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2010年12月

2010年12月31日 (金)

2010年を振り返ってー演劇

JT 2010年間総評

本日の新聞に演劇年間総評が載っております

思いっきりサマライズすると、、2010年は今後の10年の方向性を予感させるような、新しい動き、試みがみられた年である、という内容。

個々の劇団で細々と活動を続けるのでは、この時代`演劇文化’は継続して行く事に黄色信号が灯る、と気づき始めた(特に若い世代の)演劇人たちが、手と手をとって、アイディアを出し合いながら、新しい日本現代演劇の方向性を積極的に探り始めている。
ー一方ではベテランにおいても、野田秀樹率いる東京芸術劇場の目覚ましい台頭、そして平田オリザによる世界初ロボット演劇上演、、と果敢に攻める姿勢が見て取れた。ー

そんな中、特に上記の意味を含め記憶に残った作品として;

F/Tにおける
*ドラマソロジー (相模友士郎)
*完全非難マニュアルー東京 (高山明)ー赤い靴クロニクルを含め

*キラリ★ふじみ、多田淳之介によるフレキシブルなコラボレーション作品
(韓国俳優とのLove The World 2010、フランス人演出家パスカル・ランベールとのコラボ、そして青森ベースの劇団、渡辺源四郎商店とのコラボ作品「月と牛の耳」など)

*現代の視点から捉えたチェーホフ演劇というトータルテーマの下に約1年間をかけて連続上演されたあうるすぽっとの長期企画 「チェーホフフェスティバル2010」

その中から、得に、中野茂樹によるラップ版「かもめ」ー「長短調ーまたは眺身近め」を挙げる。

これらを優れた結果として挙げ、最後に今年のNo.1として

*ハーパー・リーガン(パルコ劇場、サイモン・スティーブンス作/長塚圭史演出)

を選出。

新しい`脱既存の演劇’の動きも見逃せないが、やはり優れた戯曲+演出+演技による作品には確固とした演劇の魅力が詰まっている。それは何物にも代え難い貴重な宝だと締めくくった。

輝かしい(と思いたい)日本演劇の将来へ向けて、ぜひとも劇作家の育成と手厚い保護を!


"The only thing we ever know is that we know nothing ever"
(Harper Regan より)


この一言を提示してもらいたいがために今まで芝居を観続けていたと思えるほどに、衝撃的な台詞だった。

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2010年12月30日 (木)

ノルウェイの森(12/29)

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遅ればせながら、友人とレディースデーに1000円で「ノルウェイの森」を六本木ヒルズの大スクリーンで観る。

なんだか、多くのミス・デシジョンにより、結局全てがシリつぼみという残念な作品だった。

まず、原作を読んでいない人には説明不足の部分が多すぎて、何が何だか分らないー1本の映画作品として鑑賞した後で、そのどこにも行き着けない感じはかなり後味の悪いものだと思うーでもって原作を読んで観ている人たちには、あまりにも物足りなすぎる。
友人も私もこの上映を機に、再度小説を読み直して鑑賞に臨んだのだがー(私は始めるのが遅くて上巻まで、友人は上映直前に生涯5度目(?!)の読書を果たしての結果)ー、ま〜〜〜、映画館を出てからの私たちの「なぜにこんな風になっちゃったの?????」という不満は収まるところを知らず。。出るわ出るわ。

映像で小説を汚したくなかったのか、その高まりすぎたリスペクとが仇となったとしか言いようのない、なんともミスキャストな監督選び。映像美に定評のある監督・トラン・アン・ユンだが、、確かに画は綺麗だったが、イメージフィルムでも無ければ、静止画像の展覧会でもないのだから、きちんと小説を映像化してもらいたかった。
脚本化にあたり、、、もちろん本に書かれていることを全て盛り込むことは不可能だとしても、、それにしてもその取捨選択がことごとくズレている、間違ったところを勝手に入れてーキズキの自殺のシーンをわざわざ見せるのはまったくもってナンセンス、そこからして、この小説の意図が分っていないとしか思えないー、でもって肝心なところはことごとく省いている。得にそれぞれの人間像を描写しているエピソードが全てと言って良いほど省かれているので、それぞれ登場人物の魅力が全く伝わってこない。

それゆえ、それこそ初めて映画でこの話を見る人たちには、なんでこんなセックスアディクトな薄っぺらい変人たちの小説が名作として読み継がれているの???と疑問であること間違い無し。

そうじゃないんだ〜〜〜〜〜〜〜〜、とどっかに向かって叫んでも良いでしょうか?

お願いだから、一部分でも良いから原作の素晴らしさを見せた後に映像美でもなんでも好きなだけやってちゃぶだい!!!

恋愛悲劇!なんてそんなキャッチでこの名作を片付けてほしくないのです。。ウエ〜〜〜ン。。

今、大人の人たちだったら、誰もが通ったその青臭い、しかしながらある意味輝いていたその短い時期に関して、繊細に、そして正直に描いた名作なのに!!

そのあまりにもあっけらかんとした死についての記述、そして異常なほど事細かに書かれた性愛記述、でもって彼からみた回りの人たちに関する偏った描写。。。全てが計算され、完璧な世界を構築しているのに。

もう少し、原作に関して、思い入れのある方に、たとえ出来た作品がその方の一方的な解釈だったとしても、、それでも良いから、これが私が思う「ノルウェイの森」だ、というものを見せてもらいたかった。

ダイジェスト版の予告編はそれで良かったけど、本編になってもそれ以上には何も出てこなかったという、なんとも欲求不満な出来。

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笑うハチドリ(12/28)マチネ

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麻布十番にあるアトリエフォンテーヌという小劇場で渡辺えり率いるオフィス3OOーご存知の方も多いと思うが、渡辺えり子(今はえりさん)率いる劇団300が野田秀樹の夢の遊眠社、鴻上尚二の第三舞台らとともに日本演劇史に燦然と輝く小劇場ブームを起こしたのが80年代。劇団300自体は「ゲゲゲのげ 逢う魔が時にゆれるブランコ」「瞼の女 まだ見ぬ海からの手紙」「オールドリフレイン 花粉ノ夜ニ眠る戀」などなどの代表作を発表、名バイプレイヤーもたいまさこ、豊川悦司(あのトヨエツ。。私も当時に舞台での生トヨエツを体験した経験があり。。やはり目立っていたという記憶あり)ら俳優陣の人気も加わって、チケット入手困難な劇団の一つだったのだが、世代交代に加えて中心メンバーの東銀之介氏が亡くなったのを機に97年に正式解散。その後渡辺氏は宇宙堂という新しい劇団で演劇活動を続けていたが、この度はまた心機一転 オフィス3ooという名に改名しての公演だという。来年には劇団300の代表作「ゲゲゲのげ」を座・高円寺にて再演する予定とか。ーの実験公演「笑うハチドリ」を観る。

今作が今年観た芝居ー全293本ーの締めの作品となる。


アトリエフォンテーヌという劇場、馴染みがなかったのだが、作曲家、故いずみたく氏がミュージカル上演専門の劇団として77年に`イッツフォーリーズ’を創設、その劇団のホームとして作られたのがこのキャパ120名の小劇場とのこと。劇団員約50名が所属し、この劇場でのミュージカル上演の他に、テレビ、イベント、関連ワークショップなどでも精力的に活動しているらしい。知らんかったわ〜〜〜、そんなメイド・イン・ジャパンのミュージカルを専門に長く続けている劇団があるなんて。。。(その方向性には大いに賛同する。J−ポップみたいに、日本語にのる曲で、オリジナルのミュージカルを作った方が、結局は近道のように思う。海外ミュージカルの翻訳版と平行して、この線を太くしていく意味は大いにあると思う。)

で、今回の新作、若手劇作家石原燃氏(この方の経歴を検索していたら、面白い事を発見。彼は劇団劇作家というところに所属しているのだが劇団劇作家HP、この集団、劇作家たちで構成され、戯曲を創作・提供していく劇団(団体)とのこと。この新しい試みによって、日本の劇作家たちの作品がさらに長いスパンで、大事に扱われていくようになる事を願う。)が初めてオフィス3ooに提供した作品で、宮沢賢治の短編「黄いろのトマト」を題材に、そこから発想を得て書かれたものだそうだ。

