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2007年9月

2007年9月27日 (木)

韓国ミュージカル/ラ・マンチャの男

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紙面(www.japantimes.co.jp)で紹介した韓国発ミュージカル「ラ・マンチャの男」を観る。

韓国演劇界、エンターテイメント界の底力を見せつけられ、圧倒される。
ブロードウェイミュージカルのライセンス生産、韓流ミュージカルなので、もちろん全編韓国語で語り、歌われる(劇中日本ファンへのサービスで2〜3語、日本語で語られる場面あり)わけだが、言葉の壁なんてぶっ飛ばして役者の力量でぐいぐいと観客を引き付け、最後には会場全員(その雰囲気は鳥肌もの。確実に会場の全てを虜にしていた)をラ・マンチャの男のドリームカムトウルーな世界へと誘っていた。

キャスト全員の歌唱力、演技力、もちろんスタッフワーク、生演奏も素晴らしく、それでこその舞台結果なのだが、、、何と言っても主役のチョ・スンウが素晴らしいのです。
そのお人柄まで伝わってくるような(マジ、マジ、、今にしてようやくペ・ヨンジュンにメロメロなマダーム達の言い分が分かって来ましたぞ。)、舞台にノックダウンされました。
最後のアンコールの投げキッスもちょっと反則技だったけど、、それにしても、劇場内のみのカタルシスミュージカルでは無く、いつまでも心に残る感動を与えられたというのが、やはり特筆すべき点。
また、来年も来て下さい。。観に行きますよ、、、成田までは行けないかもしれないけど。

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2007年9月24日 (月)

9月後半もやるぞー

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続けて後半です。

9月13日ー「ロマンス」2回目

こまつ座&シスカンパニーによる(日本では異例な)ロングラン公演、「ロマンス」を8月幕開け直後観劇に続き、2回目の観劇。

ロシアの劇作家、チェーホフの一生を順を追って描き、彼が追い求め続けた人間に必要不可欠なものー人の一生なんて宇宙の営みからみたらちっぽけなもの、それならいっそ笑って暮らそうよーという人間讃歌の精神を盛込んだ芝居。
演劇人には馴染みの深い、それこそ熱烈なファンを沢山有するチェーホフ先生(井上ひさし氏もその一人とお見受けします)も、日本での知名度が一般的にはそれほどある訳ではなく、その上、「桜の園という没落貴族を描いたおエラい先生。」というちょっと??それこそ間違ったイメージが強いため、ー劇自体がその間違ったイメージに悩んだご本人を描いているのですがー今回の劇も観客によって混乱を来してしまったのかも。
この外国人についてどこまで、観客に事実説明をする必要があるのか、、この手の手法で実在する人物の生涯を見事に描き続けて来た井上氏においても今回の舞台は外国の話を説明するという事において実験的舞台ではあったのかも。

今回、2回目の観劇であったのだが、言える事は役者のアンサンブルがすこぶる良くなっていた事。
ご存知の通り、それぞれが普段ならば主役をはっているような役者を全て集めたという、超贅沢な舞台なのだが1回目に観た時には、それぞれに、やはり何となく、、気負いが、、チームワークというよりは一人ひとりの演技合戦になっていたように思えたのが、、今回はお互いの距離感がバランス良く保たれ、チームとして全然良くなっていた。

蛇足なのですが、、イギリスのRSCで「かもめ」を観た時に、へーチェーホフってやっぱり完全なる喜劇なのねー、、と素直に思えたのがとても新鮮でした。日本でもチェーホフを喜劇と思える、観れるような器の大きなチェーホフ芝居を観たいものです。

9月14日ー「散歩する侵略者」byイキウメ

若手劇団の出世作のメジャー劇場での再演。
半球体を重ね合わせたシンプルなセットと四方に伸びた入退場花道は宇宙人という架空の話を表現するのに効果的。
しかしながら、宇宙人という想像上の生き物でないと、本音を語れないという登場人物(現代人)たちの弱さにモヤモヤ感が残る。
理想と現実は埋めがたい程にかけ離れているんだーーーーー、現代人の心の病気はこんなにも普通に蔓延しているのです!(まあ、そうなんでしょうが)と悟り顔で語られているようで、、弱音だけ吐かれても、何らかの解決策は???なんて聞き返してみたくなる、そんな元気が消えていくような芝居でした。

