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2009年10月

2009年10月25日 (日)

ろじ式(10/23)

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秋のF/T(フェスティバル/トーキョー)オープニング作品、維新派の最新作「ろじ式」を西巣鴨のにしすがも創造舍で観る。

宇宙観まで表現する大規模なステージセットとその土地の自然の恵みを活かした特設野外劇場で海外にまで広く知られる維新派のステージ。
今回は、残念ながらにしすがも創造舍ーもと学校の体育館ー内での劇場内公演となった。

慣れないとちょっと入るのをためらうような路地裏、そこでは独特なコミュニティーが存在している路地裏、、今は区画整理により無くなりつつある路地裏。。。そんな懐かしくも、未知なる空間の路地裏を忘れ去られた「ものたち(やかんやらシーラカンス、古着など)」が800を超える標本箱に陳列された舞台で蘇らせる。

初日とあり、完璧な台詞のユニゾンとは観れなかったが、後日そのあたりを再見して、またアップしま〜〜す。

あ、またもや余談となりますが、フェスティバル初日のステージで金曜日の夜ということもあり、ステージが終わった後も人が残って劇場に隣接している屋台村なるフード&ドリンクスペースで演劇話などに興じていたわけなんですが、、
東京都もオリンピックなんて4年に一度のレアーなチャンスにお金と全エネルギーを注ぎ込むんじゃなくて、毎年やっちゃう演劇祭に本気出して、エジンバラのような一大観光イベントにしちゃえば良いのに。
だって、結局はオリンピックだって世界から人を呼んで、経済を活性化させるというのが目的なんでしょ?だったらオリンピックじゃなくてもいいじゃ〜〜ンってな話。
エジンバラなんてあの夏の1ヶ月で通年の予算をまかなっているようなもんなんでしょ?多分。

世界から人が集まるツールとして巨大インターナショナルフェスティバル。良いと思うけど?
世界の人が観たいようなアートやカルチャーも沢山あるし。(演劇に限らず)

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サロメ

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グローブ座で篠井英介タイトルロールの「サロメ」を観る。

翻案劇ということで、設定を古代日本のある小国としているのだが、ストーリーはワイルドの原作にほぼ忠実。ヴィジュアル面では豪奢な着物と真鍮のような重厚な趣のセットにライブの邦楽演奏付きと、和のテイストで埋め尽くされている。
今回の見せどころは、演出の鈴木勝秀が下記のようにHPで語っているように、
"今回、“翻案劇”としたのは、僕も先達に倣って、日本文化を生かした形での「サロメ」を創ってみようと思い立ったからだ。。。今までやってきた“西洋文化としての演劇”と、“遺伝子レベルの文化”を融合させていみたいと思い始めたのかもしれない。そして、この「翻案劇サロメ」は邦楽による音楽劇でもある。”
その和のヴィジュアルと邦楽、そしてダンスの様式美にある。
コンテンポラリーダンサーである森山開次にヨカナーン(修験者)役を託し、主な表現を彼のダンスで表してもらっている他に、サロメ役の篠井にも日本舞踊で表現する箇所を与えている。

森山のダンスシーンなど見所もあったのだが、全体としては一体感に欠ける。

主役のサロメを際立たせるー別の言葉で言えば、篠井の女形を舞台で堪能してもらうーための芝居、もしくは森山のダンスを観てもらう芝居、、とバラ売りのような芝居になってしまって、肝心の「サロメ」の話の面白さが伝わってこなかった。

人の恐ろしさ、傲慢さ、耽美主義、芸術快楽主義。。。これらのキーワードが見えてこなかった。
だって、まず篠井さんのサロメからして、酸いも甘いも知り尽くした常識人のサロメで、そうなるとサロメの口にする無理難題の裏には何か大人の事情があるんだろう、、なんて勘ぐってしまいたくなるもの。

ps
余談ですが、今、実質活動休止中のク・ナウカの代表作「サロメ」は素晴らしい舞台だった。全てを見事に表していた。。また観たいっす。

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Romeo & Juliet (東京デスロック 日本バージョン)10/24

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これこれ、こうゆうの観たかったんです。この秋の大本命お勧め。

きらり☆ふじみにて東京デスロックの「Romeo& Juliet」、まずは日本バージョンを観た。

もともとこの劇場の企画で韓国で韓国俳優陣による「Romeo&Juliet」を上演し、大好評を博した作品で、今回はその韓国バージョンと新たに日本バージョンの二本立て。

私はその韓国バージョンを観たことがないので、この日本バージョンが初見。(来週韓国バージョンも観る予定ですが)

春に同劇団による現代版「リア王」を観たのだが、そちらは、なるほどね〜〜ぐらいの感想だったのですが、今回の「21世紀きらり☆ふじみのロミジュリ」には完全にやられました。2時間弱、ポップなハート型のステージから目が離せませんでした。

前述の真っ赤なハート型のビニール張りのこんもり盛られたステージ、その後ろには背面一面の大きなプロジェクタースクリーン。その中央ステージの回りには剥き出しのステージライト装置。

三部構成になっていてAct1では原作テキストを抜粋しスクリーンで写してじっくりしっかり観客をロミジュリのストーリーへ入り込ませる、そしてAct2では一変、俳優たちの恋話というかたちで現在の恋愛の形が口語調で語られる、そしてAct3では前述のテキストを役者が語り、また体現する(ただ役を演ずるのではなく、オリジナルな方法で男女間のかけひきを表現)。

そして、それぞれのシーンに最も適した音楽が大音量で流される。

テキストの抜粋箇所の見事な取捨選択、それを見事な形で演劇的表現へと還元させ、さらには今日との繋がりも強く感じさせる。。。素晴らしい舞台です。

これぞ日本のロミジュリ。
さらに多くの世界の舞台へ持っていけるでしょう、これは!