黄いろのトマト

実際、今と幻想の世界(黄いろのトマトの童話の世界)を行ったり来たりする劇作の中で、宮沢賢治の童話の引用がそのまま出てくるのだが、そのあれやこれやー童話のエピソードやその童話自体が作者・賢治の実生活=仲の良かった妹トシとの関係に重ねあわせていることなどなどー劇を見終わった後の渡辺さん自身によるアフタートークで明らかになった、、というのがちと惜しい。。

ま、チラシにも断言してあるので、原作を予習してから、ということ、、もしくは基本的な知識があるかないかの問題なのだろうが、これらの裏ネタを知っているのと知らないのとでは、やはり作品の理解度に大きな差が出てくるので、もしもこれからこの舞台を観る人がいたら、ちょっとの予習をお勧めする。

その童話の世界では、幼い兄と妹が大人たちから相手にされず嘲笑され、それで彼らは現実世界に接して落胆する。。という筋書きになっているのだが、今回はそれに加えて、現代の日本での出来事を主軸に描いていて、虐待を受けている女の子とおそらく過去にそのような体験を持つ大人の男の人との関わり、さらにはそうせざるを得ない大人側の母の弱みというものまで入れて、童話からさらにもう一歩進んだところまで辿り着く事を目指している。

寓話と現実社会問題、、これらがふんだんに盛り込まれているのだが、もうちょっとスッキリ、辛くても削ぎ落とすところは落として、どちらかに的を絞った方が、メッセージははっきりとしたかも。

宮沢賢治の題材小説自体がイマジネーションが必要な難解なものなので、それの現実世界シーンへの混ざり具合になかなかに難しいところがあるのかも。

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2010年12月27日 (月)

嫌な世界(12/27)

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亀の気配

9月に観た前回の芝居↑が面白かったという事があり、年末駆け込みで喜安浩平率いるブルドッキングヘッドロック 第20回公演、10周年記念公演第三弾「嫌な世界」を前回と同じサンモールスタジオで観る。

********チラシ HPより************

―グロテスクな毎日にささやかなおかしみを。

僕の周りにはいろんな人がいて、例えば僕の家の工場の奥、暗く冷たい納戸のような部屋に住むお兄さんは、そこそこ真面目な工場の従業員だけど、それ以上に真面目に、毎晩爆弾作りに励んでいる。

「一発くらわせてやろうと思ってね。」

お兄さんはそう言って笑い、親指を立てる。だけど僕は、お兄さんが誰かにそれをくらわせたところを、まだ一度も見ていない。

僕のお父さんはお金の話が大好きだ。僕のお母さんはお父さん以外の男の人が大好きだ。工場で働くお姉さんが、どういうわけだか泣いていて、話しかけたらなぜか服を脱がされたのにはびっくりした。近所の夫婦はいつも怒鳴りあっていて、そこの子はいつも泣いていて、止めに入る近所のおじさんもいつも泣いていて、それを見ている近所のおばさんは笑っていて、僕はその笑い声が好きじゃなくて、学校も好きじゃなくて、見上げた空はキレイじゃなくて、行くところもなくて、まずくはないけどおいしくもないごはんを食べて、今日が明日に、明日が明後日になって、いつか僕もお兄さんになって。火星移住のニュースだけが僕の楽しみ。近所のミツルくんが先月旅立ち、月の向こうでロケットが壊れて、お星になった。

とっととどっかにくらわせてしまえばいいのに。僕は毎晩布団の上でそう思い、寝て、起きて、またぼんやりと嫌な一日を過ごすんだ。

10周年記念公演第3弾。ブルドッキングヘッドロックが、ブルドッキングヘッドロックのド真ん中を描ききる。見ずして語るな。嫌な世界でお待ちしている。

喜安浩平
**********************************

語り手=嫌な世界を冷めた眼で語る僕は坊豆(ぼうず)という名前の小学生の男の子(林生弥 女性が演じている)。

チラシにあるように、人々が火星に移住するようになったご時世においても、僕が人生の大半を過ごしている町工場の一角では相も変わらず、やりきれないほどトホホ。。な人間模様が繰り広げられている。

つまり、浮気があり、借金があり、勘違いな恋愛の鞘当てがあり、近しい者同士のゴタゴタがあり、ちょっと知能が足りない者達の思い込みと希望的観測のかけらがある。

そんなダメ人間の吹き溜まりのような`イヤ〜〜〜な世界。’世間の注目を集めるほどの悲惨さは無いものの、、常に蔓延しているイヤ〜〜〜な世界で、一人次世代まで生き延びなくてはならない僕は何を学び、何に希望の光をみようとしているのか。

終演後のアフタートークで若干のネタばらしとして、作・演出・出演(爆弾作りに励む引きこもり気味の工員)の喜安氏が「嫌な世界(近未来)の`寅さん’をやろうと思った。」と語っていたが、そう言われれば、確かにそれぞれの役を男はつらいよ!のあの下町ご近所さんたちの関係とダブらせる事が出来ることを発見。

実際、劇中でもスカイツリーを思い起こさせる台詞がちらほら。

つまるところ、寅さんが生きた昭和もこの近未来の世界も、人間が創りだすイヤ〜〜〜〜なものにはそれほど変わりはない、いくら科学が進歩しても人間世界にそれほどの進歩はみられず、そこに人がいて欲が渦巻く場所ではイヤ〜〜〜〜な事は常につきものなんだと言う事なのだろう。

一方、そんなネガティブな世界にも、きちんと救いのタネが撒かれているので、ご安心あれ。

最前列だったので、場面転換中に役者さんたちがえっちらほっちらセットを動かしているのが見えた。
効率良く、様々な場所を一つのセットの中で転換させるのは、これ超立体隠し扉つき絵本のようで面白かった。

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クリスマスディナー

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いまだに120%イギリス人な夫の理想の一皿。

ターキー(アップルソース付き)+マッシュポテト+スプラウト+キャロット+そしてイギリス特有の野菜 パースニップ

ま、日本人にとっての正月のお雑煮だと思って下さい。

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The Nut Cracker-くるみ割り人形(12/24)

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年末恒例の「くるみ割り人形」。

頭をニートなお団子ヘアーにしたプチバレリーナたちがエレガントママと連れ立ってバレエ鑑賞といった観客を多く見かける。
これも、K-balletがコンスタントに観客を育ててきた(熊川氏のファンになったママが我が子をバレエ教室に通わせる→今やその子どもがいっぱしに評論するほどのバレエ通に)成果であろう。

いつものハコ、オーチャードホールや東京文化会館よりはスケールが小さくなった赤坂ACTシアターでの上演だったため、全体的にはちょっとスケールダウン。小さくならざるを得なかったようだが、そこはしっかりと細部に渡る細かい演出でカバー。

あんなに凝っていて、スピーディーな振り付けーこれもあれも、と細かい工夫で凝った振り付けになっているー、絶対にウェスタンのカンパニーには出来ませんぜ。

ま、それもどっちもどっち、という気もしないではない、が。。。これだけ厳しい振り付けがこなせることは分ったので、今度はダンサーそれぞれに(歌舞伎の)にらみをやらせるぐらい(比喩ですよ、あくまで)余裕を持たせての個人主義的なK-balletバレエも観てみたいものだ、と、無い物ねだり。

ま、御大 熊川氏に続く若手にそれだけのはったり根性が出てきたら、それも可能なのだろう。

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Avenue Q(12/24)マチネ

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お人形ちゃん大好きな私にとって、かわいいマペットを観るのは苦痛ではないが、、、それにしても、やっぱり内容がな〜〜〜。

あまりにもここ有楽町からはかけ離れているよな〜〜。

全編を通して、かなりの分量をさく「ゲイのカミングアウト」ネタにしても、、日本のメディア(特にテレビ)ではおねえキャラが満載だし、ほとんど全番組で彼らが活躍しているし。主人公のピーターパンシンドロームにしても、大人になれない、、ってそんなくだらない事にいちいち関わっていられない今の時代には、ちょっと弱すぎるストーリー。

アメリカ人が喜びそうな、小ネタに関しては(ゲイリー・コールドマン etc.)やっぱり心底は笑えないし。

カラフルでお人形満載のHPは素晴らしかったけど、、、やっぱり、年末の数あるエンタメプログラムの中からわざわざこれを選ぶというところまではいかないのだろう。
(NYやロンドン旅行中に観てみるというのはあり、だとしても。)

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間違いの狂言(12/23)

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世田谷パブリックシアターでモダン狂言の先駆けにして鉄板であるプログラム「間違いの狂言」を観る。

