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2010年1月

2010年1月31日 (日)

あのひとたちのリサイタル(1/30マチネ)

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シアタートラム・ネクストジェネレーション公演の最後を飾るのはFUKAIPRODUCE羽衣の「あのひとたちのリサイタル」。
劇団名のごとく深井さん(FUKAIPRODUCE)主催のプロデュース集団で、今作は07年に駒場アゴラ劇場で上演されたものの再演。

「妙ージカル」と銘打ったステージはライブでの音楽演奏付きのオリジナル楽曲の歌唱・集団ダンスあり、の華やかなもの。途中でそのダンス集団メンバーとしてそのシーンのみ出演の役者が何十人とステージに押し寄せ、男女に分かれて花いちもんめスタイルダンスを踊るシーンはプログラムの見せ場。

歌あり、ステージ上でのライブペインティングあり、ダンスに笑い。。と次から次へとてんこ盛りでプログラムは進んで行くのだが。。。。その笑いが、私にはまったくあわなかった。
クスリとしたのが一瞬で、あとはま〜〜〜〜〜ったくダメでした。

あの、なんとかの100W的な元気!!!も、、中途半端な愛やエロも。。。歌なのかなんなのかの叫びも。。全く頭の右から左へ素通り状態でした。
絶対に上演中に時間を確かめない!が心情の私が、最後の数分は時計を見たくてみたくて仕方がなかった。

この程度のフィクションだったら、実際に彼氏と会って恋愛した方が楽しくねえか?
そっちの方が断然ハラハラ、ドキドキしてもっと面白そう。
ライブもちゃんと歌ってくれるライブに行きたいし、ダンスにしてもしかり。。。

なんだか、とっても疲れて、、、元気があったら吉祥寺へ行って芝居を観ようかなと思っていたのだが、断念。。

これって、世代の差?

あんまり、熱かったり、一生懸命だったり、ハンドインハンドだったり、、、が超苦手だからな〜〜〜。ごめん。


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煩悩カケル(1/29)

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吉祥寺の壺中天スタジオにて我妻恵美子振り付けの大駱駝艦・新作公演「煩悩カケル」を観る。

のっけからオッと思わせる演出ー我妻さんが輪っかの中でバランスを取りながら登場、オニール親子共演映画のペーパームーンの宣伝写真のように天井から吊るされた銀色のリングにちょこりんとおさまる姿は月に住む妖精のようーは開幕の瞬間に観客の心をわしづかみにする蜷川演出のように効果大。

その生身の人間によるパフォーマンスとは思えないような幻想的なシーン(シルク・ドゥ・ソレイユって観た事ないんだけど、それもこんな感じなのでしょうか?!)が目に焼き付いている中、プログラムは進展していき、お次ぎは添付白黒写真にあるような食の饗宴のシーンへ。
その後も、8つのテーマに添った印象的なシーンが男性ダンサー3人女性ダンサー7人によって、時には男性のみ女性のみと趣向を変えて続く。

そのどれもが、女性的な美的感覚、細やかな美の配分への気配りが施されていて、男性ダンサーチームの際によく見られる即興的・感覚的・ライブで繰り広げられる肉体の躍動の面白さというよりも、計算され、それぞれの観客の感情にヴィジュアルで訴えかける知的なダンスの趣深く、またいつもとは違った舞踏を楽しめた。

ファンキーな(それこそちょっとハイになっている)男性プログラムと細部にわたり美を追求した女性プログラム、初めて見る人たちにはぜひともこの2つをーもちろん大駱駝艦全員による大規模なプログラムも!ですがー見比べて味わって欲しい。

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Nameless Poison〜黒衣の僧(1/27)

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新潟りゅーとぴあのレジデンシャル・ダンスカンパニー、金森穣率いるNoismの最新作「Nameless Poison〜黒衣の僧」を東京芸術劇場・小ホールで観る。

アントン・チェーホフの短編小説「黒衣の僧」に着想を得て創作された新作。
と言っても、その「黒衣の僧」という小説は読んだ事が無いので、どれほどの影響を与えているのかは不明。(すみません)

小ホールでの上演だったので、いつもよりも近くで踊りを観る事が出来、大満足。
シリーズ(シリーズなのか?な?)前作の「Nameless Hand〜人形の家」同様ーこちらも静岡の小スタジオで観る事が出来、さらには演劇的要素も多く大・大・大好きだった作品ー、従来のテクニカルでフィジカルなダンスに加え、物語性が全体の作品を通して加味されていて、それがまたもやプラスの要素として働き、ダンスプラスαで楽しめる作品。

