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2010年11月

2010年11月28日 (日)

ドラマソロジー(11/28)マチネ

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私にとって、第三回フェスティバル・トーキョー F/T10の締めくくり作品となった「ドラマソロジー」。

終わりよければ。。。の論理からすると、完璧な終わり方で締めくくれてし・あ・わ・せ!だ。

いろいろな面でバランスのとれた、それでいて大きな広がりを持った傑作だったgood

構成・演出の相模友士郎さん。27歳、関西を拠点に映像・舞台両方で活躍する期待の新鋭だそうで、今回が初見ながら、その丁寧な演出に驚嘆しきり。

今作品は09年に本拠地、兵庫・伊丹AI Hall での企画「地域とつくる舞台シリーズ」の一環として、08年から9ヶ月の準備・制作期間を経て上演され、好評を博した作品の東京初上演舞台とのこと。

*****HP より、演出家による解説*****

DRAMATHOLOGY』というタイトルは「DRAMA/劇」と「ANTHOLOGY/選集」とを掛け合わせた造語だ。
今回の出演者は70歳を超えた「エルダー世代」と呼ばれる人たちである。彼らとの共同作業は主に自分自身について語ってもらうことを中心に進めてきた。彼らによって語られる記憶は「劇」というにはあまりにささやかな、「物語」というにはあまりに未完な断片の集積のようなものだ。しかしながら、語り出されたものではなく、語り出そうとするその身体に作品の主軸を置こうとしたとき、記憶装置としての身体ともいうべき彼らの現在性がはっきりとした輪郭を描き始めたように感じたのだった。個人史としての「DRAMA」とは語り出された過去の物語の中にではなく、語り出そうとするその現在性の中にあるのだとすれば70歳を超えた彼らの身体はまさに『DRAMATHOLOGY』というべき個人史の総体だと言えはしないだろうか。
相模友士郎

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****ネタばれ注意******

開演10分前、すでに満席に近い状態の会場へ入ると、センターで見やすそうな席が空いていた。

眼をこらすと、その席のとなりには白塗りのおじさんが、カセットデッキを膝にのせ、固まったように鎮座している。。。どうもこの方のお陰でこの席が空いていたようなのだが、、辺りを見回しても、その席がベストシートだったので、その白塗りさんの隣へ。。

落ち着いてから、会場を見回すと他の場所にもちらほらと白塗りおばあさん達が。

ーーーー当然の成り行きだが、会場が暗くなると彼らは出演者として舞台へ上がった。

舞台中央には彼ら7人用にソファーと椅子が、そしてその横には巨大スクリーン。

カセットデッキから流れる、インタビューの録音テープ音、スクリーンに映し出されるインタビュー映像に続いて、中央にいる役者たちが語り始めるーそれぞれのことを。

「わたしは。。」で始まる個人史、5分ずつくらいの時間で語られるそれぞれのストーリーは7人7様で、ある人は履歴書のように自分が辿ってきた歴史を振り返り、、ある人は今思う、なりたい自分を思い描き具体的に上げ連ねる。時には、彼らの普段の生活がー自宅での様子ー同時にスクーリーンに映し出される。

一人一人の自己紹介、、特別に訴える内容ではない、殊更に個人的な、私感を並べたストーリーなのだが、彼ら個人個人の過ごしてきた日々を聞くうちに、、不思議なことに、その背景に、個人では収まりきれない現代日本社会の歴史が大きく顔を出してくる。

関西に住む、戦争を体験し、高度経済成長期、バブル、バブル崩壊、そしてこの21世紀を見続ける方々が語る個人史が、いつの間にか日本社会全体、さらには今の世界を、舞台上で描きだす。

語り部の口調もいつしか「わたしは。。」から「わたしたちは。。」に変化しているのだが、その流れが実に自然で違和感は全く無い。

彼ら、高齢者7人と共演する唯一の若者ー長い髪の女性は一言も発する事はなく、語り部たちの分身、そして後継者として、時に踊り、踊らされ、また彼女の人生の先輩たちに導かれ、突き放され、舞台上で見事なコントラストを生み出してた。

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終演後にはとても自然な、そして心から賞賛の拍手の嵐。

90分の高齢者による語りの舞台で、語られる、そして伝えられるものの大きさ、そのとてつもなく普遍で広大な創造物の結晶に、アーティストに思わず感謝!と祈りたくなった。

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SKINNERS(11/27)

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野鴨(11/27)マチネ

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2010年11月26日 (金)

メモリー(11/26)

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***** F/T HPより ********
ウェン・ホイは、文革の時代に刻まれた身体の記憶を探求する。1960年代初頭に生まれた振付家・ダンサーのウェン・ホイにとって、最も強い幼少期の記憶は、ベッドとそれを囲う大きな蚊帳―それらは幼い彼女にとって、自身の両親や兄を観客と見立てた劇場空間であり、ベッドがステージで、蚊帳がステージの幕だった。それから40年後、ウェン・ホイは通常の10倍の大きさの蚊帳をステージに仕掛け、同い年生まれの友人であるパフォーマー・文筆家のフォン・ドゥーホアともに幼少時代を追想する―。フォン・ドゥーホアは、母のミシン作業を模倣するかのように、ミシンでモノローグの紙片に針を通し、自らの体験を語る。

彼女達は、意気軒昂としたイデオロギーと幾多のタブーで閉鎖された社会の中で育った。自分が生まれ育ったあの時代はいったい何だったのか、社会が忘却しようとしている"記憶"を、彼女達は個の身体に残る混沌とした"記憶"から振り返る。

そして公演全編に渡り投射されるウー・ウェングアンのドキュメンタリー映像作品『私の紅衛兵時代』。それは、共産主義の理想へ猛進するスローガンや革命歌の数々、そして在りし日の毛沢東の思想のみならずその存在そのものに対する、かつての紅衛兵達の盲目的な情熱を滲ませる。

追憶の断片が身体と言語の軌跡をなぞり、映像が時代を浮かび上がらせる。けれど、それらの記憶をたどる行為が、あたかも時の壁に穴を空けるような儚くむなしい試みのように―。
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と、まさに上記にあるパフォーマンスが舞台上でゆっくりと繰り広げられるのだが、なんだか会場内の温度は低温のまま、舞台との距離をその実際のものよりも何倍も遠く感じながら幕が引かれる。

奇しくも、HPのアーティスト紹介欄で`中国本土では極めてユニークかつ先駆的な存在’と記述されているように、その勇敢なる試みも中国国境外の人たちからみたら、残念ながら、新しいものは無い。

恐怖政治、プロパガンダの歴史的検証としては、それなりに生の声として興味がわくものの、、ま、それはそうだったんでしょう、ぐらいで、映し出され、台詞で語られる文化大革命に沸く人民たちの様子に辟易はするものの、それを選んだ方々に対しこちらから何も申し上げる事は無く、また、その後の彼らの回想に関しても、彼らがするべき行為であって、その事件に対しては、他の地域で起きている様々な出来事、惨劇と同レベルの関心はあるものの、私たちにそこまで近いものとは感じられない。

作品紹介欄に、今作品の過去の上演記録が記されていたのだが、08年のリヨンでの初演以降、中国では同年北京で上演、それ以外は全てヨーロッパでの上演となっていた。

グレートウォールを出た、外国に住む中国人たちよりも、やはり本国の方々に見ていただいた方が、一度に多くに見てもらえるし(ジョーク)、上演意義もあるように思うのだが。
いくら、どこの国にもあるー過去との対面ーを表しているとは言え、これに関しては直接的にその国に住む方々に見てもらうのが一番有効だと。。


