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2010年10月

2010年10月31日 (日)

言葉の変遷

最近、BBCで英語の発音が時代とともに多様化してきている、というレポートをやっていました。

街に出て、実際に人々にフリップに書かれた単語を読んでもらっているのですが、

例えば「says」ーsayに三人称単数(あったでしょ?こうゆうの)の場合のsをつけたもの。。
ーセズ

ーセイズ
(カタカナ表記ですので若干の無理はありますが、ご了承下さい)

そして、もう一つ「Ate」ーeat(食べる)の過去形。。
ーエトゥ

ーエイト

私は『セイズ』で『エイト』だとばかり信じ込んでいたのですが、セズ、エトゥと主張する人が大いにのにびっくり!!

学校で発音記号のテストとかあったけど、、、、その信憑性、そして一つに決めてしまうことの必要性自体に疑問符がつくかも。

BBC Hは ヘイチ か エイチ?

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白鳥の湖(10/30)

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台風が大接近中のおかげで、かえって普段の週末よりも人の少ない渋谷オーチャードホールで熊川哲也率いるK-Balletの「白鳥の湖」を観る。

今回は熊川の次世代を担う若手による舞台で、御大の熊川先生は演出・指導に専念。

私が観た日は写真にある、宮尾俊太郎(ジークフリート王子)と松岡梨絵(オデット白鳥/オディール黒鳥)の組み合わせ、日曜日の回では英国ロイヤルバレエからのゲストダンサー、ロベルタ・マルケス(オデット/オディール)とK-ballet売り出し中のホープ浅田良和(ジークフリート)のペアにより熊川演出による緻密な「白鳥の湖」を表現する。

ーこのカラーの違うダブルキャストでの上演、というのもK-ballet=熊川さんのビジネスセンスの鋭さを表している。。。カーテンコールの最後にはきっちりとファンサービスの役割を果たしていたし。。ー


で、怪我により約1年間舞台から遠ざかっていた宮尾氏の全幕舞台復帰ということで、注目が集まった。
ー宮尾氏は踊れない間、役者やテレビコメンティターとして他メディアでの活躍の場を広げていたので、一般的知名度はかなり上がっていたはず。いわゆるイケメンくくりで露出も多く、熊川氏のようにバレエ普及大使の役割を与えられているだけに、ホームグラウンドでのパフォーマンスにジャッジの目が向けられた。ー


結果から言うと、やはり踊りー特に男性パートの見せ場であるジャンプやスピンの部分では、まだまだ精進する余地はあるというものの。。。やっぱり、この人、なんだか`華=スター性’があるです。

天性のもので、いくら努力してもなかなか得る事のできない、バレエでいうところの`生まれながらの王子様’というものが備わっているように思います。それこそ、他分野で磨き上げた演技力(?)も加わり、立ち姿、大勢の中で王子役であることを一目で分からせる、この人やっぱり王子だよね、と納得させるものがあります。

今回、「白鳥の湖」を観ながら気づいた事の一つで、このジークフリート王子役、嘆いたり、恋しがったり、、それこそ受け身の演技が多いものの、、自らが姫を奪い取るとか、力を誇示するとかの能動的な見せ場の踊りパートがあまり無い役なんだということ。あくまでもこのプログラムの主役は女性ダンサーで王子はサポート役、であり象徴的な王子という立場から感情表現に回ることが多いということ。
ーだからこそ、宮尾氏の得意分野が活きるこの役での復帰をプラニングしたんですかね〜〜〜〜?

これで、稽古に精を出して、ジャンプや回転にも力強さが加われば、、御大のように恐い物なし、なんですが。。。全てを得るのはやはり、なかなか難しいのかな??

期待を込めて、次の舞台を目撃したいと思います。

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2010年10月30日 (土)

かもめ(10/29)

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長短調(または眺め身近め)ラップ「かもめ」
tpt かもめ

この3ヶ月で三度目の「かもめ」である。(上記リンク参照)

チェーホフ生誕150周年という年回りのおかげではあるのだが、それを抜きにしても、やっぱりチェーホフ劇自体の自然なブームということもあるのかな、と思う。

今回の松本修主宰、劇団MODE による「かもめ」は前衛度という点から言うと、前述2作品の間、ま、どちらかというとtpt版よりで、いわゆる正統派の「かもめ」上演だった。

「長短調。。」の演出家、中野茂樹氏に話を聞いた際に、同じチェーホフ祭に参加しているもう一つの「かもめ」=MODE版を観客としてとても楽しみにしていると語っていた。
彼は、自分たちのエッセンス抽出芝居も(おそらくそうなるであろうと予想する)正統派のMODE版も、どちらもチェーホフの「かもめ」。。今の日本の演劇界で上演されるべき「かもめ」であるので、フリーな感覚で2作品を観て欲しいとも言っていた。
ーそうそう、宣伝では無いけれど、二つみることで、さらに見えて来るものもあると思うー

通常の舞台を取払い、床面、そして回りの壁を剥き出しにした舞台エリアには高台状の上演場が。そこが湖のほとりのトレープレフの劇を演ずる場所になったり、屋敷のダイニング・リビングになったり。
椅子やテーブル、食器棚などの舞台セットが役者たちにより運び込まれ、場面転換をする仕組み。
役者たちは自分の出番でない時はその高台舞台の回りに置かれた椅子で、登場を待つ事となる。

松本氏が既存の翻訳テキストを読みつくし、それぞれの中から抜粋して創り上げたという上演台本は、さすがに良いところ取りだけあって、とても自然で分かり易い。
セット・衣装・そして台詞も、全てが今の私たちが受け入れ易いように、適度に現代風にアレンジされている。

それにしても、演出家が100人いれば、もちろん100通りの「かもめ」が出来るわけだが、今回の舞台で特に面白かったのが、この現代風アレンジ、そして松本氏自身が演じたドールン医師の立場ーそれぞれの中心人物たちの間で潤滑油のような役割を果たしているんだなということが明確になっていた。
他には、トレープレフのいわゆる”今風にすぐキレる、若者”という解釈も、その性格を強調してみせてくれていたので、面白かった。

しかしながら、一方、ぶりっ子ぶりぶりのニーナのキャラ設定は、ちょっといただけない。
小走りで走りよる、本当におバカな田舎娘というだけだったら、いくらトリゴーリンでも手さえ出さないと思うんだけど。。。。やっぱり、全国レベルでは惜しいのだが、それでも田舎では誰もが知っている、魅力のある小悪魔的ニーナでないと。。成り立たない。


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2010年10月29日 (金)

長屋紳士録(10/29)マチネ

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日本が誇る名俳優、柄本明率いる東京乾電池のヒット作の再演舞台「長屋紳士録」を高円寺の座・高円寺で観る。

タイトルからお気づきの方もいると思うが、小津安二郎監督映画(1947年)の舞台版。映画そのままを再現しているシーンも多いが、他の小津映画からの抜粋(「一人息子」「麦秋」など)エピソードもサイドストーリーとして付け加えられている。

***小津映画「長屋紳士録」 ストーリー(Amazon)より****

小津安二郎の戦後第一作監督作品である。戦後間もない東京には、戦争で親を亡くした戦災孤児がたくさん居たが、その中の一人を拾ってきた男(笠智衆)は、その子を女(飯田蝶子)に預けてしまう。女はその子が疎ましくて仕方がないので、どこかに置き去りにしようとするが、なかなかうまくいかない。そのうち、その子供に情が湧いてきて、二人の間に、実の親子のような絆が生まれてくる。しかい…。段々と子供に対する気持ちが変化する経緯を小津の演出で、そして飯田蝶子の演技力で、魅せる作品。懐かしい昔の東京の風景と共に、心に残る作品である。

********************

舞台中央には四畳ほどの一段高くなった畳のセットが設置され、そこで主だった出来事&会話が交わされるだが、簡単な小道具ー火鉢とキセル(あ〜〜〜、わが家にもあった、あった。でおじいさんがキセルでタバコ吸ってたわ)、ちゃぶ台、せんべい布団 などなどーはそのシーンにあわせて持ち込まれる。

背景には昭和初期の長屋の町並み(シルエット)が描かれている。

その背景版から役者は出入りをしながら、長屋紳士録ー孤児とおばあちゃんとのやりとりと長屋の人々とおばあちゃんの日々のやりとりーのシーンとその間に挟まれるご近所さんたちの生活(他の映画より)シーンが短い暗転で次々と展開されていく。

一つ一つはーそれこそ小津映画の真骨頂ードラマチックな事などまったく起こらない、たわいもない日常の一コマ一コマなのだが、やはりそこに味わいがあり、何と言っても、舞台用に抜粋された名台詞が輝いている。

映画では、その当時の役者たちがその時代の日常を演じているわけで、それを観ている側としてはその頃を想像しながら映画を楽しむわけだが、、、2010年の高円寺で、この少々古めかしい言い回しでもって、心が洗われるような昔の人々の誠実であろうという気持ち、そして人々の関わり合い(お隣・近所のつきあいが毎日の生活に根付いていた)を役者の生の身体と声で体感させてもらえるのが楽しい。

しばしば、ドキッとするような珠玉の台詞が飛び出してくるので、ゆる〜〜〜〜いドラマ展開ながらうかうかしていられない。

東京乾電池劇団員、総出の大所帯舞台なのだが、ここの劇団員はーボス(柄本氏・そして角替さん)を筆頭に、皆味があり、カラフルで、、、その集団をまとめてみると、また凸凹していて、決してファクトリーメイドのナイロン製品のようにスルリとしていないところがとても良い。

日替わりでキャストが総取っ替えになるんだそうで(メインの角替さんは変わらないのでしょうが)、そんなプロ役者魂もかっこ良い。

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モグラ町1丁目7番地(10/28)

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龍昇企画プロデュース、前川麻子作・演出「モグラ町1丁目7番地」を台風接近中の中、駒場アゴラ劇場で観る。

人気シリーズの最終章(「モグラ町」(08年)「モグラ町1丁目」(09年)に続いての三作目)ということで固定ファンも多いらしく、開場後には席がすぐ埋まるほどの盛況ぶり。
途中、お決まりのジョークらしいところ(前2作を観ていないもので推測ですが)では大きな笑い声が、とてもツボにはまっている方もいるらしく、引きつり気味に笑いを押さえられないご様子。

*****ネタバレ注意*****

お話としては、タイトルのモグラ町1丁目7番地に住む5人兄弟と彼らと近い距離にいる(継母、もとカノ、その姉妹などなど)人々らのいつもの勘違いだらけで非生産的な、それでいてそれぞれにマジに生きて関わっていく様を描いている。
1作目は父危篤の知らせに兄弟が集合、2作目は兄弟の一人の結婚騒動に集結、、そして今回は継母のボケ騒動(ほんとうに騒動なんですが)で兄弟そろって奔走するという設定になっている。
ちなみに、今回が最終章ということで、それを暗示するように、最後で兄弟が「次に集まるときは兄弟だれかの葬式かね?」「いやいや正月って普通集まるもんでしょ?」。。と、これで兄弟シリーズはひとまずおしまい、、と告げていた。

アゴラの舞台中央には一段もりあがった舞台、回りをドーナツ状にうねった通り道がついている。舞台上手にライブ音楽を演奏する楽団スペース(アコーディオン、ウッドベース、ピアニカ(って言うんですよね、あの管で空気入れて演奏する鍵盤のみの楽器))、そして一番外側、壁に沿って、上演中舞台中央で演じていない役者たちが腰を降ろしてスタンバるそれぞれの椅子が常設されている。ー劇中一度、役者がその椅子で一斉にお弁当を食べ始めるシーンがあるのだが、、これは1作目でも起こっていたらしい。それぞれに個性溢れる弁当箱で、こうやって一度に人が違う弁当を食べるのを観るのも一興。

最初に舞台に山積みにされていた、木箱(長いのも短いのもあり)はオープニングの役者登場シーンで崩され、その後は様々な舞台セットー病院ロビーの長椅子、キオスクの店、ベッド、銭湯ーとして活用される。そして、その場面転換、装置転換自体も役者それぞれ芝居の中の自然な動きの中で行っていた。


***********************************

アバウトな感覚の人たちのグダグダしたお話がユーモラスたっぷりに描かれて行くのだが、そのグダグダ感を強調するためか、幕開け直後数分感は殊更に小さいつぶやき声で劇が展開していく。前作からのつながりを感じさせるためなのか、、、抜け感を冒頭で確認、観客へもその準備をさせるためなのか、、それにしても聞こえそうで聞こえない、というのもなかなかにむずがゆいもの。

今どきの風潮ー早く、要領よく、アグレッシブに攻める、というのとは真逆を行く、この愛すべきマッドな兄弟達。
シリーズ化したというほどの魅力は十分に伝わってきた。

次男の塩野谷正幸、、相変わらずはずしませんね〜〜あれだけモゴモゴ早口で台詞を言っても伝わってくるんですから、さすが!

個人的には5男の欽也(吉岡睦夫)がキャラ的には本当は一番危ないヤツだと思う。でもって、4男文太(稲増文)を形容したジョーク「あまりにも恐すぎる顔」という一言にハマった!

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2010年10月28日 (木)

新宿八犬伝(10/27)

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歌舞伎町、(今はなき)コマの噴水に面した雑居ビルにあるライブハウス新宿FACEで川村毅主宰第三エロチカの30周年記念&劇団解散公演「新宿八犬伝」を観る。

02年以降、今はティー・ファクトリーとして自作プロデュース公演を展開する川村氏が80年に明治大学演劇サークルのメンバーと立ち上げたのが第三エロチカ。02年以降は第三エロチカとして活動することはなく、今回の正式解散もその時点ですでに決めていた事だと言う。
80年代の小劇場ブームを横目に独自の社会のアウトローが主役のメッセージを前面に打ち出した男気のある作劇と、スペクタクルに富んだ演出で固定ファンを獲得、25歳で岸田戯曲賞を受賞している。

常に現社会における演劇を思考し続けてきた川村氏が、02年以降のテイー・ファクトリーではそれまでの第三エロチカとは違ったアプローチ((煽)動から静(考察))を選択したのも、時の流れ、社会の移り変わりに対応して、ということなのだろう。

で、その点からすると、やはりこの「新宿八犬伝」、、解散公演という冠つきだから、、それがあっての公演という感想。

もちろん、その時代に新宿・下北沢の劇場へ足を運んだ若者達がちょっと観劇から遠ざかっていたものの、このニュースを聞きつけ久しぶりに劇場へ、という効果もあるであろうし、またおじさん&おばさんたちが懐かしむ、その80年代演劇なるものを観てみたいという好奇心から胸ふくらませFACEへ駆けつけた人たちも多くいるだろう。

しかしながら、やはり演劇は生もの。。。そこにはノスタルジックな風となんだか妙に(本当に微妙な冷め方)冷めた観客たちのお行儀の良い観劇席があった。

今の新宿の衰退ぶりを嘆く台詞、この国自体の没落に苛立つ台詞、、など、さすがにはっとする場面、また骨董無形な近未来ストーリーながら無理なくすすむ展開に舞台へと眼は見開くのだが、、、それが故に、劇場が明るくなった後のなんとも寒々とした空気は何なんだろう??ー劇がどうこうというよりも、やっぱり、それこそこの国にデモをするパワーとか、皆が寝ずに新宿に溜まるような活力がどこにも無いというのが、その原因であるような気がする。

ここで、アジってみたところで、現実の生活はやはり100円おにぎりランチだし、、って事なのかな?