やっぱり、これシンプルながらに良く出来ている!とまたもや大いに感心する。

来年3月、今作をフランスの太陽劇団の本拠地であるパリ郊外の爆弾庫を改装した劇場(!?)で上演する事が決まっているらしいのだが、そちらも興味津々。

街の中の劇場ではなくて、郊外の森の自然の中にある劇場らしいので、そこをうろつき回る`ややこし隊’のお茶目な姿を目撃したいものだ。

この芝居を見る度に、いろいろと複雑に考えすぎること無し!ややこしや〜〜と繰り返し、右と左の入り口を分け、面をつけたり外したり、、、、この簡潔さこそが良いのだ!これでいいのだ!!!と思わされる。

後ろに座っていた、小学生らしき子どもも、シェイクスピア狂言を大いに楽しんでいたようだし。

分るものは誰もが分るように出来ているんだよね。

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抜け穴の会議室 Room No.002(12/23)マチネ

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パルコでチーム申(俳優・佐々木蔵之介が若手演劇人と組んで創作する芝居の為のユニット名。一回目はモダンスイマーズの蓬莱竜太の作演出で「時には父のない子のように」を05年に上演。二回目からはイキウメの前川知大とのタッグが続く。)による第4回目公演「抜け穴の会議室」再演を観る。

07年に佐々木蔵之介と仲村トオルによる二人芝居として初演された今作。
その際には兄弟という間柄だった二人を今回のキャストー佐々木蔵之介と大杉漣ーにあわせて、親子に変更、その他の変更を経て、Room No.002 版として上演。

******劇場 HPより********

不思議な縁で結ばれた男二人が、生と死の狭間にあるらしい会議室(今回はRoom No.0002)や実人生で他者との関り合いの中から生ずる様々な人間模様の中で、生きていく意味、人生の意義を探し惑いながら希望を見つけ出していきます。

*******************

SF的発想、人がまだ見ぬ・知らない別世界を設定しながら、人間の深層心理に迫る作術で定評のある前川知大の作品らしい、現世の親子の関係からさらに広げた人類の太古の歴史から未来にまでまたがったスケールの大きなお話。

途中、ちょっとこじつけ感を感じる箇所が見られるものの、印象的な穴蔵の図書館セット、数字がランダムに点滅する背景、、などなどで、全体としては満足感は大。

先日、今年を表す漢字は「漏」(情報漏えい、国家機密まで漏えい)が適当なのでは、というコラムを朝日新聞に見つけたが、ちょっとそれにも通じる。
まさに今年の再演がタイムリーな芝居。

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アメリカン・ラプソディ(12/22)

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座・高円寺で音楽演奏(ピアノ)&朗読劇 「アメリカン・ラプソディー」を観る。

「ラプソディー・イン・ブルー」「パリのアメリカ人(あの雨に唄えばで有名なジーン・ケリーとレスリー・キャロン主演による古き良きハリウッドミュージカル映画の中の1曲)」「サマータイム」など、誰もが聴けば思い出す名曲を生み出したガーシュインの生涯ーガーシュインが38歳の若さで脳腫瘍で急折する前、彼が精力的に活動していた当時の彼に対する評価は相当なものではなく、死の2年前に創作された念願のミュージカル作品「ポーギーとベス」に至っては、黒人主体のミュージカルということで、その馴染みのないスラングだらけの楽曲は批評家からは全く評価されないという憂き目にもあっているーをその楽曲と彼の近しい人たちの書簡から辿る形式をとっている。

(良き日の)アメリカらしい華やかで親しみやすい楽曲の生ピアノ演奏が主役のこの舞台、クリスマス時期のプログラムとして最適でしょう。

芝居ファンのみならず音楽好きな杉並区民にも大いに受け入れられそうな演目。

ロビーに飾られた手作りクリスマスツリーも劇場の雰囲気作りに大いに一役買っている。

「ピアノと物語」シリーズ、第二回となるこのプログラム。第一回のショパンをフィーチャーした「ジョルジュ」とほとんど同じ趣き、とちょっと困惑する観客の声も聞こえたが(私は前作の「ジョルジュ」の方は見逃している)、ま、ある種のマンネリも時と場合によってはあり、だとは思う。

と言うのも、先日のインタビューでチェルフィッチュの岡田氏、ポツドールの三浦氏がそろって語っていたことの一つとして、演劇人口の裾野を広げることがまずは第一、という考え方。

毎日、違った芝居を観続けていると、気がつかないことではあるのだが、実のところその芝居を観て語っている人よりも、それを見逃している人、もしくはそんな芝居が存在することさえ全く知らされていない人の数の方が圧倒的に多いと言う実態。

マスを取り込めない、演劇というメディアにおいて、西欧の演劇システムとは違ってロングランシステムがない日本においては得に、その舞台を目にする人口が圧倒的に少ないということ。

これでは、批評に関して言えば、単なる一過性の単発的なもので終わってしまうし、ましてや世界的レベルで演劇界の話題に上ること、しいてはその次の段階、文化として影響を持った発言権を得ることがなかなか難しくなってきてしまう。

そう考えると、戦略的なマンネリ、繰り返しの上演はパブリックな文化政策、長期的な文化戦略の一環として必要不可欠なのだと思う。

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2010年12月22日 (水)

美しきものの伝説(12/21)

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壷ひっくり返っちゃった大作戦(12/20)

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2010年12月19日 (日)

YMO(12/18)

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YMOって何の略か、分る人と分らない人、、で年齢が分ります。そうそう、教授、、とかね。

でも、これからはYMOって言われたら、そっちの音楽系ではなくてこちらの演劇系ー"やっとモテた親父-YMO "を思い出す人も出てきて、ちょっとややこしいことになるかも。

今回、鈴木聡率いるラッパ屋36回公演の主人公は、そんなさえなかったオヤジに人生初のスポットライトが、というお話。

漏れ聞くところによると、翻が完成したのが初日の5日前だとか。。。

日本の役者は忍耐強いのか、遅筆作家に慣れているのか、、、そんな内輪のドキドキは微塵も感じさせない見事なチームワークで、初日から爆笑の「リーマン芝居」を見せてくれていた。

いろいろな意味で1年の生活を振り返ることの多い年末には、結局、人生の帳尻はどこであわせるのか、をしっかり考えさせてくれる、うってつけのお芝居。
これで年末を締めくくるというのも一興かも。


******チラシ より*****

▼人生のスピードは思っていた以上に速い。「たしか半月ほど前にモツ鍋を食べたなあ」と思って手帳を繰ると、実際は半年前の出来事だったりする。年齢を重ねるほどますますそうなる。
残された時間の中でもう一勝負するか、高望みはせず「人生のまとめ」に入るか。いい年こいた大人には切実な問題であろう。
▼そんないい年こいたオヤジがやっとモテたとする。彼は動揺した。自分の人生に「モテる予定」はなかったのである。まだまだ俺には可能性がある。オヤジは舞い上がり、強気になった。そしてこともあろか・・。
▼「YMO~やっとモテたオヤジ~」はそんな世界。いい年こいた大人たちの希望や後悔や、迷いや決断を、笑いとホロ苦さを満載して、ちょっとポップに描きたい。
▼ちなみにお話はかの有名なYMOとは直接的には関係ない。でも僕、YMOの音楽を尊敬しています。ポップでクールだけど、どこか心にしみる日本的な情緒を漂わせているところが素敵だと思うんだ。そんな感じのものがつくれたら嬉しいです。(鈴木聡)
************************

コピーライターとして一世を風靡し、今は外部への脚本提供、演出、そしてテレビでの脚本執筆も多く手がける鈴木聡が送り出す作品は憎いまでに気の利いたウェルメイドプレイ。

描くのはごくごく普通な市井の人々の一コマでありながら、劇のストーリー展開は波乱に富んでいる。


****ネタばれ注意****
今回の主人公、加藤(俵木藤汰)はサラリーマンキャリアも大詰めを迎え、同僚と重役メンバー入りのため最後のチャンスに賭ける56歳の部長。私生活では数年前に離婚を経験しているものの、オープンな性格の元妻のキャラもあり、離れているとは言え、娘とも良好な関係を保っている。