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ちなみに、この作品、私が今回観た1時間ショートバージョン(2人のパフォーマー)と3人のパフォーマーによる8時間!!!!フルバージョンがあるのだが、、8時間、それも休憩無しで観続けたら、何かを感じ取らないことにはかなり????な印象が残ると思うので、観劇者たちはその8時間の間に何かを体感するとは思うのだが、、、拷問に近い恐れもアリ。。。チャレンジする方々、エラい。


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わたしのすがた(11/26)夕方〜

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飴屋法水氏、考案・演出によるウォーキング自主移動型演劇「わたしのすがた」を西巣鴨周辺地域で体験。

******ネタバレ注意****

受付で渡される地図をたよりに、4つの場所ー廃墟を鑑賞用に演出ーを訪れるのだが、廃屋ということもあり、ちょっとレトロな造りの場所・場所を巡る事となる。

その平屋建て日本家屋のガラス戸越しに葉っぱを落とした初冬の巣鴨の町、その路地にある庭なんかを眺めていたりすると、半纏をひっかけた、もしくは会社帰りに寒い夜道を急いで家へ訪ねてくる、旦那さんの姿が見えるよう。。。

その訪問をひたすらに待ち続ける おんな。。。

昔は時がゆっくりと流れていたな〜〜〜と思い返す。

その次の場所にいっても、やはり思うのは時間の流れ、、、たった30年か40年前のことなのだが、当時は人、それぞれに、それぞれが成長する、マイペースな時間、そして家族のそれぞれが野暮用で忙しい中、一人で何とはなしに考えに耽る時間、場所というものがあったな。。。と。

わざわざ、ブログらなくても、ツウィッタらなくても、、、それぞれが個々につぶやき、時にはそれを我のために記してみたりして(日記ってだれのものでも、相応に興味をひくよね)、お互いに瞬時に繋がってはいないけれど、幅広い意味でのパブリックがあり、社会があり、国家が存在し、、、その中で息をしつづけることに躊躇は無く、人は一人であるということに早い時期から気づき、それゆえに家族の絆を重要視するような、そんな社会がかつては東京のそこ、そしてここにもあったな、と。

宗教というものが、そんな都会の人々の関係における潤滑油となることもあり、私からみたそれが唯一の宗教が存在する利点でもあるように思える。
ーーーー寄り添いたいのであれば、寄り添えば良い。。それを強要されるのは大きなお世話だけどーーー

懺悔という宗教上の習慣も、それだけみれば、これを上手く使えば、悪くないシステムでもあるな、というのも本日の発見。

案内された廃墟プラス、巣鴨というローカルな場所もなかなかに面白い。

ー余談 イギリスと日本のカルチャーの違い ー

さて、余談になりますが、本日、観劇中に思った事を一つ。

鑑賞出来るのもあと数日ということもあって、なかなかの混雑状態だったのですが、そうなると、間隔をあけて一人ずつ出発しても、鑑賞対象=廃屋内では順番待ちなんてことも起きてくる。

ま、そういった場合のルールが明確に張り出されているので、それは別段問題はないのだが、その順番待ちをしている人々を(自分もその中に含まれる)見て、思った事。

おしゃべりをしてはいけないというルールはないのだが、みなさんシーンとお行儀良く、自分の番を黙って待っていた。

で、これが同じ状況の出し物でその場所がイギリスだったら、、、ほとんど絶対にというほどの確立で、誰かが誰かに話かけ、このプログラムについての感想とか、他のF/Tプログラムの噂とか、、まずその順番待ちの場所がワイワイと交流の場所となることはまず間違いない!

とにかく彼らは知らない人同士でチャットするする。。。イギリスへ移ってすぐの頃は、バス停ですぐに誰かに話しかけられるので、結構困った。。。(気の利いた会話というのが、、ね)

スーパーのレジでも、郵便局でも、駅でもどこでも、会話するする。。。だからますます列が長くなるんだけどね。

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HIROSHIMA-HAPCHEON:二つの都市をめぐる展覧会(11/26)マチネ

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2010年11月25日 (木)

F/T 公募プログラム 一挙にレビュー

11/13 ありきたりな生活 by France_Pan

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11/16 悪魔のしるしグレートハンティング by 悪魔のしるし

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11/20事件母 by dracom

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11/23古いクーラー by 岡崎藝術座

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11/24ハロースクール、バイバイ by マープとジプシー

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2010年11月23日 (火)

ヴァーサス(Versus)(11/22)

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F/T招聘プログラムの一つ、アルゼンチン出身で今はスペインで活動する演出家、その過激な演出・作風から演劇界の異端児と呼ばれるロドリゴ・ガルシアの日本初お目見え作品「ヴァーサス」を西すがも創造舎で観る。

08年に初演され、時にかなり暴力的で挑発的な芝居であるにもかかわらず、各国で高い評価を得ている本作「ヴァーサス」=VSはーつまり何かー今日のキャピタリズムの横行・それを受け流し垂れ流す世界ーに対する、(反)対するもう一つの声。

「かわいい」「美味し〜〜いsmile」。。。あらゆるものに対して一元的な、画一化された価値観を共有する、グローバリズム世界をあわただしく生き抜ける私たちの目の前に展開されるのは、裸舞台で繰り広げられる、裸ー下半身露出は当たり前、時にその裸のままセクシュアルな表現まで繰り広げられるーであり、まさに俳優の身体を張った暴力シーンであり、罵詈雑言、ナンセンス、パンクロック音楽とゴミ。

ここまで、ネイキッドに露呈されると、逆にその行為に哀しさ、純粋さ(ピュアネス)が浮かび上がってくるから不思議だ。


そんな中で一方、この舞台を観ているコチラ側ー観客席ーの世界も鏡写し状態となって、はっきり見えてくると。。。果たして、この(確かに完成度の高い、すばらしい)舞台はこの西すがもに必要なのだろうか?という疑問も湧いてくる。

めったに観る事の出来ない、世界の現状、その今を切り取った舞台、ということで、確かにこれを観劇できることを喜びたい一方で、、、今の日本、飽食の「おいし〜〜〜いテレビ」全盛のこの場所で、まず他に観るべきものがあるのではないか?という問いが頭に浮かんでくるのも否定することは出来ない。

日本には日本の取り上げるべき事、、とかが沢山。まだまだすくいあげられていないようにも感じる。

ピザの食べ方批判、頭のテープぐるぐる巻きお仕置き、、もよかったけど、何と言ってもここにも載せている、大スクリーンの映像がーアナーキな猿とその言い草、、そしてツインビルの間を抜けて行く飛行機ーがダントツ良かった!ぞ。

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三分間の女の一生(11/22)マチネ

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燐光群の最新作「三分間の女の一生」を座・高円寺で観る。

*****劇場HPより******

3分間は私の宿命
3分間は私の幸福
3分間は私のキーワード

「3分間」は、日本の高度経済成長を象徴する単位です。公衆電話の市内通話時間、3分間スピーチ、インスタントラーメンの茹で時間、レトルトカレーの過熱時間、ボクシングのワンラウンド、「ウルトラマン」の地球滞在時間……。

女性の人生を描いた過去の諸作品に学びつつ、現代の新しい「女のドラマ」を描き出そうとする本企画。「性」という概念を問い直し、少子化・晩婚化・高齢化といった現在の社会状況も反映させつつ、日本の歴史・社会を見つめ直します。

