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2009年8月

2009年8月28日 (金)

304(8/27)

304


昼間の前川氏と同世代の劇作家・演出家、もう一人の現代の演劇界の寵児、蓬莱竜太氏作「304」の初日(初日とは知らずに観劇)を池袋あうるすぽっとで観る。

蓬莱氏所属の劇団、モダンスイマーズが初期の04年に番外公演として上演したものを今回は茅野イサム氏が演出した作品。
(ちなみに、モダンスイマーズの戯曲(蓬莱氏筆)はさまざまなパターンでの再演回数が多いようである。資源は有効に使った方が良いと思うので、現代戯曲でも再演おおいに結構!どんどんやってほしい。)

今日は昼、夜と社会から落ちこぼれた若者達(若干年齢に違いはあるものの)の救いの無い社会を描いた芝居を観る事になったがー当然と言えば、当然な成り行きなのだがーこちら、夜の部「304」は、こじんまりとした座組でさらにもっと狭い、それも誰も気に留めないような裏社会の話であったのだが、いやいや、なかなか、こちらも面白かった。

こちらの方は、若者単体の孤独と、現在の社会の現実(資本絶対主義)、さらにはそんな世の中でも生きていかなくてはならない世代の覚悟が描かれていて、やっぱり、芝居は何と言っても、「今」を観るべきと感じた一日の終わりでありました。

bus帰り道、直線距離の交通手段として一番早そうなバスに乗って帰ろうと試みた(前にも書いたかもしれないが、私バスフリークなもので、それもあり)が、夜間の運行は極端に少なく、結局テクテクと歩いて帰るハメに。素直に電車に乗ればよかった。。。

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狭き門より入れ(8/27)

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パルコ劇場で前川知大、作・演出、佐々木蔵之介率いる演劇ユニット「チーム申」の第三回公演、「狭き門より入れ」を観る。

これが、「2009年の夏、今観たい舞台ナンバー1」!
「今」を最も適した形で切り取り、舞台にのせた、必見の舞台だった。

こんな奇跡の舞台に出会うことは、それこそ滅多にはないのだが、その勝因の一番の功績は何と言っても戯曲にあるだろう。

ー若干、ネタバレー
あと3日後に世界は滅亡する、が、その時点で世の中がまったく消えてしまうのではなく、あと3年間の執行猶予を残した今の世の中のその後の世界に残るのか、それとも、これまでの悪い点を改良した(と思われる)新しい世界へ門をくぐって移動するのか?今の世のご多分にもれず、人生に上手くいかず、厭世気分いっぱいだった、主人公・天野(佐々木蔵之介)がいきなりそんなとんでもない人生の岐路に立たされる。自分の人生を振り返り、家族の思いに考えを巡らせ、天野は自分の人生にけじめをつける。


まさに、破天荒な地球の将来を揶揄したフィクションストーリーでありながら、随所随所に語られる、今を生きる人々(特に今を生きる日本の人々)への直球勝負の問いかけ、また、主人公が発見する人生の真実。まずは、その台詞がズンズンと心に響いてきて、劇作の中に引き込まれる。
何気ないような問いかけが、普遍の真理を言い当てている。

でもって、最初から最後まで、そのとんでもないSFストーリーを肉付けするディテール、キャラクターの設定、エピソード数々などが細部にまで、現在、それも最先端の今日の日本の状況を反映していて、芝居に絶対必要な説得力を持たせている。

さらには、今回のキャスティングが絶妙で、壮大なスケールのこの社会劇をしっかりと地に足がついた作品へと仕上げている。

もう1回、いや何回かは観てみたいものだが、残念。。。チケットは完売らしい。

戯曲を手に入れて読んでみたい。傑作です。

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ザ・ダイバー

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池袋、東京芸術劇場・小ホール1で野田秀樹作・演出・出演の「ザ・ダイバー」を観る。

演劇ファンには周知の事実だが、本作品は最初、英語で書かれロンドンにて英国人俳優と野田(全編英語で演じる)のキャストで上演された芝居の、日本語訳(日本人である野田氏がもともと書いているので不思議な感じがするが、これが、ややこしいことに日本語への翻訳過程を経た戯曲であり、実際、英文学者の河合祥一郎氏が翻訳作業に関わっていたりする)され、日本人の役者により演じられる日本語バージョン。

能楽の「海女(ダイバー)」と11世紀に書かれた世界最古の小説、「源氏物語ー葵上ー」から抽出した話を題材にし、人間の心が発する強い想い、人の業ー普段は隠れている闇の部分ー嫉妬の念、子孫に対する永劫なる母性の念ーを現代女性の一犯罪のなかに見いだし、千年変わらぬ人の心のあり方を示した作品。、ということにでもなるのだろうか。

まず、英語版と日本語版の比較、と言ってもそう単純に比べる事もできないのだが、気づいた点を書いておく;

*まずは役者陣

ロンドン版のキャサリン・ハンターの精神分裂、意志薄弱、弱い立場の女性の内側への逃避と破綻、中山ユミも素晴らしかったが今回の大竹しのぶの思い込みの激しい女、まさに狂気からの自滅型の中山ユミも素晴らしかった。
狂った女の演技からしたら、大竹バージョンの方が物の怪の憑依度の方が高かったかも。。反面、その女ユミがなぜにそこまで破綻してしまったのか、なぜ心を病んでしまったのか、この芝居に至るまでの人格形成の説明はその神経の細さを垣間見せたキャサリン版の方が納得できる節もある。

で、今回の日本版の役者陣ー(野田さん自身は同じ役なのでこの場合対象としないとして)が、そのチームとしてのアンサンブルがとても良く、その点からいくとロンドンバージョンを上回っているとも言える結果を出している。
特に、ロンドンバージョンではいまひとつキャラが分りにくかった、というか時代がかって嘘くさかった源氏、の北村有希哉の存在感が今回の上演で非常にプラスに働いていた。

*ロンドンバージョンが日本で上演された際に、しばしば言われたこととして、「英国人向けに能をアレンジした脚本!?」という声。そして、ロンドンでこの芝居が上演された際に驚くほど素直に浮かび上がった「言わんとすることがわれわれには分らない。」という意見。

どちらの感想からも、聞こえてくるのは「何だかわからない?」というニュアンス。

野田さん自身は英国版の日本での上演の際に「一義的にならないのが演劇の面白さ。わかりやすいことが大好きな国になってしまった日本で、どう受けとめられるか楽しみ」とコメントしている。

そして、確かに、1時間半ほどの凝縮された芝居の中には、野田さん自身が指摘するような様々な問題定義が組み込まれている。
小さなところで言えば、日本の理不尽な、そしてかなり野蛮な警察の権威横行の一端から、今まさに日本で起こっているマスコミの野次馬的視線への反省、それと人々の無関心さとそれに伴う一元的な正義の捉え方、そして行き着くところとして一人の人間の存在の重さ、その複雑さ。

これらのスパイスが所々でチラチラ見え隠れするのだが、いかんせん、話の繋ぎ合わせ(現代の放火事件と源氏の葵の上、そして能の海女)の方に時間を費やしてしまい、それで「言いたい事は何?」と最後に考えた時に、女の三面記事ドラマという印象に陥りかねない。
ラッキーにも、何回も観れるような環境にあれば、観れば観るほど、そしていろいろと調べれば調べるほどに「なるほどね!」ということにもなるのかもしれないが、1回の観劇で、それほどまでに堪能できるのかな??というのは、正直、疑問の残るところ。
打ち上げ花火のような後に何も残らないエンターテイメントが良いとは言わないまでも、夢の遊眠社の芝居(はっきり言って、こちらも一度見ただけでは何が何だか分らないものが多かった。。。が、そのもやもや自体に強大な魅力があり、その次の日も、同じものを観たいと思わせる、そして分ってきてからも、また観たいと思わせる力があった)のような、この娯楽が溢れているご時世にそこまでのインパクトがあるのかどうか、、、、だからと言って、決して昔へ回帰して下さいと言っているわけでは無いので、誤解のないよう、、、娯楽性と社会性、それに英国(英語)と日本(語)、万人か少数か、、今回の芝居のつくり同様、様々な意気込みが混在し、消化不良、発展途上という感がどうしても残る。

あと、一カ所、どうしても気分が悪くなる台詞があるのですが、、

「生きた子供を平気でお腹から掻きだすような女なのよ。あんたは。」(You are good for nothing, bitch, But scraping babies from your womb.)