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2009年10月23日 (金)

ソビエト

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座高円寺で演劇村フェスティバルシリーズ(中堅カンパニーを取り上げるシリーズ)3作上演の1本、双数姉妹の「ソビエト」を観る。

16年前に上演された作品とのことだったのだが、久しぶりに全く舞台に集中できない、、思わず時計を見てしまいたくなる(まずやらない動作なのですが、、今回もこらえましたが)舞台で、、残念。

これ、16年前で若くて、装置もボロくて、小劇場で、、、っていうのの方が面白かったかも。

演出の一環として、舞台上で同じ役の人が入れ違う(2人の役者が同じ役を請け負っていて、時々役者が入れ替わる)んだけど、幾何学模様の衣装同様になんだかこんがらがるばかり。
社会主義国家においては人間も一つの駒となり、入れ替え可能。。ということなのかもしれないが、その為に混乱させるのと、ストーリーをきちんと伝えるのと、どちらを優先させるのか?
演出家の決断なんでしょうね。

メタシアター構造+役者のダブル構造ということで本来抽出されるべき主題がボケボケになってしまった。
プログラムによるところの「ソ連という国が無くなって。。。世界地図の上の方を堂々と陣取っていた大国。無くなるはずもないと思っていた国が地図から消えたことは、少なからず衝撃的でした。」っていう出発点は良かったと思うんだけどね。

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黄色い湯気

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前回、4月に下北沢駅前劇場で観た「日曜日の使者」(来る子供の幼稚園の催しの出し物を決めるために日曜日に集まる父母たちが違う家庭環境の家族の状況を垣間みるうちに、それぞれ見えていなかった自分のありようを発見していくという芝居。あまりの自分勝手さに笑い、それが現実でも起こっていそうで、またまたくすくす笑い。。)がちょっとツボにはまったので、またもや訪れてみました。

今回も、どこにでもありそうなある街で起きている、幼なじみ同士、先輩後輩、そして家族間の、それぞれにそれなりに相手を思いながらにすれ違う日常の機微を描いている。

場所が街に古くからある銭湯の玄関ということで、舞台セットは前回の幼稚園同様、なんとも懐かしく、また誰でもがそのシチュエーションを共通認識できるようになっている。

前回公演に比べ、ちょっと無理矢理なーそれまで歩けないほど痛めていた腰が一瞬で直ってしまったりー流れが見受けられたが、やはり普通な人々の可笑しみさ加減がなかなかほどよくにじみ出ていて、物語に引き込まれる。

常連の林和美、古川悦史らがまたもや好演。
最後にちょこっと出てくる、作・演出・俳優の石曽根有也もとっても笑えました。

銭湯って一回400円以上するんですね〜〜。毎日入っていたら結構な支出ですよね。だからどんなに狭くてもシャワー付きの部屋を借りるんでしょうか?
銭湯の方が広くて気持ちいいだろうけど、それこそ24時間営業っていうワケにもいかないだろうから。。

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2009年10月22日 (木)

真田風雲録

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さいたまネクストシアターの「真田風雲録」を幕開け翌日の回で観る。
倍率30倍という難関オーディションを突破した若手俳優44人からなる新プロジェクトの第一弾公演だ。

彩の国さいたま芸術劇場、普段は海外からの大御所ダンスカンパニー、そして芸術監督蜷川幸雄によるシェイクスピア劇などが上演されるメインシアターの舞台の上に客席と舞台スペースのインサイドシアターを特設。
観客は誘導されるがままにその特設の演劇スペースへ。すり鉢状の客席で3方を囲む、その真ん中にある舞台には泥が敷き詰められ、背面の壁には戦火で混乱する江戸初期の大阪の街が壁面いっぱいに力強いタッチで描かれている。

たっぷりと盛られた泥と各席に置かれた泥よけビニールシート。。。青ざめながらワクワクしながら開演時間を待っていると、案の定、われんばかりの雄叫びをあげながら侍たちが泥の合戦状へなだれ込んでくる。泥を跳ね上げ、泥に足をすくわれながらそのチャンバラシーンがしばらく続く。

関ヶ原の戦で天下を収めた徳川家康。それに対し、豊臣側は全国に散る浪人たちを集めお家の再建を図る。そんな豊臣家に加担したのが真田幸村とその仲間真田十勇士だ。一致団結して敵へ向かうべきところだが、密約、内部分裂、裏切り、、と真田一派の躍進を良くは思わない味方連中から、彼らはだんだん孤立していく。
そんな中、十勇士の間でも意見の相違が出始めて。。

と、真田十勇士の10人は今回オーディションで選ばれた役者が演じているのだが、彼らが慕う頭領の真田幸村は高齢者劇団ゴールドシアターでも参加を請け負い、全幅の信頼を得ている蜷川の秘蔵っ子、横田栄司がその役を演じている。
その他にも4人のベテラン俳優たち(計5人)が脇を固め、要所要所で舞台をひきしめてくれている。

とは言え、そんな心強い援護を受け舞台狭しと暴れ回る、今回の舞台の主役はやっぱりなんと言ってもオーディションで選ばれた無名の新人たち。
ほとんどの団員が劇団に所属していたり、大学で演劇を専攻していたり、、とまったく初めての演劇体験という人は正直それほどはいないのだが、やはりこのオーディションでのチャンスを得なければ、いくら数少ない演劇学科を卒業したからと言って、このような贅沢な経験が出来ることも滅多に無いのではないか。そうゆう意味では教育と現場の連携が無い現状の日本演劇界において、やはり貴重な試みと言えるだろう。

舞台に関しては、青春群像劇ということで、とにかく大人数の若者が泥まみれるのが第一部。さいたま芸術劇場のもう一つの看板劇団、高齢者ゴールドシアターのように台詞がとぶかどうか、。。。というハラハラするような場面はまったくなく、殺陣も台詞も歌も激しいアクションもなんなくこなしていく、イケメン、イケウーメンの役者たち。しかしながら、途中から「わざわざこの若者劇団を創った意義ってなんだろう?若者達は自分たちで劇団つくってもやっていけるのにな〜〜?」なんて思いながら観ていたのだが、この劇団の本領が発揮されるのが第2部。

