« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »

2008年12月

2008年12月10日 (水)

友達、表裏源内蛙合戦などなど

11月観た物で洩れていた芝居、一挙に載せます。

11月3日(月)
*広い世界のほとりに
TPT
エジンバラで今夏観た芝居の中で、ぶっちぎりに面白かったのが英国の新鋭劇作家サイモン/スティーブンスの「ポルノグラフィー」。誰にでも起こりうる市民の`ある日’切り取り、それを普段の話言葉で綴りながら、そこに`普遍’と、そして観客一人一人の心の奥まで染み入るメッセージーう〜〜〜むメッセージというと急に言葉が軽くなってしまうな。。。、一人一人への伝言というのか、伝えるべき事というのか、、を含ませるという、まさに天才的な事をやってのけてしまっている彼の劇作にやられてしまった。日本人の私が観ても、その伝えられた物、そして芝居の深さに圧倒されたのだから、やっぱり英国人たち(特に題材があのロンドンでの同時多発爆弾テロの日の事だったので)には、あれはガッツんとそして心の奥底にまで染み入って残ったことでしょう。
なんて、「ポルノグラフィー」の話はこれくらいにして、この「広い世界のほとりに」が同作家、スティーブンスの出世作だからというつながりで話がエジンバラから入ってしまいました。
で、今回の「広い世界のほとりに」も、やはり


11月5日(水)
*山の巨人たち
新国立劇場

11月6日(木)
*幸せ最高ありがとうマジで!
パルコ劇場

11月7日(金)
*日本縦断大激戦ツアー「アンタッチャブル」
コンドルズ

11月8日(土)
*蟻のごちそう
夢現舎

*** 10日〜17日北海道へ ホリデー***

茨城、大洗港から苫小牧まで船での旅。夕方18:30に出航して、到着は翌日の午後2:30。
殆どの乗船客がお仕事関係、いろいろな物資の輸送関連など、、という中、船で北海道が初めての私たち(with旦那)ははしゃぎまくりで買ったばかりの一眼レフデジカメで暗闇でしかない海や冷めきったビュッフェ食などを激写。船は、豪華客船でもないので、いたってシンプル。
日が昇ればデッキに出て海を眺めたりなども出来るのだが、とにかく夜は何もする事が無し。せめて、バーぐらいは設置してもらいたいものです。船旅が結構一般的な英国出身の旦那は「船にバーも無いなんて!!信じられない。」と驚いておりました。確かに〜。ちなみに、海に囲まれた国英国では船旅はとってもポピュラー。特に時間がたっぷりあるお年寄りの方々の人気の休暇プランとなっております。全てがゆっくりの英国っぽいでしょ?
ま、広いお風呂だけは良かったかな。娯楽の無い船なので、夜は混むと思って朝に入ったのが正解だったみたい。お風呂場の大きな窓からは海が見えて、、それでいて貸し切り状態、ゆったりと入れて良かったです。

で、苫小牧からバスで札幌市内へ。唯一事前に予約をしておいた駅前のホテルへ。ビジネス用のホテルらしく、お値段はとーーってもリーズナブルで、それに比例してお部屋は小ちゃい。が、所詮寝るだけなので、全く問題無し。立地条件が最高だったので、横断旅行から戻ってきて最後の一泊(帰りは千歳から飛行機)もそこのホテルに泊まることに。
早速、その晩は札幌に住む友人と居酒屋へ。ほっけだの塩辛バターじゃがいもだの、、でも、『ん??待てよ。これっていつも近所の北海道居酒屋(オーナーさんが北海道出身で、食材を北海道から直送しているとのこと)で食べているものとそれほど変わらないかも?ま、あまり気にしない、気にしない!!っと』、、、次の日からの横断コースは未定のままーまずは旭山動物園に寄って、それから知床を目指すことだけは決めていたー季節外れに暖かい札幌の街をほろ酔い気分でホテルへ戻り、ぐっすり就寝。