物語、そしてそれぞれのキャラクターにあわせた衣装もカラフルでもって、ファッショナブルでそう言った意味でもまたもやひと味もふた味もエクストラで楽しめるダンスプログラム。

でもって、一番重要なポイントであるダンスの面では、ダンサーにも振り付けにもまったくもって文句のつけようがない(ちょっとばかりはどこか抜けているところがあるかな〜〜〜と意地悪く観ても、観れば観るほどにパーフェクト。。。。ってか)!!!ココがやっぱり大事。
胸を張って、海外へもっていけるこのクオリティー!
だから、もっともっと海外進出して欲しい。

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TVロード(1/27マチネ)再見

もう一度、観たくて観たくて、、我慢出来ずにスズナリにて東京乾電池の「TVロード」を、今度は友人をも連れ出して、再見。
同じように平日のマチネだったのだが、今回はほぼ満席状態。
噂がジワジワ広がったのかな〜〜〜?
というのも、観客席の年齢層・観客の層自体がバラバラだったから。

でもって、芝居ですが。。
これ、超はまるわ〜〜〜〜。

永遠にこの人たちを観ていたい、と思わせる変さ加減と絶妙な間と秀逸な台詞。
不条理をこれほどサラッと、違和感無くやってくれる、貴重やわ〜〜、ホンマに。

どこでもありうる平凡な郊外都市の駅前に居合わせた31人(注:前回30人と書きましたが、厳密には31人の出演者です)が普通の人たちが寝静まっている明け方の時間をそれぞれに個人の思いを抱えながら、友人・もと友人・その日初めて会った人らと過ごす数時間を描いたお話。

台詞にならない言葉が聞こえてくるような、でもって一方では耳を疑うようなKYな会話もあり、、これぞ演劇の持つ力!!ありえない展開、ともしかしたらそんなような事もあるかも!?と思わせる絶妙なフィクションのバランス。

こうゆう劇があるから、観劇を止められないんですわ。

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アンチクロックワイズ・ワンダーランド(1/26)再見

本多劇場にて阿佐ヶ谷スパイダース最新公演「アンチクロックワイズ・ワンダーランド」の本公演舞台を観に行く。

プレビューとの比較という部分では、取りたてて、それほどの違いは見つけられなかった。

プレビューは実際に観客の前で演じてみる。。という役者さんたちの為のものだったのかも。
と言うわけで、それほど大きな変更は無かったと思うのだが、笑いが少なく静かに展開していく芝居だけに、それぞれの役者さんたちの出来不出来がけっこうはっきりと表れるという意味ではなかなか役者泣かせの芝居とも言える。今回の公演では、プレス関係者が観客席を陣取っていたせいもあってか、主役の光石さんに前回よりも余計に肩に力が入っていたようにも感じた。

で、舞台が開いてから数日がたち、ちまたのレビューサイトなどでは容赦のない厳しい評が並んでいるようだが、これも`必要過程’と乗り切る事が出来るか?
ま、進まなければ留まるだけ、と考えればこれはこれで、と考えたい。

作者の今現在の素直な、演劇という表現形態に対する疑問を投げかけてみたということで、筋を追わずに観ればいろいろ考えさせられる部分が多々あると思うのだが、一方、劇場の席の中においてけぼりにされてしまった観客も少なからずいるという事も軽視は出来ない事実なのだろう。

それぞれの台詞の謎掛けはけっこう面白いと思うんだけど、ね。

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闘争か、逃走か。(1/26マチネ)

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世田谷パブリックシアター、ネクストジェネレーションシリーズの第二弾「闘争か、逃走か。」を観た。

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彩の国バレエガラ・ブベニチェクとドレスデン国立劇場バレエ団(1/23)

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2010年1月23日 (土)

アンチクロックワイズ・ワンダーランド(1/22プレビュー)

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下北沢、本多劇場で阿佐ヶ谷スパイダース一年半ぶりの新作「アンチクロックワイズ・ワンダーランド」(プレビュー公演)を観る。

せっかく日本では珍しくプレビュー公演を設定、ということで、劇評は本公演を観てからー来週再見の予定ーにさせてもらうが、かなり出来上がりの感のある舞台だったので、プレビュー公演の影響がどれほど本公演に現れるのか、、、またどんな風に?!というのも気にかけながら再度、観劇したいと思う。