いくら憎い浮気相手の女に対してでも、子供を生んだ事のある女の人がこうゆうこと言うかな〜〜?
そんなこと言うなら、人間辞めた方がいいんじゃない?っていうほど醜く強い台詞。

あと、絞首刑の解説も、(そんな野蛮な刑がある事自体、つくづく気分を害す)、それについて言及するんだったら、他でやってほしかったかな。


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2009年8月26日 (水)

あの子の考えることは変

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今年度の芥川賞ノミネート作品、本谷有希子の「あの子の考えることは変」は絶対のおススメです。

私としては、今年度の超話題作、あの分厚い上下刊本なんかより、よっぽど面白かった。

こんなにも、スピード感があり、ダメでグロで狭い世界を描いているにも拘らず、この小説では人間をきちんと描き込んでいて、奥が深い。
「変」ってどこから見て、どこと比べて変なの?そもそも、変であってはいけないの???

`変さん’たちは真面目に自分と向き合いながら、日々生きている。でもって、陰湿ないや〜〜〜な奴は出てこない。

創作に対する真摯さを感じさせられる、オ・ス・ス・メ の本。

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挑発スタア

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井出茂太率いるイデビアン・クルーの「挑発スタア」をにしすがも創造舎(もと体育館)の特設ステージで観る。

ちなみに、今作品をもってイデビアン・クルーは”産休”に入るとのことで、しばらくはカンパニーとしての活動を休止して個人ベースで活動していくとのこと。

まあ、カンパニーとして団体で動いていると何かと計画的にすすめていかなくてはならないから、待望されているにもかかわらず(売れていないなら問題ないんだろうけど)なんにも言わずに何年間も新作公演をうたないと言う訳にもいかないでしょうから、サザンの休止みたいなもんなんでしょうね。

ここらで、ちょっと一息入れて、方向性を考えたり、外部のいろいろな人と仕事をしたり、、個人的に実際に休暇期間をとってみたり、、、といろいろ出来るので、一度カンパニーのくくりを取ったんでしょう。。良い事じゃないでしょうか?それでないと、はっと気がつくと数年先までまだ出来ていない舞台の予定で埋まっているなんてこともあり得るからね〜。


で、舞台ですが、産休前の記念公演にふさわしく、華があり、格好良くて、キレがあり、笑いあり、心が大いに高揚する、奇麗で楽しさ満載の舞台でした。
なんだか、久しぶりにスキップしながら帰りたくなるような爽快感!

体育館というスペースを十分に意識した、縦長テーブルを舞台の端から端まで配した舞台セット(観客はその舞台空間を挟んで、体育館での競技観戦のようにたて幅の長いベンチシートで両側から観劇)におちゃめ部分の能舞台もどき、も素晴らしかった。


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にゅー盆踊り

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豊島区公共劇場「あうるすぽっと」と豊島区在住アーティスト近藤良平率いるコンドルズとのコラボ地域活性イベント。池袋西口公園で参加無料で開催された大イベント「にゅ〜盆踊り」へ。

後日のあうるすぽっとの発表によると、当日1000人もの参加者が輪をつくって踊りを楽しんだとか。

池袋という土地柄もあるのか、多国籍の人々で賑わっていた。
手軽だし、エクササイズにもなるし、知らない人とも仲良くなれるし、いいんじゃない〜〜い?
http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/fq20090821a1.html

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あの世(8/22)

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渋谷で「コースト・オブ・ユートピア」のレクチャー(亀山郁夫氏の作品解説と作品の時代背景など)を聞いた後、駒場アゴラで捩子ぴじん(ねじ ぴじん)氏のソロダンス「あの世」を観る。

芝居上演時には観客席となっているひな壇席を排除し、平場のステージ部分とそれを車座に囲む形の観客席、天井からは抽象的なモビールのオブジェが垂れ下がり、それをよけながら入り口と対面の席に着く。

舞台が始まる地階から男がひとり登場し、ステージ部分に放置されていた50〜60cmほどの大きさ氷の塊を製氷売りの方が使用するようなはさみ道具を使って、ズルズルと溶けた水の線を引きずりながら移動、時たま止まっては氷をのこぎりで割ろうとしたりしている。
そのうちにダンサーのぴじんさんが超ビキニの黒パンツ姿で登場ーちなみにツルツルの坊主頭は大駱駝艦時代からのトレードマークなので、肌色の体+ビキニパンツというミニマリズムを極めたような衣装ー。
暗転を不規則に繰り返す中、ステージ脇のシンセサイザーから発信される音楽にあわせ、ソロダンスを展開。

とりたてて、ストーリーがあるわけではなく、流れてくる音楽に体をまかせながら、氷を斬る音とひきずる水のトレースと関わりながら緊張感のあるステージが進んでいく。
彼の身体が音に反応し、また観客に反応しながら、そこに在る条件ー熱、音、オブジェ、光ーを身体に取り入れながら、何かを作り出していこうとしているのを回りの観客が目撃しているようなステージ。

眼が離せず。

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RENT

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今回で5度目の来日公演にもかかわらず、今夏注目度ナンバー1のミュージカル、「RENT」を赤坂ACTシアターへ観に行く。

本拠地ブロードウェイでは昨年9月にロングランを終え、今回は特別なー12年前の主要キャストの二人が返り咲いてのキャスティングー世界最終ツアーということで、今日の膨大なる日本ミュージカル観客人口の礎を築いた作品とあり、その筋の方々の間では大フィーバーが起きているらしい。

ロンドンでの「オペラ座の怪人」が王道ミュージカルの頂点であると信じて疑わない、一昔前のミュージカルファンである私は、すっかりその後のミュージカルから遠ざかっていたものでー実際、90年代にロンドンにいて、その時期にあまり面白いミュージカルが出ていなかったもんで、すっかりミュージカルからストレートプレイへ、そしてコンテンポラリーダンスへと足先の方向が変わってしまったもんで、、、へへ、、どうもロンドンでも00年以降ここ数年は優れたミュージカルがどんどん作られているらしく、ミュージカルもチェックしなくては(あくまでもロンドンで)、と思ってはいたんですが、どんどん通う劇場のキャパが小さくなってきている今日このごろですー、このRENTフィーバーに関してはすっかり、抜け落ちておりました。

来日公演の他にも日本人キャストによる日本版公演なども何度も上演されている、とのことなので、こんなにも劇場通いをしながら、未だ一度も観た事が無かったというのに改めて我ながら驚かされます。
何だか、そのNYの貧乏な若者アーティストたちの友情と愛とかAIDS蔓延により命の尊さを知る、なんていうキーワード全てが、私をこの作品から永く遠ざけてきたのでしょう。

で、レントヘッド(このミュージカルにハマっている大ファンたちをこう呼ぶらしい)らしき、かわいらしい浴衣姿の女の子2人組のとなりの席で借りて来た猫のような気持ちで観劇。

始まる前から興奮気味のお隣のお二人のレントトーク(主に映画版と舞台版の違いについてマニアックに語っておられました。エラい)に耳をそばだてながら、開幕を待つ。

で、でっかい倉庫のようなACTシアターに作られたNYダウンタウンの安アパートセットで展開されたーこの劇場にはドンピシャの舞台セットでしたー若者群像劇「RENT」。さすがに長年ロングランを続けて来ただけあって、楽曲が良い。若干のテーマの古さはぬぐえないものの、借りて来た猫の私にも十分、いえそれ以上に楽しめるものでした。どうもありがとうございました。

