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2007年6月

2007年6月30日 (土)

国盗人

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2日続けて、三軒茶屋通いとなった今日は世田谷パブリックシアターで当劇場の芸術監督でもある野村萬斎氏監修・演出によるシェイクスピアの歴史劇であり悪の権化の代名詞「リチアード三世」の狂言版「国盗人」を観る。

舞台上には能舞台を思わせる木造の高床式舞台。
幕が開くと、客席後方から全身白の衣装に身を包んだ白石加代子が白いパラソルをさして登場。人気の無いその木造舞台へと歩み寄る。前方の階段から舞台へと上がると舞台上の何かを拾い上げる。。それは何時か忘れ去られ放置された能面だった。。。そして、そこからがリチャード三世ー悪三郎(萬斎)の権力強奪物語へと入って行く。

劇前半、赤薔薇、白薔薇両家の対立、悪三郎の策略の過程など、劇の中心筋話が次々とエピソードによって紹介されていく。コシノジュンコによるデコラティブな衣装と新劇調と狂言調、それに数々の日本語による掛詞(いわゆるシェイクスピアお得意のダブルミーニング)が重なり、ちょっと情報過多でまとまりが無い印象。

それが、先王の王子の登場から第二幕にかけ、悪三郎の人物描写ーなぜ彼がこれほどまでに王座にこだわるのか、彼の根底にある人間不信とは??ーに焦点が絞られてくると、俄然芝居が締まってきて、舞台に吸引力が出てくる。

特に、狂言役者が舞台を占める場面などでは、シェイクスピアの悲劇に狂言の世界観(達観した人間観察)が加わり、喜劇(狂言)として解釈する今回の舞台の本義が浮かび上がってくる。

ハーモニーという意味でも、またこの舞台をより特別な物にするという目的からも、さらにもっともっと極力狂言サイドへ舞台を持って行っても良いのではないかという感想を持つ。

前回の「間違いの狂言」で見せたように、シェイクスピア劇のエッセンスのみを取り出し、それをミニマムな方法論で、さらには狂言が持つ観念性をブレンドし、新しい作品を作るという方向へ、さらなる思い切った削り落としと研磨を期待する。

二幕、最後のリッチモンド(理智門)、と悪三郎(リチャード三世)の対比場面は秀逸。

萬斎氏がパンフレットで話しているように、多くの言葉によってでは無く、狂言の型による表現でシェイクスピアの世界を表現することは可能(実際、間違いの狂言で実現している訳であるし)であると思うので、ぜひぜひ、、この作品もレパートリーとしてさらに再演を続けて欲しい。

最後に一つ、、舞台に主役は一人(悪三郎のみ)で良いのでは??女の主人公を同じボリュームで扱うと焦点がボケて窮屈になるのでは???

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The Bee

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世田谷パブリックシアターで野田秀樹作(共作)、演出の舞台「The Bee」、日本人バージョンを観る。

もともとこの舞台、英国上演用に作られたもので、実際昨年の6月にはロンドンのソーホーシアターにて上演されたものを現地で私も観ている。

今回はその英国上演からの発展系として、大成功のロンドンバージョンの逆輸入、そしてそれを今回は日本人俳優へ置き換えての新バージョンとして上演の2本立て企画。
日本では告知を出せばチケットは完売という、野田秀樹がらみの演目だけにこの企画が早々に実現するのも自然な成り行きと言えばそうなのだが、その商業的目的に付随してくる学術的成果のおまけには、これからの宿題テーマを突きつけられたような大きな課題が秘められていた。

そもそも、日本の(すばらしい)演劇が西洋/ロンドンではたまにコケたりしちゃうのは、なぜなの??というのが私がイギリスでM.A取得の際に書いた論文のテーマ。
それを考えたいという理由のみでそのコースを取得したと言っても過言ではないほど、私にとっては永遠のテーマとなっているのすが、、その答えを探るヒントがわんさかつまっているのが、野田さんの舞台であり、活動なのです。

1時間ばかりの非常に凝縮された今回の舞台。
その比較を検証するにもうってつけの長さなのですが、、これがこれが、またもや思いもよらぬ結果を生み出しているのです。

舞台セット、演出方法はそれぞれに変えてあるものの、基本線はほぼ同じ。
シンプルな装置で、主要な部分で使用される音楽も同じ、俳優達の立ち位置などもほぼ似通ったように出来上がっております。
が、が、そんなに似通った舞台なのに、出来上がったものが、これがまた随分と違っているのです。

野田氏が各マスコミで話しているように、登場人物のジェンダーを英国版では入れ替え、日本版では元に戻して女が女を演じ、男が男役を、、となっている。さらには確かに日本チームの十八番で映像を効果的に使用、またダンサーの近藤良平の加入により、踊りの部分もちょこっと挿入。などが主な舞台上の違い、それプラス、もちろん英語の台詞が日本語になってはいるのですが、、
基本的には同じ芝居なのに、方やナンセンス風刺コメディー(英国版)、方やメッセージを内包した不条理劇(日本版)、、とは如何に??!!

