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2007年7月

2007年7月30日 (月)

やっぱり参議院選

投票率はそれほど上がらなかったからこそ、それでも雨の中、投票へ出向いた人々の一票一票には「絶対、今の政権にはこのまま任せてはいられない。声を上げなければ。」という熱い思いが込められたいたように思われますよね。

これだけ、国民からの意思表示が明らかなのに、それでも辞めない阿部さん=自民党って、根本のデモクラシーという国の基本姿勢を軽んじてますよね。
あの頑さが、やはり彼の政治目標の個人的使用(岸家の怨念)を連想させます。


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2007年7月29日 (日)

Korper (Sasha Waltz)

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埼玉アーツシアターにてドイツの舞踏家、サシャ.・ヴァルツの「Korper(身体)」を観る。

先日プレビューをジャパンタイムズに載せたこともあり、興味津々で会場へ。

いつもながら、コアなダンスファンで(埼玉)の劇場は超満員。
プログラミングをきちんとすると不便な土地柄でも客が集まるというお手本の劇場。

人間の身体を解剖学的に捉え表現したという作品はところどころに驚きのシーンー例えば、有名なシーンで、顕微鏡のサンプルとして提示されている微生物のように人間がガラスの板へ重なり合いながらへばりつく場面、とか殆ど裸の人体をつまみ上げて移動する(皮膚をつまんでその身体を移動する)場面などーが。
歯を食いしばりながらでも、人体の奇麗な動きを探求するクラシックバレエとはやはり全く違う動機からこの舞台が成り立っていることを実感。
ダンス、身体による表現方法というのを実感させられるステージ。
ダンサー達が躊躇無く殆ど素っ裸で登場するのも、ヨーロッパの文化の特徴か。(彼らは裸こそが自然な姿で、裸を人前でさらす事に日本ほどの嫌悪が無い。これは一般レベルでもそうで、ドイツなどではよくよく素っ裸で日光浴をする市民を目にした。)

ステージ後に振付家 サシャと彼女のパートナーで芸術的アドバイザーのヨッヘン・サンディッヒによるポストパフォーマンストークが行なわれたのだが、、これがすごかった。
まあ、しゃべるしゃべる、、芸術家の仕事の一環として、自分の作品について語るというのが含まれるヨーロッパの傾向の顕著な例。
日本の舞台家たちが多くを語らず、全ては出来上がった舞台作品を観てくれという姿勢であるのに反し、彼らは作品について語り尽くしておりました。
その答えはかなり観念的な、個人視点のものが多く、それでも一人の重要な意見として発言することが大切なのだというデイベート社会の作品づくりのもとを見たような気がします。

第一にドラマツルグという芸術アドバイザーの存在というのも日本では皆無ですし、、、まあ、環境がかなり違うのだなーというのが実感です。

どの芸術分野でも言えるこの違い、、、日本の結果重視主義ー言葉ではあまり説明せずーとヨーロッパの言葉による芸術家の説明も舞台(芸術作品)の一環という考えの違い、、、大変興味深い文化の違いです。

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新国立劇場 演劇研修所 試演会

新国立劇場が2005年に当時の芸術監督栗山民也氏監修のもと始めた俳優養成機関の発表会が行なわれていたので観てきた。

今回は明治から昭和にかけての文豪、久保田万太郎の劇作、「あぶらでり」と「かどで」の2本を特設舞台(リハーサル室に仮の小振りな舞台を造り上演)を上演。

カツラに着物、昔の言葉遣いで80〜90年代生まれの若者たちが当時の庶民の日常を演じた。
さすがに、新国立劇場で一流の講師陣たちに鍛えられているだけあって、若手とは言え舞台の俳優達はその世代の役者のエリート。まあまあ、ケチのつけどころの無い(今のところ)出来栄えでした。

彼らが、これからの演劇界をリードしていくようになるのでしょうが、小さくかたまらず、破天荒な若さをもっともっと自由に表していって欲しいものと願うだけです。

で、もっと気になった事と言えば、、久保田万太郎の戯曲。
このところ同年代の岸田国士の戯曲なども見直され、いろいろな機会に上演されているのですが、この久保田万太郎の戯曲がサラッとしながら、かなり面白い。
下手に言い訳などせず、世の中の不条理をそのまま言い表していて、それでいて現代に通じる社会批判性などもあり、、もっともっと近代の日本の戯曲を見直して上演しても良いのではーシェイクスピアばかりでなくーと思った次第です。

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砂利/錦繍

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7月26日(木)観劇を2本。

昼ー「砂利」by ダンダンブエノ

役者、近藤芳正率いるプロデュース公演演劇集団ダンダンブエノのオリジナル新作「砂利」を観る。
この公演、3つの初がセールスポイントとなっていて、歌舞伎界の大御所坂東三津五郎『初』の小劇場出演、飛ぶ鳥も落つ売れっ子劇作家(&小説家)本谷有希子『初』の外部への書き下ろし、、そしてその彼女と『初』タッグを組むのが若手実力派演出家倉持裕という公演。

この3つの初の中、特色が色濃く出ていたのが、やはり劇作本谷有希子の色でありました。
先日公開した今年のカンヌ映画祭招待作品「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」の作者でもある彼女の劇作の特徴は人間が認知したくない、それほど赤裸裸な人間の本性を描くというもの。
今回も三津五郎演ずる主人公のダメ男(若くしてすでに人生に幕を引こうとしている、、しかしながらそのダメダメな理由を他者からの外的理由にこじつけている)、蓮見田(はすみだ)の迷惑人生を中心に、それにつきあわされている小市民達の優柔不断な日常、彼ら自身の決断力の無さも描き出している。
一見した外見と実のところの物事の核心、その真実のギャップに終始メクラ騙しで騙されながら、その不思議なコミュニテイーの非日常的なスケッチが綴られて行く。
一見、何の害も無さそうな被害者である蓮見田が実のところは手に負えないくせ者で、回りの一見社会のはみ出しものであるかのような登場人物が実はその蓮見田の被害者であるという構図。
まさに、人間社会の不条理、そしてどうしようもない真実をついている、、またまた本谷氏のするどい人間観察劇でありました。
芝居自体はその難題劇を素直にそのまま板に乗せたと言うような、とりたててひねりは無いストレートな作り。
役者も至って素直な演技。

蛇足ですが、、当日ビデオ撮影の為、カメラが数台入っていたのですが、そのカメラが私の席のすぐ横にあり、どこかから当カメラ撮影担当者へ入る指示の声がヘッドフォンから漏れっぱなしでうるさくて、気が散って仕方ありませんでした。
そんなに記録するのが重要ですかねー?
演劇は生のものなので、その場のお客さんのことをもっと大事に考えて欲しいものです。なんだかビデオ撮りの為に舞台が台無し、、、って本末転倒。


夜ー錦繍 by ホリプロ

で、夜は天王洲アイルの銀河劇場へ宮本輝原作、英国人 監督ジョン・ケアード翻案/演出の新作舞台「錦繍」を観に行ってきました。

外国人監督が宮本輝の書簡小説を舞台へ??? どんな舞台に仕上がるのだろう?という期待と不安で劇場へ。
で、結果が、、これがまた素晴らしい舞台に仕上がっておりました。

久々に観た、大人のための芝居。ジャリンコ達はお断りの本当に成熟した舞台でした。

10年前に夫の心中未遂事件をきっかけに突然の別れを余儀なくされた夫婦が偶然に再会。その後、過去の出来事をお互いに読み直し、またそれぞれにこれからの人生の指針を見つけることを目的に交わされた書簡で構成された書簡スタイル小説。

その原作のスタイルをそのまま活かし、男チームと女チームに別れた役者陣が主人公それぞれの心の内、そしてそれに関わった人々を演じ分けていくーヒロインとヒーローはほとんど決まった二人、鹿賀丈史と余貴美子によって語られていくのだが、時によってはその役割さえも他の人によってなされる場合もありーという、朗読劇に近い、、しかしながらミニマムな動きによって演じられてもいく舞台演出。

このミニマムな演技によって、過剰なメロドラマにならず、原作の奥深いストーリーを分かりやすく且つ有効的に観客へ伝えることに成功している。

先日、ケアード氏に話をうかがった際に話していた、演出家の仕事とは素晴らしい劇作/テキストをいかに有効的に観客へ届けるか、、その点において貢献することにある。と言っていたご自身の言葉の結晶を観せてもらったように感じた。

宮本輝の素晴らしい原作世界があればこそ、下手にこった舞台演出などはせず、しかしながら見事に美しい金箔の背景、有効的なモーツアルトの音楽の導入、そして日本人の精神性を表すのに適した尺八の音楽などでその素晴らしいストーリーにさらにプラスアルファーの効果を与える。。まさに、謙虚にして最大に有効的な演出術、、お見それ致しました。

昨今、派手な演出、アクロバティックでヴィジュアルテクニックを駆使した舞台、そして有名タレントの起用などで、話題と若い観客層を呼び込む傾向にある演劇界にあって、こういった舞台には真の演劇人の心意気を感じます。日本に真の演劇を根付かせましょう。

それにしても、やっぱり誰か日本人がこのような舞台を率先して作っても良いのでは?
やられちゃいましたね。


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2007年7月25日 (水)

逆ギレ

時たま、発作のごとく、世の中の仕組みに対して逆ギレします。

なんだか、理不尽なシステムに遭遇すると、凹むより先にキレてますますその状況からパワーが出てくるのです。

絶対に自分の信じる方法で、やり通してみせる、と本当にパワーが漲ってくるのです。

逆境よ、ありがとう。

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オセロー(演劇集団 円)

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紀伊国屋ホール(新宿紀伊国屋本屋にある劇場)で演劇集団 円の「オセロー」を観る。

とにかく、一言、加藤ちかさんの舞台セットが素晴らしい!

舞台上には回り舞台の岩盤(片方が不完全な平べったい円錐状の岩)が。その岩を様々な角度から見せる事により、いかなるシーン、オセローとデスデモーナの寝室、将軍の城内、兵士達の宴会場、キプロスの街角ーにもすっかり対応してしまうのが素晴らしい。小さい紀伊国屋ホールの舞台では、その創造力溢れながらもいたってシンプルなセットが効果絶大。天井から吊るされた二本のロープの使われ方も良かった。

芝居自体はいたってオーソドックスなシェイクスピアで、とりたてて取り上げる箇所は無し。

イアーゴとデスデモーナのキャラクターが若干弱く、、劇の説得性が出てこないのが残念。
だが、別段それほど悪いところも無い、合格点の出来。

それにしても、何度か繰り返してシェイクスピアの同じ芝居をみると、徐々に台詞に込められた多重的な意味が浮き上がって聞こえてくるようになりますねー。その多重性が普遍的な意味をも持つので、、本当にシェイクスピアって一体何者???

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ヘアスプレー

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渋谷文化村にてブロードウェイミュージカル「ヘアスプレー」を観る。

(そうです、ああ、そうですよ、私はアメリカに対して偏見がありますよ)ーと思わず、最初に言い訳をさせてもらいますが、「こ、これが2006年、トニー賞6部門獲得の作品なんですかーーーーーー?????」というのが正直な感想です。

2007年のこの世の中で、黒人人種差別問題(それもいたって上辺のみの扱い)とか、おデブさんのシンデレラストーリーとか、、あまりにも稚拙すぎる。あまりにも内容が能天気すぎて、、それとも私の思い及ばないテーマでも隠されていたのでしょうか?? 60年代の懐古趣味は、新しい才能が一向に出てこないファッション界のみにとどまらせておいて、演劇ではもっと他のことやりましょうよ!だって、今やるべき事は他に沢山あるでしょうに。と叫びたくなる舞台でございました。
いっそ、おデブなヒロインが最後にやっぱり現実を思い知らされ考えさせられるとか、今や黒人エンターテイナー無しでは存在さえしないエンターテイメント界の現状をまざまざと見せつけるとか、、ちょっとひねってみたら???

それにしても、渋谷の観客達はそこそこ喜んでいた風。。これで良いのだろうか?心配だなー。

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蜷川 歌舞伎 & 雨の「秘密の花園」

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梅雨だなんて冗談が、未だまかり通っている東京の週明け。
一日中、観劇しておりました。

朝、11時から東銀座の歌舞伎座へ。2年前に上演された演目の再演、蜷川幸雄演出版「十二夜」を観てきました。
前回は蜷川氏の単独インタビューをジャパンタイムズで掲載した関係で、メモを取りながらのかぶりつき観劇だったのですが、今回はもうちょっとお気楽にちょっと歌舞伎座まで、、と言った感じで出かけてみました。

前回、幕開けのどよめきを呼んだ、開幕直後の前面鏡演出(舞台上横いっぱいに鏡が配置され、観客は幕開けと同時に自分たちの姿をそこに見る事になる)は相変わらずの評判でしたが、観客側もさすがに予測していて、今回は鏡の中の自分たちに向かって、それぞれに手を振る余裕も。
演目自体にも、さすが百戦錬磨の歌舞伎役者たち、、既にレパートリー演目のような余裕さえ、やはり歌舞伎役者恐るべしです。
蜷川色満載の初演時に比べ、やや平面的構図に、そして歌舞伎の従来のペースに乗っ取っての公演となっておりました。それが良くも有り、ちょっと物足りなくも有り、、の印象。

主演の二役を演じ分ける、尾上菊之助の男と女の演じ分け、また男のフリをする琵琶姫の女の本性がチラつく箇所が秀逸。声の使い分けと女仕草が大いに笑わせてくれます。
お人形さんのような奇麗な彼の顔立ちに見惚れるのも一興。

その他、市川亀治朗演ずる腰元の麻阿も笑いのツボをしっかり押さえていて特出していました。

劇の前半、大掛かりな舞台装置にちょっとした不具合が生じ、急遽幕を閉める瞬間もあったのですが、そこは客も心得たもので、「ま、これくらいの大舞台だから、、たまには仕方が無いわねー。」と言った様子で慌て騒ぐ者も無く、お客さんも含めての「余裕」の観劇でございました。
そういった意味でも、、たまには歌舞伎座にも足を運ばねば、、と思った次第でございます。
ちゃんちゃん。。

で、その後、銀座で時間をつぶしてから、夜は千葉まで。

三条会の「秘密の花園」ー千葉公園での野外公演を(夏の風物詩)観てきました。

東京からなら一時間ちょっと見積もれば大丈夫、、なんて余裕、余裕と思って移動を開始したのですが、、普段あまり使い慣れない線は事前にチェックをしておくべきでしたーーー。

総武線で千葉へ行けば良いのよね、、なんて黄色い電車に乗り込んだら、、これが遅いのなんのって。。行けど暮らせどなかなか目的地に近づかず、開演時間が反比例して近づいてくるではありませんか。通勤帰りで混み合う電車の窓から外を眺めていると、、どうも並行して走りながらどんどんこの黄色い電車を抜かして行く青と白の電車。。不吉な予感がして、電車の路線図を再度見直すと。。どうも駅をどんどんすっとばしていく電車、急行総武線なるものがソヤツらしい!!! 慌てて、次の急行停車駅で乗り換える。

開演時間5分過ぎに公演内の特設会場に到着。。。あーー、やってしまった。。と思っていたら、ラッキーな事に前説の最中で、本番舞台には何とか間に合った。

ふー、と一息ついて、観劇開始。
公演の大きな広場に特設舞台を組み立ててあり、高い位置に設置された階段状の客席から舞台へを見ると、その背景が一面公演の生い茂った木々という野外劇場ならではの景観。
畳6畳ぐらいの広さの舞台は前方が下がった傾斜舞台。トタン屋根のようなその黒い舞台面のあちこちにはドアが設置され、開けて舞台下(底)へ抜けられるようになっている。また、舞台後方にもその後ろにスペースがあり、後方からその舞台下部分へ降りられるようになっている。
さらには、劇中途中で、舞台後方、背景の木々との間にやぐらが組まれていて、そこにライトがあたると一畳間のような空間が浮かび上がる仕掛けであることが発覚。

そんな不思議空間で唐十朗、82年の本多劇場柿落とし公演作品の「秘密の花園」が72年生まれの演出家、関美能留によってどのように表現されるのか。そんな公演でありました。

日暮里の木造アパートの一間が舞台で、詩的な言葉の羅列、そして物事の重複と繰り返しが展開する唐十朗のまさに80年代演劇の世界が三条会の言わば正当派アングラ系統っぽい役者達によって再現されておりました。

80年代の演劇を観てきた私にとっては、なんだかデジャヴ状態。
ヒロインの女優は夢の遊眠社の看板女優竹下明子嬢に見えてきてしょうがないし、、役者の演技もかつてのテント、本多劇場、スズナリなどでさんざん観てきたものとさほど変わりがないし。。申しわけないが、懐かしさはあるが目新しさが無い。
ま、今の若者には目新しいのかもしれないけど。そうゆう意味ではアングラ路線健在ということなのでしょうか?

ま、数年前、本家の唐組を観た時には、役者陣の年齢が劇の内容に伴っていなくて(年をとってしまったので)、、ちょっと戸惑ったのを思い出しますので、これからは若手劇団に上演してもらうのも一つのやり方かも。

唐作品なので、そこそこ満足と充実感は味わえたのですが、、、若い人には若さゆえの冒険と無茶をしてもらいたいものです。

雨の中でのスリリングな演出(トタン屋根状態の舞台が雨で大変滑りやすくなっていて、舞台上ではスッテンコロリンが多発しておりました。演出意図だそうですが。)も、役者様方のことを考えたら、私は賛成は出来ません。
一回限りのお祭り公演では無く、役者は一生の仕事ですから。身体は大事にしてもらいたいものです。

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(休憩時間中に主催者自らが配ってくれていた 「秘密の花園」せんべい!)

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2007年7月23日 (月)

The Bee

Japanarts314x333dramareviewsummer06bee 週末、野田秀樹作/演出/出演の怪・快作「The Bee」の英語版ー3人の英国人と野田による英語での上演ーを観る。 昨年、ロンドン、ソーホーシアターで初演の際にも現地で3回(なぜか毎日通ってしまい、観客の反応の良さに嬉し誇らしい、体験をしたのです)観てきての今回は約一年ぶりの再観。 ソーホーシアターと今回の(世田谷)シアタートラム劇場のスケールがほぼ同様で、劇自体は殆どの部分で変わりなく、、、もちろん回を重ねている分だけ、ますます役者同士のチームワークは良くなっておりました。 このところ、英国へ行って芝居を観る度に感じることなのですが、やはり英国の役者は上手い!!!! つまるところ、そこが最大の両国間の演劇界の違いなんじゃないかと思います。 もちのもちろんで、日本にも天才級の役者はいますー例えば、今回のThe Beeでも野田秀樹の演技は4人の中で遜色どころか、傑出しておりましたしーが、プロと自他ともに言える役者の数で言うと、、演劇土壌が違うなーと感じざる得ません。 前回、ロンドンでインタビューをした際にも野田氏自身語っておりましたが、「演劇」の社会的認知度、社会的地位に歴然とした温度差があるのです。 野田氏は「例えば、ロンドンのタクシーで、、役者やってます、なんて言うと、、へー、良い仕事に就いていて羨ましいよ、がんばってよ。なんて明るい返事が戻ってくるけど、、これが東京だと、、`え?役者??大変だねー’って、まず、同情されちゃうからね。」と具体例を挙げてくれていましたが、、日本で言うところの役者って、テレビドラマに出ている人、だから。ね。 先日の「ラスト・ラフ(英語版三谷幸喜の「笑の大学」)」の中でも、一度も劇場へ足を踏み入れた事の無い検閲官の方がかなりの変人という描かれ方をしていましたから、、これが日本だったら劇場へ行く人の方が変人になっちゃうから、、その違いでしょう。 そんな二国間の社会的背景の違い、そしてやはり国民性の違い(観客はそれぞれの国の市民ですので)を考え合わせながら、これらの両バージョン(日本語版と英語版)を見比べると大変面白いです。 The Beeなんかは、何と言っても日本人エリートサラリーマンの内に秘めた狂気をカリカチュア(漫画化)させた作品なので、野田がサラリーマンを演じた日本版の方がリアリティーがありましたよね。 英語版はやっぱり、かなりデフォルメした(妻を演じた野田もデフォルメされてましたし)おかしさが前面に出ておりました。 余談ですが、、両バージョンに「ロンドン、ロンドン、、楽しいロンドン、愉快なロンドン、、ロンドン、ロンドン」と超マイナーなお遊びを入れてくれていた野田さんのお茶目さが、好きです。

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2007年7月22日 (日)

You are Here

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18日(夜)、先週に引き続き、カナダ現代演劇際参加作品の一つ、「You are Here」を観る。

カナダって、20年以上前にトランジットの時飛行機の遅れのアクシデントによりにちょっとだけ滞在(一晩)しただけで、あとは全く未知の国です。イアン・マクレガーが一年間かけてのプロジェクトでバイクで大陸横断という企画をやっていたDVDで最終目的地ニューヨーク到着前にカナダの大自然を走行していたけど、その前に中央アジアの過酷な土地をやっとのことで制覇した後の映像だったので、なんだかやけに奇麗で、しかしながらさらっとした印象の所でした。後は、本当に時たまやってくるカナダ演劇からお国を知るくらいでしょうか。
カナダ人という人たちにも、なぜだかあまり縁が無いなー? なぜだろう。

で、お芝居ですが、新進気鋭、カナダで今一番の注目株作家の作品とのことだったのですが、うーーーん、今一つピンと来なかったです。
テレビシリーズ「フレンズ」ー実のところあまり観てないけど、たまに飛行機の機内番組で覗いたりしたところの感想でーの笑いを取り除いて、凝縮させたかんじですかね。
上昇志向の若いジャーナリスト、アリスンの人生、学生時代から結婚、そしてその後までを描いているのですが、私どうも女性の描き方にはうるさくなってしまうのですが、、この主人公がかなりおバカな女で魅力が無い。
おバカなジャーナリスト女の日記というとブリジット・ジョーンズを思い出しますが、何と言っても彼女は愛すべき魅力に溢れていたのですが、どうもこのアリスンの方には、彼女の人生につきあう程の魅力が感じられないのです。
同級生の女の子を一方的に妬んでーそれも逆恨みーみたり、著名人のインタビューでもくだらない質問をしたり、、夫との関係も(少なくとも舞台上では)表面的だし、、。
ま、少なからず、翻訳劇というハンディがかなり影響している事も関係しているのでしょうが、ーおそらく英語で聞いた方が台詞のジョークとかがもっと伝わってきそうな気がしますーどうも舞台上の出来事が空々しく響いてしまう、、どこかで既に観たようなお決まりのストーリーに見えてしまったのが、残念です。

あと、一つとても重要な事、、出演俳優の一人の演技がひどすぎて、、彼の演技で舞台全体のレベルを一気に下げていた事は否めません。ひどかったら、変えてね。プロなんだから。

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2007年7月18日 (水)

三菱東京UFJ

本日、銀行窓口で手続きをしてもらう件があり、出先の東京駅付近で銀行を探したのですが、なにせ慣れないものには丸の内は大変分かりにくい。巨大ビル群が邪魔をして、どこに何があるのかさっぱり分からんのです。下手に動いてどっか別の方向をうろつくのもムダなので、ATMを見つけ、その中にあったテレビ電話による問い合わせというブースに入って、近くの銀行を教えてもらいました。
すると一番近いところが、隣駅の大手町という事だったので、わざわざ地下鉄に乗り一駅、教えられた場所まで行ってみると、、なんと「お客様は旧東京三菱系のカードなので、こちら(UFJ系支店)ではお取り扱い出来ません。恐れ入りますが、近くのXXX支店で行なって下さい。」ですと。
はーーーーん???
ま、違うインフォメーションをくれたテレビ画面のお姉さんも何だけど、あんたらの都合で勝手に合併しておいて、もとの銀行によって、それぞれにそのもと系の支店でなければ手続きが出来ないとは、、何事なんですか??

まったくもって、何の為だかわからない手数料は毎回取るし(ちなみに英国では他銀行の処理でも手数料なんてとられませんし、キャッシュポイントも24時間が当たり前)、銀行の都合でますますいろいろな手続きがややこしくなるし。。
ミッキーのカップも手帳もいらんから、サービス向上してちょ。

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夏の夜の夢(グローブ座)

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演出家/俳優の、山崎清介が95年から続けている「子供のためのシェイクスピア」シリーズ最新作、「夏の夜の夢」を新大久保グローブ座にて観劇。

それにしても、なんでパナソニックは東京グローブ座を新大久保に建てたんでしょうかね?ま、土地が安かったんでしょうけど、いくら新宿の隣の駅とは言え、、あまりにもアートとは縁遠い環境ですよね。
ま、ロンドンのグローブ座も今でこそトレンディな場所となりましたが、建てられた当初は回りに何も無い、あまり人が行った事が無いようなテムズ南岸の未開の地でしたよ、、確かに。。が、都市計画が既にそのころから練られていたのかどうか、、今やとにかく便利でおしゃれな場所の真ん中になりましたからね。
東京グローブ座に関して言えば、その流れの逆行だったのでしょうか?
劇場でも出来れば、街もおしゃれな感じになり、人も集まると思ったのでしょうがーこの目論みとは全く別のところで昨今韓流ブームで確かに人は増えてますがーま、バブルと一緒にその青写真も消えてしまいましたね。
と、なんでこんな事をグタグタと言っているかと言うと、今回グローブ座で芝居を観て、やっぱりグローブ座ではシェイクスピア劇を中心に演じて欲しいなと切に思ったからでありました。
ジャニーズでも良いけど、、それだったら名前変えて欲しいよね。

で、肝心のお芝居の方ですが、長く続いている人気シリーズという事もあり、危なげのない内容でした。「子供のためのシェイクスピア」シリーズとしての恒例演出法が何点かあり、ー例えば、出演者たちが一人で何役かを兼ねる、また、たまには黒いコートと帽子を身にまとい誰という訳でもなく演出効果の一部としても舞台に出てくる、その際に一定のリズムで刻む手拍子が場面転換のきっかけとなったりする、そして今日の時事ネタ、お笑いなどをふんだんに取り入れてオリジナルな台詞で演じるーなどなど、手慣れた手法で最初から最後までまとまったトーンでもって芝居をまとめあげておりました。
細かい笑わせネタ(コメディなので特に)が日常の日本に直結し、またそれがかなり素直な笑いであると同時にきちんと日本語でシェイクスピアの十八番、言葉遊びなども積極的に取り入れていました。
レギューラー陣の役者たち、山崎清介、福井貴一、伊沢磨紀らが余裕をもって舞台を引き締める中、ボトム役の山口雅義の健闘が光っていました。

シェイクスピアのアダプテーション、いくら原作が素晴らしいからと言って、いやそれだからこそ失敗作も多々あるのですが、、このシリーズはある一つの日本バージョンへの変換の仕方を確立していてお見事です。

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2007年7月16日 (月)

ラスト・ラフ in Tokyo

三谷幸喜の「笑いの大学」英国版、「The Last Laugh」を再度、東京パルコ劇場にて観劇する。

大阪公演から1週間が経ち、舞台は進化を遂げておりました。

最初から笑いを意識して、言葉よりもジェスチャーをさらに加味して、笑いが伝わりやすくしてあり、とにかくテンポが数段良くなってました。

外国人観客もかなり混ざっているせいか、ほとんどのオチどころでドット笑いが。必然的に役者二人にも自信が漲り、かなりノリノリで最後まで突っ走ってました。

上演後のポストパフォーマンストークでは三谷氏がホストを務め、終始大爆笑の日英ジョーク合戦を展開。

大満足。

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ヘレンの首飾り

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カナダ現代演劇祭の一演目、流山児事務所による「ヘレンの首飾り」を12日(夜)に観る。

カナダの若手女流作家キャロル・フレシェットによる作品は昨年の11月にも日本で一度上演されている。
今回は流山児事務所の若手役者が総出で主人公ヘレナを取り囲む異国の人々/アラブの民衆を演じ分けている。
劇はところどころにメタファーが散りばめられ、詩的な表現でさらにその喩えをそれぞれが読み取っていくような構造になっている。
現在に生きる、立場がまったく違う人々がそれぞれに抱える、不安、絶望、そして希望などがパズルのように提示され、最後は希望を持たなくては明日は来ないというような方向で締めくくられている佳作。

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人間♥失格

演劇界の大いなる期待をその細い肩と甘いマスク一身に背負った三浦大輔氏率いるポツドールの新作、「人間♥失格」を11日(夜)観劇する。
この舞台の関連で先日、三浦氏へインタビューをしたこともあり、(www.japantimes.co.jp)内容を事前に若干、知っていたのだが、実際劇を全部通して観ると(当然のことながら)、劇の持つメッセージがくっきりと浮かび上がってきて、観る前には「なぜ太宰の人間失格なの??」と思っていた謎も一気に解決。

はっきり言って、これ2007年、日本での人間失格でして、、シェイクスピア劇などでも現代に読み解いての演出なども多く行なわれておりますが、、、それを、今やタイトルとそのイメージだけがかなり先行している、それもちょっとブランド的な凝り固まったイメージだけが先行している太宰治の代表作を見事にわれわれの目の前へ焼き直して見せてくれております。