このように純粋な希望が持てる良い時代でもあったよな〜〜〜と、今の小劇場などで見られる、ー希望なんて持てる訳ないじゃん、、でもそれが当たり前だから、そっから芝居をつくっていくよー的な屈折感は微塵も無く、でも、それが受け入れられる時代だったんだな〜としみじみ思いました。

それにしても、みんなで明るくドラッグ・ジャンキーの悲劇なんてものを歌い上げているのをみると、一方で連日マスコミを狂喜乱舞させている「のりぴー事件」を思い出さずにはいられません。

このミュージカルを観て、ジャンキーの人としての弱さ、悲劇を思った人は、のりぴーの`悲劇’についても考えてみよう。
彼女が(本人が望めばの話だが)長い将来ででも更正して戻って来れるような、そんな社会をつくっていこう。ー罪を犯した人が更正できないような社会であるならば、なぜに刑罰のシステムがあるのだろうか?ー

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2009年8月24日 (月)

斉藤幸子

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銀座、ル・テアトル劇場で鈴木聰のヒット作、河原雅彦の演出で斉藤由貴主演の「斉藤幸子」を観る。

ま〜〜〜〜、これが、何やかんや言って、つまるところ面白い!

かなりこじつけ感のある下町人情物語なのだが、それが悪いようには出ず、「芝居なんだから、これぐらいやってもらわないと!ね」と言いたくなるぐらい馬鹿げていて面白い!!

でもって、今回のキャスト陣もそれぞれに個性的で良い味を出していて、かなりクレイジーで面白かった。(2001年の初演は観ていないので何とも言えないのですが、ネットで舞台写真を観る限りでは、そちらの方がもっとリアリズム色の濃い、わが街の良い人話風。今はなき、新宿シアタートップスでの上演ということだったので、その違いも大いにあったと思われる。)

で、いきなり今回は中劇場での公演だったので、それにあわせてスケールアップ、と同時におバカ(これはとても良い意味で)なはじけ具合もスケールアップしていて、ありえない人々たちの共演が私のツボにすっかりはまりました。

御年にして、しっかり高校生を演じ、ダメンズならぬダメウーマンをかわいく成り立たせてしまう主役を筆頭に、一人テンポをずらしながらオロオロし続ける中山裕一郎(これ、彼のハマり役でしょう)に紙一重な人物を軽々とリアリティーをもって演じてしまう粟根まこと、そして何と言ってもすべての笑いの中心となり芝居をひきしめているきたろう。。その他、明星真由美に千葉雅子、などなど。。。あっぱれな座組でした。

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犀〜リノゼロス(8/18)

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舞踏家、笠井叡(あきら)率いる新ダンスカンパニー、Generisゲネリスの第一回公演「犀」を吉祥寺シアターにて観る。

白塗りのなか、若干の塗り残しをほどこしたー最初からこの肌色のこってるの部分があり、これは彼の今回の衣装なのでしょうー笠井が中心となり7パーツに分かれた構成のトリツカレダンスを展開。

ドイツの哲学者シュタイナーが提唱した身体表現法オイトリュトミーを体得したオイリュトミストなる人たち(ちなみに、この分野の第一人者が笠井叡だそうです)、男性4人を従えて踊るのですがグロくて攻撃的な中心ダンサー笠井に対して、脇の4人はあくまでもその対照的なものとして押さえた群舞をみせていた。
で、一つ気になったのが、4人という少人数でありながら、一人がつねに揃っていなかったこと。そうゆうものでは無いと言われそうだが、観ている方としては気になって仕方がなかった。

フィジカルダンスであると同時に体の奥底から湧き出てくる感情を露呈すること、観念を身体で表すことにトライしているようで、舞台が進んでいくにつれ、そのトリツカレ状態は熱を増していく。

最後には笠井の心にある憤怒を言葉を交えてみせてもらったようで、なかなか見応えのあるパフォーマンスだった。

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2009年8月23日 (日)

マリー・ド・ブランヴィリエ侯爵夫人(8/17)

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ひょんなことから、若手劇団Dull-Colored Popの新作オリジナル舞台「マリー・ド・ブランヴィリエ侯爵夫人」を新宿シアターモリエールにて観劇。

シアターモリエールでの上演だから、という訳でもないのでしょうが、17世紀フランスを舞台に繰り広げられる、上流貴族夫人が欲にかられて引き起こした猟奇的連続殺人事件のお話。

それにしても、何故にフランス17世紀?

この劇団、明治大学の演劇学科を卒業した谷賢一さん(現在27歳)が4年前に立ち上げた劇団で "重厚な悲劇からくだらないコメディ、ロック・ミュージカルや翻訳劇まで手掛け、演劇の可能性を隅々まで追求する欲張り劇団"(HPより)と様々なジャンルの芝居を創作しているらしい。
で、何故にフランス?という疑問に関してだが、谷さんが在学中にイギリス・ケント大学へ1年間演劇留学の経験があるということなので、そのあたり、洋物上演にも抵抗がなかったのかも、、プラス、意図的に様々なスタイルを試しているみたいなので、今回はフランスが舞台の長編ミステリーというところに行き着いたのかも。

実際、この侯爵夫人は実在した人物で、さんざん人を毒殺しお金を手にした後にー舞台にはなかったがー逃亡を続け、つかまった後は拷問され、絞首刑に処せられた人らしい。と、かなりお芝居向きな波瀾万丈な人生をおくられたご夫人で、さすがにスタート地点からしてショッキングなため、2時間を超えるドラマでも飽きることなく観る事が出来た。

衣装も今回の舞台用に作り上げたということで、若手劇団ながら贅沢な仕上がりとなっているー肩をかなり露にしたドレスが貴族の衣装としては若干違和感があったが、あれでは娼婦の衣装?!ーし、劇作・演出自体も最後までそつなく作り上げている。

通常、ベテランにしてもなかなか手をつけないであろう、貴族社会のフランスの話に果敢に挑戦し、まとめあげてしまっているところは賞賛に値するだろう。

だけど、なんだか、あまりにもそつなく、それなりのオチを付けて(こじんまり)まとまっているために、あえて一言、言わせてもらうと、もっと27歳が日本で考えるところの本音、社会に対しての声というのを騒音でも何でもよいので、聞かせてもらった方が、客席でワクワクできるかも、と。

ま、次回作とかでその面を見せてもらえるのかもしれませんが。

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フロッグとトード(8/17)

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池袋サンシャイン劇場で子ども向けミュージカル「フロッグとトード」を観る。
実は2年前に銀座の博品館劇場で初見し、とってもよく出来た作品で大いに楽しんだので、またもや足を運んだというわけ。
で、期待を裏切らず、大人でも十分どころか、十二分・十三分に、またもや楽しませてもらった。

マチネ回の鑑賞ということもあり、劇場は親子連れで大賑わい。こんなに将来の演劇愛好者予備軍がいるのかと思うと感慨もひとしおーマジにこの子たちにこの先も観劇文化が根付いてくれれば良いのですが。やっぱり学校でも演劇ードラマーの授業(年に一回の鑑賞会だけではなく)を取り入れるべきでしょうー。

休憩を入れて2時間を超える演目にもかかわらず、小さな子ども達も最後まで飽きる事無く、観劇していた様子。やっぱり質の高いものは、見る価値があるんだわね。

で、フロッグ=かえる君(石丸謙二郎)とトード=がま君(川平慈英)のお互いを思いやる♡ウォーミングな友情のお話であるのですが、これが、子ども向け芝居でありがちな、教訓じみた偽善ぽいものではなくて、、、それだからこそ、大人子ども関係なく舞台に釘付けとなるエンターテイメントとなっているのです。