それにしても、新宿って、本当にパワーが無くなったように感じる。

ちょっと危なくて、で人がザワザワしていて、、何かが起こっていて、、って今はやっぱり渋谷なんでしょうね(個人的にはもう渋谷もウザイけど、、それは年のせい)。
猥雑さと文化度で言ったら、、それこそナウは池袋なんだろうし、、大人たちは六本木や青山??
大都心よりもちょっと規模の小さいところが盛り上がっているー三軒茶屋、中目黒、麻布、広尾、そして浅草界隈ーっていうのも、新宿から人がいなくなった原因なのかもね。

お隣の新大久保なんて別の意味で(韓流)エラく盛り上がっているのに、、皮肉なもんですね。

帰り道、副都心線を目指して、歌舞伎町のホスト街をつっきって歩いたのですが、、、その通りはえらくギラギラしていて、人(ほとんどが呼び込みのホストたちだったけど)も多かった。
それにしも、劇中にもあったけど、ホストクラブもあれだけあって、でもって100人が100人同じような顔ぶれでサービスだったら、、商売厳しいんだろうな。だからますます客の取り合いが悪化するって??か?(知らない世界だけど)


芝居ですが、
主役の手塚とおる、有薗芳記(!!)、笠木誠(!!)、きれいなゲイ役野々山貴之、そしてゲストの渡辺えりさん が輝いておりました。


あ、そうそう、余談ですが、昼間観た「微笑の壁」と今芝居とのもう一つの共通点を目っけた。

第三エロチカの看板俳優だった(故)深浦加奈子さんが04年から活動の拠点の一つとしていたのがマチネの城山羊の会の舞台。
深く関わっていた中心の女優さんが同じという共通点、、不思議な巡り合わせ。

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微笑の壁(10/27)マチネ

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下北沢、スズナリ劇場で山内ケンジ氏主宰の城山羊の会(しろやぎのかい)「微笑の壁」を観る。

先日、サンプルの松井さんと対談している山内さんの記事を読み、この人の創る芝居を観てみたいと思ったのが初めで、予告チラシを観て、即購入。

山内さんはCMダイレクターとして数々の大ヒット作ーあのソフトバンクの白戸家もこの方の制作だそうで、、でもって、万人の共通話題となったNOVAもそうなんだそうです。白戸家のCMは、今ぶっちぎりで面白い(50歳若いおじいちゃんを「ふぅ〜〜ふ、ふぅ〜〜ふheartnote」って外国人のおにいちゃんがはやし立てるって、、予想外すぎる)と誰もが認めるジーニアスな作品。ーを飛ばしながら、そちらのお仕事とは別に04年から「城山羊の会」として演劇活動を開始。
彼自身が作・演出を担当し、今回が9作目の公演となる。

で、この芝居が本当に良く作ら(書かれ)れていながら、あくまでも自然にさりげなく、不条理な難題を問いかけてきてくれる、とってもすばらしいものでありました。

チラシの後ろに山内氏自身が今回の話のもととなった広告業界でのエピソードがを紹介しているのですが、、その話を完全に信じてしまえるものかどうか。。。というような、ちょっと鵜呑みには出来かねるという、彼のTwitterの世界を覗いてみても(↓)、そこで展開されているつぶやきが虚構と妄想全開で、こうゆう事を毎日考えながら、創作活動をしているんだな〜〜〜、と劇の`不思議’感とあわせて、クリエイターの想像力の豊かさに感心してしまいます。
城山羊の会 HP


*****ネタばれ注意*****

冒頭、広告代理店に努める主人公、川島恭司(吹越満)が彼に恋する若い美人OL律子(東加奈子)とマンションに帰って来る。淡々とした川島に対し、律子は天然キャラで猛烈にアタック。。。結局、二人は深い仲に。。幸せそうにベッドから戻ってきた二人、、でシーンが変わり、そこでは、二人の結婚お祝い会が同じマンションのリビングで開かれている。
同じ、広告業界で働く友人、部下etc..たちがお祝いに駆けつけプレゼントを渡している。
そこでもかなりな天然ぶりを発揮して、同僚の妻からにらまれていた律子。。そこで玄関のベルが。。遅くなったもう一人の同僚かとドアを開けると。。。。買い物袋を下げた川島の妻、ミドリ(石橋けい)がいつも通りの帰宅とばかりに部屋へ入ってきた。

夫の新しい、もう一人の妻との対面に仰天して取り乱すミドリ、、聞いていなかった、、と泣き出す律子。。そんな二人の間で「なにも考えていなかった。。。自分でも(この状況が)よくわからないんだ」と真顔で語り、全く悪びれない恭司。

この不条理な関係、状況をさらに混乱させる、ちょっとおかしな友人達。。そこへ律子の叔父というアメリカ在住の(明らかに)変な男(三浦俊輔)が訪ねてきて、事態はますます混乱を極めて行く。。。

*************************************

かなりに不条理な設定から始まり、それぞれのキャラクターのこれまた不条理な言い分で劇が展開。
妻がいながら、それもその正妻にはまったく不満が無いにも関わらず、二人目の妻を紹介する男。。。彼はその行動はいたって自然の成り行きだと語る。。ふと見渡すと、この若い女をめぐってはそれだけではない関係がそこここに存在していたらしく、、結局はみんな兄弟(?)といった節も見て取れる。そんな中、何を考えているのか、事情を飲み込めているのか。。図りかねる若い女とそれぞれの個人のエゴを通そうとする友人たち。。。で完全にぶっこわれている叔父。。

これらの展開を観ていると、もしかして私たちが「ふつう」と思って生きている世界の方が、どこかおかしいのでは?とさえ感じてくる。

それぞれのあり得ない壊れたキャラクターが自身満々に暴れ回る様は白戸家の爆笑CMをやはり彷彿させる。
笑い満載で、ストーリー展開も魅力満載。

俳優人も不思議度全開で好演!!

余談:
この日、期せずして
昼に吹越氏、そして夜はもと妻の広田レオナの舞台を観る事に。
テレビのインタビューなどによると、実際のお二人の夫婦関係もなかなかに不条理だったようで。。
別にそれは良いのですが、だから、チラシにあったような=この劇のような話も案外あり得るのかも。


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2010年10月27日 (水)

おそるべき親たち(再見)

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あまりに良かったので、観られるうちに観ておこう、と「おそるべき親たち」を友人と再見する。

舞台の出来としては、大人達の掛け合いは相変わらず揺るぎなく、、、でもって、大人達の玩具である子ども君ーミッシェルー役の満島真之介君が良くなってました。初舞台ということなので、初日はさすがに一瞬浮き足立っていたような箇所もありましたが、この数日ですっかり安定。

お姉さんー満島ひかりーのプロフィールによると、おじいさんがフランス系アメリカ人のクォーターだそうでーと言う事はひいひいおじいさん(おばあさん)がアメリカ人ってこと?ー、甘いマスクが印象的。

ーここでミニ知識ー********************
この天使の顔をした餓鬼んちょミッシェル役ですが、ご存知の通り、パリでの初演舞台でこの役を演じた(フランス人らしからぬ正統派美男子俳優)のがコクトーのアムール(愛人)、ジャン・マレー。彼は当時25歳で、この舞台で一気にスターダムにのし上がり、その10年後に制作された映画でも同じ役を演じている。
その後、再演の際にぜひにと志願したのがその2年後に「太陽がいっぱい」で大ブレイクするアラン・ドロン。(実現はせず)
95年にはこちらも正統派美形の英国人俳優ジュード・ロウがNYの舞台で演じ、翌年のトニー賞にもノミネートされている。その後の彼の活躍を見れば、この役が彼に与えたものの大きさを計り知る事が出来るだろう。

この人たち、、なんとなく顔の系統が似てますよね。

満島君は彼らよりも、甘さを多く加味したタイプ。にしても、この舞台が彼の今後に大きく影響することはやはり、間違い無し。

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で、お芝居ですが、やっぱりこの戯曲が、、、母と息子の濃密な依存関係ー特に最後のシーンで明かされるほどの深いつながりーが、日本戯曲では無いですよね。
息子のためにわが身を捧げ、人体実験をかってでる「華岡青洲の妻」の母親でさえ、一応表向きには息子の学術研究のため、で、息子を嫁にとられたくないから、とは口が裂けても言いませんから。

それにしても、この戯曲に出てくる大人達のなんて自分勝手な事。。。それぞれが、誇らしげに自己を肯定し、その一方で他者のを批判することには躊躇しない、、、日本だったら、それこそ「自分のことは棚に上げて」と言われ、「人のふり見て我がふり直せ」とたしなめられるところなのでしょうが、自分の思うところを正直に告げない方が、たとえそれが人とは違っていたとしても、それこそ人としてどうよ?という考え方がフランス流なんでしょう。

それに加え、「アムール(愛)」こそ全ての国フランスとどちらかというと個人の愛を語ることに消極的な日本。

しかしながら、昨今のグローバリズムの下、欧米の個人主義への賛美から「個人主義」が日本社会に浸透しつつあって、若者などは「世界でひとつだけの花」であることに重きをおいているとも言われているようですが(で、みんなで流行の指南本を読んで、結局だれかの受け売りになってしまっていたり、奇抜な外見でしか自己主張出来ないというのも。。なんだかトホホなんですが)。。。みていると、どうもその「日本の個人主義」も個人主義のある断片しか受け入れてはいないようで、、、「個」があるということはそのもう一方に「公(パブリック)」が存在するというところをあわせては輸入していないような気がする。
その両方でバランスをとってこその「個」だと思うんですがね。
ー自分も大事、だけど、それを守る為には公的認識をみんなできちんと共有・実行する。。。だから、モンスターペアレントになる前に、どうやったら我が子が包括的に良い教育を受けられる環境にするか?を考える。。。その方法を、それぞれに違う立場の人たちが話し合って検討する。。ってね。


と、ちょっと芝居から話がそれましたが、

一見、対極にあるようなフランス文化だからこそ、そこから学ぶべきことも大いにあるってことですかね。

やっぱり、これほどまでに赤裸々に自分たち大人の姿をみせられたら、、観劇後はそれについて考えますから、で、友人とそれについて話したりしますから。。ね。

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2010年10月26日 (火)

動かない生き物(10/25)

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赤坂RED/THEATERにて、石曽根有也率いるらくだ工務店の新作「動かない生き物」を観る。

***ネタバレ注意******

タイトルにもなっている`動かない生き物’とは突然ひきこもっちゃったゾウさんのこと。
ータイトルにもなっていて、劇中でも中心的な存在ではあるのだが、最後までそのお姿をみせる事は無い。動物なのに動かない?なにがあったの??というわからない事へ思いめぐらす、おはなし。

と言う事で、今回は(地方都市にある。。であろう)小規模な動物園で働く飼育員の方々のお話。

普段から和気あいあいとした職場環境で動物の飼育に生き甲斐を感じ、熱心に働く人々。ひきこもっちゃったゾウさんのおかげで、ちょっとしたトラブルが勃発したのだが、それと時を同じくして、それぞれのプライベートでも、大小様々な問題が。。。子どもが引きこもりの親がこの事態をきっかけに気がついたこととは?これからの長い関係性を見据えて妊婦がとった行動とは?

****************

空前のペットムームの昨今 ”自分に一番近い存在のペットとは一心同体、話さなくても心では通じあえるし分かりあえる”なんて感じている人も多いのでは?

生き物というくくりをもう少し広げてみれば、人間だってペットと同じ動物。だったら、言葉でコミュニケーション出来る人間同士の関係は?例えば、一番近い存在であるはずの家族の事、本当に理解してますか??
案外、分かったつもり。。なんてこと多いんじゃないでしょうか?

