« 2007年9月 | トップページ | 2007年11月 »

2007年10月

2007年10月31日 (水)

めがね

1005895_01

母が観たいというので、連れ立って「めがね」という映画を観てくる。

荻上直子監督の前作「かもめ食堂」も母は観ていて、それがおもしろかったというのがぜひにでも観たいというのが理由だったらしい。

私は前作を観ていないのだが、キャストも雰囲気も今回のものとかなり似通っているということだ。ただ設定場所が前回はヘルシンキで今回は与論島(といっても最後のエンドロールまでその場所は明らかにはされず、設定としては日本のどこかの離島という程度のもの)。

で、主人公のタエコ(小林聡美)が都会の喧噪を離れ、その島へ休暇で訪れるのだが、そこは、まさに時間があってないような場所。人々も日がな何をするでもなく、ただただ穏やかにスローライフを過ごしている。
そしてそのまったりした生活ーそれを劇中では`たそがれる’と言っているーを送る宿の主人、近所の学校の先生たちから一目置かれる存在の謎の女サクラと出会い、初めはその存在をうさんくさく思いながらも、次第にサクラやその回りの人々から豊かな生活の過ごしかた、本当においしいものを食べながら自然と向き合いながら過ごしていく島の生活に馴染んでいくタエコ。
何を説教される訳でも無いのだが、都会の生活ですり減らしてきた何かの感覚を彼女は徐徐に取り戻していく。

島を後にするころには彼女の表情にも自然な微笑みが、、といった、今の現代人へ送る「今の日本人には何が必要か?」を問いかける映画。

多少、そのあまりにもドリームストーリー的なところが鼻につくところもあるが、、、

何と言っても、与論島の海がきれいで、映画の中で出てくる料理がシンプルながらとってもおいしそうで、、柴犬がかわいくて、、で加瀬亮が良い。

与論島といえば、私たちが大学生だったころ、今の沖縄ブームに先駆けて南の島のバカンスということで一世を風靡した場所でして、、その後おそらく沖縄へブームが移動した事もあり(何せそのころ大学生達は東京から船で与論島まで行ってましたから)、また島にも静けさと平和が戻って来たのでしょう。。(とこれは予想ですが)
不便な立地条件が結果的に幸いすることもあるのですねー。

それにしても、海が奇麗だった〜〜〜。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ゆらめき

Title_photo

(10月28日)
ペンギンプルペイルパイルズの「ゆらめき」を観に吉祥寺シアターへ。

最近の劇団名はカタカナやら長いのやら難しい名前が多く、その上、話に上げる時は略しちゃったりするもので、さて正式名で、、と思ったときに書きながら本当にこれで良かったんだっけ??なんてことにもなります。

で、ペンギン(すみません、早速略してます)の新作舞台ですが、坂井真紀客演主演のヤングカップルの微妙な関係のお話です。
うら若き奥さま(坂井)が`独身と間違われ告白された’と、ある週末の友人同士の集まりで話し出した事でそれに関連した人々ー夫、その夫の長年の友人、とその妻、近所に住む彼女の独身の友人、告白した仕事場の若い男とその(ひとくせある)友人、そして夫が自営で経営するお店で働く若者ーの感情が穴のあいたホースから徐徐に水がしみでるがごとく、それぞれに溢れ出て来て、人間間に不信がうずまき、関係がぎくしゃくしていく様が描かれている。

キャスティングは絶妙でそれぞれにリアリティのある配役。

それにしても、若い人たちって、衝突しないよねー、精神的には傷つけようといろいろ画策するけれど、友人同士でも夫婦でも真っ正面から対立したりしないんだねーーー、と感じる。

そんなに気配りばかり、気の読み合いばかりだと、それこそ疲れるだろうなーーというのが昨今のこのような若者描写の劇を観て思う事です。
あーーーー、面倒くさい。。世代が違ってよかった。もしも、自分がこんな人間関係の中にいたら、、どこかで、一発!!がかならず出ているだろうにと思います。

それに関連して思うけど、近頃のテレビ番組とかで流れている街の若者の意見だと、、「友達が一番大切。」「友達に無視されたら嫌だから、携帯連絡は速攻でが当たり前。。」なんてコメントが流れているけど、そんなに友達って大切か〜〜〜???