人海戦術で圧倒する部分よりも、後半、一人一人の役が掘り下げられていく部分、そして前述のベテランとからむシーンのあたりで、なるほど、これがやりたかったんですね〜〜〜と妙に納得した。

プログラムによると蜷川御大からはリハーサル中に「もっと勉強してこ〜〜〜い!!」と灰皿ならぬ(これもう封印しましょうかね、でも枕詞ですから。。)怒号が飛んだらしいのだが、若さの勢いでスポーツ感覚で発散する演技ではなく、とことんわからないなりに考える、そして様々な年齢の観客の前でその悩んでいる姿をさらけだす。さらには、普段は交わることは無い異世代の演劇人から学ぶ。。。
これを彼らに託しているんですね〜〜〜。

こうなると、こちらも第2弾はどんな形ででてくるのか。。。ゴールド、ネクスト。。目が離せません。

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蛮幽鬼

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2年前、同じ新橋演舞場で上演された「朧の森に棲む鬼」がとても良い出来だったので、期待して行ったのだが、今回のは、私的にはダメでした〜〜〜。

年々進化、進歩し続ける劇団新感線。それだけに、今回はいったいどんな演出で、舞台装置で、驚かせてくれるのか、とわくわくしながらの観劇だったのですが、う〜〜〜むどの点でもちょっとフラットで物足りない感が。

華のある外部役者をそろえ、またその人たちもそれぞれに好演、素晴らしい殺陣などを見せてくれていたのですが、、どうもそれぞれを大切に扱いすぎたためか、みんなが望む通りのキャラを披露するあたりで不完全燃焼してしまったようだ。

話に関しても、殺し合い、復讐、人間の資質、友人との信頼関係 なるものに関して、もう少し掘り下げられようなものだが、どうも見せ場とジョークの上をすり抜けていってしまったように思う。
新たに、前作「朧の。。」から大音響と派手な殺陣の段階からさらに`おとな歌舞伎’なるフェーズに突入とのことなので、チャンちゃんと終わらせなくても良いので、人の成りの摩訶不思議を垣間見せて欲しかった。

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ベッドルーム・ファンタジー

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黒柳徹子主演の海外コメディーシリーズ、20周年記念作品「ベッドルーム・ファンタジー」。

善くも悪くも、黒柳徹子が舞台で演じているのを観に行くというのが目的の全ての舞台。
昔、テレビの海外ドラマで見たような西洋風のお屋敷セットの中でエスプリの効いた(古い?)海外ジョークが交わされる。生来のコメディエンヌである黒柳さんがそれを嬉々として演じるのを間近に観る。
そんな舞台をぜひ観たいという方にはおススメ、で、それほどまでに時間も資金も、、という方には別のものでもいかがでしょう?というもの。

嬉しさを素直にお出しになるのは良いことなのですが、カーテンコールで涙ぐまれても。。。。だって演ずるのがお仕事なんでしょ?

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Romeo & Juliet (K-ballet)

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K-balletの「ロミオとジュリエット」を渋谷オーチャードホールにて観劇。
そうそう、あの時の人`幸夫人が熊川哲也とご対面。’っていうあれです。

今回、熊川率いるK-balletの創立10周年記念公演ということで、構想3年の熊川版「ロミジュリ」のお披露目だったのですが、これがまあ、心底驚き、感心するほどにオリジナルで、緻密に作られたロミジュリでした。ー古典をもう一度作り直すのって、つまりは常識とされている意識を解体する作業で、とても勇気もいるし、想像力もいる、大変な作業だと思うのですがー

「ロミオとジュリエット」を演る場合、陥りがちな過ちとして、演劇でもダンスでも本作を若い二人のラブストーリーとして、そこに焦点をあてて上演してしまうと、単なる男女のすれ違いの悲劇で終わってしまって、そこまでの舞台になってしまうのだが、ー実際、この表層面の解釈だけで演じられてしまうことも多々あり、さらにはその単純さを揶揄した翻案作品まで出て来てしまうー今回のK-ballet版では丹念な原作の読み込みがなされた結果、綺麗な悲恋物語というだけではない当時の社会批判を色濃く出した舞台となっていました。

例えば、絶対的な男性の優位を誇示するジュリエットの父親像、また若さゆえのプライド、さらには若い友人同志の強い連帯意識から先走り過ちを犯すロミオ。今回の舞台ではその若げのいたりに気づきかけていたロミオの姿もみごとに提示されていた。ジュリエットに関しても、従来の舞台より子供っぽさがマイナスされて、一人の婚礼をむかえる女性としての自覚のある自立した女性として描かれていた。

そんな細やかな演技=踊りを見せてくれたのが、カンパニーの大黒柱、熊川哲也(ロミオ)と英国ロイヤルバレエのプリンシパルダンサー、ブラジル出身のロベルタ・マルケス(ジュリエット)。
マルケスは今回初めてのK-balletへの参加だが、勘ぐりたくなるほどに、それほどまでに完璧な熊川とのパートナーシップでこの一夜にしてすでに、日本・K-balletでの今後の舞台が待ち望まれる存在となった

また、ダンサー達のモチベーションの高さ、そして何と言っても、大舞台の高さの利を十二分に活かして、何倍もの広がりのある舞台美術を実現、ヴェローナの街を渋谷に再現したK-balletの主力アーティスト、ヨランダ・ソナベントの美術に、この舞台の成功の鍵があることは間違いない。


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2009年10月21日 (水)

コネマラの骸骨

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大好評、演劇集団円による英国人のFecking Geniusbombな劇作家マーティン・マクドナーの出世作シリーズ・リーナン三部作上演。今回「ビューティークイーン・オブ・リーナン」「ロンサム・ウェスト」につづいて最後のシリーズ作上演となったのがこの「コネマラの骸骨」。