そして、この成功舞台に大きく貢献しているのが、やはり何と言っても川平慈英の天然キャラ、プラス表現力豊かな演技。
登場から一瞬にして観客の心をわしづかみ!
単純なストーリーながら、何回でも繰り返し観たいと思うハイクオリティー舞台です。

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2009年8月22日 (土)

ドリアン・グレイの肖像

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世田パブリックで山本耕史の「ドリアン・グレイの肖像」を観る。

オスカー・ワイルドの代表傑作ながら小説ということもあり(戯曲ではなく)、日本ではありそうでいて、これがなかなか舞台化されていなかった作品。
でありながら、ワイルド好きが幸いしてか、これまでに4舞台作品を観る機会に恵まれている。
10年近く前になると思うが英国オックスフォード大学演劇協会(OUDS)による来日公演でまず初見、次いで04年にオール男性俳優劇団、Studio Lifeが紀伊国屋サザンシアターにて上演した舞台を観劇。で、昨年(08年)のエジンバラ演劇祭にてマシュー・ボーン版、現代の美しい男性セレブの悲劇というダンスによる舞台を観ていて、今回の舞台ということになる。

今回の舞台、話はワイルドの小説を素直に戯曲化していて特に指摘するような独自の解釈などは加えていないのだが、どうゆう訳かー気を抜いたところで舞台映えだのキャラ立てだの余計な舞台効果を狙ってしまったがためにー結果としてはワイルドの原作世界とはかなりかけ離れた地点に着地してしまった印象の舞台。

ボーンのダンス版は、原作からエッセンスを抽出してはいるが、今を生きるドリアン・グレイということでまったく違うものを創作しているのだが、そのワイルドの世界という点では、よっぽどこちらの方が原作に則していたように思う。
04年のStudio Lifeによる舞台は舞台装置も衣装も19世紀イングランドに設定し、今回の舞台同様、原作に忠実に、丁寧に上演していた。小説の舞台化ということもあり、演出家の上演意図がかなり色濃く反映される作品なのだが、Studio Life 版は美少年の絡んだミステリー調猟奇的事件という仕上がりになっていて、原作のような芸術論の域にまでは及んではいなかったものの、芝居として十分飽きずに面白く観れるものだった。

で、今回の舞台は、というと、演出家・スズカツ(鈴木勝秀)の長年やりたかった舞台というその思い入れがどうも逆に働いてしまったらしく、詰め込みすぎ、思い込みすぎで最後は、結局、まとまらなかったのかな?というなんとも残念な結果に。

まずは開幕までの場内音楽、19世紀の唯美主義の舞台に思いっきり能天気なアメリカンな曲スタンド・バイ・ミーはいかがなものか?しばらく、席で開幕を待つ間にすっかり気が削がれる、なんて不必要なマイナス効果が出てしまいかねないので、お気をつけいただきたい。だって、観客はその「ドリアン。。」を観るためにその時間、劇場へ足を運んでいるわけですから。一人の役者だの、シンガーのためにそこに来ているわけでは無いので。。

でもって、いよいよ開幕ライブのピアノ演奏(これは全編通して効果的に働いていた)で気分をもりあげ、廃頽のヨーロッパと思ったら、今度はアニメのコスプレかい?と思うようなロン毛で銀髪、安っぽいホストのようなソフトスーツの山本王子様がご登場。よっぽど、この時点で帰ったろうか?と思ったほどの驚きだった。

その他の登場人物がきちんと当時の貴族の装いをしているにもかかわらず、ドリアンだけがどっか異次元のアニメ世界の王子様???なんでこんな余計なことをしてしまったのか。意味不明。

回り舞台が多用される舞台装置も、その仕掛けには問題ないのだが、その回っている最中に起こっている事を様々な角度からみせるという狙いのために、無機質な鉄骨づくりの粗野なお屋敷ーたまには劇場としても使われるーが出現してしまい、豪華な絵画の額縁(ドリアンの肖像画が収められている)以外には貴族のお屋敷を連想させるにはあまりにもスカスカな印象のセット。観念的な心象をイメージしたセットがこの場合、効果的だったのかどうか?大いに疑問の残るところ。

で、その一人だけ浮きまくっているドリアンをず〜〜〜〜っと見続け、違和感を感じ続けていくうちに、何と言ってもこの舞台がドリアン・グレイ(山本耕史)を中心にすべてが回っているということに気がついた。だから、彼だけが異次元にいるのね〜とへんに納得する。
今回の舞台では、あくまでもドリアンが語り、思いつめ、自分で人生を切り開こうと苦悩する、、ドリアン・グレイという美青年の悲劇のお話。

ん??が、そこで、ちょいと待ってくれと思うのですが、題名「The Picture of Dorian Gray」に言い表されているように話の中心のドリアンはあくまでもストーリーの中の対象物、目的物なんじゃないの?という点。
若さゆえのおごり、それをもてはやす大人達・上流社会全体の無責任さ、そして自分自身を見失っていく毒された主人公、と、、こうなると、やはり設定、ストーリーを大幅に改訂しているとは言え、マシュー・ボーンの舞台の方が「ドリアン・グレイの肖像」を体感するのにはよっぽど適しているのかも。

これを機会に再度、原作を読み始めたところ。で、やっぱりところどころに皮肉たっぷりの真実が隠されていて、かなり面白い。
おススメです。

ちなみに今秋、英国で公開予定の映画予告を下記のリンクからチョロ見することが出来ます。

http://www.youtube.com/watch?v=dY93VUQSMo4&feature=player_embedded

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2009年8月16日 (日)

ぼくらは生れ変わった木の葉のように

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田原町の演劇集団円のアトリエにて清水邦夫の1972年発表戯曲「ぼくらは生れ変わった木の葉のように」を観る。

常にチェックしていきたい演出家の一人、阿部初美さんの演出ということもあり、お盆前の夏の盛りのある日、マチネ公演を観劇。

前述のように37年前に書かれた戯曲であるのだが、今いちど、この翻を考え直したいと考えている演劇人が多いようで、この公演のすぐ後にも9月に劇団青年座での上演が決定していてその舞台のチラシが今回の公演の配布物の中に入っていた。さらには、今年の6月にもア・ラ・プラスという劇団が同じ芝居を上演していたという記録も発見。こんなに集中した時期に同じ芝居が上演されるとは、なんとも面白い現象である。

で、さすがに多くの人が上演を望むだけあって、とても面白い内容で構成の戯曲だった。

60年代の学生運動、日本のユースムーブメントを背景に、反体制を叫び、変革を訴える芝居なのだが、いかに多くの日本人が現在の日本の変革を望んでいるか、、もしかしたらそれは望むという状況よりもさらに切迫した願いのようなものなのかもしれないと感じてしまう。

一市民の家に若者カップルが運転する車がつっこみ、壁を大破する。家を壊すほどの事故だったにも関わらず、そこに住む中年夫婦とその妻の妹は警察に通報するどころかその予期せぬ無法者たちを歓迎、家に泊まらせて介抱し、面倒をみながら同居を続ける。ある晩はハムレットの台詞を朗読会を催し、それぞれに台詞を読ませる父親。自身が外界とのコミュニケーションを放棄し、家に閉じこもったきりの妹。そのねじれた家庭にありながら、問題意識に欠ける母親。

そんな病んだ家を表す舞台セットは初めから90度傾いている。

体制側に埋没した、もしくは体制のメタである家族、そんな不気味な寛容性をもつ家族に37年前の観客は懐疑の眼を向けたのであろうが、今の観客の視線は?
変革を熱く語る若者カップルに、違和感を覚える人たちの方が多いのかも。

