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2009年4月

2009年4月15日 (水)

シュート・ザ・クロウ

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新国立劇場のシリーズ・同時代(海外編)Vol.2 -海外最前線の現代戯曲を日本演劇界の若手が演出する企画の第二弾、北アイルランドの劇作家、オーウェン・マカファーティーの12年前のデビュー戯曲を劇団ONEOR8主催の田村孝裕が演出した作品の初日を観劇。

北アイルランドのタイル貼り職人4人の話で、舞台には建設中の家の内部、タイル貼り途中の部屋二つと奥に屋外におかれたトラックと建設中の足場がちらっと見える舞台装置。
4人の男達の会話劇が左右に分かれた二つの部屋で展開していく。

英語でのworkは4レターワードと言われ、shi*やfuc*と同じ扱い。仕事が人生の重要部分を占める、勤勉な日本人とは仕事に関する感覚に違いがある。人生の意味は?と聞かれた時に、善くも悪くも「仕事の達成感」「仕事である程度の成功を収める事」と答える日本人が多いと思うが、英国では「仕事とは暮らして行くための手段であり、ある程度の食いぶちが稼げれば、あとは自分の為に、または家族の為に余暇を過ごすのは当たり前」となる。
この感覚の違いから(近年はそれでも両国のギャップも少しずつお互いに歩み寄っている部分もあると感じるが、それでも基本的にかなりの差がある)見受けられる、両国の文化の違いは日常生活のあちらこちらに見られて、英国に住む事になった日本人が感じる不便、理不尽の様々がこの感覚の違いに端を発している。
例えば、
*英国では電車が遅れるのが当たり前(最近は改善され、時々定刻通りに電車が来て、それこそ驚くこともしばしばある)。それに伴い、駅員が自分の労働時間を過ぎた時間に、定刻から遅れた電車が駅に入って来たときに平気な顔で「俺、もう時間外だから、この列車動かせないから、ここで全員降りて、次に来た電車に乗ってね〜〜〜。」なんて事も、マジ日常茶飯事。
*英国で暮らす日本人主婦がお怒りになるのが、、、修理屋さんや配達の人に予約を入れて、その日家に待機をしていても、すっぽかされる事が8割型起こる。まず、予約をしてその日中に来てもらえたら超ラッキー、で2回、3回の再度のアポイントは当たり前。(当人達はその理由をあれやこれやと、まさに芸術的な想像力で言い訳する。eg.前の仕事が押した、、というのは序の口で、車が手配できなかった、他の同僚が休んで人でがなかった、俺の予定帳には来週と書いてある、、などなど。ま、それでも今日は行けませんとの連絡があれば、まだましな部類。)
*実際に知っている人の話だが、その人はさっさと早期退職(普通のサラリーマンだったと思う)にのり、生活をそれまでより慎ましくして、趣味の合唱隊だかオーケストラだかの活動にいそしんでいる。決して、裕福な暮らしではないが、それこそ毎日食べて、ビールを飲めればオーケーとのこと。奥さん共々「本当に良い決断をした!」と自慢気に話してくれた。(ま、これに関しては国の福祉体制もからんでくる話なのですが)

などなど、ま、どちらの国が良いとは一概には言えないのはもちろん。日本人の勤勉気質が大変良く働く場合もあるし、英国人の各自の考える人生設計の多様さが豊かな人生を与えてくれる事もある。

で、芝居の話に戻るが、この芝居も年齢も家庭状況も異なる4人の一般市民達が仕事を通して、人生の意味ーそれは単に楽して大金を手に入れるかどうか、という事におさまらず、人生の先輩と後輩の関わり方、家族の存在、そして経営者と雇われ人の関係、仕事に関してのそれぞれの距離、将来への責任と残りの時間のすごし方などなど、、、本当にばかばかしいやりとりに聞こえる、この4人の会話にび〜〜〜〜〜〜っしりと様々な要素が詰め込まれている。

ばかばかしく聞こえる、時には異常にさえ見えるこの4人の人間達のドラマがこんなにも多くの事を気づかせてくれるのかと思うと、アイルランド劇作家の底力を感じずにはいられない。