期待通り、いやそれ以上にまたもや良い仕事をしてくれています。

お決まりのアイルランドの田舎の一軒家。バラックかと思うような、酒瓶と最低限の机と椅子、申し訳程度の簡素な十字架意外何も無い主人公ミック(石住昭彦)の家のシーンで芝居が始まる。
ミックはご近所さんのちゃっかり婆さん、メアリー・ラファティー(山之廣美)といつものたわいもない話をしながらいつもと変わらない午後を過ごしている。と、そこへメアリーの孫でオツムも態度も軽いマーティン(戎哲史)が入って来て、とまらない無駄口と一緒に村の神父の伝言を伝える。。。。
年に一度の裏仕事ー宗教上の理由で火葬が普及していないアイルランドの大混雑の墓を整理するために、墓堀りをして年月の絶った骨を闇で処分するという仕事ー、の季節がやってきたというわけ。
しかしながら、今年がいつもとは少し違うのは、7年前に亡くなったミックの妻の墓がその区画整理の計画地の中に入っているということ。
村のゴシップ好きの間ではその妻が死んだのはミックが運転していた車の事故が原因ではなく、ミックが殺して!?それを事故と偽装した、ということなのだが、、、


と、劇の中心にその他殺か事故か?という謎解きがあるものの、劇の魅力は何と言ってもその核の回りいっぱいに散りばめられた日々の愚痴(に聞こえる)とナンセンス(これもまた一見そう聞こえる)な会話にあり!
そのあまりにも独創的でバカバカしくて、それでいて哲学的な台詞の数々、、まさに hilarioussign03の一言に尽きる。

間違いなく、今、私が心酔しきっちゃっている劇作家がこのお方、マクドナー。
野田秀樹の戯曲の言葉一つ一つを復唱したように、マクドナーの台詞読み返しております。(どんな英語で書いているのか、気になって原書を入手。アイリッシュのそれも地方の訛りバリバリの翻を堪能させてもらっております)

どこからこんな発想が出てくるのか、そのクレイジーなまでの常軌の逸し方は何故のことか?でもって、最後の着地点がそこかい!ってつこっみたくなる。最初から最後まで、凡人の想像を裏切りっぱなしのノリが、病み付きになる理由でしょうか。

やっぱり、ベケットばりと言うべきなのでしょうか。

モンティ・パイソンと言い、ベケットと言い、TV ドラマシリーズ「グリーン・ウィング」と言い、これがあるからやっぱり目がイギリス方面を向いてしまうんです。
理路整然としたもの、ましてや勧善懲悪や愛とは?なんて子供騙しレベルのものにはウンザリ。。
もっと、想像を突き破るほどのもの見せて欲しい、、となると、やっぱりGeniusな方に問題定義をしてもらいたいものです。

で、最後になりましたが円の舞台。
役者4人が良い。
このところ、役者の売り込みステージのような、俳優がスターとして舞台にいるような個人の芸を見せられに行くような、、ステージも多い中、これほどまでにそれぞれに浮き出ることのない、今回の舞台の明るさ同様に地味〜〜〜なーあくまでも良い意味でです!ーいぶし銀(あ、こう言えばいいのか)のような演技が舞台を成功へ導いていました。


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血の婚礼 再見

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TPTの「血の婚礼」を千秋楽で再度観劇。

週末の秋晴れの午後、東京の喧噪を離れ、運河沿いのがらんどうのアートスペースで乾いたグラナダの赤土の原野で起こった芝居を観る。こんなプチ東京離れが新しい風を疲れた脳に送り込んでくれる。
いいんじゃないですかね〜〜〜?
で、芝居作品もかなり観客の想像力にその実を委ねた種のものだったので、観ている間にそれこそ様々な事を考えられて、良かったです。
真っ赤な糸玉〜noteーってこれ観に行った人にしか分らないんですが。。

糸玉っていう日本的な歌詞と琴の旋律、ウッドベースのゆったりとした音色。ヴィジュアル面では美術といい衣装と言い、かなりラテンを意識したものだったのですが、この自然に身体に馴染む音楽によって、そのラテン色が日本人にしっくりと馴染むように働いて、、、結果的にはラテン色を出しながら、ユニバーサルな芝居に仕上がっていたように思います。

役者陣たちの身体にもそのラテンが自然に馴染んできたのか、10日前に観た時よりもがぜん良くなっていた。思い通りにならない焦燥感と抗えない大きな力に対しての諦めがよく現れていたように思います。
小谷真一、呂美、山田ジルソン、武田優子、、と若手の台頭にこれからも期待が膨らむ。

追記
で、昨日、今日とBBCインターナショナルでスペイン内戦で暗殺され、混乱の中その死体の所在が明らかでなかった原作者ロルカの骨が発見され、今発掘作業が進行中、、というニュースをやっていて、その骨が見つかったあたりグラナダの土地の風景とロルカの略歴を紹介していたんですが、これがまさに百聞は一見にしかずというやつで、その乾いた土地を見れば、、内線時代の圧政の一端を耳にすれば、でもってエキストラ情報でロルカはゲイで、それによってかなりの弾圧を受けていたという話を聞けば、、、もっともっと直接的に「血の婚礼」の理解も深まるというもの。
あの荒涼とした土地があの芝居の背景ーそれぞれの役の心情ーを如実に語ってくれていた。

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2009年10月20日 (火)

心が目を覚ます瞬間〜4.48サイコシスより〜

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サラ・ケインの「4.48 サイコシス」だと思って観に行ったのだが、タイトルが示すようにサラの戯曲から翻案過程を経て作られたオリジナルであることが判明。

翻訳・翻案・演出・そして主演と一人4役をこなししている谷賢一氏が台詞は原作から自ら翻訳してかなり忠実に使用しているのだが、原作の重度の鬱病患者(作者サラの投影)が発する語りという部分が芸術の創作の苦しみに直面するクリエーター(谷氏自身の投影?)と心のか細い少女という二人に置き換えられて上演されている。