そんな、定年間近の加藤に第二の人生の兆し、アラフォーの新恋人(三鴨絵里子)が。。。

今までの会社オンリーのリーマン生活に思いがけない新参者が現れ、自分が目指すもの、これからの人生設計を見つめ直す、加藤。

相変わらず、会社どっぷりの親友(同僚)、そしてまさに地位をかけて根回し合戦を繰り返す重役上司たち。。。そんな彼らの生き様を眺めるうちに、加藤が出した生きる道とは。。そしてアラフォー彼女の運命やいかに。

*************

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2010年12月18日 (土)

チェーホフの御座舞(12/18)マチネ

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東池袋あうるすぽっとで1年かけて上演してきた「チェーホフフェスティバル2010」がこのプログラムでとうとう、集結。

いろんな世代による、別アプローチのチェーホフが通年継続的にーそれもある程度の期間をおいて、というのが毎日続けてというのではなくて良かったー観れて、なかなかに面白い企画だった。

同じ戯曲を、完全に解体したステージとある程度の正攻法で上演したステージと、それぞれに見比べることも出来、戯曲だけでなく、その先ーチェーホフがそれぞれの演劇人たちにどのような影響を与えているのか、、も感じ取ることが出来て、いろいろと考えさせられた。

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2010年12月17日 (金)

母を逃がす(12/16)

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2010年12月15日 (水)

黴菌(12/14)

黴菌 1回目レビュー

お決まりのケラ芝居再見。

レビューは上記のリンクでどうぞ、で、本日は新たに思ったことをちょっとだけ。。

朝日新聞の劇評欄で扇田昭彦氏が今回の舞台を「。。チェーホフは名作劇「桜の園」で名家の没落を描いたが、これはいわばケラ版「桜の園」と言える劇世界だ。」と評していた。

確かに、その視点を加味して舞台を観ていると、「桜の園」と重なる部分がちらほらー名家の没落、庭に咲く家族のシンボルのしだれ桜、その名家の没落を救うのが外部の市井市民ー見えてくる。

で、「チェーホフ」を頭の片隅に置きながら、全編を再度見通して、思った事なのだが、これ、逆説手法のチェーホフ劇世界に対する同調なのだな、と。

チェーホフ劇ではー通常、人は本当の事は口にはしないものだ。人は自分も人も騙しながら生きているーというのが思考のベースとなっている。

****ネタばれ注意*****
その意味で、この芝居を見ると、本当の事を喋っている人々ー三男坊の京(北村)、俗世離れした渋澤(仲村)、そしてちょっとひねりを効かした部分で薬でコントロールされていると思われていたが実のところ本音の雄吉(岡田)。。。そして脳病院患者の人たち。。ーこれらの本当を発言する人々が世間では逆に異物として捉えられる、さらには一億総国民で嘘を演じていた(玉砕が本望であるという嘘)日本にあって、それを演じないでいられた五斜池家自体が戦渦での「異物」だったのだという状況。

学校で教えられるように、常に正直に人に接していたら、世間でははみ出しものとなり、生き続けて行くのにはかなり不利となるのが世の中だ、、という事を見せてくれているのではないか、と。

それに加え、「真実」というものの信憑性、それ自体に疑問を抱くという観察眼が付き、さらにこの芝居を奥深いものにしているように思う。

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2010年12月14日 (火)

さよなら渓谷(12/13)

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先日、妻夫木聡と深津絵里の主演で話題となった「悪人」の作者、吉田修一が「悪人」の次に執筆、当初は週刊誌の連載という形で発表された小説「さよなら渓谷」の舞台化。
鐘下辰男主宰・演劇企画集団 Theガジラによる舞台を新宿三丁目Space雑遊で観る。

週初めとは言え、劇場はすし詰め状態の混雑ぶり。その中には演劇人の顔もちらほら。

*****あらすじ*********

どこまでも不幸になるためだけに、私たちは一緒にいなくちゃいけない……。
きっかけは隣家で起こった幼児殺人事件だった。その偶然が、どこにでもいそうな若夫婦が抱えるとてつもない秘密を暴き出す。取材に訪れた記者が探り当てた、 15年前の"ある事件"。長い歳月を経て、"被害者"と"加害者"を結びつけた残酷すぎる真実とは――。『悪人』を超える純度で、人の心に潜む「業」に迫った長編小説。(本の帯より)

*********************


人気作家の原作だけあって、犯人探しでのドンデン返しの妙とそれを予感させる面白さ(これは連載小説ならでは?!)、人間の性、そして愛するという矛盾を追求したストーリーで最後まで観客の興味を削ぐ事は無い。

Space雑遊という小劇場空間も、刑事と容疑者たち、その息をのむ攻防を目撃するには適した場所であったし、その狭い空間を最小限のシンボリックな舞台セットー舞台に鎮座する水をはった浴槽が随所で印象的な使われ方をしていたーで山間の渓谷、狭い警察の取調室に変身させた鐘下氏の演出もさすが。

と言う訳で、2時間で面白い小説を読み終えたような満足感を味あわせてもらったのだが、気になる点も。

まずは、人気小説の舞台化と小説と舞台の効果の違いについて。

昨今のテレビドラマでも映画でも、本当によく行われている人気小説の映像化。
この波が演劇界には押し寄せないで欲しい、ということ。
あまりにも急速にその傾向がテレビ・映画製作に蔓延してしまったのを見ての感想で、やってはいけないという事では決して無いのだが、もしも、この手が隆盛してしまったら、、、確実に日本演劇の終焉を早めてしまうと思うので、、、

長い眼でみた演劇界の発展の道は、まず(ある程度のクオリティーのある)劇作家を多く育てること、そして傑作戯曲を様々な演出方法で再演すること(多くの作家=演出家の枠を越えて、別の演出家での上演を通して、翻の価値を高める事)にあると思うからなのだが、この原作ありきの舞台化が増えてしまったら、もしかしたら演出家にとっては活躍の場が増えるかもしれないが、劇作家の需要が減り、、結局は演劇全体が芝居だか、ライブパフォーミング(ムービー)だか、分らなくなってくるのでは?

ーーーーそう言えば、昨今 ニコニコ動画による舞台発信というのが話題になっているが、実態を体験していないので決断づけは出来ないけれど、それも上手く使い分けないと、、、付属分野だけがどんどん広がって、舞台の実質部分が停滞という事にも成りかねないのかも、、観客の裾野を広げるという目的には貢献できると期待するけどーーーーーー

さらに、今回小説からの脚本での舞台化上演を観て感じたこと。

小説では、それこそ多くの人の心に残るような名文が必ずしも舞台ではその効果を発揮しないということ。

頭で反復してみると、オリジナリティ溢れる心に残る台詞ではあるのだが、それを生身の人間が会話している舞台の中で聞くと、なんともそこだけが浮いてしまってそぐわないという箇所があった。

原作本を読んで、やっぱりそのようなところに感銘を受けるのだろうが、、そこが書き記した文章と台詞との違いなのだろうかーーー得に今回のような現代ものの場合、一見、時世が一致しているので問題は無いように見えるが、古典文学の舞台化よりも、その書き言葉と台詞のニュアンスの違いはかえって気になるのかも。


あと、今回の舞台で気になった台詞で、詰問する若い警官の言葉遣い。。。あまりにもダイレクトで。。「人間のクズだ!」なんて面と向かって言う人の、そちら側の神経が危ぶまれる。
(みんな真顔で他人に向かって、「人間のクズだ、ゴミだ!」、なんて、虚構の世界以外で言えるのかしらん???信じられん。)


豪華キャストー塩野谷正幸、千葉哲也、伊達暁、松永玲子、とみやまあゆみーの小劇場での競演がこの満員状況を導いている一因であることは間違いないと思うのだが、やはりその中でも塩野谷、千葉、両氏の好演が眼を引いた。


+++++++++++++++++++++++
(補足)
やっぱり、原作小説が気になったので検索してみたら、原作は今回の芝居とは違って、3人の関係(幼児殺害の疑いのある母親とその隣に住む若夫婦)を明らかにしていくのは、刑事たちではなくこの事件を取材する記者とその同僚という構成らしい。
この記者が感じた疑問を通して、この哀しい恋愛状況を綴っている小説ということで、小説では刑事はあくまでも事件解決の為職務を果たしているようだ。