人と人との関係が複雑化し、それによって人間関係が何かと希薄になってきていると言われる今日において、そんな人同士の関わり合いの難しさ、矛盾、希望を自然に描いた作品。


この劇団、らくだ工務店に関しては今までに3作品を続けて観ているのだが、毎回おわった後に、やっぱり観て良かったな、と思わせてくれる、私にとってのある種`癒し’の劇団。

話作りが上手い、俳優さんたち(レギュラーとなっている客演陣が多い)が上手い、というのもあるのだが、何と言っても魅力は会話のテンポと笑いのツボ。

結構 ベタではあるのだが、わざとらしくなくて、で それぞれのこまったちゃんぶりが、、大いに笑かしてくれる。

前作 カラスの歩く速さ

前々回 黄色い湯気


また、次も観に来るだろうな〜〜〜〜、きっと。

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2010年10月25日 (月)

カカメ(10/24)マチネ

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川崎市の公共劇場 川崎市アートセンター アルテリオで桑折現(こりい げん)ー構成・演出・舞台美術を担当−氏により01年に結成された京都をベースに活躍するパフォーマンスカンパニー dotsの新作「カカメ」ー鏡の語源よりとったタイトルーを観る。 

****公演 HPより****

最新作『カカメ』は、「鏡」をモチーフに、そこに照らし出される人間の様々な姿を劇場空間に映し出します。
合わせ鏡のように、自己と他者の関係性の中で複雑に揺れ動く私たちの存在。
その機微をすくい取りながら、舞台は現実とイメージの世界が交錯していきます。
そこに私たちの現在はどのように映るのか −。
***********

暗がりの舞台上、かすかな灯りの中、回転ドアで出入りを繰り返すように歩き続ける出演者達。

舞台脇から一条の光が差し込み、次第に舞台が明るくなると、舞台左右にかかった大きなプロジェクタースクリーンーそこには窓からみた風景の断片、部屋のマテリアルの断片が映し出される、また、中央の等身大の鏡が見えてくる。

装飾を排したシンプルな黒尽くめ(濃紺もあったのかな?)衣装に身をまとった演者たち、女を担いで行進し、途中マイクでモノローグを語るもの、鏡の中の自分に見入るもの、かろやかにステップを踏む女性ダンサー。
その次には天井からパープルのロープが落ちてきて、その張られたロープへカラフルな洗濯物がかけられていく。
その間をふざけながら飛び回る女。。そして、舞台にフレームベッド、木の低いテーブル、黒皮のソファー、大きめのアームチェアーが運び込まれると、倒れ込み寝込む女、その女を無造作にどかせる男。。。後半、劇場一杯にLED照明による幻想的な光の波の世界が広がり、男は同じ動作を繰り返す。


とってもスタイリッシュ。衣装も舞台セットも、映像も照明も洗練された美意識で統一感がある。

あまりにも格好良すぎて、ちょっとはずかしくなった。

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ヴァンデンブランデン通り32番地(10/24)

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★★★★★

明日で最終公演なので、ぜひぜひキャロットへ駆けつけて欲しい。

と、取り急ぎ、↑これをアップして、マンUの試合を観て、寝てしまったのだが。。
(余談)
今、BBCで放送しているトルコ航空のコマーシャルにマンUの選手がそろって出ているぞ!
ルーニー、スコール、ヴァンダサール、ネヴィル、エヴラ、エヴァンス、双子が並んでetc..
とチームの伝説のヒーローボビー・チャールトンがトルコ航空機で遠征フライと中という設定。
それぞれのキャラ(一般のイメージなのか本当にそうなのか、はさておき)にあわせたシチュエーションになっており、マンUファンには嬉しい限り。。。毎回、この宣伝が流れると、画面に向かって拍手喝采good最愛のギグジーがトイレに行っているのか(!?)出てこないのだけが残念。


で、本編、ベルギーのダンスカンパニー、ピーピング・トムの去年2月に続いての再来日公演。

前回の「土の下 Le Sous Sol」ー大量の土で舞台を覆い尽くし、その土で埋もれた地下を死後の世界として描いた。人間離れした、死者たちの骨抜きダンス、ゴム人間ダンス、土ぼこりあげながら男女三人が絡みあう三角関係ダンス。。。とダンスシーンの素晴らしさと併せ、声楽家のユルディケ・デ・ブールの圧倒的な声量、当時82歳だった白髪のヒロイン マリア・オタルの存在感、そして日本で集められたエキストラたちの華やかな舞台参加。。。と、どこを切っても金太郎が出てくるような、盛りだくさんでいて質の高い舞台として、無名のカンパニーにもかかわらず、大好評を得たーかなり衝撃的に素晴らしかったのだが、今回の「ヴァンデンブランデン通り32番地」も相当ぶっとんでいて、その独創性に眼が釘付け。

こうゆうダンス、というか総合ダンスパフォーマンスー台詞も少しあって、唄も重要な要素を占めるーで、これほどまでに自由に創造出来るのって、スゴい。でもって、その自由加減が、これは日本の土壌ではぜったいに出てこないだろうという、紙一重のかなり危ない感じのスゴさなのだ。

土の下 動画

*****ネタばれ注意******

舞台上には、雪に閉ざされたどこか最果ての地に暮らす小さな集落。住民たちは同じタイプのトレーラーハウスで、何をするでもなく毎日をやり過ごしている。若い夫婦は営みにあけくれ、妊娠中の女は毎日を途方に暮れながら、やがて新しい男を招き入れる。冒頭、吹雪の中を二人のアジア人男性が村へ到着する。徐徐に回りの住人たちと関わりを持ち始める彼ら。。。。この新参者たちの介入がこの小さなコミューンに変化をもたらし、それによって彼らの世界が崩壊し始める。。

そんな、崩壊の様の過程を黙って上方から見つめる中年女が一人。彼女はその惨劇をしたたかに見続けながら悲しみの唄を捧げる。

***********************

ダンサー/演出家/振付家であるフランク・シャルティエは前回の日本公演の際に、移動バスの窓から「楢山節考」(今村昌平氏の映画はカンヌの映画祭で賞を受賞し、フランスでも認知度が高かったのだろう)映画の舞台であった信州の山々を観て、今作の着想を得たという。

閉鎖的な社会を描いたという共通点はあるものの、姥捨て・老人問題・親子の愛といった映画の主要テーマは舞台には特別見当たらず、当然の流れながら、アフタートークではその点に関しての質問がされていたのだが、シャルティエによると、その`老いの問題’部分を主に担っていた役者マリア・オタルがブリュッセルでの初演直前に急折したため、彼女あればこそのパートということで、その後代役はたてず、その部分は削ってしまったとのことだった。

ーーーーこの考え方、驚きですよね。普通、作品ありきー特に作者だったらそちらの方を重視すると思うんだけど、みんなで創り上げたこの作品表現には代役は無し、ときっぱりカットして、あとの人たちで創ったものをみせる、、っていうんですから。それを当たり前の決断だったというように語る彼ら。。やっぱり、舞台の作り方、創造活動の方法がどこか日本とは違うんだな〜〜と実感したエピソードでした。ーーーー

で、今回の舞台、見所としては

*クシャおじさんならぬ、関節はずれっぱなしお姉さん(もちろんはずれてはいないんでしょうが、あり得ない身体の曲げ方をするもので)の骨なし軟体動物ダンス
*人体ではなくてロボットなのでは?と思わせる人造人間お兄さんと、上記の軟体動物お姉さんのデュエットは必見
*あと、アジア人の流れものとして登場する韓国人ダンサー2人のエレガント・カンフー&マッチョダンスも秀逸

でもって、思いっきりデフォルメされた最果ての地のトレーラーハウスのセット、ユルディケのゆるぎない歌声、てんこ盛りのジョーク  etc..

とやっぱり、これは何はなくとも観なければいけないでしょう。

Mind-blowing masterpiece!!!

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2010年10月23日 (土)

おそるべき親たち(10/22)

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池袋、東京芸術劇場 小ホールでtpt第75回公演「おそるべき親たち」の初日を観る。(プレビュー公演が1回あり)

経済力、政治力の衰退に伴い、疲弊しきった文化政策環境の東京でこの舞台を鑑賞できる幸せに感謝。

これが欧米だったら、口伝えに評判が広まり、ロングラン。。。という事にも繋がりそうなものだが、そこはまだまだ日本。この舞台もいったい何人がその恩恵をこうむる事が出来るのか、、その点はちょっと残念。
だからこそ、台風の空へ向かって叫びたい「これぞ、今、観るべき芝居!MUST SEEの芝居!!」だぞ〜〜〜〜っと。

ここで、この素晴らしい作品を創り上げたクリエイター達をざっと載せておくと、

原作:ジャン・コクトー 
翻訳/台本:木内宏昌
演出:熊林弘高
美術:島次郎
衣装:原まさみ
照明:笠原俊幸
音響:長野朋美

役者:中嶋しゅう、佐藤オリエ、麻美れい、中嶋朋子、満島真之介(初舞台)

20世紀前半に詩・文学・映画・戯曲・絵画と多岐に渡り活躍したフランスの前衛アーティスト、コクトーの`いかにも(フランス的)’な愛と自己分析とそれにくっついてくる矛盾を追求したこの翻をいらない情報とモノで溢れかえったこのトーキョー、それもついこの間までは人が寄りつかなかった都会の吹き溜まり、池袋の劇場で観ているという、その状況がまさにシュール。
一歩、外へ出れば池袋の喧噪と騒音がまとわりついてくるのだが、劇場の中の濃密な劇世界だけを見れば、ここはパリの小劇場かロンドンのテムズ河畔のナショナルシアターか。。。といった文化レベルなのだ。

舞台の大きな見所としては、やっぱり舞台俳優たちの卓越した演技。
ストーリーをそのまま体現するだけではない、さらに先にあるもの。。ふっとみせる表情、細かい表現、、などなど`役を演じる’というのはこうゆう事なのだなと改めて気づかせてくれる、その3大女優(佐藤、麻美、中嶋)による真剣勝負は必見。あくまでも自然な佐藤オリエの高等テクニックは圧巻。

そして、それら大女優陣から絶大なる信頼を得、今回も「ぜひ一緒に舞台を創りたい。。」と言わしめた若き演出家、熊林弘高の演出も見事。
しっかりとした確信の下、それでいて観客への余白を備えた舞台。
独りよがりの、一方通行な舞台表現が横行する中、しっかりと観客を迎え入れる、その度量の広さはある意味自信の現れなのか。

そして、今回台本を担当したのがその熊林氏とtptで長年にわたりコンビを組んできた木内氏。

彼が今回のプログラムに寄せている文「どこへ行く?壊れかけた家族、おそるべき欲望」が大変興味深かったので、ちょっと抜粋させてもらう。

”親子関係というものは、虫眼鏡でよくよくのぞいてみれば、ある意味でとてもグロテスクなものです。。。愛情と支配願望と性的欲望はどれほど別物で、どこまで重なるのか。。。。母親にとって最も理想的な異性とは「身も心も満足させてくれる息子」であり、父親にとって理想の女とは「セックスできる娘」なのかもしれません。。。”

この視点で、「おそるべき親たち」の濃くてクレイジーな家族関係を見ると、次第に不可解の紐がほどけてくるような気がする。
さらには、この親子のグロテスクな関係を今の東京の至る所で見つけられるようにも思えてくる。

来月開催されるF/Tの豪華な海外ゲストプログラムも楽しみではあるが、ここにも同じように刺激を与えてくれる国内プログラムがあることを発見して欲しい。
(来月、芸劇で上演されるルパージュの「ブルー・ドラゴン」も大人の為の優れた演目であると思うが、それに匹敵する、、これも大人のプログラムだ。)

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2010年10月22日 (金)

SWAN(10/21)

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三軒茶屋 シアタートラムで、ノダマップ(パイパー/キャラクター)・シアターコクーン(東京月光魔曲)などへの外部舞台出演が続いている長谷川寧(ねい)率いる ダンスシアターカンパニー、富士山アネットの最新作「SWAN」を観る。

初日だったため(初日だったのね〜〜〜。知らんかった)開場が押していたようでーーコンドルズ主宰の近藤良平氏が日替わりゲストとして登場した舞台後のアフタートークで、様々なテクニカルの問題処理の為にちょっと時間がかかったと話していたーーロビーにはカラフルな若者、つまりおしゃれっぽい観客たちが溜まっていた。

「SWAN」でダンスと言えば、、そう言われればその通りなのですが、チャイコフスキーのバレエ「白鳥の湖」からの創作ということで、全編にチャイコフスキーの音楽が鳴り響く中での1時間強の上演。

バレエでの音楽使用のように、音楽が常に流れているわけではなく、途切れ途切れにーそれでもかなりの頻度で使用されておりましたがーアレンジもシーンによってマチマチな音が流れてくるのですが、これがまあ、かなり御大層な音楽でして、、、こんなに常に、そしてかなりの度合いでドラマチックだったっけ??とバレエで「白鳥の湖」の時とはまた違った印象を持ちました。

それにしても、今の世の中でこれほどまでに仰々しいシチュエーションって。。。作りづらいかも。世紀の大ロマンスーま、長編バレエの場合は全てが御大層なこの世の終わりか世界の果てスケールの話になってしまうのですがーというのも、男女関係がカジュアルなこの21世紀においては、そこに真実味をもたらすのは至難の業かも。。
ーー余談ですが、だからこそマシュー・ボーンのゲイ・バージョン「白鳥の湖」ぐらいのひねりが必要なのかもね〜〜。マザコン王子のゲイ物語+皆が知っている王室スキャンダル、これだったらどっかの国の王子様って言うよりも身近(?!)に感じられるものね〜〜。ーー


バレエの筋をそのままという事ではなく、架空の近未来日本のお話として改訂していて、建築会社の御曹司と一般世間から隔離され虐げられている下層階級グループー薄汚い黒ずんだ格好とは裏腹に、揶揄的にSWAN(純白の高貴な鳥)と呼ばれているーに属する娘との悲恋物語となっている。

長谷川氏と近藤氏によるアフタートークでーちなみに二人はノダマップの「パイパー」で共演した仲だそうですー話していた事なのですが、この富士山アネット、もともとは芝居をやる劇団としてスタートしたそうで、今でもその創作の仕方は変わらないそうなんですが、始めに台本を作り(今回のSWANも台本があるということで台詞の書かれた台本を、企業秘密と言いながら、見せておりました)それにあわせて動きをつけていき、徐徐にその動きの流れを繋げて行くことで、最終的には今回のステージのように台詞のないパフォーマンス=ダンスとして完成させていくという方法を取っているそうです。

つまりは作品完成時には役者とダンサー半半という演者たちによるパフォーマンス作品と日の目を見る事の無い台本が残るという訳で、この創作方法の発想にはビックリ。
当然の事として、最初からダンス作品として作っているのだとばかり思っていたので、そんなある意味、贅沢な方法を取っているのね〜〜〜と感心。

今回の「SWAN」に関しては、ちょっとその台本部分ー現代の叶わぬ悲恋物語ーの部分が弱かったように思う。今の日本で身分違い、というシチュエーションもなかなかに繊細な設定で、実現しにくい部分もあるのだが、苦肉の策の犯罪を犯したはみ出しもの達たちの吹きだまりグループというのも、ちょっと素直に受け取りがたい、ちょっとアブナい(それほど考えなくても良いのかもしれないが)設定ではある。でもって、主人公である男女の関係の障害となるエピソードも、分かりづらかったし、それほどまでに思い詰める御曹司の心の弱点というのも見えてはこなかった。
ーそういう意味からも、マシュー・ボーンの「白鳥の湖」は秀逸だった。それぞれのキャラクターの理由付けが現代に即していながら明確だったから、1本のストーリーとして原作版とは別ものとして十分に楽しめたので。ー