ということで、当日のレポートのみ、

まず、長塚圭史の帰国を待ち望んでいたファンがいかに多いのか、を物語るように劇場内は補助席を含め満席状態(これが安価の席R-20というやつなのでしょう)。
帰国第一弾でどんな芝居を見せてくれるのかと、待ちきれずに開幕を今や遅しと見守る演劇ファンで熱気に溢れている。
客席には誰よりも目立ちながらケラリーノ・サンドロヴィッチ様のお姿も。
彼もはやる気持ちを抱きながらプレビューに駆けつけたのか?
(もしも、観劇後に長塚氏とケラ氏の対談、チャットなどがあったのだとしたら、そちらの方のそれぞれに与える影響力に興味津々。。。。なぜならば、善くも悪くも、、と言うか、全面的に良い流れとして、ケラさんから長塚さんへと伝えられるものは沢山あると思うので。)

で、劇の中味については後日。。として、

終演後の客席の反応が「とまどい」と「歓待」とが入り交じっていて、その半々の反応がダイレクトに拍手に現れていて興味深かった。

いずれにせよ、阿佐スパも長塚さんも一歩を踏み出し始めたということで、これで良いのだと思う。
今、帰国第一弾としてやるべき芝居をうった、ということで、ここからまた、まさに再始動。
これからも、楽しみですね〜〜〜。

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ウーマン・イン・ホワイト(1/22マチネ)

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[キャッツ」「オペラ座の怪人」「アスペクツ・オブ・ラブ」などの大ヒットミュージカルの生みの親:作曲家、サー・アンドリュー・ロイド・ウェバーの04年ウェストエンド初演作品「ウーマン・イン・ホワイト」の日本版の再演(07年初演)を青山劇場で観る。

ロンドン公演時は映像を多用した舞台が賛否両論、その後主要キャストの病気による降板なども重なり(公演期間後半に起用された新キャストが上々の評判をとり、盛りかえしもあったようだが)初演から19ヶ月後の06年には幕を閉じるという、ロイド・ウェバーの作品にしては短命に終わった作品。

そのイマイチの原因は舞台セットや配役だけにあったとは思えない。やはりちょっとそのイマイチ古くさいお話ー今の時代にあれだけの女性軽視、夫による日常的なDV、女性の価値が見た目のみという短絡さーにも大きな要因があったと思わざるを得ない。
今更、女性ががんばって傲慢な男をやっつける。。。って何???
ま、原作はそのミステリーの要素が生きていたのでしょうが、今の時代にその謎解きがハラハラさせるほどのオチでも無く、かと言って、肝心の音楽の方もどこかで以前聞いたような、、そうオペラ座。。の焼き直しのようなメロディーの繰り返しなので、今更感がますます募ってしまって、またもや放心状態「なんで私、今、このミュージカルを観ているのかしらん!?」にて劇場を去る。

やっぱり、そろそろオリジナルの日本ミュージカルを!って時期なんじゃないの?
それこそ、今流行の戦国でミュージカル。。江戸でミュージカル。。大奥でミュージカルとか、いいんじゃない?

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血は立ったまま眠っている(1/21)

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TVロード(1/21マチネ)

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東京乾電池、加藤一浩作・演出「TVロード」を下北沢スズナリにて観劇。

マチネ公演ということ、そしてその回の公演のチケットは劇団扱いのみという特殊な回だったことも影響したのか、客席は余裕のスペースでゆったり観劇出来る状態で、ゆる〜〜〜〜い感じで観劇。

で、劇もいかにも加藤作品らしい、なんとも不条理なゆる〜〜〜いトーン。
そのなんともゆるゆるな中で、他の劇団では絶対に観ることが出来ない、ハイクオリティーな不条理劇。
これ、かなりお値打ちな公演です。

お値打ちどころか、またもや年末に思い返したら年間ベスト10に入れたくなってしまうかもしれないほど、深〜〜〜〜い〜〜〜〜舞台。
30人という多勢のキャストが入れ替わり登場し、無責任発言を繰り返しては去って行くのだが、時々台詞を聞きとれないかも。。という超マイナーな点以外(だったら書くなという話なんですが)、文句のつけようがないインターレクチュアルな翻にまたもやノックアウト状態。

噛めば噛むほど、味が出る、観れば観るほど、、、また通いたくなる、成熟した芝居です。

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インコは黒猫を探す(1/20)

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ウーマンズ・アイズ(1/19マチネ)

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S高原から(三条会)

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下北沢スズナリで三条会の「S高原から」の楽日公演を観る。