*****************

竹下景子、円城寺あや、小山萠子らをゲストに迎え送る、坂手洋二率いる燐光群の最新作。

タイトル、HP解説にもあるように、竹下景子演ずる`3分間(でなんでもこなす)本シリーズ’なるものでメディアの寵児となった主人公を中心に、3分間に関わる20+αのエピソードがオムニバス形式で次々に上演され繋がれていく、その一方で、作品を貫く1本のテーマ=女の社会進出とその表舞台に隠された裏事情なるものが後半にかけて重きを増して描かれていく。

3分間とくくられてみれば、なるほど、劇作内に登場する主人公がその視点を貫いてベストセラーを放ったように、私たちの生活の中にこの`3分’的な、それくらいの長さでインパクトを与える事で成り立っているビジネス、そんな生活のルールみたいなものが多い事に気づかされる。

オープニングからの3分間エピソードの連続を、ふ〜〜〜むなるほどね、などと眺めていたら、次第に劇の様子が社会派口調に変わってきて、、結局はこちらの方=現代日本社会の解説・批判を届けたかったんだろうなというところに落ち着いた。

う〜〜〜ん、どうもこの混ざり具合が気持ち悪い。

確かに、代表作の「だるまさんがころんだ」ではこの日常エピソードのの部分と世界規模での社会情勢批判のの部分がバランス良く配置され、互いの相乗効果を引き出して、作品としてとても力強いものに仕上がっていたのだが、、、3分間エピソードに気を取られ過ぎたのか、考えだしてみたら面白くてついつい多くを詰め込み過ぎてしまったのか、、社会批判が表に出始めたころには、もうかなりの時間を費やしてしまっていて、そのー社会性ーの表現のかなりな唐突感だけが取り残され、終わってみたら、、、どちらも物足りないというちょっと中途半端になってしまっていたように思う。

日本では数少ない、論理的にかつ臆さずに「社会・政治」を劇で語る事の出来る作家(坂手洋二)だけにもったいなさが残る。

それにしても、どうもこの国では、今や気を使いながら、観客にサービスしながらでないとなかなか政治・社会に関する演劇はやれないような状況になっているらしい。

古いと言われようが、今どき流行らないと揶揄されようが、もっと、ストレートに放り投げても良いような気がするが。それに反応する観客も多いと思うんだけど。

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2010年11月21日 (日)

巨大なるブッツバッハ村(11/21)マチネ

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スイスが誇る演劇界の巨匠、クリストフ・マルターラー、日本のシアターゴーアーズ待望の初来日作品「巨大なるブッツバッハ村」を(今や演劇メッカとなった)池袋 東京芸術劇場 中ホールで観る。

席から回りを見渡しただけでも、日本の演劇界の注目の若手から重鎮まで、誰もが知る顔がずらり、、注目の高さがうかがえる。

先日、当公演に先がけて上映されたマルターラーの創作の裏側に迫った映画「家族会議」のレビューで彼のバックグランド、傑出度がおわかりいただけるかと思うので下記のリンクをご参照あれ。

家族会議

****** F/T HPより********
住宅、銀行、ショッピングモールなど、さまざまな都市機能を隣り合わせた待合所のような舞台空間。希薄化する関係、消えていく財産、そして繰り返される日常......倦怠と不安ばかりが漂うこの町では、突如歌い出される合唱だけが人々を集団たらしめる。民謡、オペラからダンスチューンまで、時には場違いなほど美しいハーモニーが物語なき時代の深層に響く、奇跡の音楽劇。

******************

さらなる情報、こちらからもどうぞ、

F/T 10 記事

このように、いろいろと書き連ねても、やっぱりその眼で観て、ライブの歌と演奏を聞いてもらわないと、マルターラー劇がなぜこれほどまでに世界各国で賞賛を浴びているのか、なかなかお分かり頂けないかも。
ーもともこもなくてすみませんー

オープニングから何の説明も、説明となるような台詞、舞台装置もない舞台。

舞台のほとんどを占める摩訶不思議なその共同スペースの中ーその回りにガレージのような小部屋が3つー、そこにいる人たちの立場も明らかにはされず、彼らを監視している(らしい)反対側に属する人たちの立場、お互いの関係も説明は一切ない。

どうも、盗聴されていたり、監視されていたり、、と旧東欧のある国のようなその状況、、しかしながら、劇が進むにつれて、、ここは昔のどこかではなく、近未来のどこかであることが分かってくる。
近未来、資本主義が崩壊した後の、その資本主義にさんざん踊らされた人々が肩をよせあい暮らしているどこか。

前半では着飾っていた、「かつてはお金を持て余し、金をころがして日常の贅沢を享受していた人々」が時が経つにつれ、その身につけていた飾りものを無くし、家具を抵当に取られ、どんどん簡素化していく。

自分たちを踊らせた金融界・銀行に文句を言っていた人たちも、最後には全てを受け入れ(諦め)、独自の生活の道を、ーバック ツー ベイシックー模索し、”それでも生きていかなきゃね”noteとドイツ民謡やクラシック曲の中で唯一のアメリカンポップス、ビージーズのStayin' Aliveで開き直る。

大ラスにはベートーヴェンのオペラ曲(パンフによるとそうらしいです)「フェデリオ」より「囚人たちの合唱」が繰り返され、、、「それでも希望を持つしか、私たちには出来ない。。」となんともトホホなアイロニーで締めくくる。


なんともウィットの効いた未来予想図。
コミカルな俳優達の演技を観ながら、現実を振り返るとー既に、アイスランド、ギリシャ、、そしてスペイン?!と次々と破綻の連鎖が始まってるからね〜〜ー舞台の人たちをにこやかに笑ってばかりはいられないという、、しっかりと社会と連携した芸術作品。
ーヨーロッパではこの社会性が絶対不可欠なんでしょうねー

マルターラーが歌で言いたい事の全ては表現できる、と公言しているだけに、俳優陣の七色の歌声は見事。

(余談:つまり、これ演劇と言っても、ミュージカル・オペラによった作品なんですが、常々思っている事なのですが、日本のミュージカルも井上ひさし 音楽劇のように、日本で根付いた音・言葉が使われた音楽でやった方が良いと思うのだが。。。この作品のように既存の曲を有効的に使用するのも、もちろんあり。)


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地点「ーところでアルトーさん、」(11/20)

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F/T 10プログラムの一つ、独創的な演劇手法ーテキスト(台詞)の解体により、通常の会話言語とは異なる発音(唐突に文節、単語を区切ったり、意図的なイントネーションをつけたり)により台詞を発するーにより、根強い支持者を獲得する劇団、地点の演出家三浦基がフランスのシュールレアリズム芸術家/劇作家・演出家・俳優・詩人 アントナン・アルトーのテキスト、手紙、詩から着想を得て制作した新作劇「ーところでアルトーさん、」を東京芸術劇場、小劇場で観る。

売り切れという噂どおり、会場は超満員。

舞台中央に設置された巨大プール、その背景にはスクリーンが貼られ、チラシにも使われているアルトーの肖像をモチーフにしたグラフィック・アートが、プール脇にはDJブースのような机が置かれ、登場していいないときの俳優の一つの待機場所となっている。

戯曲の上演ではなく、彼があちらこちらで書き残したテキストを台詞として使用しながら、アントナン・アルトーという人の生き方を舞台に上げてみようという試み。

その詩のような形態の文章を、また手紙の文章をアルトー研究所の職員であるようなー白衣を着た俳優達が
次々に語っていくわけだが、地点という劇団のトレードマークでもある、通常の話し言葉とは違った、文節・イントネーション・発音・語の長短を歪曲した方法で、それも俳優それぞれによって違った種類の歪め方で語っていく。