と、こんな感じで始まった、北海道珍道中。行き当たりばったりの旅だったのですが、それが良かった。
何せ、北海道で一番観光客のいない時期だったので、行き当たりばったりでも宿は貸し切り状態。知床のウトロで泊まったペンションでは露天風呂まで私たちの専用で、わざわざ、その日の5時ごろ電話で予約した私たちの為だけにお風呂を用意して下さったオーナーさんに感謝。感謝。
阿寒湖の団体客満載のホテル以外はどこもかしこもガラガラ状態で、ラッキーでした。

経路としては、札幌→旭川・旭山動物園(レッサーパンダのおっかけっこにシロクマ・イワン君の豪快なダイブ。かなり楽しめました。)→層雲峡→知床・ウトロ→阿寒湖→小樽の友人訪問→札幌でまたもや友人達と飲み会→千歳から帰路

レンタカーの走行距離は1,000キロ(もちろん私が運転したわけではないけど)。

リフレッシュどころか、そのまま北海道に留まりそうなぐらい、、ハマりました。満足。満足。

******************************


11月18日(火)
*Samurai7
ネルケ・プラニング

11月20日(木)
*友達
世田谷パブリックシアター

11月21日(金)
*表裏源内蛙合戦
シアターコクーン


| | コメント (0) | トラックバック (0)

ア・ラ・カルト 20周年記念公演

Alacartea

遊機械オフィス(遊機械全自動シアターって確か、解体したんだよね。大好きな劇団の一つだったんだけどね〜。ご多分にもれず私も山田のぼる君の大ファンで、でもって、やっぱり篠崎はるく嬢、、そしてごっつい白井さんの女医さん、、などなど今でもはっきりとその姿を思い出す事が出来るキャラクターの数々が魅力でしたね。ヴィジュアルもとっても綺麗だったし。今は高泉さんのオフィスが遊機械オフィスって言うのかな?!)12月恒例公演の「ア・ラ・カルト〜役者と音楽家のいるレストラン 20周年記念公演」を観に行った。

その日に突然、別件のミーティングが入ってしまい、当初は泣く泣く、途中退場の予定だったのだが、インターバル中に相手先に電話を入れ、遅れる旨を告げ(他の人に対応してもらい)最後までしっかり観劇する事が出来た。良かった、良かった。

ア・ラ・カルトは最初の何年かは続けて観に行っていたので(途中から英国へ行ってしまった為、続行不可能な状況に)、久しぶりで懐かしい。
客席にもおそらく、常連と思われる人たち、いわゆる同年代の方々が沢山詰めかけていて、こうゆう長期的な企画はそれ自体また違った意味を付け加えて、良いものだな〜〜と思った。
で、ア・ラ・カルトメニューの中ではやっぱり、白井さんんと高泉さんのシリーズものスケッチ(特にお父さんとこまっしゃくれた娘のが最高!!)が良い。
毎年、同じようなパターンで繰り返されるスケッチなのだが、その繰り返しがなんとも安心感があってホッとする。そう考えると、もしも高泉さんがお嫌でなければ、「山田のぼる」君シリーズなんかも、今観ても十分楽しめるんだろうな〜と思う。普遍的な優れた戯曲は古びない!日本でももっともっと優れた戯曲の再演、ってどんどんやって欲しいものだ。

。。。。とここまで書いて、もう一つ、そのとても優れた普遍的な翻の芝居の再演を先日、月曜にマチネで観た事を思い出した(抜けておりました、、すみません)。

駒場アゴラ劇場で、青年団の「冒険王」を堪能してきたのでした。
前回、2002年に観て、大いに感心したのですが、今回も再感心。

日本人論として、全く古くならないよな〜〜〜。流石。
描いているのが80年代なので、もちろん劇の会話の中では、遠い昔の時代のエピソードなどが語られているのだが、それ自体が劇の新鮮さを濁らせる物でも無く、芝居自体は時代を超えて`まさに普遍’として悠々と存在している。よくよく考えれば、私たちも薔薇戦争を描いたシェイクスピアの芝居に眼から鱗になる訳だから、そのようにいつでも上演出来る日本語の翻があっても不思議でないはず、なんだよね。
若者のそして日本人のモラトリアム的傾向なんて話はいつの時代でも通じるわけだから、、下手したら今の中年の人たちにも十分当てはまるんだからね。

で、今回の役者陣も02年版に負けず劣らず良かったですね。
この一見何でもないような快挙をさらりと成し遂げてしまっているところに青年団の凄さを見る!!