プー太郎、それも友人が紹介してくれたバイトもうやむやに辞めてしまい、母親から騙し騙し金をくすねている20代の男が主人公。ある日、いつものように無気力にテレビを眺めていた主人公/イサムは振り込め詐欺、そしてその詐欺の男の女も絡んださらなる詐欺に二重に騙されてしまう。電話から一方的に要求される事柄に「すみません。。。」と謝り続けながら、ただただ従ってお金を払い続けてしまうイサム。
途中、出会い系サイトで知り合った女の子に自らを説明する際に「そんなに、カッコワルい方では無いです。まあまあイケてるって言われます。」と説明するぐらいのイケメン、ヤサ男君ではある。
さんざんの災難にめげて、前カノに電話をして「ボクなんて死んじゃった方が良いんだよね。。」なんてぐちぐちメソメソしてみたり、、悪い人では決して無いのですが、まさにその彼女いわくの中途半端な失格君なのです。

最後、三浦氏は従来の人間失格へ21世紀の現実を絡め、心底「人間として失格」な人々の一面を見せるシーンを導入。

太宰の失格というのは、やはり愛すべき失格君であるというメッセージが込められていた。

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2007年7月11日 (水)

ボルベール(帰郷)

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スペインの鬼才、ペドロ・アルモドバル監督の最新作映画、ペネロペ・クルス主演の「ボルベール」を見てきたところです。

今回もアルモドバル節全開で、とにかく中身が濃かった!素晴らしかったっす。

人間の負の部分にまつわるエピソードー小さな村社会での閉鎖性、今だ色濃く残る男性優勢の社会現状とそれにくっついてくる幼女レイプの深い傷跡、ーが次々と出てくるなかで、それを現実として受け止め寛大なる裁量とその後に唱えられる人間、とくに女性讃歌にはあっぱれとしか言いようがありません。

すねに傷持つ、弱い立場の女(人間)たちが生き抜いていくには、手と手をとりあい一生懸命その日を生き抜くしかないんだ、、という本音が、高らかなひまわりのような笑い声とともに聞こえてきそうな力みなぎる映画です。

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東京タワー 舞台

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「東京タワー」の舞台を観る。

大ベストセラー小説からの波及で、映画、テレビドラマと次々と形を変え創作対象となってきた話の舞台化。

テレビも見たし、本も読んだし、、いまさら舞台で観たところで話が分かっているので、、結構です、なんて言っている声が聞こえてきそうですが、いえいえ侮ってはいけません。

同じような現象の中、舞台化された「電車男」が驚きの出来だったのと同じことが今回も起こっておりました。

語り口調スタイル、小さいころからつい最近までの年月だっていったい舞台でどのように表現するのか、、実のところ観るまでは疑心暗鬼だったのですが、これが実に上手く、楽しく工夫されておりました。

話自体が浸透しているという利点も巧みに利用し、舞台ならではー生身の人間が目の前で演ずるーという良いところを引き出しておりました。写実手法ではない、いろいろな演出ー幼少時代の主人公はかなりデフォルメされた人形で登場する、そして一人暮らしで飼っていたペットのうさぎちゃんも人が着ぐるみを着て演じる、また主人公の下宿部屋が左右に割れて一瞬にして故郷の九州の炭鉱町へと変身するなどなど、まさにお芝居ならではの想像の楽しみに溢れておりました。

キャストもそれぞれが等身大のキャラクター(テレビドラマも良かったー得に倍賞美津子のオカンは好きだったのですが、、全体的にかなりおしゃれなかっこ良い人々のドラマになっていたと感じたのですが)を、ダメンズだけど憎めない、愛すべき人々を好演しておりました。

本を読んだときにも感じたのですが、一言、、「あの頃って良い時代だったよね!」って、、あーーおばさん臭い発言で失礼。。もう二度と言いませんので一度だけ許してください。

「みんなくだらない見栄なんてなくて、素朴で貧乏で、、あの頃の日本は良かったよね。」

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2007年7月 9日 (月)

The Last Laugh

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東京公演へ向けて一足早く開幕した「The Last Laugh」の大阪公演を観る。

三谷幸喜の代表作、「笑いの大学」の英国版ということで、どのように細部が変更されているのか?と思って観ていたら、、、びっくり。シチュエーション、ところどころのジョーク、芝居の流れなどは一緒でしたが、何と言っても幹の部分が`違う’芝居になってました。

戦争前、政府(お上)による締めつけがどんどん厳しくなる中、立場の全く異なる人間がそれぞれの立場上の事情からある一本の喜劇芝居の台本をめぐって攻防を繰り広げるというのが「笑いの大学」の幹で、そんな中、体制に従わざるを得ない小市民の立場は共通していて、日を重ねるごとに二人は根本のところでの意思疎通を果たし、次世代の演劇人へ望みを託すわけですが、英国版では立場上の違いというよりはそれぞれの個人の人生観の違いからぶつかり合います。

それぞれ、まったく違う種類・また年代の二人が日を追うごとに相手の言うことを聞き入れ、まったく相容れないと思っていた相手の意見を尊重していくようになり、最終的には個々の人生に大きな変化をおよぼすというのがラスト・ラフの筋書きです。

どうにもならない力(絶対的な体制)という壁は戦時下ではどちらの国にも存在するのでしょうが、それを個人ではいかんともせんと読むのか、それとも個人でも何か抵抗することはできるはずと読むのか、、、それぞれのお国事情が反映していて見比べると面白さ倍増です。

うーーーむ、それにつけても面白い!!