一生なんて長いんだから、真の友達はゆっくり探せばいいんでないの??それこそ教室であぶれていても、好きな事やってれば良いんでない???
いつも思うけど、 Time is Moneyなんだからさ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月25日 (木)

WTC as in Katakana

Img_1045_lprint

最近、ちょと不満気味なレビューが多かったのですが、この燐光群の新作「ワールドトレードセンター」は大満足の出来。

2時間の中味が濃く、台詞一つひとつに考えさせられ、大変面白かった。

ワールドトレードセンターという題名ではあるものの、反米劇でもアジテーション劇でも無く、むしろArtのあり方、ジャーナリズムのあり方、そして非常事態時での人々の反応などを描いた作品。
演劇好きな人、またそれに何らか関わっている人にはさらに興味深く観られること必須。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月24日 (水)

現代狂言/犯さん哉

95551img1
Okasantop

(10月23日)
マチネ

現代狂言ー狂言とコントが結婚したら

ウッチャンナンチャンの南原清隆が狂言界のプリンス野村万蔵とタッグを組み、企画、上演している現代狂言シリーズの2年目。

お互いに真面目に別ジャンルへ取り組みながら、それでいて軽いフットワークでおもしろいものに仕上がっている。
六本木の俳優座で上演していたのだが、六本木は先日のミッドタウンでの野村萬斎主催の狂言上演といい、この現代狂言といい、、伝統芸術の新しい発信場所として着目されておりますねー。

それぞれに混ざり合うことは絶対に必要で、良い結果を産むはず。
ますますこのような企画が立ち上がってくることに大いに期待しますです。

ソワレ

パルコ劇場でケラと古田新太の企画による「犯さん哉」を観る。

全編、2時間ケラの目指すところのナンセンスで貫き通す。
その面白さ加減には少々眉をひそめる箇所もあるものの、その勇気ある決断には感服。
正直、演劇界でかなり名のある二人とは言え、これやるのはかなりの覚悟がいると思います。

で、舞台に関しては一言、、
犬山イヌコって、すごーーーーーーい!
ナンセンスを見事に体現していました。恐るべし。

(追記)

隣の席のサラリーマン二人組!おいおい、笑い過ぎじゃないか〜〜??
そんなに普段、面白い事がないのかしらん???と勘ぐってしまうほど。
何だかわびしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ツーアウト

Twoout_poster

(10月22日)

自転車キンクリートの「ツーアウト」を新宿Theater Topsで観る。

ジテキンと言えば、身近な題材をするどい観察眼で描き上げ、観客に長く支持され続けている劇団。

私自身、劇団戯曲家・演出家と同年代という事もあり、共感する部分も多く、好きな劇団の一つ。

が、今回の「ツーアウト」に関してはちょっと、パワーダウンを感じざるを得ないというのが正直な感想。

いわゆる、私ども世代ー中年ーのミドルライフクライシスを野球のゲームの攻防になぞらえ、描いた一本なのだが、、限りなくユルイ。。。ユルすぎる。
ふふふ、、と笑う部分は数々あるのだが、、観劇後に、、『ん?それで??」とツッコミたくなるドラマ。

中年でももっとトンガって、問題提起して、行きましょうよ。せめて、演劇の世界では。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

オセロー

Othello160

(10月20日)

埼玉芸術劇場へ蜷川幸雄演出の「オセロー」を観に行く。

巷で帰宅電車が無い!!家までたどり着けない、、とその長さへの批判が上がっていた4時間の芝居。

でも、シェイクスピアをやったらそのぐらいかかるよねー。休憩だって1回きり、それも短めだったから、劇場側はそれなりに短くしようと務めていたんでしょうね。
埼玉の公共劇場なんだから、上演期間中は特別列車として埼京線の快速の本数を増やしてもらうとか、、公共なんだから、そのぐらいJRへ交渉しても良いのかも。

とは言え、私はマチネでの観劇だったので、その帰宅電車の心配も無く4時間たっぷり観劇。

で、いつもながらの蜷川ヴィジュアルマジック健在で、2階ぐらいの高さで伸びる急勾配の大階段に色鮮やかな衣装、とそれなりに見応えのある舞台だったのですが、なんだかスッキリせず。

なぜかと言うと、役それぞれの人物描写に深さがなかったから。オセローやイアーゴ、デスデモーナに突然降り懸った悲劇の殺人事件。。という数日間の特別な出来事という舞台でおさまってしまっていたから、だと思います。
RSCでこの春、イアン・マッケランのリア王を観た時に、マッケランがリア王のその生涯を、彼の一生を数週間の期間を描いた舞台の中で見事に表現していたのに、本当に感激したのですが、こちらの埼玉の「オセロー」ではオセロー、イアーゴらの彼らの言動を裏付けるそれまでの経緯、その人柄説明が、、出来ていなかったのです。

