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2008年10月

2008年10月15日 (水)

から騒ぎ、いさかい、ローズのジレンマ、55steps

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彩の国シェイクスピアシリーズ第20弾、オールメンキャストの「から騒ぎ」を観る。
英語の言い回しギャグが満載の「から騒ぎ」を原本そのまま日本語訳で上演するのってかなり難しいことを痛感させられる。言葉遊びなので、それを忠実に訳しても、その面白みは伝わりにくい。
そんなハンディを負ったこの作品、蜷川シェイクスピア上演のお約束通りカットなしの全編2時間半をどのようにみせるか?で、流石にベテラン、随所に及ぶ気配りで、見事にいつも通りカーテンコールでのスタンディングオベイションを受けていた。
まずは、何と言っても贅沢な脇役陣。一人ひとりの力技で、本来は息抜きの脇道の部分でさらなる笑いを獲得。言葉遊びが難しい状況なだけに、その技は動作で笑わせるものが殆ど。で、その上で余裕の心持ちの中、少しでも本筋の言葉遊びの面白さが伝わればめっけものと言ったところか。
20代のイケメン・メールキャスト目当ての女の子達が自然に舞台を楽しんでいるのを見るにつけ、その何気ない蜷川チームの力量に恐れ入る。
さて、このオールメンキャスト、女人禁止のシェイクスピアの時代ならいざ知らず、何故男優オンリーを貫くのか?パンフレットを読むと、その理由がある程度見えてくるのだがー将来主役男優となり得る若手男優の修行の場、そして初心に戻ってシェイクスピア演劇のある時代の型を再現する事ー、やはりいくら高橋君がおきゃんなビアトリスを好演しても、月川君がその危うい魅力を発散させても、、やっぱり、ある瞬間、女優で観れたらな〜〜と思う瞬間があるのも確か。だって、男と女の話だから。ね。

いさかい
by TPT

18世紀のフランスの作家、ピエール・マリヴォーの戯曲「いさかい」をTPT専属の演出家、熊林弘高演出、木内宏昌台本、TPTのレギュラー役者達が演じた舞台を観る。
1時間半の短い芝居だが、これがこれが、始めから終わりまで、、瞬きする暇を与えないほど、刺激に満ちた素晴らしい舞台だった。何と言っても、主演、毬谷友子の演技が素晴らしい。全編で独特な世界を創りあげていた。
象徴的な超シンプルな舞台セット、舞台空間を隅々まで使っての演出はレジデントダイレクターならではの技だろう。
さらには、脇の役者たちー毬谷の相手役、田島亮、ベテラン塩野谷正幸、、らが好演。それぞれがそれぞれの仕事をきちんとこなした結果、その結果の舞台がソリッドな出来となる。
このような大人の上質な舞台−単に、劇場のシートで受け身の状態で与えられた作品を観るのではなく、能の働きが活発になるようなIntelectural な芝居を上演してくれる劇場が少ないだけに、TPTがこのホームベース、ベニサンピットを失うのは非常に残念。(劇場のオーナー会社が建物の老朽化を理由に(?)劇場を1月末で閉める事にしたとのこと)
テレビ文化、例えばしゃべっている言葉がテロップとして画面に出るようなかゆくないところまで掻くような、隆盛のこの国だからこそ、観る価値のある芝居をやって行かないと、演劇文化はいつまでたっても、根付かないでしょう。その演劇文化を発信していた劇場だからこそ、返す返すも、その閉鎖が悔やまれる。


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2008年10月11日 (土)

スペース・ターミナル・ケア

Performance_img_2 坂手洋二作、栗山民也演出、俳優座俳優陣による舞台「スペース・ターミナル・ケア」を久々の紀伊国屋ホールで観る。

表題にスペースターミナルとターミナルケア(緩和ケア)の二つの意味が入っているのだが、劇は平たく言えば日本のホスピスの話。日本ではあまり馴染みのないホスピスという医療システム。末期癌の患者さんなどに最後まで治すための医学的治療を病院で続けさせ、薬漬けで延命させるよりも、身体的苦痛を軽減さながら最後の時間を患者さんの好きなように過ごさせてあげるためを目的とした場所。