9月15日ーダンス「ミミ」

舞踏家ー室伏鴻とBATIK主催・ダンサー黒田育代のコラボレーションステージ。
このような無言で多くを語ってくれる優れたステージを観ると、やっぱり今のダンスブームに納得せざるを得ません。
赤坂RED Tehaterの小さな空間、殆ど何も無いー椅子とレコードプレーヤーー黒いステージ上で男女の肉体のみで濃密な人間同士の関わり合いドラマを展開。
舞台上の二人は実際に関わり合いを持つ関係であるようにも見えるし、それぞれの想像の産物である(理想の相手とか逆に裏切られた相手とか)ようにも観れる。
ストイックな中年の男と挑発的な若い女。
東京で足を運び観るべきものがそこにはあった。

9月19日ー東京ミッドタウン能狂言

六本木の新名所、ミッドタウンビル隣のガーデン芝生広場で開催されたオープンエアー能狂言舞台。
夏の風物詩として、花火も良いけど六本木で能舞台鑑賞も良いよ!なんて宣伝文句の一つも言いたくなるほど、ブリリアントな企画。
その、アイディアと会場の見事な鑑賞条件ー舞台背景が最新建築のミッドタウン高層ビル、そして夜空とその奥にちらちら見える六本木のビル群、、に感服です。
舞台を前にして、この設定だけで、すみませんが満足しました。
舞台では、やっぱり野村萬斎氏のパフォーマンスが圧巻、六本木レディース達も目新しい狂言という出し物に大いに満足していたご様子でした。

9月20日ーアルゴス坂の白い家 by新国立劇場

新国立劇場の新芸術監督、鵜山仁氏就任記念公演、ギリシャから三つの悲劇シリーズの第一弾。
ギリシャ悲劇を題材にした川村毅によるオリジナル新作。
愛人、親殺し、家族内の陰謀とギリシャ悲劇に出てくるエピソードを借りて、それを現代のエンターテインメント一家(母が女優で父が映画監督。娘も新人女優に新進作家、、)に当てはめて現代の家族崩壊を描く。
川村の物事を斜めから観る皮肉な視点が、新国立劇場という大層ご立派なハコとギリシャ悲劇という組み合わせにいまいち噛み合ず、消化不良感残る。かえって、別の劇場で上演した方がベターかも。
佐久間良子の起用にも???

9月21日ーコンドルズ「沈黙の夏」

いつものコンドルズの舞台構成ー笑い、ショートコント、ビジュアルを交えての笑いとパフォーマンス、身体を使ってのパフォーマンス、そして躍動感溢れるダンスーで、今回も構成自体にはそれほど変化は無いのだが、全体を通じて笑い部分でのダレも全く無く、2時間があっと言う間で120%楽しめる舞台だった。
それぞれの個性が良い意味で確立、そしてそれぞれにますます芸っぷりが上がり、大満足のステージ。
やっぱり、コンテンポラリーダンスの方々、、かなり元気と想像力がありますね。
感服です。

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2007年9月17日 (月)

9月前半の劇評一挙掲載


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すみません、、一挙掲載です。

9月4日ーパルコ劇場−シアターナインス「シェイクスピア・ソナタ」
松本幸四郎主催による、毎回作家、演出家、役者を変えてのプロジェクト企画公演。
今回は作・演出(そして出演も)を岩松了氏が担当。
松本幸四郎演ずるシェイクスピア俳優を中心に、彼の劇団、そして家族内のゴタゴタを描いた日本のそれも地方スケールでのシェイクスピア劇。恋のとり違いあり、2度目の妻と息子の反抗(ハムレット?)あり、そして実際にシェイクスピア劇が劇中で演じられているという設定で、シェイクスピアに接近しそうでいて、実はどっぷり岩松了の世界。
練りに練られた台詞ーそれぞれが飲み込んでしまって実際には言葉にはなっていない、無言の台詞を含めーが何とも、職人芸を感じさせる。