その結果、吉田鋼太郎のオセローの妻への態度の変化にも説得力が無く、「なんで、急にこんなに烈火のごとく怒りちらすのか?」「本当に軍のトップにまで登り詰めた名将なのかどうか??」また、イアーゴも彼の小悪党としてのずる賢さ、それこそ嫉妬の源がはっきり見えず、態度の二面性もぼやけてしまっていたので、若者の若気の至りとしか見えず、オセローが、それこそ遠くの国のちょっと異常な人たちが引き起こした悲劇になってしまっていました。

実のところ、シェイクスピアの魅力はどの時代にもどこの国でも通じる、その普遍性にあるわけで、、そのところで、身近なところで起きている弱い心の人間達のボタンの掛け違いの悲劇、という現代人に届く劇には成り得ていませんでした。

なぜ、徳のあるオセローが若い妻を信じられなかったのか、、イアーゴが良い部下である面とその内の相反する顔とのギャップ、、そしてデスデモーナのピュアが示すものとは、、、などなど、もっともっと示すべき箇所の多い芝居であるはずなのに、そのストーリーを追うことだけで終わってしまった感のある残念な舞台。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

三文オペラ

20071010_sanmon

(10月19日)

世田谷パブリックへ白井晃演出,ベルトルト・ブレヒト原作の「三文オペラ」を観に行く。

私事になるが、ブレヒトと言えば、私がこの芝居の道へと入ったきっかけの一端となったのが、このブレヒト。
大学時代に芝居に興味を持ち、冬のスキー場ごもりや映画館通いから劇場へ通う頻度がどんどん増えてきた時にちょうど卒論提出の時期となり、本来のドイツ文学という観点よりは、ずっとずっと`芝居’研究という観点で書いたのが`ブレヒト演劇論’なる論文。すっかり、ドイツ文学という部分が抜け落ちて、演劇演出論だの、それが出てきた当時の背景の検証だの、、、まったくいい加減な論文で、教授、すみませんでした。

そんなこんなで、当時、芝居に関わりたいが為に卒論課題を言い訳にブレヒトの演劇論を読んだので、ブレヒト的なるものにはー異化効果だの社会的演劇だのー古くから慣れ親しんでおりまして、、
おそらく、演出の白井氏にもオリジナルのブレヒト劇の三文オペラというのがかなりキーポイントとして心にひっかかっておったのでしょう、のっけからブレヒト的な作劇法の連発。
電光掲示板を使って、歌が始まる前に歌の題名を記したり、打ち出し文句を掲げたり、舞台裏のような鉄骨づくりの舞台を登場させ、これが劇場で起きている創作物であることを強調したり、、さらには30年代初めのドイツを現在の日本へ転写させたり、、とかなりの工夫が見受けられました。
現代日本への移行に関しては、台詞の部分で、昨今の話し言葉を意識的に多用、また社会事情ーホームレス、携帯文化、若者文化などを盛込み、今の日本を設定しておりました。

で、その結果なのですが、、
劇を観ながら思い出したのは渡英中(90年代初め〜)に観たRSCのシェイクスピア劇の現代化。
舞台を21世紀の今へ移し、スーツ姿のヤッピー達がシェイクスピアの恋のさやあてをオフィスで繰り広げていたのですが、、、それが、、結果的に効果的とは思えなかったのです。
そんな詳細部分にばかり気を使って、つじつま合わせの方に奔走し、肝心のシェイクスピア劇の普遍的な話の核が抜けちゃっていたのです。
でもって、今回の舞台、それほどひどい事にはなっていなかったものの、、やっぱり「なぜ、三文オペラを世田谷で、、なのか」の部分が今一つ、納得、解明できておりませんでした。

日比谷の大きな劇場で演劇、ミュージカルの博物館的陳列作品として、ブレヒトの名作「三文オペラ」を忠実に上演、、なんていうのだと、またその上演意味自体が変わってくるのですが、今、最先端と言われている世田谷パブリックシアターの演目としては、その上演意図がちょっと中途半端。

終わってみたら、吉田栄作のアイドル的歌謡ショーとそれぞれに歌に定評のある役者陣のお披露目ショーとなってしまったところが残念。
(そんな中ROLLYの歌、舞台表現は群を抜いていて、、それこそ全員がこのレベルだったらエンターテイメントとしてかなり面白いものになったかも、とは思わされた)

猫背椿の登場以降、彼女自身格別歌が上手いわけでもないのに、芝居自体にがぜん真実味と面白みが出た事にこの芝居の改良の糸口が見つけられるような気がした。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