実は、イギリスで身内がホスピスにいた時に何度かそのホスピスを訪れたことがあるのですが、日本に比べてイギリスではいたって普通のシステムで、その身内がいたところもごくごく普通の田舎町にあるホスピスだった。で、その時にイギリスという国の「大人」な成熟度を身にしみて感じたのだ。

病院の対応が、そしてそこに放課後ボランティアとして来ている学生さんの行動が、病院のシステムが、、すべてが実に自然なのだ。そこには末期癌患者への変な憐みなどは無く、それぞれがやるべきことをやっているだけ、そしてそのボランティア精神に全く気負いは感じられない。互助の精神が人々の心に当たり前の事として根付いていることに、驚かされると同時にこんな大人の国で暮らしたいと思ったものだ。

で、芝居の話に戻ると、坂手氏は表題の前半でスペース・ターミナル(宇宙ステーション)と言っているように、このホスピス治療問題を特定の人たちだけの課題ではなく、宇宙のように人類すべてに関る事なのだと言っているのだと思う。確かに、死生観に関わるこの死に方の問題は普遍要素を含む哲学的テーマであるように思う。しかしながら、出来上がった芝居と言うと、、、これがどうしても現実味が薄い、でなんとなく気負いが感じられる。 つづく

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2008年10月10日 (金)

劇評

先日、実に良い劇評を読んだ。
朝日新聞、10月7日夕刊に掲載された、西堂行人氏の「The Diver」の評だ。

キャサリン・ハンターの演技を褒めた後で、こう続けている。

``現代の狂気の底に千年を超える愛を透かし絵にする。が、この目論みは成功しただろうか。実際のところ観客は刺激的な三面記事的日常に引き付けられ、現代の「能」は後景に退いてしまったように思われた。。。。実験精神に溢れる意欲的な舞台ではあるが、神話世界にアクチュアルな現代性を持ち込むことの難しさも改めて知らされた。”(抜粋)

勇気がいる。だけど、自分が少しでもぶれてしまったら、その少しのブレが徐徐に広がって行き、気がつけばそのブレ幅は修正の効かないものになっているだろう。
誰もが信じて疑わなかった、キャピタリズムが崩壊しようとしている今、本物を見抜く眼を持つ事、それが一番の早道であるように思える。

残念ながら、明らかに、今このこの時代日本の演劇界で野田秀樹の芝居の出来に?疑問を投げかけるのには勇気がいる、という状況がある。 それを、この劇評では見事にその足りない部分を説明し、批評している。

この芝居に関しては、出来上がった作品を観て考えさせられることが多々あった。

それは、一つに氏が指摘しているところの、1000年前の物語と現在の恋愛物語を同じストーリーの中で結びつける必要があったかどうか、、

また一つにはやはり、ロンドンでの受け取られ方と日本での受け取られ方の違い。同じものでありながら、観客が変わればその受け取られ方は全く違うものになるということ。(皮肉なことに英語で上演しているにもかかわらず)

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ガリバー&スウィフト

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パパタラフマラの新作「ガリバー&スウィフト」を新大久保のグローブ座で観る。

今回は様々な分野のアーティストー現代美術のヤノベケンジが舞台装置担当、インドネシアとアイルアンドからダンサーが参加、ジャワのガムランミュージック奏者、日本トップのエレクトーン奏者松本淳一も加わり、いつにも増してグローバルなステージを展開している。