2年続けて行ったエジンバラフェスティバルでもアイルランドのDruid Theatre発の芝居に立て続けにノックアウトをくらったし、個人的にもアイルランドの不条理な(別な言葉で言うとCrazyな)表現の芝居ががっつりストライクゾーンなのかもしれないが、この芝居も台詞一つ一つにかなり笑えました。

翻訳では伝わりにくい部分(慣習の違いや文化的背景から日本で言ってもあまり伝わらないだろうと思われる部分はカットしたそうです)は省いたそうなので、(全部は分からないとは思うが)あえて原語での芝居も観てみたいと思った。

あと、蛇足ですが、、、12年前の芝居が現在でも十二分に最先端として上演出来るわけですから、日本の良い戯曲の再発見もやりましょうよ。
宝の持ち腐れですから。


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花男

ここのところ、午前中に家にいて、10時からの「花より男子」再放送にはまってます。

通常時間に放送しているときも、ほとんど連ドラを見ない(夜に劇場にいることが多いので続けて見る事が出来ない)私が、はまって出来る限り見ていた番組;

「白い巨塔」、草彅君の「僕の生きる道」、三谷版「新撰組」と宮藤官九郎の「マンハッタンラブストーリー」。そして再放送にてはまった「高校教師(もちろん真田版)」、トヨエツの「愛していると言ってくれ」そしてこの「花男」です。

テレビドラマだと、やっぱり心の中の葛藤で出来る限りうじうじ、長々と悩むのが観ていて面白いし、それが表現できるのがテレビだよね。(マンハッタン。。はちょっと別の意味で面白かったーおきまりのギャグというのか、この時間にはこれが入る、みたいなのが、ね。)
花男だって、あの松潤と小栗君の無言の間のドアップの眉間のしわが良いんだよね〜、あとはちょっと悔しいけどやっぱり挿入歌やテーマ曲の影響もかなりあるかな。

松潤の困った顔に吸い寄せられるように見入っている自分は、やっぱり幼い頃少女まんがを読みあさったような、ファンタジックな夢子さんでもある(岩館真理子にはまった経験あり)事を認識する春でありました。

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2009年4月12日 (日)

お笑いだらけ

ここのところのお笑いはブームではすまされない勢い。
ご存知の通り、テレビをつければ、どんな種類のどんな番組にもお笑い芸人さんが出演しているしーバラエティーはもちろんのこと、ドラマや報道まで、何と言ってもバラエティー系の番組がほとんどだしー、近頃は吉本の芸人さんによる映画監督デビュー、作家デビューなども後をたたない。

こうなると、必然 inevitablyとしてパフォーミングアートの分野も芸人の方々のさらなる進出が見込まれる。実際のところ吉本新喜劇として独自の劇団ももっているくらいだから、レパートリーもあるわけだし、既に吉本以外の芸人さんたちも積極的に舞台に顔をだしている。

別に才能のある方々が演劇界に入って来てくれることに関してはウェルカムなのですが、日本のカルチャー全てが`お笑い’一色というのも、どうかな〜〜??と。
いずれにしても、何事においても、`独占企業’状態はヘルシーでは無いからね。


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たった今、テレビ(NHK)で天皇陛下と皇后の成婚50年記念番組として、ドキュメンタリー番組を放送していたが、他の局でみるような二人の軽井沢での出会い、結婚式のフィルムなどではなく、平成天皇が考える象徴天皇としての役割、天皇家の象徴としての長い歴史(現人神として国家を治め、政治に関わる天皇家の歴史の方が長い歴史の中では異例であるという史実)などが天皇陛下から語られた会見の様子を流したり、サイパンの万歳クリフを訪れ、太平洋戦争について語る姿、などなかなか充実した内容だった。最後に皇居の庭で皇后とつくしを採りながら「50年と言っても、なかなかいろいろ。。。。ね」皇后と無言のやりとりをしているシーンも、
この方の考える日本国の進むべき方向、世界の中の日本の役割、なんかをもっともっと本音の部分で意見を聞きたいものだと思った。
先日、英国女王エリザベス2世を描いた映画なんかもあったがーもちろん、彼女の心のうちは全て虚構の物語であるのだが、日本でももっと、天皇家をあつかった映画がつくられたらー天皇陛下の視線からとか、雅子妃、皇太子の視線からとかいろいろー日常から皇室がオミットされず、われわれが有する皇室制度の意義は?という議論がされて21世紀の皇室制度になっていくのではないでしょうか。