キャバレー、再見

(10月18日)

以前書いた、松尾スズキの「キャバレー」を再び観る。

てなことで、一言、、

2回目の今回の方が良かったかな。というのも、既にその傾向ー松尾式キャバレーという趣向ーを知っているから、純粋にそれとして楽しめたのかも。

それにしても、やっぱり阿部サダヲは奇才。軽々と歌もこなし、MCもこなし、それでいて他にはない味を見せるところでやっぱりすごい!!と思う。
平岩紙ちゃんにも注目。そのうち、主役やらせてみて欲しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月22日 (月)

たとえば野に咲く花のようにーアンドロマケ

Performance_img_1s

(10月17日)

新芸術監督の旗本動き出した新国立劇場の、ギリシャ悲劇三部作の第二弾「たとえば野に咲く花のようにーアンンドロマケ」を観に行く。
中劇場のキャパだとちょっと空席が目立つ。開幕してからそれほど日が経ってないので、今後の売却状況もちと気になるところ。
先日、演劇制作者から聞いた話によると、日本だと前売りでそれほど券がはけていない状況だと、その後口コミで券が売れていく状況というのはまずあり得ないので、その興行に関してはちょっと厳しい状態で終わるケースが殆どとのこと。。。そうなると、過度のPR、有名人のキャスト起用などが必須となってくるという悪循環が発生するとの事で、純粋な内容評価というのがなかなか成り立たない、、つまり劇評文化も無い!ということらしい。
それって、芸術文化発展に際して致命的な悪循環!
気がめいる文化的環境ですなー。

さて、本作ですが、筋も見せ方もとーーーーってもストレートで笑えて、ほろりとくる箇所もあり、、安心感あるものの、反面、刺激は全く無い舞台。
せっかくの新装オープンのプログラムなのだから、新国立のテクニックを総動員するような芝居を見せて欲しかった。

それなりに、楽しめることは楽しめるし、言いたい事ー一般市民たち、得におんな達の強さと戦後の葛藤を描く人情ドラマーも分かるのだが、あえて言わせてもらえば、何のためにわざわざ劇場まで足を運ぶのか?テレビで、もしくは街の小劇場で見れる、もしくはどこかで既に見た事があるような芝居を新たにお金を払って見るかな〜〜〜???と疑問です。

唯一、お金を払う価値があるのは俳優陣たちの名演技、かな。
さすがに、お国の劇場だけあって、実力はを集め、見る価値十分の演技をみせてくれていましたー得にわきの梅沢昌代、三鴨絵里子、佐渡稔、、これらのわきまできっちり固められるのが国立劇場の強みーが、、やっぱり、話と演出がベタすぎて、ちょっと気恥ずかしくなる。
観客をあまりなめすぎない方が良いんでないでしょうか?みんな、もっと高度な知的刺激を求めていると思うんだけど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月19日 (金)

スペインの芝居

Dsc_1262

(10月16日)
映画監督、天願大介氏による初の舞台演出作品「スペインの芝居」を森下のベニサンピットへ観に行く。

先週、Japan Timesの記事用に天願氏へインタビューをしたばかりのこの作品。http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/ft20071018a1.html

演出家が説明していた通り、ベニサンの吹き抜け天井の空間をそのまま大きく使い、まるで芝居のリハーサルを見ているかのようなー最低限のセット(テーブルと椅子)と(スポットライト)照明が最小限ながら効果的に使われた舞台で、5人の俳優が演技バトルを展開する。
 今回、舞台空間は客席まで繋がっておりー特別に舞台との境界線が無く、演技スペースが最前列の観客席直前まで広がっているー、その為主に自身が抱える矛盾と実世界と思い描く世界とのジレンマを訴える役者たちが手が届く程の近距離までせまることがしばしば。その至近距離の関係が観客へ緊張感をもたらし、2時間強の台詞劇を牽引し続ける。

緊張感はもちろん、役者側にも充満していて、機関銃のごとくの台詞の応酬ーそれも翻訳劇ーはかなりの難関であるはず。初日から数日しか経っていないため、正直ちょっと台詞が飛ぶ箇所もあったが、それは日を追えば改善されるはず。
キャステイングの妙も加わり、完成度の高い舞台となっている。(毬谷友子の天才女優ぶりと中嶋しゅうの全体を引き締める安定感、鰐淵晴子の天然系女優オーラ、月船さららの完璧なまでの美しさ、、と村上淳の熱演。)
芝居好きの人にはたまらない作品。
また、生の舞台を体感したい人にもオススメの一本。

