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2009年11月

2009年11月29日 (日)

デッド・キャット・バウンス

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F/Tの実体験型プログラム、アメリカ人演出家クリス・コンデックが現在活動するドイツで制作した観客みんなでショート、ショートの株取引実体験をするという演劇。

実際のロンドン株取引にネット株売買の手法で参加、チケット代をもとでに一緒に劇場でディーリングをしてみましょう、というもの。

エキサイティングなアイディアじゃないの!とわくわくしながら西すがも創造舎へ。

で、参加した感想は、、う〜〜〜〜〜〜ん、、なぜに今ひとつの盛り上がりだったのか?観劇(?)後の感想がこれでした。

言葉の壁?ーかなりスピーディーに、でもって完璧に同時通訳してくれていたのですが、如何せん、やっぱり流れが途切れるよね。で、通訳という一段階を経ることで、作り物っぽい感、、一番体感させたいライブのトレーディングという臨場感がどうしても薄れるかも。かと言って、やっぱり同時通訳以外に日本での上演はないのかも。
面白そうと感じた人はチャンスがあれば海外で(ヨーロッパ、米国など)で通訳無しの臨場感で体感してみるのも良いかも。

やっぱり、実際にお金が動いているとは言え、観客全員での分配・全体責任だから、あまりリスキー感が無いのかな?
ま、上演意図の一つとして言っていたように、とっかかりとしては良いのかもしれないけど、やっぱりお金だから、賭け事でも、株のディーリングでも、、やっぱり自分のお金で(一人100円でも)、個人個人で駆け引きするところに醍醐味が生まれるのかも。

それと、やっぱり主題となっている取引のお金の額が、、1円とか10円とかでは、、っていうのも。
ま、体験するのが目的で、儲けるのは二の次と言えば、しょうがいないと言えばそうなんだけど、、
そう言う意味では、以前、PortBのツアーパフォーマンスの時にバスの中で競艇の実況中継をしながら、チケットの収益一部金を競艇レースに賭け、それが当たるかどうか、、を見守った感覚の方がドキドキ感があったかも。

で、最後に、これはライブならでは、という結果なのですが、丁度、参加した日がどうもマーケット全体が冷え込んでいた日にあたってしまったらしく、取引開始から今日、儲けるのはほとんど不可能という状況下にあったことも。。ちょっと寂しかった要因の一つであったようです。

これこそ、しょがいない。。。。

そんなこんなで、、上演サイドは大変だろうな〜、と、これも観劇後の感想でした。


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ハシムラ東郷(11/24)

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座・高円寺にて燐光群、坂手洋二の新作「ハシムラ東郷」を観る。

1907年、米国新聞コラム欄にデビューした`ハシムラ東郷’と名乗る日本人。当初、本人の素性は謎とされていたが後にアメリカ人コラムニストが自国、アメリカを批判する第三の男の目としてでっちあげた架空の日本人留学生だということが判明。しかしながら、その文法も、スペルも間違いだらけの英語を操り、違った文化背景を通して観察したアメリカ人をおもしろ可笑しく批評するコラムが人気を博し、その後も連載が長い間続き、映画化までされたという。

宇沢美子さんの著書「ハシムラ東郷 イエローフェイスのアメリカ異人伝」という本をもとに坂手さんが戯曲化、その際に宇沢さんの他のフェミニズム関連の著書も副題として劇に折り込み、フリーダムの国、世界最先端の他民族国家(その実現を夢みている)アメリカ社会の100年変わらない実情を伝えようというお芝居。

いつもながら、目の着けどころが面白くて、「ハシムラ東郷」なる存在にも大いに興味をそそられるところなのだが、如何せん、ちょっとテーマを欲張りすぎて、2時間15分でも、結局まとまらなかったなというのが正直な感想。

2重にも3重にも屈折した有色人種との共存問題をやりたいなら、ハシムラのシニカルな笑いを有効に使って、その線で骨太なものが出来たように思うのだが、そこにフェミニズムだの、さらにアメリカンジョークを説明しなくてはならないややこしさ、などなどがからまってきて、結局、劇が空中分解してしまったように感じる。

その空中分解は役者の演技にまで波及していて、なんだか、いつもは固い役者陣の演技が幕が開けて数日たっているのにもかかわらず、カムはトチルはで、どうしちゃったのか?
会話調ではなく、原作からの文をそのまま使用している箇所が多いから?
そうゆうもんでもないんだろうから、、劇の流れにどこかつっかかるところがあったのかしら?

面白い題材だと思うんだけど。。。

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12人の怒れる男(11/19)

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法廷劇の代名詞とも言える本作。日本では三谷幸喜氏が57年製作、シドニー・ルメット監督、ヘンリー・フォンダ主演の映画版を題材にして「12人の優しい日本人」としてウィットと現代性を加味し、脚色した新作を演劇上演。その三谷版から本家の映画を知る事となった人も多いはず。

で、そんな古典の王道戯曲を蜷川幸雄が演出すると。。となるのですが、今回はと〜〜っても素直に演出なさってました。

舞台こそ、対面式の客席中央に設置された横長舞台ながら、12人の陪審員が一同に会するテーブルが横長で、その回りから彼らの審議を覗き込むようにな設定ということではいたってストレートな舞台づくりでもあります。

12人の男ー翻で既に、それぞれにかなり個性的なキャラクターが設定済みー、つまり12人の男優が見せる、言ってしまえば、それが全ての舞台であって、その意味では全てが想定内。
法廷劇の代名詞ともなっている`話’に関しては、あまりにもよく出来すぎているので、文句のつけようはもちろんどこにも無くて、それをこれほどまでにストレートに、それも上手く演出してもらうと、そうなると逆に「ま、そうだよね〜〜〜」と驚くところはどこにも無し。
全てが、想定内の合格点の出来なのである。

後ろの席の熟女のお友達同士がしきりと「上手いわね〜〜〜。役者さんたち」と感心なさってましたが、「そりゃそうだろ、じゃなきゃコクーンの舞台の上にはいないわな〜〜。」とつっこみをいれたくなったのですが、「上手い」かもしれないけど(かもね)、字幕を読む煩わしさはあっても映画版の方が良くないか(イントネーション、いわゆる若者言葉の「よくない?」ですから、ここは)?とさらにつっこみたくなるわけです。
そりゃ、上手いけど、、、けど、って感じでした。分っていただけるでしょうか?