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2009年4月10日 (金)

その男 と 苛々する大人の絵本

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昼と夜とで、こんなにも違う世界(芝居)が観られる東京の演劇事情に感謝。

昼は4時間半という、東京速度ではあまりお目にかかれない長丁場の芝居「その男」を観る。
一時開幕というのも早いな〜と思っていたのだが、よくよく考えたら歌舞伎なんて午前中開演だものね〜、それにくらべたらなんて事はないんですよね。
上演時間だって、それだけたっぷりやってくれれば観劇しがいがあると思って喜ばなくては、と言う事なんでしょうか。
さすがに平日の昼間ということもあり、客席の年齢層は高め。夜の会だって遅い場合で6時始まりだから(5時開演の回もあり)やっぱり、この芝居を観るためには会社を休まなくては観られません。

で、長い長いと書きましたが、芝居自体はその長さを感じさせず、大掛かりな歌舞伎並みの舞台セットにしては場面転換もスピーディーでー舞台にスライディングする大木2本のセットがあり、それが幕の代わりになり暗転せずとも場面転換が出来るよう工夫されているー、役者陣も芸達者ぞろい(これは細部にわたり)で、安心して楽しめました。

お話は、江戸末期の争乱時期にお国のためという大義名分をかかげて殺し合う侍が後を絶たない中、剣のうではかなりのものながら、家族の為、男として生きながらえる道を選んだその男ー杉虎之助(上川隆也)ーの98年間にわたる生涯を描いた池波正太郎の人気小説を鈴木聡が戯曲化した芝居で、ラサール石井が演出を担当している。翻がしっかりしているので芝居に安定感ありー分かりやすいし、飽きない。

平和憲法を持つ現日本、しかしながら平成に入り回りの世界が次々と戦争を始める中、その国家の姿勢に疑問を持つ若者が増えている。それこそ若い人たちに表舞台の剣豪たち、龍馬や新撰組とは違う道を選んだ男の話を観てほしい気もする。
主演の上川が主人公・虎之助の人間的魅力を十二分に表現。これはキャスティングの勝利。
(彼が「ブスが好き」と言っても、ぜんぜん嫌みには聞こえない。)
ちゃんばらも、峠の茶屋のお団子も、はりぼての馬も、、、こうゆうものを観て安心するのは、やっぱり日本人だからな〜〜〜、といやに納得。
シェイクスピア芝居の剣の決闘とかいっても、やっぱりなんとなくまだまだ違う国の決闘という感じで、そのシーンはあまり長くは演じられないものね〜〜。
余談だが、今度、新国立劇場でシェイクスピアのヘンリー六世(三部作)をやるらしいけど、大丈夫なのかね〜?
幕末の話だったら、それこそ誰でも幕府サイドと反幕府サイドとの見分けがつくけど、赤ばら白ばらと言われても、、、その上、その関係ですらすごく複雑だし。
劇を観に行く前に予習しておけって事なのかな??(と、ぜんぜん関係ないが心配になる。)

で、夜は青山のマンションの1室(劇場:はこぶね)で劇団ペニノの「苛々する大人の絵本」ーぶたちゃんと羊ちゃん、そして思春期の受験生ーがそれぞれに妄想を繰り広げる、思いっきり不思議おかしい芝居を観る。

前回の公演を観てから1年、セットはほぼ同じで始まりも、、ぶた子ちゃんと羊ちゃんの日常の一コマ、愛情あふれるぶた子ちゃんは食欲も愛欲もいっぱいpigheart02というところから始まり、お〜いつものコンビ、と思って観ていると下の界で妄想を膨らませている何かと欲求不満の頭でっかち受験生が床をつきぬけるあたりから、前回とはちょっと様相が変わってくる。
今回はその受験生の頭でっかち君がさらに進んで、積極的におんなの子たちとコミュニケーションを図る。その関わり方が、かなり歪んでいて、へんちくりんではあるのだが。