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

黒猫

Dcf_0105


新国立劇場PITで映像アーティスト、最近ではライブパフォーマンスの舞台演出も手がける奥秀太郎初演出舞台「黒猫」を観る。

映像クリエイターとして、数々の舞台制作に関わり、また前述のように舞台(ダンスやパフォーマンス)の演出もこなし、、さらにはこの舞台に先駆け、今年の1月にはパイロット版(30分ほどの作品)までこなしてきて、満を持しての今回の初舞台演出という事で期待して行ったのだが、う〜〜〜〜〜む。という出来。周到に用意してきたのでしょうが、ちょっと欲張り過ぎた感があり。
演出なら演出ということで、まずやってみれば良かったのかもしれないが、戯曲まで手がけてしまったがために、お芝居の要であるその戯曲がなんともお粗末なために、まったく舞台自体が成り立たなくなってしまった。
エドガー・アラン・ポーのあのあまりにも有名な短編小説「黒猫」を原作に用いそれをアレンジという前触れだったのだが、その原作の欠片も残ってない、アレンジって何?ポーの「黒猫」はとても短い小説なので、それを軸に膨らませたり、付け足したり、ちょっと脱線したりしているのかと思っていたのだが、最初から最後まで黒猫のタイトル以外の原作の影は見当たらず。(あんなにでっかくタイトルロールでポー原作「黒猫」よりなんて出しちゃって良いのかしら??おかしくね?)
でもって、オリジナル翻なら、それはそれで、、と観ていくと、その翻があまりにも稚拙で、話のつじつまが合わないは、個人的な思い込みのイメージが強いは、、ジョークがあざといは、、、でちょっと観ているのが辛かった。
世の中に言いたい事が沢山あるのも分かるし、個人的な芝居への思い入れも伝わるのだが、基本、芝居はブログではなくて観客と制作側の共同クリエイトで成り立つ芸術なので、その辺りの成熟度が足りなかったように思う。
映像使用に関しては文句のつけようが無しなので、次回は素直に誰かが書いた戯曲を、それこそ自身の解釈とそれを立体化する技術をもって演出してみたらどうだろうか?

翻の話に戻ると、、ポーの短編がこれほど全世界中で読みつがれ続けているという事実、そしてシェイクスピアの普遍性なんて辺りに戯曲術の一端があるように思うのですが、如何なものでしょう?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月 6日 (土)

Born to Run さよなら初代0系新幹線、戦争と市民、グッドナイトスリープタイト、太鼓たたいて笛ふいて、Romeo & Juliet

Top_img
Sensoutoshimin
Top_main
Flyer
Fq20081114a2a

時間遡り形式でショートレビューを載せて行きます。

*Born to Run さよなら初代0系新幹線
by ギンギラ太陽’s

チラシでよ〜く見かけていた、あのかぶり物が十八番の劇団の芝居を初体験。
通常は福岡で主に活動していると言う事で、なるほど地元ネタが満載。初めは知らない固有名詞、老舗の呉服屋とかデパートとか地名とか、、ばかりで『あれ?』と思うが、慣れてくればまったく気にならず。そもそもお話が子どもでも分かる程の明解さなので、その辺はまったく支障なし。
私が座っていた席の前の列に熱狂的な劇団ファン、おそらくは福岡からのおっかけファンであろう方々が陣取っていて、異常にウケていた。ま、ウケるのはいいけど、隣のお友達同士で話しながら観劇するのは慎みましょうね。一応演劇公演だから。
で、一応2時間楽しんだんだけど、終わってみて、可もなし不可もなし、プラマイゼロな感じ。
観て損はないけど、でも、もしかして風邪とかひいて見逃しちゃっても、ま、しょうがないか、、で諦められそうな、そんなライトな観劇体験でした。