そう考えると、多くの団塊の世代が執拗に自分たちの時代に起きたことを伝えようとする意味が分ってくるような気がする。怒れ若者達、叫べ若者達。と言いたいところなのであろうが(自分もどちらかというとその時代の人なので気持ちはよ〜〜〜く分ります)、やはり時は流れていて、同じことは繰り返せないという事実も認めなくてはいけないのでしょう。


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おしゃべり

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下北沢、本多劇場に隣接する小劇場楽園にてRising Tiptoeの新作舞台「おしゃべり」を観る。

先日、作・演出で劇団主催の宇吹萌(うすい めい)さんと私の友人が知り合いだったことが発覚し、その友人から今回の公演の情報をもらい、いっしょに観に行く事にしたのだが、このお芝居が大ヒットでした。

スペース中央にデンと鎮座する大きな柱が特徴の小劇場、楽園。地下の劇場へと降りていくとその柱を挟んで円いバーカウンターのような舞台セットと入退場の扉が二つあるメインの舞台スペースと柱の陰にひっそりと存在する個人部屋(そのインテリアから女の子の部屋らしい)のスペースが。

その2カ所がどのように使われるのか、興味がわく中、舞台の幕が開く。

一見、何の関わりもないように見える登場人物たちがそれぞれにどこかで繋がっていて、それぞれの世界では毎日変わらぬ、芯にある毒をパステルカラーで包み隠したような会話が繰り返されていて、、で、芝居が進むにつれて、そのゆがんだ毒のある部分が浮かび上がってきて一見平和にみえる平凡な庶民たちの膿みがにじみ出てくるという、非常に良く練り込まれたブラックコメディー。

パターン化されたシークエンスが暗転をはさんで繰り返されるのだが、そのパターンのズレて行く様子、また暗転時に照らし出される主人不在の小部屋スペース、性が逆転したー男優が団地の主婦連を演じるー世界に映し出されるクリティカルポイントの妙、そして言葉が現わす世の中の矛盾、どれをとっても緻密な計算のもと、劇世界における有効な効果を生み出していて、中身の濃い芝居体験だった。

現代社会への批評もあり、演劇という表現だからこそという舞台の醍醐味もあり、観客のイマジネーションを大いに刺激するという、まさに芝居ならではの面白さを味あわせてくれた今作。次回作にも大いに期待するところです。

ちなみに、劇団HPによると女主人が現れる事なく、最後には主人の死によって片付けられた小部屋スペースは故・飯島愛さんの孤独死をイメージしているらしい。です。

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幕末のドリ府

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友人のお誘いを受け、若手劇団、演劇配合サプリメンツの「幕末のドリ府」を中野ザ・ポケットへ観に行く。

それにしても、なんで若手劇団には幕末もの、龍馬と西郷と新撰組の芝居がこうも多いのでしょうか?
ま、誰もが興味がある題材で、歴史上の実在人物とは言え、それぞれにドラマチックなキャラがたち、プラス今日からの架空のエッセンスも加えられるという美味しい要素ばかりが詰まっているからなのでしょうが、、それにしても、もう龍馬も勝海舟も、、そこそそ楽しめるとはいえ食傷感あり。

話としては、適度に満足するボリュームはあっても、目から鱗のような新発見は見つけにくい。
それだったら、やっぱり自ら思うところを言葉にして発信してもらったものを観たい気がする。

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ブラスト

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東京フォーラムでマーチングバンド、エンターテイメント・パーカッション演奏、そしてそれにあわせたマーチングパフォーマンスを繰り広げるエンターテイメント公演「ブラスト」を観る。

申し訳ないが、It was not my cup of tea at all! -全然私の趣味ではありませんでした!ーで、ノーコメント。

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ドリトル先生と動物たち

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夏休み企画の一つ、子供向けの芝居「ドリトル先生と動物たち」をもと学校の体育館であるにしすがも創造舎劇場で観る。

最終公演日ということもあってか、会場には入りきれないほどの親子連れが。こんなに需要があるんだったら、もっともっと夏休み子供劇場が盛んになっても良いのにな、と思いながら客席前方の桟敷席の子ども達と近い距離の席で観劇。

題名どおりのドリトル先生と動物たちー先生はこの動物達と話が出来るという設定ーのお話が、カラフルな衣装と手作り風のこれまた色とりどりの舞台装置の中で展開する。

子ども達も楽しんでいたようだし、これはこれで良いんじゃないの、と思いながら観たのだが、2つほど気になったことを書いておこう。

1 劇中、殺人をめぐっての裁判というのが一つの山場として設定されているのだが、今の栽培員制度開始のニュースを受けての設定なのかもしれないが、その判決に関して疑問が残る。原作者、そして翻訳者ありの芝居なので翻がそのようになっているのだろうけど、この芝居を観た子ども達に安易な、もしかしたらうがった判断材料を与えはしないか?と心配になった。
その判決シーンで陪審員として仮定された桟敷席の子ども達が罪か罪でないか?の判決札を上げる演出となっているのだが、流れからしたら子ども達の多くが決めた判決で正解ということになるのだろうが、もしも私がその一員だったら、反対へ票を入れていただろうと思うからだ。それほど人を裁くと言う事は難しい事なんだ、と、せっかく裁判のシーンがあるのであれば、その点を軽視してほしくは無いと感じた。

2 子ども向けの芝居で、子どもにあわせたレベルの芝居というのがあるのだろうか?
子ども向けに留意しなくてはいけない点はいろいろあるとは思うが、特別に“子ども向けというレベル”は無いのではないか?
大人が理解できることのたいていはその見せ方さえ工夫すれば、子どもにも理解できることが大半であろう。だったら、子ども用に内容を平易にすることも無いよね。

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牡丹燈籠

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シス・カンパニー、プロデュース、いのうえひでのり演出の「牡丹燈籠」をシアター・コクーンで観る。

この座組が吉とでるか凶とでるか?ドキドキ感とともに渋谷へ。
で、これがドンピシャの企画、そしてすばらしい出来の舞台だった。

芝居の場合、どれか一つの要素が適切ではなく、その為に全体の歯車が狂い失敗作として終わるケースも多々あるのだが、今回の場合はハコ、演出、役者のバランス、そして上演時期、、とすべての要素が上手くハマった感がある。

まずは、季節感が無くなりつつある今日に夏はお化け話で背筋に冷や汗を、という夏の風物詩の怪談話を上演してくれたことが○。でもって、いのうえ歌舞伎なる新ジャンルを開拓したいのうえさんの十八番とも言える大きな舞台を使っての大いに魅せるgood芝居演出がその効果をいかんなく発揮。
でもって、信頼出来る上手い舞台役者を配したー段田安則&伊藤蘭、そして千葉哲也&秋山菜津子ー役者サイドがそのプロの技で大いに楽しませてくれた。
特に蘭ちゃんのその堂々たる存在感、それでいて一人だけ頑張るのではなくチームとしてまとまった舞台をみせるその心配りにおおいに拍手。
これからも、様々な役で舞台に出てもらいたいものであります。

コクーンほどの大きな舞台を上手く使いこなす演出家の数が、それほど多くはない現状でいのうえさんのレギュラー登板あり、と感じました。彼にコクーンでいろいろな作風の芝居をやって欲しいものです。

細かいところで言うと、舞台経験の少ない瑛太、柴本幸が前半において主要パートを担うというこの芝居構成も結果を良い方向へ導いた原因の一端があるのかも。
舞台全部をひっぱり続けるのには体力・気力ともに無理があるかもしれないからね。
でも、八頭身のスターのお姿は、目の保養には十二分の効果あり、とも言えるからね。

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2009年8月15日 (土)

ハッシャバイ

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座・高円寺にて鴻上尚史氏率いる若手俳優による新劇団、虚構の劇団第4回公演「ハッシャバイ」を観る。
今作品、言わずと知れた鴻上氏の80年代代表作。当時、社会ブームを引き起こした若手演劇人による小劇場ムーブメントを牽引していた劇団の一つ、今や舞台にはかかせない役者陣、筧利夫・勝村政信・池田成志などなどを輩出した「第三舞台」が小劇場すごろくゲームの頂点に立った作品。