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2009年11月25日 (水)

水晶の夜(11/12)

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東京ミルクホールの「水晶の夜 グーテンターク!私たち、日本のとある元祖有名少女歌劇団です。」を池袋東京芸術劇場小ホール2(おとなりの1では度々観劇していたのですが、この小ホール2という劇場にはあまり縁がなかったみたい。こっちは額縁形式舞台があって、固定の客席もあるんですね〜〜。かえって小劇場だとおとなりの1のようなどうにでも舞台&客席がつくれる空間の方が使い勝手が良いんでしょうか。)で友人と連れ立って観劇。

数ヶ月前になるが主催、作・演出、そして出演の佐野崇匡さんと知人を介して知り合ったことがきっかけで、観に行ったのだが、これが、これが、なかなか予想外ーかってに若手の小劇団というある決まったイメージを抱いていた私がいけないのですがーの展開と思わず笑わずにはいられない可笑しさ(これ観て笑わない人はちょっと屈折してるでしょ)で大当たりの楽しい観劇体験でした。友人と二人で行ったのも結果として大正解で、と言うのも池袋の夜の街ニタニタしながら一人で帰るというのもちょっと何なんで、その可笑しさをすぐさま共用できる友人の存在が大きかったわけです。

ドイツ文学(特に演劇)研究者の第一人者の岩渕達治先生のノンフィクション小説「水晶の夜、タカラヅカ」をもとに脚色した作品、とのことですが、すみません原作を読んでないのですが、翻案をいただいた程度で絶対かなりの部分が脚色だと思われます。。。で、原文は果たして残っているのか?と心配になるほどの喜劇、それもかなりインプロっぽい客とのやりとりで笑いを積極的にとっていくような、良い意味でベタなお笑い度のかなり高い作品でした。
(初日ということもあり、その岩渕先生自らも観劇にいらしていたのですが、思う存分笑ってもらえたことを願うばかりです。別モノということで楽しんでいただはず、と全然関係ない分際ではありますが信じております。)

男ばかりの劇団で男優陣が女性役を演じー実際今回は女の園・タカラヅカの話だったのでほとんどが女子学生役ー日舞や殺陣、ダンスを入れたエンターテイメント芝居。
男性オンリーということでネオ歌舞伎集団、花組芝居を思い浮かべたりしましたが、実際、こちらの東京ミルクホールは女形=歌舞伎、というよりは野郎集団のお笑い重視の劇団という趣。
で、何と言っても、その思い、自分たちの笑いに対する思いが。。。今どきめずらしく`熱い’!
どんな事をしてもー実際、時としてその思いが強すぎて、ちょっと冗長気味に長引くシーンもーという、笑わせたいパワーが舞台から熱波のごとく伝わって参りました。
で、これほどまでに100%、いやそれどころか120%の全力投球でやってもらえると、この後大丈夫なのかいな?と心配になるほど。しかしながら、「分ってもらえないのはお客が悪い」とまで言われかねない、もしくは「ボクのこの感性・知性はどうせ伝わらないさ」とスネられかねないこの冷めたご時世にあって、この熱さは貴重です。
やっぱり、お客様でいて、幸せだわ〜〜〜〜、と思わせてくれる。でもって、次回はどのくらいまでその思いをまたもやヒートアップさせて見せてくれるのかと思わせてくれるような、そんな、ついご贔屓になってしまいそうな好感度満点の劇団でございました。

後日、劇団のHPを覗いていたら、佐野さんの経歴ーS.E.Tの研究生となり、その後WAHAHA本舗で演出助手、そして宝塚歌劇団でも演出助手を努めるーとあり、ものすごく納得したのでした。


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2009年11月23日 (月)

Life On The Planet(11/13)

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小田急線、新百合丘にある川崎市アートセンターで上演されている「Life On The Planet」という作品の初日を観劇。

注目の演出家、阿部初美、による松田正隆執筆の断片テキストを舞台化した作品、とのこと。

舞台は地上と地下の二層構造になっていて、地下部分の薄暗い蛍光灯の下に整然と並んだプランターでは植物が栽培されている様子。研究員らしき人々が時たま現れ、彼らがそこの管理を人工的に行っているという状況が見て取れる。で、階上では二つの場面ー目前の死と向き合っている老人とその家族。性・そして生を確かめ合う若いカップル。そして、傍らのスクリーンには大自然の脅威がそのとてつもない姿が大スクリーンに映し出されていく。

で、今日、たまたまBBCのニュースを観ていたら、このシーンと全く同じようなプランター栽培の画像が目に呼び込んで来た。
ニュースは日本からのレポートで、食料自給率が最低(知ってました?先進国のなかで最低なんですって!)となった日本では完全にコンピューターでコントロールされた人工栽培野菜の開発が盛んで、そんな安定した栽培方法によって、国内生産野菜を売りとして商売を展開している大手レストランチェーン店(大戸屋)が人気となっている、と言ったものだったのですが、つい10日ほど前に観た、不思議な舞台セットが「これだったのか!」と突然明らかになり、やっとのことで、遅ればせながらこの芝居のやりたかったことなどなどがもう少し分って来たという。。。もし、この画を観ていなかったらず〜〜〜っとなぞのままだったろうな〜〜〜、というお話。

舞台を観劇した時には、正直、なんで今更エコとか自然環境保護をあんな大きなスクリーンで綺麗な自然の画像を見せるなんてベタな方法で訴えるのかな???ーもしも自然を感知したいのなら、朝起きて近所を散歩した方が、自然は感じるのには数倍も効果的だわな〜、なんてーはたまた、階上のあの老人、若者達の生活と階下のプランター室との関係も今ひとつはっきりしないまま、「わかんね〜〜〜」と思いながら雨の川崎を後にしたのだが、なるほど、あのプランター室は近未来、人間の日常生活を支えることになる、強いては生まれてから死ぬまでをコントロールしてもらうことになる命の人工飼育施設だったわけね〜〜、で、あの自然の映像は過去の遺産だったわけか、、、とやっと分りました。