そんな中でも今回の目玉は何といっても、舞台装置。

人間パフォーマーとオブジェたち―宇宙服を着た猫ちゃんたち、時空トラベルをするスウィフト一行が乗り込む宇宙船、ステージ後半に表れる昔の全員集合テレビ番組のマックス人形のような大型人形のもっともっとセクシー路線バージョンなどなどーのまさにコラボが素晴らしかったです。 それに、インドネシアとの国際コラボ(ダンス&音楽)、異ジャンルとのコラボも加わり魅せるステージを展開しておりました。 舞台美術を観に、足を運ぶというのでも一見の価値あり。 日本人の観客には表現がちょっとストレートすぎるのかもしれないけど、こちらのカンパニーが海外で評判が良いというのはとてもうなずけます。 話はシンプルだけど、多くの人が楽しめる、、そして劇場へ来たかいがある、、と思わせるそんなステージづくりだからでしょう。 それにしても、最後の15分、、単純にとても観ていてわくわくする舞台でした。

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2008年10月 6日 (月)

リンゼイ・ケンプ エリザベス1世 ラストダンス

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週末に渋谷コクーンへリンゼイ・ケンプの13年ぶり来日公演、「エリザベス1世 ラストダンス」をまたもや、そしてめずらしく、旦那と一緒に観に行く。

と言うのも、旦那が若い頃、そしてリンゼイも若い頃ー彼が出始めの頃、アンダーグラウンドで寵児として人気を集めていたパフォーマーとしてのリンゼイを観た事があるらしく、彼の中ではそのイメージが固まっていて雲の上のような人の舞台を観たいというのがあったらしい。
で、今回はご満悦だったらしく、おとなしくきちんと観ておりました。

そのようなカリスマ的な人気を誇る、イギリス人にとっては特別な存在であるリンゼイも御年70歳。今回の舞台はそのリンゼイへのオマージュのような舞台で、彼に、もしくはイギリスの歴史に馴染みの無い人たちには正直退屈な舞台であったかもしれない。特にダンスステージを期待して来た観客は狐につままれた感もあったかも。

私も大昔、それに似たような経験があり、エジンバラで晩年のルドルフ・ヌレエフのバレエ舞台を観た事があるのだが、バレエなのにジャンプもしない、スピンもなし、、ただ歩くのみのヌレエフに憤慨した覚えがある。。が、今にして思えば、あの伝説のダンサーヌレエフの生を観れたのだから、そのお姿を拝んだだけでもやっぱり価値があるとは思えるのですが。
週末、コクーンにいた日本のお客さんたちも何十年後かにそう思い出すのかも。なんて。

個人的には、英国史の中でもとりわけ異彩を放つエリザベス1世の生涯を舞台で観れて満足だったんですが。

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9月

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9月の観劇一覧です。月半ば、締め切りが重なってしまい、泣く泣く観劇予定をキャンセル、なんて事もありました。

*人形の家 by SISカンパニー
この秋の話題作。デイビッド・ルヴォー演出、宮沢りえ、堤真一主演の人形の家。
前回のSISカンパニー制作、ケラリーノ・サンドロヴィッチコ演出によるシアターコクーンでの舞台、「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」同様、四方を客席が囲む相撲観戦のような中央設置舞台。
この、どちらも客席に向いている舞台が、役者にも観客にも良い意味での緊張感を持たせ、今回も日本人には馴染み薄で他人事になりがちな外国戯曲を観客サイドへ引き付ける事に成功。
それによって、3時間に及ぶー下手をすると眠りこける人が多く出がちな外国もの名作ーをしっかりと最初から最後まで飽きさせず見せる事が出来、この戯曲の面白さを浸透させることが出来た。
何と言っても、宮沢りえの起用が大当たりで、ルヴォーが各所で言っている通り、彼女の女性としての心の変化、ノラという悪く言えばちょっとがんこな、良く言えば芯の通った女性の気持ちとそれに伴った行動の変化が見事に舞台で表されていた。
ドクター・ランク(千葉哲也)のあからさまでかなり積極的な恋愛意思表示とトルヴァル(堤真一)の現代風`やさしい’パートナーぶりにはちょっと違和感を感じたものの、これも現代の「人形の家」という事なのだろうか。
もう一度、上演日にちを経た舞台を観たかった。