限られた空間ゆえに劇団のファン、もしくは(おそらく)劇団に近い人たちなど、少なくとも「その男」を観に来ていた客層とはまったく重なりようがないような人たちが観に来ているのだが、チラシによると今度は次回のFestival/Tokyoに参加して、新作を発表するらしいので、その際にもっと幅広い人たちに彼らの作品が触れる事になると思う。
これはかなり期待大。
大変でも、毎回ぐらいのアフタートークを展開してもらいたい。
でもって、巣鴨でもこの公演と同様のナンセンス、不思議ワールドを展開してもらいたい。

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2009年4月 8日 (水)

Festival / Tokyo

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Festival/Tokyo良かったですね〜。
見応え十二分で企画の充実度満点、でもってスタッフの結束感、志の先が見えるような演劇祭でした。

プログラム・ディレクターの相馬さんは開幕前に予算が大幅に増えたのが大きな強み、とおっしゃっておりましたが、何をおっしゃいます。そのお金を有効に使ったからこそ成し得た結果ですよ。

これからもますます期待してしまいます。

では、ここらでフェスティバルプログラムのレビューを簡単に。観た順でいきましょうか?

*カール・マルクス:資本論、第一巻 リミニ・プロトコル

http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/ft20090213r1.html
(上のアドレス貼ってみるとDaniel Wetzel のインタビューが読めるよん)

前評判でダントツ一番人気の期待を裏切る事なく、刺激的な舞台を見せてくれた。
人々はわざわざ時間をさいて、何の為に劇場に足を運ぶのか?という原点にたちもどるかのような問に見事に答えてくれる舞台。
大人がわざわざお金を払い、足を運ぶのにはそれぞれの知的好奇心を満たすため、そして日々頭に浮かんでは、忙しさゆえにいつも忘れさられてしまっているような人々の大もとのところにある何かを見つけるヒントを探しに行くため、に劇場へ行くのでしょう。
で、この芝居、観客を受け身ではおいておかない、観客一人一人が観客席で自分の人生と照らし合わせながら舞台上で語られている事を頭で考えるように自然ともっていくようにできている。
舞台上の出来事が一つだけの答えを持ち合わせているのではなく、観客の人数分だけの答えを提供できる芝居。

*オセロー イ・ユンテク

日本側からク・ナウカ、韓国側からは演戯団コリペの俳優が集っての合同創作プロジェクト。
オセローといってもシェイクスピア戯曲の上演ではなく、ク・ナウカ主催の宮城聡企画原案による夢幻能として2008年にソウルで上演されたものを、さらに今回、韓国トップの演出家、イ・ユンテクが新たに演出。韓国独自のシャーマニズム舞踏の取り入れ、能戯曲プラス韓国舞踏と、まさに日韓文化混合の舞台として作り直したもの。

ユンテク監督が韓国国立劇場の芸術監督も努めた方だそうで、客席には韓国演劇関係者のお偉方がずらっと並んでご観劇。上演後のポストパフォーマンストークでもその中のお一人が今回の上演を讃える祝辞のようなコメントを発言したりしていた。

で、舞台はと〜〜〜〜〜〜ってもヴィジュアルが奇麗なのだが、その合同創作のあまりよくない面が出ていたようで、どちらか一人が最初から最後までオセローを独自の解釈で演出した方が良かったのでは?と思わせる残念な結果に。 というわけで、ク・ナウカ版オセロー観てみたくなりました。


*雲。家。Port B

オーストリアのノーベル賞作家、エルフリーデ・イェリネクによる40ページの戯曲「雲。家。」のPort Bバージョンで、07年にFestival/Tokyoの前身である東京国際芸術祭で上演されたものの再演。バージョンアップしての再演、とあったが、その違いはあまりよく分からなかった。
西すがも創造舎の体育館=劇場に設置された建設現場の足場のような鉄骨舞台。その鉄骨建造物一面に張られたスクリーンには時にはサンシャインビルが、また時にはそのビルの近くで若者たちにインタビューした映像が、そして時にはいろいろな国から日本へ来ている留学生たちの談話が映し出される。
その映像が映し出される以外では、延々とイェリネクの戯曲がPort B看板女優、暁子猫によって語られる。時に暗闇にその姿を隠し、声だけが劇場の暗闇に響きわたる。
「わたしたち。。。」で始まるその台詞はあくまでも断片的で抽象的。また、それぞれの映像に特別な注釈がつくわけでもない。でありながら、舞台はわたしたち=日本国とわたし=観客(国民)一人一人の関係性を見事に浮かび上がらせて行く。
戦後この両者の関係を重要視し、あるべき国家のすがたをつねに公の場で議論してきた国ドイツと国家の成り立ち(構成)すらあやふやで、さらにはその問題をそのままに放置しつづけている日本。
Port B=日本版「雲。家。」が忘れようとしている観客(国民)の意識を静かに喚起させる。


