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2010年9月23日 (木)

ヘッダ・ガーブレル(9/22)マチネ

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★★★★

新国立劇場、新芸術監督によるプログラムの第一弾、イプセンの「ヘッダ・ガーブレル」を観る。

今年3月に同劇場での別役実作品「象」で・小劇場舞台に無数のカラフルな洋服を散りばめて被爆者の交錯する心情を表現した、池田ともゆき氏による舞台美術が秀逸。

主役のヘッダ(大地真央)が嫁いだテスマン家、その新婚夫婦の新居の居間とそれに続く奥の書斎の2部屋が舞台に作られている。それぞれの部屋は歪んだ金の額縁で縁取られ、部屋と部屋の間には巨大なガーブレル将軍ーヘッダの父であり男性・父性のシンボルーの肖像画、それも下半身のみが見える形でかけられていて、二つの部屋を仕切っている。

部屋の壁や調度品などがヨーロピアン調のリアリズムで作られ、さらには多くの白い花でテーブルを飾りレースのカーテンが優雅に風になびくセットの中にあって、その異常に大きな、そして顔の無い肖像画が大きなインパクトを持ち、さらには金の額縁と歪んだ部屋でヘッダの心の不安定さを表現している。

長島確氏とアンネ・ランデ・ペータスの共同訳による新訳戯曲での上演が一つのセールスポイントでもあったこの舞台。
その訳という面から言うと、その新訳が大いに上手く働いていたように見受けられた。

翻訳劇で起こりがちな台詞のぎこちなさ、説明的で理解しずらいような台詞は見受けられなかったし、劇もそれに準じていたってスムーズに運んでいたので、3時間超えの翻訳劇に最後まで引き込まれた。

その訳、舞台装置もさることながら、何と言っても今回の舞台の立役者は主役のヘッダ・ガーブレルを演じた大地真央とエルヴステード夫人を演じた七瀬なつみ。この女優二人の名演技が大いにこの舞台を、今日の私たちへと近づけてくれていた。
特にヘッダ・ガーブレルの複雑な心の内を自然に、しかしながら明確に示してくれた大地真央の貫禄の演技には脱帽。
自分自身でも、何故そうしてしまうのかが図りかねる、時代と性をはき違えてしまった不幸な女ヘッダならではの葛藤を見事に伝えてくれていた。(圧倒的な存在感とともに)

男女雇用機会均等法が常識としてまかり通る2010年の日本においては、ヘッダの社会参画への強い要望の意志は、一見すると「一昔前の女の姿」と映るかもしれない。
しかしながら、今一度、今日の社会を見渡してみると、彼女が何事にも変えられないほどに切望したー当時では考えられないーそして今日では解決したかのように思われているその女性の社会での立ち位置の向上に疑問符をつけざるを得ない状況というのも見えてくる。
ヘッダが置かれているような状況ー女だから。。。ーという環境は今だに世間には多くはびこっているのではないか?そんな理不尽に悩む女性にとって、ヘッダはそれこそ一昔前の遠い話ではないはずだ。
世間の流れに身を任せてしまえば、またそれが簡単に手に入るという状況もあり、そちらへ流れてしまえばそれほど楽な事はないはずなのに、、、それでは自分が自分で無くなってしまう。。

****↑こんなことを書いたら、翌日の朝日新聞に「母にはなりたくない女性もいる=既婚でも子どもはいらないという女性もいる」というレポート記事を発見。
様々な理由(子どもが好きではない。現職の状況では子どもは無理。自分の健康上の理由からetc.)から子どもを産まない決心をしているが、世間はその判断をなかなか理解してくれない、というもの。

ヘッダは長い新婚旅行中に子どもが出来た事を不測の事態として、素直に喜べないばかりか、それを女性一世一代のお手柄!とばかりに喜ぶ回りの人々の反応に嫌悪の表情を返す。

女の仕事=出産(確かに重要な仕事であることは明白で大変な重労働でもあるとは思うのですが)という、その社会の一辺倒な常識の呪縛から抜け出せないでいるヘッダの時代の人々とそれほどの変わりがない現代の世間感覚。。。ね、ヘッダの話がまたもや近づいてきたでしょ?

*********

頭の良い女性だけに、良家の子女だからこそ、なるべき姿と本当はなりたい姿、真の自分を見失うヘッダ。
その真にステキな状況を自覚せずに手に入れているのろまなテーア(エルヴステード夫人)を見るにつけ、心をコントロール出来なくなり、破滅へと突き進むヘッダ。

この、女が社会で身をたてるためには。。。運と男の勘違いが大きな手助けとなる、という芝居を女性である宮田慶子芸術監督が自信のプログラムの第一弾に持ってきたのも、なんとも不思議な取り合わせ、と言うしかないだろう。

就任第一弾を難しいが勇気のあるチャレンジ、中劇場での現代ギリシャ悲劇上演と決めた鵜山氏が男性で地味ながら小劇場で今日の女性演劇を揚げた宮田氏が女性、というのも、男女の考え方の違いを考察するのに一興であるかも。

女性芸術監督が選び、演出した2010年の「ヘッダ・ガーブレル」を宝塚で男として演じてきた大地真央が見事に演ずる。。。。う〜〜〜〜〜む、いろいろなものが詰まっている。

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コメント

初めまして。
新国立劇場「ヘッダ・ガーブレル」の観劇レビューを書く際、nobby さんの記事を参考にさせていただきました。記事中でも触れています。
大変な観劇本数なのに、ひとつひとつのレビューが詳細でびっくりです。これからも楽しみに覗かせていただきますね。

投稿: johnny | 2010年10月 9日 (土) 17時03分

paper
Hi, Nobbyです。

コメントどうもありがとうございました。
johnnyさんの観劇ブログにもお邪魔させてもらいました。とっても丁寧に、舞台の細部にまで及んで考察されていて、大変、興味深く読ませていただきました。私もjohnnyさんのご意見、楽しみに覗かせていただきます。ーーハーパー。。良かったですよね、同感。

投稿: Nobby | 2010年10月10日 (日) 15時03分

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新国立劇場の2010/2011シーズンが開幕しました。同劇場の演劇部門の芸術監督に新しく就いた宮田慶子氏の演出により、新シーズン第一作「ヘッダ・ガーブレル」を観てきました。本作は「JAP...... [続きを読む]

受信: 2010年10月 9日 (土) 16時57分

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