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2009年2月

2009年2月11日 (水)

マルグリット

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ホリプロ主催、英国人演出家ジョナサン・ケントによる「マルグリット」初日を観劇する。

社運をかけた大プロジェクト(!?)、様々なビジネス要素を含んだ戦略、チャレンジが含まれているんだろうな〜〜〜というプログラムだけに、客席中央部はそのビジネスの匂い漂う社交の場となっていた。
ウェストエンド、ブロードウェイの初日なんかも(ま、規模は大分違うんだろうけど)こんな匂いなんでしょうね。

で、舞台ですが、さすがにウェストエンドでも評価された舞台(それを今回は日本人キャストでという趣向)だけに、パッケージ自体は大変良く出来ている。オペラ舞台として有名は「椿姫」の設定を第二次世界大戦下のパリに移し、ドイツ人将校、オットー(寺脇康文)の愛人マルグリット(春野寿美礼)を中心に彼女との悲恋に運命を翻弄される若きレジスタンスアルマン(田代万里生)、と、この社会的立場が全く異なる(占領側のドイツ人の権力者、その愛人であるもと歌手のフランス人、そしてその権力に抗うレジスタンスの若いフランス人)三人の恋愛物語。

あくまでも恋愛を主軸におきながら、ヨーロッパ社会での権力争いの中で翻弄される人々、そしてその混乱の中、純粋に生きる主人公マルグリットとアルマン、そしてそれをとりまく計算尽くめの取り巻きたち、と随所に見せ場があり、物語は観客を飽きさせる事が無く、セットも豪華、演出も(現代向けに)スピーディー、となかなか文句のつけようはない。

で、そうなると、今回の日本バージョンでの成功の鍵を握るのは何と言ってもキャストでしょう。

で、主役の春野さん、、、やっぱり悪いけど、及第点はとっているけど、ミスキャストの感は否めない。
それこそ彼女の演技が、容姿が、、歌が、、というレベルではなく、社運をかけた世紀のプログラムを引っ張っていくだけの説得力がない。どちらかというと、とってもあわない役をさすがに無難にこなしていると、かえって褒めてあげても良いぐらいかも。恋愛体質、年下のピアニストに溺れていく、一方ではドイツ人将校を自分の生活のために利用して手玉にとる、、といったようなファム・ファタール(小悪魔的悪女)というイメージが微塵にも感じられないんですよ。どちらかと言うと同じ戦時下でも清く正しく美しく。。の例えばサウンド・オブ・ミュージックの主役の女家庭教師なんかの方が良かったかも。
初日の会場は彼女のファンの熱気でヒートアップしていたけど、、、、う〜〜〜〜む、まったく存じ上げなかった一人の観客としては、なぜ彼女にしたの?というのが正直な感想。

それに反して、初見にして多いに引き込まれたのが若い愛人アルマンを演じた、田代万里生くん。ミュージカルは初挑戦、という事でしたが、その高音は観客を呼び込む魅力大。
これから、いろいろなミュージカルの舞台で彼を観る事になるのだろうな〜という予感いっぱいです。
ま、それにつれて演技の方もどんどんついていくのでしょうし。それはおいおいということで。

寺脇さんに関しては、その存在感はさすが、と言うものの、やっぱり舞台経験を積んでいてある種のうまくまとめるという方法も知っているだけに、、、歌に魅力がなかった。。かな。

ま、この演目はレパートリーとして続けていくんでしょうから、第一弾としては、それこそビジネス的戦略として、打ち上げ花火の華やかさ、バランスとしてこのキャストで行ったんでしょう。それはそれとして成功しているのでしょうね。

かえって、再演のキャスト、、、(再出演の可能性も含め)そのキャストの舞台に興味があるかも。

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2009年2月 9日 (月)

Le Sous Sol (土の下)

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2009年2月 8日 (日)

カルチャーの違い

2008年の読売演劇賞、演出家賞にも輝いた英国人演出家、サイモン・マクバーニーの「春琴」がロンドン、バービカン劇場で幕を開けたので、さっそく現地レビューをチェックしてみた。

どうも、英国人には谷崎、耽美の世界が現実離れした時代遅れのサドマゾ話にしか読み取れないらしく、総じて(一昔前とは違い、今では、それこそマクバーニーの作品を批判する批評家はあまりいないのだが)あまり評は芳しくなかった。
日本での軒並みの高い評価と比べると、あまりの違いに「おいおい。。」つっこみたくなる状況だが、これが現実なんでしょね。
どっちがどっちという訳でもなく、単にやっぱり英国人には、今、ロンドンで観る価値をあまり見いだせない内容だったのでしょう。