ちょっと、すっきりしたけど、もしもあのBBCの放送を観ていなかったらと思うと、、、人に分るように伝えるのって難しいね。

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2009年11月22日 (日)

赤鬼・農業少女 (タイバージョン)

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野田秀樹新芸術監督のもと、着実に軌道に乗りつつある池袋・東京芸術劇場での芸術監督就任記念プログラム、タイの役者・演出家による野田秀樹作「赤鬼」「農業少女」の上演を2本続けて観劇する。

「赤鬼」に関しては以前97年にタイの役者たちによるタイバージョンというのが既に制作されていて、そのタイバージョンに関しては再演もされているのだが、そのときには演出を野田氏自らが担当した。今回のパンフレットの冒頭でも氏が語っているようにアジアの演劇人との演劇コラボレーションの先駆けとなった作品としても、記憶をされている方が多いと思う。

その後、燐光群が継続してフィリピン演劇人とのコラボレーション作品を発表したり、青年団の韓国・平田オリザ氏の中国とのコラボ作品、世田谷パブリックでのアジア数カ国との大規模な共同作業作品、、とアジアの演劇との関わりがー必然性もありー年々深まって来ている昨今の状況に、97年の「赤鬼、タイバージョン」の公演が大きく拍車をかけた事はやはりが野田氏も自負するように明白な事実だろう。

で、今回、その「赤鬼」公演から12年間が経ち、その間に両国における演劇がどのように発展して来たのか、その12年前の公演がどのような影響をもたらしたのか、というー今の国会で大きなパフォーマンスショーの一つとなっている、必殺仕分け人ではないのだがーその成果を具体的に示す場となっている。

「農業少女」「赤鬼」ともに、純タイ産ー演出も俳優もタイの演劇人たちによるーという作品なのだが、例えば「農業少女」出演している俳優ダムケン・ティタピヤサック(時には演出・脚本執筆などもしているという)は、終演後のトークで97年の「赤鬼」を観た経験が彼の演劇人としてのキャリア指向を決定づけたと話している。また、今回の「赤鬼」の演出・水銀役で出演のプラディット・プラサートーは97年の「赤鬼」上演後、公演がきっかけとなりタイ現代演劇ネットワーク団体BNTを設立、演劇活動の傍ら、現在そこの事務局長を努めているという。

作品に関してだが、「農業少女」が日本の現代演劇と変わらない手法、それも野田秀樹演出の「農業少女」とどこか似通った、最小限のセットで役者の体現により様々な状況、シーンを見せていくという形をとっているのに対し、「赤鬼」ではタイの伝統歌舞劇`リケエ’のスタイルにのっとり上演されてる点が面白い。

演出スタイルが似ているだけに「農業少女」では違いである俳優に注目が集まる。ーここで違う点と言えば、日本版が4人の俳優だけで演じられていたのに対し、タイ版では倍の8人で演じられていたということ。人数が多い分、人を演じるだけでなく、背景の一部となり、物として状況説明役を担う部分も多々見えた。ー
そんな中、善くも悪くも主人公二人、マリ(日本版では百子)とプラウィット(山本ヤマモト)のキャラクターに日本版との違いが出ていたことが面白かった。農業少女ー田舎からバンコクへ出てきてお金を稼ぐーが比較的一般的であるタイのマリの姿が一人の少女の人生としてわりあい自然に映るのに対し、日本版では現代っ子である少女(女)の狡猾さが女の性としてより濃く見えていた。またプラウィット役の役者が結構イケメンの若い俳優であったことも、日本版のちょっといかがわしい、切ないほどのヤマモトのどうしようもない恋心、と全ての夢が散った後の百子の本性と終わった後でもさらにやるせないヤマモトの悲恋が、良く言えば現代風に薄味化されていた。

で、ここで特筆したいのがリケエスタイルの「赤鬼」。

オープニング、きらびやかな民族衣装に身を包んだ役者が現れ、ライブの伝統音楽が奏でられるとオッとした驚きがある。その後、ある型にはまった歌舞劇が展開されるのだが、これがこれが、驚くなかれ、赤鬼の寓話性にドンピシャにはまっているのである。赤鬼の英国バージョンがリアリズム形式で上演されある種違和感をもって受け入れられたー例えば、アノラックを着た他の出演者よりも明らかに小柄な野田が赤鬼として登場しても、`鬼’というイメージが伝わりにくいーのとは好対照に(個人的には英国バージョンのあの女のとてつもなく深い絶望・悲劇はとても評価するのだが)今回の公演では様々な制約の中で上演されることにより、ウソの話がかえって真実味をもって表現されるという、意外な結果を生み出していた。
泣いた赤鬼やこぶとりじいさん、、などの寓話と同じようにかなり素直にお話が入ってきて、原作の良さが十二分に活かされる結果となっていた。
今回の上演を観て、例えば、かなり制約のある能や文楽の世界でこの戯曲が上演されたらどうなるのだろうという新しい疑問が浮かんで来た。

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個室都市 東京

http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/ft20091023r1.htmlTit_05


リニューアルF/Tの顔、高山明氏率いるPortBの観客参加・体験型パフォーマンス「個室都市 東京」を最終日前日の晴れた週末の午後に参加。
事前に内容を聞いた時から興味津々、その開幕(開施設)を心待ちにしていたのだが、結局開催期限ぎりぎりでの初体験となってしまった。
平日に雨が続いたということもあり、せっかくのツアーパフォーマンス(前回、そしてこれまでのツアーパフォーマンスでは外を歩いて体験する時間も長かったということもあり、雨を避けた人も多かったのでは無いか?と推測する。実際のところ、今回のツアーは雨でも十分大丈夫な内容だったのだが、、、)なので晴れた日に、、そして、そのツアーパフォーマンスの事前予約が出来なかったので(当日、その場で順番待ちという形式)、どのくらい時間がかかるのか??今ひとつ不安ということもあり、確実に全行程を遂行出来る日にちということで計画したら、こんなぎりぎりになってしまった。