千秋楽だからなのか、口コミ影響なのか、会場は満杯で、追加席を設置しても設置しても、間に合わないような状態。
主催で演出の関氏、自ら座布団を運んで追加の席へと誘導。若干の遅れの中、やっとのことおさまり開演へ。

そう言えば前にもポツドールの三浦氏が演出した「S高原から」をアゴラ劇場で観たな〜〜と思い、検索してみたら、その際に三条会も「S高原から」を上演していたのでした(05年)。
*「ニセS高原から」という企画公演で、4人の新進演出家
島林愛(蜻蛉玉)
関美能留(三条会)
前田司郎(五反田団)
三浦大輔(ポツドール)
がそれぞれに平田オリザの戯曲「S高原から」を演出し、その4作品を連続上演するという画期的なものの中の1本でした。

その時には三浦氏の作品しか観ていなかったのですが(おいしい企画だったのに。。。見逃しているのはイタい。。。アゴラの企画公演はチェックしておかないと。。ね)、どうも今回の上演作品とは異なるもののようで、今回はまた新たに作り直した作品のようでした。

で、公演の方ですが、
先日の「三月の3日間」公演同様、本家とは異なったアプローチで

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2010年1月16日 (土)

ソコバケツノソコ

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シアタートラムにてBatikの黒田育世の独舞「ソコバケツノソコ」を観る。

今回は飴屋法水の演出で黒田と飴屋の二人で作り上げた作品で彼女の辿った時間を遡る。

客席をとっぱらったシアターコクーンの平間の舞台。オールスタンディング形式で観客が回りをぐるっと取り囲む中、素の黒田育世が登場。会場を大きく一周練り歩いた後、中央のダンススペースへ。その瞬間、天井から様々なスタイルの靴が大量に降ってくる。

その中のひとつを選んで履いた黒田は、映画「赤い靴」の少女のように踊り始める。
壁面には彼女の幼い頃からの踊り(バレエ)に関わるヒストリーが映し出され、その彼女を形成してきた時間と踊りに対する思い、少女の心に残された孤独が、ダンス・音楽・(他の出演者を交えての)パフォーマンス・語り。。で綴られる。

踊りにとりつかれた彼女の源を探るその舞台。時に息苦しく、、時に切ない。

観ていて、ふと、ジョン・アーヴィング原作の映画「ホテル・ニューハンプシャー」で自分を直視できず、熊のぬいぐるみを着て日々を過ごすナスターシャ・キンスキー演ずる娘のことを思い出した。
イタい。。


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EKKKYO~!(1/15)

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若手パフォーマンス集団が集まり、それぞれに20分〜ぐらいのショート作品を提供するEKKKYO~!フェスティバル。冨士山アネットの長谷川寧が中止となりプログラミングをしている。

下北沢のスズナリでEKKKYO第一回公演をやった際に今回上演の東京芸術劇場の芸術監督、野田秀樹氏が観に来ていて、ぜひウチの劇場で、、という流れになり、今回の第2回目が実現したとか。

で、今回の参加団体は:
冨士山アネット(今回、作品には長谷川氏は出演していない)、ままごと、ライン京急、モモンガ・コンプレックス、CASTAYA Project,岡崎藝術座の6団体。

フルレングスの公演ではないということもあり、フェスティバル=学園祭のノリっぽく、それぞれにかなり遊んでくれている。
回りの反応からすると、それぞれにご贔屓の団体観たさに集まってきたと言う感じ。。と言うのも、ご贔屓の団体では観劇する真剣さに差が出ているみたいなので。でもって、それ以外にもまだ未見であった面白そうな他の劇団・ダンスカンパニーの舞台もダイジェスト版で観ることが出来て、お得感満載といった満足気なお客さん多し。でもって、観客層はかなり若者の方に傾いている。

それぞれに好き嫌いもあるだろうし、何と言ってもお祭りなので、それぞれのプログラムへの感想というよりは、今回のこの企画に関してのコメントを少しばかり。

昨年の夏に隅田川沿いのAsahi Art Squareで開催された「吾妻橋ダンスクロッシング」ーこちらは複数のカンパニーによるコンテンポラリーダンスのフェスーではブログでも書いたように出入り自由の飲食自由だったのだが、どうせだったら、劇場内で飲食は難しいまでも、オールスタンディングにするとか、出入り自由な雰囲気を作るとか。。。。もう少し観客側にも自由が欲しかったかな?

http://thestage.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/11-31ac.html