p.s.
この舞台とは別に、Port Bが年末に3日間連続の演劇プロジェクト「ディクテ・フォーラム」というのを決行しまして、残念ながら私は参加出来なかったのですが、これが横浜の街を巡りながら、様々な方面からゲストレクチャラーを呼んで各所でレクチャーをしてもらい、その行程を繰り返しながら、多方面から演劇を再考するというプロジェクトでして、、(その様子は彼らのHP www.portb.net から知ることが出来ます)。こうゆう企画わくわくしますね。
それこそ、わたくしたち日本人はレクチャーを聞く事はとっても上手に出来るのですが、如何せん討論debateというのが大の苦手で、ついついdebateが言い負かし合いになってしまうものです。それどころか、その前段階、議論discussionでさえ成り立たないことがしばしば。
演劇も舞台上と観客席の一対一の関係ではなく、このような数人が会する場で論じられる、それもある程度の時間をかけて、という機会がもっともっとあれば面白いのに、と思いますね。

*Hey Girl ロメオ・カステルッチ

こちらも間違いなく今回の目玉演目の一つ。
それが故に開幕前の劇場(体育館)もなんだか異様な熱気につつまれていたのですが、終わった後、その熱気がどこかへ抜けてしまったような、不思議な公演でした。
誰もが絶賛する、冒頭シーンーテーブルの上のアメーバー状のピンクの物体の中から裸体の女が脱皮して誕生するーは確かに、忘れられない強烈なイメージと共に残る、、、、がそれからの一連の各時代の`女’を連想されるシーンが、一つ一つとっても奇麗なのだが、ただそれだけで終わってしまったような感があり。ちょっと興醒め。
写真とかビデオとかでその美的な世界を見れば、それで満足できちゃうかも。
その女に関して、さらなる物語が欲しかった。
これは単に私の趣味かもしれないが、ダンスでも単にフィジカルなテクニックを見せられるだけのものにはあまり関心がないから。ダンスでもパフォーマンスでも総合的な世界観、あっと驚く新発見をさせてほしい。
あとは、この体育館の劇場、これが本当は集中していくべき熱気を発散方向へ向かわしてしまった一つの要素でもあったのかも。


*火の顔 松井周(サンプル)

演劇関係者、とくに小劇場愛好者に絶大な支持を得ている若手、松井周が手がける、ドイツの(やはり若手)奇才、マリウス・フォン・マイエンブルグ作、05年に本家ドイツのシャウビューネ劇場が来日して話題になった「火の顔」の邦訳版舞台。
後日、この舞台を観たドイツの演劇人が「ぼくはあまり気に入らなかった。だってあの劇はもっと社会色が濃くでた舞台であるべきなんだから、、日本版にはそれが感じられなかった。」と感想を述べていた。そのご指摘どおりなのだが、これが日本の「火の顔」なんだと言い返した。
前出のPort Bの欄でも述べたように、同じ敗戦国でありながら、この二つの国がとった戦後政策、そして一般国民の世界大戦に対する向き合い方はあまりにもかけ離れている。
さらには戦後も東西ドイツ分裂という形で戦争の責任をとりつづけたドイツと戦後、当時の戦争責任の追求を完結しないまま新しい時代に突入してしまった日本(沖縄問題などはありながら)とで、国家というものに対する国民の期待と注目度、また同時にそれに対する国民一人一人の責任感覚もかなりの違いがあるだろう。
そんな日本での舞台で、現状の日本社会を映し出す「火の顔」を創ったら、まさにこうなったということ。完全に意思の疎通のとれない親子同士、人は良いが家庭での存在感が全く無い父親、事なかれ主義で日常に流されている母親、大衆世間に不満を持つ内弁慶な思春期の娘、かっこつけていながらもろい娘の彼氏、そして全ての大人を信じられない息子。。。。彼らが自分が傷つく事を恐れ人との関わりをするりとかわしながら日常を暮らしていたある日、息子が姉と確実な繋がりを持つ(セックスをする)。人との関わりを持つことで彼の中の均衡が失われて行き、その崩壊が加速していく。