後から考えると、その内容、形式が分っていれば、もっともっと多くの時間、このパフォーマンスに参加出来たのに。。。と悔やまれることしきり。

で、肝心の内容の方だが、予想通り、、いやいや、予想の枠を思いっきりはみだしながらとっても面白かった。ー面白いというと語弊がありそうだが、いやいや、正直、こんなに興味深い体験が出来るとは。一見、簡単な構造に見えながら、その実、その方法が実に細やかに検討された上に最良の方法がとられていて(いつもながらPortBの上演形式の細やかさには感心させられます)、それこそ観劇というか、パフォーマンス体験に参加した人々誰もが、それぞれのやり方で楽しめるという創りになっている。

本日、正午で既に終わってしまったので、ネタばらしをすると;

*まず、仮設の「個室都市 東京」のプレハブレンタルDVD屋ブースに入り、最低1時間のDVD鑑賞を畳一畳スペースで体験。
DVDはPortBチームが事前に作成したオリジナル内容のもので、池袋西口公園を通り過ぎた、もしくはそこにたむろしている人々(有名人・無名人・家なき子・通行人・外国人と様々)に行った約3分前後のインタビューが収められている。全員にほぼ同じ内容の質問が投げかけられ、ちょっと答えに躊躇したりした場合には次の質問が間髪を入れずに飛んで来て、インタビュアーからの反応などは一切排除された機械的なインタビューとなっている。ブースの棚にはその回答者たちの顔写真と録画時間のみが貼られたDVDケース約350人分が陳列されていて、参加者は観たい者を自分で選んで鑑賞することとなる。

*DVD鑑賞が終わると、任意でツアーパフォーマンスに参加出来る。
参加者は10分ほどの西口公園近辺のウォーキングツアーを経て、第二会場の疑似出会いカフェの場所へ。
ここでは、マジックミラー越しにその囲いの中で待機する人々ー彼らはDVDに出演していた人々で、6〜7人が呼ばれるのを待っているーから一人の話し相手を選び10分間の対面をする。
先ほどまで人々の生活を覗き観ていた側の参加者がここでは興味の対象へと立場が逆転するというオチがあり。
最後には見知らぬ人の往来で成り立つ都会を切り取って観て、一応、ここでツアーが終わる。

その後、いつもは足早に通り過ぎるだけの池袋の雑踏へ戻されるのだが、ちょっと自分の中の体内時計が逆戻りしたような、不思議な感覚、良質な映画を観た後のその映画の世界に留まっていたいというような、思考の浮遊感がちょっと続く、そんな演劇体験。

その一連の体験を経て、いろいろな事に気づかされる。
例えば、人を選ぶときの無意識の選択基準であったり、3分間のなかのドラマであったり、選んだ後の後悔であったり、単純にインタビューの中での意外な答えへの発見であったり、、、システマチックに構築されたこの体験ドラマから本当に様々なヒューマンドラマが垣間見えて、、面白かった。

帰宅後、我が家のKY外国人にこの体験を話したら、とっても興味を示していた。もう少し長い間開催していてくれれば連れて行ってあげたんだけど。。。残念。

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2009年11月17日 (火)

チャイニーズスープ

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駒場アゴラにて土井通肇さん、龍昇さんの二人芝居ーもともとは19年前に当時の東西ドイツ統一という一大事を目撃したあとに、平田オリザが二人芝居として書き下ろした作品を19年ぶりに同じキャストで、であって今回は青年団の演出部若手ホープ、柴幸男が演出、という再演上演を観劇。 20年前の当時の社会状況を反映しての社会派軽妙劇とあり、今回は設定をちょっと現代に近づけて、東西ドイツ、それぞれの国のスパイ二人のその後ということでイスタンブールで再会したかつての敵国スパイ同士が冷戦終結後20年間の間にみた`その後’の世界状況を語る。 初演版は観ていないのだが、当時を思い出しますですーそうそう、世界の常識がひっくり返ったあのベルリンの壁崩壊からもう20年ーこのところ他メディアでもそんな特集番組を組んでいるところも少しはあったものね(少なすぎないか?!)ーまさに、あり得ない奇跡が起こってある種の期待がもてた時代だったのかも。 実は、あの壁崩壊後、翌年の正式な東西統一式典時にちょうどベルリンを訪れていて、ベルリナーアンサンブルで「三文オペラ」を観て、帰りにゲルマン民族が大挙する大通りのあまりの熱狂ぶりに、ちょっと怖さを感じた、なんて事があり、、今はすでに昔となったあの頃を思い出します。 で、今は周知のあの9/11がその10年後にあり、どんどん`その後’の世界が迷走していくのを私たちは知っていて、また日本という見地からみると、この時代にありながら世界との距離をおいていくー先ほども書きましたが、ベルリンの壁崩壊から20年というその出来事にもマスメディア(TV)などはそれほど関心もないようだし、それよりも昭和を振り返ったり、日本国内の懐かしい人々の事の方が関心度が高いようだしー傾向にあるみたいで、そんな中、この芝居の`その後’話もちょっと生温く、今どきのゆる〜〜〜〜い笑いで終わってしまった感があり、ちょっと残念。 こんなに面白い題材なんだから、もうちょっと`毒気’やら`皮肉’やら`主張’やらがあっても良かったんじゃないでしょうかーそうゆうの流行らないのかな? お芝居としては、実際にチャイニーズスープ(この題名って何かの比喩なの?一応調べてみたんだけど、特別にそうゆうことは無いみたいなのですが、何か知っている人がいたら教えて下さい)を舞台上で調理 するという演出が特出。 一生懸命調理をするという行為が2人のスパイがその後の20年を生きたというその時間、役者の老い(すみません、別にそれほど老いてはいませんが、もう若くはないという意味で)とその蓄積なんかが生で観れて、臨場感をだしていた。 お二人の役者さんたちも味があってグッド。