「狂人教育」by 流山児祥 at早稲田大隈講堂

香港、中国ツアーに先駆けての`無料’特別公演。アングラ芝居の聖地(だそうです)早稲田大学・大隈講堂での一日限りの特別上演で、この地での寺山芝居上演が流山児氏の長年の悲願だったとか。それを実現してしまう氏の行動力と情熱がすごい。
アジア公演バージョンという事で、中国人俳優と日本人俳優によるコラボレーション舞台となっている。
劇場での上演では無いので、それによるマイナス面もあるがーと言うのも前回、同じ作品をベニサンピットの小劇場空間で観た時の方がはるかに芝居といしては面白かったのでーイベントとしての面白さ、、いわゆる演劇が事件となるようなそんな雰囲気は味わせてくれる。

赤坂大歌舞伎 by 平成中村座

赤坂ACTシアターって、劇場として使えないな〜と、柿落としのK Ballet「第九」、そしてホリプロの「かもめ」を観て思っていたのだが、今回の歌舞伎はその劇場の悪さがあまり目立たなかった。相変わらずの味も素っ気もない舞台横の壁などは、本当にいただけないのだがーTBSお金あるんだから少しは見栄でもはって劇場の装飾をもうちょっとどうにかすれば????アート産業をやっているというのに恥ずかしいよね。ー歌舞伎の性質上、奥行きがあまり無くても、高さが無くても、大丈夫だったみたい。意外な発見。
そうなると、どんどんこの劇場を使って、歌舞伎公演をやれば良いのに、、といきなり飛躍的に好意的に思ってしまった。と言うのも、従来の歌舞伎座、なんだか(敷居が高いとは決して思わないけど)お手軽には通えなかったから。歌舞伎鑑賞と言うと、それこそ仕事も休みを取っての一代イベントの感があったけど、ここの赤坂だったらOLさんだって、気軽に通えるし、その後の食事やバーのお楽しみもあるし。中村勘三郎氏目指すところの歌舞伎の普及には一役も二役も買ってくれそうに思いました。
演目自体は分かりやすい演目を持ってきたと言うだけあって、全編十分に笑って楽しめるもので、こちらの演目選びは大正解。

怪談牡丹灯籠 by 花組芝居

池袋の新生公共劇場、あうるすぽっとへ花組芝居の新作、「怪談牡丹灯籠」を観に行く。
花組芝居はお気に入りの劇団の一つ。毎回、丁寧に作ってあって、お決まりのベタな笑いも好きなのだが、今回の公演は今一つ、劇場内にちょっとさぶ〜〜い風が吹いていたかも。これって、ハコとの相性なのかな?
仕切り板を上手く多用して、場面転換を行なっていたり、相変わらずの芸達者な役者さんたちが、込み入った話を処理していたように思うのだが、、それにしてもやっぱりもう少しストーリーをすっきりさせても良かったのかも。
エンタメ路線で魅せる舞台にするか、それとも筋を伝えるドラマ路線を取るか、、、白黒はっきりさせた方がメリハリが出て良かったのかも。

「森の奥」 by 青年団・王立フランドル劇場、トランス・スカンカナル
「Here We Are」 by 青年団・テアトロフィーア

青年団って、本当にすごい。一年を通しての劇場のラインナップ、その多彩性、国際性、どれをとってもどっかのご立派な新国立劇場よりもそれに近い役割を果たしていると思う。近頃の全くもってお粗末な新国立劇場の内紛ゴタゴタ話ーこれも突き詰めれば日本の官僚地獄の結果の一つのようなのだが、、ま、この話をし始めると頭にきすぎて血管がキレそうになるので、今回は止めておきますが、、ーを耳にするにつけ、それこそ平田オリザさんが国立劇場の面倒をみれば良いのにと願ってしまいます。本人が断るかもしれないけど、と言うのご自身でそれなりのそれに匹敵する劇場を作り上げているから。

で、本題の劇ですが、
「森の奥」、平田オリザが王立フランドル劇場の依頼を受け書き下ろした新作で、ベルギーで今年春に初演されたものの、来日公演。
かなり、ウィットに富んだ内容で、現代人の無意識な偽善への様々な皮肉がこめられていて、とにかくこの翻が大変面白い!! + ベルギーの役者陣たちもそのリアリステイックな演技が秀逸で、まさに演劇の醍醐味が十二分に体験できる舞台。
普遍的な翻というのは誰がやってもどこでやっても、成立する。