知的好奇心を満足させたい人は今すぐ劇場へ!!


| | コメント (0) | トラックバック (0)

真心一座 身も心も 第二章

Magokoro_shimai_070813

(10月13日)マチネ

赤坂に出来たおしゃれな小劇場Akasaka Red Theatre へ村岡希美、千葉雅子、河原雅彦、坂田聡によるシリーズユニット公演「真心一座 身も心も」の第2弾を観に行く。

訳あり、演歌チックな不幸な姉妹ー村岡(妹)と千葉(姉)がそれぞれに行き着く先で繰り広げる、色恋沙汰に人情沙汰、、関わり合う人々との泣き笑いを綴った、日本人が大好きな人情コメディー。

そんなこんなで、話の筋というよりも、役者の魅力&観客との共通体験によるシンパシーにより盛り上げるお芝居。

戯曲家であり、主役の千葉雅子と年代が近いこともあってか、、なぜかとっても個人的にうけてしまいます。

特に、その千葉が演ずるところのかなり大雑把な性格のたつこ、がバンからに世の中渡っていく様がツボにはまりました。

小さい舞台に一人何役もこなしながらの役者陣のチームワークが良く、純粋に観て良かったと思える芝居。

ps 観劇後は劇場上のパブで一杯。これ、かなり得点が高いです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月16日 (火)

noism07 W-view

071005_1
(10月12日)
金森穣率いる公共劇場(新潟りゅーとぴあ)付きダンスカンパニーnoismの新作公演を観に、シアターコクーンへ。
海外招聘では無いダンスカンパニーがコクーンで公演するなんて、あらら珍しい。これも昨今のダンスブームの成せる技か。日本コンテンポラリーダンス界の今の勢いを感じます。

で、今回は金森氏の振り付けではなく、海外で名を馳せている世界レベルの女性ダンサー二人、安藤洋子と中村恩恵による新作2本だて。

Act1-安藤洋子による新作。
シンプルな舞台には、舞台で踊るダンサー達を様々な方法で映し出す巨大プロジェクターが。
まず始めは身体の温度によって部分部分が色分けされて(温かい部分はオレンジのような色で冷たい部分は青?)写る映像が、、そして次には舞台天井から写したダンサー達の輪郭がスクリーンに、実際に舞台で踊るダンサー達と同時に登場している。中盤、照明が一転し、スクリーンも取り除かれ、裸舞台の明るい照明の中、ダンサー達がポツリポツリと間隔をとりながら、配置。その後、水玉模様のポップな衣装に身を包んだダンサー達がブレイク/ロボットダンスのような幾何学様式的踊りを展開。

Act2-中村恩恵による新作。
照明機材が天井から舞台床、かなり低い部分まで降りてきていて、その照明バーにダンサーが座っている。
中村さんがインスパイアされたという一遍の詩をテーマに、身体に文字を書き込んだ(それぞれに詩の分量、印字の仕方などはバラバラで衣装の一部として身体に黒文字が書かれている)ダンサー達が男女の出会いと別れ、自身に潜む二面性などを男女の力強いが確かでぶれないパ・ド・ドウで表現。ダンサー一人ひとりのテクニックも堪能出来、また作品としてストーリー性もあり、鑑賞後満足感たっぷりの作品。

キャラクターに一人ひとりの個性も現れていて、観ている方も楽しめる。
もちろん、金森穣様も十分に堪能出来る。

*****************************

公演後のアフタートークで、新メンバーの一人が「ダンスに専念できる、ノイズムの環境が驚きであり、大変刺激的でありがたい。」と語っていたが、、本当に、今のアート冷遇時代の日本にあって、新潟レジデンシャルカンパニーとして、毎日踊り、創作することが仕事として成り立つこのカンパニー、ノイズムはかなりの例外であり、恵まれた環境にあると思う。
他の行政もアートの可能性にもう少し、積極的に力添えをしてくれれば、、、、と願う。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

ティンゲル・グリム

Main

10月9日(火)
西すがも創造舎(もと中学校の校舎ー体育館を劇場空間へと再利用している)へ串田和美氏演出・構成の芝居「ティンゲル・グリム」を観に行く。

体育館内の特設ステージはモンゴルのパオのような作りで、その白テント内に造られた客席は真ん中のステージをまーるく囲むような低いベンチ式で舞台を見下ろすように出来ております。これが、なんだか見世物小屋の客席で不思議なお芝居を観ているような雰囲気になり、作品にぴったりはまっておりました。
グリム童話という、それこそ本当は怖くて、、ミステリアスな、そして自然の神、森の鎮守に操られているかのような不思議な世界ーお話がこの会場、舞台セットにあっていて、劇場へ足を踏み入れた一歩目から芝居を楽しませてくれるように計算されております。