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夢現舎 実験シリーズNo.2 『   』(なまえ) 11/10

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劇団 夢現舎 実験シリーズ第二弾、『  』(なまえ)を劇団の稽古場兼劇場、高円寺のスタジオにて観る。

彼らとのはじめての出会いが2年前のエジンバラ。

エジンバラのメインストリートで自主公演の宣伝に練り歩いていた一行を見かけ、話を聞き、舞台を見せてもらって以来、公演には足を運ばせてもらっているのだが-ちなみに、そのエジンバラでの公演の様子はシアターガイドにて報告させてもらったのだが、海外上演用にさまざまな工夫が凝らされ、手作り英語字幕で瞬時にストーリーを観客へわからせたり、手先の器用な日本人の利点を活かして、見ていて楽しめるハンドメイド小道具で観客の目を楽しませたり、などなど、エジンバラでの1ヶ月弱にわたる長期公演を立派に好評のうちにやりとげていた-、劇団員は海外公演を目指して日本では主に体の鍛錬・日々の稽古と資金調達に専念しているという珍しい劇団。

数年に一度の本公演(エジンバラで上演していたのもこれにあたる)ではストーリー性のある芝居を総勢20名くらいで上演するのだが、そのほかに若手が上演するきわめて実験的な若手製作公演が今回の実験シリーズにあたる。

この若手公演、ある意味、とっても贅沢な公演で、一公演の観客数が10名弱、でもって、その場へ行った観客一人一人に特別な演劇体験をさせてくれるという、まさにオーダーメイド感覚の「世界にひとつだけの芝居」公演なのだ。

第一回の実験シリーズ「境界」では、

*お好きな観劇用のお椅子をお選びいただけます。

*携帯電話のスイッチは切らないで!ください。

*場内での飲食はお好きにどうぞ。

*舞台撮影もどんどんやっちゃって~~~~。

とまさに観客のお好きなように、-逆に言ったら、自主的に楽しんでちょ!-というかなり自由な発想の舞台だった。

で、今回の『  』なまえでもそのフリーな想像力にますますの磨きをかけ、ほかでは味わえない演劇体験を提供しております。

さ、あなたも夢現舎で検索!

おもしろさはあなた次第ーでも、お客様を落胆させるようなことは決してないと思います。

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バンデラスと憂鬱な珈琲(11/9)

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SISカンパニー主催・所属俳優総出演舞台のオリジナルコメディー「バンデラスと憂鬱な珈琲」を世田谷パブリックシアターで観る。

堤真一、段田安則、高橋克美、村杉蝉之介、中村倫也 プラス ハイクォリティーのコメディエンヌ 高橋由美子、小池栄子 と、芸達者ばかりなので楽しめるのだが、なんだかもったいなさすぎ。

なにもこの面子でなくても、いやかえって若手のハジケぶりとかを見せてもらった方がよかったかも。

そつなくこなしているのだが、それぞれに余裕がありすぎて、競演によってプラスアルファがにじみ出てくるような、予想外の驚きは無かった。

日本演劇のひとつの見方として、「ご贔屓役者が目の前で演じる生の舞台を観る」という楽しみ方があるのだと思うのだが、どうもそれに近い-堤真一があんなにふざけた役をやるのは珍しいとか段田安則の芸達者ぶりはスゴイ!-とか、そんなことがメインで語られてしまうような舞台で、なんだかこの芝居をこのキャストでやる意味が????今ひとつわからない。というのが正直な感想。

SISカンパニーよ!どこへ向かっているんだ?と問いかけたくなる舞台だった。

次にどうくるか?!乞うご期待。

 

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2009年11月16日 (月)

4.48サイコシス

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30分ほど前にF/T演目の「4.48サイコシス」ーサラ・ケイン作、飴屋法水演出の初日を東池袋あうるすぽっとにて観劇してきたばかり。
未だその衝撃の大きさに茫然自失状態なり。。。

人の存在、そのあり様の哀しみと切なさが舞台全面にはられた真っ赤なプールの水の波形のように胸一杯に押し寄せて来て、言葉が出ない。
演劇表現というものに対し、まだまだ固定観念を持って対峙して来たことを思い知らせれる、これまでに見たことのないその舞台から目を離すことが出来なかった。

人が無意識のうちに行っている行動ー次の呼吸を続けること、そして息をし続けることーの、い・き・るーことの意味をこれほどまでに切実に伝えてくれた舞台があっただろうか。

人は前方を、斜め45度に見据えながら歩を進めることがこの世の常とされている世界に、前方を見やることの出来ない、立っていることさえつらい人たちーそして実のところそんな状態のぎりぎりな人はそこここにいるー、そんな彼らの声が真実の言葉として劇場に響き渡る。

外国人演者の話す、イントネーションがずれた日本語がこんなにも心に浸透してくるのは何故だろう。
脈絡がないように思えるテキストが一つの世界を構築している。そして言葉の一つひとつが通り過ぎることなく、しっかりと伝わってくる。
「4.48サイコシス」のこれまで遠く離れていた世界がぐっと自分に近づいてきた。

これを観ずして、いったい他に何を観ろと言うのか、、、必見。

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2009年11月 7日 (土)

錦繍とあの人の世界(11/6)

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マチネに「錦繍」の再演を天王洲アイルで、夜はF/Tのサンプル「あの人の世界」を観劇。

一日の中で、こうも違う表現形態の芝居を観るというのも、また刺激的な体験。
エジンバラの演劇祭などでは、一日に何本もの芝居を見て回るので、それこそあらゆる種類のパフォーマンスを見続けることになるのだが、たいていが1時間ちょっとの長さのものばかりなのでそれはそれでショーケースをたくさんみているようなものなのだが、三時間ちょっとの芝居(錦繍)ともう1本となるとまさに芝居漬けの感あり。

