」と言っていたからです。現実にはその蝋燭一本も危険だと思いこみ、自分の首をしめるような自主規制下におかれている気がします。

この自分の首をしめる自主規制のような事態は、のちのちの社会や文化に窮屈で不自由な爪痕を残します。つまり「こういう事態が起こっている時に、音楽や美術や演劇などをやり続けるなどもっての外だ!」という考えが蔓延することです。

だが、音楽や美術や演劇が不自由になった時代がどれだけ人間にとって不幸な時代であったか、それは誰もが知っていることです。

日常の営みを消してはならないように、劇場の灯も消してはいけない。そう思うのです。劇場の灯が消える時は、「ココロ」の灯が消える時です。ただ生きるために「ココロ」を忘れて、今最も苦しんでいる被災者のことも忘れて、モノを買い漁る日が来る時です。私は、そう信じて演劇をやっている人間です。
だから一日でも早く、劇場に灯を取り戻したく思い、本日の上演に踏み切りました。

。。。ただ、ただ見に来られるお客様が多数いらっしゃる限り、一日も早く「劇場の灯を取り戻す」ことが、私達の使命だと考えたからです。
そしてもう一度、この理不尽な天災というものに見舞われた罹災者の皆さまの「ココロ」が一日も早く平穏に戻れるようお祈り申し上げます。

                           

震災関連ということでは、野田氏が原発関連報道の編集方針に関する見解の相違から週刊AERA への連載を降板した件が、この震災直後のメッセージの後に続きましたが、あれほどのスピードと決断力が今の国の指揮官たちに求めたいもの、なんですよね。

`アエラという雑誌は何を目指しているのですか?フィクションですか?それともノンフィクションですか?’って最後の一文、これに尽きます。


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