これを音楽的と評する人もあり、また言葉、台詞術の解体として大いに興味引かれる人も多くいて、その実験的手法がこの劇団を強く支持する人たちの大きな理由となっているわけだが、、、前々から、この劇団の芝居を見るたびに、毎回思ってしまうことなのだが、、私はどちらかというとダメなんです。

流暢すぎる言葉はそのままなんのつっかかりもないまま、表層を流れていってしまう、、と言われれば、そうかもしれません、と、なるのだが、それでも、歪曲された台詞回しが、どうにもこうにも、なぜそれを聞かなければならないのか、きちんとしゃべれる役者の流暢な台詞回しではなぜいけないのか?が根本のところで納得出来ない。

それをする意味が納得出来ていないので、、、その利点も理解出来ない訳です。

「残酷演劇」の提唱者として演劇史に名を残すアルトーだが、「残酷演劇」ーありのままを包み隠さず、かっこつけずに表現する演劇のことらしいー彼の残した文章からその残酷演劇を含めて、彼の演劇論、さらには人生観を探ろう、という姿勢には大いに賛成なのだが、、、かえって、地点らしさー地点形式(発声法、音、舞台美術)ーがその探求の幅を狭めてしまってはいなかったか?もっと、それこそ残酷的に、すべてをそのまま投げ出してもよかったのでは?


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事件母(JIKEN-BO)(11/20)マチネ

19日はダブル観劇の予定でしたが、風邪の為、撃沈す。。予定が、、、こなせない

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後日のまとめてレビューを参照下さい。

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2010年11月20日 (土)

人民の敵(11/18)

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東池袋のあうるすぽっとで国際イプセン演劇祭ー4演目、ノルウェー国立劇場による「人民の敵」、ベトナム青年劇場「人形の家」、ベルリンドイツ座「野がも」、東京名取事務所「復活の日」が上演されるーの第一弾、ノルウェー国立劇場による「人民の敵」を観る。

舞台上には俳優のみ、舞台美術は一切なしのガチンコ勝負。俳優陣がそれを補う見事なアクロバットを見せてくれる訳ではなく、入れ替わり立ち替わり舞台脇から登場し、主人公ーストックマンーとひとしきり議論をし、感情を露にし、時にコミカルに、そして時にそれこそガチンコで言いあうわけだが、、これが削ぎ落とされていて(実際、カットされたシーン、台詞も多く、それゆえ原作フル上演よりもコンパクトに1時間30分に凝縮されている)、メリハリがあり、隠れる所無しの直球勝負でとても面白かった。

先日の「この雨ふりやむとき」に引き続き思った事は良い戯曲はそれ自体に強い磁力があり、その磁力はいつまでも衰える事は無い、と言う事。

****あらすじ Wikiより******
19世紀後半、ノルウェーの田舎町で温泉が発見され、町の人々は観光による町おこしを目論む。しかし、開業医トマス・ストックマンは、町の製革所(経営者はトマスの妻の父親)からの廃液が浴場を汚染していることを発見する。彼は兄である町長に源泉の使用中止を進言するが、利益を優先するため経費のかかる温泉の引きなおしは却下され、現実を訴えるために開かれた町民集会でも彼の意見は抹殺されてしまう。彼の医師の倫理と人間としての正義感は民衆にとっては敵でしかないのだった。彼とその家族は次第に孤立して行く。
*****************************

          
今回の凝縮、諸々の事情による、、とかの後ろ向きの判断ではなく、今日この劇を上演するのに最良の方法、いかにストレートにダイレクトにこの劇のメッセージを今日の観客へ届けられるかという、あくまでも前向きな決断のもとにコンパクトにまとめられたのだということはそのインパクトからして察する事は容易だ。

"民主主義””皆一緒に平等に”という旗印の下、結局のところ画策する誰かの統制下で右往左往する民衆。民主主義=多数決の原理に否応無しに頭を押さえられる個人たち。

そんな画図が裸舞台の上ではっきりと見えてきた。

今の日本の全てがこの流儀に当てはまる、と思うのだが、、ストックマンのように、ヒロイックに陥り過ぎなのだろうか?

最後のシーンでの主人公ストックマンの台詞「ー最大の強者は、世界にただ独り立つ人間である。」。。。
そんな大言をはく人は、融通の利かない愚か者としてはじき出されるのがおちなのかもしれない。

役者の芸達者な演技に加え、ほとんどの効果を諦めてまで、際立たせた、、追いつめられる人間心理を表したどんどん下へと降りて圧迫感を与える照明装置の演出が見事。

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2010年11月17日 (水)

自殺対策基本法(11/17)

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F/T公募プログラムの一つ、小嶋一郎氏演出の「自殺対策基本法」を池袋西口、自由学園明日館(みょうにちかん↑外観写真)で観る。

こちらのプログラム、09年に小嶋氏により製作された「日本国憲法」(この作品で京都芸術センター舞台芸術賞を受賞)との日替わり公演となっており、そちらのプログラムも同じ自由学園での上演となる。


******ネタバレ注意************

作品に関しては、久しぶりに演劇的拷問体験で、照明を消した中でのパフォーマンスはぜ〜〜んぜん見えな〜〜〜〜〜い(もしかしてこれほど早く日が短くなって、真っ暗になることを予想していなかったのかな?ー昼間の公演と夜の公演では効果がまったく違ってくると思うけど)し、うなり声のみ80%、暗闇での人のうごめきが10%、で最後に「自殺対策基本法」を叫びまくる雑音で10%で、終わった。
ま、もう帰ろうかな〜〜と思い始めた頃、ちょうど1時間で終わってくれたので、それに関しては感謝。

***************************

で、暗闇オンリーの中、降りしきる雨の音とすばらしい明日館の建築を薄明かりの中を楽しむことに専念。

自由学園のHPを覗いてみたら、なんとこの建物、アメリカ人の建築家フランク・ロイド・ライトが設計したものだったそうで、、、納得。月明かりのみの薄暗いライトの中、見上げた屋根の梁、そして窓ガラスの美しさ。。。救われた。

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この雨ふりやむとき(11/17)マチネ

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東京芸術劇場、小劇場で「おそるべき親たち」に続く連続上演第二弾、tptの「この雨ふりやむとき」を観る。

オーストラリア人劇作家、アンドリュー・ボヴェルによるこの戯曲で、08年の初演以来、本国オーストラリアのみならず、英国・ロンドン、アメリカニ・ューヨーク、そしてニュージーランドでも上演され、各国で賞賛を得た今作。

実は、そのロンドンでの公演(09年)を観る機会に恵まれたのだが、戯曲の面白さ+ロンドン北部の老舗劇場アルメイダ劇場芸術監督、マイケル・アッテンボローの演出の妙、英国俳優人たちの名演技、+芝居好きの観客たちの熱い視線も加わり、忘れられない作品となったのがこの芝居だ。

今回、海外戯曲のスペシャリストtptが日本初演を手がけるということで、ある安心感はあったものの、そうは言っても、幕を開けるまでは分からないのが芝居の恐さ。

しかしながら、それも取り越し苦労で終わったようで、2時間強の至福のときを過ごさせてもらった。
やっぱり、良い翻だな〜〜〜と改めて思わせてくれた。


1959年ロンドンから2039年までの間、親子4世代に渡る親と子、それぞれの思い、意図的にかけ違えられたボタンから生じた悲劇、そこからまた続いていく遺伝子の連鎖、、、人類が地球に存在していた時間をマクロとミクロの視点から描いたスケールの大きな劇世界を持つお芝居。