心の病、現代の孤独をデジタル映像、散乱する物たちなどにより上手く表現されているのだが、だが、、お上手すぎて、心をエグらない。

戯曲の核の何か、に手が届いていない。。。

あ、そうかこれは「4.48 サイコシス」ではなくて、「心が目を覚ます瞬間」という芝居だったんだ。
あらためて。。

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2009年10月17日 (土)

G.は行く

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本日観た、大駱駝艦の「G.は行く」。

今年2月に世田谷パブリックシアターで上演し、その圧倒的な世界観でダンスファンのみならず、多くの演劇ファンを総立ちにさせた「シンフォニー・M」から半年、こんどはそのお隣のシアタートラムでカンパニーの女性ダンサー達と`男の永遠の純情’と`女の生まれながらのしたたかさ’それを畏敬をこめた男の視線から描いてみせた。

暗闇の中、ステージでたおやかに身体をしならせる女性ダンサーたちの身体の綺麗さ、菩薩のようなその微笑みを支える強靭な身体と心。

タイトルのGはGoddess(女神)と受け止めた。

大駱駝艦のステージを観る度にー前回の「シンフォニー・M」は殊更にその点が際立っていたのだがー、このカンパニーが作り出すステージが舞踏とか、ダンスとか、それこそパフォーミング・アーツというボーダーを軽く(←ここが肝心)飛び越えて、独自の芸術表現、さらにはクリエイションワールドを展開しているところ、これがこのカンパニーを見続けたいと思わせる大きな魅力であろう。

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先日行った中野の劇場のお隣の姉妹劇場(!?)でやっている芝居、三田村組の「home」を観る。

このところの小劇場再燃ブームの中心である若手演劇人達の中での注目株、他劇団への脚本提供・演出、さらにはテレビやラジオの脚本執筆でもひっぱりだこの劇団「ONEOR8」座付き作家・演出家、田村孝裕が65歳の三田村周三率いる三田村組へ書き下ろし演出した芝居(ちなみに、田村はこれまでにも何度か三田村組とのコラボ経験あり)。

私設老人ホームが話の舞台だけあり、高齢者中心の芝居ながら、そこで働く若いヘルパーさんや入居者の家族(松永玲子)も登場し、話も舞台上もー役者さんたちが役のほぼ実年齢の人たちによって演じられているー年齢層が幅広く、それぞれ世代ごとに違ってくる悩み、主には高齢者たちの`生命力と性命力’の強さが彼らのやんちゃなエピソードにより語られていく。

酸いも甘いも噛み分けた高齢者たちの日々のつぶやき、綺麗ごとではない台詞は聞いていてすか〜〜〜っとするのだが、、ちょっと良い話すぎるのがたまにきず。

骨肉のあまりにも醜い争い、、が観たいわけではないのだが、、それでも、現実に聞く身の回りの介護や老齢の話の方があっと驚くようなドラマ性があり、人間らしいというのも、、その意味ではちょっと芝居としてはヨワイ、かも。

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2009年10月16日 (金)

CHICAGO

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ブロードウェイ・ミュージカル「CHICAGO」を観劇。

CHICAGOってこんなに良く出来たミュージカルだったのね、と眼から鱗。

思い返せば、ロンドンで90年代に観たミュージカルがどれも今ひとつパットせずー「オペラ座。。」とか「レミゼ。」「スターライト。。」「ミス・サイゴン」と傑作はどれもこれもそれ以前に幕を開けていたもので新作にあまり目新しいものが無かった、で鳴り物入りで幕を開けた「サンセット・ブルバード('94)」が物足りなくて、で、「オペラ座の怪人」で私のミュージカル通いは封印、、なんてかってにその方面から足を遠ざけてしまい、当時勢いを増していたコンテンポラリーダンスや英語が分りかけてきたストレートプレイの方に通うようになった、、まさにその時このCHICAGOがロンドンでヒットしているんですね〜〜。(97年ー96年のブロードウェーでのリバイバルヒットを受けて)

その後、ロイド・ウェーバーの呪縛からちょっとは開放されたロンドンミュージカル界は様々な種類の新作で盛り返し、今ではウェストエンドで多種多様な良質ミュージカルが観れるようなので、またミュージカルもチェックしたいなとは思っているんですが、ね。

確かに、当時の記憶を辿ると、、あのCHICAGOのモノトーンの洗練された男女のポスターを至る所で目にはしていたように思います。

パンフレットによると、そもそも、この改訂版ー(音楽とダンス、特にボブ・フォッシーの粋でソフィスティケイトなニューヨークスタイルを最も格好良く見せるべく、演劇的な芝居の部分を抑え、ライブバンドをステージ中央に置き、エンターテイメントなショーのスタイルに仕上げた舞台。それによって舞台のオリジナリティーが増し、シンプルがベストに働くという良い例を示してくれた。)ーの前に上演された、やはりフォッシーの振り付けで構成された75年初演版のミュージカルはその一ヶ月後に幕が開いた「コーラスライン」のヒットの陰でトニー賞にノミネートされながらも無冠に泣くという結果に終わったというから面白い。
当時の社会背景から、現実世界のウソと虚栄を描いた「CHICAGO」よりも日のあたらない世界の弱者たちが真実を赤裸裸に告白するという内容の「コーラスライン」の方が多くの支持を得た結果とのことだが、それから30年、一部の人たちが富を独り占めして、同じ一部の人たちが世界でパワーを独占するこのご時世、今このミュージカルが再びロングランを続けている(改訂版の新しい演出が功を奏したというのも大きいが)理由もまた納得できるところ。

子供騙しのおとぎ話を偽善たっぷりに歌い上げられるよりも、こんな大人のショーの方がドライで、割切っていて、、私好みかも。

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バケレッタ!