まずは、宮本輝の傑作小説をイギリス人のベテラン演出家ジョン・ケアードが演出した「錦繍」ー07年初演に続いての再演ーから。

とってもシンプルな創りの舞台で、セットは背面横一面に貼られた金地の抽象画バックのみ、その前に演じるスペースがとられ、俳優達は自分が演ずる場面以外はその金地の画の陰で待機。それぞれに演じる時になると最小限のセットー簡素な椅子やテーブルのみーとともにそのスペースへ出て来て複数の(人によっては)役を演じるという演出。
さらにはその演技に関しても、話を伝えることに重きをおいて大仰に演じることをおさえ、時には朗読に近い形で演じられる。
原作本が書簡小説の形式をとっているため、動きよりも言葉が舞台の大半を占めるようになっている。

で、このシンプルさが計算尽くされた上、吟味を尽くされた上での最上の方法ということで選ばれた方法ということで、下手したら長々と小説の朗読を聞かされるような結果になってしまうところ、実に有意義にこれぞこの翻を活かす最高の方法、と思える職人技の演出という結果を生み出している。

余計なものを排除した結果、原作の良いところを余すところ無く伝え、さらには俳優が生身の身体で演じることにより、本を読んだ時には気づかなかった、思いがけない言葉の奥義にまで気づかせてくれる、演劇ならではの効果を出している。

実際、この本を読んだ時には一人一人が別の世界に生きる架空の聖人たちのようにも感じられたものだが、生身の人間が舞台で衣装をまとい演じると、その人の弱い面、短所などもより明らかに見えて来て、身近な話として感じられたように思う。
生きていることと死んでいることは同じこと。。。なんて謎めいた教訓も、もっと下世話な人の根源にあるひとつの生きる道しるべとしての言葉として響いてくるので、不思議。
(下手をしたら、先日観た五反田団の「生きてるものか」、もしくは後述するサンプルの「あの人の世界」と共通するものがこの一見神々しい芝居にあることが見えてくることさえある。)

やっぱり、ジョン・ケアードの底力、恐るべし。


で、夜は今演劇界で最も熱い、注目のあの人ー松井周ー作の「あの人の世界」、”世界初演”(本人、ポストパフォーマンスでこのフレーズには大いに苦笑しておりましたが。そりゃそうだわ。世界初演!!って、そりゃそうだけど、へへ。。てな話だよね)を観てきました。

いつもながら、考えることを止めない、疲れをみせないその追求心には感心する。
普通だったら、日常のドタバタや日々のマンネリから、あきらめてしまう人も多い中、とっても真摯に演劇の疑問を問い続けている人ですね。

一見、まとまりがなく、猥雑でちゃかしているように見える、その舞台から事の真実を見極めようと必死に出来る限りの手を伸ばす、そんな挑戦が感じ取られます。

しかしながら、ちょっとその虚構にある種の慣れというか、期待に応えようとする`用意された答え’みたいなものが感じられる箇所も。
思い切って、削って、スタート地点の疑問に立ち返ってもよいのかもしれない、と今後のこの芝居の変幻にさらに期待。

だって、昨今マスコミを虜にしている、あの三面記事事件「34歳の女」の話は限りなく情けなくも、かなりの説得力があるからね。

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2009年11月 6日 (金)

甘い丘

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久しぶりに怒鳴り声が“うるさい、”ガチャガチャとした活気のある芝居KAKUTAの「甘い丘」をシアタートラムで観る。

07年に上演し、好評を博した舞台の再演とあり、こなれた安定感あり。

中・大劇場でのエンタメ色の濃い舞台以外、小劇場での芝居では静寂や半音はずした笑いなど、静かでちょっとひねった芝居が多い昨今にあって、のっけからドヤドヤと人が出入りして、どつき合いの喧嘩あり、ストレートな下ねたバンバン(ま、中年の恋愛話なのでこれは不可欠)、ガハハと笑い、と思うと横からとび蹴り(このとび蹴りがきれいにきまっていた)が入り、自虐ネタ満載。。。。とつかこうへい芝居をちらっと彷彿させる、なんだか懐かしいウェルメイド演劇。

社会の底辺で生きる、ワケありな女たち。そんな彼女たちが踏みとどまる拠り所、、はやっぱり「愛」ーつまりは「男」で、次が「仲間」なんだ〜〜〜。ね〜〜〜。
とっても良く出来た翻なので、文句はまったくないのだが、個人的にはこのウェット感が。。この高温多湿なウェット感がイヤで海外脱出したもので、、、どうも。。
芝居に関しての文句ではないので、あしからず。

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2009年11月 5日 (木)

ろじ式(10/31)

維新派の「ろじ式」を再見。

今回は前回の時よりも低い段のひな壇にて観劇。そのせいか、800個の記憶の標本がおおいかぶさってくるような錯覚をおぼえるほど、今回の方が世界に入り込めた。
世界共通言語として維新派の舞台は世界で上演されていくんだろう。

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ファンタスマゴリア

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初見の劇団、少年社中の「ファンタスマゴリア」という芝居を高円寺の座で観る。

100年前のパリ万博の会場でシャーロックホームズと作者コナン・ドイルが時を超えた物語の謎に挑む。。。。


ほとんど、知らないアニメの世界とかコスプレの世界とかファンタジーとか、、日本ていろんな芝居が上演されているのね〜〜〜、と思わされた一日。

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過半数パワー (The Condors)

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コンドルズのライブを渋谷で観る。

ダンスではなくてバンドのライブです。

で、(すみません)初めて曲を聞いたのだが、これがめっちゃ好みでかっこよかった。で、べしゃりも良かったし、ソロも良かったし、みんなで最後に着ていたTシャツもかわいかった(過半数に達したら、半歩踏み出せよ。そんなノリで行こうぜ〜〜〜というTシャツ)!!

