« ファウスト 2010 in Chino(9/19) | トップページ | 私が一粒の米であったら(9/21) »

2010年9月22日 (水)

自慢の息子(9/21)マチネ

Sample07


★★★★

五反田、アトリエヘリコプターで松井周主宰 サンプルの「自慢の息子」、東京楽日公演を観る。
連休明けの楽日という日取りからか、客席には演劇関係者ー青年団役者たち、さいたまゴールドシアター役者たち、劇団主宰者、演出家、その他大勢ーなどなどが多くつめかけていた。小劇場なもので、その割合がかなり高く、この舞台の注目度がうかがわれた。そんな中、いつも通りにひょうひょうとしている、注目の中心にいるその人、松井氏の佇まいもなかなか味があるというもの。

最終日まで伸ばしちゃったのには一つ理由があって、他の観劇予定が埋まりつつあったというのもあるのですが、せっかくなら岩井秀人(ハイバイ主宰)氏が登場するアフタートーク、という素晴らしいおまけを楽しみたかったというのもあり、この日の観劇を決めました。

客席の受け身体制ー多くの場合、この空気でトークが進む事が多く、一方的に舞台上で話が進んでしまうこともしばしばなのですがーを自然に解きほぐす事に長けた岩井氏のアフタートークでは、なかなか有意義な時間を過ごさせてもらうことが多く、今回も氏自身の率直な舞台への感想から始まり(観劇中に気になった事を細かくメモを取っていたようで、観劇直後のホットspaな質問が多かったです。この真摯な参加の仕方が劇場の緊張をほぐすのでしょう。)、松井meets岩井のトークはなかなかに興味深いものでありました。
ちなみに、「今、一番興味のある出来事は?」の質問に対して、松井氏が「(カルト宗教集団の)ロマゾフィー協会事件」をあげていたのに対し、岩井氏が「止まらない子どもの虐待事件、モロモロ」と答えていたのが、それぞれの興味のベクトルを示していて、面白かったっす。

で、肝心要の舞台の方ですが、サンプルの顔 古館寛治を中心に、当劇団の特徴であるある常軌を逸したシュールレアリスムな世界が展開されておりました。

ちなみに、Wikiよると、
シュルレアリスム(フランス語: Surréalisme, スュレアリスム)は芸術の形態、主張の一つ。超現実主義ともいう。超現実とは「現実を超越した非現実」という意味に誤解されがちであるが、実際は「過剰なまでに現実」というような意味である。


↑この「過剰なまでに現実」というのがまさに松井ワールドを指しているように思います。

*******あらすじ(劇団HPより)********

日本のどこかに独立国を作りあげ、その王となった息子を探す母親と、その場所を知っていると言って母親に近づき、金をせびる青年がいる。
一方、息子は日課として、クレームを大企業のコールセンターにかけていた。
「お宅は私の国に勝手に侵入しているがいかがなものか?」と。

ある日、噂をききつけた若いカップルが母親に相談する。
「私たちはその国に亡命したい。」
母親は彼らを連れてさまよう。自慢の息子が作った国を目指して。

「私」という領土は一体どこに存在しているのか?
あるいはその境界は?
「国」と「私」についての考察劇。
********************

いきなり「独立国」を宣言し、他界との関わりを断絶する主人公 正(ただしー古館寛治)。その国に入る事が許されるのは、無条件に彼を崇める 近親相姦関係の兄妹と彼の母親。
母親はその息子の存在(実態はともかくそこにいるということのみ)によってのみ自己肯定を確認し、その兄妹カップルは正の暴走に便乗し、自分たちの現実から逃げ続けている。
これらの人々が日々で接する唯一の現実の世界に属する人と言えば、隣人のシングルマザーなのだが、次第に彼女もある現実から逃避している人なのだという事が明らかになってくる。。

社会から落ちこぼれた、もしくはいわゆる『世間』に不適合な人々が、それぞれの世界でそれぞれの主張を繰り返す。叫ぶ相手は、例えば部屋の壁であり、動かぬぬいぐるみであり、張り巡らされた洗濯ロープであったりする。

一見、非現実に見えるこれらの世界が、実のところ、私たちが日々暮らしている現実世界の描写である事。ここに登場する、ある種ビョーキとも捉えられがちな登場人物たちは、、よくよく観察していくと、それこそバスの隣の席に居合わせてもよさそうな、ごくごく一般的な人々の症例である事、などが今回の舞台では比較的分り易く描かれていた。

余談ートークでこの分かり易さを岩井氏は危惧しておりましたが、私個人的には非常にウェルカムな兆候だと思っております。分かり易さを恥ずかしがることなかれ。
その核にあるものさえ、ブレなければ、かえって前向きな姿勢だと思うのですが、いかがなものでしょう?ー

日本の現代社会が抱える様々な社会問題もきっちり、びっしり、ちゃんとその輪郭を示しながら組み込まれていて(親と子どもの関係、親の子離れが出来ない状況、狭い世界でのみ満足している若者たちの動向、さらには資本主義優先の国家の動向 などなど)、NY タイムズで「日本で最も重要な演劇人の一人」と期待を込めて紹介された記事にもきちんと応えられているんじゃないでしょうか。

オリジナリティーがあり、社会性もあり、批判性もあるという事で。

他方ーさいたまゴールドシアターーで違うタイプの芝居(中劇場、多人数、他世代)にチャレンジ出来たのも、タイミングが良かった。

|

« ファウスト 2010 in Chino(9/19) | トップページ | 私が一粒の米であったら(9/21) »

「観劇」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/223541/36867796

この記事へのトラックバック一覧です: 自慢の息子(9/21)マチネ:

« ファウスト 2010 in Chino(9/19) | トップページ | 私が一粒の米であったら(9/21) »