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吉祥寺シアターで鄭義信の新作、「バケレッタ!」を観る。

これって、関西風味ってやつなのかな〜?
ウェットな部分も笑いの部分も、なんだかコテコテにクドかった。

役者も上手くて、コマネタで笑わせてもらいましたが、全体にぴりっとした筋が通ってなかった。
この人情話でなくても、他にいろいろ引き出しから出てきそうなもので、、そんなものを次回に期待。

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血の婚礼(TPT)

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横浜Bank ART Studio NYKにてTPT第72回公演、フェデリコ・ガルシア・ロルカ作「血の婚礼」を観る。
「血の婚礼」は3年前に当時の拠点、ベニサンピットにてアメリカ人演出家、アリ・エデルソン演出、二村周作美術、当時の若手の俳優人ーパク・ソヒ、斉藤直樹、宮菜穂子、板垣桃子らで上演した作品。
長方形の細長い舞台の回りを囲むように透ける白い布が掛けられ、また、舞台の淵に食器や花が飾られ日本から遠くは慣れたどこかの国という、異国情緒漂う舞台上で狭い世界に閉じ込められた若者達の行き場のない感情が激しくぶつかりあい、飛び散っていくドラマが展開されていたが、さて今回は?

今回、美術担当は朝倉摂、演出が門井均、そしてキャストに今の若手陣、そこへTPT常連の大沼百合子(前回とは違う役で出演)、植野葉子が加わっての新バージョンとなった。

何と言っても、打ちっぱなしのコンクリート建物の空間を劇場へと転身させ、さらにはその空間のほとんどを今回の劇「血の婚礼」のラテンの世界で埋め尽くしてしまった、舞台美術が圧巻。そこへライブの音楽(琴!とウドベース)が加わり、出演者たちによるオリジナル楽曲の歌唱とラテンダンス。
登場口から垣間見える横浜の運河の夜景が果てしない闇を作り、そこから続く導入通路では桶から水が飛び散り、さらに芝居が展開するメインステージには赤土が溢れんばかりに敷き詰められ、背景では壁画のような絵画の馬が草原を疾走している。。。。って、これプロセニウムの額縁劇場では体験できない鼻孔で、肌で感じるロルカの「血の婚礼」。
頭で理解しようとしたら、その時点で消えてしまう、この芝居に最も適した舞台表現なのかも。

頭では理解できないことって沢山あるもの、、あの女があの男へと走ったのだって理解できないし。。ね。

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その人、女優?

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中野テアトルBONBOのこけら落とし公演ということで、東京ヴォードヴィルショーの「その人、女優?」を観る。

前にも同じ場所に劇場はあったと思うけどー何年か前に観に来たことがあるから絶対あったはずーなんだかその住宅街の中に立派な劇場が二つも出来てしまっていてーMOMOとポケットー、一体どこが、誰が劇場経営始めたんだろう? と素朴な疑問。

「住宅街なので、ご近所の方々の迷惑となりますので役者との面会がある方は建物内、客席でどうぞ。」だそうで、なるほどね〜〜〜いろいろと諸事情というのがあるんです。下北沢とかだと街全体が劇場地帯化しているから、住民からも文句は出ないんだろうけど、劇場というものが新しい街に根付くと言うことはいろいろな問題をクリアーしていかなくてはならないのね。勝手に芝居、っていうわけにもいかないのね〜〜〜と。

で、お芝居ですが、流石にどんな状況でも動じないようなベテラン俳優がうようよしている老舗劇団だけに、もう、余裕のよっちゃんで、その分お客として十二分すぎるほどに満足させてもらいました。
役者の力は大きい!
佐渡稔、市川勇、石井愃一らの結成ー73年ー当時からのメンバーにしっかりと守られながら、女優陣が思う存分力を発揮する芝居(04年に劇団結成30周年公演として上演したものの再演)で女が物事動かしていく。
で、その肝心部分の女優陣ーあめくみちこ、山本ふじこ、市瀬理津子らがこれまたカラフルで、それぞれに個性があって良い(若手劇団だと誰がだれだか、っていう状況もあるけど、ここは混ざり合わない強いそれぞれのカラーがある)。

翻は劇団「道学先生」の座付き作家でもある、劇作家 中島敦彦のオリジナルで、またこのなんとも昼のワイドショー的な雑多なものが混ざり合ったコメディーがヴォードヴィルのコメディアン+コメディエンヌたちにぴったりしてて、、、火曜日の午後、週初めから大いに笑わせていただきました。


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2009年10月15日 (木)

組曲虐殺

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井上ひさしの「蟹工船」、と聞いてワクワク。どんなピリ辛な(良い)毒を振りまいてくれるのだろう、と期待していたのだが、ちょっと消化不良。

今言うのも変な話だが、(将来の)再演を心待ちにしてしまっている、っていうのも何とも複雑なものです。

さすがに話は骨太で、役者陣も粒ぞろい、ライブ音楽はピカイチなのだが、、、幕開けから数日しての観劇だったからか、探りながらの八分目ぐらいの出力で、随所で確認し合いながら、というように見えた。

芝居としては前述のようにとっても良いものなのでー刃のようにするどい台詞あり、その台詞がアジテーションではなく日常で語られていたし、、やっぱりもう一回観ろということなのかな〜〜?

それにしても、今更ながらに拷問の痕がはっきりと残る死体を「心臓発作」と公式記録に偽証して記してしまう、そんな極悪同盟たちが「せいぎ」の監視役というお役目をもらって善人面しているって、何?