ちょっとコンドルズのライブ、ダンスも良いけど、こっちにこれからもっとハマりそうな予感。
次回はもうちょっとビール売り場に近い方に陣取ろう!と強く誓う。

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ステルスボーイ

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SET劇団創立30周年、記念公演「ステルスボーイ」を池袋で観劇。

30年という数字を聞いて、感慨もひとしお、、ってな思いで舞台上の主要メンバーを見つめてきました。
と言うのも、思い起こせば二十数年前、観劇を日々の軸に据え始めた頃、私は野田秀樹の「夢の遊眠社」の布教活動に日々精進していたわけですが、そんな芝居好きがぽつりぽつりと集まり始めると、そこには第三舞台の熱烈ファンもいれば、東京乾電池のファン、東京ヴォードヴィル、そしてSET(スーパーエキセントリックシアター)のファンもいるわけです。

で、情報交換、プラスお楽しみの一つとして、それぞれのごひいきの劇団を観あったりするわけですよ。
というわけで、SETの公演もそこそこ数こなして観てきているんです。

毎回、釘付けになるのが、アドリブだか、悪ノリだか、よくわからない三宅さんと小倉さんのかけあい。
パターン化されているのに、それを観たさに劇場の通うんですね〜〜。

なんだか、そこにはArtとかテーマとか、そんなのがどっかに吹き飛んでしまう、魅力があるんです。
本当に不思議。


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印獣

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パルコ<ねずみの三銃士>シリーズ第二弾「印獣」を観る。

このシリーズ、少数精鋭制でプロのプロにそれぞれにと〜〜〜っても力入れて作ってもらったら、こうゆうものが出来るのよ。というプロフェッショナルのお手本のようなお芝居。

で、まずは脚本家・宮藤官九郎。この方の上手さはもう神業です。
恋愛もの、ミステリーもの、感動もの、お笑いもの、、、なんてジャンル分けをするまでもなく、そんならもったいぶらずにぜ〜〜〜〜んぶ、その要素全てを入れてやるからもってこい!なんてもんで、本当に全てが詰まっております。スゴい!

で、この翻をこなせる、勝手を知った演出家と役者たち。

これぞプロの技。面白くないわけない。(三田さんでもおとなしく佇むしかなかったんでしょうね。ま、それが大正解なんですが。)

あと、上地さんのものすごく強引な沖縄弁のオチの部分も宮藤さんのプロの自身を感じました。

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Romeo & Juliet (東京デスロック 韓国バージョン)10/28

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先週の日本版に続いて、作られたものとしてはこちらの方が古いKorea version を観劇。

韓国人俳優陣による韓国語での劇作ということもあり、こちらの方は台詞をいじる(日本版では現代のロミジュリを創作していたが)ことはほとんどなく、その代わり、身体表現において現代のロミジュリを体現。

見知らぬ人との出会いの瞬間、近しくなる過程、そして親密になった後の衝突、などなどが見事にWithout wordsで表現されていた。
韓国人俳優達の体当たりの演技が、ウソ物ではない、熱い真実をこれでもかと眼前に突きつけてくる。

見終わった後には、3時間分のシェイクスピア台詞芝居を観たあとのような心地よい疲労感が感動とともに。

今回のこの2本の「Romeo& Juliet」、久々に心の震えがとまらぬほどの大発見でした。
芝居見続けていて良かったと思わせる、新しくて本物の芝居との出会い。ちょっとショックなほどの観劇体験でした。

この2本、日本代表選手として海外に紹介できる、するべきだと思うのですが。
賛同なさる方は連絡をお待ちしております。

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「生きているものはいないのか」(10/26)「生きてるものか」(11/1)

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五反田団の代表作「生きているものはいないのか」(08年の岸田國士戯曲賞受賞作品)とその続編「生きてるものか」を約1週間の間をあけて観劇。

人がわけもわからずバタバタと死んでいく、最後の言葉もろくすっぽ語らずクネクネとのたうち回りながら(この芸術的とも言えるみっともないクネクネが可笑しい)死んでいく。そんな口ぽか〜〜〜んで大爆笑の不条理芝居が「生きているものはいないのか」。
確かに、人の一生を思いっきり集約したらこうでしょう、という見事に「人の一生」を表した劇。
そんな中に、チクリチクリとゆる〜〜い生活、慣れきった日常へのイヤミもあり、一度観たら忘れられない、そんな芝居。

で、今回、新たに作られたその続編とも言える「生きてるものか」。
これ、前作から確実に進化していて、その洞察の深さ、世界の広さから言えば、さらなる傑作と言えるでしょう。笑いの度合いも進化hしているのですが。
「生きているものはいないのか」のラストシーンと重なるようなオープニング。そこから死んだ人々一人一人が生き返り、それぞれの生活事情を明かしていく。しかしながら、会話のはしばしにどこか欠けている部分があり、その謎解きと同時に、生き返った人々の行動から、実のところ私たちは事の成り行きを時間軸の逆行という順序で見せられていることに気づく。

前作では驚きの設定ながら、今作と比べると素直な不条理だったと思わされるほど。今回はさらなる次元にまで行き着くような、宇宙次元を思わせるような普遍的な死生観、輪廻観が語られ、その反面、目の前で見せられているような「犬も歩けば棒にあたる、人も歩けば死ぬこともある」的なとても冷めた人の死というものがあり(実際、イラクとかアフガンで無くなっている方々はこの心境でしょうし)、そんな意味でもCutting Edge(最先端)な日本不条理劇の傑作。


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ナノクライシス・ポルノグラフィ(10/26)

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新宿三丁目SPACE雑遊にて演劇集団 砂地の新作「ナノクライシス・ポルノグラフィ」を観る。

シュニッツラーの「輪舞」を20世紀の現代恋愛バージョンに書き換えたのが98年、David Hare著 「ブルールーム」。で、こちらは01年に秋山菜津子、内野聖陽の二人が何役もこなすという形式でtptにより上演されている。ー今をときめく超売れっ子俳優2人の共演にして今や世界で注目される演出家、デイビッド・ルヴォーの演出。幸運にもこの舞台は観ております。秋山さんのその後の活躍を予見させるような舞台。一皮も二皮もむけちゃって、輝いておりました。ー

で、今回は場所と時間を2009年の東京へ移して、今の新宿「輪舞」にリメイクしての上演。

数人の若手俳優人が代わる代わる登場し、今どきの恋愛模様を綴っていくのだが、これが巷で起こっている男女関係です。と言われれば、あ、そうなんですか。。。としか答えようがないような、ま、男と女のかけひきの話なので退屈はしないのですが、、あ、そ。。。みたいな、ま、それぞれにがんばってね。ぐらいの、その中にあまり新しい発見がないのが、残念。