とは言え、近藤氏も絶賛していたが、踊りの部分に関してはやはり目をみはるものがあったので、今回はそちらで十二分に楽しませてもらった。

劇団ならではの統一感と若手ならではのスピード感ーこれは本当に世界に誇れるスピードと正確さがありましたー、息つく間もなく次々と展開するダンスシーンは圧巻です。
あと、リフトされている女の子が天地逆になって担がれていく、これも新しいパドゥドゥでなかなかに楽しい。


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僕はまた今日も未完成の音楽で唄う(10/20)マチネ

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今、一番のお気に入りダンサー、ダンスカンパニー 東京ELECTROCK STAIRS主宰、KENTARO!!によるソロ公演「僕はまた今日も未完成の音楽で唄う」を青年団の本拠地、駒場アゴラ劇場で観る。

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人身事故の影響で電車が大幅に遅れる事態発生。。。5分ぐらいミスしてしまった。。く〜〜〜〜。。

*****KENTARO!! HPより******

■今回の開催にあたり
ソロ公演をこれまで幾度かやってきて、今一番やりたい事は何か、と去年(春)考えた時に真っ先に浮かんだのがロングランでした。とにかく演劇にも何でも負けずにステージ数を多くやりたい!という思いから来たものでした。なのでこれは色々な事への挑戦です。僕のダンス史上もっとも過酷な挑戦です。ダンスはまだまだ面白い!と伝えたいし、僕も信じてます(心から)。お時間ありましたらよろしくお願いします。きっと楽しいはずです。楽しくなかったらすいません。途中骨折したらすいません。劇場でお待ちしております。
****************

で、遅れて入った劇場では、既にKENTARO!!氏が汗だくになりながら、自身で「こんな初っぱなから汗ダクダクでだいじょうぶか〜〜〜?」なんてツッコミながらのパフォーマンスが展開しておりました。

その後、設置されたDJブースにてのゆる〜〜〜いトークあり、唄あり、生着替えあり、でジャ〜〜〜〜ンプ、で、海外遠征ネタトーク、ダンス、DJ、またまたダンス、ぶっ飛ぶ、、と1時間たっぷり楽しませてもらいました。
今回は公演用の音楽を自分で作ったということで、そのCDも販売中とのこと、、いろいろやりますね〜〜。

なんだか、特出しているダンサー達はジャンルに関わらず、みんなに共通する天才ならではのマジックがあるように思うのですが。

例えば、バレエの熊川哲也しかり、コンドルズの近藤良平しかり、でKENTARO!!。。。

なんだか、みんな宙で一瞬止まったり、微塵の躊躇なく身体を動かし伸ばしたり、、彼らの舞台写真、きっとすごい速さで動いているのに、切り取った瞬間はポーズをつけたように綺麗だと思う。

う〜〜〜ん、今回も楽しさ全開で良かったぜい。

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2010年10月19日 (火)

お買いもの(10/19)

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下北沢の駅前劇場で高井浩子率いる東京タンバリンによる「お買いもの」を観る。

小劇場の空間を対角線状にぶった切ったーショーのランウェイのようにーステージで、まさにファッションショーのランウェイさながらに登場する出演者たち。

チラシにもあるように、お買いものが大好きで買い物袋がたまる一方の買い物依存症気味の女の子と彼女の回りにいる同世代の人々ー彼らも多かれ少なかれ消費依存気味ー洋服売り場で働くお局上司に草食系男子の同僚、お局の習い事仲間である倦怠期にある女性とその旦那で妻の眼を盗んで耳かきサロンに通う男。もう一人の習い事仲間で若くして成功したが今はパッとしない小説家。その担当編集者、そして彼の同僚、、、と、それぞれが満たされない毎日を小さな消費ー洋服のお買いもの、小さな秘密ー耳かきサロンでの散財、身近な付き合いー人寂しさを埋めるためのつきあい、、などで埋めながら生活している様を描いている。

それぞれのエピソードがそこそこにスキャンダラス。で、そのそこそこさ加減がまるで隣の家をちょっと覗き見しているぐらいの生温さなので、そこそこ見続けさせるだけの面白みはあるのだが、反面、アフタヌーンショーのゲストコメンテイターの毒にもならないコメントを延々と聞いているような、、つまり終わった後で、「それで?」という、ちょっと物足りなさがあるのも否定出来ない。

舞台セットの作り方も面白いし、オマケの企画ーお買いものとかけて、下北沢のショップと提携してそのお店でのディスカウント企画が行われていたーも印象に残って良いのだが、今ひとつ、ちょっとばかり危ない目に会わせてもらいたい、という気もした。

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じゃじゃ馬馴らし(10/19)マチネ

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埼玉の彩の国で蜷川シェイクスピアシリーズ23弾、その中においてオールメールキャストシリーズー全役男優によって演じられるシリーズで、これまでに小栗旬、成宮寛貴、内田滋、高橋洋、北村一輝、小出恵介、高橋一生らのイケメン俳優らによって演じられ彩の国の人気・看板プログラムとなっているーの第5弾「じゃじゃ馬馴らし」を観る。

今回、女役を演じるのが歌舞伎界の実力者市川亀治郎とこのシリーズでの女役の常連 月川悠貴。

他に、一瞬にして観客を虜にする磁場を備えた、舞台界きっての信頼度No.1俳優、筧利夫、若手有望株山本裕典、田島優成、今や蜷川芝居には欠かせない俳優陣 横田栄司、妹尾正文、原康義、大川ヒロキなどが脇をきっちり固めた。

シェイクスピアの「じゃじゃ馬馴らし」と言えば、今夏、やはり彩の国の小ホールで、こちらは英国発の舞台を観た(下記参照↓)。

じゃじゃ馬馴らし-OUDS-

で、今回の蜷川バージョンの舞台とオックスフォード大学演劇部の舞台を比べてみて、いかに今回の舞台が日本の観客へ向けて発信されたものなのか、日本でのシェイクスピア劇の最大の効果を目指して、一部の学者の自尊心を満足させるためでは無く、埼玉市民、日本の演劇ファンにシェイクスピアを楽しんでもらうために創られたものだということがはっきり分かった。

多くの人が指摘するように、ややもすると、そのあまりにも誇張された主人公のじゃじゃ馬ぶり、シェイクスピアの多くの喜劇に見られる、奇想天外なご都合主義にも思えるつじつま合わせ、この芝居の意図するところを上手く引き出せず女性蔑視のコメディとして終わってしまいかねないので、海外での上演頻度の高さに比べ(本当に英国などではよくよくこの舞台の上演を目にする)、日本ではそれほど上演される事のない今作。

今回、蜷川はそのマイナス要素を思いっきりうっちゃって、大胆にも観客の視点を大幅に自分サイドに集中させ、その職人技によって、チケット代を払ってもおつりが出るほどに満足してもらうという作戦に出た。

日本人と欧米人の結婚観の違い、個人と個人の契約である西洋式恋愛が日本の土壌で理解されないのであれば、その事をふまえて、そこはあえて追求せず、いい年した大人の男女が自分の利害を隠さず、そういった意味でのスケベ心を前面に押し出し四苦八苦する姿を`愚かな人間達’の姿として見て、大いに楽しんでもらおう、というのが今回の舞台のメインカラーなのである。

蜷川氏がプログラムの冒頭で語っているように、"大衆演劇的な活力にあふれた”シェイクスピア劇を、自らが鍛え上げ、目を付けたフィジカルで饒舌な役者の身体をとおしてお客様に届けると言った芝居なのだ。

日本人俳優が得意とする身体を張った表現、(英国人俳優にはとても真似は出来ない、またはあぶないのでそんな事はやりたくない、と断られそうな)身体を投げ打っての演技により、台詞の一語一語よりも、何よりもその動きのコメディのテンポを重視した演出となっている。

実際のところ、一度聞いただけでは理解しがたい、前半にある様々なバックグラウンドの説明部分などは1.2倍ぐらいの速さで台詞をまくしたて、思いっきりすっとばしていた。
これをイギリスでやったら、大目玉をくらいそうだが、いやいや、ここは埼玉。。これで良いのです。

結果、冗長になりかねないシェイクスピア劇の舞台へ最後まで観客の眼を釘付けにし、爆笑の渦で締めくくった。お見事。

このスピードノリノリのシェイクスピアへ台詞回しの上手い、筧、市川を起用したのもまさにドンピシャのキャスティング。

余談ではあるが、近年では現代の「じゃじゃ馬馴らし」の傑作、オランダ人演出家 イヴォ・ヴァン・ホーヴェの舞台が印象深かった。

SPAC じゃじゃ馬馴らし


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ジャパニーズ・スリーピング 世界でいちばん眠い場所(10/18)

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座・高円寺で宮沢章夫率いる、遊園地再生事業団17回公演「ジャパニーズ・スリーピング 世界でいちばん眠い場所」を観る。

*****HPより*****

──これは眠りについてのお話です。インタビューと朗読による演劇。質問し、質問に応え、質問に反論し、そして〈眠り〉について語る。言語と身ぶり。からだとことば。さまざまなテキストと、さまざまな声が織りなす、なにも起らない世界。世界でいちばん眠い場所はどこか?

**********

上記の作品紹介にあるように、事前に行った出演俳優への眠りに関するインタビュー(例えば、”どんな枕で眠っているか?””最近、見た夢で印象に残っているのは?””人の寝言で印象に残っているのは”といったもの)の回答、そして様々な既存の小説・文献などにある眠りに関する記述からテキストを構成し、チャプターに分けて上演するーチャプターがあると言っても、上演中にも繰り返すのだがそれ自体に話の順番要素があるわけではないーという舞台。

舞台向かって両脇に多くの液晶モニターが置かれ、そこに浮遊する物体ーベタという魚が泳いでいるのだそうですーを背景としながら、時に長椅子で眠りながら、また時に舞台上の役者を同時間で映し出す大スクリーンをバックに眠れない、長い間眠ってないので眠りの感覚が分からない、、、と語る役者たち。

作者の宮沢氏は彼自身が3時間寝たら目覚めてしまう睡眠障害を抱えているらしく(それでも自由業なので24時間を自由に使えるので好きなときにまた寝たりして、睡眠不足の問題はないらしい)、アフタートークでは「単純に眠りについての疑問を、、出来る限り`劇的’にはせずに舞台化してみた」と語っていた。

独り言の連続のように、それもかなり個人的な感覚に関する台詞を語っていく役者たち。
マスへ訴えかけるのではなく、オーダーメイドのような芝居。

本当にかなり余談。。

劇中、「あなたにとって、世界でいちばん眠い場所はどこですか?」という質問も出てきていたのだが、それについて考えてみたのだが、世界でいちばん眠い場所、眠れないと言っている人でも眠る事が出来るかもしれない場所、、、それはどこか?
もしかしたら、劇場内で私の隣の席。というのはかなりその候補として有力かも。
だって、幕開け前からお眠りになっている方とかと隣り合わせになったり、実際この公演でもお隣さんはこっくりしていたし、、、お〜〜〜〜〜い、せっかく来たんだから起きてくれよ〜〜。退席しても良いから、まずはがんばろうぜ!

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2010年10月18日 (月)

コッペリアー志村昌宏・有子バレエスタジオ(10/17)

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友人のバレエダンサー山本康介君ーつい最近まで英国バーミンガム・ロイヤルバレエで活躍していたダンサーーが振り付け・演出をしたというので、埼玉の和光市までその舞台「コッペリア」を観に行った。

東武東上線、和光市の駅から歩いて15分はかかる市民文化センター。山本君のおススメもあり、土地勘もないことからタクシーに乗り込んだのだが、行きすがらの街道には延々と続く、いかにもバレエを習っているらしい女の子達ーフェミニンなお洋服に、髪はコンパクトにお団子にまとめている、歩く姿勢はシャンとして綺麗ーの列が。

で、会場に着いて、またびっくり。日曜日の発表会とは言え、大ホール(!)の会場は超満員。


でもって、いよいよ演目が始まって、その質の高さにまたもやビックリ!!

確か、私が学生の頃に観に行った友人のバレエの発表会と言えば、、発表会のレベルだったのだが、そこにはお客様にみせるに十分に値する舞台装置・衣装、そしてダンスが。

これも熊川哲也のやってきたことの成果の一環か。これから、ますます世界で活躍するダンサーが出てくるだろうことを予見させる、完成度の高い公演でした。

ps
山本康介君の名もこれから、どんどん耳にするようになると思うので、要チェック人物です!