さてさて、その作品自体の受け入れられ方もさることながら、そのレビューの中で度々ふれられていた、「2時間もの間、インターバルも無しに。。。」という表現。彼らに取って、息詰まる緊張感のなか2時間というのは肉体的に耐えられない、(その間に隣の友人とワイン片手に作品について語るインターバルが身体的に必要)という事なのでしょう。
シェイクスピアなんて軽く3時間超えるけど、ま、こまめにインターバルは入れていますからね〜。

日本では、3時間でも休憩がない芝居はた〜〜〜くさんあるよ〜〜〜ん。なんて、とてもじゃないけど口にだせませんね。

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2009年2月 4日 (水)

しとやかな獣

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巷で話題の「しとやかな獣」ー62年の川島雄三監督、進藤兼人脚本映画作品からーの2009年版舞台を観る。
オリジナル映画の主演若尾文子はこの年(’62)に9本もの映画に出演(それも主役級で)していたなんてオマケ情報を見つけて、昔の日本では24時間の流れ方が違ってたんだろうな〜なんて思う。今の世の中便利になって時間も短縮なんて言っているけど、実のところその逆かもね、無駄な情報、いらないつきあいやら社交辞令などが充満していて(たとえば番宣のためのテレビ局回りとかね)その実、結構時間を有効に使えてないのかもー実のところ、今タイプ打ちしているこのブログなんてのもその最たる物かもね。

で、芝居の方ですが、さすがに翻がしっかりしているので大変面白く観れました。
細かいところでいろいろと改善余地を残すものの、少なくとも「観て損はない。」とお友達にも言える芝居でした。

まずはやっぱり企画の面白さ。最近舞台化された、江戸川乱歩の「陰獣(1928)」しかり、安部公房の「友達(1967)」しかり、そしてこの「しとやかな獣(1962)」と昭和初~中期の傑作、どれもが人間の根底に潜む業、つまりは普遍的なテーマを含む翻を平成の世に紹介、生き返らせたという功績でしょう。
今回の「しとやかな獣」ではしたたかな女の生への執着ー今でもそこらじゅうにいっぱいいる勝ち組の悪女ー、そしてどんな手を使ってでも金を得るというチンピラ詐欺なんかもそこらじゅうに氾濫しているし、観客側からしても決して昔々のノスタルジックな話では無いんです。
そのテーマの普遍、プラス気持ちよいほどのいさぎよい脚色術。最近ではニュース、現実社会の方が驚かされる度合いも大きいし、想像の域を遥かに超える犯罪なんかも多いんだけど、「しとやかな獣」の場合、絶妙な誇張と主題のクローズアップで虚構の世界が現実世界を凌いでいる。(やっぱりフィクションの醍醐味はここでしょう。)かといって、そのフィクションが突飛押しも無い荒唐無稽なものにはなっていない、そこも大事ですね。

それにしても、また話がちょっと脱線するけど、昭和初期の日本映画ってすごい!。昔、学生時代、深夜枠なんかで流しているその時代の映画とか釘付けになって観ていたけど、脚本も役者もぶっとんでいる。
それこそ、若尾文子とか朝丘ルリ子とか、若山富三郎とか、み〜〜〜〜んな思いっきり人間臭いいや〜〜な人の役をこれでもかと演じていたものね。最近の映画では「人類愛」とか「友情」とかたっぷりしすぎていて、いやにそこの部分だけ性善説の世界、もしくはそれこそ漫画的な非現実的な設定ばかりが「壮大なスケールで描く」なんてごまかされて横行しているけど、芝居もそうだけど、ベーシックな脚本の原点にもどりましょうよ、と言いたい。

最後に前述の細かいところ、、というのに触れておくと、

今回はブラックコメディのコメディの色を濃く出した舞台であったと思うが、そのままかなりビターなブラックコメディでも逆に十分面白く観れたかも。

すほうれいこさんの昭和初期ざーます言葉のイントネーションが心地よかった。(ゴーゴーダンスはちょっといただけなかったが)近藤公園君のたまきさんへのせまりのシーン、遊び人のチンピラだったらもうちょっとエロっぽくやって欲しかったかな。

大河内さんの作家先生が一番リアルでしっくりしていたような気がします。
浅野さんのお父さん、ここで上述のコメディ部分が強調されていたので、これをもうちょっと普通の親父にしても良かったかも。
以上です。

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