四方を囲む360度の舞台に、角には男女が絡むソファーと、そしてトイレなど、なかなか刺激的な装置ではあるのだが、驚くような男女の不思議なつながり、がそこに見られないのが、ちょっと平日の昼間に観劇するにしては日常すぎて、興醒め。。かな。

蛇足になるが、ちょっと気になったのがパンフレットに書かれていた演出ノート。。<実は、日本におけるいわゆる男女交際の歴史ははっきり言って極めて浅い、いま我々の中に住み着いている"恋愛観”こいつは形成されて、100年もたっていないのだ。歴史的に見るとこんな普遍的に思える感情、感覚ですらも、実は発展途上なのである。>というくだり。

何をもってして歴史は極めて浅い。。。と言っているか?理解に苦しむ。

世界最古の恋愛小説「源氏物語」が生まれた国の話とは思えない。

彼の思うところの恋愛の定義が狭いから、舞台上の世界観も必然的にせばまってしまったのでしょうか?ね?

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2009年11月 4日 (水)

ヘンリー6世 三部作

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新国立劇場、今シーズンの目玉、シェイクスピアの史劇三部作「ヘンリー6世」を一部ずつ観劇しているのですが、今日はその二日目、ということで三部作の第二部ー敗北と混乱ー(ちなみに昨日の一部はー百年戦争ー)を観た。

馴染みのない英国の史劇で、それぞれ三時間という大作。。。ということで若干の不安を抱えながら昨日は劇場へと足を踏み入れたのですが、これが、これが、文句無しに面白い!!!!happy01
2時間の芝居でも、永遠に思えるほど退屈なものもあるが、これは永遠にこの権力闘争劇を観ていたいと思うほどにお・も・し・ろ・い!!
昨今、さまざまなメディアで日本の戦国時代の時代劇に人気が集まり、映画化、ドラマ化ー特番化ー、されているようだが、まさにその面白さに匹敵する。

その上演時間の長さ(9時間トータル)から、実は世界でも上演が珍しいこの三部作、RSCの企画ものComplete Works of Shakespeare (シェイクスピア全作品上演)の中で、07年にシェイクスピアの生地・ストラットフォード・アポン・エイボンで観劇しているのだが、その時もこの芝居の面白さに、そして演出家マイケル・ボイドの動き溢れる活劇調演出に外国語史劇ながらと〜〜〜〜〜〜っても引き込まれ、連日わくわくしながら劇場へ通ったのを思い出す。本家のイギリスでは台詞を追い越すようなスピーディーなバトル、さらには客席から舞台へロープを伝って一瞬にして剣を手にした役者が押し寄せる神出鬼没・ハッとさせられる驚きの派手な演出で観客を魅了していたのに対し、日本版鵜山演出では「静」のドラマで人間の本質、ねたみや悪巧み、またおさえられた許されぬ愛憎を見事に表し、その台詞、ストーリー展開で劇場の観客の視線をーまさにー釘付けにしていたのが何ともそれぞれの国の十八番をうばいあうようで、それでいてそれぞれに成功をしていて面白かった。
久しぶりにたっぷり楽しめる大人の演劇に仕上がっております。

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で、後日談。

最終章の三部まで、観てきました。

演出の鵜山氏が前日の二部終演後のポストパフォーマンストークでも話していたように、一部、二部からナチュラルハイ段階に入ったような、音楽、美術などに少しばかり冒険を施した出来になっていた。
まあ、あれだけコロコロと出演者にその立場を寝返られては、ナチュラルハイにもなりますわな〜〜。

で、三部を見終わっての感想ですが、まずは最初に興奮気味に述べたように三本分、ずっしりと、上質な長編歴史小説を読み終えたがごとくの満足感。
20代後半でこれを書いたというシェイクスピアの成熟度にも驚くが、下手をしたら冗漫な大作という結果を招きかねないこの大作をまとめあげ、作り上げた鵜山演出、また美術、照明(今回この照明が大いに威力を発揮。その照明活用の想像力により、大きな世界の中に細かい説明を丁寧に組み込むことに一役も二役も買っていた。)、そして何と言っても、ゆるぎない力を蓄えた役者陣に拍手。

9時間の長丁場なればこそ、下手なごまかしはきかず、下手な役者はメッキが剥がれようというものだが、全くそれが無かった。一人一人の役者がこの芝居に十二分に応える演技をみせてくれていた。good

ヘンリー6世役の浦井健治さんの仏教僧のような(これはポストパフォーマンスで司会の中井美穂さんが使っていた表現ですが、言い得ていたので借用)、この世離れした裸の王様の存在感、中嶋朋子さんの(まさに)フランス女=情熱のお・ん・なの強いマーガレット王妃、ヘンリー6世をとりまく強者、くせ者の伯爵、公爵たち(村井国夫、中嶋しゅう、立川三貴。。。)などなど、とにかく弱いと感じさせるキャスティングは見当たりませんでした。

訳者の小田島さんが会見で言っていたように、こうなったら続けてリチャード三世もこのメンバーでみせて欲しいと思わせる、そんな舞台。
これぞ、新国立劇場だから、新国立劇場がやらねばならぬ舞台!という目から鱗の観劇体験でした。

鵜山氏がそこここで(会見とかトークとか)、「ヘンリー6世は15世紀のイングランドの話では無く、今の日本の至る所で見られる話。人々の驚くような裏切りとか、裏の根回しとか。。。。例えばここ(劇場)でも。」と茶目っ気たっぷりに話していたのがとってもイングリッシュ的(sarcasm)。

その流れから言うと、この舞台が鵜山流、ヘンリー6世的なー流血を見ないー世界の変革手段だったのでしょうか?!
もったいないよね〜、こんな天才的な演出家・芸術家を早々手放すのは、ね新国立さん。
国の芸術政策がバブル崩壊後の失われた10年のように失速しなければ良いけどね。

でも、それぞれに分かれた方が、それぞれに良い場合もあるから、それを期待するしかないのかな。

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