ちなみに、作者の吉田氏の今作に関するコメントが興味深かったので、ちょっと紹介して、補足は終わりにする。

。。。。(略)絶対にあり得ないと思える状況ですが、自分としては究極の恋愛を書いたつもりです。進むことも戻ることも出来ないけれど、自分のすべてをさらけ出すことが出来る。誰といるよりも安心できる相手なのに、一緒にいても絶対に幸福にはなれない――出会い方のボタンを掛け違ったまま負の部分で繋がらざるを得なかった男女の感情の揺らぎを感じてもらえれば、と思います。「運命の相手」とこれ以上ない不幸な出会い方をしてしまった男と女。言い換えれば、不幸な出会い方をしたからこそ、互いの「運命の相手」になりえた男女を描いたと言えるかもしれません。(著者)


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2010年12月13日 (月)

JT記事ー若手演劇人の海外進出ー

ヨーロッパで活躍する若手演劇人

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2010年12月12日 (日)

桜の園〜いちご新聞から〜(12/11)マチネ

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あうるすぽっとで1年間かけて続いている「チェーホフフェスティバル2010」の終盤に登場した、ダンスカンパニーNibroll主宰、矢内原美邦によるダンスバージョンの「桜の園」。

タイトルにサブで付いているように、桜の園で時間を忘れ、遊びと楽しみ興じた挙げ句、その終演を体験するのはロシアの没落貴族一家ではなく、箸が転んでも笑い続ける、多感な少女たち。〜いちご新聞〜の世界に住む夢見る乙女たち。

彼女たちが理想郷を見事に視覚化した息をのむばかりに美しい映像効果、いちごミルクを模した衣装、そして少女たちのざわつき、くすくす笑いのような音楽効果、ダンスと一体化し、見事な総合芸術舞台を見せてくれていた。

*****HPより*******

演劇では表現できなかった、誰もみたことがないチェーホフ。
2010年、今まさに時代の転換期。人々は何を考え、どう生きるのか。
イメージの重なりから浮かび上がる、『桜の園』の世界。
100年前も今も変わらない、人間の本質がそこにある。 ――

矢内原の目指す世界観をともに表現すべく、
10名の出演者に加え、注目のアーティスト
「スズキタカユキ(衣装)」、「阿部海太郎(音楽)」、「高橋啓祐(映像)」が参加。
新進アーティストたちのコラボレーションにどうぞご期待下さい。

桜の園
日常のなかに潜むすべての出来事が閉じ込められた世界、そうなのかもしれない。
私達はある限られた時間と距離のなかで生きている。チェーホフの桜の園はそんな感じだ。
そうして台詞をつかわないダンス作品のチェーホフに挑む私は、
ただその距離感や限られた時間のことについてだけ考えている。
その限られたものとは、子供時代ですか?学生時代ですか?それとも今ですか?
そんな、すべてがきっとただの一瞬の出来事かのように思う。
エドワード・サイードが言った『いつか、やがて、その問題も解決するだろう。』と
きっとチェーホフもそう思ったのだろう。きっとこんな問題は今解決しなくても
いつか、どこかで解決するだろうと...
矢内原美邦

*******************************


舞台上には6枚の白い仕切り壁が横一列に並ぶ。その白壁がワイドスクリーンとなり、空を森を、雪の世界を。。。そして屈託なく跳ね回るダンサーたちのシルエットを映し出す。ワイドスクリーンの角度が変わったり、壁が襖のように動いて場面転換が行われたり、途中、真ん中から壁が開き、ある少女の家庭の様子が紹介される。

当初、いちごミルクをワンピースにしたような明るくか・わ・い・い(本日観たテレビでフランスではアニメ人気から「かわいい」は普通に話され、使われている言葉になりつつあると言っていた)衣装に身を包んだ少女たちがにぎやかに舞台上を跳ね回る。

仲間で集まったのが嬉しいかのようにはしゃぎ、かと思うと一人がのけ者にされたり、グループ分けが行われたり、それに伴い仲間はずれがでたり、、と若い女の子達のグループでは日々行われているような情景がダンスと時々発せられる短い台詞で表現される。

そんな楽しかった日も過ぎ、終盤ではトーンが一片し、楽しい日々の終焉とその後が、、モノトーンの世界で描かれる。。。その後の世界で思い出すのは「あの日の楽しかった思いで」。

「桜の園」の華やかなりし日の集団の斜陽と終焉に、スポットライトをあてて、身体で表現した今作。

矢内原さんの繊細な皮膚感覚ーダンス、ヴィジュアル、音楽。。総合的にーが創りだした、唯一無二の舞台芸術。

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2010年12月11日 (土)

演劇入門(12/10)

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岩井秀人脚本・本広克行演出ー平田オリザ著「演劇入門」より、「演劇入門」を再見する。

本作、執筆岩井氏の演劇入門からどっぷり心身までつかるまでのキャリア&個人史を時系列で見せる形で展開。

*****ネタばれ注意*******

ひきこもりから社会へ関わりだした直後に母親のちょっとした思いつきから参加することになった地元の演劇体験プログラム。

長い間、集団から遠のいていた主人公=岩井氏は`まずは回りを見回してから、その場の流れに身を任せよ、それが社会生活’という社会のルール外のところにいたおかげで、その場で行われているいくつもの`これ変だよね’という今だに大半で横行している演劇の負の伝統、またそれを繰り返すのみの怠惰な演劇人たちへ批評の眼を持ち、それを自分の言葉で理解することが出来るようになっていた。(演劇世界にはびこる問題、そして俳優術に関する問題が指摘される)

その後、あまり代わり映えのない演劇専門大学での授業にも冷めた批評の眼を持ち続ける主人公。

それらの反面教師体験を忠実に活かしながら、自らが目指すそれまでの「??」が少ない演劇表現の模索に精進し始める。

既存の戯曲に活路は見いだせず(ここでは翻訳戯曲の上演に関する問題が指摘される)自作での上演という方向へ向かっていた本人は、岩松了作品「月光のつつしみ」、そしてさらには平田オリザ作品「東京ノート」に出会うことによって、現代日本(口語)演劇の可能性、今ここで演劇で出来うる表現の可能性について確信を得、その後の彼の演劇創作へ向けて大きく舵をとり漕ぎだしていくことになる。(ここでは主に劇作、口語演劇で語る劇について言及)


このような、彼のキャリアの歴史が舞台上で次々と場面を変えて上演されていく(このあたりのスピードと場転換は今回の演出家、本広氏の映画監督としての面目躍如と言ったところか)のだが、シーンごとに役が入れ替わるー例えば、本作の語り部、岩井役もシーンによって入れ替わるー演出も流れにメリハリを効かせていて良かった。


一見、個人史にように見える本作、しかしながらきちんとした演劇入門ー本人が演劇の主要要素、俳優・演出家・劇作家を体験していて、今も継続しているために、個人史の中にそれらの要素がしっかり組み込まれているーという内容になっており、しかも ’論理だったているのに分り易い’ という、かなり高級なテクニックで創られた作品となっている。

各役割の技術的な面のみならず、演劇人として必要なことー鋭い感受性、観察眼、批評性、そして集団で創作する演劇の創作方法ーなどなどにまで言及は及んでいて、一作品で何度も`美味しい、’でもって、さらに観客を巻き込んで広がりをみせる作品にまで達している。

第三者として観客席でみることにより、我を知る。。。ためか、演劇関係者が客席に多かったというのもなかなかに面白い現象。

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2010年12月10日 (金)

ロゼット(12/8)マチネ

ハバネラプロデュース公演「ロゼット」を池袋、東京芸術劇場小劇場で観る。

*******ネタバレ注意 HPより********

ロゼットとは、草花が越冬するために地を這うようにしたその様を言います。

会社を辞めて「ロゼット商会」を開業し不倫も精算した30代の独身女性、典子(田口朋子)と、
その同級生で主婦(子持ち)だが夫の家族に嫌気がさし、自立を目指す真樹(中村千春)。
東京のビルの2階にある小さなオフィスを舞台に、二人の女性を主軸に人生の機微を描いた
ある冬の出来事。
典子に秘かに想いを寄せる従業員の加賀(土屋良太)に恋人との仲を引き裂かれた妹、
美晴(高畑こと美)は、復讐(?)するため典子に兄のあることないことを吹き込もうとするが・・・。
偶然街で再会した典子と真樹の同級生で何だか怪しい商売をしている風の祐二(京極圭)が
届けて欲しいクリスマスツリー・・・。

目を開けた時あなたの傍にいるのは、あなたの大事な人ですか?
   夫、子ども、恋人、親友・・・あなたのかけがえのない人は誰ですか?
**********************************