ま、世界レベルでもどっかの国は偽善者面して戦争始めてたけど、ね。

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雨のにおい

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しばらく、記事執筆+観劇 昼&夜 なんてスケジュールで過ごしていたら、すっかりまたアップが遅れてしまいました。。。さ、リアルタイムに追いつくように鞭を入れて追いつきます。

下北沢駅前劇場にて東京タンバリンの「雨のにおい」を、台風が接近しいつ雨が降り出してもおかしくないような雲行きの日に観劇。

対面式の劇場中央には二つのシチュエーションが交互に展開していくこのお芝居のどちらのシーンにも対応するシンプルなカウンターと椅子、また、待ち合い所 または会社内の喫煙室というセットが組まれ暗転ごとに駅の遺失物保管センターと会社の休憩室のシーンが交互に演じられる。

一見では繋がりがないような二つの場所での話が時間軸も多少前後しながら進んでいき、謎解きを含みながら、最後にはその2点が一つの線で結ばれるという、なかなかに凝った作りになっている。

現代人の乾いた人間関係が引き起こす悲劇をそれぞれの場所ー会社と駅の事務所ーでの近しい人たちの間で交わされる日常の会話を再現しながら追っていくわけだが、会社でのやりとりがちょっとヨワイー作り物っぽいあざとさが見えるーと感じるのは私がドップリな会社生活から離れてちょっと経つから?かな。(会社員のようなふりをして会社通い、というのは最近までやっていたんですが、如何せん、マイペな会社員だったからね〜〜)

それとも、いまどきの会社では、あんな会話が日常なのかしら?ーとってもテレビドラマのワンシーンみたい。みんながみんな、主役になる将来の自分探しに邁進しているようで、気持ち悪い。

ちょっとイイ話に上手くまとめすぎて道徳的になり、細部にリアリティーが、人間臭さが感じられなかった。

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2009年10月 5日 (月)

プレミア

あ〜〜〜、またもプレミアリーグ観ちゃったよん。

ある統計によると世界で7〜8人に一人がプレミアリーグの試合(イングランドフットボールリーグの最高位クラス)を観ているらしい。
この数字、すごくない?っすか?

テレビが無い地域も含めてのこの数字ですから、どんだけの人がイングランドタイムで暮らしてんの?って話。

レッドデビルの試合を観るのは当然なのですが、それプラストップフォーの試合もついつい。。(今晩はチェルシーvsリバプール 西ロンドンのパブは今頃すごいことになっているんでしょうね)
いやー、何と言っても、やっぱりついついチャンネルあわせてしまう(夜中だったりが多いんですがね)面白さだもの。
イングランドでワールドカップやっているような豪華さだもの。1発のミスが命取りのハイレベルな真剣勝負は面白いです。

何だかえげつないほどのお金を選手に払って、次々と新しいメディア戦略を展開して、、、その力の入れようはハンパないですから、盛り上がるわけです。

それに比べると、わが国の国技。。やっぱり、世界に向けて相撲競技を、その面白さを広めていくなんて気はさらさらないんだろうな〜〜〜と思います。
プレミアなんて何カ国の人がプレーしているのかしらないけど、それぞれがフットボールのルールという最低限の共通認識の下、それぞれの個性バリバリでしのぎを削ってますが、、なんで勝利の後のガッツポーズがいけないのか?それって品格とどこが関係するのか?さっぱり分らん。
それだけ真剣勝負して、その結果、素直にでた感情表現になんで待った!が出るのか?
逆にとっても自然な喜びの表し方に見えるんですが、、、
日本人もみんなやってるよね、普段から自然に。ね。

朝青龍のガッツポーズより、気持ち悪いことっていっぱいあると思うけど?
例えば、先の総選挙直前のスマップの自民党応援広告。
大敗の陰にすっかり隠れてしまったけど、あれは気持ち悪い、し、超マズいでしょ。
なんでやっちゃったかね〜〜?ではすまされないほどの致命的な、命取りになる決断でしょう。

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サッちゃんの明日

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三軒茶屋、シアタートラムにて大人計画の新作「サッちゃんの明日」を観る。

これまた大変素晴らしい舞台で、涙。。涙。(笑いすぎて涙!?)
ここのところケラさん、松尾さん、、とこれぞ現代の日本演劇代表作という傑作を発表してくれて、やっぱり舞台から眼が離せない、演劇好き冥利に尽きるという至福の時間を過ごしております。

白い粉が舞い散って、エロありグロあり、かわいいうんこネタあり、と大人計画でしか観れないお芝居でお腹いっぱい楽しませてもらいました。

申し訳ないが、おもろしすぎる。今回は阿部サダヲ、平岩紙などー他メディアで多忙なのかーはお休みだったのだが、松尾スズキも小声で参戦し、宮藤官九郎はラリったヤク中役をナチュラルな(!?)演技で軽くかわし、皆川猿時がメインのメンズパートを圧倒的な個性で演じきり、猫背椿が随所で円滑油として働きまくり、星野源が芝居をまとめ、鈴木蘭々がマイペースに、かわいらしくヒロインを歌い上げ、、、でもって何と言っても(他の劇評投稿欄でも言われていましたが)元サモアリのお二人ー小松和重、家納ジュンコーが大人計画役者を上回るハイテンションで芝居を回しておりました。
全員でコツコツと積み上げ、で、思いっきり雑に見えながら実のところとっても丁寧に隅々まで考えぬかれた芝居で大変良いものを見させていただきました。

役者が上手い!翻に本気と正直が詰まっている。でもって、小屋も良い。

ウ〜〜〜〜ン、脱帽。

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2009年10月 4日 (日)

旅とあいつとお姫さま

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週中のマチネで、こどもも大人も楽しめる「旅とあいつとお姫さま」を高円寺に新しく出来た公共劇場、座・高円寺にて観劇。

市民のための劇場ということで、近隣に住む住民たちへ向けーその中にはお母さんと子供も含まれているということー上質な舞台を提供していきたいという、公共劇場が全国区になってきた近年の傾向にちょっと一石を投じるかのような姿勢で注目していきたい、この劇場から発信されたこの舞台、公共劇場ならではというような時間をかけて丁寧に創作された作品は一見も二見も価値のある舞台だった。