宇野亜喜良の余白が奇麗な舞台美術の中、舞台の両脇に小さいは演奏スペースがあり必要に応じて楽器演奏などもあり、時に歌あり、時に料理づくりがあり、時に台詞をとちってそれに対してやんわりつっこみが入り、、というかなりゆるーーーーい舞台の雰囲気。

そんな、手作り感たっぷりのステージ上でグリムの摩訶不思議な話、数話が代わる代わる、アトランダムに語られていくのです。

舞台空間といい、年齢がバラバラの役者陣といい、劇の構成といい、、一言で言えば「自由」そのもの。ある意味、かなり作り手よがりな解釈で舞台が作られ、進行していくのですが、、、その何とも勇気のある舞台創造性がExperimentalなステージづくりが、安易なつくりの舞台が横行するこのご時世にあって、心地良く、また刺激的。
観客ひとりひとり、、それぞれに違った感想がわき、それぞれが違った収穫を得られるように委託された、フリー精神の舞台。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月 9日 (火)

キャバレー

Cast_11

松尾スズキ演出のミュージカル「キャバレー」を観る。

もとはブロードウェイの大ヒットミュージカルでその後、ライザ・ミネリのバリバリのつけまつげに黒いホットパンツ衣装、そのイメージを決定づけた映画「キャバレー」。

近年ではサム・メンデス,ルーファス ノリスのリバイバル版の大成功も記憶に新しい、この作品。今回は以前、自作ミュージカル「キレイ」でミュージカル経験もある松尾スズキが初の外国作品ミュージカルに挑んだ。

青山劇場という大劇場で、その舞台に映えるよう、電飾で飾り付けた豪華なレビュー舞台を登場させ、歌も殆ど手を加えないオリジナル通りの演出。話も原作に忠実に沿ってはいるのだが、出来上がった作品は「松尾スズキのキャバレー」となっていた。

と言うのも、当作品、当時の時代背景、政治背景抜きにしては成り立たない「時代ーナチス政権下という異常時に居合わせた一般民衆の悲劇、その歴史的事件に翻弄された人々の物語」だと思うのだが、なんと、その政治色がほとんどごっそり毒抜きされてしまったからだ。
日本人にナチスの話をしても、、という事なのかと思うのだが、、ナチスは広島、長崎同様一国内だけの出来事ではなく、世界共通認識下にある人類が起こした悲劇だと思うので、その部分、、何は無くてもきっちり見せて欲しかった。

そこの部分が薄れているので、必然的に登場人物達の人物描写もどうも、心もとなく、、それぞれに松尾風に脚色された魅力的な人物ではあるのだが、、キャバレーという作品を全体に見渡したときにそれぞれがになっている役割を果たしきれていないー例えば、アメリカ人クリスの若いアメリカ人が現実に対面した時にとった行動、そして下宿屋の女将シュミット女史が、その年齢ゆえそして保守的なお国柄ゆえに抱えた悩み、さらにはMCの性的趣向による苦悩とその後起こったであろう悲劇、、などなどが伝わってはこなかったのが残念。

違う視点で描きたかったのであれば、いっそのこと大幅脚色して、歌も必要にあわせ脚色し、、「松尾の日本で見せる為のキャバレー」というのをつくりあげてもらいたかった。

それが出来る人でもあるし、お忙しい超売れっ子に中途半端な作品をつくらせるのはもったいない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Us-Band

Pht_071004_t_usband_pm_img_2

10月5日 
ソワレ

三軒茶屋、シアタートラムにて、フランス人ダンサー、サミュエル・マチュー 率いるところのフランス男4人組のマッチョダンス、Us-Bandを観る。

白い壁に囲まれたステージには4人のダンサーが時々休む、椅子が4つのみ、あとは壁際にラップトップコンピューターを載せた簡単なテーブルが一つ。

そんな中、白いタンクトップ/Tシャツに黒いズボン姿の大小、サイズの異なるフレンチマンが現れ、じゃれあうようにダンスを始める。
一心不乱に踊るだけではなく、それぞれに代わる代わる、舞台前方に現れ、それぞれの鍛え抜かれた身体、マッチョぶりをアピール。またお互いに身体を触り合い、仲間内でも身体自慢が始まる。