朝日新聞の劇評で山口宏子さんが ”ジグゾーパズルのピースは、どれもよく似ている。だが、それぞれがしかるべき場所にはまると、一片一片の持つ意味がはっきり分かり、大きな絵が見えてくる。”そんな舞台。。。とこの芝居の事を形容していたが、まさにそのジグゾーパズルのように、ヒントー全体図を見極めるコマは冒頭から小出しに散りばめられている。

`いまだにバングラデシュでは人が溺れ死んでいることを思えば、これしきで文句は言えない’
劇中、何度も繰り返されるこのフレーズ、、

60年代のロンドンではバングラデシュの内政事情、国政不安定による人々の生活の不憫さから、このようなフレーズが慣用句として使われていたのかもしれない。。それが次世代へ伝わり、またその次へ、さらには海を越えてオーストラリアの子孫にまで、、その時を経るうちに、今度はその日常の慣用句自体が別の意味を孕んでくる。。実際、近年の異常気象による大雨でバングラデシュでは多くの洪水被害者を出しているからである。

それを考えると、とてつもなく唐突に思える「魚が絶滅したと言われている時代に`魚が空から降ってきた’」というなんとも摩訶不思議なエピソードに関しても、ただ単にばかばかしいでは収まらない、
ーもしかしたら、魚が食べられなくなる日がくるのかも(余談:実際のところ今のペースでマグロを食べ続けているとあと数十年、近い将来には本当にマグロが食卓から消えるそうですから)
ー魚が空から降ってきたというニュースは実際に近年のオーストラリアで報告されているし(作者はこのニュースを聞いて、この芝居を書き始めたのかも?!)。。。などなど考えが広がっていく。


冒頭、ガブリエル・ヨークが「アメリカ帝国の衰亡ー1975年から2015年」という歴史本を読んでいた。。という描写も、、もしかしたらそれに近い歴史本が将来出版されるかもしれないし。。

この時代の移り変わりと同時に描かれる人間関係の普遍と人という存在の謎という普遍。
先日の「ハーパー・リーガン」同様に、「世の中、何が起きても不思議は無い」という事実と近くで良く知る間柄であるはずの家族でもその人の事を本当に全て知っているとは限らないという現実。

演出にも心憎いばかりの気配りでー同じ人間の若いときと年をとったときの髪型が同じだったり、ひたひたと迫り来るこの世の終わりを予見させる水ーそして人間のちょっとした意志と行動力でそれを止めるというポジティブなメッセージを見事にヴィジュアルで表現していた。


一点だけ、気にかかったことと言えば、舞台の位置。

全ての観客から少しばかり見上げる位置に舞台があったのだが、、これがもしも視線と同じ高さ、もしくは少し下にあったなら、、さらに自然に物語を身近に感じられたかも。

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悪魔のしるしのグレートハンティング(11/16)

Minigunryuu

後日のまとめてレビューを参照下さい。

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2010年11月16日 (火)

カーディガン(11/16)マチネ

急の寒気に風邪をひき、、sweat02二日ほどダウン。。で、今日から、なんとか観劇を再開する。

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パルコ劇場で、劇団ONEOR8主宰、このところ外部の主要劇場からもひっぱりだこの田村孝裕、作・演出による新作「カーディガン」を観る。

先日の世田谷パブリックでの男二人芝居「K2」同様に、主役は同じような年回りの男二人。
K2では草彅&堤のタッグだったが、こちらは中井貴一&(舞台初出演の)市原隼人の組み合わせ。

こちらカーディガンでは、この主役二人の回りを、キムラ緑子、外山誠二、中尾明慶らベテラン&中堅舞台俳優6人とこちらも舞台初となる石橋杏奈が脇をしっかり固めている。

このなんとも、ばっちりサポート安全&親切体制が初舞台の市原を大きく支えたことは自然に想像が及ぶ。揺るぎない先輩の中井とキムラ、そして、映像の世界で馴染みの中尾、さらに自分だけでなく、もう一人初舞台組がいたことも、彼にとっては大いにプラスに働いたことだろう。

幕開け、若干の堅さは見えたもののーと言っても怪我をして動けないという役なので、その点ではその堅さも演技とみられて得?!ー、ほとんど出ずっぱりとは言え、かなり自由に、自分のカラーをそのまま出しながら好演。役もヤンキーという、映像でさんざん演じ慣れているものだったので、その点でも入り易かっただろう。

このような芝居を用意してくれたパルコ、そして脚本を書いた田村にも感謝、感謝といったところか。

気弱でうだつの上がらない中年男性(中井)と、血気盛んな俺様型の若者、ヤンキー(市原)が病院で相部屋に。まったくタイプの違う二人だが、一日の大半を一緒に過ごすうちにそれぞれに足りなかった面ーその面を大いに持ち過ぎているタイプが隣のベッドに寝ているもう一人の男ーを自覚、生活が一時停止したこの機会は、もしかしたら、その自分とは相反する男になってみる機会とみることも出来るのかも、、とその気になるのだが、、、というお話。

その中年男のしっかり者の妻(キムラ)、そしてヤンキー男のモテ女子系の頼りない彼女(石橋)たちの、かわいいほどに単純な男達よりも数段上という女の賢さ=したたかさ、が最後に露呈され、それもハートウォーミングなエンディングに華を添えている。

K2の二人がトライしたような、極限状態における真の人間の性、個人としての究極の選択とは。。というようなハードな芝居にくらべ、こちらはゆる〜〜〜〜いヒューマンドラマ。。。ま、それが結果オーライだったらそれもあり、なのだろう。

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2010年11月15日 (月)

ありきたりな生活(11/13)マチネ

Title

後日のまとめてレビューを参照下さい。

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2010年11月13日 (土)

ショートで繋ごう

あ〜〜〜、またブログのアップが追いつかない。。
理由は簡単、観劇のハシゴをしながら、時間が空いたときは「完全避難マニュアル 東京」を遂行し、でもってプレミアリーグのサッカーを朝の5時から観たりしているからだ、、なんて贅沢heart02なんて幸せ者なんざんしょhappy01

少しでも追いつくため、ショートコメントー一行レビューの掲載から始めたいと思う。。ですので詳しくは後日の追加分をご参照あれ。でもって、この一週間分を一行ずつコメントしてみました。

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The Blue Dragon(11/12)

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カナダが世界に誇る演出家、ロベール・ルパージュの最新作「ブルー・ドラゴン」を池袋芸術劇場で観る。

ルパージュその人とは知らずに、「変わった、アクロバティックなシェイクスピア劇」という評判を聞きつけロンドンで観に走った「真夏の夜の夢」、に始まり、
02年に世田谷パブリックシアターで上演された「月の向こう側(The Far Side of the Moon)」はあまりの素晴らしさに2回の観劇、06年同劇場で上演された「アンデルセン・プロジェクト」は世田谷パブリックの粋な趣向で日本人役者(白井晃)による日本版とルパージュによるカナダ版を実現。どれも美しい中に郷愁を秘め、心の奥底から揺さぶられる傑作ぞろいだっただけに、今回の舞台にも大注目。