9月4日ー燐光群 「白髪の房」「現代能楽集 三人姉妹」
フィリピンの作家ルネ・ヴィラヌエヴァ原作、竹内一郎演出で燐光群の役者たちによる「白髪の房」が秀逸。
4人の老人達が収容されている施設、そこは言うなればこの世の終着点、自分の家族からも現実社会からも取り残された老人たちがただ寝ては起きてを繰り返すだけの天に召される日を待つだけの場所。
人間が生きる意味、なぜ明日を夢見る事が重要なのか、人は息をしながら生きながらえるだけではその人生を持ちこたえられないという、非常に現実的な根底の問題を提示した作品。燐光群のベテラン役者達が上手い。

9月10日ー流山児事務所「オッペケペ」
昨年の「無頼漢」で変幻自在なベニサンピット劇場の味をしめたのか、今回も縦横、奥行きと劇場の広い空間を巧みに使用した演出。今回は明治の芝居屋、川上音二郎の話だけに舞台上に花道を作って、演劇界の雰囲気をさらに視覚的に見せる事に成功。
前半、ちょっとだれる部分があるも、さすがに社会派(演劇と社会の関わりに敏感な)の流山児だけあって、全体のトーン、日本の演劇界に関する皮肉と提言にはブレが無し。翻がおもしろいので、劇に力が漲っていた。

9月11日ー劇団鹿殺し「殺 ROCK ME -サロメ」
場内へ入ると、既にヒョウ柄のパンツ衣装を身につけ、髪の毛を逆立てた役者陣が幟を手に客席を歩き回っていた。Rock Meと言うだけあって、新感線の舞台を彷彿とさせるようなロックテイストのミュージカルあり、オレオレスタイルのボーカルあり、、のステージ。
主人公のサロメー葉月チョビが好演、+素晴らしい歌も披露。
が、、何と言っても若い劇団だけに、役者陣にこれからさらなる精進を望む。
と言うのも客演の植本潤(花組芝居)と中村まこと(猫のホテル)と他の役者たちとの差が歴然としていたからだ。
話は変わるが、、オスカー・ワイルドの「サロメ」はやっぱり超素晴らしい。原作があまりにも普遍的で素晴らしいのでそれだけで、かなり得をしているかも。

9月12日ー(マチネ)「ドラクル」
渋谷コクーンで海老様とりえちゃんの話題の舞台、「ドラクル」を観る。
巷の演劇ファンサイトなどでも、賛否両論、意見の分かれている作品。

今時、ドラキュラかいな?とちょっと半信半疑で席に着く。さすがに、人気俳優の競演だけに会場はマチネにもかかわらず、満杯状態。

思いっきり演劇的創りもの、ファンタジーな虚構の世界を日本最高レベルの美術、装置で作り上げた、舞台オタク的な見地から言うと「すごい!」とうなるような舞台でございました。
私的には、十分いろいろと楽しめた舞台でした。正直、最初の1時間くらいは素晴らしい舞台セットは見逃したくないものの、ストーリー的には説明、そしてファンタジー色が色濃く、、ちょっと単調ではあったのですがーーま、ドラキュラのストーリー自体、ある意味単調で、、結局、血を吸っちゃうわけでしょ?、、で、十字架とか太陽の光りとかで消滅しちゃうわけでしょ???、、ぐらいの話の展開しか無い訳ですからー数々のドラキュラ映画にしても、クリストファー・リーとかクラウス・キンスキーの牙と血の吸い方の絵図らを楽しむ、ってなもんで、それをややこしく話をこね上げてしまうと、トム・クルーズとブラッド・ピットのアイドル美青年競演映画みたいになっちゃったりして、、ま、話の展開をハラハラドキドキとはならなくて、やはり役者と舞台効果を楽しむ舞台なのでしょう。
または、お金に余裕のあるコクーンだからこそ作れてしまう、実験的舞台とも言えるでしょう。
その実験的の中にはー
*長塚圭史氏のこれからの中劇場、大劇場起用に向けての実験作
*海老蔵氏の現代劇進出へ向けての実験劇
といった要素があり、実験的部分を他のベテランスタッフー美術(島次郎)照明(原田保)、役者ー勝村政信、山本享、宮沢りえ、山崎一、などが上手く固め十分に将来へ実りのある舞台だったのではないでしょうか?

