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2010年9月 7日 (火)

オイディプス王(9/3)マチネ

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山の手事情社、ヨーロッパ公演の凱旋公演1本目「オイディプス王」を今人が集う街、浅草アサヒアートスクエアで観る。↓ヨーロッパ公演のポスター
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今年5〜6月にルーマニア・ハンガリーで海外公演を行ったというこのプログラム、もとは02年に東京で「オイディプス@tokyo」という題名で上演したものがベースとなっている。

親殺し、母子婚儀、それに付随する多くの殺戮と死。。と次々と起こる悲劇、神に告げられた運命に翻弄されるだけという人間の愚かさを描いたギリシア悲劇の話の中に、日々安泰に平和に暮らす今のtokyoの女の子たちの姿をフラッシュバックさせ、瞬時に古代ギリシャと現代東京を近づける。大いなる対比画図により、逆説的に人間の普遍性を描く事に成功している。

山の手事情社と言えば、、という劇団の代名詞ともなっている山の手メソッドという俳優養成術により鍛錬を重ねた俳優たちが、その特徴である不自然な立ち姿から発せられる朗読調の台詞回し、独特な動きー柔道の受け身さながら俳優たちがバタンバタンとフリ投げられていくーで演じていくその舞台に関して、以前同劇団の公演を観た際に違和感があったので、少なからず危惧をしていたのだが、今回に関してはこの方法が非常にフィットしていたように感じた。

****山の手事情社の俳優養成システム=〈山の手メソッド〉とその特徴

観客の生理的体験に奉仕すべき肉体として、俳優の実力養成に力を入れており、そのオリジナルの養成システムは〈山の手メソッド〉と呼ばれる。同メソッドの構成は、発想法および観察術の開発、身体感覚および発声法の鍛練が大きな柱である。
「俳優は重心をずらして立つ」「イメージ上のせまい通路を動く」「せりふは舞台上の誰かに語り、その際は語る人も受ける人も止まる」「それ以外の人はスローモーションで動く」など。このような<型>は、西洋リアリズム演劇にはないものであり、むしろ不自然な身体を舞台化することで深みを演出する日本の伝統演劇を踏襲するものである********

2010年のここ日本でギリシャ悲劇を上演する際に、従来のリアリズム手法での上演と今回の山の手方式の記号的「型」手法とではどちらが有効なのか?

何よりもまず、この劇団で、現状況で「オイディプス王」の普遍性を伝える手段としてどちらが有効なのか??

海外戯曲を日本で上演する際に誰でもがぶち当たる壁ー目の前の観客へこの話は届くのだろうか?ーと対峙し、熟慮を重ねた上で、多くの試行錯誤の末に出た答えが今回の上演方法だったのだろうと思う。

ソフォクレスが紀元前に書いたこの素晴らしい戯曲の真意を観客へより正確に伝える、そこが第一前提であろう、と。この目標を掲げた際に、古代ギリシャの王になりすますことよりも、まずは書かれた言葉を最善の方法で伝える。紛らわしさは一切排除し、重要なエッセンスのみを抽出し、強弱をつけながら明確に見せ、この戯曲の優れた構造、ストーリーを現代の観客に直接届ける。これが山の手事情社のミッションであったのだと思う。

リアリズム手法で上演した優れた「オイディプス王」芝居の例としては、以前、蜷川が演出し、野村萬斎が主演した舞台「オイディプス王」をギリシャの古代屋外劇場で観たことがある。しかし、逆に言えば、あれほどの条件でなければー狂言師という運命を背負った若き伝統芸能界のプリンス萬斎がギリシャの優秀な王を演じ、そこに立つだけでどんな、どこの国の劇世界をも表現してしまう麻美れいが王妃を演じ、神々が天空から見守っているかのようなギリシャのオリンポスの丘に建つ古代劇場の裸の石舞台で演じられ、それらの諸条件を全て把握した蜷川幸雄が演出する、というとてつもない条件でもない限り、ー絶対的にポジティブな意味においてー今回の公演においてはこの手法が早道であり有効であったという事だと思う。

つまりは今の上演形態としては、最も適した方法を選択し、その方法論を熟知した劇団員たちにより演じられたということ。

ギリシャ悲劇の教義的レクチャー芝居として`お勉強’になってしまう舞台、または眠っている人がそこここに見られる`すっかり古くなってしまった’上演側の自己満足的な舞台になりがちな私たちにはあまり身近に感じられないギリシャ悲劇の舞台が、ここでは十分に私たちが今観たい芝居として存在していた。

幕開け前に演出家の安田氏がちょっとした観劇の手助けとして、大まかなあらすじ、そしてこうやって観てみたら現在と繋がり易いのでは?というヒントを観客に話しかけていたのも、観劇の効果を上げるのに大いに役立っていたように思う。

そのちょっとした事前の問題提起により、様々なこの芝居の問いかけを見つけ易くしてくれていたことは確かで、神の言葉を鵜呑みにし、それに翻弄され身を滅ぼした古代の人々と日々垂れ流される根拠も曖昧な`電子の神の声=テレビニュースやネットの溢れる情報’にいとも簡単に踊らされる現代人のかわらぬ人間性にどれほどの違いがあるのだろうか?
今日のニュースー子ども・親の虐待、過食症に拒食症、嫉妬や恨みによる怨恨殺人らが古代からず〜〜〜っと続く「何を信じるのか?」という真実を見極める目という人間の普遍の課題への追求へと繋がることを分り易く、かつ短時間で(90分)で示してくれていた。


ps
従来、出来る事ならリアリズムな演技形態での舞台がお好みであることは変わらないのですが。。不自然な演技にも利は十分にあるーまあ、古くは伝統芸能の型から最先端のチェルフィッチュの舞台にもそれが見られると言う事が実証している訳ですがーという事を再確認する良い機会にもなりました。

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