*戦争と市民
 by 燐光群

久しぶりの燐光群、本公演。でもって、聞くからにいかにも硬派な、一言物申す的なタイトル、、と期待を胸にスズナリへ。
が、結果、何ともモヤモヤが腹に残る、ちょっと消化不良な芝居でした。
日本市民の中で戦争はまだ終わっていない(それは大前提としてこの国がかかえる諸悪の根源で当たり前、なぜなら誰も裁かれず、と言うか、一番の戦争責任者が生かされてしまった、またご本人もそれを受け入れて生き延びてしまったから)、という事、そして戦後の日本は捕鯨問題のように答えはイエスとノーでは割り切れない
状況がそこここでうずまいている、矛盾だらけの、、それでいて表向きは調和のとれた国になってしまった。それに対する一般市民の声、という劇なのかもしれないが、、出来上がりの劇として、如何せん`弱い’。
劇の軸を分散してしまった、戦後処理・捕鯨問題・政治の矛盾とこれらをごちゃまぜにしてしまったがために、その中のどれもが観客に訴えかけるには力が足りないものとして舞台に上がってしまった。
そして、その足りない部分を饒舌な舌ー台詞で補おうとしているのだが、それが今回は単なる言葉の羅列(いつもだったら、その綿密な下調べと核心をとらえた批判がこの劇団の強みとしてプラスとなるのだが)となってしまった。
劇の本筋とは別のところで、耳障りな気になる演出もあり、、なぜ日本人の観客へ英語で台詞を届けようとするのか、、それも全く必要とは思えない(日本人の役だから)箇所で??意味不明。

*グッドナイト・スリープタイト

家の旦那は子どもに言うように「Night night(ナイナイと聞こえる)」と言うのだが、それと同じ意味でこのタイトルは親しい人へ「おやすみなさい!」と言う時に言う言葉。
で、この中井貴一と戸田恵子の二人芝居、(声を大にして)すんばらしかった!!!です。
これぞ、大人が通う芝居。(ガキ文化はびこる)日本でも、こんなにステキな大人の芝居が観られるなんて、三谷幸喜さんに感謝。
30年間一緒に苦楽を共にしてきた夫婦が別れを向かえたその日から芝居は始まり、二人の30年間が走馬灯のように舞台上に展開される。
その7話のエピソードを観るかぎり、この二人、決して仮面夫婦でもなければ憎しみあって暮らしてきた夫婦でもない。むしろ世間の平均夫婦の中では、かなり仲の良い部類に入る二人。強いて言えば、それぞれにあまりにも純粋で不器用という人柄がちょっと変わっている特徴という事ぐらい。
そんな二人の結末が、別れを選ぶ事になるとは、、人生とは何とも不可思議な運命の巡り合わせ、、といつも通りの笑い満載の台詞のやりとりの中にかなり深淵な人生感を盛込んだ、本当に奥が深い作品。
これぞ、普遍のヒューマンドラマ、世界に通じる戯曲と言えるでしょう。
出来る事ならこの二人の日本人キャストで、海外公演が実現すれば面白いのに!と強く思う。

*太鼓たたいてふえふいて
こまつ座

初演も観ているが、いつ観ても完成度が高い。あらゆる要素ー人の公と私の両方向において強いメッセージがあり、しかも笑いとエンターテイメント(音楽)、さらには舞台の創造性に溢れた作品ーがバランス良く配置された高品質エンターテイメント。
大竹しのぶにこの役は`ぴったりはまり役’だと思う。彼女が出ている芝居で、そのタレントゆえ、ちょっと他の役者とのバランスはどうよ??と思う事も時々あるのだが、、ー映画の場合は、カット割りだの、その後の編集だのが入るので、彼女の力技はそのまま活かされ、それが全部+となるのだが、芝居の場合は他の役者さんたちと常に同じ場に立っているので、時々彼女の演技がポコッと浮いてしまう場合があるーこの芝居の場合、役の林芙美子さん自体が日常でポコッと浮いて出ている、全身全霊常に120%体勢のようなキャラクターなので、それが大竹さんの演技と波長がぴったり。
ちなみに、大竹さんの芝居で、02年に野田秀樹が演出した「売り言葉」(高村智恵子の生涯を描いた小規模劇場での一人芝居)も、彼女の良さが十二分に活かされた、素晴らしい舞台だった。
今回の舞台で惜しいのは山崎さんの歌。上手い俳優さんだけに、そして回りの5人がすでにこの舞台の経験があり、またこまつ座の歌に慣れ親しんでいる芸達者達だけに、、ちょっと誤摩化しようがなく、可哀想だったかも。
ミュージカルではないけれど、これもそれも全ては舞台の`バランス’に関わってくるお話。