海老様は一部のセットがいろいろと込み入った舞台よりも、それらを全部取っ払ったオープンな舞台の2部の方が断然良かった、、というのも大変おもしろかったです。彼はその身のみで存在感がありありなので、あまり装飾の多い舞台よりは裸舞台の方が映えるのでしょうね。

(ソワレ)ー「ヴェニスの商人」ーホリプロ

こちらの舞台に関連して、英国人演出家ーグレゴリー・ドーランと翻訳者河合祥一郎の対談インタビューをジャパンタイムズに載せているので、そちらもご参照下さい。www.japantimes.co.jp

インタビューでもドーランが熱く語っていたように、今回の舞台、アントーニオ(西岡徳馬)とバサーニオ(藤原竜也)のゲイの間柄を描いた舞台というのが一番の特徴。
全体的にとても分かり易い舞台で、その男二人の恋愛感情を除いては、新解釈を入れているところは無し。
日本人にはヨーロッパの観客よりは遠い地であるヴェニスの雰囲気と宗教的対立を分かりやすく見せてくれた。
ドーランがインタビューで話していた、ポーシャの立場(女性軽視の当時の背景と金持ちとは言え自由には行動出来ない女性の立場)に関しては、現実日本での女性の地位がイギリスのそれよりも格段に遅れているため、それほど皮肉的には伝わってこなかった。
ドーランはこれからも継続的に日本で演出するという事なので、、今後が楽しみ。

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2007年9月 3日 (月)

イヨネスコ 授業

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(観劇日 9月1日ーマチネ)

紹介記事を掲載したモルドヴァのウジェーヌ・イヨネスコ劇場によるイヨネスコ作「授業」を観に、神楽坂theatre iwatoへ。http://japantimes.co.jp

記事掲載の時に引用した公演情報には、前回来日の際に観劇した野田秀樹の推薦コメントの他、各社新聞社の演劇評論家による賞賛記事が載っていた。

そんな、前評判もあってか、場内は満席状態。小劇場ステージ上にはテーブルと椅子2つ、その回りにビニール製カーテンがひかれている。劇の開始前、舞台の奥の方ではトンカチで釘をうちつける音が鳴り響いている。

そんな中、生徒役の女優が客席から登場。不条理劇の代表作品「授業」の始まりである。

思い通りに個人授業が進まない苛立ちから、女生徒を教えていた老教師が次第に変貌していき、暴力で生徒を押さえつけ、最後には完全に征服してしまうという話なのだが、この老教師がかなり暴力的。常軌を逸してからの有様は動物的で狂人そのものであった。日本でよくみられるような、知識人が犯す猟奇的殺人といったような趣きのインテリジェンスな教授というイメージよりも、知識人であっても持ちうる人間の本質を露呈したというような、もっと人の生理的部分に大きく寄与するような役づくりであったのが興味深かった。

さらに、劇作品、同様に大変おもしろかったのが、上演後に行なわれたポストパフォーマンストーク。
モルドヴァの劇団からは本作の演出家(若い世代)と劇団の創始者であり同劇団の主要作品のほとんどの演出に関わってきた演出家(中堅世代)、そして日本側招聘サイドからはプロデユ−サーと通訳の方によるトークだったのですが、ヨーロッパの演出家らしく作品の制作意図がかなりはっきりしていて、、例えば今作品ではヨーロッパの大国と小国の間に常々起こる力関係、パワーゲームの縮図を教授と非力な生徒の関係で描いてみた、と言っておりましたが、ふーーーーむ、そう言う解説がつくと劇の全体トーンにも納得と思ってしまいました。
こんな風に、名作と言われる作品を自分たちの今の生活に置き換え、読み直してみる、そんなごくごく当たり前の事を意識しながら作品を作るのと、名作をただただありがたがって上演するのとでは結果に歴然と差が出て当たり前だなとも感じた瞬間でした。
話を聞きながら、この「授業」と今の日本との繋がりについて考えていたのですが、、まさに、この「授業」という作品こそやりようによっては現代の格差社会、政治家や所謂勝ち組たちの傲慢、、誤った知性の捉え方、、などなど日本の今を小気味良く皮肉るのに丁度良い作品だなーーーー、なんて事も頭をかすめたのでした。