この主人公に後日談があるとすれば、やはりテレビのワイドショーで「まさか、そんな事をするような子には見えませんでしたよ。仲の良いご家庭で。」なんてコメントされてしまうのかも。

5人の役者がまさに、この日本版「火の顔」のための役者というほど、はまっていた。


*金柑少年 山海塾

なんだかすごいものをみせられたというのはわかるのだが、それ以上心に響く物語は聞こえてこなかった。こちらの舞台も映像とか、写真とかで満足できちゃうかも。
お芸術には、あまり興味がないんだよね〜。もっとがっつりくるものが観たい。


*blueLion 白井剛

同じ芸術だったら、こちらの方が(良い意味での)辛抱度があるし、ストーリーもあるし、ぜんぜん良い。
ソリッドな肉体が表現するミニマムな洗練されたダンスと他要素ーアコーディオン、ギター(ダンサーの方とこの二人のミュージシャンは家族なの?みんな寺田さんだったから。。。)、ヴォーカル、ピアノとのバランスもGood。
丁寧に伝えたいものを表現している、だからこそこちら側も見逃さず受け取ろうとする。


*コウカシタ 井出茂太

思いがけず(と言ったら失礼ですが)目から鱗の大当たりのダンス。これ好みです。大好きです。
こちらも振付家の井出がタイまで出向いて、オーディションして選んだタイ人のダンサー6人(76人の中から選ばれてます)と日本人ダンサー4人による混合チームのコラボレーション。
アフタートークによると、選ばれたタイ人の出演者の中にはプロのダンサーではなく、役者として活動している人たちも混ざっているとの事。
で、そのNONダンサーの人たちがまたいい味だしてましたー彼らもちゃんと踊ってましたよ、あしからずー、でもってタイ人の双子の女性ダンサーがメンバーにいるんだけど、この子達がスタイルが良くて、でもってその動きの格好良いこと!素敵な動きは観てて気持ちが良い、でもってワクワクする。
コンテンポラリーダンスってある種なんでもありの分野なので、作品を批評するのって大変難しいと思うのですが(作品を解説、または技術的に批評することは出来ても)、つまりは作品を通してどれだけ多くの人たちを気持ちよくさせたか、心を動かしたか、、というのが評価につながってくる=作品の成功と結びついてくると思うのですが、思いっきり、すっきりと大声でお勧めできるダンスでした。

それぞれのダンサーへの当て振りに近い作り方で自由な形式で創ったダンスがーこれもアフタートークで井出さんが言っていたことーアジアを思いっきり感じさせるごちゃ混ぜ感が楽しい舞台として完成してくれました。

*声紋都市ー父への手紙 松田正隆 マレビトの会

こちらも大きく期待を裏切って(またもや失礼なことを、本当にすみません)、大金星の舞台でした。
私、90年代に日本を留守にしていた事もあり、ぽっかり観ていない時代の演劇人というカテゴリーがありまして、マレビトの会・松田さんもその中に入るのです。
今までではキラリふじみで04年に観た「天の煙」が唯一の松田さん体験かも。
で、今回の舞台ですが、スクリーンに映し出される映像部分(松田さんが実父に戦時中体験をインタビューをしているもの、また原稿用紙に今回の戯曲が書きこまれていく映像など、生地である長崎で撮影されたものがほとんど)と舞台中央に鎮座する斜めの壁面を逆さまに落ちてくる役者たちが地面についてから個々に

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観劇の春 24本

約一ヶ月にわたる演劇祭 new Festival/Tokyo が開催されたこともあり、3月は計24本の舞台を観た事に。。

通常の観劇数が15本前後/月なので、今月はかなりのペースオーバー。
そんでもって、職場環境の変化なども重なり、花粉症同様グタグタの一ヶ月でした。

しかしながら、だからといって観たいものをぜ〜〜〜〜んぶ観れたかというとそうゆう訳でもなく、例えば、Festival/Tokyoでは2008年に観て(参加して)年間ベスト5にいれたPort Bの「サンシャイン63」のリニューアルヴァージョンを参加し損ねているし、、演劇大学生たちの競演も見逃し、さらに、さらに何と!!!おやじカフェをも見逃している(どうもタイミングが悪いらしく、寄ってみると満席だったりしたのですが)。