そうゆう意味では、開演前に行われていたロビーでのおまけパフォーマンス。。あんな感じで本編もやって欲しかったです。
そうしたら、CASTAYAさんのパフォーマンスでも、観客がもうちょっと自由に遊べたかも。

そう言えば、そのCASTAYAさんのパフォーマンスの直後に、席を立った人がいて、ロビーへ出たあとでもその人の不満の怒号が中まで聞こえてきて、、、てっきり、というか絶対パフォーマンスの趣向の一つだと思っていた(客席のほとんどがそう確信していたと思います)のですが、上演後のポストパフォーマンストークではそうではなくて、本当にそのお客さんは起こって帰ったんだ、、という話になっていました。
マジっすか?え〜〜〜〜趣向の一つでしょ?教えて〜〜〜。

ま、それが本当だとしたら、とにかく怒りを発散させてから帰っていったみたいなので、それだけがせめてもの救いですが。

最後に。。冨士山アネット、ままごとが今回のお気に入りでした。

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2010年1月14日 (木)

やみ夜(1/14)

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シアターXにて、ドイツの演劇界の第一線で活躍されている渡邊和子さん構成・演出・美術・衣装の樋口一葉原作の芝居「やみ夜」を観る。

マチネ公演で、千秋楽だったのだが劇場には演劇関係者、お忙しいであろう有名な役者さんたち(これだけ揃うのをみかけるのも珍しい)がつめかけていた。

演出から美術まで、全てが渡邊さんの頭の中で出来上がっていて、彼女の美的感覚、インターレクチュアルな世界観が舞台上で展開していたのだが、それのどれほどが客席まで届いていたのか?はちょっと疑問。
明治初期の話ながら、舞台上は透ける布で囲われた氷山、もしくは霧のお城(パンフレットの会談によると主人公を罠にかけるクモの巣城なんだそうな)が圧倒的な存在感でもって鎮座し、、、その中には若き謎の女主人と侍従の老夫婦が住んでいる設定となっている。
登場人物はその女主人と老夫婦、それに女主人を慕う若い青年、という4人。

何と言っても、そのクモの巣が存在感が大きすぎて、そこに何らかの演出意図を、、というかそのセット作るの大変だったろうな〜〜〜だからそれなりに意味があるんだよね、とそればかりに心が奪われ、、
で、キャスティングでは若い女主人を座組一番の高齢者が演じ、反対に老夫婦は彼女よりも明かに若い二人が演じている。って、これに関しても絶対何らかの特別な意味が、、、とそちらが気になってしょうがない。
でもって、その若づくりの女主人が話す言葉と他の役者の話す言葉の語調が違うので、その切り替えにもついて行かなくてはならなくて。。。。

こんなに、いろんな事に疑いだの、特殊な意味を勘ぐってしまっていたおかげで、肝心の劇の筋の流れがおろそかに。。。あちゃ〜〜〜〜。
これがとってももったいない。

でもって、後半になって、その結構シンプルなストーリーに慣れ親しんできて、役者さんたちものってきたぞ!というところで終わってしまった。

劇の途中で舞台奥の、普段は閉じられている平面が開いて、その後ろを役者が行き来をする場面があったのだが、そこの空いた空間、遠くの方で見えない闇に最大限イマジネーションがかきたてられたのですが。。。あと、舞台半分の空き空間での芝居にも、、、

もっといろんなところに風穴開けて、全体的にいろいろな意味で風通しをよくしたら、もっともっといろいろなものが見えてきたのかも。
日本戯曲の外国人の観客へのアプローチと日本人観客への見せ方の違いー例えば、野田さんの英国人向け芝居The Diverとかでも考えさせられたけどーなんてものの違いに関して、、違う方法をとった方が良い例もある(もちろん、そのままどこでも通じるという種の芝居もあるんだろうけど)んだろうな、と感じた。

芝居の質の善し悪しに関係なく、海外輸出向けの作品と、上質にもかかわらず海外には向かない作品があるのと同じように。
全てに通じるものが良いとは一概には言えないことは絶対!として。

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三月の5日間(1/13)

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岡田利規の05年、岸田國士戯曲賞受賞作品「三月の5日間」を岡田氏=チェルフィッチュではなく、別劇団・オーストラ・マコンドーの倉本朋幸氏が演出した舞台を赤坂のレッドシアターで観る。

これが旗揚げ公演という劇団で、演出、そして劇団代表のの倉本氏が公演ごとにキャスト、スタッフを集めー主要メンバーとして河合龍之介・岡田あがさ・兼多利明もなお連ねるーて公演をうっていくという。

