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2010年2月

2010年2月27日 (土)

上海バンスキング(2/26)

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★★★
上海つながり、でもないんだけど、、先日の「シャンハイ・ムーン」に続いて、「上海バンスキング」を観劇。

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2010年2月25日 (木)

東京ループ(2/24)

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下北沢演劇祭参加作品、世田谷区民参加の舞台「東京ループ」をスズナリの隣の劇場、シアター711にて観る。

友人が三田さくら役で出演していて(三田さくらって誰?と思った方は週末まで上演しているので711へゴー)、彼女の変貌ぶりを確かめに初日にかけつける。

7時半開演なのだが、無料公演にてチケットもないとあって、混乱を避けるため開演の1時間前から整理券が配られるというシステム。

なんだか、気が焦った私は、通常の公演だとチケット片手に開演ベルと同時にかけこむのだが、今回は早くに行って整理券番号4番をゲット!(な〜〜〜んだ、やれば出来るんじゃん、ってか)

30分前に開場して、自由席にて開幕を待つのだが、ま〜〜〜〜こんなに観客がソワソワ、ワクワクとしている劇場って、なんだか久しぶり。
本来、こうあるべきなんでしょうね。(席に着くとすぐに始まるタイミングで入る私がいけないんでしょうが)

もしも、。。のあり得ない設定の話なのですが、それぞれにキャラがたっていて、懐かしギャグ(10〜20代の人には絶対????なギャグでしょうけど)で笑わせてもらって、あっという間の1時間30分。
途中、本多グループ社長の本多さんの登場でハラハラしたライブ舞台の気分も味わい、ーそれにしても、舞台にいる人たちは焦っただろうな〜〜〜。でもちゃんとフォローしてまして、それがまた良い味を出しておりましたー満場の拍手で終演。

どうもありがとうございました。

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シャンハイムーン(2/24マチネ)

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こまつ座のレパートリーの1本、91年に初演、その後93年にも再演されている「シャンハイ・ムーン」の再再演舞台を観る。

中国の文学者・思想家、魯迅の晩年、その反体制言動から党の目を逃れ潜伏していた魯迅と彼を指示する日本人インテリたちの国籍を超えた心の交流、国境を超えた人としての関わり合い、そして偉大なる作家魯迅の人間としての強さと弱さを描いている作品。

先日、演出家タニノクロウ氏のトークを聞きに行った時に、彼が「イプセンでもチェーホフでも、後世に残る作家が書いている事は結局は一つ。どれもが人間の愚かさ、そして、それと対峙する姿が描かれているかどうかにかかってくる。」という趣旨の事を言っていたが、まさにそれにあたる、後々まで演じ継がれるであろう井上作品のすごさ、ー人間の真の資質を真っ正面から問いかける真摯な問いかけと同時にどの芝居にも誰でもが笑ってしまう、人の可笑しみがふんだんにちりばめられているーは、このちょっと地味な、日本人にはあまり馴染みのない中国近代史とその中心にいた作家の話でも存分に輝きを放っている。

ノーベル賞候補にまで上がった魯迅はその本業において誰もが疑う余地のない最高到達点にまで達している。それゆえに、敵国 日本においても熱狂的な魯迅サポーターが存在し、晩年の彼へおしみない協力を申し出たのだが、一方、この芝居を観るかぎり、その他の面で、かなり不完全なーつまりは高尚な文学先生というイメージからは離れたー、かなりなダメ人間であった事もそのエピソードからうかがえる。

かなりの頑固オヤジ、その中でも家同士の政略結婚とは言え、正妻に対するしうちは、もしそれが本当なのだとしたら、非人道的とも言えるもので、かなりに意地悪い。

とは言え、それらのエピソードに関しても、それを引き起こした理由、彼なりの心の葛藤があり、劇中でもそれがきちんと語られている。

こまつ座の芝居を、井上作品を観るたびに、、人の不完全さ、また反対に実直さ、、、などなど、永遠のテーマである「いと不可解なり、人間というやつは」という問いをつきつけられる。

だから井上芝居は面白い。

海外で上演出来る、いや上演するべき作品が井上作品には目白押しーもしかしたら今度NYとLondonで海外ツアーをする「ムサシ」よりも先に他のものでもたくさんあると思うんだけどな〜〜。字幕さえつければ日本語で日本人役者で十二分に通用するよ!ロンドンで観た「藪原検校」もそれまでにみたどんな日本の芝居よりうけが素直で、良かったし。。ー
海外での井上ブーム、作りたいよね。

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2010年2月19日 (金)

The 39 Steps (2/19マチネ)