これこそが、演劇オタクを生産しつづけている、演劇の「再生の不可能」、つまり観損ねると「次」はないぞ!という後悔と強迫観念の悩ましさ。

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Triangle ルームシェアのすすめ

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PARCOらしい軽妙ミュージカル「Triangle〜ルームシェアのすすめ」を観る。

井上君も良い、新納君も良い、、しかし、しかしながらやっぱりあまりにも軽い。
若者の悩みが、、、昨今のトレンディドラマ(この言葉古い?)並みに浅い。
コメディ度もサプライズも、さっぱりスマートで、こうなると観劇後に残るのは役者陣の芸達者ぶりと歌声のみ。で、これってそれぞれのプロモドラマー役者のいいとこ宣伝をする芝居ーなの?なんてつっこみたくなるほど。
毒にも薬にもならない、お利口な芝居つくっていると、そのうちその方法を上手く使っているようでいて、そうゆうものしか作れなくなっちゃったりして。。。怖いよね〜。

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2009年4月 7日 (火)

7歳の孫にジンを2杯飲ませた祖母

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小竹向原のアトリエ春風舍で青年団リンク/うさぎ庵公演Vol.7「7歳の孫にジンを2杯飲ませた祖母」を観る。

地下鉄、小竹向原駅を降りて、ゴルフ練習場の合間の小道を抜けて劇場へ。月曜日の午後ですが、ゴルフ練習場は大にぎわいの様子。
近所にこんな立派な練習場があったら便利で良いでしょうね〜(もしも私がゴルファーだったらの話ですが。

うさぎ庵、主催・作/演出の工藤千夏さんとはかなり長いおつきあい。いつもいつもご丁寧に公演案内などを送ってきてくれて、アゴラの劇場でお会いしてもいつもニコやかで、本当にありがたいことです。で、今回公演パンフレットを読んでいて彼女が広告代理店の仕事と平行して演劇活動を続けている(いた??)ことを知る。
時間を有効に使えば、人の2倍、3倍でも仕事は出来るものなんですね〜〜、偉い!!

で、芝居の方ですが、彼女があるとき米国で(TVからかラジオからか)耳にしたニュースがきっかけで出来たお話だとか。

クリスマスイブの夜に自分が外出したいがために7歳の孫にジンを飲ませて死亡に至らせた47歳の女性というニュースから、作者が想像力を膨らませ、そのニュースでは語られない部分作り上げた芝居。

お芝居は47歳の祖母と20代のその娘ー二人とも若くしてシングルマザーになったという設定ーそしてジンを飲まされた幼い孫、祖母の架空の(?)王子様、精神科医、これらの人々がその夜におこった出来事を短いシークエンスで交互にみせていく構造。
場面が次々と転換し、それにあわせて演じる役者も代わる代わるに演じ分けて行くその間、死んでしまった7歳の娘の人形だけが常に同じ場所にずーーっと存在し続けている。

娘にジンを飲ませたのは、母親?それとも祖母??? 祖母の王子様は実在するの?それとも彼女の狂ってしまった頭の中に存在するの????と話がミステリー仕立てになっている。

これを観て、思い出したのがやはりちょっと前に観た、イプセンの「ちっちゃなエイヨルフ」というお芝居。大人のエゴと肉欲の犠牲になったちっちゃなエイヨルフ、、そのエイヨルフの女の子版が人形となって舞台に存在しているようだった。

大人達はそれぞれの責任を隣の人におしつけようとし、また自分の不幸を嘆いているが、人形としてずっとたたずんでいる女の子はすでに何を言う術も無いといったところか。


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劇評マラソン

まあまあ、すっかり春爛漫。
1枚カレンダーのページをめくった途端に春cherryblossomがキタ〜〜〜!!
その春の桜色に誘われて、ふらふらとお散歩にもデタ〜〜〜、そしたらみんなが花見をやっていたのでわてらもその花見の輪の中に混ざって週末は外で一杯やっておりました。