86年の初演時は会社のお局様のご機嫌をとりながら、朝からぴあへ電話をかけまくり(当時はネット予約ではなく、始発電車で売り場へと行き並ぶか、電話をひたすら架け続けるかという極めて分り易く公正なチケット争奪合戦が繰り広げられていた。野田秀樹率いる夢の遊眠社と第三舞台のチケットは特に入手困難で、何度会社をクビになりそうになったかーウソ嘘。。その頃はバブル期で会社もなんだか余裕があったのよね〜。だからそんなチケット取りも、暖かく見守ってくれるゆとりがあったんです。マジ)、友人とサンシャイン劇場へ観に行ったなんてことを思い出させてくれました。

のっけから、条件反射的に23年前の舞台が脳裏に蘇ってきて、芝居が進むにつれて、その記憶もだんだんはっきりしてきて、「あ〜〜〜、この役は大高さんでしょう。で、これは小須田さん。。ね〜〜。」なんて、役者さんの顔をダブらせちゃったりして。

そこで、我に返って、「これってどうよ?」って。何も思いでに浸りに来たわけでもないんだから、なんで昔を懐かしんじゃう訳??って。

どうも、その訳は上演方法、演出にあるようなのだが、23年経っているのにもかかわらず、演出がその23年前と変わらないんだな〜〜。時にはデジャヴュかと思うような、違う役者が演じているにもかかわらず役者のしゃべり方、表現の仕方さえ同じなんだな〜〜(だから、当時の役者の顔が浮かんできちゃうんでしょうね)。
23年前の戯曲を上演すること自体には何の文句もないし、鴻上さんが上演配布の「ごあいさつ」文に載せているように、今この芝居を上演する意味、今に通じる戯曲であるという主張も十分に説得力があるのですが、出来上がった舞台が、せっかく若い、当時のハッシャバイの舞台を知らない、役者たちが演じているのだから、09年版ハッシャバイをみせて欲しかった、という感想です。
彼ら(役者)もあまりにもお上手に、お手本通りに当時を再現してくれちゃってるもんで、逆に『それが君らの表現したいもんなんですか?』と問い返したくなりました。

初演時の上演が"新しいスタイルの若者演劇”と評価されていただけに、皮肉にも23年後、そのムーブメントが減速し消滅してしまった結果を見せられているようで、、、、複雑な気分に。

心象イメージを投影させた映像効果に関しては09年らしさを楽しませてもらったが、衣装も踊りも、、ちょっと`古さ’`バブル臭さ’がぬぐえなかった。


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2009年8月 8日 (土)

めんどなさいばん

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グローブ座へ行ったその夜に、今度は下北・スズナリで友人といっしょに楽塾12周年記念公演「めんどなさいばん」を観る。

北村想の新作書き下ろし、歌入りのお芝居で、結成12年目をむかえる中高年劇団、楽塾による裁判員制度を扱った芝居。

それこそ、連日テレビで新聞で報道され、世間の関心も高い新しい栽培員制度を取り上げてはいるものの、ドキュメンタリータッチの芝居というわけでは無く、設定も実際の制度とはかなりかけはなれた内容となっている。
そもそも、舞台の大前提であるそのさいばんをするべく案件というのが「自殺をした17歳の少女の元カレは罪に問われるのか?」というあり得ない設定。
そんなあり得ない設定の先は、さらにさらなるあり得ない議論。

裁判員制度自体をちゃかしているのかもしれないが、実際に現実社会においてこの制度が始動し始めた今だからこそ、出来るなら、ちゃかすにしても、問題点を指摘するにしても、説得力のある話にしてもらいたかった。

中高年劇団だからこそ表現出来るリアリティー、笑いはそこそこに、、、そんな芝居を見せてもらいたいと期待するところです。
だって、オールド・バンチではいくら設定がめちゃくちゃでもある種のリアリティーがきちんとあったもの。


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見知らぬ乗客

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今やジャニーズファンの殿堂となった、新大久保のグローブ座へ嵐の二宮和也君主演の舞台「見知らぬ乗客」を観に行く。
評判が良かったら観に行こうかな〜〜〜なんてボケボケしていたら、すっかりチケット入手がほとんど無理!という状況に。あせって、マチネ公演のチケットを知人の助けによりようやくゲットしたという次第。
ある決まった日以降は普通のチケットエージェントなどでの販売がストップされてしまい、前日の電話販売、それも一カ所だけで取り扱っているという、独自のチケットシステムをとっているため、そのシステムを熟知していない一般客はあやうく見逃してしまうことになるのだ。グローブ座の観劇の際はくれぐれもこのシステムであるということを気をつけていなければ、、、と一つまた学んだところでした。

で、駅から続くギャルたちの列の流れにのっかって、劇場へ。
もと、TPTのアソシエイト・ダイレクターであったロバート・アラン・アッカーマン氏の演出ということもあって観に行ったのだが、これが、これが、、、なかなか良かった。

面白い翻(パトリシア・ハイスミス)をきちんと翻訳し(広田敦郎)、演出(アッカーマン)したら、、、やっぱり見る価値が十分にあるということでしょうね。
でもって、最初はこんな弱々しい男(役名:ブルーノ)で良いの?と思った二宮君が役にドンピシャで、ー神経衰弱のマザコンでゲイのボンボンーというこれでもか、これでもか、の弱っちいずぶ濡れの子犬のような役がぴったりでした。ーマジこれ褒めているんですよー
最後にはこの男どう決着つけるつもりなの?ーと二宮君に釘付け。その足下がふらついて今にも崩れそうな危なさが、まさに役の精神状態を的確に現していて、、これは役者さんの功績?それとも演出家の功績?はたまた両方???と思わせる出来でした。

相手役の内田滋(役名:ガイ)も存在感があって、でもって二宮君とは好対照をなしていて、はまり役でした。

結構、ベタな舞台装置 プラス 演出なんだけど、それがまたオーケー。
もともと50年代のアメリカー1951年にヒッチコックが映画化ーの話なので、ベタな感じで、きちんと筋書きを説明すると言うのがかえって功を奏するのかも。

でもって、先ほど、ついでにそのヒッチコックの映画版というのをYou Tubeで観てみたのだが(ほとんど全編をみることが出来る)、映画版とは役の職業設定などかなり違う部分があることを発見。
おそらく、今回の舞台の設定が原作どおりなんでしょうが、それにしても、今回の舞台では主人公のブルーノがゲイである!という部分に二重にも三重にも重きをおいた解釈であることが、比べてみてよ〜〜〜く分りました。ヒッチコックが映画を製作した時の時代背景というのも関係してくるのかもしれないが、とにかく、今回はブルーノのガイへのかなわぬ恋心、救いのない思いというのが全ての悲劇の要因として描かれていましたから。

そんなどうにもならない恋心という焦点のあわせ方があってこそ、サスペンスとしてちょっと無理のあるこのお話を十分に納得出来る話として、見応え十分に見せてくれました。

それはグローブ座に集まった多くのティーンエイジャーたちにも十二分に伝わっていたらしく、あのカーテンコールは形ばかりではなかったように感じます。
ちゃんとお芝居の醍醐味を味わってくれていたように思いますよ。


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2009年8月 6日 (木)

来来来来来

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夜は下北沢、本多劇場で本谷有希子劇団の「来来来来来」を観る。