*Romeo&Juliet
さいたま芸術劇場

スペインの振付家ナチョ・ドゥアトが最初(で最後?パンフレット内のインタビューで彼が今はこのように物語性のある作品を創ることにはほとんど興味がないと語っていた)のコンテンポラリーテイスト、クラシックバレエの定番「ロミオとジュリエット」改訂版。
プロコフィエフ作曲のバレエ楽曲がとても好きで、その音楽に忠実に作品を創ったとナチョが言う通り、最初しばらくは、「マシュー・ボーンの「白鳥の湖」はバレエとは全く違う作品に仕上がっていたので、その意味が分かるが、ナチョ版の舞台はかなり既存のバレエ作品に近く、それなら、何でわざわざナチョ版として創ったんだろう?」と不思議に思いながら観ていたのだが、これがプログラムが進んで行くうちに、純粋にその素直な創作態度から創られたこの若い恋人たちの悲劇を身体表現で魅せる舞台にのめり込んで行った。
バレエでは、ロミオとジュリエットのパ・ドゥドゥパートで素晴らしい振り付け部分も多くあるのだが、その他の部分、舞踏会の場面、敵同士の剣による決闘の場面、etc..がシェイクスピアの戯曲を語って行くうえで、いろいろとくっついてくるのだが、このナチョによるコンテンポラリー版は、とにかく恋人たちの感情、愛情表現を舞台化することに徹していて、その心の高ぶり、そして落胆を丁寧に丁寧に表現している。
名家の愚かな対立、その愚かさが引き起こした悲劇、、などという教訓めいた物語部分はなるべく削って、二人の愛の喜び部分に焦点を絞っていってそこの場面でダンスという表現の特徴であるー生の喜びを身体で表すーという利点を最大限に活かした素晴らしいパ・ドゥドゥを、忘れ難いシーンとして見せつけていた。
これはやはりバレエでは表現しきれないパートなのだろう、と納得した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

人生のクライマックス

Top_jinsei3

12月に入っての最初の金曜日、月が変わっただけですっかり年の瀬ムード、忘年会たけなわの新宿・紀伊国屋ホールにて扉座の「人生のクライマックス」を観る。

昨晩の似非ブルジョワジー芝居にがっくりきていた私に活力をみなぎらせるに足る、老舗劇団らしく、ウェルメイドでいて視点が面白い「そうそう、こうゆう芝居が観たいのよ〜ん。」と思わせる佳作でありました。

善人会議改め、扉座。よくよく考えるとこんなにも長期間、観続けている劇団って少ないよな〜〜と、感慨もひとしお。何と言っても、メイン俳優陣が変わってないのがすごい。岡森諦や中原三千代、杉山良一のその変わらなさもすごいし、同じメンバーで続けている劇団もすごい。小劇場界のローリングストーンズやんけ(ってちょっと言いすぎかしらん?)。
善人会議時代、90年に紀伊国屋で観た「フォーティーブラス」がその年の(なぜだか分からないが)大ハムレット上演ブームの中で私的ランク、上位に入っていた事が思い出される。(その年、国内外のいろいろな劇団の、様々な形態のハムレットが上演されていた。)
で、肝心の今回の劇の内容ですが、、不況風吹き荒れる、現在の東京。しがないサラリーマンが会社の不祥事隠しの為に、半分ヤクザな人たちと手を組んで、(劇中で完全な悪役である)公務員達に一泡吹かせるために奮闘する、、そしてその間に自分再発見もしてしまう、というお話。
まず、私のツボにはまったのが、公務員という人類の描き方。図らずも、今ちょっとその世界につま先を突っ込んでいるため、、思わず大きく頷かずにはいられない、そんな的確な描写でございました。人って集団になると恥も外聞も無くなっちゃって、右向け右の習性になっちゃうのよね〜〜〜ン。
その他にも、いわゆる中年のなんでもない普通の人たち、、つまりは我が身にみにつまされるエピソードが散りばめられていて、例えば、それが一見人畜無害の中年のお父さんの(とっぴおしもない)自己顕示欲であったり、会社の駒である自分が実は会社の`捨て’駒の一つであったと気づかされた中堅社員であったり、介護疲れで八方ふさがりのキャリアウーマンであったりする訳ですが、これがバランス良く演劇的嘘があり、しかしながら同時にとっても説得力を持っていて、、と絶妙な芝居術で見事でありました。