08年、新国立劇場で上演された「鳥瞰図」の劇作で注目が集まる早船聡率いる劇団サスペンデッズ。

東京芸術劇場が若手演劇人を取り上げるシリーズ 芸劇eyeのラインナップで「2010億光年」をこの春に上演したばかりなのに、再登場とは、早いな〜〜、と思っていたら、今回は外部=ハバネラによるプロデュース公演に早船さんが戯曲を提供した形での再登板とのこと。

今作は同企画で08年に池袋の線路を挟んで反対側の劇場、シアターグリーンで初演されたものの再演だそうだ。

小さなオフィスで繰り広げられる、それぞれに人生の岐路に立たされた登場人物たちのエピソードは、それこそどこかで見たような、とても身近なもので、「あ〜〜〜、あるある、その会話」と思いながら見続けると、あっと言う間で、流れに澱みがなく、飽きさせない。

全体としては、魅力的なキャラクターにそれぞれのエピソードを背負わせたのは良いものの、背負わされただけで、空中分解的な、ちょっと未消化な部分があったのは否めない。芝居のオチが、結局は「女の友情」というのもちょっと肩すかし感が残る。

そんな中、がんばる立派な若者達に混ざっている半端者達ー裕二(京極)と美晴(高橋)の正直キャラは格段に魅力的に感じた。


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黴菌(12/8)

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シアターコクーンでケラリーノ・サンドロヴィッチの最新作「黴菌」を観る。

昨年の「東京月光魔曲」↓に続いて、昭和三部作の第二弾。

東京月光魔曲−1

東京月光魔曲−2

徐徐に描かれる昭和の年代が今に近づいてくるという三部作のからくりらしいのだが、昭和一桁の設定だった前作に続く今回は終戦前夜ー昭和20年3月ーから始まり終戦の日を経て、その後、直後の混乱期まで。

日本近代史の中でも特別に意味深いこの年を取り上げながらも、そこー終戦ーという出来事からはまったくかけ離れちゃうところがケラたる所以か。
昭和20年の香りを漂わせながらも、俗世間とは隔離された洋風豪邸に住む一家、五斜池家のあくまでも`家族の中のせま〜〜〜い距離でのお話’。

*******ネタバレ注意************

軍需景気で財を成した五斜池家、当主鉄次郎は今は病身で自分の寝室から出てくる事は無い。(家族にとって重要人物でありながら最後まで声も顔も出さず)

鉄次郎が建てた豪邸で戦時下とは思えない優雅で豪華な暮らしを続ける家族達ー長男、籐吉郎(山崎一)は脳病院の院長で彼の病院は家族の住む邸宅に隣接している。次男、定夫(生瀬勝久)は作家業の傍ら軍の秘密事項の片棒を担ぎそれで生計を建てている。三男、等は兄弟が幼い頃に事故で他界。末っ子の四男、京(北村一輝)は遊び歩き散財を繰り返している。
その他に長男の妻(高橋恵子)、その息子(長谷川博己)、鉄次郎の若い愛人(緒川たまき)、家政婦(池谷のぶえ)、もと脳病院患者で今は使用人(小松和重)が住むこの家に、新たに間借することになった夫婦(犬山イヌコ&岡田義徳)が訪れるところから芝居は始まる。

さらに、愛人の兄で鉄次郎の工場で働いていたときに足を負傷し、今でも足をひきずっている渋澤(仲村トオル)、そして渋澤が慕っていたが、京の子どもを妊娠し結婚して家に入った若妻(ともさかりえ)らが家に出入りをし、隣の病院の患者(みのすけーその他にも軍人など複数の役で登場)が問題を引き起こしながら話は進んで行く。

外では戦火の中を人が逃げ回っているとは、およそ想像も出来ない別世界の洋館で紅茶を嗜み、暮らす五斜池家の人々。一見、平和で超優雅に見える彼らの生活。しかしながら、その裏には、それぞれが抱える嘘、企み、思惑が渦巻いていた。

そしてそれらの思惑の原因はほとんどのところが、それぞれの他の家族に対する思い込み、誤解、家族の中の忌まわしい記憶ー兄弟を死に至らしめた事件ーに起因するものばかりだった。

戦争が終わり、日本が変わり、五斜池家を取り囲む環境も変わったとき、彼らのほつれた人間関係の糸はとき解かれるのであろうか。。。。
****************************

お話は、ケラの真骨頂`ほとんどのうわべの出来事、舞台上で話される出来事は嘘なので、信じてはいけないよ’というメッセージ、そして今回は(英語での表現では)"Nature or Nurture" =先天的なもの あるいは 後天的なもの、どちらが人間形成には重く働くのか?といった意味、も関わってくる。

前作の「東京月光魔曲」のレビューでも書いたのだが、今回は商業劇場、それも大劇場のシアターコクーンでの年末ロングラン興行ということがあって、このTPOにあわせた演目となっている。

それゆえ、本多劇場上演タイプ、もしくはもうちょっと小さな劇場での上演芝居のような、エッジーなちょっとエグいぐらいに尖った芝居をご期待の方にはちょっとぬるい、かも。

それでも、いつもながらのケラ・マインドは満載だし、、なんといっても、この企画ならではの豪華キャストに、そこにまったく死角なし!!!ー隅から隅まで、どこを見渡しても、弱いところが全く無い、この役者たちを観る事に至福の喜びを感じるべき!と言いたい。

得に、北村一輝の軽やかさと生瀬勝久の安定感の競演は必見。
(もちろん、その他にも 池谷、小松、犬山などなどナイロンレギュラー陣にも十分楽しませてもらえる)

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2010年12月 8日 (水)

春琴(12/7)

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世田谷パブリックシアターで三08年、09年に続いて三度目の「春琴」を観る。

劇場内で(良い意味で)これほどまで緊張の糸が途切れず、観客の集中度が途切れなかった舞台上演経験というのも久しぶり。

まさに、息をのむほどの張りつめた集中した環境の中での1時間50分。

幕が閉じた後の、いつまでも続くわれんばかりの拍手も圧巻。

今回の舞台、先月のロンドンでのバービカンシアターでの公演を皮切りにした、パリ、そしてここ東京、その後は台湾という世界ツアーの一環との事だが、時間がそうさせたのか、舞台上の演者がそうさせたのか、観客側がそうさせたのか、、、とにかく今までの中でも得に完成度の高い舞台に仕上がっていたように思う。

英国が生んだ奇才、サイモン・マクバーニーが届けた課題を謎として素直に受け止めるだけの余裕が持てたと言うことなのか??

ーちなみに、今回の舞台、ロンドンの劇評も前回のものよりも★一つずつぐらい、全体的にアップしているようー

Complicite's version of a 1933 Japanese story by Jun'ichiro Tanizaki was coolly received when first shown nearly two years ago. I don't know why. Simon McBurney's production is one of the company's finest achievements. It offers a compelling portrait of sadomasochistic love, is full of moral ambivalence and is staged with miraculous delicacy and wit.
(Michael Billington / The Guardian)
コンプリシテによる1933年の谷崎潤一郎著による小説からの舞台は2年前に上演された際には冷ややかに受け止められていた。そして、私はその評価に疑問を抱いている。サイモン・マクバーニーが手がけた今作はコンプリシテの作品の中でも特にすばらしいものであると思うからだ。サドマゾ嗜好的恋愛を徹底して描くことにより、通例の一辺倒な道徳信仰に疑問を投げかけ、またその一方では見事なまでの優美さとウィットでもって舞台を創り上げている。。それゆえ、今作は傑作と言えるのだ。

This production received only muted reviews here 22 months ago, but I was beguiled. Fluttering papers are skylarks, bone-white wooden limbs are sexual, the on-stage shamisen player Hidetaro is a master. It’s beautiful.
But what moved me was the underlying ache of dislocation, the gulf between modernity and the shadowy beauty of tradition. “Japan has chosen to follow the West,” says the old man sadly, and I found myself remembering the sense of vanished England in Jez Butterworth’s Jerusalem.
This is a crazy, sadistic, knowingly post-Freudian story, yet on stage it has the power of legend that can suspend both disbelief and disapproval. And submitting to power — as poor Sasuke would agree, picking himself up painfully from the floor yet again — has a sort of liberating charm.
(Libby Purves/ The Times)