モデル兼女優のりょうが主役、ということで話題になっている女6人の芝居。

いつもの本谷節ーひねくれ、逆恨みーは劇のスタートから炸裂。
のっけから松永玲子、木野花がガンガンぶっ飛ばす。常連の吉本菜穂子が舞台を引き締める。

前回の「幸せ最高ありがとうマジで!」ではスタートではなかなかエンジンがかからず、しかしながら後半からエンディングにかけて怒濤のごとくたたみかけ、観劇後には圧倒されるほどの説得力をみせたが、今回は、どうも最初から滑らかに進んでいく。いつもながらの人格壊れキャラも、オモシロおかしい人物設定で素直にかなり笑える。
笑えるのだが、それと同時に今ひとつひっかかるものが、、、あまりに分り易い。
基本的に、分り易い芝居というのが一概に悪いとは決して思わないのだがー最終的に観客へ伝わらなければ意味ないしー、彼女のならではの強み、他には無い多くの人を引きつける魅力とは?と考えた時に、それは“他では決して味わえない、オリジナリティー。登場人物の想像を超えたねじれから起きる予想外の展開。”なのでは?と。前回の芝居で、後半へ進めば進むほど、初め理不尽とも思えた設定に説得力が増し、最終的にこうゆう人たちもあり、かも。。だったら、こんな展開も起こりうるかも、、、と芝居に感動的なリアリティーを持たせたような説得力が今回は薄くなっている、ような気がしました。

別に常に自虐しなくても良いのですが、それだったらそれで、それに変わるもので話に深みをもたせてもらいたかったというのが感想です。
人からほんの少しの`許し`を乞いたい、そうすれば人は救われるーーーと、そんな世の中では無いことはみんな分っちゃってるからね。

欲を言えば、女優人6人全員のトーンを統一して欲しかった。舞台常連組と新米組との間にやっぱり大きなギャップがあったから。それぞれが主張して、自分のキャラを演じる芝居だったので、特にそれぞれの質の違いが大きく見えてしまったのかも。
りょうさんもそつなくこなしててはいたけど、会話になっていない部分もあったから。。


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リリー

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このピンク奇麗だよね。
今、家にある百合のお花。

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2009年8月 5日 (水)

3人いる!

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「12日間、毎日、演出が変わってる、」??? それも 多田淳之介の作品を飴屋法水構成・演出で原宿の小スペースリトルモア地下で上演する。
なんだかよく分らないが、これを観ないとかなり損する、というその芝居漬けられた「勘」をたよりにチケットを入手。
これ、やっぱり観といてよかったです。

萩尾望都の名作漫画「11人いる!」ー宇宙船飛行士になるべく宇宙大学の入学試験を受け宇宙船に乗り込んだ受験生達。当初、10人の受験生それぞれに協力しあい宇宙で53日間生きのびることを課題として与えられた生徒達は乗船直後にそこに11人の乗組員がいることに気づく。10人のはずが1人多い11人!?ーに案を得て作られたという本作。独り住まい(のはず)の主人公のもとへ、我こそがその部屋の主であるというもう一人の僕が表れる。早く立ち去れ!と激怒する主人公、そこに3人目のこの部屋の主が。。。近所に住む友人に証人になってもらおうと電話をするが、さらにややこしい状況に。。。

という狐につままれたような話。私は誰?そして私と言っている君は何者?といった会話がエチュードのように繰り返されるのだが、そのこんがらがるような会話も面白いのだが、何と言っても意外な役者の組み合わせが最高に面白かった。

毎日、演出が違うとうたっている通りに、日替わりでこの3人組を違うチーム、別の役者で演じる趣向になっている(マチネとソワレがある日は2回同じ組み合わせで上演)のだが、本日の3人は
<マチナ・シモーネ、丸瀬顕太郎、武田力>チームだった。
HPでそれぞれの肩書きをみると、武田さんは役者と名乗っているものの、あとの2人ーイタリア人のフリーランスと日本人の学生ーとのこと。
他の出演者プロフィールをみても、様々な職業の人が参加しているみたいだ。

で、このノンプロフェッショナルな役者さんたちが、素晴らしかった。
丸瀬さん、学生とだけしか書いていなかったけど、、、、信じられないんですけど。。不思議ダンスと言い、台詞まわしと言い、とっても魅力的でした。
そんでもって、このとってもアンバランスな3人の組み合わせ、原宿の外れという劇場と相まって、特別な演劇空間を作り出していました。

かなり、満足な原宿の1時間。


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2009年8月 4日 (火)

Wallace & Gromit

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粘度人形のキャラクター、ウォレスとグルミットが活躍する英国の人形アニメシリーズの最新作を旦那と一緒に観に行く。
数年前('05年日本では’06年かな?)に観に行った前作でも劇場内で一番大きな声で笑っていた、大のグルミットファンである夫はいつになくテンションが高い。

新しく出来た(と思う)渋谷の単館映画館には最終回(9時ちょっと前にスタート)ということもあって、人がまばら。。全部で10人にも満たないお客さんの前で、それも予定時間よりもちょっと遅れて映画がスタート。

最新作は、1時間半近い前作とくらべかなり短くて、その分、正直言ってやはり物足りない感じ。お話自体もヒネリが今ひとつ少なく、消化不良気味。(数年前にシリーズが作られていた映画スタジオが大規模な火災にあいー火災原因は不明。放火という説も。ー保管されていた膨大なる人形達や大道具、小道具が焼けてなくなってしまった為にそれほど長い作品が作れなかったものと思われる。)
その物足りない感を埋めるためか、今回は以前作られた作品3作も同時上映。
何と言っても注目は、面白さではどうってことないのだが、シリーズ最初、と言うか監督ニック・パークが学生時代の卒業制作として製作したアマチュア作品「チーズホリデー」。
もちろん、どこかで発表されるなんてことが決まっていないときに作られた作品なのだが、今のプロダクションと比べてはるかにシンプルな作りにもかかわらず、その23分の作品を完成させるのに6〜7年の年月を費やしたそうである。
粘度人形アニメはその人形を少しずつ少しずつ動かして、1秒間のシーンをとるのに何十枚のシーン(アニメで言うところの何十枚もの原画)を撮って、それを連ねてムービーを作るわけです。
となると、1作品を作るのに膨大なコマ撮りが必要になる訳で、学生だった彼は一人で全てその作業をしていたということなので、それほどの時間がかかったらしいです。

それにしても、23分の作品に対して6年という時間をかける、、その思い、信念がすごい。
それだけの長い時間、自分の作っているものにある確信を持ち続けられるモチベーションの持続、、その継続できる力がどこから来るのか。
自分に出来る事をやりとげる、ってことなのかな〜。


私のマイ・フェイバレットムービーの中の上位に位置する「こまねこ」ちゃんフィルムも、こちらは布で出来たねこちゃんが動く映画なのですが、、いつの日か、数年後にまた会える日が来るのかしら?気長に待ちたい。

ps
今回も夫は大喜び。思いっきりイングリッシュな内容ー分る人には分る的なネタが満載だそうですーに大興奮しておりました。

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2009年8月 3日 (月)

Tanz der Vampire

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友人がチケットを入手してくれて、山口佑一郎(さまheart04ーとこうなるんでしょう)主演のミュージカル「ダンス オブ ヴァンパイヤ」を帝国劇場へ観に行く。

週末のマチネ公演、お昼の帝劇前はそのheart01様ファンとおぼしき女性たちで埋め尽くされていた。
普段、観劇の割合としては少ないミュージカルー別にミュージカルが嫌いという訳ではないのですが、どうも。。。日本で上演されるミュージカル(来日公演を含め)公演に関して、ハズレの場合が多くて、ついつい別モノを選んでしまっているんですよね。それにミュージカル業界は安定しているみたいだから、あまり関わらなくても大丈夫そうだし。ー、ひさしぶりにその現場に足を踏み入れ、独特な雰囲気を再確認する。

山口さまに関しては、それこそテレビドラマ(日テレ系のラブコメで売れない俳優の役で出ていた、と思う)で拝見してから、そしてもちろん舞台でその後にお姿を拝見、美声を耳にしてからも好きな俳優の一人なので、今回も歌、演技に関しては文句無し。

しかしながら、なんて言うのか、超ド級のスターだけに、なんだか劇場には不思議な現象が。

その不思議現象は3時間弱におよぶ舞台の最終盤に訪れた。ヴァンパイヤ(山口)とその繁殖を阻止しようとする学者(石川禅)と助手の少年(浦井健治)の攻防合戦も終わり、ヴァンパイヤがニヤリとした後、、劇場がアミューズメントパークに早変わり。一瞬にして観客全員が総立ちとなり、舞台の役者たちが示すとおりのヴァンパイヤダンスと手拍子と一緒に踊り始めたのです!ひゃ〜〜〜〜〜、マジっすか?