で、最後に丁寧に詰め込まれたジョークも、、私的にはとっても好きな物でありました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月 5日 (金)

舞台は夢~イリュージョン・コミック

Stage7667_11

昨晩、新国立劇場にて芸術監督・鵜山仁氏演出のフランス、コルネイユ作「舞台は夢」を観た。

プログラムに書かれているように、モリエール、ラシーヌと並び17世紀における古典劇三大作家の1人コルネイユの作品であるが、初見にて予備知識全くなし。
ま、そのおかげで、劇が進むと同時に話を理解していくので、最後のどんでん返しも、それまでは全く気づかず、は~~~~ん、そうゆう事なのね~。と素直に(ちょっと)感心。。。
ながらも、この2008年の東京の客席で、この芝居を見る限り、やっぱり、終演後にこう付け加えずにはいられなくってしまう。・・・
「”今や演劇は、非常に高い地位にあり、、、都会の話題、地方の憧れだ。、、、娯楽のうちでも第一のものとなっている”って、最後の締めくくりの台詞自体が現実から遠くかけ離れているんでない?その幻想を信じたいと願うあまり、蜃気楼だけを見ている特権階級のプライドと奢り以外の何物でもないでしょう? 第一、いまどき、日本の演劇界へ夢を抱いて飛び込む若者なんて皆無でしょうが。舞台役者が(従来ならそうあるべきであるが)若者の憧れの職業!!と光り輝けないのも全て、この演劇界全体の活気の無さ、プロのビジネスとしては成り立っていない、さらにはその状況は悪化するばかりでお先真っ暗、という圧倒的な現実の結果なのだから仕方ないんだろうけど、夢を見るのも大切だけど、現実を把握、改善してから手の届く夢を語って欲しい。ヨーロッパでは舞台に夢もあり、イリュージョンもあるのだろうが、、日本の舞台の底には何が埋まっているのだろう?演劇人たちの貴重な汗と才能の雫の結晶か?その土地がいつの日か肥えて、大きな果実を実らせる日を信じたいが、それには国家レベルでの根本的な制度と意識の改革が必要条件となろう!」と。

全体的な感想から言うと、
島次郎さんの客席対面式、回転する円形舞台、+シンボリックな巨大な輪っか装置は想像性にあふれ、また役者たちのコミカルな動きにもあっていて、◎。
しかしながら、中途半端に抽象的な衣装はいただけない。とことんリアリズムでとは言わないまでも、劇の中味を邪魔しないほどの協調性が欲しい。
特に、後半部のクランドールとイザベルの衣装はそのデザイン性の意味が分からず、×。

各サイトで書かれているように、芸達者な役者陣の健闘はさすがだが(特に高田聖子と秋山奈津子)、全体としてのまとまりという面では、少々物足りない。バックグラウンドの違う役者さんたちのそれぞれに違うバックが引きずられて見え、アンサンブルがしっかりしていない。

で、何と言っても、やっぱりこの戯曲を現在の視点から読んだときの時代感覚のズレが致命的。
男と女の間の普遍的な性質の違いを盛り込んだ喜劇ってだけでは、観客は「古~~~~い。」で終わっちゃうよね。
その中に、さらに現代に通じるものが無いと。。

芝居ってほんとうに素晴らしい、演劇には未来への夢がつまっていると言わせるだけの説得力を持続させてこそ、ラストの結末が何倍にも輝いてくるのだが、残念ながらそれほどの流れをそれまでに築けていけなかった。前半から中盤へかけてのまどろっこさとディーテールにこだわりすぎた、実践で意味のない教養がこの舞台の弱点。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »