2009年11月 7日 (土)

錦繍とあの人の世界(11/6)

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マチネに「錦繍」の再演を天王洲アイルで、夜はF/Tのサンプル「あの人の世界」を観劇。

一日の中で、こうも違う表現形態の芝居を観るというのも、また刺激的な体験。
エジンバラの演劇祭などでは、一日に何本もの芝居を見て回るので、それこそあらゆる種類のパフォーマンスを見続けることになるのだが、たいていが1時間ちょっとの長さのものばかりなのでそれはそれでショーケースをたくさんみているようなものなのだが、三時間ちょっとの芝居(錦繍)ともう1本となるとまさに芝居漬けの感あり。

まずは、宮本輝の傑作小説をイギリス人のベテラン演出家ジョン・ケアードが演出した「錦繍」ー07年初演に続いての再演ーから。

とってもシンプルな創りの舞台で、セットは背面横一面に貼られた金地の抽象画バックのみ、その前に演じるスペースがとられ、俳優達は自分が演ずる場面以外はその金地の画の陰で待機。それぞれに演じる時になると最小限のセットー簡素な椅子やテーブルのみーとともにそのスペースへ出て来て複数の(人によっては)役を演じるという演出。
さらにはその演技に関しても、話を伝えることに重きをおいて大仰に演じることをおさえ、時には朗読に近い形で演じられる。
原作本が書簡小説の形式をとっているため、動きよりも言葉が舞台の大半を占めるようになっている。

で、このシンプルさが計算尽くされた上、吟味を尽くされた上での最上の方法ということで選ばれた方法ということで、下手したら長々と小説の朗読を聞かされるような結果になってしまうところ、実に有意義にこれぞこの翻を活かす最高の方法、と思える職人技の演出という結果を生み出している。

余計なものを排除した結果、原作の良いところを余すところ無く伝え、さらには俳優が生身の身体で演じることにより、本を読んだ時には気づかなかった、思いがけない言葉の奥義にまで気づかせてくれる、演劇ならではの効果を出している。

実際、この本を読んだ時には一人一人が別の世界に生きる架空の聖人たちのようにも感じられたものだが、生身の人間が舞台で衣装をまとい演じると、その人の弱い面、短所などもより明らかに見えて来て、身近な話として感じられたように思う。
生きていることと死んでいることは同じこと。。。なんて謎めいた教訓も、もっと下世話な人の根源にあるひとつの生きる道しるべとしての言葉として響いてくるので、不思議。
(下手をしたら、先日観た五反田団の「生きてるものか」、もしくは後述するサンプルの「あの人の世界」と共通するものがこの一見神々しい芝居にあることが見えてくることさえある。)

やっぱり、ジョン・ケアードの底力、恐るべし。


で、夜は今演劇界で最も熱い、注目のあの人ー松井周ー作の「あの人の世界」、”世界初演”(本人、ポストパフォーマンスでこのフレーズには大いに苦笑しておりましたが。そりゃそうだわ。世界初演!!って、そりゃそうだけど、へへ。。てな話だよね)を観てきました。

いつもながら、考えることを止めない、疲れをみせないその追求心には感心する。
普通だったら、日常のドタバタや日々のマンネリから、あきらめてしまう人も多い中、とっても真摯に演劇の疑問を問い続けている人ですね。

一見、まとまりがなく、猥雑でちゃかしているように見える、その舞台から事の真実を見極めようと必死に出来る限りの手を伸ばす、そんな挑戦が感じ取られます。

しかしながら、ちょっとその虚構にある種の慣れというか、期待に応えようとする`用意された答え’みたいなものが感じられる箇所も。
思い切って、削って、スタート地点の疑問に立ち返ってもよいのかもしれない、と今後のこの芝居の変幻にさらに期待。

だって、昨今マスコミを虜にしている、あの三面記事事件「34歳の女」の話は限りなく情けなくも、かなりの説得力があるからね。

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2009年11月 6日 (金)

甘い丘

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久しぶりに怒鳴り声が“うるさい、”ガチャガチャとした活気のある芝居KAKUTAの「甘い丘」をシアタートラムで観る。

07年に上演し、好評を博した舞台の再演とあり、こなれた安定感あり。

中・大劇場でのエンタメ色の濃い舞台以外、小劇場での芝居では静寂や半音はずした笑いなど、静かでちょっとひねった芝居が多い昨今にあって、のっけからドヤドヤと人が出入りして、どつき合いの喧嘩あり、ストレートな下ねたバンバン(ま、中年の恋愛話なのでこれは不可欠)、ガハハと笑い、と思うと横からとび蹴り(このとび蹴りがきれいにきまっていた)が入り、自虐ネタ満載。。。。とつかこうへい芝居をちらっと彷彿させる、なんだか懐かしいウェルメイド演劇。

社会の底辺で生きる、ワケありな女たち。そんな彼女たちが踏みとどまる拠り所、、はやっぱり「愛」ーつまりは「男」で、次が「仲間」なんだ〜〜〜。ね〜〜〜。
とっても良く出来た翻なので、文句はまったくないのだが、個人的にはこのウェット感が。。この高温多湿なウェット感がイヤで海外脱出したもので、、、どうも。。
芝居に関しての文句ではないので、あしからず。

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2009年11月 5日 (木)

ろじ式(10/31)

維新派の「ろじ式」を再見。

今回は前回の時よりも低い段のひな壇にて観劇。そのせいか、800個の記憶の標本がおおいかぶさってくるような錯覚をおぼえるほど、今回の方が世界に入り込めた。
世界共通言語として維新派の舞台は世界で上演されていくんだろう。

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ファンタスマゴリア

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初見の劇団、少年社中の「ファンタスマゴリア」という芝居を高円寺の座で観る。

100年前のパリ万博の会場でシャーロックホームズと作者コナン・ドイルが時を超えた物語の謎に挑む。。。。


ほとんど、知らないアニメの世界とかコスプレの世界とかファンタジーとか、、日本ていろんな芝居が上演されているのね〜〜〜、と思わされた一日。

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過半数パワー (The Condors)

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コンドルズのライブを渋谷で観る。

ダンスではなくてバンドのライブです。

で、(すみません)初めて曲を聞いたのだが、これがめっちゃ好みでかっこよかった。で、べしゃりも良かったし、ソロも良かったし、みんなで最後に着ていたTシャツもかわいかった(過半数に達したら、半歩踏み出せよ。そんなノリで行こうぜ〜〜〜というTシャツ)!!

ちょっとコンドルズのライブ、ダンスも良いけど、こっちにこれからもっとハマりそうな予感。
次回はもうちょっとビール売り場に近い方に陣取ろう!と強く誓う。

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ステルスボーイ

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SET劇団創立30周年、記念公演「ステルスボーイ」を池袋で観劇。

30年という数字を聞いて、感慨もひとしお、、ってな思いで舞台上の主要メンバーを見つめてきました。
と言うのも、思い起こせば二十数年前、観劇を日々の軸に据え始めた頃、私は野田秀樹の「夢の遊眠社」の布教活動に日々精進していたわけですが、そんな芝居好きがぽつりぽつりと集まり始めると、そこには第三舞台の熱烈ファンもいれば、東京乾電池のファン、東京ヴォードヴィル、そしてSET(スーパーエキセントリックシアター)のファンもいるわけです。

で、情報交換、プラスお楽しみの一つとして、それぞれのごひいきの劇団を観あったりするわけですよ。
というわけで、SETの公演もそこそこ数こなして観てきているんです。

毎回、釘付けになるのが、アドリブだか、悪ノリだか、よくわからない三宅さんと小倉さんのかけあい。
パターン化されているのに、それを観たさに劇場の通うんですね〜〜。

なんだか、そこにはArtとかテーマとか、そんなのがどっかに吹き飛んでしまう、魅力があるんです。
本当に不思議。


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印獣

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パルコ<ねずみの三銃士>シリーズ第二弾「印獣」を観る。

このシリーズ、少数精鋭制でプロのプロにそれぞれにと〜〜〜っても力入れて作ってもらったら、こうゆうものが出来るのよ。というプロフェッショナルのお手本のようなお芝居。

で、まずは脚本家・宮藤官九郎。この方の上手さはもう神業です。
恋愛もの、ミステリーもの、感動もの、お笑いもの、、、なんてジャンル分けをするまでもなく、そんならもったいぶらずにぜ〜〜〜〜んぶ、その要素全てを入れてやるからもってこい!なんてもんで、本当に全てが詰まっております。スゴい!

で、この翻をこなせる、勝手を知った演出家と役者たち。

これぞプロの技。面白くないわけない。(三田さんでもおとなしく佇むしかなかったんでしょうね。ま、それが大正解なんですが。)

あと、上地さんのものすごく強引な沖縄弁のオチの部分も宮藤さんのプロの自身を感じました。

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Romeo & Juliet (東京デスロック 韓国バージョン)10/28

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先週の日本版に続いて、作られたものとしてはこちらの方が古いKorea version を観劇。

韓国人俳優陣による韓国語での劇作ということもあり、こちらの方は台詞をいじる(日本版では現代のロミジュリを創作していたが)ことはほとんどなく、その代わり、身体表現において現代のロミジュリを体現。

見知らぬ人との出会いの瞬間、近しくなる過程、そして親密になった後の衝突、などなどが見事にWithout wordsで表現されていた。
韓国人俳優達の体当たりの演技が、ウソ物ではない、熱い真実をこれでもかと眼前に突きつけてくる。