日本では戯曲(特に、近年書かれて上演されている)が単独でオリジナル上演劇団を離れて上演されることがあまりないのだが(青年団グループ内の平田戯曲ぐらいかな?)、この試みがと〜〜〜〜〜〜〜っても面白く、作品の出来に関しても、オリジナルと甲乙つけがたい。。。演出の倉本氏がプレスリリースで語っているように、ある意味、本家のチェルフィッチュとは真逆の方法論で作り上げている。。。ほどに傑出した出来であった。

戯曲賞の受賞選評ー「いよいよ出てきたというべき才能。。。或は。どこに隠れていたのよ、というべき才能(野田秀樹氏評)」ーが示すように、まずもってこの戯曲の素晴らしさを改めて示してくれているところがこの舞台の素晴らしい点。観れば観るほど、そして台詞を聞けば聞くほどに、この戯曲の計算し尽くされたすごさに今更ながらに驚かされる。
(先日の「世界の秘密と田中」の熟れた台詞術とこのエッジーな、動物的本能から出てくる台詞、やっぱり世代によって違ってくるよね〜。それを日替わりで楽しめる贅沢さ!)

厳密に言えば、岡田氏の「三月の5日間」の翻をそのまま忠実に上演しているわけでは無いので、確かにその点では、脚色・倉本朋幸のクレジットを入れるべきであるとは思うが、出来上がった作品のオリジナルへのリスペクトをみれば、、岡田氏も納得しての事なのか?!

前述のように、本家チェルフィッチュ作品とは表裏を成す作品づくりではあるのだが、せっかく再演、それも他の人が演出するのだからチェルフィッチュの焼き直しではマズいだろう。それだったら最初から、今やる意味が無いし。
チェルフィッチュのオリジナルが岡田氏の演出も含めて、大いに評価されていることは百も承知しているのだが、、今回の舞台を観て「もしかしたら、このやり方の方がもしかしたら、ある意味伝わり易いかも。でもって、`易い’というのは悪い事ではないかも。」と思った次第です。

双方ともに作品の核である、21世紀の渋谷で生きている若者たちの捉え方、彼らの描き方はブレておらず、その点で全く双方遜色は無い。
で、オリジナルの方は伝えたい事を効果的に伝えるために、焦点を絞って、余計なものは削ぎ落とした形で強烈なインパクトで客へ作品を届けている。一方、今回の再演に関しては、その再演という、それも多くの人がオリジナルを読むなり、観たりしているだろうという事をふまえた上で、その完成形にエクストラで継ぎ足し、さらに今の瞬間の、時間が進んだ新「三月の5日間」を提供している。

イラク戦争どころか、その後のアフガニスタンの内政混乱、イランの国内分裂、世界的自爆テロの増殖、そして当時はまだ知らされていなかった欧米大国の陰謀を知ってしまっているわれわれが、今それらの世界情勢と並列して渋谷で過ごす日々を舞台から伝えるのに効果的な方法は?と取り組み直し、出来上がった作品。
若者たちはさらに孤立化し、世界はさらなる対立と一部の人間達のConspiracyで充満し、、、という世界をネジの抜けた会話のやりとり(これが絶妙)と今どきの不思議君たちの日常から見せてくれている。
フリーター君たちが反戦デモに参加し、その体験を友達に伝えようとする、劇の中心となるエピソードのくだりが秀逸。

イラク戦争の反対デモどころか、戦争は既に起きていて、フセインは穴蔵から引っ張りだされて公開絞首刑にかかり、にもかかわらず、その後に戦争の直接的原因であったはずの大量破壊兵器は無かったことが判明し、、、その過ちに対する責任は霧の中のまま、対立構造は深まるばかりで、グアンタナモ刑務所、、イラクの捕虜虐待、アフガニスタン、イラン、パキスタン。。。。こんな世界にはびこる矛盾の一端を東京の若者の目を通して、体感的に納得できる方法で示してくれていた。

もう一つの「三月の5日間」。
今観ないと後悔する芝居の一つです。

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2010年1月13日 (水)

世界の秘密と田中(1/12)

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紀伊国屋ホールにてラッパ屋の新作、「世界の秘密と田中」を観る。

サラリーマン新劇と自らで名のるだけあって、紀伊国屋の劇場は会社帰りのリーマン・リーウーマンで満杯である。心なしか、他の劇場ー若者中心の小劇場、ダンスの会場、またリッチなお姉様が集うミュージカル上演劇場ーよりはパッと見の客席の色も地味〜〜〜〜である(我もそれに同調す)。