「Here We Are」、こちらスペインのカナリー諸島からやってきた男3人組による無言喜劇スケッチ。正直、舞台は全然面白くなかった。ゲロとかオナラネタとか、ま、確かにどこの国でも誰でも分かるネタなんだろうけど、観たくないし、、面白くないんだよね〜。子ども騙しの内容。
終演後の出演者によるトークの方が断然面白かったって、これ皮肉だよね。

で、この青年団の国際演劇月間シリーズをもっと観る予定だったのだが、冒頭に触れたように締め切りとおもいっきり重なってしまい、、泣く泣く断念する演目も。。。締め切りは事前にきっちり押さえておかなくては、、とつづづく反省。


ミセス・サヴェッジ by  文学座

吉祥寺シアターで文学座アトリエの会による「ミセス・サヴェッジ」を観る。翻自体はピューリツア賞受賞歴にある作家、ジョン・パトリックによるものという事で、それなりに面白く、良く出来ているのだが、如何せん、演劇鑑賞用の`お’舞台になってしまっていて、今日の上演意図が観客席までは伝わって来ず。。これを続けていると、芝居って衰退の一途を辿るんだろうな〜〜と思わせるような舞台だった。残念。

本気でオンリーユー by フジテレビ主催、Parco劇場

ご招待をいただいて、観に行った、松浦あや主演の全編竹内まりあの曲で構成したミュージカル。
申しわけないが、観劇人生中、2度目か3度目(前回は東京劇術劇場での「空中ブランコ」)の幕間での途中退場をさせてもらいました。
芝居好きに「これ観る時間がもったいない」と思わせるのって????と思いながら、フジテレビ主催と聞いて、妙に納得。このかる〜〜〜〜いノリのトレンディードラマ風に耳障りの良い楽曲あわせという発想が、まさにフジテレビノリ!??
食わず嫌いは損をするという思いのもと、何か発見があるかも、と足を運んだのですがーそうです、決して始めから途中退場しようと思っていたわけでは無いのです。絶対に。ー見事に裏切られました。
毒にも、ましてや薬にもならない、1mgほどの軽さのこの芝居。バカにされていると感じてしまうほど、観客も見くびられたものだ、と思ってしまいます。こうゆうのもう止めにしようよ。どうせ、無かった事になるんでしょ?だったら最初から止めておこう。

踊る妖精  阿国のメタモルフォーゼ by シアターX

シアターXの国際舞台芸術祭のプログラムで 「ケイタケイ、ヨネヤマママコ、竹屋啓子、美加理、折田克子」5人のパフォーマーがそれぞれ15〜20分ほどの独舞を披露。
舞台は白いペーパーに3方を囲まれた裸舞台。
これが、かなりイタい独舞上演会だった。次こそは、次こそは、、と期待していたのだが、、そのイタさは癒される事は無く、最後はかなり凹んでしまうような舞台だった。途中で吐き捨てるように一言「ひどい。。」と言い捨てて帰る客がいたが、彼に1票。あなたは正しい。

現代能楽集 綾の鼓・弱法師 by 新国立劇場

三島の現代能楽集、2本立て。なんともこちらも寒々しい舞台だった。十朱幸代さん、舞台をなめているのでしょうか?テレビではそのお綺麗な顔となんともかわいらしい声(ちょっと気味悪かったけど)で、十分迫力があって良いのかもしれませんが、舞台ではまず台詞をきちんと聞かせて下さい。宜しくお願いします。
何で、この舞台を今やるのか?また、その舞台に最適のキャストとは??と時間とお金がた〜〜〜っぷりある国立の劇場だったらもうちょっと何とか出来そうなものを。。
新国立劇場って、これから衰退の一途を辿るのかな?そうなんだろうな〜〜。そうしたら、誰がその責任を取るのかな?他の省庁と同じように歴代のトップが責任の所在をたらい回しにするのかな?
誰かが言っていたように、そもそも、国立劇場の存在意義から話し合った方が良いのかもね。