伝説の9時間に及ぶ超大作、「The Dragons' Trilogy」の番外編として製作された本作。急速に発展し続ける今日の中国が抱える歪み、輝かしい成長の影においやられている不整備な社会問題を描く一方で、アジアに移り住んだ西洋人が陥りがちなカリスママン現象(日本に着いたとたんに筋肉隆々・金髪のスーパーマンに変身し、女の子達をはべらしてしまうとんでも勘違いアメリカ人を描いたマンガのタイトルが「ミスター カリスママン」)&オリエンタル幻想を巧みに皮肉っている。クレアーの中国の田舎から養女を引き取る一件にしても、自己満足の為、金で欲しい物(者)を、人間さえも手に入れようとする、そしてそれが普通に行われている現代への痛烈な警告が見て取れる。

*****HPより********

ピエールは、かつての工業地帯がアートセンターに変わり、中国のアートシーンの中心になっている上海でギャラリーを開いている。ギャラリーにはピエールの恋人である中国人のアーティスト、シャオ・リンも出品している。 ここで彼は、かつての恋人でモントリオールの広告会社幹部クレアーと再会。この再会をきっかけに、ピエール、クレアー、シャオ・リン3人にとって予想もしなかった変化がーー。
 過去と現在の狭間で揺れ動きながらも希望を失わないピエールの心の軌跡が、グローバリゼーションに移ろいゆく中国の風景と重ね合わせられ、現代人の愛と孤独を静かにあぶり出す。

****************

ルパージュマジックと称される映像を駆使した演出ーステージが2階構造になっていて、シーンにあわせ、その2つに別れた、さらには縦に4つに区切られたスペースが、映像または照明により効果的に変化する。時にピエールの2階建て住居であったかと思えば、上段がクレアーが搭乗する飛行機の機内に早変わりしたり、また、ピエールの趣味であろう書道を嗜む様がその書とともに現れる。

最後に3つの違ったエンディングを用意しているのだが、どの道を選択しても、その行く末は前途多難と思われるところが、現実の厳しさを示唆していて、なんとも最後まで心憎い。

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花たち女たち(11/12)マチネ

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座長、加納幸和率いる男だけの劇団、花組芝居による「花たち女たち」を新宿西口、全労済ホールで観る。

有吉佐和子の花柳界を扱った小説2本「芝桜」「木瓜の花」をもとに飯島早苗が脚本化した芝居で、02年に新派役者-波野久里子、水谷八重ー子らによって新橋演舞場で初演。その際には加納が演出を担当したそうだ。


その人気演目を自らのホームグラウンド、花組芝居に持ち帰り、さらに進化させたのが今回の舞台。
ネオ歌舞伎を自称する当劇団では、もちろん主人公の芸者二人正子と䔍代をはじめ、その他の芸者衆、女将さんら女性は全て男性俳優によって演じられるわけだが、男性役者が演じることにより女のいじわる合戦もちょっと引いたところから冷静に、過剰に生々しくならず見れて、これは利点として働いているように思えた。

****劇団HPより*******

ちゃっかり者の蔦代と生真面目な正子は芸者置屋、津川家の雛妓(おしゃく)(見習芸者)時代からの付き合い。
蔦代は芸者から待合の女将、さらにはビル経営者になる。
正子は旦那を持ち、津川家を引き継ぐが、歌舞伎俳優仙七との恋、別離をきっかけに単身再出発を誓い、旅館の女将になる。

恋に仕事に戦争に、翻弄されながら大きく絡む二人の人生。
十代から老境に至るまで近づいては離れ、また近づかずにいられない二人の織り成す人生模様、女同士の哀歓を、絢爛たる花柳界を舞台に描く。
*******************************


両極端のタイプの主人公、芸子二人ー一人は生真面目で一途な女、もう一人がおちゃめでずる賢い女ーのコントラスト(見た目もキャラクターも)がはっきりしていて、分かり易い。でもってそれぞれの良いところ、悪いところがきちんと描かれているところも観ていて気持ちが良い。
また、現実の世界ではなかなか無い例だとは思うのだが、、、もしくは主人公が生きた時代のおかげなのか(昭和初期)、これが幼少時から苦楽を共にした幼なじみの強い絆なのか、裏切られても恨むどころかいつの間にか仲直り、生涯お互いを助け合う、でもって過剰に恩に着せない、、、これぞ「女の中の女」という二人の生き方がステキ。

と、翻が良く、老舗劇団の俳優陣&演出には安定感があり、観ていて芝居の流れに澱みが無い。

これだったら、テレビの連ドラよりもこっちの方が面白い!と言われて然るべき、皆、劇場へ行こうよ!

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K2(11/11)

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二人芝居だけに、でもって、ライブパフォーマンスである芝居だけに逃げ場が無いので、、、これはなかなかに辛い。

テレビでの草彅君の演技には感心することもしばしばあるのだが、、、舞台では、、、この役は荷が重すぎたとしか言いようが無い。

もう一人の堤真一が格段に上手いだけに、「クソッタレ!」(この訳もどうかと?思うけど)と、叫べば叫ぶほどに演技のしらじらしさがはっきりと見えてしまっていた。
まず出発点からして、K2に挑むタフな登山家って、、、彼にとって真逆のキャラだよね。そこまでさせる意味あったのかな?

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2010年11月10日 (水)

あかりのともるかがみのくず(11/10)

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迷子になるわ(11/10)マチネ

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アンドロイド演劇「さようなら」(11/10)マチネ

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やけたトタン屋根の上の猫(11/9)

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新国立劇場、新芸術監督就任オープニングシリーズー現代劇の系譜をひもとくー第二弾、米国人作家テネシー・ウィリアムズの代表作「やけたトタン屋根の上の猫 Cat on a hot tin roof(「やけた」ではなく「熱い」と訳して上演される事もしばしばある」を新国立劇場小劇場で観る。

世界中でコンスタントに上演されている作品だが、何と言っても記憶に強く残っているのがエリザベス・テイラーとポール・ニューマン(まだかけ出しの新人だったころ)が主演した58年製作のハリウッド映画。
憂鬱げにベッドの柵にしなだれかかる色香を持て余した人妻マギー(テイラー)のポスターはあまりにも有名。

しかしながら、この映画版、実のところはウィリアムズの原作を大きく歪曲した、脚色の範囲を通り越して手を加えた別モノだったというから驚き。

夫のブリックは当時の世間常識では公には出来ない性的趣向ーゲイ(同性愛者)を持ち、それゆえに酒に溺れ、一般的には申し分のない女房を邪険に扱い、家庭崩壊の一翼を担うわけだが、皮肉な事にその社会的タブーー同性愛ーがハリウッドのプロダクションコードにひっかかり、その部分をすっぽりと無かった事として、妻と夫、そして夫の学生時代の友人とのハリウッド的に健全な(!?)三角関係(友人は妻に惚れていたという設定)故に夫婦仲がこじれ、、、しかしながら、最後にはその件も落着し、ハッピーエンドで終わるという、、とんでもない離れ業でこの映画をウィリアムズの作品ということで世に出してしまったというのだ。
これには、もちろんウィリアムズ当人は激怒したらしいが、ー至極最もな話ー後の祭り、ということなのか、大人の事情を汲み取れということなのか、、、こんなヒドい事をされたら、ウィリアムズが酒に溺れるしかなかったのもうなずける。

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タンゴ(11/8)