で、今回は特に不惑の40代、リーマンという職業の中盤にさしかかった人々のその不惑の戸惑いを、巧みな比喩で表した作品となっている。

主人公の田中くん(福本栄介)はそれこそどこにでもいる、が、さらにかなり人の良い、邪気の無い40歳になるサラリーマン。彼はどの部屋も同じ作り付けの家具が備えられたアパートーこのどこも同じという設定のおかげで場面が自由に変換できる仕掛けになっているーで一人暮らし。
仕事にも恋愛にも行き詰まる田中くん。そして、彼の回りの人々も、それぞれに人生の転換期、精算期にさしかかっていてどちらへ進むべきなのか、悩んでいたりする。
それぞれが悩み、決断し、時にはその決断が思わぬ結果を生み、、、と彼らの日々が(主に)笑いあり、そして時たまホロリがあり、考えさせられる瞬間があり、、と舞台の上で進んでいき、最後にはすっきりとある種の答えを導きだしてくれるというお芝居。

で、帰り道の道すがら、野田秀樹さんのひつまぶし目当てでアエラを買って、読んでいたら、、、あらら、あらあら、今しがた観てきたお芝居の記事編が掲載されていた。

「幸せ」にすがらない。。という表題のその巻頭記事では以前とは生き方を変えーほとんどの人がバリバリと働いていた自分をリセットして、お金は以前ほどは無いが、家族と充実した日々を過ごしている、というのが報告結果であるという記事ー自分なりの幸せを見つけたという締めくくりとなっている。

まさに、田中くん達の場合も、、、なのである。

言われてみれば、そりゃそうだ、と逆にびっくりするほどのベタなオチなのであるが、、、やっぱり、観客は`それ’を聞きたいのだろう、と思う。

若者たちのなんだか分らない訴え、今どきのヴォイスばっかり聞かされる一方ではなく、おじさんやおばさんたちはこんな事を思っているのよ、とたまには世の人々に対して、声をあげたいのだろう。
しかしながら、その声が、いまだに強がっていて、とっても他の人たちのことを気遣っていて、、、それこそ笑いながらちょっと愚痴ってみました。。。って、まだまだこの年齢の人々に余力が残っているという事なのかな〜〜〜?それならば良いのですが。ね。


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2010年1月12日 (火)

光る河(1/8昼)

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演劇ユニット・てがみ座の「光る河」を下北沢の「劇」小劇場で観る。

tpt09年公演「醜い男」で好演していた田村元さんが出演するというので、お誘いを受け、新年明け初めての下北沢観劇となった。

まず、元さんですが、彼のいわゆる正統派の二枚目という本来持っているものが活かされていて、当たりのキャスティング。今どき、なかなかいませんよ、若い正統派の二枚目というのは。
なかなかいないというところで、そのような役どころ自体もなかなか巡ってこないのかもしれないけど、そのまま`かっこい良い人’というので出てこられると素直にこの線を伸ばしていっても良いんではないか?と思います。ーま、屈折した役とかもちょこちょこ挟みながらになるんでしょうがー昔は小劇場でもそれぞれの劇団に二枚目看板と言う人がいたんですが、ね〜。これも時代の流れなんでしょうか?
なんたって草食ってる男子ですから。今は。


で、お芝居の方ですが、
劇作家・長田育恵さんと女優・梶山明子さんが08年に創立したてがみ座の第二弾公演の「光る河」。

新興住宅地に流れる河川敷に長く住み着いているホームレスの親子と謎の初老の男。
その川を見下ろす高台に建てられた高級マンションに住む若い夫婦。
交わる事のなかった別々の世界に住む彼らが、土砂降りの雨の中で起こってしまったホームレスの男ひき逃げ事件(?)をきっかけに、それぞれの世界から越境して関わりあっていくことになる。
それまでは見えていても見ないふりをしていた隣接する全く違う世界で、人の痛みを知ることとなる。

と、今の格差社会を別の角度から見直してみようという、とても真摯なお芝居。

それこそ、前夜に観た「東京月光魔曲」同様、うわべだけでは人は判断出来ないよ!という苦言も含まれていたりする。

で、かなり丁寧に、またキャスティングに関してもとっても注意深く行ってくれていて、見終わって、それなりの重量感、満足感が得られる作品なのですが、一つだけ言わせていただくと。。。