22ヶ月前、冷ややかな劇評で受け止められた今作に、(良い意味で)今回私は裏切られた。ひらひらと舞う紙細工はまさにひばりのようであり、白木の棒の演出は見事に性的イメージを彷彿とさせ、舞台上の三味線演奏者本條秀太郎が舞台をまとめあげていたからだ。実に美しい舞台だった。

何と言っても心動かされたのは移り変わりにより混在する痛み、日本古来の陰翳の美と現代(日本)の間にある隔たりに関してであった。「日本は西洋を追随する道を選んだんだ。」と舞台で老人が哀しげに言った時、私自身はJez Butterworth(イギリスの演劇人 1969〜 代表作`Mojo’`Jerusalem')作「エルサレム」の中で感じた英国消失の感覚を思い出した。
「春琴」はある種、異常でサド的、ポストーフロイド的な話である。しかし舞台にはそれらの不信や非難を回避するような強く語りかける力ーパワーが存在していた。
そしてそのパワーに身をまかせていくとー痛みに耐えながら再び起き上がった佐助なら同意してくれると思うがーある種解放されたような心持ちになってきたから不思議だ。

****************

前回、観たときに、ちょっと私自身も迷っていしまい、迷いながら読んだ上演パンフレットのサイモンの創作に関する自己分析に、あ〜〜〜この人自身、この主題に迷っているんだな。でもって、それを適当には放っておけない人なんだな、と思った記憶があるのだが、今回の舞台からは、その迷いが払拭されていた。

役者たちの長きに渡る探求作業の結果なのか、それとも「迷い」が受け入れられる時代だからなのか。

それにしても、深津絵里の「春琴」は何回観ても、見事!の一言に尽きる。
野田秀樹芝居の「農業少女」の無垢にみえる悪女もすごかったけど、今回の悪女に見える貞女も素晴らしい。

今回は’人を愛すること’に関する舞台、という面を殊更に大きく感じた。

もっと、もっと多くの人に悩みながら観てもらうために、上演続けて下さいね〜〜〜〜。

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ブログでトゥィッテみたぞ

* scorpius(←海老ねエビ!)様のお話。
なんやかやで2週間。毎日この方の眼力に吸引されっぱなしの日本国民。

こうなったら、結局、真相なんてものはと〜〜〜っくに薮の中で、こんなにいろんな人々の利害がからみついてきたら、得にプロの方々はその道を極めてますから、脇もがっちり固めて話盛る盛る!でしょ?
でもって、こちらの興行の方々も段取り、将来のプロット書く、書くでしょ?
だから、ウィキリークスにでも、明かしてもらわない限り、薮の奥でしょ?

それにしても、これも一種の公開イジメの様を呈してきたね〜〜(あくまでも真実のうんぬんは抜きにして)。。そんなに、みんな清廉潔白、良い子であることを目指してんのかね?信じられん。


*このところの「わが町」ブームにあやかって、ソーントン・ワイルダーの「わが町」を読み直してみた。

みんなが騒ぐのが分るわ〜〜〜。やっぱり、これ成熟した傑作でしょ(今更ですが)。
内容にしても、その実験性においても、、これは事件ですよ。


*本日の新聞で00年以降行われている国際的な学習到達度調査で、近年下降傾向にあった日本の結果が上昇に転じ回復したー得に「読解力」がーとあった。
で、その全体像を見てみたら、科(数)学的分野ではアジア勢が優勢。数学的リテラシーでは上海・香港・台湾・シンガポールなどなどが上位を独占。ーインドの`インド式計算方法’なんてのが紹介されていた時があったけど、これはやはり固有のもので、その成果は計りづらいんでしょうかねー

全体的(3科目)には韓国&上海&香港&フィンランドがどの分野でも優れている。

ま、日本はまず、学級作りー崩壊しているそうだからーから!
横は気にせず、将来を見据えましょう。

*最後はぜひぜひ見てもらいたい映画の紹介。

以前にも映画祭で2日間だけ上映された際に六本木で観たときの感想をブログアップした(そのまたもとはロンドンの映画館で見て、その時にガッツリやられた〜〜〜、んですが)「エリックを探して」が今月25日から渋谷文化村で上映されるそうす。happy02

ケン・ローチ監督作品特集

この上映にあわせて、同監督ーケン・ローチー作品が一挙上映されるという企画付き。
ハリウッドのような派手さはないけれど、打ち上げ花火にはない走馬灯のような、地味ながらいつまでも残る観賞後感があるはず。
その中には小さいながらも確実な`夢’も描かれているぞ!
「エリックを探して」に関しては、生きていく上で守るべき大切なものとは?ーーーーこれか!というケン・ローチにしてはちょっと珍しいお伽ばなしテイスト映画ながら、大切なものが描かれているので必見。

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2010年12月 6日 (月)

砂町の王(12/6)

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外部への出演、作品・演出提供でもお馴染みの赤堀雅秋が作・演出を手がける劇団 THE SHAMPOO HAT 第25回公演「砂町の王」を下北沢スズナリで観る。主宰は野中隆光。

赤堀さん出演舞台、そして提供舞台は何作か観ているものの、劇団作品観劇はおそらく今回が初めて。

気になってはいたものの、なんだか縁が無かったのか、、で、今回、観てみて、けっこうガッツリ、骨太系で、でいて細部にまで演出の配慮が行き届いていて、良かった。

*****ネタバレ注意****

景気の悪化により、町の中心的存在であった工場も潰れ、最盛期には随時白い煙がたちのぼっていたその煙突からも煙が消えて久しい、そんな地方都市。かつては多く存在していた小さな町工場も半数以上が倒産したなか、どうにか生き残っている今回の舞台である溶接工場も、いつまでもつのか、風前の灯といった有様。
そんな状況に追いつめられ自虐的になるしかない社長(赤堀)、そしてかつての町の中心にあった煙突を眺め、「ま、環境には優しくなったということで。。。」とこちらも皮肉を言うのがやっとという肉体的にも精神的にも極限状態の従業員達。

そん中、主人公の岡部(日比大介)は新人とベテラン、さらには社長の間に入り、それぞれへ気遣いをみせながら、ささやかな幸せを模索していた。

一方で、そんな景気の悪化から、職を失い、今は再婚相手の若妻(村岡希美)へのDVで憂さを晴らす男、新井(久保酎吉)。
岡部のささやかなる希望とは、家計を助けるためにスナックで働く新井の妻との不倫を成就し、晴れて一緒になること。

油まみれの作業服のまま、同僚と通うスナックで二人は知り合い、お互いの不遇をなぐさめあい、求めあったのだった。。。。。

と、ここまではちょっと古くさい、(今再ブームの)「蟹工船」トーンのようだが、ここに現代の味がミックスされ、
ーある意味金に取り憑かれた若妻の企み、町のヤクザ(今日風に言うと、愚連隊(西麻布?!)ですかね)の悪巧み、そこへ帰る場所を忘れた中学生を巻き込み、、劇の後半まではまったくその姿を示さなかった「砂町の王」なる人物が種明かしをし、、、ー

と、どんどんさもしく、わびしい、、エグい2010年の日本の地方都市のリアリティーが加えられ、話が急展開し、終演する。

*********************


ストーリーにワイドショー的な身近さがあり、めくるとどんどん出てくるドロドロさでまず飽きさせない、というのが一つ。

そして、このなんともしがたい倦怠、そして絶望感を表現する演出が見事だった。

例えば、

*オープニングの町工場の裏手ー錆びた鉄ドアからはき出されてくるボロボロな従業員達。そしてそんな彼らを虫が光に集まる習性になぞらえーこの比喩が最後の主人公の末路へ繋がるー。行き止まりで出口の無い、彼ら=社会的弱者の未来を提示している。

*スナックでカラオケを歌うシーンの描写も見事。いかにもな歌いっぷりを丁寧に描写して、その人物のキャラクター、普段はみせない本当の姿を描いている。

*一見、支離滅裂なDV夫の行動から、最終的には彼が抱える本当の悩みー仕事よりも根本的なところに起因するーが立ち上がってくる仕組みになっている。


ま、こんな事件、実世界では起こりえない、というご意見もおありでしょうが、それを差し引いても十分に見る価値のあるリアルが、あまり直視したくないような社会の現実が、そこここに巧妙に描かれていると思った。

客演の村岡希美、久保酎吉が好演。

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月と牛の耳(12/5)マチネ

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青森をベースに活動する劇団、渡辺源四郎商店ー通称なべげん?!ーと埼玉きらりふじみを拠点とする東京デスロックがタッグを組んだ今回の公演。これが、ま〜〜〜〜、上手い具合にぴったりハマっておりました。