アトミック・サバイバー by 川崎アートセンター

07年東京国際芸術祭(TIF)で初演され、大好評を博した舞台の待望の再演。
制作者が日本各地にある原子力発電所、青森、六ヶ所村にある核燃料再処理工場にまで出向き、フィールドワークを行ない作り上げた力作にして大傑作。
実際に調査して得たその事実とそれを演劇として舞台にあげる際に用いる演劇的手法の妙により、最大限の効果をもたらした演劇。
今回も前回の公演から進展した事柄、変わった事実関係などは忠実に舞台へ反映させての上演。
これ、エジンバラの演劇祭とかで上演したら面白いと思うんだけど、どうだろう。
原発って、日本だけの問題では無いし、、地殻断層に沿って原発所がある日本って、地震の発祥地が一歩間違えば、かなり危ない状態にある、という話も聞いた事があるし、、その話の後にこの芝居を観るかなり怖いです、この芝居。

瀕死の王 by あうるスポット

月初の、花組芝居に次いで、あうるスポットへイヨネスコの「瀕死の王」を観に行く。
観劇以前に新聞用の取材で主演の柄本明氏に話を聞いていたので、楽しみに出かける。
今夏、エジンバラで観たサイモン・スティーブンスの傑作「ポルノグラフィー」舞台を彷彿とさせる、王の玉座の部屋以外は舞台を丸裸にしたような、楽屋裏を見せるような舞台装置が面白い。
柄本氏の王は圧巻。侍従役の松本夢子も柄本氏とのカラーが一致していて間の取り方が素晴らしい。
やっぱり、これ、東京乾電池の役者オンリーというのが実現したら観てみたい。
高田聖子は大好きな役者の一人だけど、、ちょっと全体的なハーモニーから言うとあっていなかったかも。

The Diver by 野田マップ&SEPT

ロンドン、ソーホーシアターでこの夏6、7月に上演された舞台の日本公演。前回 The Beeの時はロンドン版とは別に日本人俳優による別バージョンも同時上演されたが、今回はロンドン版の凱旋公演のみ。
一緒に行ったイギリス人の旦那(彼はロンドンでも観劇していて、かなり気に入っていたので連れて行った)が隣でなんだかブツブツうるさくて、ーロンドンでは客席でビールのコップ片手に観劇なんていうのも有りだし、みんなリラックスしながら観劇しているんだけど、日本だと劇場内は水を打ったように静かですから、、特に今回は英語での上演、日本語字幕だったのでなおさら劇場内の空気が張りつめていて、彼の観劇態度が邪魔になる事この上ないー舞台に集中出来ず。今度から日本の観劇では`子ども’は家に置いて行く事にする!

と、まあ、散々だったのだが、物事なんらかのご利益もあるもので、、そんな条件下で2カ国で上演された舞台を比較してみると、やっぱり、ただ単に舞台を輸入・輸出するというだけのことでは無いんだなーと改めて考えさせられた。
舞台を見る側の文化にも両国で違いがあるし、もちろん、同じ芝居を同じ演出で上演しても観客の国籍によって、見えてくる物も違ってくる。それを熟知した上で、どこで何を上演するかというのを考えなくてはならない。演劇ってセンシティブなアートなのですね、改めて。
実際、今回の舞台も全く同じキャストで同じ演出にもかかわらず(ロンドン版ではライブでのお囃子は無かったけど)、出来上がった舞台作品はその色調が違っていたものね。
日本上演では男女の心情のすれ違いがさらに前面に出ていたが、ロンドン版では個人における内面の葛藤というのが浮き彫りにされていたように感じた。
ちなみに旦那の文句の源は日本版ではロンドン版で観られたような日本社会への批判が薄れていたというのが原因らしい。

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2008年10月 5日 (日)