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キラリと世界で創る芝居vol.2☆フランス『世界は踊る~ちいさな経済のものがたり~』(10/17)マチネ

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キラリ☆ふじみでの面白い試み、フランス人演出家パスカル・ランベール氏の作品「世界は踊る〜ちいさな経済のものがたり〜」を日本人ー埼玉県富士見市での公募による役者たちーで上演、という舞台を観てきた。

公共劇場として、地元市民との繋がりを重視する当劇場、新しいイケメン芸術監督、多田淳之介の指揮のもと、次々と市民を劇場へ呼び込むプログラムが実施されている。

今回は多田の古巣、青年団との長年に及ぶ交流の結果としてこのプロジェクトが実を結んだということだが、今年1月ランベール氏が芸術監督を努めるフランス・ジュヌビリエ国立演劇センターで世界初演を迎えた本作(添付写真はその時のもの)、その時点では、もちろんフランスの地元市民を50人あまり起用しての舞台だった。

実際、主要俳優(フランス人)4人の女優と経済哲学者エリック・メシュランー彼は演者として舞台で経済を論じているーと40人弱の公募による日本人が、現代社会においては見過ごすわけにはいかない、われわれの生活と深く関わっている経済哲学に関する問いかけの舞台を展開する。

その経済に関する身近な話、とノンプロ俳優たちによるカラフルなインプロ的な表現がこの舞台の見所となるわけだが、前者に関しては、、経済でもって哲学な話を日本語へ翻訳するという過程がいまひとつ理想的な形とはなっていなかったように思う。おそらく、母国語での上演の場合はそのテキストにかなりの部分で引きつけられるのだと思うが、う〜〜ん、今回の日本語の説明はちょっと分かりにくかった。
しかしながら、後者の市民俳優の部分に関しては、大いに上手く働いていたように思う。

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Familien Treffen(家族会議)(10/15)

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10月末から開催される演劇界における一大イベントF/T (Festival/Tokyo)での最大の目玉は、スイス人演出家クリストファー・マルターラーの初来日プログラム09年制作作品の「巨大なるブッツバッハ村ーある永続のコロニー」であることは間違いないと思うのだが、その公演に先がけて公開されたマルターラーのドキュメンタリーフィルム「家族会議」を赤坂にあるドイツ文化会館で観ることが出来た。
*注:F/T開催中にも上演予定があるので、ぜひぜひ観る事をおススメします。

劇作家の翻を劇場で上演する、というごくごく一般的な方法とは異なった独自の演劇を展開しながら、またそれらの作品が毎回大きな反響を呼んでいる、ということでヨーロッパで今一番ホットな演劇人という彼の魅力の秘密の一端を探りたい一心で会場へ。

ドキュメンタリー映画の内容は08年に実際に上演されたマルターラーによる演劇作品「家族会議」が出来上がるまでの6週間を追って、彼の独自の演劇論、製作方法に迫ると言うもの。

そもそも、スイス山中にある格式あるホテルの100周年のお祝いという目的でこの作品が創られたといういきさつがあり、上演もそのホテルーグランドホテルー自体を開放して、各部屋ーロビー、地下室、体育館で行われた(4時間の上演舞台)というから、その出来上がった舞台自体がかなり贅沢で、その舞台そのものもぜひ観てみたくなってしまった(作品の中で開場から、その舞台のほんの一部は観る事ができるのだが。如何せん、その場=ホテルがあってこその演劇公演なので、やはりその場にいなければ、ということなのだろう。何とも贅沢!)。

現地ホテルでの製作合宿の初め、マルターラー組(お互いを良く知る、常連の役者が出演することが多いとのこと)のメンバーとして集まった、役者たち。
唄う事=演じる事というマルターラー作品ならではという音楽の素養を兼ね備えた、美声を誇る俳優が並ぶ。
ミーティングでは仲間ならではの歯に衣着せぬ、仲間内ジョークが飛び交い、テニスコートでは無邪気にボール遊びに没頭し、マルターラーは後方でそれを眺め微笑んでいる。

リハーサルの時間のほとんどが、唄の練習、楽曲の選択、雑談、遊びに費やされて行く。
映画のナレーション(今回は怪我で参加できなかったという常連俳優がコミカルにナレーションを入れている)によると、リハーサルで、いわゆる俳優たちが集まってのトレーニング、訓練などというものは全く無いという。集合がかかれば、役者は集まってくるのだが、その時点でいわゆる台本があるわけではなく、毎日毎日、集まって唄を歌い、それに対して意見を言い合い、この会場で出来そうな面白そうなことのアイディアを笑いながら出し合っていく、、というのが、どうやらヨーロッパの至宝、マルターラーの製作の秘密のようなのだ。

マルターラー曰く、「皆でいっしょに唄うという、そのことが作品には一番大切。」「俳優は舞台で自分自身を演じれば、それで良い。なので役作りも不要。」だそうで、初日に向かって共同作業を進める彼らに、それが一体どんな作品になるのかは知らされていなくても(マルターラー自体も最後までその形はわからないのだろう)焦りの色は微塵もなく、いつもすばらしいものに仕上げてくれるボスの手腕を120%信じて着いていくだけ、といった様子。

実際、この舞台に関しても、初日の3〜4日前に図ったかのように、演出プランが定まり、俳優それぞれが言う台詞(有名な本やテキストからの引用が多い)も確定したというから、これぞマジック。

俳優の一人が「リハーサル中にストレスが全く無いって言うのが、ストレスってことかな?ハハハ」と応えていたが、なんともこの自由なリハーサルの光景。

何かをクリエーションするということは、本当はこうでなければ、、と考えさせられる。

それにしても、王様お抱えの芸術家でもあるまいし、21世紀のデジタル社会で、この方法で作品を創り続ける巨匠。。。仲間とその信頼しきった仲間たちの想像力を信じて。。。これが出来るヨーロッパの芸術土壌の素晴らしさ。。。。ふ〜〜〜〜〜〜〜〜、ため息が漏れます。

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コレクション(10/14)ーPinter Wave!

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Pinter Wave! 2作品目、「コレクション」を横浜Bank Art Studio NYKで観る。

Pinter 恋人

1作品目の「恋人」同様、美術は朝倉摂。

でもって、さすがにこの美術がセンスが良くて、過不足なくて、それでいて劇に必要なものはきちんとそろえていて、、とても良い。

前回の「恋人」の時は受付エリアになっていた、ギャラリーの入り口付近側を舞台スペースとして使用。そこにある建物の階段をちゃっかり利用して、2階建てのアパートという設定をスマートにクリアー。

透明のアクリルで統一した舞台装置、背景が狭い舞台スペースに広がりをもたらし、何も無い=なんでもある空間に大変身。

オーディションで選ばれた俳優さんたちに、若干堅さはみれたものの(誰かが言っていたけど、舞台でふつう〜〜〜〜に歩くのって、これ難しいんですね)、ま、そこは若さということで。
今回も選りすぐりのイケメン・美女俳優さん達が21世紀のYOKOHAMAピンターを演じておりました。

短いながら、ピンター劇はなかなかに手強い。どうにでも取れるだけに、チームの結束力、信じる力が大切なのかも。

広田氏の次回作は誰の作品となるのか?なかなか楽しみ。

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2010年10月15日 (金)

女と女と棺と女

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乃木坂にあるシアターBar Theater&Co. COREDO COREDO ホームページ にて青年団リンク、工藤千夏主宰、作・演出の舞台「女と女と棺と女」を観る。


シアターバーなる場所が東京にもあったんですね〜〜。
イギリスだとパブの上とか奥とかが劇場になっているところが多くあるのですが、友人と会って、ちょっと飲んでから観劇、なんて良いアイディアですよね。

****HPより 作・演出 工藤千夏のコメント****

一人っ子の私にとって、姉妹という人間関係は永遠の謎である。三人姉妹? いわんやおや。でも、リアさんのお宅もプローゾロフさんのお宅もマクベスを煽る魔女たちでさえも、♪うちら陽気な状態なんですよね。さて、どんな矢を折ることになりますことやら、初顔合わせの名女優三人の胸を借りて、うさぎ庵版「三人姉妹」のはじまり、はじまり……。
*************************

劇場側の受付から入ると、地下にある劇場スペースへ。おそらくコンサートや朗読会などで使われる事が多いであろう、ピアノの生演奏で迎え入れられる。

舞台で唯一の男性パフォーマー、ピアノ奏者・増崎陽介が演奏するショパンで一気に劇世界へと誘われる。

******ネタバレ注意*****

著名なピアニストで三人姉妹の父親でありながら、家庭を捨て放蕩生活を続けていた父親は今は瀕死の状態で35年ぶりに姉妹の住む実家にもどり、最新の若い愛人に介護をしてもらっている(舞台上には父親は姿を現さない)。
母の23回忌を機に介した姉妹と父親の愛人、そして彼のかつての愛人までが訪ねてくる。

一人の男の死に引き寄せられるかのように集まってきた彼に関わった女達。それぞれに心に隠し持っていた感情、そしてその男のとった無責任な行動により、長い間わだかまっていた彼女達の人生に対する不満・疑問が一気に吹き出す。
父という男の真実はどこにあったのか?それともそれはたんなる思い込みによるもので、各自が判断するものなのか?
ピアノの哀しい調べにのせて、思いは過去へと遡る。
****************

三人姉妹+愛人+さらなる愛人を三人の女優でテンポ良く演じ、ミステリーの部分も、女の感情表現の部分もすっきり、バランス良く、見事に小作品として創り上げていた。

まさにこの場所にふさわしい、そして秋の夜長にちょっと味わいたくなるなかなかオツな珠玉作品。

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2010年10月13日 (水)

アフター シアター

劇場を出た後もその劇を楽しむために。。。

ロングランシステムの無い日本では特に、それが人気演目で再見が難しい公演であればあるほど、、それでもさらにその素晴らしい芝居をもっと楽しみたい、と思うのは自然な感情であろう。

で、少しでもそのJOY喜びを持続させる為に、出来る事。

一つは戯曲を入手して、舞台を思い出しながら読み返すこと。

と言うわけで、「Harper Regan」を入手しました。

やっぱりークドくてスミマセン、、これは私の中毒症状ですーもの凄く良い!
原文はまたまた良いーちゃんと訳してくれた舞台をすでに観せてもらったから言えることですがー、でもってやっぱり舞台自体が良い(かった)。

ロンドンへ長期滞在と決めた際、トランクの中に野田秀樹の戯曲集をしのばせ、異国の地で夜な夜な読み返したように。。。Harper Reganもこの先そんな役割を担ってくれるのだろう、と思う。

あともう一つの楽しみ方として、、ミュージカル好きな人なんかはこちらの方が有効かと思うが、
挿入歌のCDを入手して聞きかえすこと。

先日のラップ版「かもめ」のCDはこの楽しみ方で愛用させてもらっている。

で、先日「ハーパー・リーガン」観劇の際に疑問となっていた劇冒頭の挿入歌も判明したーもしかして、、と思ってサーチしてみたら、、やっぱりね、と言うか 劇中 台詞で出てくるArcade Fire -娘のお気に入りバンドーの曲 `Wake Up'だったーーのでipodでヘビーに再生中。

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2010年10月11日 (月)

機械じかけのピアノのための未完成の戯曲(10/11)マチネ

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あうるすぽっとのチェーホフフェスティバルの1プログラム、劇団昴による「機械じかけのピアノのための未完成戯曲」を東池袋、あうるすぽっとで観る。

チェーホフの戯曲にしては聞き慣れない題名なので、短編小説の劇作化かと思っていたら、チェーホフ21歳の時に書いた処女戯曲「プラトーノフ」をベースに、「地主屋敷で」「文学教師」「三年」「わが人生」などの短篇小説のモチーフも加えて1977年、新たにニキータ・ミハルコフとアレクサンドル・アダバシアンにより脚本が作られ、ニキータ・ミハルコフ監督により映画化され、大きな成功を収め、数々の賞も受賞した映画作品のことだった。

映画の成功後、もともとチェーホフ劇的要素を多く含んだ作品だったので、自然の流れとして同作品の舞台上演も続き、劇団昴では93年に一度上演をしている。

パンフレットにある前回の舞台写真を見ると、今回の舞台はチェーホフ時代のロシアを再現したようなリアルな舞台装置も演出も(どちらも菊池准による演出)93年上演版と変わらないようである。ー劇団のTwitterによると93年の舞台に出ていた役者が役を変えて、今回も出演している人が何人かいるとのことー

チェーホフの「プラトーノフ」(またの題名を「父なし子」)が膨大なヴォリュームの戯曲で、それもあってミハルコフが的を絞り、再編成したという作品だけに いかにも中味はチェーホフ度120%で、さらには短く編集されているので、イイとこどりのおいしい作品となっている。

*****ネタバレ注意****

19世紀末のロシア。ある夏の終わりの一日、広大な田園地帯を所有する将軍の未亡人アンナ(一柳みる)の館に、近隣の退役大佐とその息子、他の地主たち、今はその没落貴族たちに資金融資をしているもと小作人あがりの商人、そして若かりし頃の理想に燃えた心はどこかへ消え、退役大佐の娘と結婚し小学校の教師におさまった人気者のプラトーノフ(島畑洋人)が、アンナの(母違いの)息子セルゲイ(ユ(中西陽介)の新妻ソフィア(田村真紀)に会うために久方ぶりに寄り集っている。
華やかなホステスとして、人一倍はしゃぐアンナは、皆を前にしてこの夜のために購入した高価な機械じかけのピアノを披露する。
久方ぶりの再会で賑わう中、それぞれの隠された関係ー社会意識の高いソフィアはプラトーノフの初恋の人で、彼女との恋に破れたことでプラトーノフはいろいろな事を諦め、平凡な人生を受け入れてきたことが明かされる。世に対し自暴自棄になった彼は、その後、平凡至極な妻との生活静を続けながら、アンナとも情事を重ねてきたらしい。
昔の`なりたかった自分’の姿を思い出したプラトーノフは、夕食の席で、そこに集まる人々の欺瞞、ていたらくぶりをさらけ出し、自らは窓から飛び降りて自殺を図る。一方、妻に裏切られたセルゲイも家を飛び出していく。。。。が、待っていたのは、あまりにもお粗末で、それでいて彼ららしい、何も変わらない日々の幕あけであった。

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実はこの作品の原作である「プラトーノフ」を99年ロンドンのバービカンで観る機会があったのだが、これが長時間のロシア語芝居+英語字幕であったにもかかわらず、ものすごく面白かったのを覚えている。
実際のところ、ロシア The Maly Theatre of St Petersburgによるこの舞台はかなり評判が良かったらしく、その後何度かバービカンでの再演(違うプログラムを含め5回)へと繋がっている。

99年の上演当時、英語字幕が舞台の上部に出され、そのかすれるような字幕スクリーンを見ていると実際の舞台がきちんと観られない、というジレンマに悩まされたのだが、全然分からないロシア語であるにもかかわらず、舞台を観ていれば、どんな事が起きていてー不思議なことにー何が話されているのか、ついていけるという、、、嬉しい反面、不思議だ〜〜〜という体験をしたので、舞台をとっても鮮明に覚えているのだ。
ーーーその時に、卒論のテーマとしていた「舞台は言語の壁を越えられるのか?日本演劇を英国で上演し、日本での上演と同じような成果を得る事は可能なのか??」という問いに対し、、目の前でその言語の壁を打ち破って、英国人観客の眼を釘付けにしていたー実際、当時のレジデンスカンパニーのシェイクスピア劇よりもウケていたー、その実例を見せつけられたので、かなりショッキングな舞台だったのです。

ロシア人が演じるチェーホフ劇。モノホンはやっぱりどこかが違うよな〜〜〜(ま、ロシアにもダメなチェーホフ舞台はあるでしょうから、やっぱりThe Maly Theatreが素晴らしかったのでしょう)なんて、その舞台を観てから暫くはハイな状態から降りて来れなかったぐらい、それぐらい面白かった!!

で、今回の圧縮版プラトーノフとフルバージョン(実際、全部を上演すると9時間近くかかるそうなので、それでも若干の編集版だったのだと思いますが)と、、今、比べてみると、やっぱりプラトーノフの人物形成がフルバージョンの方がリアリティがありますね。当然のことながら、プラトーノフの人となりを長い時間かけて描写しているために、彼の苦悩の原因などがもっともっと自然に分かるようになっております。

今回の「機会じかけ。。。」でも彼は中心人物として描かれているのですが、いわゆるハイライトバージョン(良い意味でも悪い意味でも)となっているために、何故彼がそうなってしまったのか、、、ある程度の予測は出来るのですが、なんだかちょっとご都合主義的に映らないでもないんです。

この指摘は他のキャラクターにもあてはまり、十二分に個性的でチェーホフ的に壊れちゃっている魅力的な人々ではあるのですが、やっぱりもう少し無駄な描写(もちろん、これは比喩的にで、無駄ではないのですが)があっても良いのではないか。。。。そのグダグダ感を読み進んでのチェーホフでは無いのか?と思ったりもするわけです。

ーそれにしてもチェーホフは面白い。今回の芝居にしても、これほどまでに人の繕った仮面をはいでしまって良いものだろうか?と思えるほどに皮肉な観察眼に満ちあふれている。
今回の没落貴族のアイディアリストのダメ息子のヘタレ加減なんて、最高に可笑しいし、現代のヘタレ男子たちの泣き言と変わらない。

プラトーノフの男の言い分しかり、アンナのしたたかな女像しかり、、夫にすがる姿を美化し自己肯定するプラトーノフの妻サーシャしかり、怠慢な医者ニコライしかり、偽善に満ち、現実世界からかけ離れた理想を語るだけの夫婦しかり、、、ちょっと回りを見渡せば、そこここにいそうな人ばかりなので、そういった視線で劇を眺めると、かなり可笑しい。


そんなこんなでチェーホフ劇は今の日本にぴったり、今のこの国の没落に見事にマッチしているように思える。(ある意味怖いよね〜〜〜)


今回の舞台に関しては、新劇系劇団ならではの良さ(幅広い年齢層の役者陣)もあり、そして悪さもあり(今日の上演という側面でフレキシビリティに欠ける)の舞台だったが、やはり戯曲が面白いので、見る価値は十分にあると思う。

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河口湖

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この週後半にかけて、ダンナと河口湖へ小旅行に行ってきました。

近場でどこか、と探していたところ、久しぶりに湖なんて良いんじゃない?と決めたわけですが、これが
なかなかに予想外(いつも突発的に、いろいろと決めるもんで、、予想もなにもないのですが)に面白い旅行となりました。

と言うのも、先日、あうるすぽっとで観た、中野茂樹さんによるチェーホフのラップ版「かもめ」ー長短調(または眺(なが)め身近(みぢか)め)ー。

かの舞台の楽曲CDが今の私のipod再生率No.1で電車の中でニヤニヤしながら「ヨックモック持って、、ヨックモック持って。。。」「やってきました○○湖 はしゃがないわけにいかないぞ!」なんて、憎いまでの誤意訳「かもめ」を楽しんでいるわけです。

かもめ ラップ

で、まさに私たちが行ってきたのが、その○○湖=河口湖、なわけで、そこではまさに歌詞の世界そのままのTacky(ちょっとトホホな感じのチープなもの)な光景が展開されておりました。

なぜにほうとうレストランが何百件も立ち並んでるの?ーそんなに毎日ほうとうを食べるのかい?
歌詞の通りの湖に浮かぶあひるやら白鳥やらの足こぎボート。
国道沿いにこれでもか!とハタメキあう呼び込みのぼりの数。
やけにメルヘンチックなお店たち。

かと思うと、日本の経済状況を反映するかのような、近隣の街(河口湖に着くまでに見た光景)のシャッター商店街のさびれかた。。。と、その中を意気揚々と行軍する元気な中高年のマウンテンハイカー達。

夏のシーズンを終えたようで、それほどの混雑も無くゆっくり出来、行きたかった富士サファリパークにも行けてーあんなにライオンがうようよ、のろのろしているなんて!!!びっくり!

鹿でもライオンでもいやに♀が沢山いるな〜〜〜、と思っていたら、動物世界は♂のハーレム状態で群れを形成する種が多い(KYが説明してくれた)ということで、せまい檻に振り分けられた動物園とは違うサファリパークではその自然の状態が見れたというわけなんですね。納得。
それにしても、鹿なんてステキな角をはやした♂を真ん中にして、♀が回りに十数等。。。まさにハーレムだったな。。。ま、かつて縄文時代なんかは人間世界もそれに近かったのかも(男は狩りで生存率も低かっただろうし)

わんさか出てきた熊やライオン、虎に興奮状態の我が家のKYさんが一言「あの熊たちは冬はどうするのかね〜〜〜??あんなに一度に冬眠出来る場所なんてあるの?」。って誰か熊さんたちの冬の活動予定を知っている人がいたら教えて!

最終日にすごい雨だったので、今回は断念しましたが、やっぱり富士急のジェットコースターはスゴそう。外からその形状を見て、それだけでビビリました。

余談ーー事前に雑誌形式のガイドブックを購入したんだけど、、その中味が食べ物情報80%!それも今流行のB級グルメ的なもの。
ページを開くと、麺、ヌードル、麺。。麺。。。
う〜〜〜〜〜〜ん、これをグルメな現象とは呼べないんでないか???

それほどに特別に旨いものなんてないー逆を言えば、そこそこ旨いものはどこにでもあるーと思うけど?だったら、それほどグルメらなくても、と思っちゃう。


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2010年10月 6日 (水)

Sables & Soldats(10/6)-砂と兵隊 フランス版

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先日報告した「砂と兵隊」(青年団)のフランス版「Sables & Soldats」を観劇。

日本では貴重なフランス語による演劇上演ということで、会場はフランス語で台詞を聞きたい!と思っているだろうフランス人+フランス語が堪能な日本人が大挙。なかなかに盛況でありました。

日本版とセットは全く同じ、基本的には演出も同じ。。なのですが、さすがそこは青年団。
ただただ、そのまま、全く同じものを俳優だけ変えて上演するのではなく、必要と思われる変更を加え、フランス版としての特徴を打ち出しておりました。

主な変更箇所としては、キャストの数の違い。

日本版よりもスリムになっていて、兵士が3人ー日本版は5人。母親を探して砂漠を旅する親子は父と娘の2人ー日本版は父と三人姉妹。
この変更に準じて、台詞も若干削られている。

特に親子の確執に加え、三姉妹のそれぞれの立場も細かく描いていた母親を探す親子に関しては、かなりスリム化されていた。ーこれって、フランスの家族事情ー成年したらそれぞれに独立してあまり家族のしがらみはない、とか!?ーを反映しての事なのか?それとも単に物理的な事情なのか??

その意味でいうと、冒頭、女性兵士が悩みを打ち明けるシーン。`思いがけず、母親が再婚するという知らせを聞いてショックを受けている’と語るところも、フランス人だったら年がいってからの再婚なんてそれほどのニュースでもないんじゃないか(偏見かな?)、と思ったりもしたのですが、いかがなものでしょう。

あとは、フランス版を観る目的の一つでもあったのですが、日本版の核となっている「(非)武装地区への自衛隊派遣」という日本の自衛隊が抱えるビミョーな役割規定の部分。

**余談になりますが、先日、富士の裾野あたりへドライブしに行ってきたのですが、走っていると見渡す限りのススキ野平原の地で、急にナビに「自衛隊訓練地域」の表示が。時たま、軍関連のジープなどとすれ違ったりするのですが、左手に富士急ハイランドのドドンパ、、でこちら右手では軍隊の演習地、、って。こうゆう風に「自衛隊」の文字を目にすると、日本にも自衛を目的とした軍隊があるんだってことを実感させられますよね。
ー沖縄の人なんて、もっと頻繁に実感しているんだろうな〜〜。ー
ススキ平野で『進め〜〜〜〜!(アロンジー)』なんて訓練している隊員たちの目には敵軍は映っているのでしょうか?ね。***


この日本の軍隊が抱える矛盾点はフランス版では通用しない訳で、、そこらあたりがフランス版ではどうなっているのか?ーそれを見比べたかっったのですが、上記にあげた、様々な微調整により、主題が自衛隊から「終わらない戦争」という、日本国外で通用する普遍的なテーマに移っておりました。

今の敵は誰なのか、いったい何のために戦っているのか、戦士は誰で一般人は誰。。。などなど、人が死んだ後も当然のごとく続いていく戦争、いつの日か殺しあいが集結する事などあるのか?この世界的不条理をフランス版ではさらに見せられた思いがします。

ps..
軍隊に属する夫を探しにきた妻、そのなんとも品の良い、俗世離れしたキャラクターの衣装がいかにもフランスらしいシャネルシックでステキでした。


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柔らかいモザイクの街(10/6)マチネ

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青年団演出部所属、西村和宏主宰の青年団リンク・サラダボール、第一回公演「柔らかいモザイクの街」をアトリエ春風舎で観る。

西村氏が元イタリアンのシェフであったことからこの劇団名がついたらしい。

彼自身、始めは俳優として演劇キャリアをスタートさせ、その後青年団の演出部に所属、02年に劇作家・鈴木大介、俳優・河野悟と共にユニット サラダボールを立ち上げたという。
その後今年になって西村氏中心で新たに青年団リンク・サラダボールを再スタートさせ、今回が第一回目の公演という流れだそうです。(ちなみに西村氏はアトリエ春風舎の芸術監督だそうです)

配られたチラシによると、同じ「柔らかいモザイクの街」という題名で今年2月に長野で市民参加の芝居を上演したとのこと。で、その作品と今回の芝居は題名こそ同じですが、内容は違うものだと言うのです。
ー長野バージョンはエイプリルフールの日に駆け落ちしたカップルと、エイプリルフールを祝う街の人々との交流を描いた話。

で、今回の東京版は今は介護施設で暮らす認知症の主人公のおばあさん早織(鈴木智香子)の人生を遡って、彼女がこだわり続けたもの、彼女の人生を形どるのに影響した過去の出来事、人々たちとのエピソードを展開、パズルのような構造で彼女の一生を描いていく。


主人公は何かで名を成した有名人でもなく、数奇な運命に翻弄された女性でもなく、ひた隠しにしなくてはならない過去がある女なんかでもなく、限りなくフツーの感覚をもち、普通に生きてきた女性。

そんな彼女の本音をちょっと覗き見することで、どんな人にでも思い当たるであろう、人の未完成な部分、ちょっと愚かで意地悪な、そして時には共感するような人の思いを描いてくれている。

これが現実に即しているのだろうが、ちょっと悲しいのは後々にまで影響を及ぼしている思いでがどちらかというとネガティブな失敗談、後悔の念が絡み付いているような、ものが多い事。

しかしながら、そんなネガティブな出来事が出発点になっているのに対し、一方、そのネガティブの原因を作った友人にしてみればそんな事はすっかり忘れてしまって、自分の都合に合わせた思いでへと転化してしまっているというサイドラインのエピソードが、これまた人の世の現実というのが救われる。

彼女の回りの人々の人生が背景としてだけではなく、もう少し絡み合ってきたら、さらに広がりと深みが出たかも。
(または、別方向として社会性を絡ませてみるとか?)

青年団の個性派ベテラン俳優、島田曜蔵の公演が目立った。

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2010年10月 5日 (火)

シーンズ フロム ザ ビッグ ピクチュアー(10/5)

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昨年の新国立劇場での「シュート・ザ・クロウ」の上演に続いて今年5月の「モジョ・ミキボー」そして今回の「シーンズ フロム ザ ビッグ ピクチュアー」とちょっとしたブームを巻き起こしているのが北アイルランド人作家のオーウェン・マカファーティー。

モジョ・ミキボー その他

03年、ロンドン、ナショナルシアターで初演。多くの演劇賞を受賞した今作。
経済の衰退、そして新人類の台頭とともに増え続ける若年層の荒廃と暴力が日常化したベルファストのある一日(24時間)を様々な角度から、アイリッシュ的な笑いとヒューマニズムを込めて描き出す。

****あらすじ 劇団HPより****

ベルファストのある夏の一日。
登場人物はそこに住む21人の老若男女。食肉会社の秘書、ドラッグストア経営者、パブの常連客に麻薬の密売人、主婦、無職の若者などの一日が、日常の空気と佇まいのなかまるで点描画のように描かれてゆく。
町のどこかで浮かび上がる三角関係、子どもの喪失、犯罪に狂気、父子の和解、葬式と出産などの複数のシーンを往還しているうちに、町に生きる人々の人生のパノラマが見えてくる。
生と死に挟まれた人生の様々な悲哀。劇はいわば大きなジグソーパズルに小片を嵌め込むように進行してゆく。
*************************


「シュート・ザ・クロウ」「モジョ ミキボー」ではごくごく狭い日常で最も密な人間関係の中で社会、その社会で生きていかなくてはならない人の性を赤裸々に描き出したマカファーティー。今作では21人の登場人物を配し、ベルファストの今日の詳細な鳥瞰図を展開している。

題名が示すように、広範囲をくまなく俯瞰した画は、北アイルランドそのものを普遍として描写する、その一方、毎日挨拶を交わす隣人の機微をも丁寧に綴っている。

遠近両方の視線を駆使し、特定の誰かの視線に偏ることなく、それでいてそれぞれの人々の生きる様を注意深く、あますところなく表現している。

舞台上で起きる24時間以内の事件だけではなく、その向こうにある毎日をきちんと描ききってくれている。
やはり、翻が上手い。ー冷静でいて、過不足がない。驚きもあり、笑いもあり、愛があり続いていく人生がきちんとある。その上、世界的な広がりまである。

幅広い役者層を持ち、集団としての機動力に長けた 老舗劇団がこの翻を手がけたことも、今回は良い方向へ働いたと言うべきであろう。

パブで飲んだくれて語り明かす、高年の男たちのシーンはまさに劇団ならでは。


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悪魔の絵本(10/5)マチネ

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蜷川幸雄氏の演出補として活躍してきた石丸さち子さん主宰の劇団 Theatre Polyphonic 第一回公演、先日のプロジェクト文学ー太宰治にも参加していた劇団DULL-COLORED POP主宰 谷賢一氏による書き下ろし作「悪魔の絵本」を新宿御苑前にある小劇場、サンモールスタジオで観る。

(いきなり余談。。帰りに新宿方面へ歩いて抜けて、どっぷり昼の新宿三丁目散歩を楽しんだのですが、あそこは新宿よりもインターナショナルな、アジアのどことも言えないような無国籍な雰囲気のエリアですね〜〜。池袋の西口も大久保の裏道も怪しくて、どこか危険だけど、三丁目はそのような怖さは無いです。でも独特のルールはありそう。ーま、昼間だったけど。。。)

****あらすじ 劇団HPより*****

作家、瀬田賢二(田村真)は、六万枚の未発表原稿を残し、失踪。
物語は、編集者川田希(市井紗耶香)が、原稿の整理をするために、「ファクトリー」と呼ばれた彼の部屋を訪ねることから始まります。  
何度も作風を変えた作家が遺した二千万字の中に立ち上がる、彼の人生、愛、挫折。光となり、影となった女たち。
彼に与え、彼から奪った男たち。そして、彼が生み出した言葉たち。

「ファクトリー」には、かつてそこに集った者たちの思いが交錯し、かつてそこで著された物語が、川田を通して現実に立ち現れます。

************************

愛なんて信じられない、と豪語していた作家が運命的な出会いにより、どうにもならない愛に翻弄されていくお話。です。
題名の「悪魔の絵本」というのは、その作家と運命の女ー我流の画家で絵本の画を担当ー二人の繊細な芸術家が世に送り出したいわくつきの絵本のことを指す。


劇場の隠れ裏スペースまで見えない部屋として活用、サンモールスタジオのスペースを余すところ無く利用した舞台セットは秀逸。
側面にも観客席を設け、第三者の眼を2方向へ配し、舞台の緊張感を維持したのもGood。

主人公 瀬田に関わった人物の証言をシーンに分けて披露、彼らの言葉を通して疾走した作家に何が起きたのかを追っていくという構成もメリハリがあって良い。
オーディションで集められた役者もそれぞれに個性的。

しかしながら、この居心地の悪い観劇後感は何だろう。

巷の演劇レビュー欄などでは高い支持を得ているようだが、どうにもアイ・ラブ・ミー的な主人公の作家の人物像にどうしてもついていけず。。
でもって、アーティスト=特別な人種であるらしい、というか殊更そのように描かれているその作家様の苦悩なり、生き様に、逆にどうにもシラケてしまった、というのがその要因だと思う。

アーティストにエクストリームな人が多いのは結構、、もちろん、それがその人物の大きな魅力となっている場合がよくある事も分かる。が、この主人公の場合、その魅力を無条件で納得させるだけの説得力が彼のキャラクターになかった。その原因無くして、いきなり御大層な結果(アーティスト)ばかりが前面に押し出されてくるものだから、どうにも空々しくなってしまったのだろう。

話の核となるその人物像からしてこうなので、彼という対象に引きつけられ関わる人たちの、その磁石に引き寄せられるというくだりにどうにも納得出来ない。。。長年の腐れ縁で親友という友人にいたっては、本当に?と思ってしまうような嘘っぽさがどうしてもぬぐい去れなかった。

さらに、ストーリーテラーとしての役割を担い、この話ー疾走した作家の真の姿を追い求めるーの鍵となる若い編集者、川田に関しても、彼女が何故結えそれほどにこの作家に入れあげるのか?という根本的な出発点に説得力が無く、さらには彼女の異常なまでの仕事に対する若い忠誠心が無条件で気持ち悪かった。

ー残念ながら、舞台初出演の市井紗耶香嬢の演技も、両肩に負荷がかかりすぎで、空振り。。と言った感じーーーー

人それぞれに、もちろん作家にも、アーティストにも、一人の若者に悩みがあるのはよく分かる。
しかしながら、それが`ある人’のお話として他人事で終わってしまってはもったいない。

先日の「ハーパー・リーガン」、そして「シーンズ フロム ザ ビック ピクチュアー」の登場人物にも、彼らは一介の市民で、とても個人的なキャラクターであるにも拘らず、その話はどこの国でも通じる普遍的な広がりを持っていた。

同じように、ある名もない個人のお話なのだけど、、なんでだろう。

いつでも誰かの意見、提案を聞くのは面白いのだが、そこからさらにその状況を観客も共有できる、そんな社会性、社会との接点をどこかでつけてくれれば、さらに興味深く見れるようになるだろう。


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faifai銭湯ー湯ーロッパ帰りだよ全員集合スペシャル(10/4)

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世田谷区在住の友人のお誘いを受け、
ー快快(ファイファイ)のヨーロッパ凱旋、でもってスイスのフェスで最優秀賞を獲っちゃった。。だけどお気楽にお土産話を聞きにきてね〜〜〜イベント「faifai銭湯ー湯ーロッパ帰りだよ全員集合スペシャル」ー
に参加してきました。

いつも通っているキャロットタワー内にある世田谷区生活工房が主催しているこのイベント。

↓世田谷区生活工房のHPの記載から、内容はこんな感じでした。*********

世田谷区芸術アワード受賞劇団の快快(ファイファイ)が手ぬぐい持って再び世田谷へ上陸!

ヨロレイヒ〜 快快(スイス帰り)による、ゆる湯る銭湯イベント第二弾@世田谷!!!(happy02←第一弾もあったんですね〜〜。)

ゲストには、銭湯のご主人たちで結成された民謡グループ「銭湯ダンナーズ」!!!!
VEGEしょくどうでおなじみの「YOYO」さんによるおいしいご飯のケータリング!!!!
そして、あのタブラ奏者の「湯ザ〜ン a.k.a. u-zhaan」さんと盛りだくさん!!!!!
快快による湯〜ロッパ土産フリマのほか、落語、三題噺、パフォーマンス、アクセサリー、バスローブ、手ぬぐい、そして快快メンバーあまのによる産地直送新鮮野菜もお届け!!
こないとやBATH!!!!!!! 50人限定なのでご予約はお早めに!!!!!!!!

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ってわけで、夕方に三茶で友人と待ち合わせ、会場である八幡湯へ。

住宅街のど真ん中にある銭湯ののれんをくぐると、そこでは既にファイファイワールド満開。

それぞれにイベント準備に奔走する役者たち、床間でヨーロッパ土産を並べる役者、そして長丁場に備え、そばをすする篠田さん。

まず登場したのが、世田谷区で銭湯を営むおじさまがたが組んだ民謡ユニット、銭湯ダンナーズ。ご贔屓さんもついているらしく、観客席はローカル色を含め、初っぱなから混み混み状態。
普段、あまり聞く事の無い民謡でしたが、そこはやっぱりDNAに組み込まれているのでしょう。彼らの本格的な節回しは自然にかなり心地よく響いてきました。

民謡でワールドマーケットに打って出ても、イケるんでない?
ジェロが演歌に魅せられたように、民謡にソウルを感じる外国人も多くいると思うな。

ちょっと残念だったのは、銭湯ダンナーズが熱演中にもかかわらず、隣の部屋で打ち合わせ中のファイファイメンバーズがうるさかった事!
自分らもパフォーマーだったら、コラボしているパフォーマーには敬意を払ってほしいものです。
自分らの世界だけではいつか行き詰まるから、いろんなものを観といた方が良いと思うんだけど、ね。


映画アバターのコスプレショー(映画アバターに全く興味のない私にとっては、あ〜〜〜似てるかもね、ぐらいのインパクト、それにしてもアバター観るくらいだったら、やっぱり小津映画でも借りて観ていたいな、時間って貴重だから)に続いて、ファイファイチームー野上絹代振り付けーによるダンスパフォーマンス「Save the earth」。
元気いっぱいでなかなかGoodgood

続いてはグラヴィアアイドル評論家なる人ー南波一海氏ーが、昨今のグラヴィア時評を語る、という催しを女湯のお風呂場の中で開催。

様々な評論家の方がいるんだな〜〜、と感じ入りながら、それにしても 売ると買う のビジネス構造というのは良く出来たものだと感心する。

で、次は女湯、脱衣所にて、、何故かものすごく高台に設置されたステージで演奏をするU-zhaanさんのライブ。
タブラ(と言うらしい)という小太鼓ー二つを足に挟んで、座った位置で演奏をしていたー演奏者で、べしゃりがかなり面白く、なんともインドな音色にちょっとトリップ状態で聞き入る。

お客様サービスが心地よく、ここにきて、ようやく、お客として来たんだな〜〜〜と思い出す。


で、最後はファイファイメンバー、大道寺梨乃による題目どおりのヨーロッパ公演レポート。

その公演中にお友達になったイタリア人と日本で再会を果たし、彼が見たNipponを紹介するなど、海外公演ツアーのエクストラの収穫を身近な例で見せてくれていた。

。。。。。。となかなかに盛りだくさんなイベントでした。

一つ気になったのは、内輪で盛り上がり状態になっていた事。

冒頭の銭湯ダンナーズの一件しかり、、、最後のレポートも正直で身近な感覚のレポートで良かったのですが、一人一人の感想も面白いのですが、、、さらにそれをみんなで共有できるような課題にまで広げられなかったかな? という事。

自分たちが面白いと思わなければ、上演する意味なし、、、という心意気は十分に受け取れるのですが、参加型と言っても、そこはパフォーマンス。

演者と観客という関係にこだわる集団だからこそ、もう一度、その関係を見直してみるのも必要かも。

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2010年10月 4日 (月)

韓流

Images


「チャングム」以来で、またもや韓流ドラマにハマりかけています。

チェ・ジウとユ・ジテ主演の「スターの恋人」。

似たような日本のドラマー「スタアの恋」(藤原紀香・草彅剛)、前にありましたよね?

その日本版よりも輪をかけて、けっこう妄想が入っているー二人は運命の恋人であるとか、超売れっ子女優であるはずのチェ・ジウ演ずる女優がかなり強引にアタックしていたりーのですが、なんともロマンチック!!

この思いっきり夢の世界に引き込んでくれる、いさぎよい思い込みによる番組作りが、かえって受けてには自然と感情移入させてくれる要因なのかも。。。(しょせん、ドラマなんだから)

それと、役者の存在感、かな。
特に、男優がやっぱり良い。気骨のある、でもって知的な俳優。。。出てこないかね〜〜!?
(男の人に言わせると、女優が良いんだよと言う事になるんだろうけど。)

う〜〜〜〜ん、午前中、どうしてもこれ観ちゃうんだよね。。。へへ

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2010年10月 3日 (日)

Root Beers -ルートビアーズ(10/1)マチネ

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東京ヴォードヴィルショーのサイドライン公演ー劇団員 京極圭氏プロデュース公演Vol.3 ー「Root Beers」を中野のザ・ポケット小劇場で観る。

今回、作・演出を担当したのが07年の「ビデオスターの悲劇」に次いで、東京ヴォードヴィルとの2度目のコラボだという劇団KAKUTA主宰の桑原裕子嬢。

甘い丘 レビュー


めぐるめく レビュー

*******ネタばれ注意******

お話はチラシにあるようにUSAロスのモーテルの1室で展開する、ヤクザな男たちの不思議な数日間を描いたお話。

敵対する組の重要人物をロスで待ち伏せして`消してしまう’目的でやってきたでアニキと呼ばれる欽次(まいど豊)。大事な決行の日をひかえ、子分たちとモーテルの部屋でビールで士気を高めていたところ、間違ってアルコールではないルートビールを飲んだとたんに意識を失う。。。

子分たちはその日の朝にアニキが車にはねられた症状が後になって出てきたのだと思い、ベッドに寝かせつける。

翌朝、目を覚ました欽次。どうしたことか、それまでの記憶を失っていて、自分が誰なのか、何をするためにそこにいるのか、さっぱり分からない状態になっていた。

車をはねた男 慎一(京極圭)を後から始末するためにワードローブに縛り上げていることも、自分をはっていたジャーナリスト 尾灯(櫻井智也)をボコボコにしてシャワールームに繋いでいることも、すっかり忘れて、その姿を見て震える欽次。

ハリケーンの接近により、目指す相手の到着は遅れ、自分たちもそのモーテルから動けない状態で、足止めは数日間に及ぶ。
子分や昔からの知人には記憶喪失の件がバレないように振る舞いながら、秘密がばれてしまった囚われの身の男二人と共謀してなんとかこのどんづまりの事態からの脱却を図る欽次。

夢を通しておぼろげに思い出した最愛の妹との再会を夢見ながら、子分や新しい仲間(慎一と尾灯)との逗留の日々が過ぎていく。。

ある日、ハリケーンも去り、いよいよ大仕事の決行が近づく。。

どうする欽次。。。

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強面のお兄さんたちのリンチのシーンで幕を開け、オ〜〜任侠の男臭い世界の芝居?と思ったら、暗転後には一転、なぜか優男に生まれ変わっちゃったアニキの一般人のレベルでも人が良すぎる(トホホ。。)と思えるあまりのダメぶりに、アニキのキャラクターに妙に引き込まれっぱなし。

ヤクザな世界でありがちな(実は)気のいい子分たちと、これまた裏社会にいながら底抜けに明るい知人たち、、それに天然気質の人質となったリーマン男、、、彼らによるハイテンションコメディが実にテンポ良く展開され、舞台セットを利用した絶妙なジョーク。韓国系アメリカ人が経営するモーテルという設定で、その豪傑オーナー ジャスミン(高山奈央子ーダイナミック!!)が話す変だけどかわいらしい間違いの日本語によるジョーク。。と、笑いどころ満載、見所満載。

それでありながら、横道にそれることなく、
記憶を無くした主人公は記憶を取り戻すのか?人質たちはやっぱり殺されちゃうのか?子分の一人の恋心は実るのか??主人公は妹と再会出来るのか???
。。。などなど、気になる謎を含んだ本筋はきっちりと展開していく。

見終わっての満足感はやはりしっかりと練られたウェルメイドストーリーのおかげだろう。

あり得ない設定、ぎょっとする演出で無駄に驚かせるのではなく、正統的に芝居のストーリー客を引きつけ、最後には納得のオチも用意している。スッキリ!と満足出来る舞台でした。

さらにはこの話をきっちりと見せる、役者さんたちの演技、はっきりとして個性のあるキャラも、大いに魅力的で、それゆえの出来である事は間違いないでしょう。

ーまいど豊さんのダメ優男と強面の変わり身が見事!ー


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2010年10月 1日 (金)

長短調(または眺(なが)め身近(みぢか)め)(10/1)

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あうるすぽっとチェーホフフェスティバルの目玉(勝手に自分でそう決めていたのですが)、中野茂樹 誤意訳・演出によるラップバージョンのチェーホフ「かもめ」を観る。

チェーホフ フェスティバル

事前に発表されていたように、席は観客席からの遠目席と舞台上に設置されたライブハウス内の近目席の2種類。

ライブがいいな〜〜と思っていたのだが、関係者によると、遠目席でないと演劇パーツの「かもめ」が観られないとのことだったので、遠目席、しかしながら前から2列目で観劇。

山中湖の屋外ミュージックフェスで`みずうみ’というユニット名のラップバンドがライブ演奏中という設定で、実際、舞台に作られた半透明ガラス張りのブース内では「かもめ」の劇内容に即したラップ歌詞のライブが上演されていた。

で、この音楽ー大谷能生ーがカラフルで、でいて「かもめ」のエッセンスがきちんと盛り込まれていて良いgoodcat

で、このブースの前で行われている、もう一つの山中湖版「かもめ」。

チェーホフの「かもめ」のヒロイン、ニーナが超リアルな女子高生ーこの女子高生の表情がすばらしかったーで純真という武器をまとい、音楽好きの大学生(?)トレープレフとチャラくて怪しい中年(?!)男トリゴーリンを上目遣いにアイスキャンディーをなめながら翻弄する。

このトリゴーリンを毎回違うゲストキャストが演ずるのだが、私が観た日はサンプルの松井周氏が演じていて、これが秀逸だった。
なんとも下心ありありな、それでいて若いニーナにはとってもステキheart04に映るだろうなという男を見事にエロく演じていた。

で、この三角関係に大変大胆にかもめが関わってくるのだが、、、これは舞台を観た人のお楽しみ。。

ー私、こうゆう形状のもの(かぶりもの関係)に非常に弱く。。。ついつい見入ってしまうんです。


ラップCD、そして怪しいかもめがプリントされたTシャツも劇場で売っているので、ゲットしてかもめのストーリーと照らし合わせながらゆっくり聞いてみるのも、観劇後のお楽しみ。

かもめ デモトラック

このリンクからまずはちょっと聴いてみて!良いから。

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Project BUNGAKU、 太宰治(9/30)

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太宰治の小説をベースに4人の演出家がそれぞれの作品を発表。20分ずつの短編4作品からなるオムニバス演劇。

八幡山の小劇場八幡山ワーサルシアターの扉前には初日と言う事もあってか、降りしきる雨にも関わらず、開演前から多くの人がつめかけ、開場を待ちわびていた。

プロジェクトと名のつく今回の公演。4人の若手演出家の競演という趣向に加え、さらにもう二つ、企画ものならではの仕掛けが。

一つは、ただ単に集まって一緒に公演をうつだけではなく、まさに競演、ということで配られた公演パンフには投票用紙が。4作品に順位をつけて投票する仕組みになっている。
おそらく、全公演終了後にHPで結果発表があるのだろう。

で、もう一つは1時間半強の舞台上演後、毎回ゲストを呼んでのアフタートークが開催されるという企画。毎回、幅広いジャンルからの豪華ゲストが登場ー例えば、初日の昨晩は精神科医の香山リカさん、でもって今後は女優 三田佳子、蒼井そら、劇作家 永井愛、作家 猪瀬直樹 にコラムニスト 辛酸なめ子 etc. と実に豪華な客人たち 実のところ初日を選んだ理由は香山さんの感想を聞きたかったから ー
して、太宰について、そして今観た演劇作品について語るというもの。
昨晩の様子からすると、毎晩これらのゲストによりマイ フェイバリット作品が選ばれる様子。

と言う事で、客から投票され、ゲストからも面と向かってその場で選ばれる、というなかなかシビアな競演企画なのだ。

(ちなみに香山さんは谷賢一氏演出の「人間失格」に1票入れていました。)

通常のそれぞれの劇団公演とは異なり、舞台セットにも(作品と作品の間に舞台セットを入れ替えるような時間は無く、基本、同じ骨格のセットで、その他は小道具、運べるセット、照明などでそれぞれの世界を作り上げなくてはならない。)、時間にも 大いに制約がある中で、それぞれの良いところをどれだけ効率よく出す事が出来るか、、今どきのプレゼンとかPR商法とかと同じように、この投票合戦に勝つには戦略が必要となってくるわけだーま、別に勝つことにゴールを設定しなくても、良いと思うけどねー

で、一番目に上演されたのが、太宰の初期作品「Human Lost」を題材にした、ひょっとこ乱舞主宰、広田淳一氏による演目。

今回の劇から太宰が薬中毒などから精神病院に入院した際に書かれた小説であるということは分かったのだが、如何せん「Human Lost」という作品に馴染みがなかったので検索してみたら、なかなかおもしろい太宰作品に関する記述があったので↓ご参照あれ。

Human Lost リンク


で、太宰の小説 Human Lostでは闘病の日々、回りの患者の様子、自身の精神の変化が短い詩のような文章で綴られている。最後には人間から神へと昇華して、心の平静を取り戻すのだが、舞台版ではその精神病等の患者が太宰(男)から複数人の現代の女の子たちへ入れ替わっていた。

原作でぶつぶつと語られる精神が乱れた独り言、そんな言葉を今どきの繊細な女子たちが語っていても何の違和感も無く、その点でこの入れ替えは今日の劇場との橋渡しにはなっていたと思うが、なんと言ってもその選んだ原作が散文詩のような、精神がぶっとんでいる感覚を表したものなので、その世界を完全に表現するには、今回の第一発目の上演の順番には適していなかったかも。もう少し、太宰ワールドが乗り移ってきてからの方が言葉=台詞にもう少し注意深くなれたかも。

で、2番目が青☆組主宰、吉田小夏による「燈籠」。こちら、Human Lostとほぼ同時期に書かれた短編小説。

ページ数にして10ページほどの短編で、劇では原作には出てこない病弱な妹とワケアリの叔母を登場させて、年頃の主人公の恋にのぼせたコメディタッチのヒューマンドラマをさらに広い世代に通ずる恋いこがれる`女’の性のドラマに仕立て上げていた。

1番目が今の日本にアレンジされていたのに対し、この2作品目では太宰が生きた時代、昭和初期の雰囲気そのままに役者は着物姿で、襖スタイルの背景を駆使し、桜吹雪を舞い散らせ、群舞やリフレインで話のメリハリをつけ、きれいにすっきり20分をまとめあげていた。

太宰作品の劇化というと、彼の作品同様、作者である太宰の影がチラホラと顔をみせそうなところ、あくまでも小説に添っての劇作りに徹し、その中に太宰のユーモアとウィットを見事に織り込んでいた。

3番目はアロッタファジャイナ劇団主宰で今回の企画の発案者でもある松枝佳紀による「ヴィヨンの妻」。近年、松たか子と浅野忠信の主演により映画化されたのが記憶に新しい今作(めずらしく映画館で観ました!)。
作者の分身であるかのようなダメ夫に仕える献身的な妻の話。映画では松たか子が天使のようなその妻を熱演していたのだが、この芝居では、妻ももうちょっと今風に変身。。
女をナメたらあかんぜよ、とすごむことはなく、しかしながらしたたかに、貞淑な妻の仮面をかぶりグロテスクな赤ん坊を後生大事にかわいがる、ずる賢さを本性として備えた女性を、2作目同様、昭和初期の雰囲気で演出している。
男と女の化かしあい。。。今はやっぱり女の方が1枚上手なのか。。。と感心。

で、ラストの4作品目がDull-Colored Pop主宰、谷賢一による太宰小説の代名詞「人間失格」の2010年版。

アフタートークで演出家が、女性が演じた方が女たらしの表現がすっきりと見せられる、と語っていたように、(やはり)太宰の分身である、女たらしで人気者の主人公ー原作では男ーを中世的なイメージの女優コロ(柿食う客 所属)が宝塚ばりの納得の女ったらしぶりで演じていた。

この作品に一票を入れた香山氏はその選考理由を「一番、現在とのリンクを感じたから。劇の主人公が徐徐に今日に生きる太宰に見えてきた。」と語っていた。

前述のリンクの冒頭にあるような太宰の計算された自虐気質を素直に描いたら、このようになるのかも。自らピエロとして振舞う主人公とそれを利用する回りの友人たち。
こちらは太宰の影がチラホラ、舞台上にもちゃんと登場させている演出でした。


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それぞれの作品に関しては、それぞれに向上させていってもらうとして(もしそれを望めばの話ですが、もちろん)、やっぱりこの企画が面白い。

でもって、様々なおまけー投票システム・トークショーもそれに大いにプラスになって魅力をアップしていた。

また、こんなのお願いしま〜〜〜す。

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砂と兵隊(9/30)マチネ

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青年団本拠地、駒場アゴラ劇場で「砂と兵隊」を観る。

05年に初演されたものの再演で、今回は特別企画としてこの日本版再演の直後にフランス版(フランス人の役者によるフランス語版の舞台で09年パリ郊外のジュヌビリエ国立演劇センターの制作により上演された)も上演される予定となっている。

平日の昼間という事もあり、観客の年齢層はかなり高め。
小劇場にはおよそ縁がないと思われるこの年代の観客からこれほど忠実に支持されているというのは驚きに値する。皆さん、勝手知ったる馴染みの劇場という趣で観劇を楽しんでいた。これも年間パスなどを早くから取り入れている、青年団の劇場リーチ勧誘システムの賜物なのだろうか?

日本での初演の際に一度観ている作品なのだが、ー5年前の作品ながら、初演時に演じた役者が今回も演じている配役が多く、おそらく演出、美術などもそれほど変えてはいないように思うー前回とはかなり印象が違った。

今回のパンフレットに作家自身(平田オリザ)が記しているように、イラク戦争での自衛隊派遣をめぐっての小泉総理(当時)の「自衛隊が活動している地域が非戦闘地域」という歪曲発言を受けて、この芝居の構想を固めたと言う。

この動機が大きな芝居の核となっており、それゆえ、従来の平田オリザカラーの演劇ー日常生活における普通の人々の機微を丁寧に拾い上げ、慣れ親しんだ口語で描くことにより、観客誰でもがそこから何かを受け取ることの出来る、普遍的なヒューマンドラマを紡ぎだすーとは少しばかり体を異にした、あくまでも架空のお話、完全なる不条理劇として成立している。
(小泉発言がまさに不条理発言だったため、その発言が意図する世界を舞台でみせたということ)

初演時はまさにイラク戦争まっただ中、日本での自衛隊の立場・扱いについて、日々のニュースで問題視されていた時期だったので、どうも自衛隊の実態という現実問題の方へばかり自分自身が傾いてしまっていたため、どうもこのなんともお粗末な砂漠での行軍部隊のお話が嘘っぽく見えてしまい、また、不条理劇の特徴である終わらない悪夢のような繰り返し、そして結局何も起こらないという作りに退屈してしまった記憶がある。

****ネタばれ注意****

現代の砂漠の地のどこか。
舞台上には細かい砂が一面に敷き詰められ、左手には人が隠れるほどの高さの小山が盛られている。
その小山の後ろから次々と匍匐前進で現れる、武装した日本人兵士たち。

若い女性兵士が砂に這いつくばりながら同僚に「今度、家の母親が再婚するらしいんですよ〜〜。。。びっくりしちゃって。。。」と、およそその場所と見た目の状況に似つかわしくない相談をもちかけている。

銃を背負った他の兵士たちー将校を含め全部で5人の部隊ーも彼らの会話に加わりながら、夕食のメニューについて情報を交わしたりしながら今日の目的地を目指している。


彼らが右手奥へ消えると今度は父親とその娘たちらしき一行が砂の小山から現れる。
母親を探す旅を家族4人で続けていると言う。

その他に、ピンクのスーツケースを砂の中引きずりながら、幸せそうに砂漠をバックに記念写真を撮りまくる新婚カップル、軍隊でこの砂漠地に勤務している夫を訪ねてきたという日傘をさした女、そして唯一右から左への移動を続ける敵軍と思われる(?)同じように日本語を話す男と女。。。それぞれが延々とどこかへ向かって砂漠を進み続けている。。。

時にお互い、気づかぬうちに追い越していたり、言っている事(特に夫を訪ねてきた妻)が矛盾していたり、、と多少のイレギュラーはあるものの、、とにかく砂漠で歩を進める人たち。

起きている事だけを説明すると、このような芝居、という事になる。

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不条理劇の代名詞、ベケット作「ゴドーを待ちながら」で最初から最後まで、なんで登場人物二人が延々とゴドーなる人を待っているのか?彼らのいる場所は??そもそもゴドーって誰???

これらの事柄に関しては何の説明も無いままに劇が進行して、終わる、そのスタイルと同じく、この劇「砂と兵隊」でも一体いつの話なのか?どこの砂漠で、なんで日本の軍隊がそこにいるのか?敵って誰??でもって、そんな戦闘地域とおぼしき場所にどうして、新婚旅行カップルやら、家族旅行者が軽装で歩いていられるのか???みんなの目指している場所ってどこ?

などなど、の疑問が湧いてくるのだが、ー初演時にはそれらの疑問にまっとうな答えを求めてしまったので、楽しめなかったーそこはゴドー待ちと同じことで、言ってしまえばどうにでも解釈すれば良い事。
長い苦難の人生の比喩と思ってもよいし、現在の日本の状況ととっても良い。

で、肝心なところはこの不条理な状態をそれはそれとして受け止める事。

いったんそうしてしまえば、彼らの話している会話にがぜん面白みが出てくる。

様々な矛盾、不条理、
ー例えば、敵に攻撃されたカップルの新妻が再会した軍隊一行に敵を攻撃してくれと涙ながらに訴えると、その兵士たちは`戦うことは我々の任務ではないので、、出来ません。’と言い、それに反論されると`行軍することがわれわれの任務なんです’としらっと言い切り去っていってしまう。一方ではどうやって鳥の身体の中で卵の殻が作られるのか、話し合っていたりするー

その不条理に満ちあふれた世界での彼らのなんともおかしな、そしてあるときにはドキッとするようなちぐはぐな会話がいろんな形で意味をもって表れてくる。

それこそ`静か’に淡々と演じる役者たちの演技とそのなんとも悪夢的な不条理がうまく作用しあって、思わずニヤニヤしてしまう、英語で言うところのsarcastic(皮肉)な劇に仕上がっていた。

これを常に戦争に関わってきたフランス人役者で演じたらどうなるのか??
それにも興味津々。

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