見終わった後には、3時間分のシェイクスピア台詞芝居を観たあとのような心地よい疲労感が感動とともに。

今回のこの2本の「Romeo& Juliet」、久々に心の震えがとまらぬほどの大発見でした。
芝居見続けていて良かったと思わせる、新しくて本物の芝居との出会い。ちょっとショックなほどの観劇体験でした。

この2本、日本代表選手として海外に紹介できる、するべきだと思うのですが。
賛同なさる方は連絡をお待ちしております。

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「生きているものはいないのか」(10/26)「生きてるものか」(11/1)

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五反田団の代表作「生きているものはいないのか」(08年の岸田國士戯曲賞受賞作品)とその続編「生きてるものか」を約1週間の間をあけて観劇。

人がわけもわからずバタバタと死んでいく、最後の言葉もろくすっぽ語らずクネクネとのたうち回りながら(この芸術的とも言えるみっともないクネクネが可笑しい)死んでいく。そんな口ぽか〜〜〜んで大爆笑の不条理芝居が「生きているものはいないのか」。
確かに、人の一生を思いっきり集約したらこうでしょう、という見事に「人の一生」を表した劇。
そんな中に、チクリチクリとゆる〜〜い生活、慣れきった日常へのイヤミもあり、一度観たら忘れられない、そんな芝居。

で、今回、新たに作られたその続編とも言える「生きてるものか」。
これ、前作から確実に進化していて、その洞察の深さ、世界の広さから言えば、さらなる傑作と言えるでしょう。笑いの度合いも進化hしているのですが。
「生きているものはいないのか」のラストシーンと重なるようなオープニング。そこから死んだ人々一人一人が生き返り、それぞれの生活事情を明かしていく。しかしながら、会話のはしばしにどこか欠けている部分があり、その謎解きと同時に、生き返った人々の行動から、実のところ私たちは事の成り行きを時間軸の逆行という順序で見せられていることに気づく。

前作では驚きの設定ながら、今作と比べると素直な不条理だったと思わされるほど。今回はさらなる次元にまで行き着くような、宇宙次元を思わせるような普遍的な死生観、輪廻観が語られ、その反面、目の前で見せられているような「犬も歩けば棒にあたる、人も歩けば死ぬこともある」的なとても冷めた人の死というものがあり(実際、イラクとかアフガンで無くなっている方々はこの心境でしょうし)、そんな意味でもCutting Edge(最先端)な日本不条理劇の傑作。


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ナノクライシス・ポルノグラフィ(10/26)

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新宿三丁目SPACE雑遊にて演劇集団 砂地の新作「ナノクライシス・ポルノグラフィ」を観る。

シュニッツラーの「輪舞」を20世紀の現代恋愛バージョンに書き換えたのが98年、David Hare著 「ブルールーム」。で、こちらは01年に秋山菜津子、内野聖陽の二人が何役もこなすという形式でtptにより上演されている。ー今をときめく超売れっ子俳優2人の共演にして今や世界で注目される演出家、デイビッド・ルヴォーの演出。幸運にもこの舞台は観ております。秋山さんのその後の活躍を予見させるような舞台。一皮も二皮もむけちゃって、輝いておりました。ー

で、今回は場所と時間を2009年の東京へ移して、今の新宿「輪舞」にリメイクしての上演。

数人の若手俳優人が代わる代わる登場し、今どきの恋愛模様を綴っていくのだが、これが巷で起こっている男女関係です。と言われれば、あ、そうなんですか。。。としか答えようがないような、ま、男と女のかけひきの話なので退屈はしないのですが、、あ、そ。。。みたいな、ま、それぞれにがんばってね。ぐらいの、その中にあまり新しい発見がないのが、残念。

四方を囲む360度の舞台に、角には男女が絡むソファーと、そしてトイレなど、なかなか刺激的な装置ではあるのだが、驚くような男女の不思議なつながり、がそこに見られないのが、ちょっと平日の昼間に観劇するにしては日常すぎて、興醒め。。かな。

蛇足になるが、ちょっと気になったのがパンフレットに書かれていた演出ノート。。<実は、日本におけるいわゆる男女交際の歴史ははっきり言って極めて浅い、いま我々の中に住み着いている"恋愛観”こいつは形成されて、100年もたっていないのだ。歴史的に見るとこんな普遍的に思える感情、感覚ですらも、実は発展途上なのである。>というくだり。

何をもってして歴史は極めて浅い。。。と言っているか?理解に苦しむ。

世界最古の恋愛小説「源氏物語」が生まれた国の話とは思えない。

彼の思うところの恋愛の定義が狭いから、舞台上の世界観も必然的にせばまってしまったのでしょうか?ね?

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