愛とその他、シャープさんフラットさん

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このところ下北沢へ通っている。

気がつくと、この1週間で、3回。なぜならば、NYLON100℃の「シャープさんフラットさん」の同公演2バージョン(別パターンのキャストでバージョン違いを同時上演プログラム、ブラックチーム・ホワイトチームと2パターンあり)を連日続けて本多劇場にて観劇、、そして、それに続けて東京乾電池の「愛とその他」をスズナリにて観劇したからだ。

実はこの「愛とその他」にも別キャストでの別バージョンがあり、こちらも両パターンで観るべきかもとは思っている。そうなるとまたもや続けての下北通いということになるかも。

で、この2つの芝居、、正確には3つの芝居が当たり千金の出来だった。

「シャープさんフラットさん」NYLON100℃の15周年記念公演。新作にして同時に2パターン(別キャスト)を発表するという観客にとっては2倍どころか数倍にも有り難い、まさに記念公演の大盤振舞い公演。 当然の事ながら、殆どの人が2パターンを見比べていると思われる。 で、この2バージョンが一見、そっくりさんでありながら、その実全く別作品となっているところが、またこの芝居のかなり重要なポイント。 話の大筋はどちらも同じ、またセットや映像構成なども、ほとんど同じなのだが、微妙に違うところがあり、またその違えているところの意味、また違った結果を生む原因などを考えれば考えるほど、面白みが重複していくという2バージョン同時上演の企画そのものが、単なるキャスト別だけでは無い、例えば演劇の可能性、再演の意義、役者の仕事、、などなど、つまりはかなり実験的な上演となっている。 肝心の劇作ー芝居の中味ーは観客一人ひとりに思い当たるところが見つかるような、まさに今観る価値十二分のこれぞ日本現代劇の傑作−今夏のエジンバラで経験したような、まさに観客を客席に置き去りにするのではなく、劇世界巻き込んでいく力のある作品と言いたい、こうゆうのが観たいんですよ、客としては。作り手側の知的好奇心を満足させる事を目的とした、舞台と距離感のある芝居は結局のところ客を引き付けませんぜ、ホント。ー 今、日本の現代人が一番問われている問題「高度経済成長後、追いついてしまった後に今度は世界のリーダーとして、どのような道を`選択’していくのか?模倣ではない独自の未来選択とは??」といった問題を考える時、まずは一人ひとりの個人としての軸をきちんと持とうよ!といった作者の提案が、作者と近いポジションにある主人公(喜劇作家)から語られていく。一方、短い時間でもっと早く効率的にといった商業的価値がアート、芝居の世界にも要求されるようになっている今、そもそもその芸術的価値自体をその中心にいるご本人が判断出来なくてどうするの?とも問いただされているようでもある。ケラさんのこのところの劇づくりに対する、集中度の高さ、そして確固たる信念に基づいた潔さが作り上げた名作と言える。 一見冷血漢の変人に見える主人公のピュアな精神が、また彼のアンバランスさがもたらす様々な波紋が、、、新劇的(この言葉ちょっと誤解を生みやすいかも。。つまりは劇場へカタルシスを求めに行くようなちょっと前の劇という意味で)な道徳劇にはないヒューマンドラマを見せてくれている。 毎日、通いたい、台詞を聞きたいほど、かなりツボにハマった感あり。

で、スズナリの「愛とその他」。 こちらの、劇作がすばらしい。加藤一浩さんの頭の中を覗いてみたいほど、作品として仕上がったものの、センスと秀逸なバランスー言葉になっていない部分、説明されていない部分のその空白のバランスが絶妙。 また、その劇作を体得している、劇団役者たちの演技も必見もの。 座卓とマイ座布団の回りで展開する女達の井戸端会議風おしゃべりに真実が見え隠れする。

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2008年10月 4日 (土)

モバイルピューター

まったくもって、ブログ更新が出来ていないことを憂いて、モバイルコンピューターを入手。

これで、観劇の帰り道、まだ脳みそが熱いうちに劇評を書き込むことを実現したい!!!

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