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ヒッチコックの映画がもととなった芝居でウェストエンド(07年オリヴィエ賞 ベスト・ニューコメディー賞受賞)・ブロードウェイ(08年トニー賞 6部門ノミネート)で大当たりしたコメディーの日本人キャスト版。

もともとはロンドン北部にある300席にも満たない小劇場トライシクルシアターでの上演をきかっけにこの世界を股にかけての大ヒット作上演ツアーが始まったというだけあって、舞台セットもチームもいたってコンパクト。ながら、そのコンパクトさを演出の魅力へ転化させ、4人の役者が一人何役もこなしながら、小道具、演出などにタネは単純ながらーその単純さが今の時代にあって珍しく、それが魅力にもなっているー大劇場、多勢キャストでは出せない、なんとも親しみ易いおもしろさ、小粒ながら良質のエンターティンメントカラーを打ち出している。

今回のキャスト4人ー石丸幹二、浅野和之、今村ねずみ、高岡早紀ーも、どこをとっても弱いパートが無く、強力なチーム。
二枚目、三枚目、美女、おちゃめな女装、、、、と出ずっぱり、4人フル稼働で大いに楽しませてくれる。

高岡早紀のあまりにもお美しいおみ足もオマケ以上に見事だし、浅野和之のマリオネット コミカルムーブメントも健在。それぞれに余裕があって演技しているので、見ていても安心して心おきなく楽しめる。
(やっぱり、どこの劇場へ行っても、これくらいの俳優レベルを常時確保出来れば、全体のおおきな底上げにもなるんでしょうにね)

ちなみに個人的には初っぱなのフットボールネタ(1923年のFAカップの覇者は?)から大いに楽しませてもらいました。

ps それにしても、やっぱり客席の列の間隔は狭いね〜〜〜。遅れてきたら、まず足を踏まなければ真ん中まではたどり着けないよ。

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3000年前のかっこいいダンゴムシ(3/18)

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第2回 五反田団といわきから来た高校生の芝居シリーズ「3000年前のかっこいいダンゴムシ」を五反田の小劇場、アトリエヘリコプターで観る。

***ネタばれ注意****
高校生がある高校の放課後の一日を演じた芝居。部室のテーブルを囲んでキャーキャーおしゃべりをしながらイベントの出し物について相談する彼女達ー男子生徒が2人のみなのに対して女の子は8人、やっぱり面白がるガールズパワーってすごいっすーはどこにでもいる田舎の高校生。。!?なんて思ったら、アマイアマイ。彼らの置かれている状況がハンパなく不条理。
最初は福島弁だから聞き取れないのかな?なんて思っていたのだが、そうでは無く、どうも彼らの話によると「ミラノ」という謎の巨大生物が日本列島に上陸していて、今まさに彼らがダベっている高校の方向へ向かっているという状況なのだそうだ。

で、そのミラノなるものを恐れて県外へ避難している人も多いような状況であるにもかかわらず、彼女達の関心事はやっぱり、好きなあの人のことであり、いつコクろうか、なのである。そっちの方が彼女たちにとっての絶対リアルなのである。
日本、もしくは地球絶滅(?)の危機にありながら、やっぱり日常で起こっていることにそれほどの変化はなく、おそらくいわきの高校生が日々頭を悩ます事は、、3000年前でも10000年後でも同じ。。。「`愛’って何?」なのである。で、その彼らの問いは普遍にして永遠なのです。

劇ではその愛を男女間のものだけに留まらせず、男女、そして家族、友達、さらには生き甲斐や大切に思う人などなどかなり広範囲にその`愛’の所在範囲を広げているので、単なる今どきの高校生の内輪話に終わらず、かなり哲学的なお話にまで発展。どの年代の人でも楽しめる劇内容となっております。

でもって、ここでやっぱり特筆すべきはその高校生たちの熱演。
途中、これって五反田団の役者も混ざっているの!?と思っちゃったほど、しっかり演じております。
プラス、いわき弁での上演というのもかなり意義ある結果を生み出しております。

このところ、標準語で聞く(例外としてお笑い界の大阪弁というのはありますが)ということに慣れてしまっている私たち、しかしながら、方言には方言の利点があり、良さがある。
でもって、だいたいみんながみんな標準語を使うということ自体にも無理があるし、面白みがない。

馴染みのない方言からその意味を想像する楽しみ、また、その不便さを体感する意味。
方言での上演、これからますます増えれば面白いと思います。

『っつーか、ミラノって何?あり得なくない?」ってこれをいわき弁で、楽しげにまくしたてている舞台を想像してほしい。かなりシュール。

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2010年2月18日 (木)

わたしたちは無傷な別人であるのか?(2/16)

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チェルフィッチュが本拠地横浜で新作上演。

STスポットの何もない空間で日本の「今」を心憎いほど知的に表現。

何も起こらない、一見、劇的であることとは反対方向へ向かっているかに見える見えるスケッチの連続の中に、恐ろしくなるほどのシニカルな社会批評が見事に仕込まれている。そして、言うまでもなく、そこには確かに演劇ー今回パンフレットで作・演出の岡田氏が触れているように、観客が上演から何かを受け取った時点で成り立つという意味での演劇ーがある。

****若干ネタばれになるので注意****

いつもにも増して何もない空間に俳優たちがのろのろと客席後ろの出入り口から登場。物語を語り始める。

物語の中心となるのが、ちょっと郊外の新興住宅地に住む(確か、台詞の中に場所を暗示するような、お友達の言葉があったような気がしますが、「ちょっと郊外」というのはあくまでも私のイメージ。多摩川をちょっと超えたあたりの東京西部の住宅街)典型的な今どきの若いカップル。
時は09年8月末、あの『チェンジ』選挙が行われた週の出来事、彼らは日々のステップアップの一段階として、近い将来綺麗な中高層マンションへの引っ越しをひかえ、いつも通りの穏やかな日々を過ごしている。
二人に与えられた形容詞はまさに「幸せな男の人、そして、幸せな女の人」なのである。

妻の同僚が遊びにくる事になったと言って、律儀に部屋の掃除、フローリングのワックスがけまでしておもてなしの準備をする幸せなカップル。

ゲストをもてなし、相手を気遣い、平穏な日々を過ごす。。世に言うKYとはかけ離れたところで生息する良い人たち。

しかしながら、よくよく目を凝らして舞台を見ていると、そのハーモニーのところどころに、その日だまりの影となる「凶悪」の火種のくすぶりが隠れているのが見える。

「小さな幸せ」で満足だと語る市民、その一人一人が心の内で無意識につぶやく言葉、そこには一歩間違えば、同じ思考回路から全く反対の方向、残忍な凶悪犯にもなりうるという可能性をひめているという事実が見え隠れする。個人の幸せと残忍さが同居している今の世の中。
さらには、小さな幸せ。。。それだけを願っているから、という理由だけで、社会的な事象に無関心でいても良いのか?結局、社会意識は個人の生活に密接に結びついているのではないのか?という問いかけも聞こえてくる。

静かに、そしてちょっと斜から、声をあげた社会派劇。


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ジョン・ガブリエルと呼ばれた男(2/15)

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世田谷パブリックシアターでイプセンの「ジョン・ガブリエルと呼ばれた男」を観る。

登場人物は4人で俳優もその4人のみー仲代達矢、十朱幸代、大空真弓、米倉斉加年ー、これらの豪華というのか、とにかく、その俳優人を観るための芝居であった。

劇の題名にもなっているジョン・ガブリエルを演じる仲代がその中心にありながら、そのジョンを挟んで恋敵関係の双子の姉妹、十朱と大空が対立するわけだが、どうもその三人のベクトルがそれぞれに別方向に突き抜けていて、それぞれが斜め45度空中に向かって怒りを吐露し、人生を語るものだから、ドロドロに濃密であるべきはずの人間同志の絡みが、どっかにすっとんでいってしまっていて、それぞれの世界でその怒りも完結しているように見えてしまっていたのが残念。

もうちっと肩の力抜いた方が、適当にそれぞれが絡み合って面白いんでないかな〜〜〜?
映画じゃないんだから、そんなに突然、この世の終わりのように悲観しなくても。。。。ね〜〜。

で、唯一、絡んでいたのが、仲代と米倉。。この箇所は面白かった。
どうせなら、この続きで、二人で「ゴドー待ち」でもやれば良いのに。。今、ウェストエンドで、サー・イアン・マッケラン様がゴドーを再演していることだし、、思いっきり人間味のあるゴドー、変に悟りの境地に入っているのではないやつ、を日本で観たいです。

あと、今回の舞台セット、これがどうもいただけなかった。
第一幕、北欧のお屋敷のリヴィングルーム、家具・調度品はまあまあ良いのですが、何ですか?あの壁紙は???なんだか近代絵画のような不規則な模様は??あんな壁紙あり得ない。。
あと、最後のいやにモダンな簡素な雪の坂道も。。。変。

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2010年2月14日 (日)

なにわバタフライ(2/12)

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04年初演(5年前だったんですね〜〜、つい最近、観た気がしてたんですが)の「なにわバタフライ」の再演。
前回パルコ劇場で上演された作品ですが、今回は場所を移し、世田谷パブリック小劇場、シアタートラムでの上演。

劇場のコンパクト化にあわせて、演出も小劇場用にシンプル化を計り、これがとっても良い結果を生んでいた。

ご存知、なにわのコメディエンヌみやこ蝶々の一生を戸田恵子が一人で演じきる、三谷幸喜作のワンウーマンショー。東京育ちの私にとっては「夫婦善哉」司会のやさしそうな、かわいらしいおばあちゃま、のイメージが定着していたのだが、その波瀾万丈の人生ゆえに何度か舞台、テレビ番組化されているだけあって、ちょっと今の時代にはあり得ないようなー7歳で旅芸人一座の座長としてキャリアをスタート。その後80歳で亡くなるまで、芸人人生を歩み続ける。2度の離婚を経験し、2度目の夫と分かれた後も人気番組の「夫婦善哉」は前夫と続行。結局は年下の夫の方が先に逝くこととなる。ーかなり内容の濃いものだった。

初演では、様々な工夫をこらした舞台設定で、その仕掛け、仕込みのアイディアを楽しむというのも一つの見せ場となっていたのだが、今回はそれらのものを一度全部取っ払って、逆にそれらの回りのものに目があまり奪われないように、演じている戸田さん=蝶々さんの台詞に集中できるよう、衣装の早変わりなどは残しつつ、セットを使っての驚きの演出は影を潜めた。
もともと蝶々さんの人生ものがたり、それだけでかなり驚きの面白さがあるので、それをいかにお客さんへ伝えるか、に専念した今回の舞台の方がお客さんへ届けたものの成果は大きく、シアタートラムのお客さん全員がかなり集中して女の一生ものがたりを見届けていたように思う。

もちろん、戸田さんの芸達者がこの結果を生んでいることは疑いようは無く、彼女のキャラクターが作り出した舞台とも言える。(開幕後、しばらくお客さんとの絡みの時間があるのだが、そこでも彼女のキャラクターが活きている。)

色濃い沙汰のエピソードも多く、女のいやらしさが出て食傷症状が出てもおかしくはないのだが、それは翻の主役の蝶々さんのなんとも大らかな、ストレートな愛されキャラに大いに助けられている。

昭和の、人間関係がもっともっとシンプルだった時代の、人は信じても良いのかもと思わせるような「いい時代」の人情話。
親子関係とか子弟関係とか、とにかく人を信じられた時代。。。。幼児虐待とか少年犯罪とか、日々のニュースに嫌気がさしている方は劇場へどうぞ。

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2010年2月12日 (金)

ゴールデンアワー(2/11)

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雨の降る中、三鷹市の公共劇場、三鷹市芸術文化センターへ市とONEOR8との共同制作「ゴールデンアワー」を観に行く。

02年の舞台の再演ということだが、この話だったら普遍的なのでいつでも再演できるのだろう。
ここの劇団は定期的に再演も盛り込んでいるよう(過去の上演記録からすると)で、それはとても良い事だと思う。戯曲にもECOを! 資源は大切に語り継ぎましょう。

で、舞台は東京のとあるラーメン屋。店主である父親の入院をきっかけに、離ればなれになっていた兄弟が再会。母親方についていった兄(ほっしゃん)は大阪から久しぶりに上京し生家を訪れる。

ラーメン屋家業の忙しさから、久々に会うにもかかわらず、初めはろくに話も出来ていなかった兄弟が序所に過去を、そしてそれに続く現在を受け入れ、心をうちとけていく。

話の核はその兄弟なのだが、その回りの変な人々、妙に涙もろい変わり者の従業員、アルバイトの小劇団役者のゲイのお姉ちゃん(このゲイっぷりがリアルですごかった)、近くの会社に努めるガテン系の常連客、etc..そしてちょっと天然が入った謎のパートのおばさん(根岸季衣)ーこのパートさんの話も大きな伏線となっているーが、まああ、ラーメンの具さながら主である麺を引き立てる、引き立てる。

その小ネタ(ま、それぞれがちゃんと話と絡んでいるのですが)だけで、大いに楽しめます。

血のつながりがありながら、一番遠い存在である離ればなれの兄弟、そして新たに気づくその血の繋がりのありがたさ、、そして、ラーメン夜に集まってきているというだけの関係であるはずの他人同士の気遣い、会社の人間関係、そんでもって、人は見かけによらないという、世の中の怖さまで、、隅から隅までヒューマン描写で埋め尽くされた、日本人は好きにならずにはいられない芝居。

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近藤良平トリプルビル(2/11マチネ)

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コンドルズ主催、近藤良平 振り付け・演出の「トリプルビル」(三作品上演)を新国立劇場で観る。

会場には子供連れのヤンママから普段あまりコンテンポラリーダンスの舞台などに足しげく通うようなかんじには見えないミドルエイジのママさんたち(失礼。。。ですみません)まで、近藤人気の幅広さをうかがわせるような光景が。

かくゆう私もかなりそのノリに近く、今回も、コンドルズではないショート作品で何を見せてくれるのだろうか、どうやってニコニコさせてくれるのだろうか、というミーハー心いっぱいでとにかく楽日にかけつけたという感じ。

で、さすがに三部構成舞台も何度か上演(参加も)しているだけあって、三作品それぞれに趣向を違えて、カラフルに構成。十二分に楽しませてくれた。

*「牧神の午後への前奏曲」ではコミカルかつ自由な演出ながら、しっかりとハイレベルなダンスを展開。第一番目プログラムとしての役目をしっかりと果たし、ダンス面でもヴィジュアル面でもストーリー性でも(あやしい関係の男二人のお話)観客の心をしっかりとつかむ事に成功。これを見終わって、席をたつ人がいるとは思えない。かなりきちんとした踊りながら、他の面で遊んでいるー舞台装置、音楽、衣装ーので、顔をゆるませながらハイ・クオリティーなダンスを堪能出来て◎。

*「damp Squib」
休憩を挟んでの2番目作品では、ダンスの越境、身体能力をみせるだけではなく、音楽との楽しいコラボ、衣装やセットといったヴィジュアル面でのキッチュなコラボといった踊りのボーダーを思いっきり
広げた見て楽しめる作品。
大人数の牛さんたちが牧草を食む、寝る、戯れる、、それを眺める観客たち。。シュールだ。

*「レモンツリー」
またまた短い休憩を挟んで、今度は近藤と2人の女性ダンサー(斉藤美音子、皆川まゆむ)によるダンス。旅人として放浪する男(近藤)に対し、女性二人はその旅の先々で出会う女性、、、ながら旅人の記憶に宿る女性たちはゆきずりで、生身の人間としてではなく、旅の思いで、人形として描かれている。
イメージ映像を多用した最終作品では、3人のダンステクと夢のようなイメージ映像が存分に楽しめる、ある意味3つの中でもっともコンテンポラリーダンスらしい作品として仕上がっている。

この、どうもセカセカしたご時世にあって、思いっきり楽しくて、温かいパフォーマンスを見せてくれる。近藤作品は究極の癒しなり。
その楽しもうという積極性に、明日への活力を得る事も間違い無し。

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2010年2月11日 (木)

I am my own wife (2/10)

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吉祥寺シアターにて燐光群の新作「I AM MY OWN WIFE 私が私自身の妻である」を観る。

04年トニー賞の最優秀作品賞、同年のピューリッツァー賞も受賞したダグ・ライトのドキュメンタリータッチの芝居をライトとの親交が深い、燐光群が上演。
賞を受賞したブロードウェイ版では一人芝居という形で上演されたのだが、今回、燐光群では16人の役者が演じている。

吉祥寺シアターの入り口、通例どおり2階(劇場劇式の場合客席へは2階から入るつくりになっている)へ上ろうとすると、上がる階段が封鎖されていて、誘導に従って1階入り口からどうぞと言われる。中に入ると、まるでキャバレーか(今なら)ライブハウスのように劇場が作り替えられていて、1階平場に丸い小テーブルを並べた観客スペースと演じる舞台スペースが。各テーブルには3〜4人分の椅子が備え付けられいて中央には外国人男性のポートレート写真が。

この男性こそが、今回の芝居の主人公ー男であり妻でもあるー戦中・冷戦下の東ドイツに実在したシャーロッテ・マールスドルフである。

今回、観客たちはこのリラックスした観劇環境の中、東ドイツという鉄のカーテンの向こう側でトランスベスタイト(服装倒錯者、くだけて言うとオカマさん)として生き抜いた男(女!?)の一筋縄ではいかない人生模様を垣間みることとなる。

ゲイの人たちが主人公の芝居でありがちなのが、「こんなに不平等な目にあってきたのよ、私たち。」「ゲイにも市民権を!」的な不幸の訴えかけ芝居、もしくはこんなにもお茶目な私たち!!的な見せ物的なぶりっ子芝居、であるのだが、今回のこの「I AM MY OWN WIFE」に関しては、それこそ性の壁を超えて支配する側とされる側、弱者と勝者という誰の身にも当てはまる、普遍性にまで昇華しているところがトニー賞を取った勝因であると思われる。

前半、女装癖がある、それこそが自分のあるべき姿だと自覚した主人公のエピソードあたりまでは、普通にあるゲイの芝居なのかな?と懸念していたのだが、、、彼女が行きぬいた時代、またその果てにあった苦いドンデン返しのエピソードが語られるあたりで、ドンドン話しに引き込まれ、16人の役者(彼らは全員同じ黒いドレスに黒いヘッドスカーフ真珠のネックレスという格好をしていて、誰もがシャーロットであるという設定)が次々に代わる代わる告白する彼女のウソ、生きのびるための人生選択に思いを巡らせる。

ちょっと怪しげないかがわしいエピソードで興味を引き、その後スピーディーな展開で本筋の社会性溢れる骨太な部分をたたみかけ、最後はそれぞれの観客に判断を委ねるという、劇作としてかなり完成度の高い戯曲。その良さを活かさない手はないわけで、全員が同じ役、そしてその語り手の登場も目まぐるしく入れ替わる、、、と観客の注意を逃さない演出も見事。

得意分野(ハードな社会派劇)で燐光群の面目躍如。
次回もその得意分野ー英国劇作家 David Hare ``The Power of Yes''だそうなので、こちらも期待大!!


余談:

あ、そう言えば、東西冷戦下で思い出したけど、先日あのSMAPXSMAPに旧ゾヴィエ連邦大統領、ゴルバチョフがビストロのゲストで出演していましたね〜〜〜。びっくり。
中井君のインタビューもちゃんと会話のキャッチボールがされていて、なかなか内容的にも面白かったです。
で、ゴルビーの言っていることが、「明瞭かつシンプル!!!」、でもって「斬新!!」。
ジョン・レノンの「イマジン」じゃないけど、そのシンプルなイマジネーションが出来るかどうか?また、実行するだけのリーダーシップがあるかどうか(なんて言ったって、崩壊しかけていたとは言え、当時のソビエトですから)なんでしょうね〜〜〜。(宇宙人並みの素晴らしい想像力があっても、それを推進するリーダーシップがなければ。。。。。なんでしょう。ま、くだらない事で足をひっぱる回りも回りですがね、、このまま日本が沈没しちゃっても良いのかしら?幕末ドラマやってるけど、当時から進歩していないよね。将来のため、何が最善か?目先ではなくて、自分のボーナスではなくて、もっと広い視野を持って欲しい。。これはどこの場所ー演劇界でも(!?)ーでも言える事)

見える人には見えるんでしょうね、世界情勢改善のシナリオが、ゴルビーとかボブ・ディランとか、そうそう龍馬にも。。ね。

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凡骨タウン(2/9)

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2010年2月 9日 (火)

標的家族(2/8)

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流山児事務所主催:社団法人日本劇団協議会 次世代を担う演劇人育成公演プログラム「標的家族!」をSpace早稲田へ観に行く。

早稲田の劇場へ地下鉄を使っていくとなんだか遠回りのような気がしてー直線距離では我が家から劇場まではけっこう近いはずーバス経路を調べたら早稲田方面へ行くバスがあることが分り、その方法で行ってみる。やっぱり、かなり近いことが分り、、しかも劇場近くのバス停から歩く分を考えたら、、バスの待ち時間の間に歩いちゃった方が簡単かも。。と思いつき、帰りはその歩きに挑戦。
やっぱり思った通り、30分強ぐらいで家に到着。

これからは散歩しながら早稲田まで、、だなと思う。

で、公演ですが、佃典彦氏の書き下ろし新作。家族単位でいじめの標的にされたら?。。という被害者家族の状況を詳細に描いた内容で、不条理、かつ筒井康隆ノベルのようなブラックコメディの要素あり、でたいへん面白いものとなっております。

次世代を担う演劇人育成公演(こんなのがあるんですね〜〜〜、知らなかった)の対象となっている若手演劇人チーム(『演出:小林七緒』、音楽:諏訪創、美術:小林岳朗、主演俳優:小暮拓矢)が中心となり作っている舞台。そこへベテラン下総源太朗、流山児事務所の看板娘 坂井香奈美などが加わり1時間20分、どんどんブラックテイストに加速していくバトルシーンをしっかりと見せてくれている。
アフタートークでボスの流山児さんがコメントしていたように、自前の劇場を知り尽くしている美術、小林さんがリアルに、そして効率よく作り上げた平均的サラリーマン家庭の家のセットが秀逸。

若手と中堅、大御所がそれぞれに役割分担してうまく稼働している(青年団なんかもその点でしっかり組織だって活動していますよね)中で、どんどん若い人たちに発表の場を与え、新しい息吹を演劇界へ注入するってと〜〜〜〜〜〜〜っても大切なことですよね。
だって、いくらがんばったって人の寿命なんてたかだか100年もてば奇跡。。だったら、どんどん継承していかなければ、、大きなものは達成出来ません。

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2010年2月 6日 (土)

監視カメラが忘れたアリア(2/5)

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杉並区公共劇場 座・高円寺にて鴻上尚史が立ち上げた若手劇団虚構の劇団、第4回公演「監視カメラが忘れたアリア」の初日を観る。

もともとこの若手俳優劇団が発足(07年)した際に作・演出も兼ねる劇団主催の鴻上が書き下ろした作品で旗揚げ準備公演として(事実上初の劇団公演)上演したもの。今回2度目となる座・高円寺で新たに本公演として日の目をみることとなった。

**ネタばれ注意***
近未来、東京。防犯目的という名の下、監視カメラが急速に普及し、街のあちらこちら、そして主な登場人物たちが通う大学のキャンパスにあちらこちらにもカメラが設置され、その数は日々増えいっている。
主人公の姫岡(古河耕史)は大学時代に「監視カメラ監視する会」を立ち上げ、24時間一般市民を監視するコントロール社会へ声をあげた。その弱小サークルを立ち上げるきっかけとなったのが、彼の父親の生き様ー会社の体制側に反し、労働組合で活動を続けたがために会社からも社会からもはじきとばされるがその姿勢を貫き通したーだった。そんな彼も卒業後、警察官として働くなかで今度は監視する側へと立場を変えざるを得なくなり、さらには、日々の生活のため、その状況を無言で受け止めて日々を過ごすようになる。そんなある日、フィアンセの文緒を渋谷の雑踏に設置された監視カメラのモニターの中に見つけた姫岡、、見過ごしていた監視という行為が一瞬にして身近な問題として関わることとなり。。


と、今回取り上げたテーマ、監視カメラで四六時中監視されるそんな近未来の世の中のあり方について考える、、、これ自体はとても面白く、それこそ今ならではの芝居だと思うのだが、どうもその回りにくっついているもの、恋愛だの、ダンスだの、サークルだの、などなどの表現がどうにも子供っぽく青い。。、、せっかく良くなるものをかなりつぶしてしまっていて残念。。

MI5が国民を監視し続けるイギリスなどでは、この監視カメラの問題は実際に現実、今の日常生活問題として頻繁にニュースでもとりあげられている。
ちなみに、数年前のロンドンでごくごく一般の生活をしている市民が一日のうちでカメラに収まっている回数が300回、なので何かあった時にはどんな人でもその日の移動経路をある程度追跡することが出来るということらしい。これが数年前の話だったので、テロ対策が強化されつづけている今日ではその何倍もの回数、どっかのテープに収められている事になるのだろう。

で、「お上」というどこの誰だかわからない人、それこそ素性もわからない輩が、そっち側にいるというだけで、一市民の行動を監視しつづけて良いのでしょうか?
なんだか、そのカメラのおかげでややこしい誤解やら(もしかしたら陰謀?)が引き起こした二次的事件ー誤認なんてのも、確かあったように記憶している。ー中東系の少年がテロ犯として疑われたーとか?それこそ、一方では個人情報保護法で学校の連絡網も作れないのに、その一方ではプライバシーがまったく無いというのも、、、変な気がする。

余談になるが、最近60年代の英国人気テレビドラマシリーズ「プリズナー」のDVD BOXを購入。(そのシリーズの主演俳優が亡くなったというニュースを聞いて、番組に幼少時夢中になっていたという我が家のKYイギリス人が観た〜〜〜いと騒いだのでAmazonで注文してゲット!)
60年代に描かれた近未来、お上にたてついたもとスパイたちがある場所に隔離され、管理されるというお話。主人公もある国家機密を知ったがためにMI6に辞表を提出したのだが、その直後何者かにさらわれて、この隔離された、一見おとぎの国のようにも見える。。おとなしくさえしていれば穏やかな余生をすごせる場所へと送られる。もちろん、この主人公はそんなごまかしの世界をすべてを黙って受け入れることはせず、あくまでも反抗的な態度をとり、その場所からの脱出を図る。。。というもの。
50年前の作品なので、近未来の描き方はちょっと苦笑してしまうような、ある種キッチュなー今では日常の携帯電話もどきとか、便利な家電製品とか、、ーま、それもそれで楽しめるのですが、何と言ってもその体制側を皮肉る、皮肉り方が何ともイギリスらしくて、、でなかなかに的を得ていてー例えば、その村では主人公は住民番号で『No.6!!』と呼ばれるのですが、番組の中の決め台詞の一つでそれに対し、彼は「私は番号などではない!人間だ!!!」と叫ぶのです、ーハッと気がつくと、私たち、今やオフィシャルには番号化(住基ネット)されつつありますよね。
これ、今みてもなかなか考えさせられる番組で、面白いです。
(ちなみに、この番組ロケに使われた場所がウェールズの一角にあって、数年前に訪れたことがあります。その当時、私はもちろんこの番組を観たことがなく、かわいいけど、へんてこりんな村だな〜〜と思っていたのですが、当時、ウチのKY君が異常にはしゃいでいたのを思い出します。)


主人公の青年が大人になる過程、就職を機に信念を180度変えてしまうというのも、なんとも皮肉で、、つっこみどころがキラリ、キラリと見え隠れする芝居だったのだが、それをかき消してしまうほどの無駄な箇所、みんなで第三舞台時代にみせていたのと変わらないダンスを元気よく、それも一回ならず数回踊ってみせたり、キモ〜〜〜い恋人たち(家へ帰ってゴロニャンなんて言って頭をスリスリする。。なんてハズカシくて見てられん)のシーンを見せられたり、、、もうこれはやめましょう。と言いたい。

でもって、何ともキモいのが、どこかにも書いてあったが、なんだか今舞台で見ている役者さんたち、、、どっかで見たような〜〜〜〜、と思っていたら30年前、「第三舞台」で活躍していた俳優さん達の焼き直しのよう、、大高さんに似ているあの人、長野さんそっくりのあの人、、あ、あの人は山下さん??なんて、、30年前ですよ〜〜〜。いくらなんでも、今の人が表現しているんだから、今の若者らしさを、リアルな人間描写を、、お願いします。

本当に、するどい目のつけどころの、いくらでも深く掘り下げられる、、はずの芝居だけに、なんとも残念。

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2010年2月 3日 (水)

えれがんす(2/2マチネ)

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シス・カンパニー主催公演「えれがんす」を新宿、紀伊国屋ホールで観る。

所属アーティストの良いところを活かす舞台、というシス・カンパニーらしさが前面に出た舞台。

今回は登場人物が6人と小グループによる作品ということもあり、それぞれに十分においしいところを披露することが出来たと言ってもよいだろう。

そんな中、意外にもダントツに笑いをとってはつらつと演技をしていたのが韓国演劇界からのゲスト コ・スヒ(焼き肉ドラゴンのオモニ、と言えばすぐ顔がうかぶあの女優さん)!!
前半、謎の女としてほとんど喋らないという設定も幸いして、その反動からか、後半はガンガン飛ばして、お客さんの心を鷲づかみ!

渡辺えり、木野花、八嶋智人などは、ある種予想通りしっかりとソツなくこなしてくれているので、その一方でのギャップに対する驚きがこの結果を生んだのかも。

お話自体は千葉雅子節全開で、「女」と「女のその後」の端境期にいる人間たちの本音をぶっちゃけながらのハートウォーミングなお話に仕上がっていて、私は千葉さん節が好きなので、○でした!

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F(2/1)

Nikinokai

久しぶりの雪となった東京。
駒場アゴラ劇場で青年団リンク 二騎の会による「F」を観る。

男女二人(端田新菜・多田淳之介)による二人芝居。
アフタートークで多田さんが「男一人の現場」と語っていたように、劇作が宮森さつき(♀)演出が木崎友紀子(♀)、と女三人に男一人。。それも役の上では性別無し(アンドロイド君という役まわりなので)といういたってーとっても良い意味でー女性の芝居。
女心がと〜〜〜〜〜っても見事に描かれていてー劇構造が先ほども書いたように女の子の主人公 対 オブジェクト(アンドロイド君)という構造なので、女の子目線で進展して行くー、特に劇の後半はしばらく忘れかけていたような(オバタリアン化してるなーーーマズい)甘酸っぱい、ドキドキする心地を体感。
かと言って、その女っぽさばかりでなく、しっかりと、それもふんだんに、そして巧妙に社会性がちりばめられて、かなり上質の作品。
1時間半という凝縮された時間の中、登場人物二人という限られた設定でSFテイストでありながTOKYOの今の若者像を的確に表現している。

これが可能なのが演劇であるという、演劇の力を信じた秀作。

題名の「F」(ご覧になる方はそれぞれに題名の意味を感じとるでしょう)しかり、分らない謎掛けの部分が効果的に働いて、作品にさらなる幅を持たせている。

ウ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん素晴らしい。好きです。

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