一糸も乱れぬ手拍子もスゴいし、夏の盆踊りさながらのパラパラ風ダンスもすごい。
まさに、踊りゃな損損。。の一体感です。

この見えぬ糸の連帯感がミュージカル人気を支えているとみた!

作品自体はちょっと内容が子供騙しのように単純すぎる(特に前半)が、世界各地で上演されているだけに装置も凝っていてそれなりに楽しめますーと言っておこう。(楽曲は良いよ。)

上演後、山口さんの声をたっぷり聞いて、彼のファントム(オペラ座の怪人)を観たいものだが、他のカンパニーが版権もっているから無理なんだろうな〜と友人と話していたら、後日、彼はもと四季の人でファントムももちろ演じている(と言うか、彼の出世作)という記述を読んだ。
私の時代は市村さんだったから、知らなかったんだけど、そうか〜あそこの人だったのね〜、あ〜〜〜観れるものなら彼のファントムを観たかった、とたいへん悔しい思いをする結果のオマケ付き。


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兄おとうと

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一番好きな芝居というお題をいただいたら、確実にその上位候補となるこまつ座の「兄おとうと」再演を新宿、紀伊国屋サザンシアターで観る。

03年に初演、その後06年に再演され、今回はキャスト7人のうち2人が入れ替わっての再演ということになったのだが、何と言っても井上ひさしの戯曲が素晴らしい!!!これに尽きる。
もちろん、演出の鵜山仁、そして役者さんたち(特に主役のお二人、辻萬長、大鷹明良 このコンビが絶妙)etc...全てが上手く働いての舞台結果なのですが、それにしても台詞の一言ひとことが、噛んでも噛んでも、味が沁みでる昆布のようで、まずもって何回観ても、聞いてもその度に心にズシっと後を残す。

出来る事なら、毎日でも聞いていたい台詞です。

ここにその一部を載せてみます。

*「社会とは、人びとによる共同生活のことである。その社会には、道徳や習慣や思想など、たくさんの原理が集まっている。国家の在り方もまた社会の一原理にすぎない。したがって、国のかたちもまた、習慣と同じように、人びとの意思で変えられるのである。」

*「忠義とは、江戸時代に完成した考えで、<まごころ尽くして徳川家に仕える>というのが、その意味だ。。。。。ところが、その徳川家を倒したはずの明治新政府が、このことばをこっそりくすねて<まごころこめて天皇に仕える>と、そう横すべりさせてしまった。したがって、近代日本は江戸時代とさほど変わってない、仕える相手が変わっただけかもしれませんよ、。。。」

*「三度のごはん きちんとたべて 火の用心 元気で生きよう きっとね」という生活を国民に与えること。それが国家の、政府の夢、いや努めです。」

戦後、一貫して与党として日本を治め続けてきた自民党。デモクラシー国家存続のためとうたって、国をリードし続けてきた政党の根源である「民主主義」について今一度考え直してみようという課題がつきつけられた今回の総選挙、というこのグッドタイミングでこの芝居を上演しているのは、意図的なのか?それとも偶然なのか?、、いずれにせよ、誰にでも分る平板な表現で民主主義について説いている、この芝居、まさに今必見の舞台ですぞ。

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現代能楽集 イプセン

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燐光群の最新作、坂手洋二作・演出「現代能楽集 イプセン」を池袋の小劇場へ観に行く。

めずらしく友人と一緒に観劇。
劇評投稿サイトでも言われていたように、かなりの芝居通、もしくはイプセン好きでなくては作品の評を語る前に、その内容についていくのがきついかも。例えば、今回初めて燐光群の芝居を観てみよう、と思ったお客さん、もしくは紺野美沙子さんが出ているからお芝居でも行こうかなんて思って観に来た方々にはたっぷり2時間半かけてもチンプンカンプンだった可能性もあり。
何と言っても、一緒に観に行った友人ですらー彼女は、もちろん芝居観劇体験もそこそこあり、教養もある人なのですが、観劇後「人形の家ぐらいは、なんとなく筋は分っているけど、それでもそこまでだよね〜。だから、他の話とかはイマイチよく分らなかった。(当然)」ーとポロリ。
そりゃそうだよな〜〜と、納得。でもって、上演された4作品全てが、やはりイプセンの原作を知っていてこそ、その先を楽しむという内容だっただけに、ちょっと上演意図が計り知れぬ。
いっそのこと、4作品ではなく、2作品ぐらい(野鴨とヘッダ・ガブラーの2作品で良いんでない?)に絞って、もう少し丁寧に前解説部分も入れた方が良かったかも。

あと、「ノーラは行ってしまった」(人形の家の現代能楽編)に関しては、霊が語るノーラのあとの時代の話、ノーラに思いがけず家を出られてしまって、過去に置き去りにされた人々の話、、なのだが、う〜〜〜〜ん、どうも「その後のシンデレラ、プリンセス生活にも慣れず、王子はプレイボーイで、、」なんて感じの、それで何なの?というどうにも中途半端な、でもって、現代能にすることで、原作をさらに広げるどころか、かなり後退してしまった感のある残念な結果に。

そんな中、「ヘッダじゃない」は紺野美沙子の存在感、自己完結しているヘッダという役を見事に演じていて良かった。

現代能という劇作手法もそれなりに面白いサブジェクトなのでしょうが、そろそろ燐光群の十八番である社会性のある劇、ドキュメンタリー性のある芝居をファンの一人としては上演してもらいたいと切に願うところです。
エッジーなところでやって欲しいです。

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血縁

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昨年度の岸田国士賞受賞作家、蓬莱竜太が所属する劇団、モダンスイマーズの劇団結成10周年記念公演「血縁」を赤坂レッドシアターへ観に行く。

記念公演と銘打っているだけに、お祭り色の濃い、夏の大感謝祭的な公演。
80年代後半、多くの学生演劇から発生した小劇団系グループ、またはその世代の役者を集めたプロデュース公演で大いに使われた劇作方法ーワークショップ、また稽古の段階で役者、演出家がそれぞれのアイディアを出し面白いと思うエピソードを試演、それらのエチュードをある一定のテーマのもとで連ねて、編集し本作品として発表するーのような、劇団員全員で書き上げ、作成した作品とのこと。

団員それぞれが扮する五人兄弟(06年に今回の舞台の前身作品「赤木五兄弟」が上演されていて、それの続編という設定)のかなり破天荒な、熱血&結(血)束的ストーリーラインの他に、モダンスイマーズという劇団のPR アーンド、 ファン感謝際的要素も加味されたお得感たっぷりの、サービス満点、至れり尽くせり舞台。

これはこれで、夜、赤坂へお芝居を観に行くのには、十分笑えて、楽しめて「あると思います!」

肩の力を抜いて、ライブのパフォーマンスを笑って楽しむ。
難解なメタファーも無ければ、くら〜〜く考え込むような問題提起なんてのも無し。そういえば、一時期の小劇場って、笑いがあふれてて、観客たちもバブル景気でけっこうハッピーで、、、そんな明るい場所だったよな〜。ぬくぬく、ぬるま湯状態だったよな〜〜〜。

決してシニカルな批判では無く、たまにはこうゆう楽しめる舞台。良いんじゃないですか?

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