国土が広く、農耕地でもあるフランスでは、(得に田舎の方ではかなり)男は男らしく、マッチョな男を演出する男性が多い。
そんなボーイズの世界ー明らかにここではゲイの男性社会なのだがーをおちょくり半分に笑いありでダイレクトに見せてくれた作品。

フレンチならでは、、とも言いたくなる、日本ではこうゆう作風は出てこないでしょう、これを真面目にステージやるのはかなり勇気も要るなーと思わされる作品でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

トウキョウーブエノスアイレス 書簡

070905

小池博氏率いる、パパタラフマラの新作公演を観る。

先日、ジャパンタイムズ紙で小池氏のインタビューを掲載したのだが(2007/09/27版)、彼の話が現状の演劇界をかなり的確に分析しており、大変おもしろかったので、そちらもご参照下さい.www.japantimes.co.jp

インタビューの際にリハーサルも見せていただいたのだが、リハで稽古着姿で観るのとバッチリメイクを施し衣装をつけてでの本番とでは、当然ながらかなりイメージが違っておりました。

主人公(小川摩利子)のいでたちに関しましては、稽古場でのオサゲ姿の方がなんとなく南米の主婦という感じがして良かったと思うのですが(さすがにスッピンで舞台には出れないので、他の出演者とバランスもあってかなり派手なメイクと衣装になったのでしょうが)、、、ボブヘアよりもやっぱりオサゲの方が良かったなー。

何と言っても、彼らの身体能力の高さ、ダンスの力強さと表現力、スピードが圧巻。
ポップな衣装とセットの中、なんとなくかわいらしい全体イメージではあるのですが、いやいや、ダンスがキレていてかなり気持ち良いです。

舞台セットも視覚的に楽しめ、また創造的であり、、今回の売りでもあるライブ音楽&ライブソングも効いていました。

言葉の使い方が独特で、かなり造られた会話にちょっと違和感を感じるところもあるが、実際のテーマーコミュニケーションの欠如と現代人の孤独ーという部分にはかなり考えさせられるところあり。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

PIAF/天使都市

PIAF (ピアフ)
10月2日 マチネ
Gp_1

森下のTPTにて安奈淳 主演の「PIAF」を観る。

タイトルが示すように、フランス希代のシャンソン歌手エディット・ピアフの年代記。

ちょうど、現在公開中の映画にもなっているので、なんだかこの秋はピアフづくしの感がありますが、女の人生を肌で感じたい人にはこちらのステージがお勧め。(すみません、映画の方は観ていないので、そう言いきってしまうのも何なんですが、、まず、観て損は無い、貴重なライブステージという意味です)

ピアフが晩年(と言っても47歳で逝去したので)達したような円熟した味を持つ、元宝塚の安奈淳が演ずるピアフが何と言っても、圧巻で2幕もののステージを貫禄で牽引し続けた。

劇場を良く知るtpt出身の演出家、亘理裕子が劇場構造を活かしシンプルながら場面転換を省いた演出でさらに主役を光らせていた。劇場中心に構える大きな柱を境にライティングの妙により、柱を境界線にして瞬時に違う場面へ転換する手法ーフラッシュバックのように違う場面を挿入することに成功している。

安奈を取り囲む脇の役者は若手がほとんどなのだが、バランスも良く、チームワークで芝居をさらに確固としたものに、そんな中北区つかこうへい劇団のTROY,またベテラン青山吉良が要所をしめている。

莫大な予算で大掛かりなセット、音響でなくても良質な舞台は作れると言うことを目の前で証明してくれた貴重な舞台。また、観客を見渡す限りそのクオリティーは確実に観客のお眼鏡にもかなっていた、と言う事が昨今の何かと安直な演劇界にあって一筋の希望の光りだ。
大変だとは思うが、こんな舞台を提供し続けてもらいたいものです。

ps ピアノ生演奏も大変効果的でした。

天使都市(演劇集団 円)
ソワレ


Tenshitoshitirashio

森下から下町を縦断し、田原町の円のスタジオへ。

松田正隆書きおろし、円の期待の若手演出家 森新太郎演出「天使都市」を観る。
昨年の「ロンサム・ウェスト」の好演出からか、会場は補助椅子も入りきらない程の盛況ぶり。