公演チラシで、今回の上演に至るまでのいきさつなどを話す、両劇団の長、畑澤聖悟(なべげん)vs多田淳之介(デスロック主宰できらりふじみの芸術監督でもある)。
どうみても、両極端な、剛の畑澤ー軟の多田 という構図が浮かんでくるのだが、今回は多田さんの男らしい英断、というか若さゆえのフットワークの軽さがこの奇跡のコラボを産んだらしいのだ。

昨年、東京デスロックが代表作「演劇Love」の全国公演の際に青森でワークショップを行い、演劇Love本公演の他にワークショップ参加組を入れての「Love Aomori Work Shop version」も同時上演。そのローカルバージョンになべげんの役者、そして畑澤氏自身も参加したのが急接近のきっかけで、「近いうちになにか一緒にやりましょう。ね」という社交辞令ともとれる約束を異例とも言える早さで実現したのが、今回の舞台だとか。

01年初演の畑澤氏の戯曲「月と牛の耳」をなべげんの役者を中心に東京デスロックとミックス構成、多田氏が演出を受け持つという役割での上演とあいなった。

冒頭、本編が始まる前に演出の多田氏がMCとして登場ー本編には登場せずー、今回の上演のきっかけと既に流れていた音楽ーなべげんさん所属の方が多田氏のテーマ曲として作ってくれたとか?!ご本人は「ロックな感じでとても良い!」とご満悦ーのエピソードなどを披露。

その後に本編となるのだが、暗転後にいきなりリングアナウンサー口調での役者紹介で開幕、、役者が客席後方から舞台=リングにファイティングポーズを決めて登場、で、もうこの時点でかなりヤバそう。。。はまりそうな予感が。

このプロレス調の遊びが全編に施された演出で、下記の健忘症のエラい父親と彼を思い尊敬しながらその病状にあわせて、嘘をつき続ける、続けるしかない家族のそれぞれの葛藤が、笑いとしみじみ、。。の中で展開していく。

******あらすじ  当日パンフより********

東北の地方都市にある精神病院。入居者のひとり、加賀谷敏(62)(牧野慶一)。「鳳凰院赤心拳」館長を努める格闘家である。彼は7年前、日本で猛威を震った「プリオンウィルス脳炎」に感染して入院。快方に向かうも、入院中に脳出血に見舞われ、その後の後遺症により順行性健忘症となった。知能はそのまま、障害を受ける以前の記憶もそのままだが、新しい物事を記憶することが全く出来ない。「ホーム」の職員たちは、彼の前では毎日が7年前、即ち2003年4月25日であるかのように振舞っている。その日は、加賀谷の長女が婚約者を連れて父を見舞いに来る筈の日なのだった。。。

*****************

前述で奇跡のコラボと称した理由なのだが、

(翻)ー老人問題という今のトピックと、それぞれの優しさと気持ちの行き違いを含んだ家族の思いという永遠のテーマを、ミステリーな展開で上手く配列。謎解きを楽しみながら、誰にでも覚えのある普遍のテーマについて自然に考えさせられる、、良質の戯曲。

(演出)ーオリジナリティ溢れる多田演出全開。プロレスのエンタメ性あり、デスロック調のお遊びあり、舞台セットも遊びながら実のところ大きな効果ありというつくりになっていて、エンタメ+ストリーテリングが見事にバランス良く構成されている。

(役者)ー今回はなべげん、デスロックの混合チームなのだが、何と言っても、なべげんから参戦の高齢者二人、主人公の牧野さんと入院患者の一人を演じた宮越昭司さんが見事でそれに魅力的。(宮越さんはサラリーマンを定年後に参加したなべげんのワークショップで役者デビューとのこと。まさに輝ける第二の人生謳歌中らしい。驚いたのがこの宮越さんの台詞がま〜〜〜〜〜〜〜〜(良い意味で)とても自然。こんなにもナチュラルに台詞を喋れるものか、と思うほどに、舞台上でアドリブを言っているのかと思うぐらいに自然だった。ーちなみに台詞覚えにはあまり自信がないらしく、耳元に無線をつけての演技だったのだが、多田演出ではわざわざそのネタバレも意図的に披露。これだと逆に「それで何が悪い?」となるから不思議。

弘前弁(アフタートークではこの訛りの話が多く出ていた)でまくしたてるなべげんの役者さんたちも魅力的だったし、お決まりで耐え忍ぶ夏目慎也(東京デスロック)も間近で楽しませてもらった。

と、三拍子がそれぞれ個性的に、でもって全体としてはきちんとハーモニーを成しているという事。


多田淳之介、演出家としても面白いし、芸術監督としてもただ者ではない!とみた。

もしかしたら、芸術監督にはこのような柔軟な聞く耳をもった人、というのが、第一番の適任条件であるのかもしれない。

この人にこのポジションをと抜擢したのは、誰??

この決断は今後の演劇界を変える事件であり得るかも。


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2010年12月 5日 (日)

トナカイを数えたら眠れない(12/3)

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あ〜〜〜、またまたレビューアップが溜まってしまった。トナカイを数えながら、眠らないで書きたいよ〜〜sweat01

座・高円寺で関西ー京都ベースの劇団、MONOの新作「トナカイを数えたら眠れない」を観る。

MONOの芝居は今回が初めてなのだが、劇団代表の土田英生氏の戯曲作品は外部上演で何度か観た事あり。
(「橋を渡ったら泣けーシアターコクーン」「初夜と蓮根ー演劇集団・円」「相対的浮世絵ーシアターコクーン」など)

劇団HPを見ていたら、「橋を渡ったら。。」と「相対的。。」はもとは劇団初演作品だったことが発覚。

土田氏のポートレートは作家・演出家としていろいろなところで拝見していたのだが、劇団上演では俳優も兼ねていることが分り、劇作家・演出家として頭にインプットされていた人が舞台上で演じていたので、何だかお得感あり。


今回の芝居は95年上演の「Holy Night」を経過した月日を考慮した変更を加えて再演したもの、とのこと。

*******ネタバレ注意*******

クリスマスの夜、巨大ホテルの横にこじんまりと建つペンションに集まった大学時代の友人たち。彼らは毎年、このペンションで「クリスマスを祝わない。。」という目的の下、恒例の再会を果たしていた。
いつものようにトランプ遊びに興ずるゲストの男達とペンションのオーナー女性。

さらに、いつもの顔ぶれに加え、今年はオーナーの新しい旦那(土田)、、そしてオーナーの妹を訪ねて来た、ちょっと風変わりなパテシエ、、遅れてその妹が輪の中に加わった。

恒例の楽しい集まりのはずの夜に、第三者たちの加入により徐徐に仲間内に不協和音が響き始める。
ののしりあう旧友たち、妹と旦那の怪しい関係までが発覚し、、姉妹の心に秘めた秘密、忘れたい過去が表れてくる。

中年にさしかかり、現実の生活に疲れ大切な友人関係を些細な事でぶち壊す男達、そしてそれぞれを正当化し、妬みも加わりぶつかりあう姉妹。

これでは、せっかくのクリスマス=聖夜の意味もなし。。。

************************


コメディということらしいので、ちょっとあり得ない人物設定と定番の笑いネタがそこここに散りばめられているのだが、、如何せん、ストーリーがあちらこちらに散らばったまま収集がつかず、そのまま幕が下りてしまい、なんとも観劇後感があと一つ、物足りない。

劇中に事件が起きて、その騒動の原因も解明できてきそうだったのだが、最後になって尻切れとんぼ。また、登場人物全員が問題を抱えているのだが、その誰もが解決出来ず、全体としても、今後のこの人たちの行く末が不安になるばかり。

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台湾の、灰色の牛が背伸びをしたとき(12/2)

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犬島ステージ
松本雄吉インタビュー(英語)

この夏に犬島の陽炎と沈む夕日の中で観た「台湾の、灰色の牛が背伸びをしたとき」の劇場バージョンを埼玉彩の国で観る。

あれほどのスケールで上演された屋外舞台がどのように劇場に納まるのか、それとも??と心配していたのだが、見事な劇場版として再誕生していた。

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2010年12月 2日 (木)

演劇入門(11/29)

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こっちに飛んでレビュー読んで下さい。

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くにこ(11/29)マチネ

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