冒頭のところで、ひき逃げをしたと思い込む若妻が保身のため、さらには幼い家族のために思い悩むというシーン。それに続いて夫が自ら状況判断をして、それは事故に違いないので妻も自分も安泰、ほっとしたところでビールを飲んで、、、安心したら小腹もすいている事に気がついて、お茶漬けを作ってくれと妻に頼むシーン。
結局、妻は事実を出来うる限り隠し通そうとするのだが、
このやりとりがとっても気持ちが悪い。
仮にも人が死んでいるんですから。。
様々な状況を判断して、最も利口に立ち振る舞うのが賢い大人、、というのかもしれないが、では、死んでしまったホームレスのおじさんの事はどうなるの?と。

結局、その登場しないおじさんの人生ということで、その後の話が動いていって、最終的には彼らも一歩を踏み出すことにはなるので、全て計算づくと言えばそれまでなのだが、、

子供の将来を危惧するあまりー犯罪者の子供にしたくは無いー、やむを得ず事故を隠し通す母!?ってそんな社会的責任の取り方もまっとうに出来ない親のー事故にせよ自分のやった事には責任をもって対処するのが大人ー子供の将来の方が危ぶまれるというもの。その上、その母親が被害者のように扱われているのにもやっぱり疑問!?を感じた。

あの晩に、あの夫婦の会話の中でもう少し深い葛藤、せめぎ合い、話し合い、があって欲しかった。
だって、いまだにもしかしたらあのホームレスのおじさんはひかれる直前までは息があって、とどめをさしたのが車の衝突であったかもしれないのだから、、、やっぱり人が一人死んでるんだから、その事をもう少しあの若夫婦二人には重く受け止めて欲しかった。

ま、この感想も想定内なのかもしれませんが。


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2010年1月 8日 (金)

東京月光魔曲(1/7)

またまた観てしまいましたよ、東京月光魔曲。

3時間半の長丁場。その中で、時間が行ったり来たり、人が入ったり出たり、、、でもって、それぞれが何かイチモツー秘密ーを腹に抱え込んでいて。。。というので、その謎を追っていくのになかなか体力が必要な芝居。
しかしながら、その力を十分に蓄えた状態で観ると、まるで長編小説を読んだような重量感ある満足度の得られる傑作。

シェイクスピアのマクベス中の台詞「綺麗は汚い、汚いは綺麗」のように、世の中、物事の表面に見えるものだけでは判断は出来ないよ!全てのものにウラがあり、それぞれ個々に別途の事情があり、いわゆるマニュアル本で識別できるような人間なんて一っ子一人存在しないのさ〜〜〜〜、それが人間、それが現実の世の中さ〜〜〜〜、というケラの高らかな笑いが聞こえてきそう。

現代のようなDNA鑑定でアナ・ニコール・スミスの子供のお父ちゃんが分ってしまうような世の中ではなく、かなりアナログな判断基準で世の中が成り立っていた、それだけに秘密というものが怪しげで、それぞれが意味を含んでいた、人間関係にワケアリがからみついていた、そんな時代のお話。

コンピューターや技術の進歩により、以前は神秘的であったものー例えばクローン人間なんていうのも現実的になりつつあるわけで、男女の生み分けどころか、カスタマイズされた子供が生まれてくる世の中ですからーが人の欲望により作為的にコントロールすることが可能になってきている今、果たして人は「進歩」しているのだろうか?と疑ってしまう事さえある。

例えば、タイガーの浮気騒動。
もちろん、奥方の身になれば、「ヒドい奴!」と世間からせめられるのも当然。なのだろうが、これが一昔前、パパラッチなるものも無く、売名行為の為に愛人・恋人がネタを軽々しく売るなんて風潮もなく、一夜にして家庭の事情が世界何億人に知られる事になる、、なんてことにはならなかったとしたら。。。多くの慰謝料を払っての離婚というのはあり得たかもしれないが、ゴルフの表舞台に出る事が出来ず、ノイローゼでツアー復帰がいつになることやら、なんて事までには発展していなかったのかも。
これで、タイガーのキャリアに終止符。。。なんてことになったら、
騒ぎ立てていたマスコミもショボン。。なんでないの?

人類の進歩、自由な選択。。。。。と浮かれているその背後には不気味な月光が光ってはいないだろうか?便利で自由になるために、様々な根源の「自由」を放棄してはいないか?


豪華キャストでエンターティンメントな楽しみを与えてくれている一方で、いつもながらのケラの問いかけには全くブレを感じない。骨太で普遍性がある。

やっぱり、しばらくこの作家から目が離せない。

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