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5時間半の芝居の後、夜は渋谷で3時間の観劇。

夏のエジンバラフェスじゃないんだからsweat01
昨年の大作上演(ヘンリー6世、コースト・オブ・ユートピア)で慣れてきたとは言え、、まさに芝居漬け状態。

65年のポーランドでの問題作(スワボミール・ムロジェック作)を長塚圭史演出、串田和美美術で渋谷のど真ん中に蘇らせた意欲作。

パンフレットで演出家が語っているように、前時代の傑物で残骸でもある家族の中にあって、新世代の主人公アルトゥル(森山未來)は今の時代における演出家=長塚氏が感じる自らのポジションそのものに当てはまるのだろう。。その証として、今のアルトゥル=長塚氏自身が度々現在からの目撃者として舞台上に登場、、アルトゥルの戦いを見届けていた。

串田氏の透明なアクリル板による抽象的で美的な美術も有効に働いていた。

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風間杜夫ひとり芝居 五部作一挙上演(11/8マチネ)

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5時間半(幕間に休憩2回あり)という上演時間があっという間。肩も凝らず、中だるみもなく、充実した月曜の午後を過ごさせていただきました。

一人芝居のお決まりで、見えぬ共演者相手にモノローグ会話が延々と、それも5作も続くわけですが、さすがに芸達者、一本調子にはまることなく、植木等のサラリーマンキャラのようなお調子者の主人公(もちろん風間杜夫)が繰り広げる、今の世では怒られそうなぐらいいい加減な、それでいてどこか見習うところもあるような、どこまでもゆる〜〜〜くて軽い渡世人ストーリーが、大いなる笑いとともに展開されていきます。
一人の役者の技(テクニック)とキャラが創りだした傑作舞台。これで暫くは見納めとは、、ちと残念なり。

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2010年11月 7日 (日)

パブリック・ドメイン(11/7)

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池袋西口公園で参加型、屋外芝居「パブリック・ドメイン」を体験。

今秋F/Tの一つの目玉でもある本作。ヘッドフォンから聞こえて来るアンケートに答えることで集まった人たちのグループ分けが生じてくる様を見ながら自分についても考察するというプログラムなのだが、単一民族&かなり一辺倒な文化的背景を共有する、さらには基本的に正直な日本人ばかりの上演回はそれほどにバラツキがなく、質問が進むにつれて、ちょっとトーンダウン気味。

(自分も含め)そうしないつもりでも、なんとなく横目で確認しながら動いちゃうからね。

俺が、俺が、、、ってタイプじゃないんだよね、われわれは(我が家のKY夫はこの「われわれは」というサウンドがお気に入り)。

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3Abschied(3つの別れ) (11/6)マチネ

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彩の国埼玉芸術劇場でベルギー、と言うよりも世界を代表するコンテンポラリーダンスカンパニー、ローザスのリーダー、アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル(写真真ん中の青いトップスのダンサー)の実験的な最新舞台「3Abschied 」を観る。
日本では一足先に愛知トリエンナーレ芸術祭で上演された作品。

******劇場HPより*****

『3Abschied ドライアップシート(3つの別れ)』は、今年生誕150年を迎えたマーラーの大作『大地の歌』の中で最も長大な最終楽章「告別」を題材にした作品だ。中国の孟浩然と王維の2つの詩を元にしたこの楽章は、日本でもなじみ深い。ベルギーを代表するダンスカンパニー「ローザス」を率い、長年ダンスと音楽の関係を探り続けてきたアンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルにとって、この楽章のダンス化は長年の夢だったが、今回コンセプチュアル・アーティスト/振付家として世界中で活躍するジェローム・ベルとタッグを組んで、敢然とこれに挑戦した。

世界有数の現代音楽アンサンブル「イクトゥス」によるシェーンベルク編曲の室内楽版の演奏とメゾ・ソプラノの独唱に、アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルのソロ・パフォーマンスが組み合わされて生み出された新たなる世界、それは従来にない意欲的、実験的な舞台となった。


***********************

マーラーの「告別」が表す、死と対峙する世界感に感銘を受け、それを体現したいと思い立ったケースマイケル。。。躍動するダンスとマーラーの死を達観する視点とは相容れない、、それゆえにダンス作品としては成立しずらい、と回りから反対されたにもかかわらず、どうにかして自分なりの方法でこの楽曲を身体で観客へ伝える事は出来ないだろうか?と模索し、途中からは第三者、フランス人ダンサー・振付家ジェローム・ベルとの共同作業により、完成させた作品。

彼女の私的な探究心から端を発したこの作品、彼女の芸術的欲求を試す/満たすために進められた作品製作は、その道から大きく外れる事はなく、最終的にもかなり個人的な、限られた芸術の可能性を探る、その意味で実験的なーま、実験なくして進展もなし、なのですがーニッチな目的を果たすためにかなり贅沢な条件で作られた舞台。ー彼女の実験=音楽とダンスの重なりを実現する、のために少人数ながらオーケストラとソプラノ歌手が動員されているわけですから。

作品構成としては3つ(3つの「告別」という題名から)のパートから成り立っていて、

第1ーこの作品を作るに至った経緯、そしてこの試みが目指すところ、、をケースマイケルが観客へ説きあかし、それに続いてオーケストラの演奏に併せ、彼女のソロダンスが展開される。オーケストラの間をぬって、邪魔にならないように踊るー身体を音楽にのせるーゆるいダンス。

第2ーここで、客席にいたジェロームが舞台へ上がり、オーケストラの奏者たちにも演じてもらうように頼む。そこで、舞台にいる全ての人が死を表現するという仕掛けになる。

第3ー「告別」を身体で表現すること=自分で声楽パートを演じる、と解釈したケースマイケルが声楽を習った、その成果を披露。決して、声楽のプロのレベルではないのだが、身体を使って表現するという主旨からは外れてはいなくて、確かに、彼女が「告別」の世界を表現しようと試みている姿をダンスと唄で目撃することが出来る。


と、このように。。彼女の本職であるダンスのパートだけだと30分ぐらいのステージということになるが、「告別」をライブステージで観客の目と耳、そして感性へ届ける、という総合ステージとして2時間弱という時間を共有することとなる。

私踊る人。。。あなた観る人。。。という既存の関係から一歩先へ踏み出した(or 外れた)ダンスステージだった。

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F/Tシンポジウム(11/5)

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完全避難マニュアル 東京版(11/5〜つづく)

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完全避難マニュアル 参加の手引き


山手線29駅に仕掛けられた避難場所を探して、自分の都合の良い時間に訪れ何かを発見・感じてくる「参加型」演劇。

1ヶ月間開催されているので、上記の手引きを参考に、どこかへ避難してみることをおススメ!