で、気がついてみたらすっかり4月。みなさんリフレッシュしてさわやかに日々お過ごしの事と思います。てなことで、私も心を入れ替え、出来る限りのバックワードレビューを試みたいと思っております。

昨日4月6日からどんどん遡ります。

*音楽劇 三文オペラ(シアターコクーン)


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宮本亜門演出、三上博史、安倍なつみ主演版 音楽劇 「三文オペラ」。

ついこの間、「三文オペラ」観たな〜、なんて07年10月の世田谷パブリックでの白井晃演出、吉田栄作、篠原ともえ版の舞台を思い出しながらコクーンへ。

もちろん演出家も違うし、カンパニーも別もの、、なのになんだか似ている雰囲気。世田パブの舞台と翻訳者(酒寄進一)と舞台美術(松井るみ)が同じなんですね〜。
もちろんセットも時代設定も違うんだけど、大きな劇場同士で同じような企画が重なる(1年半しかギャップがないし)ことって、そんでもって同じ人に同じ作品で舞台美術を任せるなんてことがあるんですね、不思議。

で、今回も感じたことだけど、2009年東京での「三文オペラ」上演の難しさ。
いつの世でも体制側の決して表に出る事はない裏事情なんてのはあり、世の中大変不平等にできていて得する人はいつも得をする、そして人は人を裏切るなんてのも古今東西普遍の出来事ではあるので、ドイツの1928年初演の、それもその時代を色濃く反映した芝居であっても、現代で上演することは、もちろん可能で、しかもそれを現代の傑作として上演することも可能なのでありますが、、いやはやこれがなかなか難しい。
初演から80年(!?)経って、大御所の名作中の名作、なんて冠がついてしまったが為にさらにますます難しいことになっているようです。

今回の舞台、人間の`欲’ー特に性ーがもたらす人と人とのかけひき、裏切りなどが中心にそえられて、政治色はやや薄めで、冒頭の映像シーンに若干の社会批判が見えるぐらいで、現代版といっても時代も国も確定せず、普遍的な愚かな人の話という設定になっている。

別にそれはそれで良いのだが、何だか余分なものがいっぱいついてきて、それが最終的に舞台を散漫な印象で終わらせてしまったように思う。いろ〜〜〜〜んなアイディア、やりたい事なんかが四方八方、役者や演出家から集められて、デコレーションてんこ盛り状態でちょっと食傷気味な味でした。
エンターテイメント色は満載なんだけど、反面、それぞれの役づくりの細かい部分が抜けていて、三人の女達の恋の鞘当てもちょっと説得力を欠く結果に。

役者陣は。。。米良美一のMC役ぜんぜんありでオーケー、秋山奈津子のジェニーも無難にオーケー(しかしながらコクーンの場所だと松尾スズキの「キレイ」でのカスミお嬢様が目の前にチラツイて、、あのミュージカル最高だったな〜〜〜、特にカスミさん。。素晴らしかったな〜なんて、日本ならではのああいうミュージカルをまた観たいな〜〜なんて思ってしまう私がいました)、でもって安倍なつみのポーリーも(後半ちょっとあの甘ったれ声がクドく感じられるが)好演、で松田美由紀のMrs.ピーチャムは余裕のよっちゃんでベリーグーーーーーー、、
で、何と言っても、三上博史のメッサーからは目が離せず、、、毎回この人にはやられていますー正直、最後の彼のアンコールソロを聞くだけでも3時間の価値あり!ぐらいに良かった。

(デーモン小暮に関しては、あのメイクで出ていることで、やっぱりNGかな?あと細かい部分でも役者というよりはデーモンというパフォーマーだった、つまり演じていなかったかな、と残念。)

あと、観客席に登場出口をつくって、役者達が観客により近づいて語りかけるという演出方法をとっていたが、これはかえってあだになっていたように思う。観客席まで舞台になってしまい、ライブの高揚感によりカタルシスは生まれても異化作用は期待できない結果となってしまった。

あと、最後に衣装、このと〜〜〜〜〜ってもファッショナブルな衣装とメイクにより、やっぱりエンターテイメント色がさらに濃くなってしまった。乞食軍団も、娼婦軍団もなんだかモデルさんみたいだったものね。


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