アンデルセンの「旅の道づれ」とノルウェーの昔話「旅の仲間」を題材に、イタリア人演出家テレーサ・ルドヴィコ(世田谷パブリックシアターで発表し、好評につき翌年の再演も果たした「にんぎょひめ」の舞台で日本での知名度も高し)が創作した新作演劇で、子供向けと銘うってはいるものの、おとぎ話調の言葉で語りながらその内容は道徳的ではありながらかなりシニカルで舞台もため息が出るほど芸術的にう・つ・く・しい!!
でもって、ダンサーとミュージシャンを招いた舞台上のアンサンブルも、視覚的に美しい!
衣装、舞台装置ともども、オリジナリティーに溢れ、それがいかにもヨーロピアンな色彩感覚(幼稚な原色使いではなく、色をふんだんに使いながらも洗練されている)で、また小道具の使い方もシンプルながらに効果的。これがルドヴィコたる成果なのだろう。

子供向きに作られた作品ながら、その仕上がりはかなり大人向け、とは言え、`子供向きの演劇がいかにもこどもの程度にあわせました、、という大人の思い上がりから作られたものであってはならない。子供向けという演劇のジャンルは無い(教育的配慮から過激な性表現やバイオレンスなどが含まれるものは子供には見せないという判断はあったとしても)’と、夏に来日していたクロアチアの演出家ー児童演劇の分野での第一人者ーが座・高円寺の公演の際に語っていたのは正しいのであろう。

小さい子供にとってはその不気味な悪魔などのメイキャップがとても怖く感じたらしく、ちょっと泣きべそのような声も聞こえたが、、反面、舞台で繰り広げられるイメージの自由な表現、美しい視覚効果などは、そんなちびっ子たちの脳裏のどこかにきっと残ったはず。

家の近所の劇場で気楽に上質な演劇を楽しむことが出来る杉並区の住民たちはラッキーです!

この座・高円寺の新しい試みが、さらに広がっていくことを願っております。

psー丁度、NHKのゴールデンタイムで今日の教育現場、子供達が世界不況のあおりをうけて教育をうける自由を奪われかけている(この先進国、日本で!!!)ーというレポート、討論番組をやってました。
最近のNHK 確かな番組作りで面白い。NHKって確か、ちょっと前まで批判の対象にされてばかりだったはずなのに、いつの間に立て直したのか?  一方、なんでJALはあんなにひどい状況になるまで、誰も何もしなかったのか? 長期的な展望を持てるリーダーとそのイマジネーションに欠けるリーダー。
これからの民主党の長期展望構想力に注目。

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世田谷カフカ

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週中に下北沢、本多劇場でNylon100℃、34回公演「世田谷カフカ」を観る。

これがまた、帰りの小田急線で口笛吹きたくなるほどにごっつええ芝居でした。

カフカの未完長編小説、「城」「審判」「失踪者」の登場人物頭文字「K」さんたちと作者のK(カフカ)さんを話に織り交ぜながら、今回の創造者K(ケラリーノ)さんが紡ぎだした現代におけるーそしてそれは普遍としていつの世にもあるー不条理で様々なことが決して思い通りにはならない、それでもってそれだからこそ存在し続ける意味があるという世の中の真実を語った、骨太な内容をかる〜〜〜く、スタイリッシュに仕上げた職人芸の芝居でした。

つづく。。

そしてつづいて、また観てきた(10/8)。台風一過が通り過ぎた夜に。

でもって、やっぱり傑作だった。

カフカが描く不条理な世の中の仕組みを、見事なまでに今日の日本と繋ぎ合わせていた。
つまるところ、物事全てがとても不条理で、でもってその不条理をはからずも生産している要因がとっても個人的なエゴやら、人の見栄やら、と〜〜〜〜っても利己的な理由から端を発していたりする、、そんな世の中のからくりを見せてくれる。
カフカが描いたところの多くのこの世の謎、どうにもならない仕組みを現在とリンクさせて目の前に示してくれた、そんな観れば観るほどスッキリする、なるほど!!!な内容。

間違いなく傑作です。


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オリンピック

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数日前からにわかに「オリンピック、マジ来ちゃったらどうする??」なんて話題があちこちでゆる〜〜〜い感じで囁かれ始めていましたが、決まりましたね。。。。リオデジャネイロに。

これで、大ドンデン返しで、「ト〜〜キョ〜〜!」なんて声が最後に上がっていたら、どうなっていたんだろう。と真夏の怪談なみに背筋が凍りつく話題でしたよね。

だって、その関係者の方々には待ちに待った決選投票日だったんでしょうが、市民レベルではまったく盛り上がってなかったですよ。ホントに、もしももしも「やって下さい。」なんてことになっていたら、日本中が「え〜〜〜〜、今かよ?ほんとにこんな時に見栄はって世界レベルのお祭りなんてやっちゃうわけ??え〜〜だったら、やるって言った人が責任もってやってよね、都の職員の方々でやってちょ。」なんてことになりかねなかったですよね。

それにしても今朝のサンデージャポンでのD.スペクターのコメントが一番、的を得ていたっす。
「一番言いたいのはIOC(国際オリンピック協会)って何様?ってこと。。。。だいたい彼らがあれほどの権限を持っているのは全てが金がらみだということはあまりにも明らかなのに、最後に将来の子供達のために、、とかいやに偽善的に締めくくるのがイヤ!(ま、こんな趣旨でした)」って、ホントにあなたのおっしゃる通り。

IOCもJOCもいったん原点にもどって、国際規模のスポーツの祭典っていうものを追求し直して欲しい。

もう、豪華な開会式も北京オリンピックで打ち止めの感があるから、そうゆうの、もういらない。
シンプルに競技して、黙々と一国際大会として勝負して、泣きもせず、雄叫びもせず、、、そんなオリンピックを、私は楽しみたい。

もう全てが、行き詰まっちゃって、後戻りは出来ないのかも、、

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