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2007年7月 7日 (土)

舞妓Haaaan!!

ご存知大ヒット上映中映画、「舞妓Haaaan」を観てきました。

阿部サダヲ大宣伝映画でして、サダヲキャラーバカがつくほどアツい、そして我が道を行く天然天才キャラーをいかに見せ続けるか、そしてこんな人が今の世の中GOOOODという映画でした。
そんな意味で、そのキャラをアップテンポで紹介し続ける、前半部分が秀逸。

やっぱり、映画なのでオチやら、意味付けなんかも必要?!という感じでストーリーの意味付けをした後半部はちょっとスロ−ダウンな感じでした。

それにしても、サダヲはすごい!!!あの猫目におかっぱ、(意外に)白ムチなボディーがスクリーンせましとぶっ飛び続けるテンションに拍手。

ラストクライマックスシーンのお姉様方の奇麗さにため息。。。でございました。

ごちそうさま。

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2007年7月 6日 (金)

おばあちゃんのお散歩

先日、池袋デパ地下でお買い物をしていたら、夕食前で大混雑の食品売り場でちょっと??な光景を目にしました。
かなりお年のいったおばあちゃんが20歳そこそこの店員さんに話しかけているのですが、どうも完全に話はかみあっていない様子。
店員さんにしてみれば、商品に関する質問か、クレームか、、と思って話し始めたようなのですが、どうもおばあちゃんは全く関係の無い、ご自分ワールドの話をしていたようで、、しばらくはその話につきあっていたようなのですが、さすがにどうやって終わらせたら良いのか、、ちょっと困惑状態でした。
気持ちの優しい店員さんだったから、まあまあ良かったのですが、都会暮らしのお年寄りって、やっぱり同年代のお友達付き合いとか、近所のつきあいも減った今、世間話をする相手ってなかなかいないのかな〜なんて、ふと考えてしまいました。
テレビも今や、若者向けバラエティーのオンパレードだし、大家族でのみんな揃っての食卓も今や壊滅状態だし、、家にいてもあまり話す機会とかが無いのかな?なんて。

そんな時、人って本当に進化しているのかな?人の暮らしって向上しているのかなーーー、なんて疑問に思ってしまいます。
やっぱり、隠居したらどっかヨーロッパの田舎で、旦那と畑でもやりながら、夜はワイン片手に語り合いながら暮らすなんて、、、ちょっと出来過ぎだけど、大きなテレビもいらないし、iPodもいらないから、、そんな将来を目指したいものです。

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2007年7月 2日 (月)

船上のピクニック−続き

先日、レポートした高齢者劇団による「船上のピクニック」の楽日を再度観に行く。

終演後、客席からは偽りや飾りでは決してない、心からの惜しみない拍手が続いていた。
(ここしばらく、(小劇場以外で)プロの舞台でこんな熱い拍手を聞いた事なかったなーと、ちょっと感慨にふける。)

実際、私の隣に座っていた壮齢の男性などは手が腫れるのではと思われる程の大喝采。後で話を聞いてみると、ご自身でも趣味で演劇をやっているとのことでしたが、どんどん劇に引き込まれ、最後のシーンでは何とも言えぬ感動に包まれたとの事。
俳優達それぞれに存在感があり、目が離せなかったとの感想も聞かせてくれた。
反対側に座っていた20歳代の女性ーこちらは俳優養成所の女優さんとのことーも、この劇団を初めて観たが、その存在感に驚かされた。劇にリアリティーを感じると語っていた。

これらのアトランダムな意見を聞いただけでも分かるように、楽日(7/1)の埼玉芸術劇場では、芝居ならではのマジック・大イリュージョンが起きていた。

数日前に観た劇と内容はもちろん変わらず、トチリの数も若干少ないぐらいだったのだが、、なんだかチームの一体感、それぞれの役者の気の入りようが違っていた。プロ成り立ての役者たちから出てくる台詞にー話を聞いた観客が言っていたようにー確固たるリアリズムを感じたのです。
これって、それぞれの役者達が役をきちんと消化し、演じきった、って事ですよね。

最近、多発しているプロのタレントを集めてのそこそこの出来の舞台。本当に上手い事やっていると思われているかもしれませんが、、客を侮ってはいけない、と本当に思います。
長い目で見て、演劇界の為になっているのかどうか?

一度、埼玉の劇場へ芝居のづくりの原点を観に来ては??と問いかけたくなりましたです。


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