イタリアの作家イタロ・カルビーノの幻想的な小説「見えない都市」を随所で引用している作品はかなり観念的な要素が濃く、観客それぞれの想像力を信じてそれに期待をかけている、実験的な作品。
どこともいつとも限定されていない崩れかけた都市に老夫婦が到着し、自分たちの過去や思い出話をつぶやき、ぼやくように時には語り合い、時にはただ独り言を吐く。
夫は耳が遠く、妻は目が見えず、、そんな少しばかりズレた二人の関係はそのまま夫婦の関係を表しているようである。(時には見えないふり、聞かないふり、、もしくは意図的にそのような意思の疎通のズレを繰り返しながら長きに渡って一番身近な存在を認め合い続けている)
そこに、二人の想像の産物なのか、記憶から飛び出て来た人物なのか、、皮のコートにムチを持ち背中に羽をはやした天使の女と鎖につながれた男女が度々登場し、ひょうひょうとした老夫婦の傍らで何かに束縛されもがく様を続ける。
その若い二人が、今は人生を達観した老夫婦の若年のころの人生に葛藤している時の姿のようにも見えてくる。

三谷昇と平木久子の老夫婦の余裕を残した演技がすばらしい。

劇団であると、このように若い役者と熟年役者のコラボレーションが実現するのが強み。
これによって、お互い刺激され劇団全体の質が向上していくのであろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Home

10月1日 ソワレ
2007home

東京に大地震が起こり、都市部が壊滅状態になったら、のもしもを想定して池袋から埼玉、川越方面へ歩いて帰宅する人々の様子、助け合いながら一緒に歩くうちにうまれる人々の心の通い合い、自分発見を舞台にしている。

芝居は全編同じ背景ー舞台横方向、右手から左手へ向かい家路を急ぐ避難者たちを追って展開する。

当然の事ながら、様々な年齢層の登場人物たちが、たまたま居合わせた被災者仲間(?)とお互いに助け合いながら、知恵を出し合いながら最終目的地へと向かう様が描かれていく。

会場では上演前に実際に実用化されていて劇中でも登場する非常食クッキー、震災時帰宅マップなどが観客へ配られ、この劇が架空の出来事にとどまらず、近い将来起こりうる事だと言う喚起も忘れていない。
さらには上演後のポストパフォーマンストークで防災のプロを呼んで、この劇を上演する意味をさらに確認、知らしてめている事にも感心する。

劇の内容に関しては、非現実的&あまりにもスウィートな人物像に多少辟易する箇所もあるが、ま、あまり観る事の出来ない内容だけにその点では最後まで楽しめた。

個人の趣味的には、人間の負の部分、また防災の予想しかねる悲劇にも、もう少し場面をさいて欲しかった。
理想的ではあるが、今の世の中、そんなに良い人ばかりとは思えないので。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ニュータウン入り口

9月30日 ソワレ

Newtownsenzai

既に録画されたイメージ映像、上演中に舞台後方で同時に撮られているライブ映像が、シンプルな舞台セットの中、芝居が進行する途中にしばしば挿入される、という従来の上演形式はそのまま。今回はニュータウンという、土地開発+都市部の人口増加を解消する目的で新興住宅が乱立し人工的に突然出来上がった街を舞台に現代の全てがハイスピードで消化され、また驚く程の早さで記憶が忘却されていく社会を表現。

古くからの住民、街としての歴史を持たないそのニュータウンには消滅したいという過去を持つ人々が潜んでいる。それらはー神戸の児童残虐殺害事件の世間から抹殺されとり残された家族であり、目的を誤りねつ造という道へ迷い込んだ考古学者の思いー、はたまた最終箇所では海の向こう、世界から隔離されたパレスチナガザ地区の住民である。

一見、平和とプチブルのシンボルでもあるようなそのニュータウンの子供の遊び場である砂場には、毎日の生活の中に埋没された世間のひずみが、隠されている。
その砂場がいつの日か掘り起こされるのではないかと怯えながら暮らす過去を背負った人々を尻目に、ニュータウンの人々は映画やテレビに出てくるような`絵に描いたような平和’な日々を送っている。そんなニュータウンに建てられた家の購入を検討している若い夫婦。彼らは本質を見抜く事が出来るのか、また現実に目を向けようとするのか。また、ニュータウンに住む現代人は物事の起きた背景ー歴史を検証しようと試みる覚悟はあるのか?

そんな、様々な現代社会における問題を声高にでは無く、じんわりと段階的に提議している芝居ではあるのだが、
如何せん、、その様々な事柄に関する間接的な説明が長い!!!
確かに、必要不可欠な段階的説明もあるのでしょうが、、もう少しコンパクトに出来ると思う。

観客にも体力的限界があるので、集中力が途切れない程度の解読パズル構造の方が結果的には有効なのではないでしょうか?


| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年9月 | トップページ | 2007年11月 »