そんな、落語のお題のような謎について考えていて、、最大の違いを見落としていました。

それは、、何と言っても上演している場所が日本で観ている観客が日本人だという事です。
観客が介在して初めて芝居は完結するもの、その大きな要素である観客が違うのですから、結果も違ってきて当たり前と言う事に成ってくるのですね。。妙に納得。

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2007年6月28日 (木)

船上のピクニック

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埼玉ゴールドシアター(蜷川氏が55歳以上の人たちを公募で集めた劇団)の取材が続いています。

それにしても、取材の度に蜷川氏がコメントしていた、この劇団の存在自体がある種日本の縮図として十分に世の中に観せる価値のあるものとなっているんだ、ということ、、舞台を観て実感します。
ピュアな姿勢で取り組む、団員達の姿、その出来上がった作品からは自然とその存在意義、また高齢化社会という今まさに日本国民が一番感心のある現象の問題提議がぞろぞろと吹き出て来ています。

まさに、これは演劇界、いや日本社会の文化的事件です。

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2007年6月26日 (火)

あるスキャンダルの覚え書き

怪女優ジュディ・デンチとやはり実力派美人女優 ケイト・ブランシェットの競演作。

実話をもとにした作品とのことで、その一見異常に思える女性教師が起こしたスキャンダル事件ー15歳の自分の教え子と関係を持ってしまう、既婚の美術教師ーもこの映画を通してみると、単に異常の一言では計り知れない、それぞれの現代社における悩みと実際にこのスキャンダルが起きてしまった時代背景がくっきりと浮かび上がってくる。
スキャンダルを起こした美人女性教師へ恋慕の情を抱く(うーん、レズビアンみたいな完全な性的感情と言うよりはやはり、孤独からくる強度の依存症のような慕う感情)ベテラン女教師の語り(映画ではその語りは日記として記されていくのを独白として見せている)により、英国特有のクラスシステムの違いから読み取ったり、今の荒廃した公立学校の実情から解明したり、、美人教師が過ごした70〜80年代の青春期の英国事情から読み取ったり、、と一つの事件は偶然に突発的に起こったのでは無い事を丁寧に知らしめてくれる。

人間の孤独となかなか満たされない`愛’というものへ対する人の強欲さ、、を描きだした秀作。

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2007年6月22日 (金)

三人吉三

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渋谷文化村にて、恒例のコクーン歌舞伎を観る。
2001年に上演された「三人吉三」の再演。私は初見。

コクーン歌舞伎お決まりの劇場前方、椅子をとっぱらって平土間席へと変貌させての公演。
勝手も心得た第八回公演なので、幕開けから観客とのからみが多くー役者が客席側から登場し、土間の客席を縦横無尽に歩き回り客いじりをしながら多いに笑わせて舞台へと上がる。また舞台からも客席へ語りかけたりもする。ーまた、内輪ネタ、例えば先日の中村勘三郎、申告漏れ課税騒動をすぐさまジョークに取り入れ笑いのネタにしてしまったり、盟友野田秀樹の公演宣伝をチラリと挟んだり、、と役者陣、やはり特に中村勘三郎が余裕で3時間半の舞台を牽引する。
まさにあっぱれなお芝居。

それに加え、円熟味を帯びて今が旬の旬の豪華レギュラー役者陣、中村橋之助、福助、勘太郎、七之助、亀蔵らがこれまたそれぞれの持ち味を活かし、そしてサービス精神満載で舞台を務める。

それに加え、串田和美の見応え十二分の美的でハッと驚く演出が光りに光って、、文句のつけようが無い。

カブク、遊び心満載のまさにお客様の為の大エンターテイメント。
これだから、歌舞伎ファンは根強いのねーとその人気の秘密がうかがわれ、納得。

様々なエンターテイメント演劇を目指す方々、、単に上質のエンターテイメントと一言で言ってしまったところで、それを実現するのにはこれだけの役者陣とスタッフを要する。。ローマは一日にして成らず、、の良いお見本でございました。


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2007年6月20日 (水)

氷屋来たる/少女とガソリン

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時々、たまたま何も考えずにブッキングしたマチネ、ソワレ2本の芝居に妙に共通点があったりして驚きます。
ま、バランスを考えて、身比べことも一つの興としてスケジュールすることもあり、また英国RSCでのマクベスとマクベット(イヨネスコ版マクベス)のように、主催者側が見比べて下さいという意図のもと2本立てが成立するという非常に特異なケースもあるのですが、、、表題の2本の芝居、一日の中で2本観たわけではなく、日を置いてなのですが、この2本を続けてみて、奇妙な共通点に偶然を感じました。