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国際共同制作

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オーストラリア出身の演出家、現在はドイツを基盤に活躍するシンベリン・ビューラー女史が日本人の役者達と共に役者達との対話から新しい芝居を作り上げるプロジェクトの結晶「Living on Stone Rice」が駒場アゴラ劇場で上演されていた。

その上演に伴い、上演後にシンポジウムが開かれていた。
パネラーはシンベリン(写真)の他に、アゴラの支配人であり日本を代表する劇作家・演出家の平田オリザ氏、日本演出家協会事務局長でオーストラリア演劇に造詣の深い 和田嘉夫氏、文学座所属で海外作品演出も多い 高瀬久男氏。
「社会問題・戦争問題と演劇の関わり」という題目だったのだが、それぞれの立場から、現在の演劇の可能性、、演劇が社会と関わる事の重要性と言った議論へと発展。

やはり、それぞれの活動とリンクさせて、、そして(当然の事ながら)その活動を通じての体験談、またはそこからの未来系を探る話が多く、平田氏などは現場でトップランナーとして観客を動員し続けなければならない立場から作品としての芝居の質にかなりこだわり、、また、近年の国際共同創作作業からその実現の難しさ、そしてそれにどう対処すべきかを具体的に語っていた。

反面、シンベリン、和田氏などは演劇活動がどのように社会へ影響を与える事が出来るか、、、出来た作品ももちろん大事だが、演劇は観るだけではなく、参加することにも意義が有り、またプロジェクトを立ち上げる事にもー特に国際プロジェクトなどはーある種の意味があるというような立場をとっていた。

それぞれの意見に納得しながら、、現場制作の立場ではなく、一観客、そして制作ではなく演劇に関わる者の意見としては、、それもこれも含めて、、そんないろいろな立場での演劇が存在し得るような、演劇土壌を日本に作りたいというのが、意見です。

エジンバラ帰りの影響もあるとは思うのだが、、まず何と言っても演劇土壌がある国と、、かなり肩身の狭い思いをしながら、、演劇がマイノリティーである国とがあるとしたら、日本はまだまだ後者であると言う事です。
義務教育のカリキュラムに演劇教育も無いし、劇場へ行ったことがない人が殆どであり、、国が演劇に真剣に取り組んでいない。。やっぱり、もっともっと演劇の効用を一般レベルで認識出来るよう出なければ、、、どうすればそうなるのでしょうかねー。?

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2007年9月 1日 (土)

犬顔家の一族の陰謀

劇団☆新感線の夏休み公演「犬顔家の一族の陰謀」をロビースペースが殆どない、サンシャインん劇場で観る。
全編が題名通り、横溝ミステリー「犬神家の一族」のパロディと役者陣、一人ひとりの笑わせ芸の競演でございました。

ま、夏休みのお祭り公演ということなのでしょう。

普段からご贔屓にしていただいているお客様への感謝祭、顔見せ、そして劇団内でのお盆さながら久しぶりに旧友が集まっての親交暖め公演ということなのでしょう。

新感線がブイブイ言わせていた頃、小劇団ブームの後期、木野 花が盛んに若手役者陣とインプロバイゼーション(即興型)、役者が意見を寄せ合いワークショップの中で芝居を作って行く手法で芝居を作り上げて行くという類いの芝居の名残がプンプンする、、そして観客の雰囲気も当時の笑い声が先行するような状況が蔓延するお芝居でありました。

若い観客にはルミネ座よしもと、のノリなのかしら??そして、80年代当時を知る(私のような)中年客にはノスタルジックなノリなのかしら????それにしても、もう既に観て来ているものを、それも9500円払って観るのは、ちょっと、、、ねー。

新橋演舞場での井上演出「朧の森に棲む鬼」が緊張感あり、役者良しで非常に良かったので期待して観に行っただけに、ちょっと、、ちょっと、、アレレレレ、、、の感想でした。

役者にかなりのギャラを払わなければ、、というのも殆どが看板役者陣の芸の力ですから。という感じでした。

タマにだから良いけど、、エジンバラなんかでアイディアの真剣勝負しのぎ合いなどを観て来た後では、これで大丈夫なの???日本の演劇界???  アニメや映画が世界へ進出している中、演劇がメジャー化しないのはやっぱりこの辺りに原因があるのでは?、、バブルの教訓をこれからは活かして行こうよ。、と感じずにはいられません。

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