会社の近くの駅でも良いし、自宅へ変える乗り換え駅でも、、、もちろん降りた事の無い駅なんていうのもこの機会に、と言いたい。

これほどまでに観客に自由が与えられている芝居もあまりないので、思い思いに楽しんで欲しい。

いくらでも広がる可能性のある観劇のチャンス。。。空いた時間に避難してみる価値は十二分にあり。

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2010年11月 4日 (木)

図書館的人生Vol.3 食べもの連鎖(11/2)

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劇団イキウメの人気オムニバス形式作品シリーズ「図書館的人生 Vol.3」を世田谷パブリックシアターの小劇場、シアタートラムで観る。
08年秋の Vol.2ー盾と矛 に続いての観劇だったのだが、今回は入り口が軽めでいて、話が進むに連れてどんどん重層的に話が広がっていく、という、2時間越えの上演時間が全く気にならない、どんどん引き込まれていく作品に仕上がっていて満足、大満足。

****ネタばれ注意******

サブタイトルにあるように今を表すキーワード「食」に関する身近なエピソードでスタート。
マクロビオティックー玄米・菜食を中心とした長寿を目的とした食事療法。(余談)この食事法、完全に海外からの輸入だと思っていたのですが、第二次世界大戦前後に日本で提唱、実践した人物ー桜沢如一さんという方がいたことを発見。。そこからこの芝居、始まっているんですね〜〜〜。ーの料理教室に通う若い妻が、この食事療法にのめり込むあまり、夫の健康を気遣って、よかれと思っての行動が徐徐に食=毎日生きていく上で不可欠な要素、に関する一方的な管理、強制へと変化していく様を描く。

価値観の押しつけが、たとえそれが論理的に正しい事であっても、それを受ける側にとってはかなりの負担となる事、また人と人との関わりーIntimacyーに関する根底のルール(夫婦などの最も近い日常の間柄である場合、忘れられることが多いのも事実)を我が身にも起こりかねない、もしくは既にやってしまっているかもしれない身近な例として見事に描き出している。

続いて2つ目のエピソードでは、独自の美学に基づいた「万引き」で生計をたてている主人公が懸賞で生活をしている女性へ思い込みの運命の糸を


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愛と嘘っぱち(11/2)マチネ

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2010年11月 2日 (火)

こうしておまえは消え去る(F/T) (11/1)

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*****関西日仏学園 HPより*****

最新作『こうしておまえは消え去る』では、秩序や善意ある自然の力と結合した美が、無秩序へと変えられる変化、二項対立を、光、霧、音によって表現します。全てが森から始まり、森が登場人物の内面を映し出します。今年のアヴィニョン演劇祭にて初演され、好評を博した話題作。
*******************

2010年フェスティバル・トーキョー(F/T)、1ヶ月におよぶ観劇マラソンの第一弾として、フランスからの作品「こうしておまえは消え去る This is how you will deisappear」を西すがも創造舎で観る。

JT F/T関連記事

今回のF/Tの統一テーマが「演劇を脱ぐ」ということで、脱テキスト&脱劇場というくくりで集められた芝居がメインプログラムとしてラインナップされている。
その意味では、「こうしておまえは消え去る」は脱テキスト・脱物語のカテゴリーに含まれるもので、おおまかなストーリーはあるものの=崇高な目的意識を持ちながらトレーニングに励んでいたアスリートとコーチ。ある日、森の中でのトレーニングの最中、ある少年との出会いにより、彼らをコントロールしていた物の糸が解き放たれ、二人はあらぬ方向へと向かい始めるーこのストーリーからして、アフタートークで演出家(ジゼル・ヴィエンヌ)が明かしていたように、すべてが妄想の中の出来事かもしれないという程度のもので、ものがたりよりも、観客が目の前で起きていることを感知することから、それぞれの想像の世界を構築してくれ!という客なくしてはありえない芝居。

冒頭、金髪の美人体操選手と彼女のコーチが現れ、黙々とトレーニングを始める。側転、バク転を華麗に決めていくのだが、途中、客席へ背中を向けての逆立ちシーンでは、コーチが足を押さえ、そして、その足の大また開きを披露!!!

にしすがもの劇場でなくて、場所が違っていたら、、もう少しずれて池袋や日暮里のxx街のステージとか、、「まっすぐに伸びた、完璧な股の開脚!」ではすまされないような大胆さ。

以前、「ヘアーは芸術かエロか?」なんて論争が日本でも起こっておりましたが、そうそう、このお芝居は、その境界線の危うさ、、、見る人が見ればお芸術、、でもちょっとまてよ、エロと言われて差別をうけている‘あれ’、とどこが違うの??という、さまざまな出来事、世の中のジャッジのそのあやふやさ、と逆に、だからこそアートということを表現してくれている舞台なんです。


代アートの許容性とそのエゴ、、、この舞台に関しても、それぞれの観客がそれぞれの眼でジャッジしてください!ということなんだと思います。

舞台レビューという観点から言わせてもらえば、やはり、ジゼルさんがトークで何度も強調していた独特の舞台づくりーさまざまな分野のアーティストとのコラボレーションで完結した舞台ーという特徴が舞台の前面に堂々と陣取っていて、暗闇でそれを体感するという経験が面白かった。


ハイパーリアルな森のセット、霧の彫刻家なる肩書きのアーティスト・中谷芙二子さんの霧効果ー全編この霧が舞台を覆っているのですが、さらに真っ白になるほどに濃くなるときもあり、そうすると劇場全体が霧のためにひんやりとして、、よく舞台で使われるスモークとはぜんぜん違った体で感じるミスト効果を作り出してくれていた。。またそれがすっきりと晴れる、その転換の早さも驚き!−、そして映像の高谷史郎氏、、にしすがもの劇場をすっかり支配しきってしまったサウンド効果。。。

霧が、音が、、言葉が、、そして森がー森ってヨーロッパの人たちにとっては身近な場所なのかしら?それとも、、グリム童話の世界のように、やっぱり怖いところ???−重要なキャラクターの一人となっておりました。

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2010年11月 1日 (月)

パロスペシャル〜いつも○○があった〜(11/1)マチネ

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佐野崇匡改め、今公演より 佐野バビ市を名のる座長率いる、男だけの劇団東京ミルクホールの新シリーズVol.1「パロスペシャル」を中野の小劇場、中野・劇場HOPEで観る。

前回公演「銀ちゃんになれなかったよ」レビュー

本公演の他に、月一でのイベント(ネタ試し、トーク、上映会などなど)、お泊まり旅行公演、落語、などなど様々な企画で顧客とのふれあい、芸の発表の場を設けている当劇団の新シリーズ「パロスペシャル」第一弾。小さな小屋で、それぞれの得意ネタを、これでもかの役者のキャラ出しまくりでファンへ向けてダイレクトに届ける(何と言ってもいつもよりもさらに客席との距離が近しなので)番外編。


******ネタばれ注意******

今回の「パロスペシャル」はタイトル通り、人気テレビドラマ、映画、漫画などのパロディーを高校の演劇部による舞台演習という設定で怒濤のごとく連発するというもの。

演劇部顧問の月影先生ならぬ林先生の電飾を背負っての登場シーンから始まり、ー佐野さんがこの月影先生キャラをお得意の女装で演じているのですが、これがつけマツゲ5重かさねぐらいの熱のこもりかたで、クリソツ!!!いつもながらにお美しいー、その後はこの劇団らしく、留まるところをしらずの勢いで30作品ばかりを大爆笑の中、パロってパロりまくる。

不朽の名作、「高校教師」に始まり、密室殺人でもめるサザエさんの磯野家、ヅラもの大奥に料理対決ならぬ、味見対決の「美味しんぼ&王様のレストラン」。。。。と、誰もが思い出す、あの名シーンが、大笑いネタに。
途中のトークでは、「あの二世タレントがどうしてもイヤ!」なんて、実名、伏せ字トークも炸裂し、いつもながら、大いに楽しませてもらった。
*************************

この劇団、お客のリターン率、かなり高いだろうな。


(余談)
お隣のお客さんが、普通に友人と喋ったり、舞台の(おそらく)友人役者へ手を振ったり、舞台で起こっている事を反復している。。例えば、人が出てきたら「あ、人が出てきた。。」とかボソッとおっしゃる。。。のにビックリ!!

きっと、今どきの学校の教室とか、いつもこんな感じー自由に発言したり、無視したりーなのかな〜〜〜と予想する。

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