まず、新国立劇場での「氷屋来たる」。4時間弱の大芝居。
現芸術監督である栗山民也氏の芸術監督就任期間の最後を飾る作品となりました。4度のピューリッツアー賞に輝く劇作家ユージン・オニールの後期代表作。
酒場に集まる人生の落伍者達−その中にはオニールの投影と思われる元革命闘争家の姿もー。そこへ彼らが待ち望む希望の星、セールスマンヒッキー(市村正親)が毎年の恒例のごとく現れる。が、彼の様子がいつもとは違う。いつもは一緒に飲んで、騒いで陽気に振る舞っていた姿が一変、、酒場で酔いつぶれている面々に現実逃避を辞めて、人生と向き合うように熱く説いてまわる。。なぜ彼は変わってしまったのか、、その訳は彼が起こした悲劇の事件にあった。。
と、もちろんこの他にもいろいろと伏線のストーリーが絡んで来たりと、、あるのですが、芝居の出来としては肩すかし。4時間過ぎて、額縁舞台を凝視していたという事実だけが残るような芝居でした。
失敗、もしくは冒険を恐れての守りに廻ったが為の空回りとでも言いましょうか、、栗山氏の最後の大舞台、そして主演市村氏の新国立初登場作品、、でユージン・オニールの怪作ということで、ついついいらぬ力が入ってしまったんでしょうか、、その結果、どうもこの作品を今の人々へみせるという原点がかすんでしまったような気がします。
現在の米国の状況ーモラルという大看板を掲げながら、実のところ最もモラルの欠けた政治、外交を繰り広げているというーをあざけ笑うようなシニカルな喜劇に仕上げて欲しかったものです。

で、翌日の阿佐ヶ谷スパイダーズの「少女とガソリン」。
こちらは、場所を日本の片田舎に移し、やはり場末の酒屋にたむろする、村の人々の場面から始まるのですが、、これが、その小さな酒屋で繰り広げられているとは思えない程の普遍的な問題を提議した、とてつもない壮大な芝居に、その舞台上の暴走スピードと一緒に展開していくのです。

この6月の段階で、今年のベスト3に既に挙げたくなるような、そんあ圧倒的な力を示した作品でした。

真実(まこと)という三流酒、どぶろくのようなにごり酒で早く安く酔うためだけの地酒を作り続けて来た村の酒蔵に関わる青年達。今はその酒蔵も地域再開発の為、都市部の建設会社へ売りに出され、観光客目当てのレジャーセンターへ生まれ変わろうとしていた。そんないきさつがおもしろくないその青年達はレジャーセンター開館セレモニーを阻止するべく、そのイベントに招待されているアイドル歌手、リポリン(下宮里穂子)を誘拐し、たまり場の居酒屋に軟禁する。反面、青年達がリポリンの歌う反体制、平等讃歌に心酔しているという側面もあり、軟禁されているはずのリポリンは徐々にその中でミューズとして反体制のシンボルへと祭り上げられていく。

前半部分、笑いとはちゃめちゃな暴走演出ー地酒(水)が飛び散り、暴言が響き渡るーで一気に突き進み、後半戦、徐々に隠された核心部分に触れていく。過剰な暴力でそのスピード感は衰える事無く最後の哀しみの現実の露呈場面までひっぱていく、、という長塚舞台、特にこの`暴走する男たち’シリーズ特有の流れは今回も健在。

差別、非差別という、そして物事の本音と建前という人間が持つ暗部をうまく露呈しながら、その告発だけにとどまらず、その差別を作り出しているのも実は一人ひとりの心の弱さ、人間と言うちっぽけな存在の実態なんだということまできちんと言及している、骨太の芝居。

近日の雑誌で主催、長塚氏が「このところ。ユルイ芝居が横行している。劇場にもっと緊張感と怪しさを。。」という動機から端を発したというこの芝居、まさにおっしゃる通りでございまして、わざわざ劇場まで足を運び、何時間も狭い空間に押し込められながら観るものの代償というのに、もっと観客側からも貪欲に要求しても良いのではないか?また、制作側ももっとリスクを負って、観客へ挑んでも良いのではないか、、という私自身の疑問にも大いに応えてくれる芝居でした。

申しわけないが、ロボットのように感動させられ、涙を流し、それでいながら一歩劇場を出たらもう忘れてしまうようなハリウッド的な芝居はもういらないです。
まあ、百歩譲って、たまにはハリウッドも必要でしょうが、それでも少しだけで良いです。
ハリウッドの衰退を見て下さい。。一般人の知性、感性をなめると、あんな飴色でデコレーションされたまがい物になっちまいますよ。

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2007年6月19日 (火)

かげろふ人

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演劇企画集団 THE ガジラ、結成20周年公演「かげろふ人」。

宣伝チラシには同劇団作品の常連役者さんたちが直立不動で並ぶ。芝居好きにはたまらない面々。
今回は記念公演と言う事もあり同劇団の出世作、89年初演の幕末時代劇、坂本龍馬暗殺の謎を追った「かげろふ人」の再演公演。
ベニサンピットの奥行きを活かした、島次郎の大板張りのシンプルな舞台が秀逸。

が、肝心の劇の方は、どうしても話の古さ平坦さが目について、、なぜ、今この話をやるのかが皆目理解出来ず。
記念公演ということで、役者の顔見せ公演に徹したのか、、それにしても、、それぞれに力のある役者さんたちなので、もちろん殺陣をやっても台詞を言っても、ものすごくかっこ良いのですが、アイドル公演じゃないんだから、それだけ見せてもらっても。。。という感じです。
89年当時は若い劇団という意味でも、上演の意味があったのだと思いますが、今更これを見せられても、龍馬暗殺秘話にしても、別段驚くような解釈がある訳でも無く、、、もったいないです。
前回の問題提示劇「セルロイド」の方がずーっと良かったです。

それにしても、幕末ものって多いですよね。確かに題材としてはかなり魅力的ではあるのでしょうが、それこそテレビの新撰組放送以降、、観客それぞれに、それなりの知識が常識として備わっているので、かなりの新解釈、新発見、読みが無いと、龍馬を出すだけでは、盛り上がりませんよ。

役者の中で、今回も大久保鷹氏へ目が、特に耳が釘付け。存在感ありますよねー。

あと、蛇足ですが、あのゲロ吐きシーン、正直言って、まったく不快です。あれだけで、席を立って退場したくなるかも。


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2007年6月18日 (月)

Mac.CM キャラクター

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現在流れているApple Mac.コンピューターのテレビCM。
シリーズもので、日本ではラーメンズの二人組が担当し、マック君をカジュアルでスマートな印象の小林君、PCをスーツ姿でちょっと鈍臭い印象で片桐君が演じています。

このCM,英国では全く同じスタイルで人気テレビコメディー番組「PEEP SHOW]の二人組、David Mitchell-PC役、と Robert Webb-Mac.役で放映中。街のあちらこちらにもこの二人の大きなアップル宣伝ポスターが貼られておりました。

まー、アップルさん目のつけどころがするどい。
テレビ大量流出の漫才コンビでは無く、舞台でカルト的人気を誇る二人組、ラーメンズの起用と言い、二人の独白調で綴る新しいスタイルのコメディー番組、若い世代で特に人気の高い、ピープショーの二人と言い、絶妙です。

ちなみに、ピープショーとは前述の性格が全く正反対の二人ー一人は会社勤めの小太りオタクで気に入った同僚の女の子にアタックを続けるがどうも上手く行かないマーク(David)とロックスターを夢見て、その日暮らしを続ける、、が妙に世渡りは上手くお調子者で女の子ともそこそこ上手くやっちゃうジェレミー(Robert)がフラットシェアーをしている日常をお互いに独白調で語っていく人気番組。
それぞれにカメラを頭に設置し、同じシーンを2度とりして、それぞれの目線からみた風景を独白に応じて写していくという手法をとり、妙な真実味をかもし出し、あ、こうゆうヤツいるいる、、的なおかしさから、人気を持続、シリーズを重ねている。

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2007年6月16日 (土)

ワンマンショー/ヒトガタ

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今注目の若手(劇作家・演出家)二人の芝居を続けて観る。

ワンマンショー/ 倉持裕 作・演出

シアタートラムの舞台には4重に重なり合った額縁の枠のような舞台セット。その現代美術作品のような枠組は可動式になっていて、場合によってはスライドし壁を作ったりする。
水野美紀、小島聖(足がバービー人形のようにきれい)と有名どころの美女も出演。
2003年初演、岸田戯曲賞受賞作品の再演。
芝居が終わったとたんに「不思議なお芝居だったね。」と後ろのカップルが話していたように、話は三組のカップルに関するエピソードがこまぎれに、そしてそれぞれの台詞に謎を多く残しながら、次々と紹介され展開していく。
三組はお互いに何らかの形で繋がっているのだがーお隣とか、兄弟とか、顧客とかの関係でーそれぞれが一番の身近なものに秘密と嘘を持っている。
最後には時系列も逆転して、全体の謎が解けたところで、幕という、、ミステリー調の心理劇。

確かに、最後で「なるほどね、そうかそういう事だったのねー。」という謎解きの満足感あり。ミステリー好きには向いているかも。
それぞれの登場人物が自分の世界で完結していて、身近な人、家族にも心の闇ー病みーを見せないところが、現代風と言えば現代風。その中で無職のお兄様だけが人間味があって救われる。

ヒトガタ/グリング

新宿、シアタートップス劇場へ足を踏み入れると、補助席が出ているほどの盛況ぶり(ちなみに補助席はワンマンショーでも出ていました。演劇界は新人を待ち望んでいるんですねー。)。その中に多くの演劇関係者、役者の顔を見つけるにつけ、咲作・演出 青木豪氏への注目度が高いことに気づかされます。

日本家屋の居間、それもごくごく普通のそして忠実に再現されたセットが。玄関へと続く襖とさらに奥の大きな客間へと続く襖で囲まれたその部屋には家の主人の仕事コーナー(人形の頭づくりの職人)とちゃぶ台、簡易冷蔵庫、今は使われていない子供用二段ベッドなどがある。
その日はその家の長老、おばあちゃんの通夜で、久しぶりに家族、親戚一同が集まっていた。
過去に起こった家族の不幸ー主人の妻は若くして他界、その後、次男坊が少年期に自殺しているーを堺にそれぞれ胸の奥に巣づいたわだかまりが原因で、劇前半、それぞれの関係はどんどんこじれ、悪化していく。
それが、途中、吃りでちょと知能指数の足りない長男の友人の登場をきっかけに、話が今度は思いがけない方向へと進んで行く。
友人は「自分は吃りで上手くしゃべれないため、誤解される事が多々ある。それゆえ、言葉選びには特に時間をかけ、気を使う。」と言う。時々すっとんきょうな事を言い出す、隣人の息子も周りの人からは愚か者扱いを受けている。その対局に、やたら口がうまく、その軽口で人を騙そうと試みては失敗する従兄弟夫婦なども配置されている。
一方、話の中心の家族内では、言葉に出して言わない(話す事には何も障害が無いにもかかわらず、その肝心な会話を避けて過ごしている)が為に、長年に渡る確執が今現在もその関係に影を落としているという状況がある。

友人の、それこそ一見ぶしつけとも聞き取れる、オープンな質問から、家族内の誤解の糸が解かれていく。

人間同士の関わり合い、特に親しい人々との関係という、現代に不足しがちな要素を、笑いを交えたエピソードとそれぞれの登場人物の細かい人物描写により、自然に見せて行く劇作の上手さが光る舞台。

言葉には現れない人間関係ー日本人特有のーを巧みに見せる、ウェルメイド劇。
日本演劇界の王道(岸田国士、井上ひさし、永井愛 系統)を受け継いで行く劇作家かも。

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2007年6月15日 (金)

イギリス日記

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今回のイギリス旅行からのスナップ。(上から順に)
*ロンドン、ソーホーで食べた関西風うどん屋「芸者」の掻き揚げ天のせうどん、9ポンド(¥2,000強)とちょっとお高めですが、味はバッチグー。スープまで全部完食。
*乗り換え地、韓国のインチョン空港で食べた北京冷麺。お酢の味がなんともさっぱり、おいしかったー。
*イギリス中西部、ロンドンに次いで二番目に大きな都市、バーミンガムのニューシンボル「なんとかブル(牡牛)」の像。バーミンガムは街のイメージチェンジを図り、きれいでおしゃれな街になってました。ショッピングモールも充実。
*ロンドン、テムズ河南岸の再開発地区。観光客のお目当て、ロンドンアイ(大観覧車)です。ちなみに私はまだ乗ったことはありません。。。
*同じく、南岸からの眺め。橋の向こうに見えるのが世界金融の中心地、ロンドンシティー街です。
*南岸に位置する、総合芸術施設の一画ナショナルシアター(国立劇場)前。この辺り一面にコンサートホール、ギャラリー、映画館、劇場などのアート施設が集結。平日でも人がいつも沢山いて、近年さらに充実してきた回りのカフェやレストラン、ショッピングエリアなどを気軽に利用しています。
*下の段の2枚はその総合施設あたりに最近出没した、ヒト型アートの方々。昔はコンクリートのむき出しビルで外観がちょっと淋しかったのですが、こんなおちゃめなアートが足され(夕方なんかだと、本当に人が立っているみたいでちょっとドキッとします)ますますこの一帯へお芝居を見に来るのが楽しくなりました。

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2007年6月14日 (木)

5月&6月の芝居、ダンス

すっかり、ブログを怠けていたら、5月、6月の観劇アップがまったくされておりませんでした。

遅ればせながら、星と一言で、、一言レビューです。

(国内編)

*5月13日ーコンドルズ/太陽にくちづけ007 トゥモロー・ネバー・ダイ
★★★
箸が転がってもおかしい少女の皆様は大変喜んでいた様子。が、大人はもうちょっとダンスが見たい。

*5月15日ー下周村/新国立劇場
★★★
日本(平田オリザ)と中国演劇サイド(李)とのコラボレーション舞台。新国立の余裕ある日程、予算からしても、、もうちょっと時間をかけてさらなる討論が必要かもという、未完成な感の残る舞台。

*5月16日 昼ー死のバリエーション/世田谷パブリックシアター
★★
舞台セットは独創的で秀逸。。だが、劇にはそれほどの緊張感は無く、緩慢な印象。

夜ー犬は鎖につなぐべからず/Nylon100℃
★★★★(★)
五つ星に近い四つ星。
これぞ、構成力、演出力。まったく中だるみを感じさせず、全編を笑いとナンセンスで突っ走った傑作。

*5月17日ーVSPES/アラン・プラテル舞踊団
★★★★
その独創性、メッセージ性、美的でクリエイティブなセット、そしてダンサー達の高水準のダンス。どれをとってもブラボーとしか言えません。

*5月18日ー薮原検校/シアターコクーン
★★★
あまりにも、高尚すぎて、美的すぎて、、逆に作品の自虐的な笑いと猥雑さがすっぽり抜けてしまったかも。

*5月19日ー血の婚礼/グローブ座
★★★
舞台セット、ヴィジュアルは秀逸。演出もシンプルながら力強い。が、主役が力の入りすぎ?

*5月24日ーバンビーノ2/東京芸術劇場

前作新宿三丁目でのバンビーノが小粒ながら秀作だっただけに残念。気負いすぎて、空回りで失敗。

*5月27日ーをどろベイビー!/大駱駝艦
★★★
いつもながら、独創的で、それでいて奇麗な舞台。かなり遊び部分多し。

(海外/英国編)

*5月30日 Macbett/ RSC -Swan Theatre(Stratfor-upon-Avon)
★★★
シェイクスピアのマクベスを不条理劇の師イヨネスコが改作したもの。冷戦時代、資本主義ーお金至上主義へ突き進んで行く一般人(企業戦士)を揶揄している。前半、不条理が不条理になっておらず、多少空回りするも、後半で巻き返し、最後はうまくまとめあげた。

*5月31日 King Lear / RSC-Courtyard Theatre (Stratford-upon-Avon)
Seagul/ RSC-Courtyard Theatre (Stratford-upon-Avon)
★★★★★

昼はリア王、そして夜は同じキャストでチェーホフの「かもめ」を上演。普段はこの2本を日替わりで上演している。が、本日は両作品のプレス日の為、続けて上演。
当初より、同時上演の意図で作られているため、セッッとは両作品で共有できる至ってシンプルなつきくり。役者総動員で見せる人間ドラマ2本だて。役者という芸術家のオソロシさ、(つまりはすごさ)を見せつけられた。アンビリーバボー!!!イアン・マッケランの好々爺ぶり、世離れしたすっとぼけ爺ぶりが秀逸。

6月1日 Macbeth / RSC -Swan Theatre (Stratford-upon-Avon)
★★

こちらも2本立て企画で、先日のMacbettと同じ役者がシェイクスピアのMacbethを演じている。
魔女たちが実はマクベスに幼子を殺された母親たちの亡霊で、恨みながらその復讐を果たすという筋書き。
その為、本来のマクベス自身の心の弱さからくる奢りと没落という肝心部分がすっかり抜けてしまった。皮のロングコートをなびかせて、の衣装は迫力あり。

6月3日 Dynamic Dance/ Birbingham Royal Ballet (Birmingham)
★★★

ロンドンのロイアルバレエよりも実験的な作品を積極的に上演し、また多くのツアー公演をこなすフットワークの軽さでも有名な兄弟カンパニー。
今回は同バレエ団団員の中から自発的に新作振り付け作品ーストラビンスキーの音楽を使用した小作品という共通テーマのもとーを募り、全8作品を上演。
日本人ダンサーの山本康介君の作品も2作品あり。さらには彼のポートレートがパンフレットの表紙を飾る。
同じテーマながら、それぞれに個性溢れる、全く趣きの違う作品を見比べる事が出来るのが一興。

6月5日 Landscape of Weapon/ National Theatre (London)
★★★★

ナショナルシアター、コッテスロー劇場(小劇場)にて上演中のジョー・ペンホールによる会話劇。
対面式の舞台中央にはテーブルといすぐらいのミニマムなセットが置かれたランウェイ花道のような廊下式舞台が。英国劇の真髄、ごくごく日常の親しい人々ん間で交わされる会話から成る、ディベート劇。
自分の純粋な知的好奇心から開発された武器が実際に実用化されることになったら、、それは、つまりは戦争殺戮に加担する事と同じ事なのか、、と自問する若い科学者とその兄。そこへ軍開発局の役人2人が当事者につめより追いつめる。個人の責任の重さを再認識させるー会社のために放射能漏れも隠しちゃう、どっかの国では成り立たない劇かも。

Nakamitsu/ The Gate Theatre (Lodnon)
★★★★

ロンドンでも最先端のアート発祥の場所、ノッテイングヒルゲートにある小劇場で、コンテンポラリー能を上演中との情報を現地演劇人より入手し、早速他の芝居をキャンセルし直行。
中国系英国人、ベンジャミン・ヨー氏による能作品「なかみつ」のアダプテーション作品。日本で上演したらブーイングがおきそうなほど前衛的な脚色と演出ー開幕前、舞台上ではスクールユニフォームに身を包んだモデルのような長身黒人俳優がランウェイ風の舞台上で挑発的な踊りで観客を迎え入れているー思わず笑いと、、そして感嘆がもれる。大胆不敵にして、おもしろい。付け焼き刃のごく一部のインテリ層向けの本格的、能舞台よりも、こちらの一般人向け漫画的アプローチの能舞台の方が英国人観客向けで、絶対ありでしょう!ヨー本人曰く、これは能と英国コンテンポラリー演劇のフュージョンであり、コンテンポラリー能舞台では無いとのこと、、納得。

6月6日  Cabaret/ The Lyric Theatre (West End/ London)
★★(★)2個半

オリヴィエ賞2冠に輝いた、ルーファス・ノリス演出によるリバイバルミュージカル「キャバレー」を観る。
さすがに、賞を取っただけあって、随所に演出術の妙が。特に視覚的に様々な工夫が凝らしてあり、その場面の移り変わりを観るだけでも楽しい。だが、今一つ、やはり映画の「キャバレー」の域まで達していないのは、役者陣のこじんまりまとまった演技のせいか?それとも、マチネという時間帯のせいなのか?
ラストシーンの早変わり演出は見事なインパクトを残している。

Fiddler on the Roof / The Savoy Theatre (West End/ London)
★★★★

珍しく、今日はウェストエンド、ミュージカルの2本立て。
ミュージカルの軸はやっぱり歌でしょう、というのを実感させてくれる舞台。とにかく、出演者全員の歌が絶品。
それゆえ、名曲もさらに光ると言うもの。さらには主役のエイドリアン・マストロシモーネの演技が素晴らしいので、これで作品としては鬼に金棒。

6月7日 Trance/ The Bush Theatre (Lodnon)
★★★(★)3個半

今月上演中の鴻上尚二原作「トランンス」の英語版、英国人俳優による上演舞台。
新作劇発掘の老舗として知られる、ロンドン西部ブッシュシアターにて1ヶ月の公演。実際、ドラマツルグがついて日本語版を鴻上氏立ち会いのもと徹底的に英国人向けに改作したという本作は、あくまでも実際の観客層をターゲットにしたもので、英国ジョークが満載、ナチュラルなイングリッシュに書き直された新しい「Trance」という舞台に成っていた。そのような作業に慣れている劇場だからこそ、細かいところまで留意し単なる海外からの輸入芝居で終わらせなかったことが成功の秘訣。3人の役者のうち、ゲイ役のRhashan Stoneが秀逸。


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人の変貌

http://japantimes.co.jp20070610
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本日は先日、記事を書いた作品を二本立てで観劇。

まず、お昼は新国立劇場にて、英国人演出家ジョン・ケアード演出による、オール日本人キャストの「夏の夜の夢」。
自身ですでに英国で上演したものをベースに今回、新日本人キャスト用に演出をし直したというもの。
インタビューした際に話していた、驚きに値する程の彼の演劇に対する確固たる真摯な姿勢が随所に見られる、力のこもったすばらしい舞台でした。 (www.japantimes.co.jp(John Cairdで検索)
絶対、この人シェイクスピアオタクでしょ、と思える(ま、イギリスの演劇人でシェイクスピアオタクで無い人の方が多いのかもしれませんが)ほどの、そのテキストの読みの深さが、まー、本当にこれが日本で日本語で見られるとは感謝です。
舞台セットー人を惑わす森が怪しげに、そして遊び心満載に表現されーも照明も、素晴らしかった。それに加え、話の丁寧な描き方、もちろんカットしている場面も一つも無いし、それにしても話自体が一つに良くまとまっていて、、、通常は宮廷と妖精の世界、そして村芝居が並行して紹介されることが多いのだが、この舞台では完全なる一体感を成していて、全ての謎が解けたような舞台だった。
役者陣もそれぞれが個性的で、何と言っても舞台上で楽しそうに演じているのが(オーベロン役の村井国夫さんなんて特に)印象的。パックのチョウ・ソンハははまり役。
ダンスの場面(広崎うらん:振り付け)も躍動的で、素晴らしく、、、何と言っても、最後のパックの口上シーン。舞台裏で素顔に戻った役者たちがそろって、観客へ話しかける演出、、台詞が心にしみました。

最近は「夏の夜の夢」の上演が本当に多いなー。本拠地RSCでもインド人俳優達による7言語の「夏の夜の夢」が大成功していたし。

それにしても、これぐらい丁寧に舞台を作れたら良いですよね。その為にも、新国立にはこのような舞台をどんどんやって欲しいものです。

で、夜は吉祥寺シアターで本谷有希子劇団の「ファイナルファンタジー スーパーノーフラット」。
2001年の好評舞台の再演、、ということですが、初演は見逃してます。
本谷さんにも先日話しを聞いて記事にしているのですが、(www.japantimes.co.jp)消え入りそうなか細い声、透き通るような白い肌、それなのに演劇、小説、ラジオ、エッセイ、、とスーパーマルチに活躍する彼女は今や演劇界の期待の星、それこそ久々のアイドルなのです。

閉園後の遊園地を買い取り、元カノの思いでに浸りながら、自殺未遂の悩める女の子たちを軟禁し、その子達に元カノ(既に死んでいる)と同じかっこをさせて第二の擬人元カノを作ろうと共同生活を続ける主人公(高橋一生演じる)。彼は現実は「汚い」と敬遠しながら、夢の世界に生き続けるニセ王子様だった。

傷ついた人たちが、現実の醜さ、ずるさ、などから目を背け、ファンタジーな遊園地でふわふわと優しいなれ合いに囲まれながらコミューンを作っている。が、ある日、やっぱり現実に向き合う日がやってくる。
その時に人はそれまでの止まったワンダーランドでの時間の針をすすめ、生身で生きて行かなくてはと決心するという話。


たまたま、2本立てで見たこの二つのお芝居、全く違う外見でいて、実のところ、、「人は変貌しながら生きて行く
」という事を言っている、、もちろん全く別のアプローチから、実は同じところにたどり着いている、お芝居でありました。
その意味でも、、やっぱり両作品とも名作でしょう。

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2007年6月13日 (水)

放埒の人

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燐光群の新作舞台『「放埒の人」はなぜ「花嫁の指輪」に改題されたか、あるいはなぜ私は引っ越しのさい沢野ひとしの本を見失ったか。」を観た。
まったくもって、掟破りの長いタイトルですが、、その上演チラシにあるように、現代の漂泊者である主人公が現代人へ問いかける、人間の不条理を描いた懐の大きい作品でありました。

60席強の客席の前には木造の段差舞台が、ほとんど何もない空間に劇団員総動員で代わる代わるに出て来ては、主人公の日常のエピソードをおかしみたっぷりに演じて行きます。
登場人物は主人公(沢野ひとし本人を連想させるイラストレーターで作家)とその家族、そして常に存在する愛人たち。愛の殉教師のごとく、気弱でごくごく平凡な主人公は次々と恋人を作っては、別れ、再会し、、と続けるのです。が、その会話の話しっぷり、内容からは別段すごく思い込みが激しいアーティスト気質、またはねちっこい後引きタイプなどの素養はまったく見られず、いたって普通の男の人。劇中内でなんでそんなにモテるのか、口説きの行程とかは別段紹介されないのですが、、いわゆる恋人が間断なくいる人って、こうゆうタイプの人かも、なんてことも思ってしまいました。
それにしても、坂手洋二氏の芝居づくりが上手い。
沢野氏の小説、エッセイ、その他印刷物資料などを集め一つの作品に仕上げたとのことですが、話の構成も良いし、クールでいて笑いのある演出も良かったです。
読み物だと、もっとドロドロしちゃったり、また空々しくなったりするのでしょうが、生身の人間が演じているーそれも同じ役を数人の役者が代わる代わる演じる手法ー舞台だと、なんだかその真ん中の主人公の人生が客観的に見れたりするもので、別に誰が傷ついているわけでもなし、、一夫一婦制自体、誰が決めたんでしょうねー、こうゆう恋愛関係もありなのかも、、なんて思ってしまうわけです。

あんまりにも四角四面の世の中は信用出来ませんよ、ホント。

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